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BOOK REVIEW (書評)


*2016年7月up作品:「バラカ」
*2016年4月up作品:「サラバ!」
*2015年5月up作品:「新・戦争論 〜僕らのインテリジェンスの磨き方」

*過去のup作品:ア行カ行サ行タ行ナ行ハ行マ行ヤ行ラ行ワ行


「バラカ」
桐野 夏生 著 

堂々650ページの長編だが、面白くて途中でやめられず、2晩でほぼ一気読みした。
読み終えた後の感想は、「めちゃくちゃ面白かった」と「内容がごった煮で整理がつかない」に大別できる。

舞台は東日本大震災前後の日本。
そこでは大地震と大津波の被害より、原発事故で広範囲に撒き散らされた放射能が社会に暗い影を落としている。
本書の中ではフクシマ原発4基が核爆発を起こしたことになっており、人はみな東日本から西日本へ移住していく。首都は大阪へ移り、オリンピックも大阪で開催される予定だ。 主人公はそんな放射能汚染された被災地に置き去りにされ、ボランティアグループに発見された2歳の幼女。なぜ幼い子どもが被災地に置き去りにされているのか。その理由は読者にはわかっているが、本人や周囲の人たちにはわからない。 やがて、とても賢く成長した10歳のバラカは自らのアイデンティティを求めて人から人へとさまよっていく。その道のりは過酷で、「原発事故の影響は少ない」としたい政府や企業などに利用され、愛する人を次々に失っていく……
読みはじめの社会設定は「私たちの現実社会そのまま?」と思わせて、徐々に現実から乖離し、まるでSFのようになっていく。
しかし、本当にSFなのか? ひょっとしたら、実はこれが現実で、私たちはなにも知らずに暮らしているだけでは? …と一瞬でも思わせれば、著者の狙いにハマったことになるのだろう。
私たちが知らない放射能汚染の影響は山ほどあるだろうし、政府や電力会社が重要な事実を隠蔽しているのでは…?という疑いは誰しも抱いている。本書で描かれるのは、その最悪のシミュレーションといえるかもしれない。

ただし、本書の面白さは社会設定ではなく、過酷な人生を懸命に生きる主人公の少女と、彼女を助ける大人・利用する大人が交錯し、繰り広げる人間ドラマにある。登場人物一人ひとりのキャラクターのリアルさや、身もふたもない人間の身勝手さや狡さまで描いてあるからこそ、私は桐野作品をつい読んでしまう。
細かな部分を言えばツッコミどころが満載で、あり得ない展開も多い。だが、人がここまで純粋になれるのか。ここまで冷酷になるのか。そして同じ人がここまで変わるのか。つねに動き、変化する、「人」を見つめる視点が、なにより面白い。

集英社・1850円(税別)
(2016・07・23 宇都宮)

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「サラバ!」
西 加奈子 著 

第151回直木賞受賞作品。
不勉強にして受賞されるまで西加奈子さんの名前を存じ上げなかった。本書を読んでみようと思ったきっかけは、TV朝日『アメトーーク!』の「読書芸人」の回で、オードリーの若林さんが次のような言葉とともに推薦していたから。
「10代のクズを救う小説はいっぱいあるが、30代のクズを救ってくれるのは西先生だけ」
「クズ」という言葉に少々違和感があるが、バラエティ番組で発せられた言葉なので、重く考えないでおく(笑)。

小説は作者の自伝的要素が強いらしく、主人公の男性の幼少期から37歳までを丹念に描いている。
エキセントリックで美貌自慢な母。感情の起伏が激しく、社会に適合できない姉。そんな家族をただひたすら黙って見守り、経済的に支え続ける父。
幼いころから母や姉に振り回される中、要領よく生きようとした主人公は、あくまで受け身の人間だ。母親譲りのルックスのおかげで女性にはモテるが、人を愛するより自分のつまらないプライドを守るほうを優先する。自分は家族の犠牲者。いつも我慢してきた。いつも辛かった。人生がうまくいかないのも家族のせい(もしくは他のなにかのせい?)。

確かに、こういう30代は存在する。いや、40代になっても50代になっても、老人になっても、人や何かのせいにする人は多い。
人は生まれ育つ環境を選べない。だから環境や人知ではどうしようもない何かのせいにすれば、自分が責任を負わなくてもすむ。人間誰しも自分の足りない部分、至らない部分を直視するのはつらい。とくに年齢を重ねれば重ねるほど、これまでの人生が失敗だったと思い知るのはつらいものだ。

しかし、人は前を見て生きていかなくてはならない。
ひきこもり状態になった主人公は、周囲の人々に支えられ、徐々に立ち直っていく。救いの手は意外な人からもたらされ、意外な人が意外な人生を歩んでいく様子も見えてくる。このあたりが若林さんのいう「救い」なのか。

上下巻合わせて700ページの長編だが、ストーリー展開が面白いので、驚くほどすぐに読める。キャラクターがよく立っているのも物語に深みを与えている。ちなみに、私は主人公の母親がどうしても好きになれなかった。自分では働こうとせず、ダンナの稼ぎで生活しながら他の男と遊ぶ女って、やはり嫌悪感が否めない。どのキャラクターが気になるのか、それを知るだけでも自分自身が見えてくるかもしれない。
小学館・上下巻各1600円(税別)
(2016・04・02 宇都宮)

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「新・戦争論 〜僕らのインテリジェンスの磨き方」
池上 彰、 佐藤 優 著 

「イスラム国」と呼ばれる組織に日本人2人が惨殺された事件に、衝撃を受けた人は少なくないだろう。カメラの前で首を切り落とすという前近代的で残虐な映像は理解し難く、「今後こうした勢力とどのように接するべきなのか?」と暗い気持ちになった。
懸念はイスラム圏だけではない。アジアのお隣には、韓国、北朝鮮、中国という(文化的に近いはずなのに)遠い国々がある。
ヨーロッパも揺れている。とりわけ、ウクライナはエネルギー問題を内包し、現代のヨーロッパの火薬庫だ。ロシアvs西側の構図に中国やイスラムの国々が絡み、ややこしいことこの上ない。

そんな世界情勢を識者2人が読み解こうとするのが本書だ。
一読して、売れている理由が納得できた。
第一に、池上彰さんと佐藤優さんという卓越した2人の対談という形式をとり、互いの言葉をフォローしあう形で話題が進むので、事前知識があまりない読者もついていきやすい。佐藤優さんといえば外交の最前線でキャリアを積んだ人物で、最近では「知の巨人」的な扱われ方だ。たしかに教養といい情報収集力といい第一級の人物だと思うが、彼の文章はどうも読みづらい。手島龍一さんとの対談集が多く出版されているのも、読みやすさに配慮した出版社の意図ではないか。
第二に、最近世界で起きている紛争や外交問題を地域ごとに切り分けて説明してくれるので、一般人にも理解しやすい。とくに日本人にわかりにくいのが宗教がらみの問題だが、たとえばスンニ派とシーア派の関係などを双方の歴史からひもといて説明してくれる。日本の学校ではほとんど習わないが、ウクライナの歴史も興味深い。今、世界で起きている紛争は、その地域の歴史と切り離しては理解できない。まずは民族と歴史を知ること。池上彰さんはTV番組や著書でさかんに「教養としての歴史を学ぼう」とおっしゃっているが、その主張ともきれいに重なり合う。
第三に、全編に渡って学校では教えてくれない知識が散りばめられている。今の中国の宗教事情なんて、中国人に質問してもなかなかわかるものではない。中国国内のカトリック勢力、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの関係、ウイグルの背後に控える広大なトルコ・イスラム文化圏……たしかに歴史を知らないと、理解するのが難しいことばかりだ。
第四に、佐藤優さんが語る生のインテリジェンスの場面が、スパイ映画のように面白い。平和ボケしたアタマには衝撃的な内容ばかりで、中東という地域で生き抜く過酷さは、お人よしの日本人にはとてもついていけないだろうと思わせる。しかし、この国際情勢の中をうまく泳ぎ切らなければ、日本も生き残れない。だってエネルギーのほとんどを中東に依存しているのだから。

同じ時期に佐藤優さんと手島龍一さんの対談本『賢者の戦略 〜生き残るためのインテリジェンス』も読んだが、本書のほうが読みやすかった。内容的にはかぶる部分もあるが、世界情勢が1週間単位で変化する時代だから、インテリジェンスのシリーズは次から次へと読んでもムダはなさそう。知的好奇心がおおいに刺激されるのは間違いない。

文藝春秋・830円(税別)
(2015・4・15 宇都宮)

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「ボラード病」
吉村 萬壱 著 

不思議な物語だ。
出だしは童話のような、のどかな文体ではじまる。しかし、その直後に主人公である「私」と「母」の緊張感漂う関係が描写され、表面的には夢のような童話に見えても、実はそうでない状況が暗示される。
主人公が通う小学校でも、子どもらしいやりとりの合間に不思議な描写があちらこちらに垣間見える。体調の悪い子どもがやたらと多いこと。妙な先生の態度。「結び合い」という不思議な言葉。そして、登場人物が暮らす町「海塚」への故郷愛が強制されるところで強い違和感を覚え、クラスメートの葬式の弔辞を読んで、初めてこの物語の場所設定を推測できるようになる。

物語の場所は「フクシマ」にある架空の海沿いの町。
長い避難生活の末に故郷に戻った人々は、8年のあいだ復興作業に骨身を削る。努力の甲斐あって町は一見復興したように見えるが、子どもたちは次々に死んでいき、その異常さを指摘することは許されない。むしろ、海塚の状況を異常と感じる人間は「病気」で、強制的に隔離される。だから、「母」はひたすら周囲の目を気にして「善良な市民」としてふるまい、陰では地元産の食べ物をかたくなに「私」に食べさせなかった。
その表と裏の乖離が、「母」と「私」を精神的に追いこんでいく。

本書には「放射能」という言葉は一度も使われておらず、海塚がこんなふうになってしまった原因にも触れられていないが、物語全体を覆う閉そく感や先行きが見えない不安感は読む者にも迫って来る。周囲に同調せず、密かに自分の信念を貫くのか。それともなにも考えず、周囲に同調して、楽になるのか。息を詰めて「私」の動向を見守ってしまう。

童話ではじまり、「サイコホラーか?」と思わせ、SFともいえる設定になり、「いや、実はSFではなく、現実に起きていることでは?」と考えさせる。少しずつ少しずつなされていく情報開示や、読者が自分がどこにいるのかわからないまま先へと引っ張っていく手腕がお見事。細かな感情表現や、ありがちな行動もうまく描かれていて、伏線も効いている。

本書は不思議で、とても面白い物語だ。
こんなに面白いのに、私は本書を知らなかったし、ベストセラーになったという話も聞かない。なぜ、話題にならないのか? 物語の中も外も含めて、すべて興味深い。


文藝春秋・1400円(税別)
(2014・12・20 宇都宮)

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「ラブレス」
桜木 紫乃 著 

『ホテルローヤル』で直木賞を受賞した桜木紫乃さんがその2年前に刊行し、話題を呼んだ長編小説。
道東・釧路を舞台に、貧しい開拓農家に生まれ、戦後を生き抜いた姉妹が主人公。穏やかな性格で、歌手になることを夢見る姉は、町を訪れた旅芸人の一座の舞台に魅了され、芸能の世界に身を投じる。一方、現実的でしっかり者の妹は理髪師の資格を取り、町いちばんの理髪店で頭角を現していく。10年後、姉が所属していた一座は解散。女形役者の男と連れ添うようになっていた姉は身重のからだで故郷へ帰る。それを迎えた妹は……

いわゆる「女の一生」もので、最初から最後まで一気に読んだ。
結婚相手に恵まれず、女がひとりで生きていかなければならないとき、助けになるのは身につけた技能と人間関係。姉は休む間もなく働いて子どもを育て、妹は知恵を絞って理髪店を切りまわしていく。人並みの幸せを求めて毎日を懸命に生きているふたりだが、人生には過酷な出来事が待ち構えている……

桜木さんの小説に登場する女性はみなたくましく、悲運に負けず足を踏ん張って生きている。それに比べて、男性は無教養で暴力的で粗野な男か、線が細くて困難に真正面から立ち向かえない優男に大別される。前者はお話にならないし、後者は情けない。しかし、そんな情けない男を愛し続けた女の一生も興味深い。
また、全く性格の異なる姉妹が、長く離れていたにもかかわらず、時には助け合い、時にはぶつかり合う様子も「血のつながりのある者同士」の情の濃さを感じさせる。男同士は反発しあって終わるが、女同士は反発しあいながらも相手が気になってしかたがない。男性像が類型的だが、女性をうまく描ける作家さんだと感じた。

新潮社・1600円(税別)
(2014・08・17 宇都宮)

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「ホテルローヤル」
桜木 紫乃 著 

2013年の直木賞受賞作。
釧路湿原を見下ろす場所にたつラブホテル「ホテルローヤル」。ここを舞台に、さまざまな男女のドラマが繰り広げられ、やがて時とともに忘れ去られていった。ホテルローヤルが建てられ、そこで人々が暮らし、やがて廃業し、廃墟となり果てるさまが7本の短編の連作で描かれる。

廃墟のホテルでヌード写真を撮るカップル。檀家に性サービスをおこなう住職の妻。心中事件を起こす高校教師と生徒。ホテルの経営者家族やそこで働く清掃パートの女性たち。
ラブホテルという刹那の人間関係が凝縮された場で、人々は性欲だけでなく、心の奥深くに澱のようにたまった感情を吐き出していく。それは醜悪で、だらしなく、打算に満ちたものだったりするが、それでもホテルを一歩出れば、人は次の行く先を探し、どうやって生きていくかを考える。――心中したカップルを除けば。

登場する人物のほとんどが社会の底辺で生きる低所得者であることも、やるせなさに拍車をかける。大半の人が真面目に働いている。なかには高潔な人物もいる。なのに社会的経済的に報われない。社会的経済的に報われなくても、家庭や人生において報われていればそれでも幸せだったりするが、そこが難しい。貧乏は肉親の人間関係ですらいとも簡単に破壊してしまうし、背負うものが少ない人は身ひとつで気軽に飛び出してしまうから。

暗い物語が多いわりには、さらっとした読後感でジメジメしたところがないのは、感情表現が控えめで、簡潔な文体のなせるわざか。著者は日常生活の細かな情景描写と、無意識の感情がもたらす人の動きの表現がとても上手い。太陽の光を拒絶するラブホテル内部の暗さやほこりっぽさが、文章を通して手に取るように伝わってきた。
今の流行りなのか、現在から過去へと遡っていく全体構成もよくハマっていた。

それにしても――底辺でもそれなりに生きていける、今の日本はやはり「ゆたか」なのか?

新潮社・1400円(税別)
(2014・05・27 宇都宮)

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「血脈」
佐藤 愛子 著 

作家・佐藤愛子さんが自らの一族の生きざまを赤裸々に描いた大河小説。
佐藤愛子さんの父は『ああ玉杯に花うけて』などの少年小説で知られる佐藤紅緑、異母兄は昭和の大詩人・サトウハチロー。紅緑は波乱万丈の半生の末に作家として名を馳せ、ハチローら4人の息子を得るが、新人女優のシナに出会ってから家庭は崩壊。シナとのあいだに生まれたのが末娘の愛子さんだ。

才気にあふれ、なにごとも情熱のままに行動する紅緑の血を引いたせいか、はたまた家庭を顧みない紅緑の行動がそうさせたのか、4人の息子はとんでもない不良に育つ。不登校、ゆすり・たかり、女遊び、放浪を果てしなく繰り返し、紅緑と後妻におさまったシナはその尻拭いに心身をすり減らす。ハチローだけが持って生まれた詩才が花開き、詩人として絶頂を極めるが、繊細で美しいその作品とは裏腹に、私生活は妻と妾が同居するなど放縦きわまりないものだった。ハチローの息子たちも父の弟たちと同じ道を歩み、野たれ死に同然の死を迎える。

上・中・下巻各600ページの大長編に綴られた、家族の混乱と悲哀の物語。金と女にだらしない男たちに女たちは泣かされてばかり。しかし、紅緑やハチローや愛子といった文才を持つ人材が輩出したため、生活力のない者は彼らに寄生し、どうにかこうにか食いつないでいく。
男たちの勝手さ、だらしなさ、辛抱のなさには驚くばかりだが、数えきれないほど勘当を申し渡しながら彼らを受け止め、死に至るまで続く血族のつきあいの深さに感慨を覚える。ここまで深い人と人とのつながりが、今の日本に果たして残っているだろうか。
血族ばかりではない。少し金回りがよくなれば、書生や居候を養い、女中を雇って大家族を形成する。貧富の差が激しかった戦前の社会がそうさせたのか、富める者が貧しい者を食べさせていく姿は、現在とは比べものにならないぐらい人間関係が濃密だったことを感じさせる。作中に登場する愛子も、そんな親戚たちに愛想を尽かしながらも、葬式などの最後の面倒はみる。「小説のネタになる」だけでは説明できない、とてつもない懐の深さや一族の狂気への同質感を感じる。

そして、作品と作家の人柄はまったく別物という、知られているようで知られていない事実。子どもの頃、ハチローの童謡『ちいさい秋みつけた』を聴いて心を奪われたし、今読み返しても珠玉の詩だと思うが、現実の彼が本作で描かれた人柄だとすれば、周囲の人々の心に平安はない。
作家というのはこうした苦労や狂気があってこそ、素晴らしい作品を生み出せるのだろうか。波風立てずに生きて、人並みに生活する者にこんな物語は書けない。いびつで、破滅的な人格で、血を吐くような想いをした人だけに見える世界がきっとあるのでは? その結果か、普通の人ならなかなか客観的に書けない部分まで、作者の筆は時に残酷に、時にあっさりと描ききってしまう。自らの両親、兄弟、夫に振り回され続けた結婚生活を赤裸々に描いた作者の勇気に、拍手を送りたい。

文春文庫・各800円(税別)
(2013・05・12 宇都宮)

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「聞く力」
阿川 佐和子 著 

105万部発行されている大ベストセラー(2012年12月現在)。
本書の内容は、阿川さんの膨大なインタビュー経験から、「人に話を聞くときに心がけていること」をストレートにまとめたもの。週刊文春の連載がおもな情報ソースになっていると思われ、旬な著名人や大物の話がよく登場する。彼ら著名人の生の表情が知りたくて本書を手に取った人も多いのだろうか。それとも、コミュニケーションの指南本として読む人が多いのか。いずれにせよ、私のようなライターが読むのはわかるが、なぜこんなにも一般の人々に興味を持たれ、部数が伸びているのか。その売れっぷりの裏側に興味が湧く。

一応、私も著名人にインタビューすることがあるが、阿川さんのお仕事とはかなり色合いが違うと感じた。
まず、対談でなくインタビューなので、インタビュアーの存在はクローズアップされない。また、週刊文春では編集者以外に構成ライターがつき、事前の打ち合わせで「こんなことを質問しましょう」とおおよその概要を決めるという。つまり、阿川さんの仕事は「聞き出すこと」で、この仕事に限っては「書くこと」が含まれていないらしい。
一方、インタビュー+原稿書きまで担当するライターは、原稿にした状態を想像しながらインタビューを進めるので、お話の内容があまりとっちらからないように気を配る。その点、阿川さんは原稿化した状態を考えずにすむので、聞くことに集中し自由に質問できるのでは…?と思ったが、うまく聞けなかったときは編集者だけでなくライターからも叱られてしまうという。う〜ん…あとで叱られるぐらいなら、自分で全部やってしまったほうが気楽かもしれない。

また、私たちライターがインタビューするときは対象者の資料(著書、映画、CDなどの作品、他のインタビュー記事、WEB記事など)をできる限り集め、事前に読み込んでいく。この点、阿川さんの対談相手は大物が多いから、作品数も代表作も数が多くて目を通すのはさぞ大変だろう。実際、編集者から山のような資料が送られてくるときがあるという。いや、本当に大変だろう…が、うらやましくもある。私のようなライターだと、自分で資料を集めるのが当たり前。しかも参考資料代を請求しづらいので、著書はできる限り図書館で入手する。それゆえ、都会の充実した図書館機能が限りなく有難い。もちろん、自腹で購入することもあるが、使用後に狭いマンションの中で収納場所に困ることが目に見えている。

それにしても、インタビュー対象者はあらゆる分野に存在する。しかも、相手はその分野のスペシャリスト。そんな専門家に、付け焼刃で資料を読んだだけのライターがなにを訊けるのか。ついつい「一般人を代表して、みんなが訊きたい質問をする」というスタンスになりがちだが、それだけでは物足りない。「なにか傷跡を残したい」「心に残る言葉を引き出したい」と思うのもライターのさが。結果、限られた時間内でひとり葛藤することになる。

もうひとつ、ついでに云えば、阿川さんのインタビューは必ず2時間確保するらしい。これまたうらやましい。相手が芸能人の場合、私の経験では長くて1時間、最短15分。じっくり話を聞くには、阿川さんもおっしゃっているとおり、やはり2時間ぐらい必要だろう。

文春新書・840円(税込)
(2013・01・20 宇都宮)

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「苦役列車」
西村 賢太 著 

第144回芥川賞受賞作。著者自身の日雇い労働の生活体験を描いた自伝的小説。

貫多は中学卒業と同時に親元を飛び出し、3畳間の安アパートで暮らす19歳。日雇い労働で生計を立て、経済的な余裕も将来への希望もなにもない。わずかに稼いだ金は酒とたばこと風俗に消え、家賃を滞納してはアパートを追い出されることを繰り返している。そんな貫多も19歳の年頃の若者だから、友人や恋人は欲しい。ある日、日雇い先の冷凍倉庫で専門学校生・日下部と出会い、貫多の生活にも変化の兆しが見えたのだが……

非正規雇用、ワーキングプア、生活保護世帯の増大と、ビンボー話には事欠かない今の日本社会。
貫多の貧乏暮らしも20年前ならレアな物語だったが、今や珍しくもない。しかし、この小説の面白さは貫多の中に渦巻くコンプレックスやプライド、だらしなさ、小狡さ、小心、小人なりのかけひきをストレートに描いたところ。社会に受け入れられないような自堕落な生活をしていても、純粋に友人が欲しいと願うシーンも心に響く。

著者の西村賢太さんは、長く孤独な日々の中で、自分の中にある有象無象を徹底的に洗いだしたのだろう。それは醜悪で見るに耐えないが、実は誰もが持っているもの。私もそうだったが、貫多の言動を己に照らし合わせて読んだ人は多いのではないか。

戦前の小説のような文体にも注目だ。今どき使わない言葉や言い回しのオンパレードだが、著者の文章力の賜物なのか、なぜか読みやすい。文体も貧乏も古くて新しい。私小説でどこまでいけるのか見届けてみたいものだ。

新潮社・1200円(税別)
(2013・01・20 宇都宮)


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「宇宙は何でできているのか〜素粒子物理学で解く宇宙の謎」
村山 斉 著 

難解な宇宙論や素粒子物理学を一般の人向けにわかりやすく解説した1冊。
一般向けの科学書は「読みやすい」「わかりやすい」ことがとても重要で、わかりやすくするためには思いきった説明の省略が必要だ。この加減が、専門家である科学者には難しいのではないかと推察する。著者はカリフォルニア大バークレー校教授兼東京大学数物連携宇宙研究機構(IPMU)初代機構長。市民講座などで一般の人向けに講演をしていたことが、どうやら本書を執筆するきっかけになったらしい。そのためか、「数学、物理は苦手だが、宇宙は好き」という人にも読みやすくできている。

表題の疑問への答えはこうだ。 「宇宙のエネルギーでもっとも多いのは、暗黒エネルギーの73%。次いで暗黒物質の23%。私たちが知っている原子はわずか4.4%に過ぎない」
ちなみに、暗黒エネルギーも暗黒物質も目に見えないから、その正体はわからない。今、世界中の天文学者、物理学者がやっきになって、その正体を突き止めようとしているらしい。なぜなら、ビッグバンのおよそ1億分の1秒後に生まれた暗黒物質を調べれば、宇宙生成の謎に大きく近づけるから。

こうした事実を普段私は新聞記事で知る程度だが、改めて書籍で読むと勉強になる。
そして、つくづく実感するのは、宇宙論も素粒子物理学も進歩が著しいということ。
私が学生の頃、「万物は原子でできている」と教えられた。宇宙空間は究極の真空で、「なにもない」ところだとなにかで読んだ。しかし、現代の理論では、私たちが見ている世界はこの世の4.4%に過ぎないのだ。
また、2010年9月発行の本書では、ヒッグス粒子発見への期待が語られているのだが、今年7月、実際にヒッグス粒子と見られる新粒子が発見された。ということはつまり、2年前の書籍の情報がすでに古いということ。
さてさて、アインシュタインの理論もいつひっくり返るかわからない。最先端の科学はそんなオモチャ箱のような面白さを秘めている。

幻冬舎新書・800円(税別)
(2012・08・25 宇都宮)


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「往復書簡」
湊 かなえ 著 

手紙のやりとりだけで綴られる、3つのストーリー。 いずれも過去に起きた事件を振り返りながら、事件の真相に迫り、これからの生き方を問う構成になっている。

3つのストーリーのうち、いちばん意外性があったのは「十年後の卒業文集」だろうか。高校の放送部で青春をともに過ごした女子4人、男子3人。卒業して10年後、リーダー格の男子と地味な存在だった女子が結婚することになり、久々にメンバーが一堂に会する。ただし、高校時代からその男子とつきあい、部活動中の事故で顔に大けがを負って姿を消した女子だけがその場にいなかった……
手紙は結婚式に出席した女子3人のあいだで、「あの事故のとき、なにがあったの?」という真相の探り合いを軸に展開する。誰が誰に嫉妬し、誰が嘘をついているのか。あのとき起きたのは事故なのか、それとも事件なのか――ラストにどんでん返しがあり、それなりにすっきりするのだが、かなり無理オチではある。

それにしても、本書に登場する人物たちはみな過去のトラウマに真摯に向き合い、自らの心を見つめ直そうとする。ところが現実は、現在進行形の人生のほうがずっと切実で大変だったりするのではないだろうか。「後悔してもしきれない」ことは人生につきものだが、記憶はいつか薄れるし、どうあがいても「過ぎたこと」だ。28歳やそこらで「過ぎたこと」にこだわり過ぎるのは早過ぎないか? これからの人生の方がよほど長いし、波乱に富んでいるかもしれない。過去を振り返るのは老後に取っておいてもいいのではないか?

湊かなえさんの小説は日常の身近な題材をモチーフに、登場人物の感情を細やかに描くのが特徴だが、人はもう少し鈍感なもの(強い、と言い換えてもいい)ではないだろうか。だからこそ、苦労の渦中にあっても生きていけるのだと思う。

幻冬舎・1400円(税別)
(2012・08・19 宇都宮)

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「日御子」
帚木 蓬生 著 

古来、日本は文化や科学などあらゆる分野を中国から学び、知識と技術を採り入れ、国内で進化させてきた。そのために欠かせなかったのが、「朝貢」という形の外交。要は中国に貢物を届け、中国の傘下に入る代わりに、さまざまなものを学ばせてもらうというもの。有名な「漢倭奴国王」の金印や邪馬台国の卑弥呼も、朝貢をしたおかげで中国の正史に記録として残ることができた。
本書は、1世紀から3世紀にかけての日中交流の歴史を、使譯(通訳)の一族に語らせた歴史小説。540ページにも及ぶ書き下ろし大作で、9世代に渡る使譯が登場し、胎動期の日本の姿を描く。

この時代の歴史は、中国の史料にしか信頼できるものが残っていない。日本にまだ「文字」が存在せず、記録を残せなかったからだ。そのため、中国を描いた部分には史実の重みが伝わってくるが、伊都国、弥摩大国(邪馬台国)などを描いた部分はどこかファンタジーぽい。当時の気候、建築、食べ物、衣類、習慣などを著者が念入りに調べたことは伝わってくるが、それ以上にその想像力に敬意を表したい。

さらに驚いたのは、登場人物がすべて善人だということ。
使譯の一族は親から漢語や文字の英才教育を受け、一族に伝わる3つの教え「人を裏切らない。人を恨まず、戦いを挑まない。良い習慣は才能を超える」を代々守り、国から国へと広がっていく。ひとりぐらい道を外れた者や怠け者がいてもよさそうなものだが、本書に登場する使譯はすべて優秀で、3つの教えを守り、真面目に物事に取り組んでいく。とくに3つ目の教えについては、語学は毎日の積み重ねがなにより大きいから、毎日の鍛錬が才能を超えるのは間違いない。
使譯の一族だけではない。登場する国王も官僚も中国人使節も、誰もがいい人ばかり。このあたりはファンタジーがなせるワザなのか、それとも著者の人柄なのか。

単なる想像だが、中華思想が根本にある中国人使節は、中国より数百年遅れた日本の生活レベルを蔑視する人が圧倒的に多かったのではないだろうか。これを覆すには、日本人が勤勉かつ実直で、学べる機会さえあれば中国の文化レベルに追いつけることを示すしかない。資源もなにもない日本の財産はやっぱり「人」。2000年前も今も変わらないこの事実を、全編を通して訴えているかのようだ。

講談社・1800円(税別) (2012・07・10 宇都宮)

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「下町ロケット」
池井戸 潤 著 

タイトルから、「下町の町工場がロケット打ち上げに関わるハイテク製品を世に送り出す物語」を想像していた。読んでみると、内容はそのとおり。しかし、小説のテイストは想像とまるで違っていた。爽やかなものづくりベンチャーの物語ではなく、ドロドロとした企業小説だった。

下町の中小企業(とはいえ従業員200人、年商100億円近くというから、零細企業を想像すると肩透かしを食う)が、世界に名だたる大企業を相手に、自社の技術をロケットに投影させるまでに、どれほどの権謀術数と法廷闘争があったか。大企業、ライバル企業、双方の弁護士、取引銀行、大学の研究所などが入り乱れての、相手を出し抜く丁丁発止のやりとり。1台のロケットを打ち上げるためにかかる莫大な金と、その金の御利益に預かろうとする有象無象の輩たち。
彼ら(残念ながら、本書のビジネスの現場に登場するのは全員男性だ)の欲には、「もっと金が欲しい」「もっと給料をたくさんもらいたい」という金銭欲もあれば、「上司を飛び越えて出世したい」「社内で一目置かれたい」という出世欲もある。このあたりの駆け引きがドロドロしていて見苦しいのだが、いちばん人間くさくて面白いところでもある。

それにしても、会社経営とはなんとイバラの道であることか。世界有数の技術を持っていても、ロケットを飛ばすまでには数えきれないほどの関門がある。しかも、技術の美味しい汁だけ吸おうとする輩が、虎視眈眈と経営破たんを狙い、トラップまで仕掛けてくるのだ。「自分たちの技術を信じる」といっても、心が折れる時もあるだろう。そんな中、私が主人公の町工場の社長に肩入れしてしまうのは、彼が裏表なく人と接しているところ。取引先にも、社員にも、銀行にも、同じように接して、コロコロと態度を変えることがない。技術とは、結局「人」なのだと思う。

ところで、本書の中ではあえて深堀りされていないが、主人公の社長は東大を卒業し、宇宙科学開発機構で技術者だったという設定。社長以外の登場人物も、東大出身者が多いと踏んだ。下町の町工場といっても相当ハイレベルなので、零細町工場の方々には遠いお話ではないだろうか。実家が零細企業を営む私としては、零細にも光を当てた小説を読みたいところだ。

小学館・1700円(税別)
(2012・04・10 宇都宮)

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「告白」
湊 かなえ 著 

「週刊文春08年ミステリーベスト10」で第1位、第6回本屋大賞受賞、そして映画化と、話題になった小説をやっと読むことができた。
読んでみて、なるほど人気が出るはずだと思った。舞台は学校という誰にでも共通の記憶がある場所。そこで教師が生徒に復讐をするという、目新しいシチュエーションでストーリーが進む。これだけ聞くと奇想天外なストーリーかと思われるかもしれないが、そうでもない。4歳の娘を殺された女性教師が復讐の念を抱く気持ちはよく理解できるし、少年法で裁ききれない相手を自らの手で裁くのは、ある意味溜飲が下がる。最後のドンデン返しも効いていた。

ただし、犯人が最初からわかっているのだから、推理小説にはならないかもしれない。実際、設定にムリがある部分も複数存在する。
しかし、なぜ犯人が(しかも中学1年生が)幼い女の子を殺すことになったのか。事件が起きるまでの心理描写が細やかで心に迫る。一見普通の中学生がどのように追い込まれ、どのように人の命を奪ってしまったか、その過程が、だ。
秀逸なのは、犯人の男子中学生2人と母親との関係の描き方だ。とくに直樹と母親の母子関係がリアルで、まるで現実に近所に住んでいそうな錯覚を覚える。時間を持て余し、子離れできない母親と自分に甘い息子。どこにでもいそうな母子像だ。
一方、修哉と母親の母子関係は特殊で、母も息子も現実にはなかなかいそうにないが、「母親に拒否されるのが怖くて、敢えて遠回りばかりする優等生」という修哉の人物像は多くの人に投影できそうだ。人はみな、自分が「行動しない」言い訳を懸命に考える。他人から見れば、「さっさと行動すればいいのに」と思うことでも、失敗や拒否が怖くて行動が起こせない人間の弱さと脆さ。プライドが高い人ほど、その落差は大きいことだろう。

作者の湊かなえさんは脚本家を目指し、複数のコンクールで受賞もしているのだが、地方在住のため脚本の仕事が入ってこなかったとなにかで読んだことがある。しかし、これほどの人間観察力と文章力、構成力があれば、小説でも充分世に出ることができる。放送局ももったいないことをしたものだ。

双葉文庫・619円(税別)
(2012・04・06 宇都宮)

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「ベテルギウスの超新星爆発 〜加速膨張する宇宙の発見〜」
野本 陽代 著 

冬の夜空を飾るオリオン座の一等星ベテルギウスが、いつ超新星爆発を起こしてもおかしくない状況だという。
ベテルギウスは赤色超巨星の代表格。昔から年老いた巨大な恒星というイメージがあったが、昨今の盛り上がりは「ひょっとして私が生きているあいだに超新星爆発が見られるの?!」と思わせるほどだ。
もし、ベテルギウスに超新星爆発が起きたら、太陽のような明るさで輝き、数週間地上に夜がなくなるだろう……という話を聞いたことがあるが、著者によるとそこまで明るくはないという。しかし、昼間でも確認できる明るさで輝くため、太陽が2つ出現することに変わりはない。また、爆発の際、強烈なガンマ線を放出するが、ベテルギウスの自転軸の方向が地球の位置とは20度ズレているため、地球への影響はないとのこと。ガンマ線をまともに浴びれば生物の大量絶滅も起こりかねないので、とりあえず胸をなでおろしておく。

地球から約640光年という絶妙の距離(遠すぎると夜空のほかの星と変わらない。近すぎると地球も巻き込まれて破滅する)。20度という自転軸のズレ(このズレは素人には小さく感じるが、広い宇宙では膨大な距離になるのだろう)。そして、誰もが知っているオリオン座の一等星ということ(オリオンの右肩に赤く輝き、シリウスやプロキオンと冬の大三角形をかたちづくる冬の夜空のスター的存在だ)。
天文ファンでなくても心躍るシチュエーション。爆発の瞬間、いったいどんな光景が見られるのか。なにがわかるのか。――これはもう待つしかない。

現時点でベテルギウスについてわかっていることはたかだか知れており、天文学者はあくまでも可能性を指摘しているだけだ。そのため、本書でもベテルギウスについて書かれてあるのはわずか20〜30ページ。これ以外のページは「超新星とはなにか」「星の誕生と進化」という関連ネタ、そして「宇宙は膨張し続けるのか」といった宇宙論の最新トピックスでまとめている。
いずれも科学者が理系の常識で説明すると、私のような文系人間にはチンプンカンプンだ。そのため、著者の野本さんは一般読者向けにやさしく解説されている……が! やはりまだ難しい。科学者が宇宙の謎に挑戦し続けてきた歴史から天文学を説明されているのは、きっと一般読者が読みやすいようにという配慮なのだろうが、登場する科学者の名前や大学・研究所名が多すぎるし、内容的にもやや消化不良気味だ。
しかし、見えない重力や光を言葉で説明すること、地上ではあり得ない宇宙の現象を説明することの難しさは、想像に余りある。ぜひこれからも文系人間にわかりやすく、天文学の本を書き続けていただきたい。

幻冬舎新書・780円(税別)
(2012・03・06 宇都宮)

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「老いの才覚」
曽野 綾子 著 

年の取り方を知らないわがままな老人が増えている。自立した老人になるためには、老いの才覚=「老いる力」が必要なのだ。では、老いる力とはいったいなにか? ――という要旨で書かれた曽野綾子さんのエッセイ。といっても曽野さん自ら筆を取ったというより、曽野さんがつらつらと思いのままに語ったことを第三者がまとめたような文体だ。
「自立した老人になる」。
これがいかに大変なことか。まず経済的に自立していないといけないし、その後に身の回りのことを自分でできるだけの健康が必要だ。そして、子どもや周囲に精神的に頼らないこと。この3つの条件を満たさなければならない。
曽野さんは1931年生まれで、本書の刊行当時79歳。ご夫妻とも功なり名遂げた方々なので、経済的には余裕がおありだろうし、この世代の高齢者はおしなべて年金額が多く、経済的には自立している。また、健康関連の情報も豊富に受け取っている世代なので、健康維持に対する意識も高い方が多いのでは?
問題は精神的依存だが、これは人による。曽野さん命名の「くれない族」(人に○○してもらって当たり前、と考える人たちの意)は、確かに数多く存在する。残念なことに、若い世代にも存在する。これは肉体の年齢ではなく、精神年齢によるところが大きいのではないか。

本書でもっとも心に残ったのは、「老年の仕事は孤独に耐えること。そして、孤独だけがもたらす時間の中で自分を発見する」という一文だ。寂しいからといって、人を振り回していいというものではない。老年者は自分が若い世代の自立を阻んでいないか、折りにふれ自分を振り返る必要がある。「ほんとうの孤独というものは、友にも親にも配偶者にも救ってもらえない。人間は、別離でも病気でも死でも、ひとりで耐えるほかないのです」と、本書にあるとおりだ。
私自身はひとりで仕事をしているし、子どももいないので、自分の孤独を身近に想定しやすい。しかし、今現在、職場で大勢の人に囲まれていたり、子どもたちと暮らしている人が、老年の孤独を想定できるのだろうか。去っていく相手を必死で追いかけることにならないだろうか。

問題は、曽野さんの世代よりも、私を含めた下の世代が老年を迎えたときだと思う。年金額が少ないうえに、無年金者など経済的に困窮しそうな人が多い。おまけに人間関係が希薄で、配偶者や子どもがいない人も多いから孤独はより深い。
そんな老年を想像しつつ、とりあえず向上心だけはつねに持っておこうと思う。肉体は確実に衰えていくが、精神の年齢は自由なのだから。

KKベストセラーズ・762円(税別)
(2011・12・27 宇都宮)

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「悪人」
吉田 修一 著 

朝日新聞に連載され、映画化で話題となった小説。私は新聞小説を読む習慣がないので、まったく前知識なしで本書を読んだが、「“悪”とはいったいなにか?」という古いテーマを現在の日本の社会事情を織り交ぜながら描いている。
佐賀の山中で保険外交員の女性の絞殺体が発見された。警察は老舗旅館の跡取り息子・圭吾を容疑者として追うが、実のところ真犯人は出会い系サイトで知り合った祐一だった。一方、紳士服販売店の店員として地味な毎日を送っていた光代は、ふと気が向いて登録した出会い系サイトで祐一と出会い、彼の逃避行に同行することになる……

殺人事件を題材にしているが、推理小説ではない。祐一、光代、圭吾、そして殺された保険外交員の人となりを丹念に描き、「なぜ殺したのか」「なぜ殺されたのか」「なぜ逃げたのか」「なぜ逃避行に同行したのか」を徐々に読者に納得させながら、ストーリーが進行する。
“本当の悪”を心の中に抱いているのは、実は警察に追われる祐一や光代ではなく、殺された保険外交員や老舗旅館の跡取り息子。しかし、その“悪”も誰もが持ち得るもので、たまたま彼らに行動力があり、わがままを言える立場にあったから露見しただけ。「たまたま」の出会いが「たまたま」の殺人を生み、複数の人生を狂わせる。
物語の構成は一般的な三人称形式ではじまり、途中で突然登場人物たちのモノローグが挿入される(しかも予期しない人物のモノローグもある)。桐野夏生さんの小説などで見かける手法だが、主人公の人生や人となりを第三者視点で克明に描くのではなく、彼に関わった人物の主観で描こうという試みは面白い。祐一に関わった人物はみな断片的な情報しか持っておらず、自分たちが知っている祐一の姿しか語れない。親ですら、「あの子のことならなんだってわかる」とは到底断言できない。
そんな祐一の人生が、断片のつなぎあわせのように見えるのは私だけではないだろう。人間関係が希薄な時代、人に自分を語らせれば、誰だって断片のつなぎあわせになる。「あの人なら私のことをほとんどわかってくれてる」という存在を持たない人が本当に多いのだ。
「殺人事件の容疑者との逃避行」というモチーフは古いが、描くのは現代の人間関係。そういう意味で、若者に支持される理由が理解できた。

朝日新聞社・1890円
(2011・02・14 宇都宮)

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「役に立たない日々」
佐野洋子 著 

佐野洋子さんの訃報を新聞で知り、その昔、代表作『100万回生きたねこ』に涙したことを思い出した。その後、息子さんの回想記を朝日新聞で読み、佐野さんが独自の人生を貫いた人だと知り、彼女自身の人となりに興味が湧いた。切れ味のよいエッセイをよく書いておられたらしく、あらためて本書を読んだところ、あまりの面白さに驚いた。なぜもっと早く読んでおかなかったのか? 不勉強以外のなにものでもない。

年をとると、身体のあちこちに不調が出る。人生の盛りの頃に比べたら、仕事も低調。必死で育てた子どもも、親から距離を置く。にもかかわらず、昨今の風潮では老後を「前向きに明るく健康的に生きる」高齢者が称賛される。
本書はそんな“前向き老人称賛”をモノともせず、好き放題して暮らす日々を綴ったもの。朝はゆっくり寝坊する。食べたいものを食べ、言いたいときに文句を言う。ひとり暮らしが寂しくなると、同世代の友人に電話し、長々ととりとめもなく話をする。話の内容はだいだい決まっている。でも、相手も同じ話を毎回繰り返すから気にしない。
なかでも韓流ドラマにハマり、毎日毎日寝転がってDVDばかり見ていたためにアゴが外れたというエピソードが傑作。実は私は韓流ドラマにハマれなかったひとりだが、佐野さんほどの感性の持ち主がハマるのだ。佐野さん言うところの「圧倒的に情の世界。ストーリーなんてどうでもいい」ドラマに、いつか私もハマれるかもしれない。1年ほどで嵐が過ぎ去り、まったく見なくなったらしいが、本当に幸せな1年だったそうだ。それこそ私も老後の楽しみができたというものだ。

佐野さんは2回の離婚歴あり。息子さんも書いておられたが、人とぶつかることが多く、つきあいづらい人だったらしい。佐野さん自身もそれを自覚していて、「こんな私とつきあってくれて、ありがとう」と古い友人たちに感謝する言葉が時折出て来る。でも、彼女自身が変わることはない。独自の価値観と切れ味のある言葉を持っているからこそ、『100万回生きたねこ』のような傑作を生み出せるのだ。エッセイの文章も素晴らしい。簡潔にして、的を射る。当然、心に残る。
ほんの少し、常識からはみ出して生きている人に勇気を与えるエッセイだ。

朝日文庫・609円
(2011・02・28 宇都宮)

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「大聖堂」
ケン・フォレット 著 
矢野 浩三郎 訳

英会話教室のカナダ人講師から「マサコは歴史が好きだから、この小説がオススメだ」と言われ、読みはじめたのが本書だ。オススメどおり、めちゃくちゃ面白い。20年以上昔、『針の眼』というスパイ小説を読んでケン・フォレットの技量に感心したものだが、これほどの大河小説も書けるとは!

物語の舞台は12世紀のイングランド。天に向けてそびえる大聖堂を建てたいと願う建築職人トム・ビルダーは、森に住む不思議な女性エリンと、その息子ジャックに出会う。彼らがともに流れ着いた先は、若き修道院長フィリップが治めるキングズブリッジという村だった。そこでトムは建築親方の職を得るのだが、フィリップの大聖堂建築を阻止しようとする勢力がさまざまな妨害を仕掛けてくる……

描かれるのは、35年間に渡る大聖堂を巡る人々の物語。
愛欲あり、権力闘争あり、騙し合いあり、と波乱万丈だ。
一見、大聖堂建設とは関係なさそうな伯爵領を巡る権力闘争が、トムとフィリップの運命に深く関わってくるのだが、その権力闘争の裏にはイングランド・ノルマン王朝の歴史的内戦が絡んでいる。多彩な登場人物のキャラの立ち方、35年間の伏線の張り方、原因と結果が連動していくエピソードの連続、それらをつなげるプロットの構築……そのすべてが秀逸。
特に、登場人物ひとりひとりが丁寧に描かれており、「そうそう、彼ならこういうとき、こんなふうに行動するよね」と読者に逐一納得させるところがスゴイ。12世紀のイングランドに生きた人々を、後世の異文化圏に住む私がなかなか理解できるものではないのだが、読んでいるうちに彼らが身近な人物に思えてくるし、物語のはじまりでは若者だったフィリップやジャックが、ラスト近くで自らの人生を振り返るとき、私も彼らとともに半生を生きた気分になった。まさに、良き晩年のためには、若い頃の努力が欠かせない。

うれしいことに、ケン・フォレットは本作の続編も書いてくれた。さっそく入手して、読みはじめることにしよう。

SB文庫
(2011・01・27 宇都宮)

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「ローマ人の物語」
塩野 七生 著 

塩野七生さんの大著「ローマ人の物語」全15巻を1年がかりで読み終えた。
約1200年のローマの歴史を通読するのは初めて。ハンニバルやユリウス・カエサル、アウグストゥスあたりの歴史は諸々の小説などで読みかじっているが、彼らの歴史的業績までは把握できていなかった。しかし、塩野さんはひとりひとりのローマ人の業績や人となりを端正な筆致で描き、まさに「ローマ帝国(共和国)の歴史」ではなく「ローマ人の歴史」であることが伝わってくる。

本書で繰り返されるのは、次のテーマだ。「なぜローマは1200年にも渡り、国家を存続させることができたのか?」「なぜ多民族・多宗教・多言語の国家を維持できたのか?」。そして、「なぜ、かくも繁栄を誇ったローマが滅びたのか?」。
その答えはいろいろあるのだろうが、ひとつ教えてもらったのは、「ローマ的な特質を貫き通せた間は国家も繁栄を続けたが、その特質を失ったとき、滅亡への道を転げ落ちた」ということ。ギリシアの古代民主主義を受け継いだ共和政でスタートし、いつしか地中海の覇者となったローマ。旧態依然の都市国家では広い国土を統治できないと、ユリウス・カエサルとアウグストゥスが2代がかりで成し遂げた帝政移行が成功し、2世紀の五賢帝の時代まで「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」を享受する。帝政とはいっても世襲制ではないから、日本や中国の皇帝とは趣きが異なる。元老院や市民に認められなければ皇帝を続けられなかったため、歴代皇帝はつねに世論を気にかけ、皇帝の2大義務である「帝国の治安維持」と「インフラの整備」を怠らなかった。
そのおかげで、2000年の昔というのに、ローマでは上水道が整備されていた。帝国全土に網の目のように張り巡らされたローマ街道を使えば、旅人は安全に移動ができた。宿屋や替え馬、馬車(今でいうところの鉄道か)が一定間隔ごとに完備され、外敵はもちろん、盗賊などの被害も少なかったらしい。その結果、広い帝国内の物流が活発になり、経済が活性化し、人々の暮らしが豊かになる。人々はこの暮らしの存続を願い、周辺諸国はこぞってローマの文化圏に入りたがった。

しかし、どんな国家もいつか斜陽を迎える。
本書にはそのさまざまな要因が語られているのだが、私はローマ帝国の衰退初期に現在の日本と重なる部分を感じてしかたがなかった。
そして、ローマの後にヨーロッパが長い暗黒の中世を迎えたことも興味深い。外敵の侵入と慢性的財政難で国家がインフラ整備をする余裕を失くし、きれいな水を24時間届けてくれたローマ水道が荒れ果て、やがてそんなものがあったことすら人々の記憶から失われていった。生活レベルの衰退。文化の衰退。人々の知力と気力の衰退……
これほどわかりやすく、ひとつの国家の青年期〜壮年期〜老年期を読ませてくれた塩野さんに感謝したい。学者でない身でイタリア語のみならずラテン語まで習得し、くまなく原典や論文に当たった努力には、ひたすら頭が下がる。

20代の頃、私はイタリアに3度行ったが、ローマの歴史を深く知らなかったので、史跡の裏にある物語まで読み取ることができなかった。塩野さんのおかげで、今は当時より多少理解が深まった。いつの日か、「ローマ人の物語」に描かれた遺跡を旅したいと思う。

新潮社
(2010・12・22 宇都宮)

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「女教皇ヨハンナ」
ドナ・W・クロス 著
阪田 由美子 訳

中世以降のヨーロッパに伝わる有名な伝説がある。それは、「かつて男装した女性の教皇が存在した」というもの。徹底的に女性を排斥するカトリック総本山で、ヨハンナと呼ばれるその教皇は2年間在位した後、行列中に子どもを産み落とし、命を落としたと言われている。本書はそんな女教皇の生涯を描いたフィクションだ。
この「女性作家が描いたフィクション」という点が実は大きい。本来の伝説はスキャンダラスな要素が強いが、本書のヨハンナはあくまで清廉で純粋。子どもの頃から想い続けたゲロルトとの純愛と、宗教家としての仕事の間で揺れながら、自分の生き方を模索していく。男装し、周囲を欺いたのは、女性が勉学を続けることも宗教家として上り詰めていくことも許されない時代だったから。露見したら死刑を免れない危険な行為だ。

いつの時代も優秀な女性というのは苦労する。男性は「女性より下」であることが耐えられない。特に、原理主義のように聖書を解釈していた中世では、「我、女の教うることと、男の上に立つことを許さず。ただ静かにして、従順に耳を傾けるべし」(テモテへの第一の手紙より)などという教えが忠実に守られていたらしい。男尊女卑といえば最近まで日本の専売特許かと思っていたが、キリスト教世界のこれはヒドイ。教典に書かれているのだから、日本のような曖昧な慣習ではなく、立派な(?)根拠を与えられているわけだ。かくして、ヨハンナのような優秀な女性は男性から目の敵にされ、生きづらい人生を送ることになる。
現代なら女性のまま闘えるのだが、こうなるともう男装してガップリ4つに組むしかない…そう考えた女性たちの気持ちはわかる。著者によれば、ヨーロッパではヨハンナ以外にも男装して聖職に就いた女性の記録が複数残っているそうだ。ガチガチの男尊女卑で固まっている男たちは、自分たちがひれ伏していた相手が実は女性だったと知ったとき、どれほど驚いただろう。「優秀な女性がいる」という事実を、素直に認めることができたのだろうか。

もちろん、彼女たちは結婚や出産など女としての幸せはあきらめるよりほかない。しかし家庭にあっても蔑まれ、夫から暴力を受けるなら、それが幸せかどうかも怪しい。今の時代は女性にとってかなり生きやすくなったが、私自身、「女に教育はいらない」という言葉を子ども時代リアルに聞いた記憶がある。ヨハンナの時代は遠い昔話でないのだ。
最後に、現在ドイツで本作の映画化が進められているらしい。歴史的大事件を舞台にした波乱万丈のストーリー、男装の麗人というビジュアル、困難に耐えて上り詰めていくサクセス・ストーリー…私も読みながら、「これほど映画化に向いている小説は珍しい」と感じた。映画でヨハンナに会える日が今から楽しみだ。

草思社・上下巻各1900円(税別)
(2009・11・16 宇都宮)

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「男道」
清原 和博 著

長嶋茂雄さんが「記憶に残る男」と呼ばれはじめたのは、いつ頃からだろうか。長嶋さんのキャラは大好きだが、私の世代の「記憶に残る男」といえば、やっぱり清原和博だろう。主要な打撃タイトルこそ1度も取れなかったが、甲子園球児→ドラフト→黄金期の西武での活躍→FAでの巨人移籍→ケガとの闘い…という一連のクロニクルは、野球好きなら誰でも知っている。
本書はそんな清原さんが引退後に発表した著書なわけで、あのドラフト騒動や巨人首脳陣との確執など、スポーツ誌が書き立てた“事件”はもちろん、野球をはじめた少年時代の話や家族の話など、興味深いエピソードが満載だ。
正直な話、成績はもうひとつなのになぜ清原さんがあれほど注目を集めたのか、不思議に思われている方も多いだろう。そんな方も本書を読めば、彼の人間的魅力がわかるはず。清原さんに人気があるのは、彼の野球人生そのものが栄光と苦難の連続であり、彼自身がそこで感じた喜び・悲しみ・怒りをストレートに感情表現するからだ。
あれほどの大男が涙を流してオイオイ泣いたり、母親の言うことを素直に聞いたり、とにかくやることなすこと人間臭い。巨人と訣別したのも、彼の人間臭さに比べて巨人首脳陣があまりにも官僚的だったから。「巨人は富士山と同じ。遠くから眺めている分には美しいが、登ってみればゴミだらけ」という彼の発言をTVのバラエティ番組で聞いたとき、私は思わず「なるほど!」と膝を打ったのだが、あの発言は本書でやんわり否定されていた。さて、そこになにがあったのか……と、読者の想像をかき立てるところも、彼から目を離せない理由なのだ。
また、今まであまりメディアに露出してこなかったPL学園入学前の様子を知ることができたのもよかった。小学3年生でリトルリーグに入団して以来、ひたすら野球に打ち込んできたから、その後の清原和博があった。「野球人生において、いちばん大切なことを教えてくれた」というリトルリーグ時代の監督・コーチのエピソードは感動的。全国で少年野球を指導するそんな方々が、日本のWBC2連覇を支えているのは間違いない。

幻冬舎・1400円(税別)
(2009・11・12 宇都宮)

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「RURIKO」
林 真理子 著

50年近く映画界・TV界のスターであり続ける浅丘ルリ子さん。私がもの心ついた頃には、確かTVのメロドラマで主役を張っていた。私より少し上の世代にとっては美人女優の代名詞的存在であり、石坂浩二さんとの結婚・離婚など、私生活の華やかさも話題になった。
その浅丘ルリ子さんの半生を林真理子さんが描いたわけだが、巻末に「本書は著者の取材に基づいて、実在の人物をモデルに書かれたフィクションです」という一文がある。う〜ん…これをどう解釈すればいいのか。フィクションといっても、登場人物はほぼ全員実名。石原裕次郎さんや美空ひばりさんのように亡くなった方もいるが、今も現役で活躍されている方も多い。読み進めていくと、「えっ、あの2人、つきあってたの?!」「小林旭と美空ひばりの結婚って、こんなだったの?」とゴシップ裏話が次から次へと飛び出し、面白いことは間違いない。しかし、出版前に誰と誰に許可を取ったのだろう? 「フィクションです」といわれても、日本人ならみんな知ってる大スターが実名で登場するわけだから、単純に「じゃあ作者の創作ですね」ともいかない。出版の世界には、こういう虚実入り乱れた手法が存在し、どうも胡散臭い。
それでも、いまだに訴訟の対象になっていないところを見ると、著者あるいは編集者が各方面にきちんと筋を通したのだろう。内容が好意的で、主な登場人物がみな魅力的に描かれているのもポイントだ。器が大きく、誰からも愛された石原裕次郎さん。チャーミングで人間的な小林旭さん。石坂浩二さんについては記述自体が少なかったが、「やっぱりそういう人?」という感じ。そして、RURIKOは「女優」だ。
「女優さんはみんな男だ」という話をよく聞くが、RURIKOもまさにそう。この夏、大原麗子さんの葬儀で弔辞を読んだ浅丘ルリ子さんを見て、私は「この人は男だ」と確信した。グチや悪口を言わず、来る人を拒まず去る人を追わず、RURIKOの生き方はあくまでマイペース。そのためか、人から「楽しそう」と言われることが多く、自分でも「幸せな人生」と感じている。事実、好きなことを仕事にし、それに一生打ち込めたら、幸せな人生に違いない。
最後に、執拗なまでに美女ばかりを描く林真理子さんの心理も興味深い。本書の中でも、RURIKOの美しさに関する記述がとても多く、やや食傷気味なぐらいだ。第一線で女優を続けるには、美しいことよりもプラスアルファが大切。単に美しい人なんて、あとからあとからいくらでも出て来るのだから。そんなことは林さんもとっくにわかっているはずなのに、それでも美しさに執着する心理って、いったいどんなものなのだろう?

角川書店・1500円(税別)
(2009・10・21 宇都宮)

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「女神記」
桐野 夏生 著

舞台は神話の時代。ヤマトの国のはるか南方にある孤島「海蛇の島」に生まれたカミクゥとナミマの姉妹は、それぞれ“陽の巫女”“陰の巫女”となるよう運命づけられていた。“陰の巫女”として墓場を守り、姉と生死をともにしなければならないナミマは掟を破り、“呪われた家”の少年マヒトと結ばれて島を脱出。やがて娘を出産するが、マヒトの手によって殺されてしまう。死んだナミマの魂は黄泉の国に向かい、そこでやはり夫に裏切られた女神イザナミと出会う……
同じ南の孤島を舞台にした『東京島』で男女関係の醜悪さをとことん描いた桐野さんが、今度は古事記のイザナキ・イザナミ伝説をモチーフに、男女関係の深淵をえぐり出した。『東京島』は現代を舞台にしていたためか妙なリアル感があり、登場人物の見栄や打算や冷酷さが際立っていたが、本作は神話の時代が舞台。昔話を聞かされているような一人称の語り口や、黄泉の国や女神が登場するファンタジックな物語にグイグイ引き込まれ、あっという間に読み終えてしまった。
死んだイザナミを慕い、黄泉の国まで追いかけてきたものの、腐乱したイザナミの死体に驚き恐れて逃げ出したイザナキ。私も子どもの頃、古事記の黄泉の国の下りを読み、イザナキの薄情さにショックを受けた記憶がある。2人は手に手を携えて国づくりに励み、たくさんの神を産み落としていた。イザナミが死んだのは、最後に火の神を出産した際の火傷がもとだというのに、イザナキの仕打ちは冷たくないか? 腐乱死体に対する恐れは人間として当然だが、変わり果てた妻に対する一抹の憐憫の情もそこには存在しないように見える。
この作品のイザナミは、逃げ出したイザナキに対する怒りの化身となった姿で描かれる。妻の死後も、イザナキは人間界で山ほど女を抱き、子孫を残し続ける。そんなイザナキの“裏切り”に対して、イザナミは夫が抱いた女の命を奪うことで報復する。そのため愛した女に次々と先立たれ、自らは死ねない苦しみにイザナキは苛まれる。
一方、人間の世界では、食べ物もろくにない貧しい南の島で、ナミマは陰の人生を強要されている。物語の主人公はナミマなので(さすがに女神には肩入れできないので)、読者はナミマの姿に抑圧され続けた女性像を重ねる。マヒトの裏切りも、妙にリアルだ。ナミマは生涯ただ1度の愛と信じたのに、マヒトはそうではなかった。その仕打ちの酷さを考えると、復讐したくなるのもムリはない。
また、陽の人生も決して幸せなわけではない。カミクゥのように「島の掟」「島全体の運命を担う」と言われて、疑うことなく苦痛を受け入れてきた女性は、実世界でも数えきれないほど存在したことだろう。そんな人間の女の苦しみを、女神はどう見るのか? これまでになかったこの視点が、本作の面白さを際立たせている。
女であることの苦しみ。女神であることの苦しみ。男とは? 女とは? 生きるとは?…いろんなことに想いを馳せられる視点の多彩さも本書の魅力だ。ぜひご一読をおすすめする。

角川書店・1470円(税別)
(2009・7・8 宇都宮)

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「利休にたずねよ」
山本 兼一 著

2009年の第140回直木賞受賞作品。
千利休が秀吉に切腹を命じられて果てた事件は、これまでもさまざまな歴史小説で取り上げられている。時の権力者と、現代に至る茶の湯を創生した芸術の天才。秀吉に愛され、茶の湯の世界で絶頂にあったはずの利休が、なぜ自刃しなければならなかったのか。そこに歴史小説家の創造意欲がかきたてられるのだろう。
本作では、この「なぜ」を解き明かすだけでなく、貪欲なまでに美を追求した利休の生きざまが活写されている。茶の湯の世界が政治の世界と重なり合う部分が多かったこの時代。一杯の茶を点てながら気の利いたセリフを言い、知恵を見せることで、茶人は権力者の心を操ることすらあったようだ。そのあたりの様子が精緻でありながら、さらりと描かれていて面白い。
さらに興味深かったのが、作品全体のプロットの立て方だ。利休切腹の日にはじまり、徐々に年月を遡りながら、周囲の人々の視点から利休と秀吉を描いた試みがよかった。利休の若き日にはじまり、切腹で終わるのが普通のプロットだろうが、本作では「利休の謎=若い頃愛した高麗の女人」という一本の軸を通すことで、時間を逆へ逆へと遡り、利休の生きざまの原点を紐解いていった。
いずれにせよ、茶の湯の世界をここまで描くには、相当な調査と取材が必要だっただろう。美を追求した1人のクリエイターの生涯を描き切るのも体力がいる作業だし、わび寂びの世界への理解がなければ書けるものではない。
世界でただひとつ、日本でしか生まれなかった茶の湯の美意識を本作で読んで、私も茶道を学びたくなった。利休が覗いた幽玄の茶の世界とは比較しようもないが、少しでも茶の湯の世界に近づくには、現代の茶道から入ってOKなのだろうか? 同じ日本人として情けない話だが、今やその入り口すらわからない。

PHP研究所・1800円(税別)
(2009・6・21 宇都宮)

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「黒笑小説」
東野 圭吾 著

今、売れっ子中の売れっ子である東野圭吾さんが1999〜2005年に発表した短編小説をまとめたもの。いずれもブラックユーモアが効いた作品ばかり13品を集めている。
中でも面白かったのは、最初の作品と最後の作品。最初の作品は、文学賞を取れそうで取れない作家が、「今度こそ!」と意気込んで賞の発表を待っているところ、という設定。受賞か否かの連絡を何時間もレストラン・バーで待たされるあいだ、作家をめぐる編集者たちの建前と本音が渦巻いて、ある意味幼稚な駆け引きが続けられる。
そして最後の作品では、「文学賞の選考委員」という仕掛けを使い、逆転の発想を見せてくれた。
作家になりたい。作家として成功したい。有名になりたい。もっと本を売りたい…そんな強い想いを持つ人々を、編集者たちが大量生産しては短期間で消費する構図。
しかも、これだけ本が売れない時代だ。出版社や編集者にとって、出せば売れる流行作家はそりゃあ神様みたいな存在だろう。接待もするし、おべんちゃらも言う。「どの作家につけばトクするか」をつねに考えるし、手のひら返すような行動も平気なのかもしれない。
東野さんはそんな編集者の特質をしっかり見抜いて、自分自身をも笑い飛ばすブラックな短編に仕上げてくれた。
作家の才能は永遠ではない。「デビュー後2年間の作品に作家のエキスが詰まっている」という言葉を聞いたこともあるほどで、尊敬されるが使い捨て。そして編集者も退職すれば、ただの人。しかし、文学という人の心を揺さぶるものを手掛けているのだから、人と人との信頼関係も必ず存在するはず…と、信じたい。
他にも下ネタたっぷりの短編など、いろんな角度から楽しめる短編集だ。

集英社
(2009・4・15 宇都宮)

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「ライラの冒険」
フィリップ・プルマン 著
大久保 寛 訳

イギリス児童文学の最高峰といわれるカーネギー賞を受賞し、70年の歴史を持つ同賞の「カーネギー・オブ・カーネギーズ」にも選ばれたシリーズ。第1部「黄金の羅針盤」、第2部「神秘の短剣」、第3部「琥珀の望遠鏡」からなり、第1部は映画化された。
この本を手に取ったのは、映画が「原作を読まなければ理解できない」と聞いたから。映画化がなければ、このシリーズの存在自体も知らないままだったろう。
しかし、読み始めると見事にハマッた。映画とは比較にならないぐらい深い世界が創造されており、ストーリーも伏線があちらこちらに引かれて油断がならない。私たちとは別の世界を構築する、というのは作者の想像力を問われる大変な作業だと思うが、第2部以降は複数のパラレルワールドが登場する。その中に私たちの世界も含まれていて、私たちの世界の少年ウィルが神秘の短剣の守り手としてライラと運命的な出会いをするのだが、ここからますます面白くなる。そして、第3部は愛の物語だ。この世界全体の運命を若い2人が担うという過酷な設定と、人生で最高の相手と若くして出会ってしまった運命に、胸をしめつけられる。
ストーリーの鍵となっている“ダスト”とはいったいなにか、私もなんとなく理解はしたものの、完全な理解には程遠い。第1部ではライラの世界を牛耳る教権組織(なんとなく、カトリック教会をイメージさせる)と、それに対抗するアスリエル卿、ジプシャン、魔女などの闘いがメインで、まだ話はわかりやすい。しかし、第2部以降は天国(!)とその対抗勢力の戦争へと話が広がり、ついていけない読者も多いかもしれない。なんでも作者はミルトンの『失楽園』の影響を大きく受けているそうだ。でも、日本人にはキリスト教世界のドロドロとした異端論争なんて、よくわからない。こむずかしいことはすっ飛ばして、個々の登場人物の愛の世界を堪能するだけで、充分感動できる。
うらやましいのは、ライラの世界の人間なら誰もが持つ「ダイモン」と呼ばれる守護霊の存在。動物の姿をしており、人が生きている間は必ずそばに寄り添い、人が死ぬとダイモンも消滅する。かたときも離れず、時に相談相手になり、命をかけて人を守ってくれる存在・・・要するに、ライラの世界の人間には、“孤独”がないのだ。孤独死が珍しくないご時世、私たちにもダイモンがいれば人はどんなに癒されるだろう。実は第3部で私たちも自分自身の中に姿は見えないがダイモンを持っていることが明らかにされるが、つねに寄り添ってくれる存在は、見えないより見えたほうがいい。
それにしてもこの小説、子どもには難し過ぎるよなぁ。。。ライラの悪ガキぶりや人物設定も、最初はちょっと違和感があるし。さらに翻訳文のテイストも、ファンタジーにしてはとっつきにくい。もっと売れてもいいシリーズなのにさほど売れなかったのは、こんなところに原因があるのかもしれない。

新潮社
(2009・1・29 宇都宮)

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「東京島」
桐野 夏生 著

夫の隆とクルーザーで世界一周の旅に出た清子は、嵐に逢って太平洋の孤島に漂着した。絶望感にうちのめされながらはじまったサバイバル生活だが、3ヵ月後、与那国島でアルバイトをしていたフリーターの若者23人が島に流れ着く。島に野生する果実や植物を食べ、魚を獲り、どうにか食べていけるようになった彼らは、何度か島からの脱出を試みた。しかし、島を取り囲む海流に阻まれ、「脱出がむずかしい」という事実が明らかになると、男たちは島を「トーキョー」と名づけ、日々の楽しみを見つけることに狂奔するようになる。その格好の標的が島で唯一の女性である清子だった・・・
女性1人に男性23人の極限状態に置かれたら、人はいったいどうなるのか。戦後まもない頃によく似た事件があったそうだが、詳しい事実は藪の中。ここは著者の想像力が極限まで発揮されるところだと思う。その意味で、桐野さんのチャレンジャー精神を感じた。
「東京島」の場合は、たった1人の女性の争奪戦がはじまった。清子はごく普通の40代の女性。夫の隆は、若者たちが太った中年女である妻を奪い合うことになるとは予想もしておらず、絶望のうちに死んでいく。一方、清子は若者たちの性の相手をするうちにどんどん奔放になり、生きることへのたくましさを身につけていく。
相変わらず、著者の人間に対する冷徹な観察力は冴えているが、“無人島”という究極の設定があまりにも現実離れしていて、一読者としての想像の域を超えている。たとえば、私は清子と同じ世代の女性だが、ある日突然複数の若い男性から強烈に求められたとしても、清子のようには行動しないだろうし、興味を持つ対象も異なると思う。とりあえず食べ物と水と住居が確保できて、生きていくアテが整ったら、次は脱出方法を考えるだろう。「トーキョー」でも当初は脱出方法が模索されたが、やがてあきらめ、毎日を享楽的に暮らすことに走るようになる。この「あきらめ」の早さ、享楽的な自堕落さ、浅い思考回路の描写が、桐野夏生さんの本領発揮というところ。人間の醜さ、あさましさがよく表現されていて、無人島でありながら大都会の一角のような人間関係が続いていく。
また、リーダー不在の自堕落集団が本能のままに生きるとどうなるのか、という点も、現代の日本社会を端的に示しているように感じた。清子たちが漂着した3年後、11人の不法入国の中国人が蛇頭に捨てられてトーキョー島に流れ着く。しかし、中国人たちは1人のリーダーの下で統率され、目を見張るばかりの生活力を発揮する。この日本人と中国人の対比も、現実社会を見ているようでおもしろい。
全体の感想を言えば、ストーリー自体は荒唐無稽で“あり得ない”が、個々の人間観察は痛快。男性よりも女性におすすめする。おそらく男性には、人の(特に清子の)醜悪さに、耐えられない人が多いだろうから。

新潮社・1400円(税別)
2009123 宇都宮)

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「ゲゲゲの女房」
武良 布枝 著

マンガ家・水木しげる氏の奥さんが、75年の生涯を綴った自伝。サブタイトルに「人生は・・・・・・終わりよければ、すべてよし!!」とあるように、若い頃は極貧を経験し、苦労続きだったが、年老いた今は老夫婦ふたり恵まれた環境で暮らしておられる。
著者は私の親と同世代にあたるのだが、それにしてもこの世代の女性の受身なこと! 内向的なため外で働くことが苦手で、家業を手伝っていた娘時代。しかし、兄嫁が嫁いできて実家の中にも居場所がなくなり、自分の結婚を考えはじめることに。とはいえ、自分から相手を見つけるなんてとてもできず、縁談が来るのをひたすら待ちわびる毎日。水木氏と結婚して極貧生活を経験するが、夫についていくだけで自分が稼ごうという発想は出てこない。ついに貧乏に耐え切れず、姉の夫の会社に働きに出ようとするが、長女の妊娠がわかり、その話はなかったことに・・・
「今の若い人には信じられないでしょうが・・・」と本文中にも書かれてあるが、とにかく受身!の人生なのだ。
与えられた環境にひたすらなじむ努力をし、耐え忍ぶ。自分から新しい環境を切り開こうという発想はない。貧乏に耐える忍耐力にはすごいものがあるが、「貧乏するぐらいなら働けばいいのに」と思ってしまうのが現代の女性。今と比べて女性の仕事が本当に数少なかったこともあるだろうが、それにしても驚きだ。
それにひきかえ、水木氏はクリエイターだけあって、ユニークで面白い。戦争で片腕を失ってから昭和40年代に『悪魔くん』や『ゲゲゲの鬼太郎』がヒットするまで、20年以上に渡り極貧生活を続けてきた意志の強さもスゴイ。好きで貧乏していたわけではないだろうが、原稿料を値切られても踏み倒されても、マンガという表現方法を捨てなかったのは、本人の執念以外のなにものでもない。
文中、布枝さんが水木氏の代わりに貸本マンガ出版社へ原稿料を取りに行くエピソードがある。作品をけなされ、原稿料を値切られるこのあたりの下りは、同じ原稿料で食べている私にもリアルに伝わってくる。後年、ヒットメーカーとなり仕事に追われるようになっても、「自由業には収入の保証がないから、仕事があれば天国と思わなければならない」と自分を戒めていたというエピソードも、耳が痛い。
いろいろあっても、75歳の妻と85歳の夫が健康で仲むつまじく暮らしているのだ。これ以上の幸せがあるだろうか、と私も思う。

実業之日本社・1200円(税込)
200883 宇都宮)

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「暴走老人!」
藤原 智美 著

公共の窓口で並んでいる最中に、突然どなりはじめる高齢者。スーパーの店員にいつまでも文句を言い続ける高齢者。病院で診察してくれた女医さんを「言葉づかいが悪い」と殴る高齢者・・・最近、いいトシをした高齢者がキレることが多い。なぜ、高齢者はキレるのか?
そんなテーマに芥川賞作家が挑戦した。
私も駅の改札やスーパーの売り場で、延々怒り続けている人を見る機会がある。リタイアした彼らは現役世代と違って時間がたっぷりあるので、怒りに費やす時間も長い。接客現場というのは往々にして人件費削減のため人を減らされているので、対応する若い世代は忙しくて時間がない。1秒でも早く対応を終わらせたいのがミエミエだが、高齢者はそれがわかると「軽く扱われた」と感じてしまう。長い人生の中で培ってきたプライドや自負があるからだ。
暴走老人は昔から存在したが、最近富に増えているような気がするのはなぜだろう?
著者はその答えに、「時間」「空間」「感情」の3面から近づこうとしている。
残念ながら根本的な答えは見つからないが、ところどころに「なるほど」と思わせる洞察はある。たとえば、インターネットの普及が高齢者を「情報難民」にしている現状。住宅の個室化が高齢者を孤立化させ、地域社会も失われつつあること。そもそも高齢者とは縁側でのんびりお茶を飲んでいる好々爺ばかりではなく、残りの人生の時間が見えている分、気が短く待つのが苦手なのだ、という指摘。
実は高齢者だけでない。熟年世代や若い世代も、どうも待つことが苦手になっているように感じる。私自身、時間に対して年々感覚がシビアになっている。仕事で「同じ話を何度も繰り返す」「段取りが悪く、進行が下手」といった人に出会うと、イライラしている自分に気がつくし、プライベートではどうにもならないグチを延々話し続ける友人を避けるようになった。それもこれも残り時間が少ないというのに、無造作に時間を奪っていく相手に怒りを感じるからかもしれない。
答えは見つからないが、ヒントはある。事前にそうとわかって手に取れば、とても読みやすい本かもしれない。

文芸春秋・1050円(税込)
2008720 宇都宮)

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「容疑者Xの献身」
東野 圭吾 著

東野圭吾さんの直木賞受賞作であり、昨年フジテレビ系で高視聴率をマークしたドラマ『ガリレオ』の湯川学が登場するシリーズでもある。
ラマ『ガリレオ』は短編集である『ガリレオ』『予知夢』が原作。物理学の知識をもとに謎解きをするガリレオ先生=湯川助教授の活躍譚、といった要素が強かった。しかし、この『容疑者Xの献身』は350ページに及ぶ長編で、主人公は湯川や刑事の草薙よりも、むしろ容疑者とそれを庇う人物たち。短編集で見られた科学的な謎解きは一切なく、容疑者側の数学の天才と刑事や湯川たちとの知恵比べが見どころだ。
推理小説というよりも、容疑者がやむなく犯罪を犯す過程やその後の周囲の人間たちとのやりとりは、人間ドラマそのもの。都会の片隅で肩を寄せ合い地道に生きている母子の姿に、人生の縮図を見る想いの読者も多いのではないだろうか。
東野さんの小説を読んでいると、理系の知識にも驚かされるが、人物描写の確かさや、物語のはじめから人をグイグイ引っ張っていく展開の巧みさに感服する。その構成力のすごさは『白夜行』でも堪能した。
私は東野作品をごく一部しか読んでいないので、本作が東野文学の最高傑作かどうかはわからない。しかし、新幹線の中でラストの部分を読みながら、不覚にも泣いてしまった。犯人の動機に、謎解き以上に心を動かされた。本書によると、愛する女性の美しさは数学の問題が解かれていく美しさと本質的に同じらしい。高校の数学Tで挫折してしまった私には数学の世界を理解することはできないが、未知の世界を知る理系の人たちが少々うらやましくなった。

文藝春秋・1600円(税別)
2008430 宇都宮)

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「あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング」
江原 啓之 著

書店に行くと、スピリチュアルコーナーが書棚の一角を占めている。ブームが続いていることは感じていたが、想像以上に根強い。その大きな理由が、この人の存在ではないだろうか。中でもテレビ朝日系『オーラの泉』の力が大きいのでは? 私の友人などは「江原さんてスゴイのよ。なんでもアテちゃうんだから!」と、興奮気味に教えてくれた。そんなにスゴイのかと思い、1度番組を見てみたが、当たり前のことを穏やかに話しておられるだけ。結局のところ、あのやさしいしゃべり口調にみな癒されて、納得してしまうように思えた。
それでもやはり気になる存在には違いない。1冊ぐらい著書を読んでおこうと思い、本書を手にした。『婦人公論』の連載「江原啓之のスピリチュアル講座」の後半部分を人生相談風にまとめたものだ。結構深刻な内容が多く、医療的なカウンセリングを受けた方がいいものもある。江原さんはこれらの相談に対し、「スピリチュアルの法則」を駆使しながら回答する。スピリチュアルな法則には守護霊やカルマなど、それらしき言葉が登場するが、江原さんはこの法則を「物質主義的価値観を捨てなさい」という一言を言うために用いているように見える。「現世の人生は短いもの。あなたの悩みや苦労は大変なものだろうが、天はその人に耐えられる悩みや苦労しか与えない。幸せを信じて毎日を懸命に生きていけば、必ず報われる」・・・といったところだろうか。江原さんには霊能もあるそうだが、それは二の次の話。霊能者が幸せにしてくれるわけではなく、幸せは1人1人の生き方次第だと力説する。
いや、まったくそのとおり。「人生は短い」というのは私も常々感じている。現世の人生だけじゃ空しいから、来世があってほしいと思うのも、ごく普通のことだと思う。そして江原さんが賢いのは、霊能を前面に押し出さない点。誰にも証明できないものを根拠にしても、いかがわしさが増すばかり。それよりも人の話をうまく聞いてあげる才能があれば、カウンセラーとして成功できる。カウンセリング中にスピリチュアルな話をちょっと挟めば、他のカウンセラーとの差別化も図れるというものだ。
カウンセリングという作業は、実に忍耐力を要するものだと思う。私もよく友人知人から相談を受けるが、話を聞いた後は疲れるし、内容次第では相手の話にアタマに来ることもある(これは私の人間ができていないせいなのだが)。江原さんは何万件というカウンセリングを経験されたそうだ(現在は休止中)。それだけの件数をこなしていたら、相手の顔を見ただけでどういう人かわかるだろうし、中には「なんでこんな当たり前のことがわからないの?!」と言いたくなるような相手もいることだろう。江原さんに限らず、世のカウンセラーのみなさんの苦労と努力にアタマが下がる思いだ。

中央公論新社・1200円(税別)
(2007・11・14 宇都宮)

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[長崎ぶらぶら節」
なかにし礼 著

いわずと知れた作詞家・なかにし礼さんの直木賞受賞作。明治から昭和初期にかけて、長崎の花街・丸山に生きた芸者・愛八の生涯を描いた小説だ。
貧しい漁村から10歳で花街へ売られた愛八は、不器量ながら芸を磨いて丸山でも三本の指に入る売れっ子芸妓となる。歌も三味線も踊りも大好きな愛八にとって、芸者は天職。楽しく毎日を送っていたが、50歳になろうとする頃、郷土史家の古賀十二郎と出会い、片思いに身を焦がすことに。古賀から「長崎の古い歌を探すのを手伝ってくれ」と頼まれた愛八は、三味線片手に古賀と長崎の古老や切支丹部落を訪ね歩く。やがて、「長崎ぶらぶら節」を歌える91歳の老妓に巡りあい、埋もれていた名曲の発掘に成功するが・・・
著者の歌に対する愛情や尊崇の念が伝わってくる力作だ。師匠から弟子へ口伝えで教える三味線の世界には、西洋音楽のような楽譜がない。歌われなくなった歌はやがて忘れ去られ、痕跡も残さず消えていく。長崎を愛する郷土史家が古い歌を発掘して後世に残したいと考えたのは当然だろう。芸達者の愛八をパートナーに選んだのも慧眼だ。
物語に息吹を与えているのは、やはり愛八姐さんの人となりだろう。きっぷがよくて面倒見がよく、金に執着しない。売れっ子芸妓だから収入はかなりあるのに、毎日のように花売り娘から売れ残りの花を全部買い上げるため、財産なんてまるでない。世話してくれる旦那もついたが、気がつけば49歳。その年齢で古賀にうぶな娘のような恋をする。この下りを読めば、誰でも愛八が愛しくなることだろう。
それにしても、昔の日本人はこんなにも高潔で、通すべき筋はきっちり通し、礼儀を知る人たちだったのか。モノや財産にまったく執着がなく、弱い者・貧しい者に分け与える愛八の生き方もそうだし、数多くの見習い芸妓の面倒を見る料亭の女将もそうだ。妹芸者たちも受けた恩は忘れないし、人助けするときも恩着せがましくない。「自分のためにやっているんだ」という意地とプライドが見える。「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただひとつ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」と言ったのは、同時代の駐日フランス大使ポール・クローデルだが、本書に登場するような人が多かったとすれば、まさにそのとおり!だと思う。今の日本人に該当しないのが、とても残念だが・・・
失われていくのは歌だけではなく、日本人のよさそのものだという著者のメッセージを感じた。

文芸春秋 1600円(税込)
(2007・10・24 宇都宮)

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「世界の日本人ジョーク集」
早坂 隆 著

妻の浮気現場を目撃した各国の男たちの行動は?
アメリカ人は男を射殺し、ドイツ人は法的措置を宣言した。フランス人は自分も服を脱ぎはじめ、日本人は紹介されるまで名刺を手にして待っていた・・・

これは本書の中の「浮気現場にて」と題されたジョークの中身。
本書には、こんなふうに日本人をネタにしたジョークが詰まっている。「日本人ってこんなふうに見られているのか」と目からウロコのものもあれば、相変わらずメガネ&出っ歯の東洋人イメージに支配されていてガッカリさせられるものもある。ただし、メイド・イン・ジャパンの品質のよさや経済大国のイメージ、マンガやアニメなど日本発のサブカルチャーが世界を席捲していることもあって、日本へのリスペクトも感じられる。おかげで変なストレスを感じることなく、読後感がとてもいい。
冒頭のジョークを取り上げたのは各国人の特徴がわかりやすいことと、日本人の「名刺」へのこだわりを私も常日頃から感じているから。万が一、妻の浮気相手が大切なビジネス相手だったら・・・? 実にビミョーだ。

著者は東欧や中東に長く滞在したルポライター。特にルーマニア滞在が長いようで、東ヨーロッパの人々の視点から見た日本人像を知ることができた。これがアメリカ滞在経験だけで書いたジョーク集だと、もっとうすっぺらなものになっていた気がする。
それにしても、アメリカ人や日本人をネタにしたジョーク集もいいが、ロシア人や中国人をネタにしたジョーク集もおもしろそうだ。ジョークの世界もBRICsが主役の時代なのかもしれない。

中公新書ラクレ・760円(税別)
(2007・8・26 宇都宮)

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「ワーキングプア 日本を蝕む病」
NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班 編

昨年放送されたNHKスペシャル「ワーキングプア」を観て、衝撃を受けた人は多いのではないだろうか。
真面目に働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人々が、この日本には少なからず存在する。たとえば、時給の安いパートの仕事しかない地方の若者。無年金の高齢者。母子家庭の母親。正社員の職をリストラ後、定職につけない中年の父親・・・・・・
みんな、一生懸命働いている。アルバイトを2つ3つ掛け持ちする例も少なくない。高齢者以外は必死で安定した職を探しているのだが、まるで見つからない。明日の保障もないまま、身を粉にして働く毎日が続く。

正直、他人事ではないと思った。
特に身につまされたのは、無年金の高齢者のエピソードだ。ある80代のご夫婦は若い頃、大家族の家計を維持するのが大変で、国民年金保険料を払えない時期があった。そのため最低25年の払込期間に届かず、無年金に。動かないからだをムチ打って夫婦で空き缶を拾い集め、最低限の暮らしを維持している。息子が2人いるが、どちらも住宅ローンと教育費の負担が大きく、経済的に頼ることはできない。
私も国民年金加入者だが、月々受け取れる金額は6万円程度だと聞いている。「6万円じゃ生活できないやん」と常々思っていたが、月6万円あればあのご夫婦は救われるのだ。これは年金保険料の払込をおろそかにできないなと思っていたところに、あの5000万件の浮いた年金データ騒動。怒りも倍増するというものだ。

本書は2回に渡って放送されたNHKスペシャルに、その後の取材などを加えて単行本化したもの。
放送には家庭の都合で進学できなかった北海道の20代女性が登場したが、20代で生活に追われ、将来の希望をなくしかけている姿には、私も胸を締めつけられた。若者が夢を描けない社会が今後発展するとは思えない。その後放送を見た視聴者から援助の申し出が複数あったことを知り、人の善意はまだ生きているんだと、少しほっとした。

しかしこの問題、解決の糸口はあるんだろうか?
今、史上最長の好景気などと言われているが、潤っているのは大企業だけで、正社員も非正社員もその恩恵をほとんど受けていない。非正社員の低賃金の労働力と正社員の過剰労働があって、初めて成り立つ黒字経営。このままグローバル化が進めば、ますます低賃金化は進行する。「個人の問題」で片付けられない社会構造の問題なのだから、誰もが「他人事ではない」という意識を持つべきだと思うのだが、いかがだろう?

ポプラ社・1200円(税別)
(2007・8・12 宇都宮)

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「ざらざら」
川上 弘美 著

二十三編からなる短編小説。ごくフツーの女の子の語り口が、そのまま小説の文体になっている。そこで語られるのは驚くような出来事やドラマチックな話ではなく、ごくフツーの日常だ。小説といえば、ストーリー展開にハラハラするような長編ものが好きな私にとっては、このゆったりとしたスペースはもどかしかった。でもそれは最初のうちだけ。この本の魅力は、筋書きや人物像ではなく、誰もが持っているけれどうまく表現することのできない、心の微妙な動きをふわりと描いているところにあると分かったから。

《淋しい、とか、悲しい、とかいうのと、ちょっと違う感じ。そうだ。中林さんが、かわいそう、とあたしは思ったのだ。あんなに好かれていたのに。もう、ひとかけらも好かれていない。ひとかけらも嫌われていない。何の感情も、あたしにいだかれていないんだ。》(「山羊のいる草原」)

ややもすると、主人公の“あたし”による退屈な日記に陥りがちなところを、魅力的な短編にしてしまうのはさすが。失恋した時でさえも“あたし”はどこか楽観的であるという、ユーモアセンスのまぶし具合がまたいいのだ。
そして彼女の小説には食べ物がよく出てくる。食べ物が雰囲気づくりの小道具になっているのだ。

 《少しでも体が暇になると中林さんのことを思ってしまうので、あたしは料理もたくさんした。鯵の南蛮漬けと、しいたけ昆布と、塩漬け豚をつくった。金時豆を琺瑯の小さな鍋にいれて、(略)》(「コーヒーメーカー」)

この短編小説の中で出てくる食べ物は、どれもさりげなく登場する淡い存在だけれど、例えば、今時の若い女の子がしいたけ昆布に金時豆を作る?しかも恋人に会えなくて淋しい時に、などとつっこみたくなるのは、これまたユーモラスな雰囲気の小道具となっているからだろうか。
「淋しいな」で挿入されている、食べ物による表現はまたちょっと面白い、“あたし”がふられるのは、火曜日。その火曜日は、清潔で、ちょっとよそよそしくて、きりっとしたフルーツトマトみたいな、一週間の中でいちばん好きだという曜日。
 
《月曜日はまだ熟していない、青くさいメロンみたいな日。水曜日木曜日は、少し熟しはじめたバナナ。金曜土曜ならば、今にも枝から離れようとしているパパイヤ。よりにもよってその火曜日の晩に(略)》

私たちが過ごす毎日は、さほど変化のある毎日ではないけれど、それでも心はちょっとしたことに揺れ動き、一喜一憂もする。そんな誰もが持つ当たり前の感情を、極上の言葉でつむいだ短編群だからこそ、一気に読み終えるのではなく、毎日一編か二編ずつ、ゆっくりとページをめくることを楽しむのがいい。

マガジンハウス・1300円(税別)
(2007・6・30 伊藤)

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「裁判官の爆笑お言葉集」
長嶺 超輝 著

日本では近く裁判員制度がはじまる。そうなれば、ある日いきなり裁判員として法廷にあがり、被告人と向き合うことになる。「裁判なんてよく分からないしー」なんていう言い訳は通用しない。20歳以上ならいつか直面するかもしれないのだ。
確かに裁判所は“敷居が高く、向こうの世界”との印象がある。法律のプロである裁判官が、無味乾燥に判決文を読み上げる、そんな印象もある。けれど、裁判は人間が犯した(かもしれない)罪を裁く場所。いろんなドラマがあるのも事実。つまり、そんな悲喜こもごもが渦巻く法廷で、思わず裁判官が本音をこぼすということもあるらしい。この本は、多くの裁判を傍聴してきた著者が、裁判官の発言、いうなれば裁判官が被告人へ向けたメッセージともいえる言葉を集めた一冊だ。
熟年夫婦が対立した離婚裁判で、「二人して、どこを探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべく、じっくり腰をすえて真剣に気長に話し合うよう、離婚の請求を棄却する次第である。」と、愛を語るかのように二人を諭した裁判官。「暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか。」と、過激な発言で物議をかもした裁判官。さらには、スナック乱射事件に際して、「死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きていてもらいたい。」と、その真意が推し量れない発言も。
裁判官も人間、判決を出すまでは量刑について悩むことも、被害者に代わって怒りを爆発させることもあるのだろう。この本を読むと、これまでの裁判官像が吹っ飛んでしまう気がする。
けれどその一方で、被害者や遺族を無視するかのような言動や判決が問題視される裁判官もいるらしい。裁判員制度がはじまれば、それもよい方向に変わっていくのだろうか。裁判は、無料で誰もが傍聴できるもの。趣味としてでも、司法を知るためでも、理由は何でもいいが、実際の裁判を傍聴することで感じるものは大きいだろう。
この本と合わせて、フリーライターで傍聴マニアでもある著者の公判リポート「裁判長! ここは懲役4年でどうですか」(北尾トロ・著/文春文庫)を是非。こちらは裁判ドラマを楽しむ野次馬根性と、傍聴マニアならでは鋭い突っ込みに唸らされる。

幻冬舎新書・720円(税別)
(2007・6・30 伊藤)

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「子供をゆがませる『間取り』」
横山 彰人 著

著書は、「間取り」が子どもや家族関係に与える影響に警鐘を鳴らしてきた一級建築士。凶悪事件を起こした少年が暮らした家の「間取り」を研究してきたが、犯罪検証は主に「心の病」に焦点があてられ家族との関わり合いが問題とされるも、その家族を包んでいる「家」、なかでも「間取り」はあまり言及されないと指摘する。
機能性というハード面が重要な「家」に対し、「間取り」は人間心理にも影響を及ぼすソフト面としての空間をいかに使うかということ。快適な暮らしに直結するだけに、誰もが頭を悩ますところだ。さらに、家を求める大人の多くは、子供部屋を確保することにもこだわるもの。でも、親の願いを形にした間取りが、家族をゆがませ、子どもを追い詰める結果になるとしたら、こんな不幸なことはないだろう。

第一章では、世間を震撼させた「宮崎勤・連続幼女誘拐事件」や、「女子高生コンクリート詰め殺害事件」など6件の事件を取り上げ、罪を犯した少年たちの部屋の間取りを提示しながら、事件を引き起こすに至った要因を検証している。4人もの幼い少女を誘拐し殺害した宮崎勤。彼が育った家では、子ども達に個室を与えるために2回以上リフォームされ、母屋とは別棟の個室が用意された。彼はそこでビデオ鑑賞にふけり、幼女の遺体を運び込んだとされる。増築のために食堂が狭くなり、6人家族なのに椅子は4脚しかなかったというのも、家族間のコミュニケーションの希薄さの現れかもしれない。
著者が繰返し指摘するのは、リビングや親の部屋を通らずに自室に直行できる間取りの問題点だ。子どもは環境に働きかける力が少なく、空間の物理的環境を受けやすいもの。著者は、親は1階、子どもは2階という固定観念にとらわれず、子どもの成長にあわせて部屋を改築するぐらいの発想をもつことが必要だと説く。
具体的な方法として第4章で、マンション13例、一戸建て6例を取り上げ、家族が豊かに暮らせる間取りの改善案を紹介。子どもが小学校低学年なら寝室は親と共有し、勉強机だけを本棚で仕切ったリビングに置く。勉強時間に大人がテレビを見るならイヤホンを使ったり、読書するなど音を発しないようにするなど、間取りの変更ばかりではなく家族ルールを作ることも必要だという。また年齢が近く性別が違う子ども達の場合、それぞれ広さも環境も違う部屋しか用意できなければ、それらを定期的に交換し合うことで、相手の立場を考えたり協調性も学ぶことができる、とアドバイスしている。
子どもを部屋に引きこもらせないためには、子ども部屋に機能を集中させず、勉強と就寝に関係ないものは誰もが出入りできるプレイルームに置くといった、プレイルームの活用にも触れている。その上で、「個室を与えた以上はその空間は子どものテリトリーとして尊重すべきであり、ふとんや洗濯物を運ぶのに子ども部屋を通り抜けする形で使うのはルール違反。親にとっては大した事ではないけれど、子どもは自分の領域を侵されたと感じ、自主性を養うのに逆効果になる」とも。まったくその通りだが、さて自分の家に当てはめてみると、その現実に反省させられるばかりである。
さまざまなリフォームの改善案に共通しているのは、「子ども部屋のスペースは最小限で充分」という考え。著者は、3畳あればよいと言う。さらに、「間取りで優先されるのは子ども部屋ではなく夫婦の寝室」という考えだ。日当たりのいい部屋を子ども部屋にしたくなるのが親心だが、一番いい場所は夫婦の部屋であるべきで、空間は親が子どもに分け与えているものだという意識を子どもに持たせる、つまり大きな買い物である住宅は親が苦労して手に入れたものだということを子どもも理解することが必要だというのだ。

さて、知恵をしぼって準備した間取りで子ども部屋も確保。でも親子関係はそれで安心できるほど簡単ではない。家はそこに住む家族で育て上げていくもの、間取りによってできた空間も、人と人との交わりでさらに快適になっていくものではないだろうか。
ある調査によると、親が子ども部屋に入る理由として、欧米では会話をしたりおやすみの挨拶をするためであるのに対し、日本では掃除や寝具の整理のためというのが多くを占めている。日本では子どもが大きくなるに従って親子のコミュニケーションが少なくなると言われるが、親のかかわりが子どもの世話に大きく占められるから、と考えると悲しいものである。
家は雨露をしのぐためのものではなく、年齢とともに自分を、そして家族を育んでいくところ。これからどう暮らしたいのか、どんな人生を歩みたいのか、もう一度家の中を見渡してじっくりと考えたくなった。
情報センター出版局・1500円(税別)
(2007・6・30 伊藤)

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「こんな夜更けにバナナかよ〜筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」
渡辺 一史 著

以前から気になる本だった。
重度障害者である筋ジストロフィー患者の男性が在宅で暮らしたいと望み、病院側の制止を振り切って、在宅生活をスタートさせた。人工呼吸器を装着した彼は、24時間介護が必要なからだ。公的扶助では当然まかなえず、学生を中心にした数十人のボランティアを自ら調達し、365日他人の介護のもとで暮らしはじめる・・・・・・
ここで日本人にありがちな想像は、“心やさしいボランティアたちに支えられて生きる謙虚な障害者”・・・といったところだろうか。
しかし、この実話はのっけからそんな甘っちょろい想像をひっくり返してくれる。
すべての中心である鹿野靖明が、とにかく自己主張のかたまりなのだ。「のど渇いた。コーヒー!」「シリ痛い。体交!(体位交換のこと)」と、矢継ぎ早に指示を出す。慢性的な不眠症で夜も眠らず、深夜ボランティアたちをも眠らせない。
障害者とボランティアの関係は、「世話になってる」「世話してやってる」というお決まりの感情に流されがちだ。しかし、鹿野邸にはそんな雰囲気はなく、わがままに君臨する鹿野とボランティアたちが裸の感情をむき出しにしてぶつかりあう。

「障害者が本当に暮らしやすい社会とは?」「ボランティアっていったいなに?」 
そんな疑問に続いて頭を占めるのは、やはりこの永遠の問いだ。
「生きるっていったいどういうこと?」
命の危険を承知で病院を飛び出し、自らビラを配ってボランティアを募集し、人手不足のときは電話で直接出動要請する鹿野。次から次へとやってくる若い女性ボランティアに恋をし、迷わず告白してあっさりふられる鹿野。女性とつきあった末に結婚もし、離婚も経験したという彼の人生は、ベッドの上で過ごすことが多かったとはいえ、普通の人以上に充実しているように見える。人生の中身の濃さがかかわった人の数に比例するとすれば、鹿野ほど濃い人生を送れた人も少ないだろう。この稀有な存在なしには、本書は誕生しなかった。
そして、2年半に及ぶ取材の末に本書を世に送り出した著者の存在なくしても。

463ページに及ぶ大作で、障害者福祉にかかわる専門的な内容も含むだけに、この本を途中で投げ出した読者も多いかもしれない。しかし、私はまったく飽きることがなかった。鹿野とボランティアたちのやりとりが生き生きと描かれていて、しかも新鮮。登場人物がみな若いだけに変な先入観が少なく、言葉もカラフルだ。著者が多くのボランティアに納得できるまで取材して書いているのも伝わってくる。
それにしても、同じフリーのライターとして、この本を産みだすために著者が犠牲にした仕事やお金や人間関係が忍ばれる。もちろん、こうして大宅壮一ノンフィクション賞や講談社ノンフィクション賞を受賞したわけだから、失った分を上回るものを得られただろうが。
月並みだが、障害者が安心して暮らせるだけの保障制度のある社会になってほしい。そして、力のあるライターが食いっぱぐれないですむだけの、余力のある社会になってほしい。そう願わずにいられない。

北海道新聞社・1800円(税別)
(2007・1・31 宇都宮)

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「国家の品格」
藤原 正彦 著

著者は数学者でお茶の水女子大学教授。作家の新田次郎氏と藤原てい氏の次男でもある。これまでにも多数の著書を著しておられるが、この「国家の品格」は最大のベストセラー。ごくフツーの地方企業である私の夫の会社でも「会社推薦図書」に指定されたらしい。
どんなものかと開いてみると・・・確かに読みやすい。もともとが著者の講演記録を加筆訂正したものだから、話し言葉で著者の経験が平易に語られる。身近にいるちょっとえらい先生の話を、家の応接間で聞いているようなイメージだ。
「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論」と帯にあるように、語られる内容も日本人には心地いい。「日本は世界で唯一の“情緒と形の文明”である」「日本は異常な国であれ」「世界を救うのは日本人だ」・・・などなど、日本を世界の中でも“特別な国・特別な存在”と位置づけ、その理由を語る。そして、欧米式の“論理”だけでは世界が破綻する、とも。
海外生活が長く、欧米のインテリ層と交流の多い著者の体験にもとづいた1つ1つのエピソードは面白いし、「なるほど」と思わせる。小学校の英語教育は亡国のはじまりという説も、それなりに説得力がある。英語が話せたからといって、“国際人”になれるわけではない。自国の文化を深く知り、相手の文化を学ぶ気持ちがある人が英語を学んでこそ、“国際人”に近づける。自分たちの文化を語れない者は、欧米の本物のエリートからは相手にされない。私自身、言葉を知らない若者(もちろん若い世代だけではないのだが)に会うたびに、この国の将来が心配になる。しょっちゅう漢字を読み間違える若者から「ライター志望」だと聞かされると、早く別の業界に就職する方が本人のためなんだけどな、と思ってしまう。
しかし、本書の核となる“武士道精神”については、勉強不足でなにも語れない。日本人に、論理とは異なる美学があることは重々承知している。これが欧米人には理解しがたく、そのために新渡戸稲造が英文で『武士道』を書いたことも。宗教教育のない日本で武士道精神が果たした役割は大きいし、そこに心地よさを感じるのは理屈抜きに日本人である証拠。でも、武士道精神だけでこれからのグローバル社会を乗り切っていけるのだろうか・・・?
爆発的に売れた分、さまざまな批判も受けている本書だが、読んで損はない。半日ぐらいでさっと読めて、間違いなく話のネタになる。また、いろんな政治的意図に利用されそうな本でもある。

新潮社・680円(税別)
(2006・07・23 宇都宮)

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「嫌われ松子の一生」
山田 宗樹 著

いわゆる“女の一生もの”には古今東西の名作が多い。たとえば日本の作家なら、遠藤周作さんの「女の一生」や有吉佐和子さんの「悪女について」などが心に残っている。「嫌われ松子の一生」の著者の作品はこれまで読んだことがなく、不勉強で名前も知らなかった。どんなものかと読んでみたら・・・
東京の下町のアパートで、中年女が殺されているのが発見された。被害者の名は川尻松子。30年も前に故郷を追われ、親族からも絶縁された孤独な死だった。松子の甥で大学生の笙は松子の生涯に興味を持ち、松子に関わる人々を訪ね歩くようになる。
松子は国立大学を卒業し、地元の中学の教師となるが、修学旅行先の窃盗事件の責任を負わされ、職を失ってしまう。故郷を追われるように去った松子は都会で作家志望の男と同棲をはじめ、ヒモ同然の男のためにソープ嬢となる。しかし、男は自殺。その後、ソープ嬢として店のナンバーワンとなった松子に、さまざまな男が近づいてくる。いつも男との幸せな生活を夢見る松子だが、幸せはなかなか彼女の上に訪れず、ついには殺人を犯してしまう・・・
すべり出しはやや期待外れ。大学生の男の子が中年女の生涯に興味を持つようになるまでの経緯にムリがあり、同時に描かれる教師時代の松子があまりにも愚かで同調できないのだ。面白くなるのは松子がソープ嬢になったあたりからだ。天性の美貌と、なんでも集中して取り組む優等生の性格が幸いして、松子はソープ嬢でもスーパーのレジ係でも美容師でも、その腕を認められ、周囲からは一目置かれる存在になる。
ところが、男がいつも松子の人生を狂わせる。相手は文学青年、妻子ある会社員、典型的なソープ嬢のヒモ、妻子を亡くした美容師、ヤクザになった元教え子と、ひと癖もふた癖もある人物。一旦恋に落ちると、その相手一筋となり、せっかく身につけた技術も仕事も放り出してしまうのがパターン。恋愛体質の女なのだろうが、次から次へといろんな男に入れ込んでいくことができるのもフシギだ。本物の恋愛なんて一生のうちにそう何度もあるものではないし、死んだ男をすぐに忘れるのも白けてしまう。相手を愛しているのではなく、恋愛している自分を愛しているだけでは? そして、幸せをつかみかけては、いつも松子はひとり取り残される。
松子の愚かさに同性としては納得できないのだが、ラストは泣けた。孤独な一生。でも、誰もがそうなる可能性はあるのだ。故郷によく似た荒川の風景を見て、中年女がひとりで泣くシーンを想像すると哀れさが募った。

小学館・1300円(税別)
(2006・05・20 宇都宮)

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「語られなかった皇族たちの真実〜若き末裔が初めて明かす“皇室が2000年続いた理由”〜」
竹田 恒泰 著

皇室典範改正の動きがここ数年目まぐるしい。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」では男系女系を問わず、長子に皇位を継承させる案を統一見解として発表。これに異論反論が続出した。
いろんな立場の人が意見を述べているが、異色だったのがこの本の著者で、旧皇族・竹田宮の子孫の竹田恒泰氏だ。 “旧皇族”という立場の人がマスコミに登場することがこれまでほとんどなかったため、私も興味しんしんで本書を手に取った。著者は30代半ばの会社員。皇族の歴史をよく研究していて、皇族の存在意義をたっぷりと本書で説明している。
過去125代の天皇で(神話時代は不明としても)、女帝は複数存在するが、男系以外でその地位を継いだ者は1人も存在しない。要するに、男の子が生まれなければ家が途絶えてしまうわけで、2000年近い歴史の中で皇統断絶の危機は何度もあった。その危機を救ったのが、「側室制度」と「世襲親王家」だ。世襲親王家とは、男子が生まれる限り永遠に続いていく宮家のことで、戦前には11宮家あったが、戦後GHQの方針で皇族の地位を剥奪された。竹田宮もその1つ。過去、天皇直系に男子がいない場合は、世襲親王家の男子が“血のスペア”となり、皇位を継いできた。その際、天皇の内親王と結婚し、より濃い血を残すことで、皇室を断絶させない知恵としてきたという。
側室制度は今の時代話にならないので、世襲親王家の復活を著者は主張しているわけなのだが、これも正直、違和感がある。新聞の論調にもよく登場するが、まず旧皇族が皇籍を離れてから60年という年月がたち、すっかり一般人化してしまっていることがネックだ。著者のような若者が突然、「皇位を継いでもいい」と発言したところで「はい、そうですか」というわけにはいかないし、「内親王と結婚してもいい」なんて言われた日には「そんな時代を読めない人間に、皇位を任せられるわけがないだろう」と思ってしまう。
では、なぜ著者はそこまで女帝や女系を否定するのか?
まず、女帝は配偶者選びが大変だし、外戚(!)に力を持たれても困ること。天皇は神事を司る立場だが、女性は生理期間に神事ができないこと。この2つが理由らしい。
これも首をかしげてしまう。皇族の配偶者選びが大変なのは、男でも女でも変わらない。今の皇族は政治不干渉が原則だから、外戚問題も考えにくい。イギリスのエリザベス女王の夫エジンバラ公は旧ギリシャ王家の出身だが、なにかイギリスの政治に影響を及ぼしただろうか? 芸能マスコミにネタを提供する程度だ。
生理期間の神事については、いくらでも特例を設けられるのでは? 伝統的に生理が不浄とされるのはよく聞く話だが、一般人を天皇にすることに比べればまだ抵抗感が少ない。女性に生理があるから、男も女もこの世に生まれてこれたのだ。大上段にふりかざす理由でもないだろう。
世界に類を見ない2000年続いた皇室。その根本的なルールをわずか1年や2年の論議で変えてしまっていいのか、とは私も思う。しかし、当の天皇・皇后も皇太子も、自分たちの家のことなのだからいろいろ思うところはあるだろうに、この問題に関して沈黙を守っている。その忍耐力が皇族の皇族たる所以かもしれない。
現在のところ、秋篠宮紀子さまのご懐妊で棚上げ状態になった女帝論議だが、もし生まれてくるお子さんが女の子だったら、さらに激しく再燃するのは間違いない。2000年続いた家系はどこに向かうのだろうか。

小学館・1300円(税別)
(2006・05・20 宇都宮)

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「チョコレート工場の秘密」
ロアルド・ダール 作
田村 隆一 訳

「チョコレート工場の秘密」という本がメチャクチャ面白いと、ある日友人がメールに書いてきた。折りしも、ジョニー・デップ主演の映画「チャーリーとチョコレート工場」が封切される頃のこと。それでは、映画と原作両方を楽しもうかと、本書を手にとってみた。
読み始めてすぐ、映画が原作の世界を大切にしていることがわかった。世界一のチョコレート工場で繰り広げられる荒唐無稽なストーリー。個性的な登場人物、アイデアに満ちたチョコレート工場の様子、お菓子に対する子どものあこがれ、そして子育てにまつわる痛烈な風刺などを絡ませながら、物語はテンポよく進む。貧しく家族思いのチャーリー少年が“よい子”だから最後に幸せがやってくるという典型的な善行報恩型物語。チョコレート工場の描写が秀逸で、次々に登場する新しいお菓子のアイデアは、ハリー・ポッターに登場する魔法のお菓子に影響を与えたのではないだろうか。
1964年の出版なのでしかたがないのだが、差別的表現(特にウンパ・ルンパに関して)にはドキッとした。いつも思うのだが、差別する側にはなんの悪気もないのだが、される側は自らの存在を根底から否定されたような気分になる。1960年代なら、なんの疑問も持たずに読んでいたのだろうが。

評論社
(2006・05・20 宇都宮)

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野村ノート
野村 克也 著

プロ野球選手として27年、監督として20年。いずれも一流の実績を残し、ヤクルト時代は3度の日本一に輝いた野村克也さんが、選手育成に使っていた自筆のマニュアル「ノムラの考へ」。これをベースに、野球生活50年の経験をまとめたのが本書だ。
現役プロ野球選手の間でコピーして伝えられているというだけあって、ある程度野球を知っていないと読みづらい内容だ。打者は4つのタイプに分けられること、投手の「原点能力」は外角低めへのコントロールだ・・・など、数十年の経験に基づいた分析が冴える。4番打者ばかり集める巨人がなぜ勝てないのか。南海時代に関わった3人の強烈な個性の持ち主・江本、江夏、門田に指導者として基礎を鍛えられたこと。阪神の監督時代に結果を残せなかった理由。そんな野球好きにはたまらないエピソードがふんだんに盛り込まれている。
一読して思うのは、野村さんという人は本当に野球が好きなんだということ。選手への接し方、マスコミの利用(悪用?)方法、ブツブツとボヤキ節を続けるスポーツマンらしくない態度、そして本人には関係ないがサッチーという強烈な妻の存在など、野村さんを取り巻く評判は決してプラス面ばかりではない。しかし、阪神で3年連続最下位に終わった後、社会人の監督を引き受けたり、戦力が大きく劣る楽天の監督としてプロ球界に復帰したりと、野球界が野村さんを求めて止まない理由はよくわかる。これだけの経験と知識を野に埋もれさせるのは、日本の野球界にとっても大きな損失。なにより本人が野球が好きでたまらないのだから、オファーがあったら受けてしまう。
好きなことを仕事にし、高い評価を受け、古希を過ぎてもなお第一線。なんて幸せな人生だろう。長嶋茂雄を一方的にライバル視し、“月見草”なんて卑下してみせても、今どきの一般人はだまされないよ、野村さん。

小学館・1500円(税別)
(2006・3・13 宇都宮)

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下流社会〜新たな階層集団の出現
三浦 展 著

最近、周囲にフリーターやニートが多くないか? おまけに30過ぎても結婚する気が全くない男性が増えている。彼らの多くは正規雇用者ではなく、収入が安定しないから家族を養えない。だから、学生時代から変わらないライフスタイルで、気ままな独身生活を続けている。でも、そんな彼らって40歳や50歳になったとき、いったいどうなるの? 貯金もないし、病気したとき看病してくれる家族もいない。老後の年金ももちろん貰えない。そんな人たちが数十万人、数百万人になったとき、日本社会はいったいどうなるの?!
・・・と、私たちが日頃感じているこんな疑問を、世代別・収入別・雇用形態別調査などのデータを駆使して裏づけて見せたのが本書。読み始めてすぐ、「こりゃベストセラーになるわ」と思った。誰もが薄々感づいている事象を固定化させ、その背景をわかりやすい言葉で説明してくれるのだから。
それにしても、今後下流社会を形成していくであろうフリーターやニートたちを生んだ社会とは、いったいなんなんだろう? 豊かであることは間違いない。明日にも飢え死にするかもしれない状況なら、ニートなんてやってられないはずだから。本書によると、子ども時代に物質的豊かさを最大限に享受した世代が、「がんばっても今以上の暮らしはできないから」と上昇志向をなくしたことがフリーターの増大を生んでいるらしい。しかも、彼らは生活コスト意識が著しく欠如しているため、「フリーターの収入では家族を養えない」ことに、実際結婚するまで気がつかないそうだ。こんな甘い(というかアタマの悪い)若者を育てたのは、どこの誰? 
以前から、今の20代〜30代前半の若者はかわいそうだと思っていたが、下流への道をなんの疑問も持たずに進んで行く姿は哀れでさえある。数十年後、彼らが働けなくなり、年金も貰えず生活保護を受けるようになる頃、それを支える若い世代が果たして存在するのだろうか? 団塊の世代、それに続く(私も含まれる)新人類世代の老後は安泰なのか? 
そんな疑問と不安ばかりが駆け巡る。

光文社新書・819円(税込)
(2006・2・16 宇都宮)

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「アッコちゃんの時代」
林 真理子 著

バブルの頃、“地上げの帝王”の愛人となり、その後著名な空間デザイナーを有名女優の妻から略奪した女子大生が存在した。彼女の名は“アッコ”。若さと美貌を武器に六本木の夜をとことん楽しみ、金と権力を持つ男たちはみな競ってアッコの心を得ようとした・・・
アッコは実在の人物。現在ではもう40近いが、いまだにその美貌は衰えず、中学生の息子とともに何不自由なく暮らしているらしい。
林真理子さんはアッコのような美人で魅力的な女性を好んで描く。今回はそれにプラスして、あの狂乱の時代を描きたかったのだろう。六本木で夜ごと繰り広げられる贅沢な遊びやパリでのブランドショッピングなど、ディテールがこれでもかこれでもかとばかり盛り込まれている。
しかし・・・残念ながら、作品にいつもの面白さがない。なぜだろう?
そもそもアッコの魅力が読者に伝わりきっていない。林真理子さんの作品に登場する女性は、仕事をもってこそ輝いている人が多い。アッコは女子大を卒業してもこれといった仕事をするわけでもなく、働こうとも考えない。かといって、別段自分から愛人を志願したわけでもなく、相手の金に目が眩んだわけでもない。相手がアッコに夢中になって口説きに口説き、断りきれなくなるだけ。要するに、人生にこれといったビジョンがなく、なりゆきに任せていたら男が寄ってきて贅沢させてくれただけなのだ。
これこそ“前時代の遺物”ではないだろうか。バブル直前、“お嬢さまブーム”というものが起こり、ブランドものをパパに買ってもらい、名門女子大に通うお嬢さまがもてはやされた。当時は私も「そんなものか」と思ったが、今では「人に買ってもらったブランド品で着飾って、いったいなにを自慢してるのか。自分で稼いで買え!」と考えてしまう。アッコの人生はお嬢さまブームの発展形に過ぎないのではないか。
時代は変わったのに、アッコは変わらない。それはそうだ。住まいも生活費も男が勝手に与えてくれる。今さら時給800円でパートに出られるわけもない。日課といえば、夜な夜な遊び友だちとともに酒を飲んで楽しく騒ぐだけ。ちなみに、アッコは有名人やIT長者など遊び友だちには事欠かないが、友人と議論したりすることは絶対ないという。表面的な人づきあいがとてもうまく、それが男を引き寄せる一因でもあるのだろう。・・・しかし、つまらなそうな毎日だ。
もうひとつ、アッコが魅力的に見えない理由、それは人を心底愛していないことだ。男たちからは愛されるばかりで、アッコもキライではないが、たいして愛してもいない。唯一愛したのは息子だろう。しかし、このあたりもあまり描けていない。
そんなこんなでやや期待外れな作品だった。

新潮社・1500円(税別)
(2006・1・8 宇都宮)

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「柔らかな頬」
桐野夏生 著

あの「OUT」の翌年に出版され、1999年に直木賞を受賞した作品。
のっけから物語に引き込まれ、最後までほとんど一気読み。読後感は、「とにかく疲れた」。いろんな意味でヘビーだ。
主人公のカスミは夫の友人・石山と不倫をしている。しかし、その不倫行為のさなかに、5歳の娘・有香が行方不明になった。不倫中は「子どもを捨ててもいい」と思ったカスミだが、現実に娘がいなくなると不倫相手との関係も自然消滅。その後の人生は、いなくなった娘を捜し続けるためだけに費やされ・・・
まず、カスミの人物描写が実によくできている。失踪事件が起きる前も決して恵まれた人生ではないが、強くたくましく、時にははるか年上の男性とも渡り合いながら生きていく。不倫も浮気ではなくお互いに本気。いずれは双方離婚して・・・と考えていた矢先の事件。事件さえなければ、彼女はもっともっと幸せになれたかもしれない。
そして、なんの手がかりもなく失踪した娘を捜し続ける数年間の描写がたまらない。「おそらく生きていない」と誰もが思っているのだが、母は捜さずにはいられない。なにもしないでいると気が狂いそうになるのだろう。夫は捜し疲れた様子が見える。捜索資金も底をついた。残された下の娘も不憫だ。だが、あきらめきれない。自分が「子どもを捨ててもいい」と思ったばかりに・・・という良心の呵責がカスミを責め立てる。
私には子どもがいないが、5歳の女の子がどんなに愛らしくて、どんなに頼りないか知っているし、その幼さで苦難にあうことを想像しただけで耐えられない。これを描いた著者の強さと勇気には感服だ。全体に冷徹な人間描写なのだが、冷徹なだけではここまで描けないし、想像力も働かない。
後半に登場する死病を患った元刑事の人物描写も面白い。娘を捜す母と、出世しか頭になかった元刑事。偶然が重なって交錯した人間関係だが、孤独な者同士、こういった関係もあるかもしれないと思った。
それにしても、この小説を読んで北朝鮮の拉致問題を思い出す人も多いのではないか。カスミは6年という年月を経て、人生の次のステップへ進む決意をした。しかし、拉致被害者家族は20年以上に渡って捜し続けた人たちばかり。途中であきらめた家族も少なくないとなにかで読んだが、ムリもない。残された人々にも人生を楽しむ権利がある。まさに事実は小説より奇なり、だ。

講談社・1800円(税別)
(2005・9・19 宇都宮)

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「電車男」
中野 独人 著

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
今、アキバ系男が大ブームだ。
その原因はもちろん本書。ネットから始まり、書籍→映画→テレビドラマ→舞台と、「電車男」のメディアミックスぶりには目を見張る。掲示板のスレッドやブログが本になる時代。プロのもの書きには生きにくい時代だが、シロートさんのカキコが面白いんだからしかたがない。読み始めた当初はオタク独特の用語に戸惑ったが、慣れると実に便利。気付いたら自分も普段の会話に使っていたりするから面白い(本物のヲタはそんなことしないか)。
年齢=彼女いない歴のオタク男だって、ちょっと勇気を出せば夢のような美女と恋人になれる。ストーリー&テーマはこれに尽きるが、そんなことは言われなくてもわかっている。ほんのちょっとの勇気と変わらぬ誠意、これがあればどんな女だってオチるに決まってる。確かにオタクは女性にバカにされる存在だろうが、つまらないプライドを持ちすぎるのもその原因のひとつ。本当にモテる男はつまらないプライドなんて、さらさら持ち合わせていない。
しかし、本書の成功は編集者の勝利だ。2ちゃんねるのスレという、いかにも手強そうな相手(しかも著作権のありかが相当あいまい)を本にし、それが売れると踏んだのだから。アスキーアートというネット上の絵文字が多出し、ヲタでない私にはこれも目新しかったのだが、印刷会社は苦労したそうな。スレの会話を出版できないかという発想は持てたとしても、未開拓の分野にあえて手を出し、予想外の苦労を乗り越えていける勇気と気概のある編集者は、実はそんなに存在しないと思う。「企画は欲しがるが、リスクは受け入れない」というのが、ここ最近の私の編集者観だから。

新潮社・1300円(税別)
(2005・8・29 宇都宮)

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「世界の中心で、愛をさけぶ」
片山恭一 著

2004年、売れに売れたベストセラーをやっと読むことができた。
ストーリーはみなさんご存じのとおり。海の近くの小さな町で暮らす男子高校生・朔太郎には、中学時代からつきあっている恋人・アキがいる。幼いながら真剣に愛を育む2人だが、アキが白血病に倒れ、朔太郎は永遠に彼女を失ってしまう。
とにかく今どきの高校生が見たら信じられないぐらい純な関係だが、作者の片山恭一さんは愛媛県出身の40歳代。70年代の四国の小さな町が舞台だとしたら、そんなものかもしれないと思った。
ウブで純真な交際をする2人にも最後の一線を越えるチャンスはあるのだが、朔太郎はアキに強要することができない。まあ、そうだろう。本当に好きなら、強要なんてできるもんじゃない。ただ、アキの言葉「ゆっくりと一緒になっていきましょうね」は、高校生どころかオトナの女にも言えないセリフだ。性急に結果を求めるご時世だから、ゆっくりしていては男女の仲も進まない。まだまだ2人には時間がたっぷりあるという前提のセリフで、結末を考えると悲しみが増す効果もあるが。
それにしても、この小説がなぜここまで売れたのか?
ストーリーはありきたり。構成もフツー。しかし、ラストでは私も思わず涙してしまった。アキが亡くなるシーンも朔太郎が号泣するシーンもないのだが、朔太郎の淡々とした1人称語り口調に、語られていないシーンを想像させる力があるのだ。あえて文字にしなかったシーン、行間で泣かせるというか。また、1つ1つのエピソードが目に浮かぶようにやさしく語られる。このあたりは作者の文章力としか言いようがない。
ひとつ違和感を覚えたのは、アキの両親の描写だ。ひとり娘を亡くすという人生最大の不幸に直面しながら、妙に冷静で(特に母親が)淡々とし過ぎている。正直言って、恋人を亡くすより子どもを亡くす方が絶対ツライと思う。恋人の代わりは見つかるかもしれないが、子どもの代わりなんて絶対見つからない。現に朔太郎はアキを美しい思い出にして、現実の恋人と手を取り合って未来へと歩いていこうとするではないか。もちろん、生きている人間はそうあるべきなのだが。
「マディソン郡の橋」を読んだときも感じたのだが、"純愛"がこうももてはやされる。世の中、そんなに"純愛"が少ないのか? 相手のことが本当に好きなら、誰にだって"純愛"はできると思うんだけど。

小学館・1400円(税別)
(2005・8・15 宇都宮)

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「収容所から来た遺書」
辺見じゅん 著

今夏は戦後60周年記念ということで、太平洋戦争を振り返るお芝居が多かった。そのひとつ「ダモイ〜収容所から来た遺書」というお芝居を見た後、登場人物のもっと詳しい背景が知りたくなり、原作である本書を読んだ。
第二次大戦後、ソ連軍によってシベリアに連行された日本人捕虜は約65万人。軍人だけでなく、満州に住んでいた民間人も少なくなかったという。彼らは酷寒のシベリアで肉体労働に従事させられ、次々と死んでいった。抑留期間が数年に及ぶと、帰国への希望を失い、自暴自棄になる者も現れる。そんな中、あくまでも明るく希望をもってダモイ(帰国)の夢を語っていたのが、満鉄に勤務していた山本幡男さん。ロシア語に堪能でありながらソ連側に媚びず、あくまでも自分の信じる道を進んだ山本さんは、収容所では異彩を放っていた。しかし、その姿に、人への信頼や希望を失いかけていた仲間たちが勇気を与えられ、長い捕虜生活を耐え抜いた様子が関係者の証言をもとに再構成されている。
残念ながら、山本さんは病に倒れ帰国することができなかったが、その遺書は仲間たちによってあらゆる方法で遺族に手渡す努力がされた。文書を残すことはもちろん、文字を書くことも許されなかった収容所生活で、遺書を日本に持ち帰ることがどれほど困難で危険だったか、読み進めるうちにその苦労がしのばれる。しかし、わが身の危険を冒してでも遺書を届けたいと仲間たちに思わせた山本さんの人柄、才能には、感服のひとこと。ぜひ1度、生きておられる間にお会いしたかったと、誰もが思うのではないだろうか。
過酷な収容所生活の中、山本さんは密かに俳句の句会を毎週開いていた。文字を書くこと自体が禁止されているから、木の枝で地面に句を書いたり、土嚢袋の切れ端を綴ってお手製ノートを作ったりと、涙ぐましい工夫がされたという。それでも句会は大盛況。仲間のひとりが句会に参加することで人間らしい心を取り戻し、シベリアにも美しい青空が見えることにやっと気づいた下りは感動的だ。
また、正月には日本を思い出して鏡餅の代用品を作ったり、インテリ層出身の捕虜がロシア語講座を開いたりしていた事実を知り、どんなに抑圧された環境でも、人間は人間らしい営みを求めるのだと再認識した。腹の足しにもならない句会や講座などの文化活動が、飢えや病苦、無気力をやわらげることもある・・・本当に人間って素晴らしい。地獄にあっても、人生捨てたもんじゃない。素直にそう思った。
戦後60年たち、シベリア抑留経験者の方々は少なくとも80歳を超えるだろう。10年以上前に出版された本書を今ごろ読んだ私が言うのもなんだが、1人でも多くの抑留経験者がご存命のうちに、1人でも多くの日本人に読んでもらいたい本だ。

文藝春秋
(2005・8・15 宇都宮)

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「私たちの愛」
田原 総一朗・田原 節子 著

「サンデープロジェクト」「朝まで生テレビ」などの仕切り役でおなじみのジャーナリスト・田原総一朗さんと妻・節子さんが、自分たちの27年間の愛の軌跡を語った。
田原さんと節子さんは再婚同士。節子さんは元日本テレビのアナウンサーで、ウーマンリブ運動にも傾倒した、当時としては時代の先端を行くキャリアウーマンだった。
20代後半に仕事を通じて知り合い、お互い気になる存在だったという2人だが、当初はどちらも結婚しており、それぞれ娘も生まれていた。にもかかわらず、度々2人で会っては仕事上の意見を交換するうちに、やがて不倫の関係へ。お互いの家庭は壊さず、しかし周囲の目を気にすることなく続いた関係は20年にも及び、節子さんの離婚、田原さんの前妻の乳ガン死の後、双方の娘の許しを得て再婚することになった。ところが、やっと夫婦になって10年もたたないうちに、今度は節子さんが乳ガンに。限りある命を睨んで、2人の恋愛物語を残そうと本書の出版に至ったらしい。
それにしても、この関係をどうとるか? 読む人によって、大きく意見が分かれるところだろう。
ただの不倫にしては長く続いているし、「魂が呼び合う関係」と言ってもいいような、密な人間関係だ。要するに「出会うのが遅すぎた」のだろうが、2人とも家庭があり、子どものためにもこれは壊せない。かといって別れることは考えられず、結局2人で過ごせるアパートを借り、そこで気兼ねなく会うようになった。
お2人とも私の親の世代に相当し、結婚時期が今よりもずっと早かったことがアンラッキーだったかもしれない。特に節子さんは将来を嘱望されたエリートサラリーマンと結婚し、その背景には計算もあったと自ら認めておられるのだから、「それなら家庭が壊れてもしかたないよね」と思ってしまう。一方、田原さんは下宿先の年上の従姉と結婚したというから、もう「そういう時代だったんだね」と言うほかない。やはり結婚は晩婚の方がいい。これだけ少子化が問題視されてもそう思う。
それにしても、男と女の関係ってムズカシイ。特に田原夫妻のように、仕事でお互いを認め合い、尊敬しあう気持ちが男女の愛に変わった場合、「運命の相手」だと思い込むのもムリはない。いや実際、「運命の相手」なんだろう。そう判断できるのは、本人たち以外いないんだから。
本書を読んだ人はみんな思うことだろうが、田原さんの亡き前妻の話をぜひ聞いてみたい。年下の従弟がわが家に下宿し、やさしく気遣ううちに男女の愛に変わったという前妻にとって、田原さんがやはり「運命の相手」だったのではないのだろうか。

講談社・1575円(税別)
(2005・6・19 宇都宮)

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「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」
J.K.ローリング 著
松岡 佑子 訳

ようやく「ハリー・ポッター」第5巻を読み終えた。
去年9月の刊行直前、地元の図書館に予約を入れた本書が私の手元にやってきたのは9ヵ月後。その間、書店には「不死鳥の騎士団」のショッキングピンクの上下巻セットがスペースというスペースに平積みされ、「売れ残っているんだなぁ」としみじみ感じさせられた。初版290万部という強気の数字と、出版界の常識を超えた買取制度を採用した結果が、書店の店頭をピンクに染める異様な風景につながったわけだ。
最新情報によると、作者のJ.K.ローリングはすでに第6巻を書き終えたらしい。すると1年後、またあの風景が書店で見られるのか? 小説の内容以外にこんな話題も提供してくれる、やはりハリポタはオバケシリーズだ。
場外の話題が先行したが、ハリポタ自体の質は落ちていない。
相変わらず綿密に計算された伏線。しっかり練られた人物描写。クライマックスへと導く起伏をつけた構成。
もし、ハリポタの売上部数が年々落ちているとすれば、安定した手法が飽きられてきたのかもしれない。クィディッチで勝つのはいつもグリフィンドールだったり、ラストに必ずヴォルデモード卿との対決があったりする、お約束の展開が。
しかも、ハリーは思春期の難しい時期を迎え、作者はこのあたりもきちんと描こうとした(ハリーのそうした姿を読みたくない読者も存在するだろうが)。しかし、ハリーをあくまでも等身大のヒーローとして描く姿勢に、私はエールを送りたい。書き手にしてみれば、理想のヒーローにしてしまった方がよほどラクだろうに。
ところで、第6巻のタイトルは「ハリー・ポッターと混血のプリンス(仮題)」らしい。混血のプリンスっていったい誰のこと? と、早くも次を読みたくなってしまう。ハリポタシリーズの膨大な登場人物を実は私はあんまり覚えていないのだが、すでに登場した人物か? 未知の人物か? それともハリー自身のことなのか? 
その答えが判明するまで、また発売から9ヶ月を要するのかもしれない。

静山社・上下巻4200円(税別)
(2005・6・19 宇都宮)

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「プロ論。」
B-ing編集部 編

カルロス・ゴーン、三木谷浩史、櫻井よしこ、古舘伊知郎、糸井重里、秋元康、鈴木光司、高橋がなり、和田アキ子・・・各界の錚々たるメンバー50人にインタビューした内容をコンパクトにまとめた1冊。もとはリクルート刊行「B-ing」の「巻頭インタビュー 21世紀を働く」に掲載されたものなので、内容は仕事論が中心だ。語り手は功なり名遂げた有名人ばかりなので、当然成功へのアドバイスを尋ねることになる。自分はいかにして今のポジションについたか。転職に悩んだときはどうすればいいか。どんな20代を過ごしたか、などなど。
これだけのメンバーなので、ひとりひとりにストーリーがあり、50人分読んでも全く飽きることがない。むしろ、もっと深く聞いてほしい、これだけの字数ではとても語り尽くせていないと感じるページが多かった。しかし、そもそもが各人の仕事論で本が1冊書ける人ばかり。それを就職情報誌の巻頭インタビューにまとめたんだから、語り尽くせるわけがない。むしろ3000字程度の原稿にまとめたライターの力量をほめるべきだろう。
私もライターの端くれなのでわかるが、中身の濃い取材をしたときは「あれも書きたい、これも書きたい」で、結果的に焦点のボケた原稿になりがちだ。惜しいと思う気持ちを抑えてエピソードを削り、純度の高いエキスだけを搾り取る作業が繰り返されたと推測した。
各インタビューの最後にまとめ的に入れられた「成功の哲学」も、わかりやすい言葉だが内容は示唆に富んでいる。転職に悩む20代の人に読んでもらいたいが、20代ではわからない真実も多いかも。私がそうだったように。
個人的には堤幸彦氏、北村龍平氏のインタビューが印象に残った。奇しくも両氏とも映画監督。過酷な競争を勝ち残ってクリエイターとして名を馳せた生き様に惹かれるのかもしれない。

徳間書店・1600円(税別)
(2005・5・23 宇都宮)

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「ハッブル望遠鏡の宇宙遺産」
野本 陽代 著

子どもの頃から天体写真を見るのが好きだった。当時見たもので印象に残っているのは、こと座のリング星雲、オリオン座の馬頭星雲、そしてアンドロメダの渦巻銀河といったところ。星雲や銀河の写真数は限られていたし、ピントがボヤけていたりモノクロだったりしたが、それでも子どもの空想力をかきたてる力が天体写真にはあった。
本書に掲載されている天体写真は、とにかく種類が豊富でバラエティに富んでいる。数十億光年かなたの深宇宙の銀河団を見ることができるようになったし、超新星爆発の名残りや衝突する2つの銀河の様子も見ることができる。画像処理技術の進歩のおかげで、それぞれの写真は細部まで鮮明かつクリアだ。
しかし、宝石のような銀河や星団は何千光年・何百万光年の彼方にあることがほとんど。人類は最後までそこに行き着くことができず、今の私と同じように眺めるだけで終わってしまうのではないかと、切ない気持ちになる。それに比べて太陽系の惑星たちは親しみやすい。近い将来、きっと人類は木星や土星を訪れるはずだから。
人々の想像力を刺激し、天文学の発展に大いに貢献してきたハッブル望遠鏡だが、今年で15年の寿命を迎え、近くミッションを終了する。スペースシャトルの宇宙飛行士によるバッテリー交換やジャイロ(姿勢制御に必要な装置)修理も検討されたが、予算不足を理由に現在のところハッブルはこのまま打ち捨てられていく運命だという。宇宙探査を阻むのは、いつもいつも「予算不足」だ(国際宇宙ステーション計画に莫大な予算がかかるのも、もちろん理解できるのだが)。アメリカだけに頼らずに、もっと予算面での国際協調はできないものか。

岩波書店・1000円(税別)
(2005・5・20 宇都宮)

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「テンダー・ラブ〜それは愛の最高の表現です。」
日野原 重明 著

日野原重明さんはすでに200冊ほど著書を出版されたという。それだけ本が売れるから出版できるわけだが、売れる理由もよくわかる。私の場合、精神的に疲弊したときの癒しに、日野原さんの本が読みたくなるから。あのやさしい語り口調の文章が読みたい。「人を赦す」「人を責めない」姿勢に触れたい。そう思っている読者が、日野原さんの新刊で、しかも「テンダー・ラブ」なんてタイトルがついている本を見つけたら、それはすぐに手に取って読むだろう。私がそうだったように。
それにしても、なぜこうも次から次へと日野原さんの本を読んでしまうのか? 60過ぎて第二の人生を前に戸惑う人が、理想的な年のとり方をされている"スーパー90歳=日野原先生"からなにかを学ぼうと、次から次へと読み続けていくのはわかるのだが。こうなると、もはや日野原中毒? 90歳を過ぎた日野原さんがいつまで著作活動を続けられるのか、不安に思っている読者も多いのではないだろうか。
内容はいつもと同じく、ホスピスで出会った患者さんや友人・知人から得たエピソードを綴ったもの。テーマが「テンダー・ラブ」なので、さまざまな愛のかたち(親子愛、夫婦愛、友情、師弟愛など)の実話を紹介し、コメントする。若くして末期ガンに冒された母親が幼い子どもたちに遺した愛情話には泣けるし、長年連れ添った夫婦がお互いに示す愛情にも心が温まる。
愛情に包まれて育って、今も愛情が"不足"するということもないはずなのに、やっぱりもっと愛情がほしい。人間というのは、愛情に対して本当に欲深い。幼い子どもは親の愛や周囲の愛をしゃにむに独占したがるが、大人になってもたいして変わらない自分に気づかされる。そして、そんな人間(たぶん大多数がそうなんだろう)が、日野原さんのような他人に向けて愛情や労力を注げる人の心に触れたがる。
やっぱり売れるわけだ。

ユーリーグ・800円(税別)
(2005・4・18 宇都宮)

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「介護入門」
モブ・ノリオ 著

2004年度芥川賞受賞作。受賞作品ばかり狙って読む趣味はないのだが、テーマが「介護」とあって手に取った。
下半身不随の祖母を、母と2人で自宅介護する「俺」は、30歳前の無職の金髪男。祖母の介護の合間に好きな音楽に耽溺し、マリファナを吸う毎日。祖母の様子に一喜一憂し、無理解な親族を罵倒し、いつ終わるとも知れない介護生活が続く・・・
介護の現場の描写がリアル。想像で書けるものではないので、ほとんどすべて実体験に基づくのだろう。
いちばんの読みどころは、ラップの歌詞をそのまま小説にしたような文体。独特の持ち味なのだが、これだけではすぐに飽きられてしまう。著者にとって本作は正真正銘の処女作らしいので、2作目以降が苦労しそうだ。
小説の中には、介護の現場を知る者にとってドキッとするような一節もあった。以下はその引用。
「介護入門 一、誠意ある介護の妨げとなる肉親には、如何なる厚意も期待するべからず。仮にそのような肉親が自ら名乗り出て介護に当たる場合は、赤の他人による杜撰さを想定し、予め警戒の目を光らせよ」
「介護入門 一、派遣介護士の質は人間の質である」
確かにヘルパーの質は人間の質だ。いい例も悪い例も、私だって見てきた。
さらに身につまされたのは、おむつ交換時の体位変換が原因で母が腰痛に苦しむ下り。昇降機能のある介護ベッドの床面をアップさせ、腰痛を起こしにくい体位変換のコツを知ったとき、「俺」はこう叫ぶ。
「間一髪、俺は死を逃れた! 俺は覚醒した!」
なにも知らない人は「なにをおおげさな」と思うかもしれないが、慢性の腰痛を逃れたときの気持ちは確かにこれに近いだろう。20代男性にしてこの感慨なのだから、老々介護の介護者はどんな状態だろうとため息が出る。本文中にあるように、昇降ベッドの高さ調節をしっかり行い、ラクな方法を学ぶのがいちばんなのだが。
それにしてもこの小説、介護を知らない人にはどんなふうに読めてしまうのか? そのあたりが知りたい。

文芸春秋・1000円(税別)
(2004・11・11 宇都宮)

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「負け犬の遠吠え」
酒井 順子 著

いや〜、とにかく面白かった。ベストセラーになるのもナットク!
著者の定義によれば、負け犬とは未婚、子なし、30代以上の女性のこと。
現在都会に生息するキャリアウーマンの中に負け犬は多く存在し、それなりの職と収入を得て、「いい人がいれば結婚したい」と口癖のように言いながら、負け犬友だちとツルんで過ごす。
対して勝ち犬とはそれ相応の男性と結婚し、子供を産み育てている女性のこと。裕福な家庭の有閑マダムからパートに明け暮れる人まで勝ち犬の生活レベルは幅広いが、勝ち犬は勝ち犬。負け犬は「私の方が経済力もあるし、人に見られる分小ギレイにしてるわよ!」などとキャンキャン吠えず、素直に負けを認めるべし。いや、もう認めちゃった上で、なぜ負け犬は負け犬になったのか、自分たちを分析してみましょう。・・・という内容だ。
負け犬女性の典型的立場である著者は現在30代後半。自らの人生を振り返って、「30ン歳にもなって結婚もしてないし、子どもも産んでない。こんなはずじゃなかったのに!」と思う気持ちはよくわかる。しかし、若い頃からキャリアを積み上げて、それなりの収入も評価も得、ファッションにも趣味にも自由にお金を使うことができ、独身生活が長い分、恋愛経験も勝ち犬より豊富。そんな負け犬生活が面白くないわけがない。ただ単に「夫」「子ども」というアイテムが欠けているだけ。・・・つまり、負け犬は勝ち犬のことを全く羨ましいと思ってないわけで、負け犬人生から降りるつもりもない。徹底的に卑下して見せるのは、家庭の維持や子育てという地道な作業を髪振り乱して続ける勝ち犬に突っかかってこられたら面倒だから。
本書中で挙げられる負け犬の特徴も、「そうそう、そうなんだよね」「いるいる、こんな友だち」という内容ばかりで笑えた。曰く、「"やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔した方がいい"は負け犬の口癖」。これを座右の銘にしている負け犬は私の周りにも多い。
ちなみに、私は未婚ではないがメンタリティは本書に描かれている負け犬そのもの。ぜひ負け犬の仲間に入れてほしい。勝ち犬の中に入ったところで、浮きまくっている自分が目に浮かぶ。友人にも負け犬が多いし、勝ち犬友だちより負け犬友だちの方がおしゃべりしていても面白いのだ。
余談だが、「オスの負け犬」についても大きく5つに分類されるそうで、その下りもうなずける内容ばかり。私の周りでいつも話題になるのだが、30代以上の独身女性は「どうしてこの人が結婚できないの?!」と不思議に思うぐらい素敵な人が多いのに比べ、独身男性は「やっぱりね。そりゃあんた残るわ」と納得できる人が多いのだ。ここで少しその答えがわかったような気がする。

講談社・1400円(税別)
(2004・10・10 宇都宮)

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「蹴りたい背中」
綿矢 りさ 著

2004年度の芥川賞・直木賞が先日発表されたが、残念ながら2003年度ほどのインパクトはなかった。第130回芥川賞授賞式の映像はそれほど強烈だった。受賞者は19歳と20歳の女の子。今風のミニスカスタイルで堂々と会見した結果、本は売れに売れた。滅多に純文学を読まない層まで買って読んでいた。そんな読者層のひとりから、まわりまわって私のところにこの本はやってきた。
ストーリーはどこにでもいる、ごく普通の女子高生の学校生活だ。孤独とプライド、どこからともなく湧き起こる感情を自ら何度も吟味しつつ、ときどき抑え切れなくて走り出す主人公。そんな彼女の平凡な日々の出来事を繊細な筆致で丹念に描き、しかも退屈せずに最後まで一気に読ませる力がある。なるほど、これは確かに「才能」だと思った。
振り返ってみれば、私の高校時代も学校生活が人生のすべてだった。クラスでの友だち関係や自分の位置づけに、今から思えばバカバカしいほど敏感に反応した。授業の合間の10分間の休憩時間を、死ぬほど長く感じた経験もある。まさに、この主人公のように。おしゃべりする友だちがいないなら、本を読めばいいし、机に突っ伏して昼寝をしてもいい。探せばやることはあるはずだ。ところが、この世代は他人の目が異様に気になる。他人の目に自分がどう映るかが、価値判断の基準だったりする。だから、息苦しい。
つまり、それほど10代という時代は視野や活動範囲が狭い。過ぎてみればどうってことないのだが、真っ只中にいる本人は夢でうなされるぐらい悩んでいる。こうした過ぎてみればどうってことない事柄を、過ぎていない10代の作家が書いたことに意味があるのかもしれない。主人公が感じる息苦しさを、著者(この場合、主人公とイコールだ)の中できっちり消化しないと小説というカタチにはできないし、視野の狭さはところどころに感じられるものの、視野の壁を超えた真実の方向性もきちんと見えている。
著者の綿矢りささんは現在大学生。若くして世に出たことの大変さを、これからずっと受け止めていかなければならない。願わくば順調に成長して、今度は大人の女を主人公にした小説で私たちを楽しませてくれますように。

河出書房新社・1000円(税別)
(2004・7・25 宇都宮)

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「死の壁」
養老 孟司 著

昨年、大ベストセラー「バカの壁」を読んだのだが、正直に告白すると私にはどうもピンとこなかった。ひとつひとつのエピソードはわかるのだが、全体になにが言いたいのかストレートに伝わってこないのだ。しかし、マスコミの書評では絶賛の嵐。お堅いイメージの新書が売れに売れ、著者はテレビCMにまで登場する勢いだ。
当然のことながら、私は自分がこの本をすんなり理解できない原因を考えた。哲学的思考に慣れていないのか、文章の理解力が足りないのか、はたまたアタマが悪いのか? これぞ"バカの壁"?! そうこうするうちに第2弾が発売され、「今度こそすんなり理解できるかしら」と手にとったのが「死の壁」だ。ひょっとして出版社の戦略にすっかり乗せられているのかもしれない。
著者は解剖学者という職業柄、数え切れないほどの死体を見ている。"死"について考える機会は、普通の人よりはるかに多い。そこで導き出したのが現代生活は"死"を想定せずに営まれているという考え。なるほど、書かれているとおりだ。現代人は"死"を身近に感じて生活していない。それは社会の裏の面にひっそりと息づいている。どんな人間でもいつかは必ず遭遇するものなのに。
この本を読んだ直後、同世代の友人がガンで亡くなっていたことを知った。家族以外に病気を知らせず、半年間の闘病生活で亡くなった彼女の仏前に参ったが、仏壇に飾られた写真を前にしてもまだ実感が湧かない自分が不思議だった。かくも"死"は現実感を伴わない。自分の"死"を前にしても、やはりそうかもしれない。まるで夢の中の出来事のように。こうして、"死"はますます現代人の目の届かない場所に追いやられてしまう。
こんな風に"死"を実感できないから、自殺も他殺も現実感を伴わず、小学生が自殺したり殺人事件を引き起こしたりしてしまうのか。なるほど、確かにそのとおりかもしれない。でもそんなことは養老さんに云われるまでもなく、みんな知っていた。
ところで先日、朝日新聞の書評欄にこの本が取り上げられた。つかみどころのない書評だったが、それは本書につかみどころがないせいか。いずれにせよ、書評が書きにくくてしかたない。

新潮社・680円(税別)
(2004・6・4 宇都宮)

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「僕が最後に言い残したかったこと」
青木 雄二 著

昨年秋、「ナニワ金融道」の著者・青木雄二さんがガンとの闘病生活の末に亡くなられた。そして、青木さんが黄泉路に立たれる前後に著書が次々と出版された。本書はそんな中の1冊。関西弁の語り口調で、青木さんの人生観・マルクス主義論・仕事観などが綴られている。
青木さんがマルクス主義者であることは有名だが、一体いつどこでマルクス主義の薫陶を受けたのか、本書で初めて知った。「今更マルクス主義?」と思う向きも多いだろうが、なるほど、「資本論」をここまで深く読んでのことなのだから、論調にも熱がこもるはずだ。「資本論」も読まずに批判する資格は誰にもない。
最も面白く読ませていただいたのは、仕事論と恋愛論。
版下業者として一時的に成功したものの、結局商売をたたんで長年の夢だった漫画家になったのが40過ぎのこと。漫画家としてはかなりの遅咲きだが、決して達者といえないあの絵柄に、なんともいえない個性とパワーを感じる人は多いはず。世に出るべくして出た人である。 版下業者としての独立のいきさつも廃業のいきさつもすべて参考になる。「今から思えば部下5人ぐらいの規模のときが、いちばん効率がよかった」と書かれていたのが印象的だ。会社というものはムダの宝庫。経営者の目が従業員全員に行き渡らなくなり、そこにムダと甘えが生まれたとき、利益は下降線を辿る。零細企業を営む人には身につまされる話ではないだろうか。
クリエイターをめざす若者には、「『いまどき何かを創ろうなどと思うヤツはそれだけで立派なもんや。好きにしたらええ』ということに尽きる。まあ『やめておけ』ということやな。そしてあえて言うけれど、『ただし表現するということの贅沢さは、忘れたらあかん』」と、辛口のエールを送る。
漫画家は若くして世に出る人が多い。なりたくてもなれない人は年齢とともに憧れが色褪せ、あきらめが心に覆い被さってくるもの。そんな中で中年になってから成功した青木さんが言うのだから勇気が出る。中年に至るまでの人生経験があってこそ、漫画家としての作品にも輝きが増したわけだから。
恋愛観は賛否両論分かれるだろうが、私は「こんな考え方があるのか!」と目からウロコが落ちる思いだった。結果として、若く美しい理想の妻をゲットでき、可愛いひとり息子まで恵まれたのだから、青木さんは勝ち組なのかも。
それにしても、亡くなられる前後にこうして著書の出版が相次いだのは、残された家族への精一杯の愛情表現だったのではないだろうか。全編にその思いが感じられる1冊だ。

小学館・1300円(税別)
(2004・4・23 宇都宮)

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「バカの壁」
養老 猛司 著

2003年のベストセラーで200万部以上の売り上げとか。何とも強烈なタイトルであり、それも売れた要因の1つではないかと思うが、このタイトルを思いついたのはベテラン編集者らしい。編集者大いに貢献というところだ。
話せばわかるなんて大嘘で、「バカの壁」があるために自分の知りたくない情報には耳をかさなくなると著者は言う。専門の脳の解剖学的なところから、教育・思想・哲学的なところにまで踏み込んでいる。簡単に流して読むこともできるし、深く熟考しながら読むこともできる。1つの話を深くというよりも様々なジャンルを取り上げているので、自分が特に関心を持ったところを念入りに読むというスタイルもとれるだろう。
私自身は「バカの壁」を読むまでは、この壁は外にあるものだと感じていたのだが、実は自分自身の中にあるものだと気づかされた。一元論に陥ってしまうことの怖さ、そして自分自身もいつそうなるかわからないことを意識していきたい。世の中に確実だと言い切れることなんてそうそうないのだ、と改めて感じさせられた。
ベストセラー必ずしも良書ではないが、この本はオススメである。

新潮新書・680円(税別)
(2004・3・21 藤原)

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「森まゆみの大阪不案内」
森まゆみ 文
太田順一 写真

著者の森まゆみさんは、暮らしの記録とイキのいい町づくりを目的に84年から地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を発行。作家活動としての著書も多い。その東京生まれの彼女が、大阪都市協会の北辻稔さんの案内で大阪の町を歩き倒して綴ったものがこれ。
「大阪は見るとこおまへんなー」というアメリカ村の居酒屋主人の言葉に、「見るとこはないけど、歩くこと、やることはいっぱいある」と、鶴橋でチジミを食べたり、新梅田食堂街でビーフカツをほお張ったり、京橋で大トロに舌鼓をうったり、空堀でお好み焼きにパクついたり・・・。いやいや、食べてばかりではない。上町台地の寺や坂を巡ったり、平野の町人から町づくりへの思いを聞いたりと、さすがに地域雑誌の編集人だけあって、そこに根付く文化やそれを守っている人々への眼差しはともて温かいものがある。そして船場ではアラベスク模様の近代建築や、歴史的建造物と屋上緑化という2つの魅力を持つ船場ビルディング、大卒の初任給が40円の時代に150万円もの寄付で建てられた綿業会館など、たくさんの近代建築も訪ねている。
大阪生まれ、大阪育ちの人にとっては「こんなの誰でも知ってるよ」の世界かもしれない。でも奈良県に住む私にとって、メインストリートから一歩入った路地裏や繁華街から外れた場所にうれしい驚きを見つけることは少なくなく、それゆえフツーの長屋などガイド本には載っていない庶民の生活臭が感じられるこの本は、読みながら一緒に歩いているような感覚をおぼえるのである。歩いた先々でその土地に詳しい地元住民の生の声から、そこに伝わる歴史をうかがい知ることができるのもポイントだ。
名所だけでなく、そんな、自らが楽しみながら歩いて感じたことを、素直に綴った本書は、こう言うと失礼だが、見た目はそこらへんのオバチャンといった彼女ならではの、親近感が湧くばかり。そして大阪をよく知る写真家・太田順一さんが捉えた1枚1枚のスナップがまたいい。

筑摩書房
(2004・3・21 伊藤)

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「職人気質をひとつ」
小山 織 著

大量生産による安くて手に入れやすいモノに囲まれた現代の暮らし。そこにひとつ加わるだけでいつもの生活がぐんと温かくて心地よいものに変わるという、職人の手仕事が全部で27アイテム紹介されている。
そのいくつかを挙げると―。刷毛引きによる格子模様が入った手漉き和紙を木の檜のフレームに張り巡らせた「江戸からかみのあかり」、無駄なものを一切省いた用の美が毎日いただくお茶の時間をより豊かなものにしてくれる「銅の茶筒」、優しいフォルムにほどこされた手縫いのステッチが味わいのある「手縫いの革バッグ」などなど。リビングで、食卓で、よそおいの場面で、と生活のいろんなシーンで活躍してくれるものたちは、長く手元に置いて慈しんでいきたいものばかりだ。
同時に各アイテムを手がける職人さんの言葉からは、ちっとも気負いの感じられない素朴な、でもモノ作りにかけた強い意志が感じられ、これぞ日本人の心なりという思いを起こさせる。こんな素晴らしい手仕事はもちろん観賞用ではなく、使ってこそ生きてくるもの。私自身も、大切にする塗りの椀やちょっとしたアンティークものの類も、飾っているだけでなくどんどん使っている。そこからまた自分なりの味わいが加味され、もっともっと大切になっていくのだ。
生活を、そして心を豊かにしてくれるのはやっぱり人の手の温もりによって誕生したもの、ということなのだろう。

日本放送出版協会・1500円(税別)
(2004・3・21 伊藤)

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「サッカー移民」
加部 究 著

1993年のJリーグ発足以来、日本サッカーは世界的に見ても飛躍的な進化を遂げた。
その要因はさまざまだが、サッカー王国ブラジルからやって来た助っ人外人たちの存在を見過ごすことはできない。メジャーどころでは現日本代表監督であるジーコや、日本に帰化して代表に選ばれた三都主アレッサンドロがすぐに頭に浮かぶが、その裏には一般に知られていないブラジル人選手たちがたくさんいたことをこの本で知った。
日本サッカーが低迷していた70年代、ブラジルでは南米サッカーが花開き、その影響を受けた日系人たちのリーグが存在した。親世代が日本から移住し、子どもの頃からブラジルサッカーの洗礼を受けて育った日系二世たちのアマチュアリーグだ。ウィークデイは学生やサラリーマン、自営業の日系二世たちが、土日はいろんなアマチュアチームに参加し、草サッカー試合をする。アマチュアとはいえ、日系人リーグの優勝チームは当時の日本代表より確実に強かった。それほど日本サッカーは低迷し、ブラジルでは底辺まで裾野が広くレベルの高いサッカーが展開されていたのだ。
日本リーグのスカウト担当者が日系人リーグに目をつけたのは至極当然の流れで、そこからネルソン吉村さんやセルジオ越後さんら日本でプレイする日系人選手が誕生した。「日本人にサッカーは向かない」と真顔で語られていた時代、同じ体格の日系人選手のテクニックは人々に衝撃を与えた。やがて日系人に限らず、ブラジルでプロ契約していた選手たちが日本リーグに所属するようになり、Jリーグ誕生に至るサッカーの土壌を徐々に固めていく。
スポーツの強化といえば国や組織ぐるみの強化策が注目されるが、地球の反対側から単身やって来て、選手生命が終わった後は少年相手のサッカー教室をコツコツ続ける元選手たちが存在するーーその事実に感動した。
言葉はさっぱりわからない。食べ物は口に合わない。文化があまりにも違う。サッカー環境も劣悪・・・そんな状況下で日本に馴染み、日本に住みついた選手が少なくないことも、日本人として嬉しかった。
本書中に登場する多くのインタビュイーの中で、最も印象に残ったのは元ブラジル代表キャプテンで日本リーグの日産(現・横浜Fマリノス)で活躍したオスカーの言葉だ。 「俺たちは硬い肉を食べたよな。それからJリーグが始まって、ジーコやリネカーたちが柔らかい良質の肉を味わえたんだ」
硬い肉を食べる人間が存在して初めて、後に続く者が柔らかい肉にありつける。サッカーに限らず、全てに通じる真理だ。

双葉社・1800円(税別)
(2004・2・11 宇都宮)

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「ゲームの名は誘拐」
東野 圭吾 著

広告代理店の敏腕プロデューサー・佐久間は渾身の企画をクライアントの葛城につぶされてしまう。葛城を恨んで荒れる佐久間の前に、偶然に現れたのが家出した佐久間の娘・樹里。親から遺産を先取りしたいと言う樹里と佐久間の狂言誘拐ゲームが始まる。
2003年に公開された映画「g@me」の原作。しかし、映画の原作だから手に取ったというよりは、「犯人の側からのみ描かれる誘拐小説」という帯コピーにつられて読んだ。狂言誘拐自体はそんなに目新しいネタではないが、誘拐事件といえば被害者・警察側から描かれるのが普通。犯人側は人質という最強の切り札を手中にしているわけだから、事件を進める上では絶対有利のはず。ところが、この小説は犯人側の焦燥感を細かく描き、犯人が知り得ない事実も山ほどあることを教えてくれた。
そもそも私たちの一般常識では、誘拐罪は罪状が重いわりには成功例がほとんどなく、「割りに合わない犯罪」だ。そのため、いくら人質が狂言だからといっても、アタマの切れる主人公がわざわざ割りに合わない犯罪に手を染める動機が必要。その点、佐久間が葛城に対して恨みを抱いていく過程は充分納得できるし、誘拐事件以外にも佐久間と葛城の間に接点を設けていく設定もウマイ。狂言誘拐=ゲームだと佐久間に思わせ、ゲームへと彼を駆り立てていく前半の細工が見事だ。
しかしゲームにほぼ勝利した時点から、佐久間はなんともいえない不安に苛まれる。それと同時に、読む側もラストのオチの不安に苛まれるのだ。頼むからオチは●△×■○▼だなんてことはなしにしてくれよ、と内心祈るようなキモチで次ページを開き・・・が! 見事にやってくれた。私も見事にだまされた。そういうオチを用意していようとは・・・!
東野圭吾さんの小説は「名探偵の掟」と「白夜行」しか読んでないが、どちらも傑作だった。特に「白夜行」では類まれなる構成力も堪能させていただき、本作で「読んで失敗のない作家」という確信がますます深まった。

光文社・1600円(税別)
(2003・12・31 宇都宮)

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「『クビ!』論」
梅森 浩一 著

今、リストラの恐怖に晒されている人、漠然と不安感のある人、そしてリストラとは縁のない職場にいる人、とにかくすべての働く日本人にオススメしたい本である。
リストラに向き合っている人には実務上の参考になるだけでなく、「自分だけではないのだ」と心の慰めになる。漠然と不安を抱いている人には、将来のリストラに備える指南書となる。リストラと縁のない人にも、外資系企業とはどういうところか、今日本が向かいつつあるビジネス社会はどういう世界なのか、垣間見ることができる。
著者は外資系企業でキャリアを重ね、若干35歳で外資系銀行の人事部長に就任。1000人に及ぶ社員のリストラに携わってきた「クビ切りのスペシャリスト」である。
ある日突然人事部に呼び出された社員に、どのようにクビを宣告するか。抵抗する相手をどう説き伏せるか。社員がどのように抵抗すれば、リストラを回避できるか。具体的に「そのとき人事部長室でやりとりされる会話」を再現し、典型的ケースからレアケースまで要所を押さえて説明してくれる。
私自身、「もっと早くこの本を読んでいれば」と思う知識もあった。また、それまで遠くてよくわからない世界だった外資系企業が、ようやくリアル感を持って想像できるようになった。そういう意味では「外資系企業の実態入門書」としても価値が高い。ちなみにごく一部をご紹介すると…
著書曰く、「外資系企業でリストラを回避することは、ほぼ不可能」だ。企業は社員を納得させ、次の職場へ向かわせるための方策をあの手この手で用意している。クビを宣告した瞬間、日本人は涙を流したり情に訴えたり、ウェットな反応を示すが、外国人社員は実に現実的。雇用保険から本国に帰る航空券のグレードアップまで、詳細に渡って会社側と交渉する。そして、これまでのキャリアを活かし、次の職場を探すことに全精力を傾ける。
外資系企業と日本企業の比較文化論も興味深い。
個人的な結論を述べさせていただくと、私は日本企業に勤めることができてよかった。外資系企業はスペシャリストを育成する。人事なら人事、営業なら営業と、最初に選んだ職業から離れることは、これまでのキャリアを放棄することになる。ところが、日本企業はジェネラリストを育てようとする。人事から営業への異動も珍しくない。社員は働きながら自分の適性を発見し、広い視野を持つことができる。なにより、能力云々以前にドラスティックな考えについていけそうにない。
若い頃は男尊女卑の職場の空気やアフター5の宴会の強要、働きの悪い年配社員にアタマにきたこともあった。が、今「外資か日本企業か、どちらか選べ」と迫られれば、選ぶのはおそらく日本企業。トシのせいなのか、経験から学んだためか、それとも骨の髄まで日本人なのか。自分の仕事人生を改めて見つめなおすきっかけにもなった。

朝日新聞社・1200円(税別)
(2003・10・24 宇都宮)

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「家族」
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 著

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会が初めて編纂した、それぞれの家族の物語。2002年10月に帰国を果たした5人の被害者の家族はもちろん、北朝鮮から「死亡」と連絡された被害者たちの家族7組の拉致前後の様子や、救出活動のいきさつがよくわかる。
本の構成は、2人の男性ライターが家族に取材を繰り返し、三人称で語るかたちをとっている。読み進むにつれ、取材に相当な時間をかけ、家族による綿密なチェックが繰り返された様子がひたひたと伝わってくる。1人の被害者には当然のことながら、2人の親がいる。兄弟姉妹も6人兄弟だったり8人兄弟だったり、現在の平均より多い人がほとんどだ。両親だけでなく、救出活動の中心になった兄弟にも何度も取材を行った形跡が文中から窺えた。
この問題に対し、政治家がいかにいい加減で無責任だったか、世間がいかに無関心だったかは、蓮池透さん著「奪還」でも実感していたが、さらにその確信が深まった。冷たい世間の対応にもめげず、救出を訴え続けた家族の愛情には改めて感動する。20数年という月日は長い。たとえ細々とでも活動を続けてきたから(残念ながら被害者の一部ではあるが)5人を取り戻せたのだと思う。
本書の中で特に印象に残ったのは、寺越昭二さん・外雄さん・武志さんのケースだ。日本海に出漁中に北朝鮮に拉致された3人は叔父と甥の間柄。漁村を挙げての捜索活動でも発見されず、葬式も済ませた3人だが、20年近くたってから北朝鮮より武志さんの手紙が届く。手紙は寺越家の人々に思わぬ事態を招いた。「漂流中を救出され、北朝鮮で幸せに暮らしている」という手紙の内容を、信じる者・信じない者に家族は分断。武志さんの母・友枝さんは最も熱心に東奔西走し、武志さんを訪ねて10数回も北朝鮮を訪問する。やがて武志さんは39年ぶりに一時帰国。「朝鮮労働党平壌市委員会副委員長」としての帰国は、行方不明の真相に遠い、欺瞞に満ちたニュアンスで報道された。武志さんは今だに真相を語ろうとせず、母の友枝さんも息子の言葉を信じている。一方、故・昭二さんの息子たちは脱北者・安明進氏の証言から「父は拉致当時に殺された」と疑い、家族会に参加。武志さん・友枝さんとは相容れない関係になってしまった。
息子可愛さに奔走する母の心情もわかるし、真相を知りたい息子たちの気持ちもわかる。最も報道される時間が少ないこの家族に、北朝鮮の国家犯罪がひとつの家族をズタズタにした典型例があったわけだ。それにしても書き手のスタンスが難しいこのケース、失礼ながらライターの苦労が忍ばれた。

光文社・1524円(税別)
(2003・10・13 宇都宮)

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「理由」
宮部みゆき 著

今や「国民的作家」とまで評される宮部みゆきさん。彼女の数年前のベストセラーを読んだ。
東京都心の超高層高級マンションで、一家4人皆殺し事件が起きる。被害者の身元はすぐ判明するものと誰もが思ったが、殺された4人は管理人すら把握していない人々だった。彼らはいったいどこの誰で、なぜ他人のマンションで暮らし、誰によって殺されたのか? 
本書の目新しい点は、マンションの部屋で殺されているのだから、当然被害者はマンションの住人だろうという先入観を打ち破ったこと。タネを明かせば、ローン返済が滞ったマンション名義人が計画的に夜逃げをし、「占有屋」と呼ばれる人たちを代わりに住まわせたことが発端なのだが、都心の高層マンションで近所づきあいがないため、住人の入れ替わりに誰も気づかない。
構成も目新しい。本書はミステリーの分野に属するが、いわゆる推理小説ではない。探偵役の人物も登場しないし、謎解きもない。ストーリーは事件が全面解決した後で、ルポライターが取材相手にインタビューするかたちで進行する。だから読者にも「もうおわかりでしょう」といった調子で、あっさりと犯人が判明してしまう。
しかし、これだけドラマティックな要素を盛り込まずに淡々と事件を描いて、なおかつ最後まで一気に読ませる面白さはいったい何なのか? 考えたのだが、宮部小説の面白さはやはり登場人物のリアルさにあるのではないか。数多くの人物が登場するが、ひとりひとりが息をして、日本のどこかで本当に暮らしているかのよう。つまり、紙背に登場人物の体温を感じる小説なのだ。
たとえば、私も都会の高層マンション住まいだが、隣近所とのつきあいがほとんどない。隣の住人が入れ替わっても、表札が変わらない限り数ヶ月は気づかないだろう。だからこそ、事件の設定も管理人の驚きもリアルに受け取れる。また、見栄を張って高級マンションを購入したものの、長引く不況でローン返済に行き詰まった家族のディテールも現代的。この、どこにでもいそうな一家の人物描写が特に秀逸だ。
要するに、宮部小説に登場する設定・人物はみな現代社会の縮図。これもまた、宮部さんが「国民的作家」と呼ばれる所以だろう。

朝日新聞社・1800円(税別)
(2003・8・29 宇都宮)

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「ニッポン人には日本が足りない。」BR> 藤 ジニー 著

公共広告機構のCMで一躍有名になった銀山温泉のアメリカ人女将・藤ジニーさんの自伝。
金髪女性が和服を着こなし、古びた温泉町で活躍する様子を描いたCMを初めて見たとき、正直度肝を抜かれた。東北地方の山間部の老舗温泉旅館に嫁ぐということは、日本人女性にとっても相当な覚悟を要する。そんな旅館女将の仕事を、子どもの頃から自由な気風と自己主張を叩き込まれたアメリカ人女性がこなしているのだ。本書は、ひとりのアメリカ人女性が一人前の女将になるまでの様子を、ジニーさんの語りで綴られている。
ジニーさんが山形で暮らしはじめたのは、派遣指導教師助手の仕事で2年間の赴任を命じられたため。日本文化に興味を持ち、京都や奈良を夢みていた彼女にとっても、「YAMAGATA」は未知の土地。そんな山形での生活に慣れた頃、スキー場で出会った藤旅館の跡取り息子に恋をし、人生が大きく変わった。周囲の驚きをよそに1991年に結婚。今年で女将業13年目になる。
全体を通じて最も驚き感心したのは、やはりジニーさんの適応能力だろうか。言葉の異なる異文化の国でひとり暮らしをするだけでも、普通の人ならかなり参る。ジニーさんがたまたま嫁いだ老舗旅館は、いうなれば日本文化の一大集合体。生活面の衣食住だけでなく、着物の着付けや華道・茶道の心得、郷土料理や歴史風土の知識など、学ぶことに際限がない。
胃の上を締め付けられる着物は最初は苦しくてしかたなかったこと。日本料理の美味しさはわかるが、作るのはやっぱり苦手であること。旅館での公私の区別のない生活がたまらなく辛かったこと。・・・そんな日本女性にもよくわかる苦労を乗り越えて、なおかつ自分流を貫こうとするアメリカ女性の気概がキモチいい。旅館経営の立場から自らがアメリカ人であることを積極的に利用している点も、合理的でわかりやすい。おかげで藤旅館は日本中から客が訪れ、大繁盛なのだという。
私がジニーさんの立場なら結婚当初は不安だらけだろうし、頼りにできるのはやはり夫しかいない。ジニーさんも同じだったようだが、本書によると「夫は結婚すると豹変した」。結婚した途端につきあいの酒席で毎晩の帰宅が午前3〜4時。新婚当初からほったらかしにされたジニーさんは、夫の両親と一緒にTVを見て夜を過ごしたという。釣った魚にエサをやらない日本人男性の典型的悪例で、同じ日本人として本当に恥ずかしい。ジニーさんも耐え切れずにアメリカまで家出したこともあったとか。ちなみに写真で拝見する限り、ジニーさんの夫はなかなかのハンサムで、どうやら最初に惚れたのはジニーさんのようだ。
見るからに苦労が多そうなこの結婚も、結婚するまではまだカンタン。やはり結婚後の生活が、よきにつけ悪しきにつけ「話せば長い」物語になりそうだ。

日本文芸社・1200円(税別)
(2003・8・26 宇都宮)

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「人生百年 私の工夫」
日野原 重明 著

90歳を過ぎてなお現役の医師として活躍されている聖路加国際病院理事長・同名誉院長の日野原重明さんは、売れっ子作家顔負けの著述活動でも知られている。新聞の書籍広告で名前を見かけるたびに、「売れる理由はなんだろう?」とフシギに思っていたが、1冊読んで理由がわかった。
本書を一読すると、「60歳」を人生の折り返し地点として捉えられている。一般的な日本企業の定年が60歳であることから、ひと昔前までは60歳=隠居老人だった。ところが、日野原さんは60歳からが新しい人生のスタートだと訴える。人生80年時代、老け込んで余生を過ごすには長すぎる。むしろ60歳を中年真っ只中と考えよう。新たな仕事につくもよし、ボランティアに精を出すもよし、趣味に生きるもよし。とにかく今まで走りつづけてきた疲れを癒しながら、人生を楽しもうというのだ。
定年後をアクティブに過ごす提言はこれまでにもあったが、「現代の60歳は中年だ」と現役医師が言い切る著書はほとんどなかったのではないか。90代にして日本全国を講演会で飛び回っている著者が言うのだから、余計真実味が増すというものだ。おまけに語り口調のような文章がやさしくて、読んでいて癒される。40代の私が「なんだかホッとした」「もっと読みたい」と思うのだから、老後の不安に怯える60代が次から次へと日野原さんの著書を手に取る気持ちがよくわかる。ベストセラーになるはずである。
ちなみに、私たち夫婦は60代以降の人生を楽しみにしている。特に、休日返上の激務に喘ぐ夫は、「年金生活で毎日釣りをしながら遊び暮らしたい」が口癖だ。20年後、果たして暮らしていけるだけの年金額が貰えるのか、夫は毎日遊び暮らして飽きないのか、夫婦ともそれなりに健康でいられるのか、なってみないとわからないが、日野原さんの著書を読むと「60代以降も悪くない」と思わせてくれる。

幻冬舎・1200円(税別)
(2003・7・30 宇都宮)

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「奪還 〜引き裂かれた二十四年」
蓮池 透 著

北朝鮮による日本人拉致問題は、昨年もっとも日本人の関心を惹きつけた事件だった。北朝鮮によって拉致された日本人が20数年ぶりに故国に帰還した映像は、この信じ難い事件が事実であること、20数年という月日が本当に経過したことを私たちに思い知らせた。もちろん、拉致問題はまだまだ解決の端緒についたばかりで、帰国した5人の拉致被害者の家族の問題も解決していないし、他の死亡宣告された被害者たちの生死の真偽も確認が進んでいない。そんな状況の中、「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会事務局長・蓮池透さんの手になる本書は、拉致問題がいかに遅々として解決に進まないものであるかを痛感させられる内容だ。
24年前、弟の薫さんが恋人の祐木子さんと忽然と姿を消してから、蓮池さん一家の闘いが始まった。通常の家出人捜索扱いでなにもしてくれない警察に頼るのをあきらめ、家族は写真片手に聞き込みを始めたが、一片の手がかりも得られない。やがて87年の大韓航空機爆破事件で拉致が確定的となり、97年の亡命工作員による横田めぐみさん拉致情報を受けて、初めて拉致被害者の家族が一堂に集まった。      
捜索活動に決定的な契機を与えたのが、拉致被害者家族連絡会の結成だ。ひとりひとりが声を挙げても国にも自治体にもマスコミにも相手にされなかったが、家族連絡会として登場すると俄然マスコミの注目が集まりはじめた。一方、著者たち家族連絡会は国だけでなく、自治体の議会にも陳情や働きかけを繰り返していたという。数年前は相手にもしてくれなかった議員が、薫さんの帰国後はまるで旧知の仲のように歩み寄って来、著者の背筋が寒くなったという下りには、読んでいる私も背筋が寒くなった。これだけ長期間に渡り無為な努力を重ねさせられてきたことを思えば、北朝鮮を「無法国家」、日本を「無能国家」と呼ぶ気持ちも痛いほどわかる。
結局私たちは、世論が動かないと自国民も守らない国の国民なのだ。そして、これだけ世論が動いたのは、家族を突然奪われて嘆き悲しむ親たちの声に、見る人が心を動かされたからだ。私も何度も想像した。もし自分が拉致されていたら・・・? この身の不幸を嘆き、いっそ死んでしまいたいと思うだろう。もし弟や妹が拉致されていたら・・・? 取り戻す活動を地道に続けるだろうが、暗中模索の毎日にやはり絶望的な気分になるだろう。
著者の語り口は淡々としていて、むしろ男兄弟特有の距離感すら感じる。北朝鮮に残してきた子どもたちのことを思い、なかなか本音をしゃべれない被害者たちへの配慮もあるだろう。ひょっとしたら、弟が手の届くところに帰ってきたのに心はまだどこか遠くにある感覚なのかもしれない。
余談だが、実名で登場する政治家たちのエピソードが興味深い。政治家の資質は案外こんなところに正直に現れるのだろう。読み終えた後、日本には真の政治家がいないのか? と暗澹たる気持ちになるが。

新潮社・1300円(税別)
(2003・6・26 宇都宮)

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「小美代姐さん花乱万丈」
 群 ようこ 著

激動の時代を駆け抜けた、花柳界の人気芸者の波瀾万丈な半世紀を書き下ろした小説。
きれいで華やかな世界に憧れて自ら芸者となり、持ち前の明るさと達者な芸で一躍売れっ子となった主人公、美代子。まさに天職として活躍するが、戦争のために花柳界は衰退し、とうとう閉鎖。その後、結婚するも幸せは長く続かず、病気がちの両親と幼い子ども二人を抱え、果ては借金を背負うことに・・・。でもこんな辛いことでさえ、そのチャーミングな性格ゆえか、すべてがコミカルなエピソードになってしまうのがなんとも面白い。
実はこの主人公は、群ようこの三味線のお師匠さんなのである。練習の合間に聞く先生の経験談がそのままネタになるくらい面白いと思っていたところに、今回の本づくりの話がまとまりインタビューを開始。2年を費やしてようやく1冊になったという。だから物語はすべて実話。横田大観画伯の前で調子に乗って富士山を描いてしまったり、質の悪い客が素足の指に盃を挟んで「1杯飲めよ」と言ったのに対し、自分も足袋を脱いでニッコリ笑いながら「偏平足なので挟んでいただけますか」と返し、相手に「おめえ、怖い」とびっくりされる話などが次から次に出てくるが、どれもこれ本当?と思えるくらいにユニークである。
芸者というと、艶っぽい、もしくは貧しさのために売られた可哀想な女性というイメージがあるが、美代子はそのどれにも当てはまらない。サバサバしていて太っ腹で、でも情が深く、そして何にも増して芸1本で身を立ててきた度胸と自負がある。小説は50代のところで終わっているが、78歳の今も現役で三味線を手にしている彼女。その生き方は実に格好いい。

 集英社・1400円(税別)
(2003・7・4 伊藤)

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「負けてたまるか 〜肺ガン刑事の長生き闘病記」
腰原 常雄 著

著者は元神奈川県警捜査一課長。敏腕刑事として仕事一筋に邁進していた42歳のとき、職場の検診で、肺に黒い影が発見される。医者の診断は「手術しなければ3年、しても5年の命」。思いも寄らない宣告に著者はガンノイローゼ状態になり、仕事へと逃避した。しかし3年後、ついに覚悟を決めて片肺切除手術を受ける。以来5度の入院、7度の手術を繰り返しながら、刑事職に復職。病院通いとは片時も縁が切れない状態で、捜査一課長、横浜市内の署長と昇進を続けて退職。現在、71歳という。
退職後に綴った自分史が賞を受け、今回の出版につながったという。ベストセラー作家の作品でもなく、特に宣伝されたわけでもない本書を世に広めたのは朝日新聞の天声人語。私も天声人語で本書の存在を知り、30年間に渡って肺ガンと闘い続けた刑事のことが知りたくなったクチだ。
著者が最初に入院したのは昭和40年代。肺の影がガンと確定できないまま、結核病棟に数ヶ月間送り込まれたという。本書に描かれた当時の結核病棟の様子は、患者の権利や尊厳などどこにも見当たらず、医療の理想と現実の差に慄然とする。
病との闘いに立ち向かう活力源となったのは仕事への執着心だ。親友と信じていた同僚から退職勧告を受けたことが「あと3年」の余命宣告より辛かったと綴る彼は、骨の髄まで刑事。手術の後遺症で声を失い、刑事として役に立たない日々が病院での闘病より辛かったのも頷ける。後日、中国鍼の治療でしわがれ声が少し戻り、第一線へと復帰する足がかりになった。
「あきらめなければ、奇跡は必ず起きる」
何度も文中で繰り返されるこのフレーズに、現在闘病中の人々やその家族がどんなに励まされることだろう。「あと3年」と宣告されたにもかかわらず30年間生きた人が言うのだから、説得力が違う。人間、精神力だ。現在闘病中でなくても、生きる目標を持つ大切さを教えられた思いだ。

二見書房・1500円(税別)
(2003・6・16 宇都宮)

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「ラッキーマン」
マイケル・J・フォックス 著
入江 真佐子 訳

80年代後半から90年代初めにかけてコメディ映画で一世を風靡した役者が、突然スクリーンから姿を消した。多くの人々が抱いた「なぜ?」という疑問は数年前に小さな新聞記事で解けた。30そこそこの若さでパーキンソン病という難病に冒されたのだという。役者の童顔とパーキンソン病のイメージがどうにも重ならない私のような人も多いと思うが、本書には病の進行の様子が克明に綴られている。
マイケル・J・フォックスがパーキンソン病の最初の徴候である手のふるえを感じたのは91年。映画の撮影中のことだった。その後7年間、病気を隠しながらテレビの仕事を続け、98年にカミングアウトするまでの心の葛藤は想像を絶する。60〜70代で発症するケースが多いパーキンソン病に30歳・役者としてキャリアの絶頂に立っていたときに罹病したことも含めて、マイケルは「それはとてもラッキーなこと」だという。妻や子どもたち、親、兄弟、友人など周囲の人々の支えがあり、病気に前向きに立ち向かえる自分はラッキーマンだと語る下りに感動した。
カナダ西部で生まれ育った少年時代のこと、ハリウッドでの下積み時代、TVシリーズ「ファミリータイズ」で全米の人気者になり、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで世界中にその名を知られるスターになったこと、ハリウッドスターならではの"びっくりハウス"のような毎日など、闘病以外のエピソードも興味深い。
私はマイケル・J・フォックスと同世代なので、彼の人生がそのまま自分の人生に重なるような気がする(彼自身、ファンからそう言われることが多いらしい)。86年お正月公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、結婚前の夫と映画館で見た。90年に初めてニューヨーク旅行したときは、タイムズスクエアで「ハード・ウェイ」の撮影現場に出くわした。本書によると、当時の彼は自分の将来への不安におののいていたという。いつまでこの人気が続くのか。いつまでスターでいられるのか。成功した者のみが味わう痛烈なプレッシャーに脅かされながら、次から次へとオファーに飛びついた挙句の「ハード・ウェイ」は完全な失敗作だったと振り返る。このあたりの正直な告白にも心が動いた。
もう10年以上、彼の姿をスクリーンで見ていないが、映画俳優以外の道でも常にラッキーマンであってほしい。彼だけでなく世界中のパーキンソン病患者のためにも、1日も早く特効薬が生まれることを祈らずにはいられない。

ソフトバンクパブリッシング・1600円(税別)
(2003・5・30 宇都宮)

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「アースシーの風 ゲド戦記X」
アーシュラ・K・ル=グイン 著
清水 真砂子 訳

ファンタジーの傑作として知られるシリーズの最新作。四半世紀前に出版された3部作で完結したものと思っていたが、数年前に第4部「帰還」が書き下ろされ、今年本書が出版された。
主人公の魔法使いゲドが生まれ故郷のゴントに隠居して数年。アースシー世界に竜が現れ、新たな危機の予感が走る。レバンネン王は竜との話し合いを持つべく、ゲドに使いをやるが、ゲドは自ら動かず、妻のテナーと養女のテハヌーを王のもとへと遣わす。テハヌーは竜の言葉=太古の言葉を生まれながらに話すことができた。
著者の筆力はあのSFの名作「闇の左手」でも堪能済みだが、死者の世界を描くときにあますところなく楽しめる。にしても、アースシー世界の創造の逸話や竜の存在、死者の国のありようなど、哲学的に語られ過ぎてファンタジーとしては難解だ。それでも最後まで面白く読ませてしまうのは、シーンごとの情景の豊かさ・ストーリーの意外性がなせるワザか。
25年前、初めてゲド戦記を読んだときには、ゲドが黒い肌の持ち主であることにも気づかなかった。数年前に読み返す機会があり、相変わらずの面白さだったが、なぜかストーリーが記憶に残らない。これも間接表現が多く、難解で淡々とした描写のせいか。本書を読んで、やっとアースシー世界全体のなりたちが少しわかった。西の島々には竜が住み、東の島々には白い肌の人々が住み、世界の中心を黒い肌の人々と魔法使いが統べる多島海。ひょっとして、最終巻を読み終えたときがゲド戦記のスタートではないか。ここからもう1度、第1部から読み返すことで、私のような不肖の読者は初めてゲド戦記の世界が理解できるのではないだろうか。

岩波書店・1800円
(2003・5・12 宇都宮)

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「プレイ坊主 〜松本人志の人生相談」
松本 人志 著

新聞や雑誌の人生相談コーナーを読むのが好きだ。読者からの質問内容にはその人の人生が透けて見えるものもあるし、質問がつまらなくても答える側の人生経験や洞察力、社会に対する知識が深ければ、回答に読み応えが出るのがいい。
本書はダウンタウンの松ちゃんが週刊プレイボーイ誌に2000年5月から1年半に渡って連載した人生相談コーナーを単行本にしたもの。若い読者をターゲットにした娯楽性の強い雑誌が媒体だし、松ちゃんはお笑い芸人だ。クソまじめに作っても面白くないという配慮か、質問69問中19問が下ネタというページ構成。下ネタ以外の質問も「松本さんは『パールハーバー』をどう思われますか?」といった人生相談とはほど遠い内容だ。本当に深刻な悩みはほとんどない。つまり、芸人・松本人志になにか「お題」を与えて、松ちゃんの価値観を思いっきり発露してもらおうという本なのだ。
そのため、回答も松ちゃんが原稿を書いたわけでは決してなく、編集者かライターが松ちゃんに質問を投げかけ、その場で答えてもらったものをしゃべり口調で原稿にしている。まあ、こういう手法もあるんだな、という感じだ。
それにしても、こうした手法でも松ちゃんの人となりがある程度見えてくるから、人生相談はオソロシイ。お笑いに関しては真剣。女性に関しては「理想の女はまだヤッてない女」がモットーだけあって、結婚には明らかに向いてない。外出するにも他人の目を常に気にし、人しれず気をつかうあたりは繊細な人だと思う。「自由気ままに行動できた時代は金がない。金が手に入ると、好きなときに好きな場所に行ける自由がない。世の中うまくできている」と何度も繰り返すあたりは、思わず同情してしまった。
「8割は真剣に答え、残り2割は『おまえの人生なんか知らんがな』と考えるのがスタンス」という点もごもっとも。8割真剣に答えてあげられればたいしたものだ。大体いくら相談に乗ったところで、本人が自分の人生を変える気がなければ、相談効果など上がるわけがない。グチを聞かされて終わるだけである。

集英社・1100円(税別)
(2003・4・21 宇都宮)

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「ホビットの冒険」
J.R.R.トールキン 著
瀬田 貞二 訳

30年ぶりに「ホビットの冒険」を読み返した。古い読者なら誰もが知る「指輪物語」の前日譚である。
昨年から映画「ロード・オブ・ザ・リング」が大ブレイクし、書店には必ずコーナーが設けられているほど。その昔、夢中で読んだ読者のひとりとして、思わず関連本を手にとって眺めることが少なくない。しかし、どうせ読み返すなら「ホビットの冒険」から始めるのが順序というものだ。映画3部作で人々の争いの焦点となる指輪が、なぜホビットの手に渡ったのか。これを読めば一部始終が書いてある。
「ハリー・ポッター」に欠けているのは「指輪物語」のような物語世界の構築だ、とよく指摘される。確かに「指輪物語」の世界は壮大だ。それは「ホビットの冒険」にも垣間見える。ホビットと呼ばれる小人族、ドワーフ、エルフ、人間、魔法使い、ゴブリン、トロルなど、次から次へと登場する種族の多彩さでも圧倒される。
主人公は平和なホビット庄を離れて霧ふり山脈を越え、やみの森のかなたへと旅をするが、「指輪物語」の舞台設定はさらに広い。広大なやみの森も世界のごく一部。人間の王国があり、闇の帝王の国があり、海があり、海のかなたには永遠の命を約束する土地がある。そんな丁寧な世界造形が、読む者をより深く物語の中へと引きずり込むのかもしれない。
トールキンが亡くなって30年。「ホビットの冒険」が出版されて50年近く。瀬田貞二さんの訳本は子どもの頃山ほど読んだが、今読み返すとさすがに文体が古い。内容もかなり想像力を要する。しかし、1度物語世界に足を踏み入れれば、あとはトールキンの圧倒的な情景描写に心を奪われる。実際、30年ぶりに読んだ後も、私はホビットと食卓を囲み、荒地を旅する気分になれたのだから。

岩波書店
(2003・4・15 宇都宮)

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「トクする女」
 みちづれのススメ

わかぎゑふ 著

著者のわかぎゑふさんは、劇団「リリパットアーミーII」の座長で数多くのエッセイでも有名。
この本には、『婦人公論』に連載された彼女のエッセイがまとめられている。
子供の頃から個人主義だったという彼女が、大人になって他人との交流に頭を打ちながら次第に分かってきたこと、それは他人とみちづれることは楽しいということだった。
「みちづれ道」における約束事は、一人でも十分やっていける大人同士が集まることである。と、この本では書いておられるが、一人でも十分やっていけるということころが、ミソであろう。
いろいろ難しいこともあるだろうが、大人になれば、できるだけ自分である程度の金を稼ぐことができ、自分の身の回りのことはへたでも一通りはできるというのが男女を問わず必要なのではないかと思う。お金を稼ぐと言うことはそう簡単なことではないし、洗濯や掃除、料理などの身の回りのことも、生きていくためには誰かが必ずしなければならないことだから。両方やってみてこそ、人の立場も分かるというものだろう。
この本は、大阪のおかしさを書いてある本でもある。大阪生まれ大阪育ちで一時東京に住んだことのある彼女ならではの観点から見た大阪のおかしさなのである。
大阪で生まれ、大阪で育ち、大阪以外には住んだことがない私から見ると、別にアホなこととも感じていないことがアホなことなんだと分かっておもしろかった。

中央公論新社・1450円(税別)
(2003・4・5 森)

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加藤シズエ 凛として生きる
   104歳の人生が遺したもの
加藤シズエ 加藤タキ 著

元国会議員の加藤シズエさんの103歳の誕生日から最晩年を綴ったもの。執筆は娘のタキさん。彼女はシズエさんが48歳の時に生まれた子供だ。もうそれだけで、加藤シズエという人は並々ならぬ人だという気がする。再婚後で初産ではないとはいっても、48歳で子供を産むということは現代でも難しい。
加藤シズエさんは17歳で男爵夫人となり、その後産児制限などの運動をし、離婚後、再婚。104歳で2001年に亡くなられた。その介護の記録である。
かつては使命感に燃えた優秀で理性的な女性でも、やはり晩年はがんに苦しみ痴呆の症状が出て娘のことが分からなくなることがあったようだ。
しかしこんなに濃い人生を長くおくることができた女性がいたというのは、ただただ驚くばかりだ。
「人間にはその人なりの使命というものが必ずあるのです。……私は若いときから使命感を持つことができたために、いまこうして老いの重みにどうにか耐えていくことができるのです」と102歳の時に語られたとのことだが、その使命のために活動することが自分自身をも高めて、長く元気でいられる原動力になるのだろう。
私自身の使命についても、もうちょっと考えなければと、この本を読んで思った。

大和書房・1700円(税別)
(2003・4・5 森)

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嘘つき男と泣き虫女
アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ 著
藤井 留美 訳

ベストセラー「話を聞かない男、地図が読めない女」の続編。前作は全世界で600万部を売り上げ、なんとそのうち200万部が日本で売れたという。男脳と女脳の違いに戸惑う日本人がなぜこんなに多いのか。著者はその原因を戦後一気に女性の社会進出が進んだためと分析する。そんなお得意さまの日本社会分析も前作より増えて、ますます面白い内容だ。
前作は男と女の違いを脳の違いと説明することにかなりのページを割いていたが、今回は「なぜ男は嘘をつくのか?」「なぜ女はすぐに泣くのか?」といったテーマから、異性にアピールするためのポイント説明まで、より実践的な構成になっている。セックスアピール度テストもなかなか楽しめた。
女はただ話を聞いてほしいだけなのに、男は本能的に問題解決しようとしてケンカになるパターンなど、私も身に覚えがあり過ぎるほど。それも脳の構造の違いだとわかっていれば、ムダなケンカや誤解が避けられるというものだ。女性の部下が理解できない男性上司、恋人の心が読めずに悩んでいる女性にオススメしたい。
それにしても、世の中の女性はこんなに男の嘘に悩んでいたのか。私の場合、バカ正直な夫を持ってしまったので、男の嘘に悩んだことがない。・・・てなことを書くと、「それが騙されてるんだ」と指摘されそうだが。

主婦の友社・1600円(税別)
(2003・4・1 宇都宮)

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「金持ち父さんの子供はみんな天才 
ロバート・キヨサキ/シャロン・レクター著 白根美保子訳

「金持ち父さん 貧乏父さん」がベストセラーとなった投資家ロバート・キヨサキの第4弾。副題につけられた―親だからできるお金の教育―のタイトル通り、子どもにお金に関する知識や技能を学ばせることがいかに大切かが、大人が手助けしてやれる具体的な方法とともにまとめられていてとても参考になった。
ただ、友人の話として紹介されていた14歳の少年が投資信託を買ったりちょっとしたアイデアでビジネを始めたりするといった話など、アメリカでの例がそのまま日本に当てはまるかといえば疑問だが、親が管理するばかりでなく、子どもがマネーリテラシー(お金を読み解く力)を身に付けるという考えにはおおいに賛成できた。
自分自身を振り返ってみれば、お金について教育を受けたことは学校でも家庭でもほとんどなかったように思う。幸いなことに金銭トラブルに合ったことはないが、それでも小さいうちから節約したり貯蓄する自己管理も含めた、生きたお金の使い方を学ぶに越したことはない。そうすれば、若者のカード破産なんて問題も回避できるだろう。
もうひとつ心に残ったのが、学校教育に対する考えである。著者は子どものころ、「今だったら注意欠陥障害(ADD)のレッテルを貼られていただろう」と自ら言うように、授業に神経を集中していられる時間が極端に短く、興味もあまり持てなかった。ところが、ハワイ州の教育局長も務めた彼の父親は子どもそれぞれの独自の才能と学習方法を見つけることが大切だという信念の持ち主で、そのおかげで彼はずっと学習意欲を保つことができたのだという。そしてこれが本書のもうひとつのテーマとなっている。教育を意味するeducationという英語はラテン語で「引き出す」という意味のeducareからきているそうだが、日本の教育現場を考えると人事ではない。

筑摩書房・1900円(税別)
(2003・3・5 伊藤)

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「夫と妻のための新・専業主婦論争」<
中公新書ラクレ編集部 編

この2,3年、専業主婦を巡る論争が再び活発化しているらしい。新聞や雑誌、新刊書などで発表された各界の論説・対談などを集めた構成で、いろんな意見を知ることができ、とても興味深い内容だった。
石原里紗さんの著書「くたばれ専業主婦」の抜粋を掲載する一方、イギリスの専業主婦ブームのリポートや専業主婦への憧れを綴った漫画家みつはしちかこさんのエッセイも掲載し、バランスの取れた構成にすべく編集部がアタマを絞った様子が伺える。朝日新聞に掲載された小倉千加子さんの論説「専業主婦は国家の犠牲者である」もきちんと押さえてあり、私個人的には納得の内容だ。
中でも、いちばん心に残ったのは、山田昌弘氏の「専業主婦の歴史的役割は終わったか」(初出・「文藝春秋」2001年2月号)。専業主婦は国策で生まれ、高度成長期に最も機能したが、これからの社会では衰退していくだろうという論説。なぜなら、専業主婦は「職業ではなく、立場だから」。夫の収入が右肩上がりの時代には有効に機能する装置だが、右肩上がりが期待できない時代には、「よほど余裕のある家庭か、無能な女性しかなれない立場」だと断じている。
専業主婦ばかりではない。同じ論説の中で、低収入パート職の主婦やパラサイト・シングルにも未来はないと論じられており、これだけ読んでいると日本の未来はどうなるのかと心配ばかり募る。
主婦が仕事を持つかどうかの選択やパラサイト・シングルの増加は、少子化問題と密接に結びついている。今こうしている間にも、日本社会は世界史に例を見ない勢いで高齢化が進んでおり、なにか打てる手はないのかと焦りを禁じえない。やがて、高齢者と子ども以外はみな働かないと社会が円滑に機能しない時代が来るのかもしれない。

中央公論新社・720円(税別)
(2003・2・17 宇都宮)

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「女優の夜」
荻野目慶子 著

女優の荻野目慶子が深作欣二監督との不倫を告白し、昨年話題になった著書。ワイドショーでの扱われ方からして低俗な暴露本かと思いきや、意外にも女優としての生き方や恋人への心情、仕事にかける情熱を真摯に語った内容で、読み応えがあった。同じ芸能人の告白本でも、郷ひろみの「ダディ」より余程いい。
荻野目慶子といえば、恋人の映画監督に自宅で縊死された事件が思い出される。本書の半分が、故河合監督との出会いや同棲生活を語ることに費やされ、彼女の中で(そして世間一般でも)亡き監督の自殺が女優としても一人の女性としても大きく尾を引く事件だったことを改めて認識させられた。しかし、30代後半の元TVマンが映画監督へと転身し、結果的に失敗し、家庭も仕事も失っていく過程を受け止めるには、22歳の女性では手に余る。女性のマンションで首吊り自殺という悲劇的な最期も、相手の女優生命を考えて踏みとどまるのが大人というものではないだろうか。二人にしかわからない事情は山ほどあったと思うが、男性の才能に惚れて、その才能にキャリアを踏みにじられた哀しさが先に立つ。
深作欣二監督との不倫告白も、監督のガン告白後で衝撃的だった。深作監督の偉大さは逝去後に語られたエピソードからもひしひしと感じているが、葬儀に出席できず供花もできない愛人の立場というのはつくづく切ない(妻の立場に立てば許せない関係だが)。深作監督の葬儀参列者のコメントに「つまらない女にひっかかって・・・」とあったのを新聞記事の片隅に見つけたが、「つまらない女」って荻野目慶子のこと? 本書に描かれたことがすべて真実だとすれば決して「つまらない女」とは思わないが、直接自分の目で確かめる術を持たない私たち一般読者にとって、真相は藪の中だ。

幻冬舎・1400円(税別)
(2003・2・5 宇都宮)

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「コスメティック」
林真理子 著

広告代理店に勤める沙美は、ある偶然から外資系化粧品会社のPR担当にスカウトされる。30代を迎え、仕事でもうひと花咲かせたい彼女にとって、化粧品会社のPR担当は魅力的な職種。思い切って化粧品業界に飛び込んだ彼女の前に、次々と試練が待ち構えていた。多忙な日々に振り回されながらも、沙美はいつのまにか仕事に夢中になっている自分に気づき・・・
久々に面白い小説を読んだ。
まず化粧品業界の内幕が面白い。化粧品会社のPR担当とはこういう仕事をするのか、という新鮮な驚きがあった。成功もあれば失敗もあり、そのひとつひとつに責任と評価がつきまとうことも、読み進むにつれて実感させられる。主人公とともに、読者もPR担当の仕事を学び、奮闘する気分になるのは、ひとえに林真理子さんの筆力によるものだと思う。
もちろん仕事だけでなく恋愛もシュールに描かれる。タイプの違った3人の男が登場し、その誰とも世間一般でいう「幸せ」な結末を迎えないのは、「仕事と寝る女」の真骨頂。そう、仕事って面白いのだ。「面白い仕事なんて世の中にないわ」と心密かに考えているOLたちに、沙美のキモチがわかるだろうか? ひょっとしたら「どうしてエリートの恋人と結婚しないの?」という疑問しか残らないかもしれない。しかし、林真理子さんもあとがきにしっかり書いている。「こういう男(エリートの意)と結婚生活を続けていけるのも、確かにひとつの才能なのだ」と。
女性の生き方の選択肢が増えた今、仕事も恋愛も成就させたい女性は今後も増えていくだろう。しかし世間一般には、カンタンに結婚・出産退職する女性がまだまだ多いように思う。沙美のように、人生の岐路を真剣に考える女性が増えてほしい。なぜなら、よりよい選択肢を選ぶには「自分を知る」ことが必要不可欠だから。沙美も常にそのことを考えている。「私って、自分で思ってるよりズルイ女かもしれない」と。

小学館・571円(税別)
(2003・2・5 宇都宮)

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ベッカム 〜すべては美しく勝つために〜<
デイヴィッド・ベッカム 著
東本 貢司 訳

いやはや今年のベッカム様ブームはスゴかった。最近立て続けにOAされているベッカムCMを見るたびに、ワールドカップの頃のあの熱狂ぶりを思い出す。おそらくサッカーをロクに見たこともなかったはずの女性層がベッカム様のルックスに惹かれ、サッカー中継を見始めたあの頃、私は「どこまでブームが燃え上がるんだ?」と日本人女性の集団ミーハ−化の行く末に興味シンシンだった。
同時期に発売されたこの本も当然ベストセラー。プライベート写真が多くて(しかもビクトリア夫人とのイチャイチャカットが多い)、すんなり読める構成は、俄かファン層にピッタリ。ところが内容を読んでみたら、サッカーフリークでないとわからない人名・地名・チーム名・サッカー事情が盛り込まれており、俄かファンにはいい試練(?)かもしれない。
本書はベッカム自身が書いた原稿にあまり手を加えず、イギリスの出版社から2000年に発売されたものの日本語訳。生い立ちや私生活、クラブチームやイングランド代表での内幕がベッカム自身の手によって書かれたという価値は大だ。ただ、モト本の構成の甘さや訳文の拙さが目立ち、「もうちょっとなんとかならないか?」と商売柄感じてしまうのは否めない。
この本を読むまでもなく、ベッカム人気の理由は明らかだ。まずモデル顔負けのルックス。ブームを作るファッションセンス。派手な私生活と尽きない話題。そしてなによりも大きいのは、華やかな世界の中心にいながら、ベッカムが家庭を大切にするという姿勢を貫いていること。これに尽きる。
それにしても、ベッカムに限らずサッカー選手ってどうしてあんなにカッコいいんだろう?

PHP研究所・2000円(税別)
(2002・12・19 宇都宮)

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ハリー・ポッターと炎のゴブレット
J・K・ローリング 著
松岡 佑子 訳

今度のハリー・ポッターは長い!
たっぷり上下巻の中身は例によってホグワーツでの1年間にクイディッチ・ワールドカップの描写が加わり、ヴォルデモートの復活で終わる。これまた例によって犯人探しのドンデン返しが用意され、例年どおり今年もだまされてしまった。執筆中にトリックの穴が見つかり、大幅に書き直したため「炎のゴブレット」の出版が遅れたらしいが、どこに穴があったのか想像することも難しい。
今作で楽しかったのは、ハリーやロン、ハーマイオニーたちが14歳になり、思春期ならではのトキメキや戸惑いが前面に現れてきたこと。クリスマスパーティでのパートナー選びの下りは、私が思春期だったらきっと何度も繰り返し読んだだろう。物語世界の構築だけでなく、このあたりの心理描写もきちんと押さえてあるのは、作者の力量に感服するしかない。
過去3巻で積み重ねられてきた登場人物の多さ、魔法世界のディテール、ハリーの両親とヴォルデモートの謎には1度読んだぐらいでは迫れない。多くの子どもたちのように私も2度3度と繰り返し読みたいが、なかなかその余裕もない。子どもの頃夢中で読んだファンタジーを大人になってから読み返してみると新しい発見があったように、何十年後かに老人ホームで「ハリー・ポッター」を読み直すのもいいかもしれないと、愚にもつかないことを想像した。

静山社・上下巻セット3800円(税別)
(2002・12・19 宇都宮)

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「学生に語る ジャーナリストの仕事」
早稲田大学人間科学部河西ゼミ編

「学生に語る」とある通り、これはマスコミ志望者の多い早稲田大学の1年生を対象に、同大学のOBを中心としたジャーナリストをゲストに招いて開かれた連続講義の記録である。ゲストの顔ぶれは、江川紹子、鎌田慧、筑紫哲也、元木昌彦ら第一線で活躍中の11人だ。学生に向けての講義であることから、その内容も彼らの大学生活から始まって仕事にいたるまでの自分史と現在の仕事に対する姿勢や思いが分かりやすい言葉で語られている。また、ジャーナリトスと一括りに言ってもテレビや雑誌、新聞とジャンルが違うだけに現場の話はどれも興味深く、当の講義が回を追うごとに聴講生が増え、途中から一般公開されるようになったのも頷ける。
しかし、メディアの媒体や組織人かフリーかの違いはあっても、彼らが語るジャーナリズムには共通するものがある。つまり、「やじ馬根性」=人一倍の好奇心で常に新しい情報を伝えると同時に、社会を鋭く観察する批判的な役割を持つこと。そして自分が決して譲ることのできない事柄に対して真摯に立ち向かい、表現し続けていくこと。言葉では簡単だが実際には非常な困難を伴うこれらを、さらりと言ってのけるのは、これまで培ってきた経験に裏打ちされての信念があってこそだろう。
ひとつ面白く思ったのが、インタビュー術に関する大山真人と吉田司の話である。ノンフィクションの分野で活躍中の2人だが、大山真人の取材コンセプトは「先入観を持たないこと」であり、吉田司は「取材時にはすでに原稿の八割から九割が出来上がっている。そこにいくつかの欲しい答えを引き出す」のだとか。まったく正反対の取材方法だが、我々はいろんな人の術を知ることで、自分なりの方法を導き出せればいいと思う。
マスコミでの仕事を目指す人はもちろん、現在その真っ只中にいる人にとっても、この本を通して今一度立ち止まり、自分の足元を見つめなおす機会を持ってみてはどうだろう。

平原社・306ページ・2,000円(税別)
(2002・12・13 伊藤)

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「マカロニの穴のなぞ」
原 研哉 著

マカロニはどうして穴があいているのか? 日常に転がっている何でもない物品に独自の美の視点を当て、そこに宿る「デザインの神様」を綴ったエッセイ。
著者の原研哉は、ニッカウヰスキーやAGFなどの商品デザインをはじめ、長野オリンピックの開・閉会式プログラムに関わるなど、多方面で注目されているグラフィックデザイナー。2000年に開催された展覧会「リ・デザイン―日常の二十一世紀」では既存のものを新しくデザインし直すというテーマで、総合プロデューサーとしての力量も発揮した。
そんな彼のデザインに対する姿勢は、専門家というより職人という言葉の方が相応しい。概念を振りかざすのではないから、その方面に疎いものでも本書は楽しく読み進められる。そして、身近な具象にデザインの美しさと面白さがあることを示され、思わずハッとさせられるのである。例えば、「考えるに、デザインはある一面ではマヨネーズの穴のようなものだ。生産という遠大な営みの最後の最後の局面で人類のささやかな幸福のためにひと工夫する。(中略)デザインの小さな哲学はそういう場所に潜んでいる」や、「デザインの醍醐味はプロセスにある。何を意図するかという計画の中に感動があり、それはだれもが作者と同じ視点でたどることができる」などなど。
各項とも1,000字あまりの短い内容だが、その短い中にエッセンスがギュッと詰められ、流れるような文章の妙にも感心するばかり。そして最後の"オチ"に思わずクスリとさせられるのも小気味よいのである。

朝日新聞社・980円(税別)
(2002・12・12 伊藤)

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「小さな工夫でゆったり暮らす」
中山 庸子 著

副題に「家事が楽しくなってくる66の方法」とあるように、最近はやりの「家事を楽しむ指南書」だ。
著者は「なりたい自分になる100の方法」(幻冬舎刊)がベストセラーになったイラストレーター兼エッセイスト。38歳まで高校の美術教師を勤めたが、どうしてもイラストレーターになりたくて一念発起した経歴の持ち主。教師をしながら一男一女を育てた生活から、家事をなんとか楽しむ術を考えるようになった。その内容は…
「曜日ごとに重点的にする家事を決める」「お宅拝見日を作れば、家は必ずきれいになる」といった具合。曜日ごとに力を入れる家事を変える知恵は、かのローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズから学んだそうだ。
正直な感想を述べると、(私も働く主婦だが)あまり参考にならなかった。子どもがいないせいか、掃除以外の家事はそんなに苦痛でもないし、すでに無意識のうちに実行していることが多い。「毎日の献立の中に、自分の好きなメニューを一品入れる」など、当たり前のように実行している。むしろ、そうで主婦が世の中には多いのか? と、カルチャーショックを受けた。
家事はとことん手を抜くので、この著者の家事に対するこまめさに感心してしまい、逆に「そこまでしなくてもいいじゃん」と思ってしまう。やはり、この本は家事を自らの使命と自認する専業主婦向けに書かれたものなのだろうか? そういえば、「主婦の忙しさ」に関するページの微妙な言い回しは、メイン読者層への配慮と後難を逃れるための防御策に見えた。
たかが家事、されど家事。家事は誰かがやらねばならない生活の根幹をなすものだが、骨身を削ってやったところで誰も評価してくれない。その点をしっかり認識して、自分なりの折り合いをつければそれでいい。著者のそんな声が聞こえてきそうだ。

大和出版・1300円(税別)
(2002・11・29 宇都宮)

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「不機嫌な果実」
林 真理子 著

数年前ベストセラーになり、たて続けにドラマ化・映画化と話題になった林真理子さんの小説をようやく読んだ。
結婚して6年。夫は一流企業に勤めるサラリーマン。子どもは姑と同居するきっかけになりそうなので、当分お預け。自由気ままな結婚生活なのに、麻也子は不満だらけ。結婚すると誰も私を女として見てくれない。夫は仕事仕事で疲れてセックスもままならないし、おまけにマザコン気味。なんだか私って損してない? 
主人公の麻也子は正直といえば正直だが、それにしてもイヤな女である。そこそこのお嬢様大学出身でバブルの洗礼を受け、ブランドショッピングに走る32歳の女性という設定は、この小説が出版された96年当時にはリアルな女性像だった。彼女の価値基準は、女友だちに羨望のまなざしで見られるかどうか。結婚も仕事も男も損得勘定でしか計れないから、どこまでいっても満足することがない。
しかし、世の中は96年当時よりさらに泥沼不景気の真っ只中。エリートサラリーマンも40過ぎればリストラの対象だ。麻也子もシロガネーゼも夫の収入に頼っていられる時代じゃない。不倫ごっこにワクワクしていられるのも生活の最低保障があるからこそ。せいぜい地道に働けよ、といったところだ。
林真理子さんの小説は例外なく面白いので私は大好きだが、男性にとってはどうだろうか? 女性の計算高い部分、汚い部分ばかり見せつけられるので、避けて通る男性が多いのかもしれない。特にこの小説のラストシーンは、男性にとってはたまったものではない。しかし、鋭い人間観察から生まれるさりげない一文にはいつも唸らされる。ストーリーには直接関係なくても、こうしたディテールの積み重ねが独自の世界を創り上げ、読者を惹きつける源ではないだろうか。

文芸春秋社
(2002・11・12 宇都宮)

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「ユカリューシャ」
斎藤 友佳里 著

「奇跡の復活を果たしたバレリーナ」と副題にあるとおり、東京バレエ団プリマ・バレリーナであり、日本を代表するバレリーナである著者が35年間の半生を振り返った自伝エッセイ。
16歳のときから旧ソ連への短期留学を繰り返し、実績を積み上げてきた彼女は20歳で東京バレエ団に入団。またたく間にプリマへと登りつめ、数々の海外公演で高い評価を受ける。モーリス・ベジャール、ジョン・ノイマイヤーなど当代を代表する演出家との共演も経験し、順調なバレエ人生だったが、29歳のとき本番中に靭帯断裂のアクシデント。バレエをあきらめるほどの大怪我に、その後数年をかけて立ち向かい、ついにステージに復活するまでを描く。
全体から一貫して伝わってくるのは、バレエにかける著者の情熱だ。プリマとしての実績よりも、バレエを始めた幼児時代のエピソードや、高校を休んで旧ソ連へ留学を繰り返していた頃の話が私は興味深かった。ひとつの道を究めるには、どれほどの努力と犠牲が必要か。そして、1度頂点に立った者がその地位を保つのに、どれほど神経をすり減らし、人一倍の努力を重ねるか。彼女のひたむきさ、勤勉さ、今よりもさらに前進しようとする向上心など、すべてが感動させてくれる。さらに、一人のプリマを生み出すには、親、兄弟、師、友、共演者など国境を越えたさまざまな人との出会いや協力が必要であったことを痛感する。彼女を「ユカリューシャ」と呼ぶ、ロシア人の夫ニコライ・フョードロフ氏(彼自身、ボリショイ劇場のプリンシパルダンサーで、著者のダンスパートナーでもあった)も、そうした出会いの中で人生をともにすることになった一人だ。
「試練はそれに耐えられる者のみに与えられる」「人生の良いこと、悪いことにはすべて意味がある」…35歳にして学んだことのすべてを、真摯に告白し、訴えた好著である。

世界文化社・1500円(税別)
(2002・10・14 宇都宮)

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「介護と恋愛」
遙 洋子 著

「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」で自らが学んだフェミニズム論を披露し、続く「結婚しません。」で生まれ育った家庭の不条理を赤裸々に描いた著者が、今度は実の父親の介護と恋人との恋愛の間で揺れ動いた20代(おそらく)をテンポよく描いた。
著者は5男1女の末っ子。若い頃は家庭を顧みず、好き勝手なことをした父親が、痴呆になってしまった。夫を恨み続けてきた母親は介護拒否。同居する長男の嫁を中心に、5人の嫁とひとり娘(著者のこと)が順番に介護に当たるが、週に1度の唯一の休みを介護に費やしてはさすがに疲れる。ましてや著者は関西の売れっ子タレント。フツーのOLよりかなり忙しい立場である。しかも、同時進行で彼女は真剣な恋愛をしていた。「デートしたい」からデートするが、親の介護をほったらかしている罪悪感がぬぐえない。でも恋人とは会いたい。でも親の介護が……堂々巡りのうちに、親はどんどん弱っていく。
介護はキレイごとでは済まない。目が離せない高齢者を抱えていても、家族には生活を楽しむ権利があるし、一時的にでも楽しまないと介護者がノイローゼになってしまう。本書の場合、自分の実家の様子をわざと面白おかしく露悪的に書いているようだが、どこの家庭もデフォルメすればこんなもの。「介護は美徳」とする風潮もある中で、正直な心情を吐露したことは勇気ある行動だと思う。
それにしても、ひと昔前までは、結婚して子育てが一段落した後に介護がやって来た。晩婚化が進んだ今では、介護と恋愛が同時に訪れ、結果的に結婚をあきらめる例も少なくない。著者の場合、恋愛を捨てても介護を捨てても、仕事だけは捨てなかった。人が最終的になにを選ぶか、究極の選択をさせるポイントに「介護」もラインナップされる時代になってしまった。 


筑摩書房・1300円(税別)
(2002・10・14 宇都宮)

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「残像」
乙武 洋匡 著

「五体不満足」でお馴染みの乙武洋匡クン。彼の現在の仕事はスポーツライターである。その乙武クンがFIFAワールドカップKOREA/JAPANを観戦し、執筆した記事をまとめたものが本書だ。
1ヶ月間で21試合を観戦。その中にはもちろん韓国での試合も含まれており、渡韓すること4度。日本国内も含めた飛行機移動は15回という強行スケジュールだ。乙武クンをサポートするスタッフも2名同行するのだが、やはり体力的に大変な1ヶ月だったようだ。
しかしここは若さで乗り切る乙武クン。韓国の夜は焼肉で飲み明かし、日本代表初勝利の夜は街に出て、誰かれとなく祝杯を挙げる。私なんぞ1枚のチケットも手に入らなかったクチだから、ワールドカップをこれほど楽しめた彼が心底羨ましい。
全体から親しみやすい著者のキャラがにじみ出るような観戦記で、特に代表選手とのやりとりが興味深い。試合前や試合後、電話やメールで交わされる会話には、仕事を超えた人間関係を感じさせる。選手たちと同世代というのも大きなメリットかもしれない。
ひとつ苦言を呈するとしたら、サッカーそのものに対する知識の浅さだ。この手の本を読むとき、私は自分にはないサッカーの知識を期待するが、乙武クンの記事はあくまでも等身大。私と同レベルなのだ。それではスポーツライターとしてモノ足りない。金子達仁氏をはじめとする実績あるライター陣とは違った切り口から、サッカーの魅力に肉薄する乙武クンの記事が読める日を楽しみにしている。

ネコ・パブリッシング・1600円(税別)
(2002・10・6 宇都宮)

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「iモード以前」
松永 真理 著

iモードサービスの仕掛け人として一気に有名人となった著者が、20年間のリクルート勤務時代を振り返ったエッセイ。
女子大生の就職氷河期に苦労して就職した会社が、当時急速に伸びつつあったリクルート。不遇の時代も何年かあったが、女性向け就職情報誌「とらば〜ゆ」の編集に携わったところから、"仕事モード"全開の人生がスタートした。「就職ジャーナル」編集長、「とらば〜ゆ」編集長などのポストを歴任しながら、40代前半まで思う存分働いた様子が文面から伝わってくる。
「ビジネスのヒント満載」と新聞広告で宣伝されていたが、煮詰まった現状を打開したいと思う人には、確かに参考になる内容だ。特に廃刊寸前の「就職ジャーナル」を立て直した下りは興味深い。30代前半の女性にこれだけの大任を任せる会社もスゴイが、思い切って体制を切り替え、1年で立て直した著者の努力もスゴイ。編集者のいない、編集長と外注のみの週刊誌、という話にも驚いた。その一方で、「あの会社なら、それぐらいやるよなぁ」と妙にナットクする自分がいた。
私も以前、リクルートの某編集部に定期的に出入りしていた時期があったのだが、人の入れ替わりの早さにアゼンとしたものだ。また、業務の中枢を担って働いていた人が、実はアルバイトだったと後に知って、ビックリしたこともあった。(本書の中ではアルバイト出身の役員のエピソードが登場しており、そういうことがあり得る社風だということは、よく理解できる)
著者はそんな環境の下、どんどん"働き者"になり、ビジネス社会に地歩を固めていったわけで、まさに社風が合ったというところか。その蔭に、何千、何万というリクルートを去った人たちが存在するわけだ。
いずれにせよ、ガンバル女性の姿を見るのは気持ちがいい。どうすれば頑張れるのか、どうすれば成功できるのか、そのヒントも行間に読み取れる1冊だ。

岩波書店・1400円(税別)
(2002・8・26 宇都宮)

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「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」
遥 洋子 著

著者は関西で活躍するタレント。男尊女卑的意見をなんの疑いもなく口にする男性タレント相手にマシンガンのようなトークで互角に渡り合い、同じ女性としてテレビで見ていて溜飲が下がる思いだった。ところが、本人にしてみれば、ケンカ(この場合、バラエティ番組でのトークやパネルディスカッションで繰り広げられる討論)に負けるのが悔しくてしかたがない。負けない手段を学ぶために、フェミニズム社会学の第一人者・上野千鶴子氏の門を叩いた。具体的に云うと、知人の口添えで東大の上野ゼミに特別に参加を認められたのだ。
ところが、ここからが地獄の日々。タレント活動をしながら東京~大阪間を新幹線で通い、ダンボール箱数箱にも及ぶ文献を読むのは、体力勝負&ストレスとの闘い。「学問のプロ」を育てる天下の東大で、ゼミについていくだけでも大変なものだ。しかし、「ケンカに勝ちたい」という目的がハッキリしているだけに、学問の消化スピードもたぶん一般受講生より早かったのだろう。この本は3年間の著者の苦闘と成長の後が手に取るように窺える労作だ。
フェミニズムやジェンダーについて語りたいとき、いやもっと卑近なところで、夫婦の家事分担について語りたいときや親世代との認識のズレを語りたいとき、私もやはり自分自身が理論に裏付けされていないことに、足元の頼りなさを感じる。本書内で何度も強調されているとおり、学問は「言葉」だ。言葉の意味を突き詰めて考え、認識してこそ思考が広がる。「プライバシー」がなかった古い日本社会には、「プライバシー」に該当する日本語がない。「セクシュアル・ハラスメント」という言葉を知って初めて、日本中の女性たちが声を挙げて抗議を始めた。それと同じ発見が、学問の世界にはあるはず…と考えると、もう一度ちゃんと勉強したくなってくる。
遥さんは本書の後に「結婚しません。」(講談社刊)という軽いエッセイを出した。そのあとがきに、本書を読んだ女性から「勉強できない女はどうすればいいの?」といった感想が多数寄せられたため、彼女たちの誤解を解くためにエッセイを書いたとあった。確かに本書だけ読んでいたら、遥さんはとんでもなく頭のいい、デキる女性に見える。だから「違うのよ、誰でも勉強できるのよ」と「結婚しません。」を出版したわけだが、その中で描かれる遥さんの実家の様子はまさに男尊女卑的旧日本家庭。反面教師が強烈な闘士を育てたわけで、こちらも興味深い。

筑摩書房・1400円(税別)
(2002・7・23 宇都宮)

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「ルネッサンス〜再生への挑戦」
カルロス・ゴーン 著 
中川 治子 訳

レバノン系移民の子として1954年ブラジルに生まれる。小学校からハイスクールまではレバノンで、大学教育はフランスで受け、ミシュランに就職。30歳になるやならずでミシュラン・ブラジルのCOO(最高執行責任者)の任に就き、膨大な赤字を抱えた同社を立て直す。次いでミシュラン北米のCEO(最高経営責任者)に抜擢され、同社の北米市場のトップに君臨する。ミシュラン一族の代替わりに合わせてヘッドハンティングを受け、ルノー副社長に就任。99年、ルノー・日産の合併を機に、日産を立て直すため来日。COOに就任する。その後の実績は新聞等で周知のとおり……今更書くまでもないが、ゴーン氏の略歴はざっとこんなところだ。
多彩な文化が交流する環境に育ち、幼い頃から複数の言語になじんだ、まさに異文化コミュニケーションの申し子。ミシュラン入社後の出世のスピードもスゴイが、それだけデキる男でもある。
そのゴーン氏初の著書というので、どんなに難しい内容かと思いきや、普段ビジネス書に親しまない読者でも読みやすい語り口だ。「クロス・ファンクショナル」「グローバル・アライアンス」といった用語に馴染まなくても、彼が訴えたい概念はわかる。「経営者たる者、わかりやすい言葉で話さなくてはならない」という信念のとおりの内容だ。残念だったのは、「日産で具体的になにをしたのか」がはっきり見えてこないこと。現在もトップに立つ立場だし、いろいろ書けない部分は多いと察するが、そこをいちばん知りたい経営者やビジネスマンが多いはずだ。
また、日産の病巣のひとつに「危機感の欠如」があったという指摘は耳に痛い。戦後最大の転換点かもしれない時代に、相変わらず日本の政治家は己の利益追求にとらわれたまま。大企業や一流大学が輝きを失いつつある時代に、相変わらず日本の教育ママたちは子どもにお受験戦争を強いている。危機感の欠如は日産に限らず、日本人全体にいえることではないだろうか。

ダイヤモンド社・1840円(税別)    
(2002・7・1 宇都宮)

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イヴの七人の娘たち
ブライアン・サイクス 著
大野 晶子 訳

母から子へと延々と受け継がれていくミトコンドリアDNA。誰でもミトコンドリアDNAを調べれば、母系の先祖を辿ることができる。同じ変異を持つ人間がいれば、その人とは母系先祖のどこかでつながっている証拠。変異率を調べればおおよその年代の察しもつくという。これまで家系図でしか調べられなかった先祖が、明らかな科学的証拠となって目の前に登場する不思議な1冊だ。
現代ヨーロッパ人6億5千万人の共通祖先は、4万5000年前から1万年前までの間に生きたわずか7人の女性に絞られるという。ミトコンドリアDNAは母からしか遺伝しないので、同じDNAは母から娘、さらにその娘と母系のみを辿って受け継がれる。男性は母から受け継いでも子に残せない。男の子しか産まなかった女性のDNAもそこで途切れる。こうして多くの女系血脈が途切れていく中、何万年も生き残った7人のDNAが現代ヨーロッパの繁栄を支えていることに不思議な感動を覚える。
アフリカに発祥した人類が中東に渡り、そこからヨーロッパやユーラシア大陸へと広がった時代(この間何十万年という時間を必要とした)をDNAは律儀に語りつづける。狩をしながら集団で移動していったであろう先祖の中に、常に女性がいなければDNAは残らない。今よりももっと気候の厳しかった最終氷河期、女性や子どもを抱えた生活集団の苦難の旅を想像すると、生命の強さ・尊さに圧倒されそうだ。
さらに、著者が最も力をこめて訴えているのは、人種や民族単位で人類を分ける愚かさだ。ポリネシア人のDNAは元を辿れば台湾が発祥の地。スカンジナビア・北スコットランドには定期的に韓国人のDNA配列が出現し、生粋のイギリス人であるはずの家系にポリネシアの濃い痕跡が混ざっていたこともある。要するに、人類はみな完璧な混血なのだとサイクス博士は主張している。
この本の日本語版出版時点で、人類の共通祖先と呼べる「母」は世界中で37人見つかっており、そのうち日本を含む東ユーラシア地域の母は5人。日本人も韓国人も中国人もみな共通の母から生まれ増えてきたわけで、民族を分けて戦争まで起こした歴史が本当に愚かしい。

ソニーマガジンズ・1600円(税別)
(2002・6・17 宇都宮)

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「ジェットコースターにもほどがある」
宮田 珠己 著

私は昔からジェットコースターが苦手である。両手を挙げてコースターに乗っている人を見るたびに、信じられない思いが募る。だから、この著者のように30代後半になってもジェットコースターが好きで好きでたまらない人がウラヤマシイ。
本場アメリカであらゆるジェットコースターに乗りまくった紀行文を中心に、ジェットコースターの分類(箱に乗るだけの時代はとうの昔に終わっている。吊り下げ、立ち乗り、フロアレスなど分類だけでも枚挙にいとまがない)、日本のコースターの格付けランキング、その他絶叫スポット紀行などをまとめた。センスを感じさせる文体で笑わせてくれるので、コースター嫌いにも充分楽しめる内容だ。
中でも11日間で35台の絶叫マシンにのべ60回乗りまくったアメリカ紀行が面白い。遊園地に行くだけで疲れるのに、広いアメリカで次から次へと遊園地をハシゴしていく過酷な日程。雑誌の取材を兼ねているので、1日たりともムダにできないのがライターのツライところ。私も個人的に経験があるが、取材でなくともアメリカの遊園地を毎日ハシゴするのはかなり疲れる。園内も広ければ園外も広い。遊園地〜ホテル間をレンタカーで移動する毎日は、そりゃあ30代後半の身にはツライだろう。大好きなコースターが果たしてリフレッシュになったのかは時と場合によるようだ。
にしても、現在ジェットコースターがこれほど進歩しており、奥深い世界を持つとは知らなかった。これから通りがかりの遊園地でジェットコースターを見るたびに、この本を思い出すことだろう。見事なテーマの絞り込みで、一読者の心に間違いなく残った1冊だ。

小学館・1500円(税別)
(2002・6・11 宇都宮)

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「生き方が変わる 女の整理収納の法則」
飯田 久恵 著

著者の飯田久恵さんは我が国最初の収納カウンセラー。日々、整理収納に悩んでいる人や法人相手に、整理収納の基本的考え方から実践までを指導。著書も6冊出しておられるようだ(amazonでサーチ)。
私は整理収納に関する本はけっこう読んだのだが、この本は極度の整理収納下手でもかなり何とかなりそうな内容である。
この本には、まず「整理収納には法則がある」ということが述べられ、その順に実行すれば、スッキリ整理収納できるということが、わかりやすく書いてある。
整理収納の法則は、ステップ1の「物を持つ基準を自覚する」からステップ5の「快適収納の維持管理」まである。さらに、部屋が片づかない理由もこの本の中には書いてあるが、それも非常に具体的で、全くその通りなのである。
結局、部屋がスッキリするかどうかは、「生き方」「生きる姿勢」の違いでもある、という、整理下手の者にとっては恐ろしい内容なのであるが、まあ、実際そのとおりなのである。
最後まで読んで「うーん、なるほどなあ。こうすればいいのだ」とうなった私であるが、結局、どんなにいいことが書いてあっても実行しなければ、家は片づかない。本当に整理収納上手な人は、下手な者がこんな本を読んでいる間に整理収納を、少しずつまめにしているようだ。寝ころんで本を読み、「ああいいことが書いてあるなあ」と感心しているだけでは絶対にダメなのだ。
本当に「生き方」の問題なのだと実感させてくれた本である。

太陽企画出版・1,262円(税別)
(2002.6.14 森)

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「銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」
ますい さくら 著

銀座の会員制高級クラブのママが、自らの人生経験と人間観察から「できる男」と「できない男」の特徴を中心に書き下ろしたエッセイ。
一例をあげると「できる男はこんな時計を選ぶ」といった内容で、これといった根拠も呈示されておらず、首をかしげる部分も多い。あくまでも著者の主観で見た分類方法であることを前提に、軽く読み飛ばすのがおすすめだ。話し口調の文章も文筆業のプロが書いているわけではないので、少々読みにくい。また、著者は男性に向かって「こんな男になりなさい」と指南するのではなく、あくまでも女性に向かって「こんな男を選びなさい」と教えているような印象を受けた。…にしても著者が例にあげたような男性がそこらへんに転がっているとも思えないので、さして一般女性の参考にはならない。地方在住者にとっては、それぐらい遠い世界のお話だ。
銀座の高級クラブに一生縁のない私のような人間には、むしろ夜の銀座を舞台に繰り広げられる男と女の生態の方がよほど興味深い。銀座ホステスの実態や、ひとときの気晴らしを求めて訪れる男たちの事情、銀座で商売することの苦労など、銀座の内幕話がちらっと出てくるのだが、これをもっと読みたかった。まあしかし、大切な商品と商売相手のネタは、引退でもしない限りなかなか書けないだろうが。

PHP研究所・1200円(税別)
(2002・6・5 宇都宮)

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情熱<
フィリップ・トルシエ/ルイ・シュナイユ著
松本百合子 訳

フランス人記者がトルシエ監督にインタビューを行い、トルシエの一人称の語り口で書き下ろされたエッセイ。
内容はトルシエの生い立ちから日本代表監督になるまで、日本での日々、マスコミとの闘い、代表選手の裏話など多岐に渡り、とりとめがない。サッカー好きなら、「え、そんなことがあったの?」とか「ああ、そういう経緯だったのか」など、ひとつひとつ合点しながら一気に読み通せるボリュームだ。
個人的には、フィリップ・トルシエというひとりのフランス人が、ここまで成り上がってきた経緯にいちばん興味をそそられる。フランスのアマチュアリーグの監督に始まり、アフリカでの10年間、そして4年前日本へ…本人も「冒険」と表現しているとおり、波乱万丈の半生だ。選手としての実績のない人間が、監督としてプロ選手を率いるには大変な苦労が伴うことと推察するが、彼はフランスでの選手時代から大学で運動療法士などの勉強を続け、資格取得に余念がなかった。カリスマ性がない分、一流選手を納得させるには知識と戦術、そして情熱で結果を出すしかないことを、早くから理解していたようだ。
さて、目前に迫ったワールドカップ(今この原稿を書いている時点で、あと30日)だが、トルシエが代表監督としてワールドカップに出場したのは、4年前フランス大会の南アフリカ代表監督での経験のみ。南アフリカ代表は1敗2分で予選リーグ敗退しており、現中国代表のミルチノビッチ監督や現韓国代表のヒディンク監督に比べると実績は劣る。彼自身は4年の長期に渡って代表チームを指揮することを「またとないチャンス」と受け止めており、ワールドカップ後はヨーロッパに戻ることを明言している(どうやらオファー殺到らしい)。
彼にとって日本代表監督が魅力的なポストだったこと。そして自国開催のワールドカップに彼のような野心たっぷりの監督を得たことは、日本サッカーにとって、またとない幸運だったのかもしれない。2002年ワールドカップの結果はまだわからないが、そんな気がした。

NHK出版・1400円(税別)
(2002・5・1 宇都宮)

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かなえられない恋のために
山本 文緒 著

昨年度、「プラナリア」で直木賞を受賞した山本文緒さんが、1993年に刊行されたエッセイ集。
タイトルだけ見ると恋愛論的な内容かと思われがちだが、恋愛だけでなく仕事・結婚・友情と内容は多岐に渡り、30代女性の等身大の姿が伝わってくる内容だ。
著者はOL時代に少女小説の懸賞コンクールに入選し、作家としてデビュー。やがてOLとの両立がむずかしくなり作家専業に。しかし、少女小説からの脱皮を図って収入は激減。結婚生活もうまくいかなくなり離婚と、それなりに山あり谷ありの人生の中で、ふとつぶやくフツーの生活雑感が面白い。
読み手によって好きなエピソードも見事に分かれるだろうが、私は「三十歳になるまで症候群」が特に心に残った。20代を「野原のお花畑」にたとえ、その花たちが枯れはじめ、山の上にあるというお花畑をめざすかどうか迷うのが30代のはじめだという著者の例え話は、私の個人的な経験に照らし合わせても「うまい!」と思う。山の上に果たして本当にお花畑があるのか、山をのぼるようなシンドイことはやめて、このまま枯れた野原でひっそり暮らせばいいのか、女性ならみんな迷う。そして「シンドイからやめとこー」という女性はお花畑に決して辿り着かないことを、優しい文体でハッキリと指摘している。
新刊ではないこの本を、私は恋愛論にハマッた30代前半の友人から貰った。しかし、恋愛論らしい恋愛論よりよほど面白く、タイトルがあまりにもつまらなく、内容に比べてもったいないことをここに付け加えさせていただく。

幻冬舎・457円(税別)
(2002・4・5 宇都宮)

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ホームレス作家
松井 計 著

現役の作家が半年間のホームレス生活を綴ったドキュメンタリー。
著者は戦争シミュレーション小説と呼ばれる分野で実績のある作家。前年には500万円の収入がありながら公団住宅の家賃が払えず、ホームレス生活に入った経緯は、作家という自由業の危うさ、不安定さを示す、いい例かもしれない。
定期的な貯金ができるほどの安定収入はなく、せっかく書いた原稿も出版不況で企画とりやめが続き、おまけに妻が精神的に不安定なことも災いして、著者の原稿は進まなくなる。原稿が進まなければ、収入はゼロ。借金できるところからは全て借り、万策尽き果て、身重の妻と3歳の娘をシェルターに預け、自らは路上で生活するしかなかった事情は、本書を読めばよくわかる。
ホームレス生活で自らに課した規律は、「路上で寝ない」「拾い食いをしない」。ファミレス、漫画喫茶、駅など、寒さをしのげる場所の確保に知恵を絞った様子や、なんとかして仕事を確保しようと奔走した経緯は、万が一自分がホームレスになった場合の参考(?)になる。そして、失業者のあふれる日本で、誰もがホームレスになる可能性があることを、著者は再三に渡って警告している。
では、もし私が住むところを失くしたらどうするか? 反対に、もし身内が住むところを失くして私を頼ってきたらどうするか? 本書を読む間、ずっと自問自答を繰り返した。家を追い出される前に手を打つのがもちろん必須。しかし、やむなく路上に出た人が、再びわが家を手に入れるにはどうすればいいのだろう? 著者は作家という本来の仕事で苦境を乗り越えたが、これといった特殊技能のない人々に、路上からの脱出法を広く示せれば、ホームレスの人々への励ましになるのだが。

幻冬舎・1500円(税別)
(2002・2・20 宇都宮)

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君ならできる
小出 義雄 著

高橋尚子を育てた積水化学女子マラソン部監督・小出義雄氏がマラソンの喜び、女子選手の育成法などを語ったベストセラー。
スポーツの世界はその所属する社会を如実に反映する。つまり、叱りつけ、怒鳴るだけでは選手がついてこない時代なのだ。シドニーオリンピックでの高橋尚子と小出監督の名コンビぶりは今でも記憶に新しい。スポ根マンガで育った世代としては、2人のまるで友だちのような師弟関係は、驚きとともに時代の変遷を感じさせられた。
小出監督は臆面もないくらい選手を褒めちぎる。一見、監督特有のキャラかと思いがちだが、裏にはしっかりした計算が隠されている。選手は監督に乗せられて厳しい練習に耐え、やがてそれが好タイムという結果に現れると、全幅の信頼を寄せる。いかに選手という「商品」を潰さずに、うまく育てるか。長年の経験から得られたその極意は、なにもスポーツ監督だけでなく、女性の部下を持つ中間管理職にも大いに役立つ内容だ。
本自体は小出監督が(一杯やりながら?)語った内容をそのまま書き下ろした感があり、高橋の金メダルを見込んで超スピードで仕上げた印象。シドニーオリンピックの直前に上梓し、直後に売り出された絶妙のタイミングは実にお見事。実際、あのタイミングでなければ、2人がTVで露出することもなかったし、こんなに本が売れることもなかっただろう。その点、先に読んだ「トルシエ革命」に比べるとお手軽感は拭えない(「トルシエ革命」はトルシエの完璧主義者ぶりがよくわかる1冊だった)。
しかし、本が売れ、印税をもとに小出監督がさらに選手補強に熱中してくれれば、日本の女子マラソン界にプラスになることは間違いない。監督にはまだまだこれからもガンバッテいただきたいものだ。

幻冬舎・1400円(税別)
(2002・1・5 宇都宮)

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トルシエ革命
フィリップ・トルシエ/田村修一 著

サッカーの代表監督というのは、つくづくハードな職業だと思う。現日本代表監督のトルシエの経歴を見ても下部リーグのクラブチームから叩き上げ、10数年アフリカ各国を渡り歩き、フランスワールドカップで南アフリカの代表監督を務めた後、日本にやって来た。
この本を一読して感じるのは、なによりもまず彼が「筋金入りのプロ」であること。選手育成法、戦術、合宿地選びのコツからマッチメークの手段まで、こと細かに説明されているのだが、中でも印象的だったのは、対外試合をマッチメークするときに監督個人の人脈が大きくモノを云うことだ。トルシエ自身は選手として二流だったが、指導者になってからの人脈がスゴイ。フランス語圏でサッカーが盛んな国が多いのも幸いしてか、大きな大会に顔を出せばたいがい旧知の人間に会え、そこからビジネスがはじまる。そういえば、そもそもトルシエが日本代表監督に就任したのもアーセン・ベンゲルの紹介だった。サッカー監督も人脈と人間関係の商売なのだ。
しかし、これだけ異文化の中で揉まれてきた人間にも、日本文化はカルチャーショックだったようだ。日本人の感情表現に戸惑い、責任の所在をはっきりさせない日本型組織に怒り、リーダー不在を嘆きながらも、2年半の間にかなり日本人を理解するようになった。戦術も浸透し、結果も残した。「サッカーは60%のチームプレー、30%の個人技、10%の運に支配される」。本文中でも繰り返されるこの言葉は、ワールドカップまでの日本代表を占ういい指標になる。
ところで、本の中身はシドニーオリンピックとアジアカップが2本柱になっており、惨敗したアジア大会やコパ・アメリカの話はほとんど出てこない。特にアジアカップの優勝はトルシエにとって初のビッグタイトル。本人も相当うれしかったようだが、好成績の大会の話にしか触れないのも、さすがといえばさすがだ。このしたたかさ、日本人も見習いたい。

新潮社・1600円(税別)
(2001・12・23 宇都宮)

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寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ
村上 龍 著

「サッカー通」と世間一般に見なされる有名人のひとり・作家の村上龍氏が、雑誌などに連載したサッカー関連の原稿をまとめたもの。まとめて読むと1990年代日本サッカーの劇的な変貌ぶりを、かいつまんでレポートした感じだ。
著者がワールドサッカーのレベルに驚嘆し、熱狂してはじまる'90年イタリアワールドカップのレポート。日本戦を中心とした'94年フランスワールドカップの観戦記。いずれもサッカーの面白さ、奥深さを語りつつ、ワールドサッカーと日本のサッカーレベルの絶望的なまでの差を慨嘆して見せる。フランスワールドカップのオランダ戦を観戦しながら、「50年かければ日本がオランダに追いつく日が来るのだろうか」と嘆く姿は、たしかにあの頃の日本全体を包んでいる空気だった(私も韓国vsオランダ戦をTVで見て、絶望的な気持ちになったものだ)。しかし、あれから3年半たった今、日本代表はフランスワールドカップの頃より明らかに進歩したし、オランダはヨーロッパ予選で敗退し、ワールドカップ出場を逃してしまった。それでももちろん、日本とオランダの間には何十年もの差が存在するのだが。
それにしても、日本で開催されるワールドカップのチケットすら手に入らない今、著者のサッカー観戦の旅はうらやまし過ぎる。イタリアで、フランスで、サッカー観戦の傍らシャトーホテルに泊まって美食三昧! サッカー観戦記だというのに毎夜の豪華メニューとワインの銘柄を記されては、日本でTV観戦している身がミジメになる。
龍さん、正直に告白すると私はあなたの作品をほとんど読んだことがないのだけど、あなたがミーハーだということは、この1冊でよくわかりました。

ビクターブックス・1524円(税別)
(2001・12・23 宇都宮)

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プロジェクトX リーダーたちの言葉
NHK プロジェクトX制作班 今井彰 著

NHKの人気ドキュメンタリー番組「プロジェクトX」の中から、特にリーダーシップを発揮した人々のエピソードを取り上げ、彼らの言葉を中心に構成している。曰く、「北極でもうまい氷なら売れる」「部下がついてくるのは、リーダーが苦しんだ分に比例する」……
読んでみて驚いたのは、ここに収録されているエピソードのほとんどが、昭和30〜40年代の高度成長期の物語であること。夜も眠らずに働く企業戦士たちの姿と、彼らを鼓舞し、導くリーダーたちの姿が、繰り返し繰り返し描かれている。日本人が貧しさの中から立ち上がり、世界へ羽ばたいていった時代をここまで取り上げるのは、長引く不況で自信を失いつつある現代の日本人へのエールなのだろうか。
番組もそうだが、この本で描かれている世界も、かなりクサイ。「男気」が炸裂し、仕事に全身全霊で打ち込む姿が、なんの迷いもなく賞賛される。仕事に命を賭ける男同士の世界では、家族の姿などほとんど見えない。そのため、時には「忠臣蔵」を見ているようなクサさを感じ、世間一般にも「美談に仕立て過ぎる」という批判が多い。
現代にもリーダーは存在する。ただし、貧しさから抜け出すことが最重要課題だった時代と違い、現代のリーダーたちは目指す方向が多種多様だ。この本を食い入るように読む読者層は、高度成長期にバリバリ働いた元企業戦士たちか、それとも部下の指導に悩む現代の中間管理職たちか。ぜひ、部下への指導のヒントがほしくて読んだ管理職の方の感想が聞きたい。私個人的には、「高度成長期への挽歌」と読めた。
最後になったが、本自体は番組に比べて内容が薄い印象を受ける。たくさんのエピソードを入れるためだと思うが、ひとつひとつの掘り下げが中途半端。どのエピソードも、それだけで1冊の本が書ける内容だから限られた紙数ではムリがあるとは思うが、取材されたディレクターの苦労を思うと、ちょっともったいない。

文芸春秋社・1238円(税別)
(2001・12・9 宇都宮)

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バターはどこへ溶けた?
ディーン・リップルウッド 著

アメリカで、そして日本で大ベストセラーとなった「チーズはどこへ消えた?」のご存知パロディー版。
ささいな理由で、本家本元の「チーズは…」より先に「バターは…」を読んだ。通常の読書パターンなら、本家→パロディーの順に読むだろうから、逆パターンになってしまった。
以前、朝日新聞にこの2冊を比べた書評が掲載されており、「パロディーの方が出来がいい」とあった。「そんなこともあるのか」と思いながら読んだのだが、特にパロディーの方が出来がいいとも思えず、内容的にはドッコイドッコイと感じた。強いて云えば、「変革に備えよ」と説いた本家の方が、焦点を絞り、クドイぐらいにひとつのことを訴え続けた点で印象には残る(アメリカ人がこんなにも変革を恐れているとは意外だったが)。一方、「普段の生活の中に幸せがある」と訴えたパロディー版は、ちゃんとオチまでつけて完成度は高いが、なにせ全体の構成からイラスト・装丁に至るまで、すべてパクリの集大成。本家が大ヒットした第一の要因は斬新な構成にあり、そのいちばんオイシイところを丸ごとパクッているのだから、本家より良くなって当たり前といえば当たり前だ。
というわけで、私は本家の「チーズは…」に軍配を上げる。蛇足ながら、パロディー版の出版社は本家の出版社に訴訟を起こされているらしい。これも当たり前といえば当たり前である。

道出版・838円(税別)
(2001・1・4 宇都宮)

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愛はめんどくさい
まつい なつき 著

 著者のまついなつきさんはイラストレーターでライター。「笑う出産」(出版情報センター)がベストセラーになりご存じの方も多いはず。
 この本は、ユーモラスなイラストがらは想像できないほど内容が生々しい本である。
 家族について戸惑ったり悩んだりしている生の感情がそのまま素直にというか、赤裸々に書かれている。家族について書くことは、自分の内面をさらしださなければならないのは仕方がないにしても、自分以外の人についても言及しなければならないわけで、「ここまで書いていいの?」と思ってしまったほどである。
 多かれ少なかれどこの家にでもありそうなイライラから、ここの家庭は我が家とは全く違うけどそういう状況なら私もこういう反応をするであろうと思わせる状況まで、読み始めたら止まらなくなってしまうおもしろさだ。(おもしろいと言っては不謹慎だが読むのをやめられない)
 愛に敏感な著者が結婚して、おしゅーとめさんや夫、実母との関係や経済的な負担など結婚生活にあがいている姿は痛々しくもある。
 この本が発売された時期とほぼ同じくして著者は離婚されたそうであるが納得。
 しかしこの著者もあと二、三十年もするとおしゅーとめさんになるだろう。無責任な一読者としては、おしゅーとめさんの立場になってからの彼女の本も読んでみたいと思うのである。

メディアワークス・1,000円(税別)
(2001・11・29 森)

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ハリー・ポッター裏話
J.K.ローリング×リンゼイ・フレーザー 著
松岡 佑子 訳

すでに全世界で1億部を売り上げたという「ハリー・ポッター」シリーズ。その著者J.K.ローリングへのインタビューを中心に構成された"小ネタ"本。インタビュー以外は蛇足の感もあるが、ファンにはうれしい内容かもしれない。
「ハリー…」シリーズを最初に思いついた場所、登場人物の名前の由来など、著者ならではの創作秘話が語られるのは、読んでいて楽しい。全7巻の構成を考えるのに5年を費やしたこと。本編のストーリーに出ることはないが、脇を固める登場人物の生まれてから現在までのストーリーが全て出来上がっていること。比べるのもおこがましいが、一応モノを書く仕事をしている私にとっては、耳の痛いエピソードが続いた。構成を温める時間の大切さ、納得できるまで練り上げる執念を著者自身の言葉で読み、物語の構成力と面白さの素因が少し窺えたように思う。しかし、構成力は努力と鍛錬で身につくだろうが、想像力はどうだろう? 「ハリー…」シリーズを読んでいて舌を巻くのは、さりげなく、しかし細やかに描かれた魔法世界のディテール。あのディテールひとつひとつを生み出した著者の想像力はやはり、天性の素質+子どもの頃からの豊富な読書量が支えているのだと、この本で改めて確信した。
「ハリー…」第1巻は、ほとんど宣伝されることもなく、口コミで売れはじめたという。本当に面白い本は広告宣伝費をかけなくても売れるのだ。そして、J.K.ローリングから最初に原稿を送られたにもかかわらず、原稿をさっさと送り返してしまった出版社は、本物を見抜く目がなかったことを結果的に宣伝することになってしまった。

静山社・800円(税別)
(2001・11・11 宇都宮)

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ぼくが読んだ面白い本・ダメな本
立花 隆 著

 立花隆が『週刊文春』に連載してきた「私の読書日記」のうち最近約五年分をまとめた本である。医学、環境、宗教、政治から宇宙に至るまで幅広い分野に知的好奇心を持ち、専門家レベルの知識を持ち活躍してきた立花氏が、実際にどのような本を読んでいるのかは知りたいところである。
 やはり膨大な読書量を誇っていた。彼自身これまで書物という大学に最も熱心に通い続けてきたというだけあって、活字媒体としての本を大事にしている。人生はそれほどヒマではないのだから、いい本を効率的に読めというところだろうか。
 紹介されている本は、高価でとても手に入らないような宗教書(ナグ・ハマディ文書、ウパニシャッド-翻訳および解説-)から、かなりエグイもの(死刑全書、自殺全書、虫の味)までを要点のみ簡潔に列挙して紹介している。恥ずかしながら紹介された本で私が読んでいた本は数えるほどしかなかった。この本のラインアップを読むだけでもいかに立花氏の知的好奇心がものすごいか思い知らされた。何冊かはぜひ読んでみたい。極めて中身の濃い書評であるが、紹介された本を分野別にまとめてもらえるともっと全体が読みやすくなったと思う。これは編集上の問題であろうが。

文藝春秋・1,714円(税別)
(2001.8.2 藤原)

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インコは戻ってきたか
篠田 節子 著

 女39歳。世間的には理解がある夫と姑の元で結婚・出産を経て編集者として仕事を続けてきた響子。もう若くはないが自分としては女の部分は残っている。だが夫から見ると彼女はすでに終わった女。そんな彼女に地中海の真珠、キプロス島の取材の仕事が入る。仕事先ではカメラマンの檜山と2人だけ・・・。本書の帯には「たった6日間の極上の恋。それぞれの人生を賭けた男と女の哀切なせめぎ合い」とある。
 帯を読んだ後では、大人の男女のラブストーリーを想像するのが自然だろうが、いい意味で裏切られた。取材中の2人が遭遇するのは表面的には美しいキプロスを巡る民族紛争。突然の銃声、停戦ライン、軟禁・・・。そして2人の運命は。
 ストレスを背負っても弱音を吐けずがんばって働く響子の存在はリアリティがあり、その心情に共感できるこの世代の女性は多いのではないだろうか。篠田氏は働く女性の揺れる思いを今回も見事に表現している。日常生活と民族紛争という非日常の対比も面白い。そして退屈な日常生活にも幸福の瞬間が散りばめられているという響子の気づきには、読者もはっとさせられるはず。小説を読んだのは久しぶりだが、小説の面白さを十分に味合わせてくれる作品である。

集英社・1,800円(税別)
(2001.8.2 藤原)

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村上ラヂオ
村上 春樹 著

 村上春樹が雑誌ananに連載した50編を加筆・修正してまとめたエッセイ集。昨今「アンダーグラウンド」などのノンフィクションをはじめ、社会性を持つ作品を展開してきたが、このエッセイ集は村上ワールドに溢れ、昔からのハルキストにはこたえられないものに仕上がっている。
 「スーツの話」「ドーナッツ」などごく一般的なものをテーマに、例のごとく平易な文章で書かれている。彼独特のこだわり、ユーモア、ペーソス。1つの文章は誰にでも書けそうなものだが、1編全体となるとやはり春樹氏の空気が漂ってくる。脈絡のない50のエッセイだが、このうち必ず誰でもお気に入りがあると思う。彼自身人に考え方を押しつけたり、大げさに人生を語ったりはしないのだが、さりげないシーンに哲学を感じさせられる。ふっと立ち止まって考えてみたくなる。読みやすい文章に優しい大橋歩の画。本が売れない時代だが、間違いなく売れる「いい本」だと思う。少々ファンの贔屓目もあるが・・・。

マガジンハウス・1,238円(税別)
(2001.8.2 藤原)

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チーズはどこへ消えた?
スペンサー・ジョンソン 著
門田 美鈴 訳

 「チーズはどこへ消えた?」はどこに消えた?というぐらいほどの売れ行きを誇ったベストセラー。ストーリーはごくシンプルな童話仕立て。二匹のネズミ「スニッフ」「スカリー」と二人の小人「ヘム」「ホー」が迷路の中でチーズを探す。全員安定的にチーズのある場所を探し当てたのだが、ある日チーズはなくなった。生きていくために必要な新たなチーズを求めて各々独自のアプローチをとるのだが・・・。
 「チーズ」が何か、それは読者によって違うだろう。要は自分の人生にとって必要なものであり、それを手に入れるためにはあなたは何をしたらいいのか?を問いかけている。アメリカではIBMをはじめとして企業が社員全員に配ったともいうが、その状況はよく理解できる。21世紀、この変革の時代に企業としてどういう人材を求めているのか。あなたが「変わらなきゃ」何にも始まらないよというメッセージを社員に伝えているようだ。
 ポイント的に書かれた部分を確認しながら読んだが、個人的にはそれほどの目新しさを感じなかった。もしかしたら自分がフリーで仕事をしているために、常に変化に対応していかなければやっていけないということが肌感覚でわかっているのかもしれない。また今の時代どこでも「変化」を言われるが、逆に周りに振り回されずに確固とした自分のスタイルを築くことも重要なのではないかと思う。しかしこの本ざっと読むには30分あれば十分。店頭でぱらぱらっとめくるだけで内容はつかめるが、よく売れたものだ。

扶桑社・838円(税別)
(2001・6・4 藤原)

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二人で紡いだ物語
米沢 富美子 著

 猿橋賞をはじめとして数々の受賞に輝き、日本物理学会会長を務めた著名な物理学者である米沢富美子さんの自伝。
 米沢さんが家庭と仕事を両立させるのは、夫の両方やるべしという言葉からだった。すでに60代の米沢さんの若かりし頃には、家庭と仕事を両立させるという選択肢は今よりもはるかに困難であったのは想像に難くない。夫の意識の高さから彼女は結婚後にすばらしい業績を出すのだ。妻の業績と出世を心から喜ぶ夫。ただし、家事は全くしないという夫のスタンスに当然のことながら不満を抱くのだが。
 何と言っても、ものすごいバイタリティーと溢れる才能。驚くようなことを思いつき、国内外で物理学者として確固たる地位を築いていく。米沢さんの性格や能力にもよるのだろうが、男性の嫉妬とか妨害とかはほとんどないようだ。これだけさらりと男女の壁を越えることができるとは羨ましい。そんな彼女、すでに何度も癌の手術を受けており、入院中でも仕事を忘れないというハードワーカーぶり。千葉敦子さんとの交流も感銘を受ける。
 このように書いてくると米沢さんは例外的スーパーウーマンに思われるかもしれないが、実はこの本は彼女の根底の部分にある心持ちに共感させられる。ものすごく淋しがり屋だから何としても家族が沢山ほしかったこと、夫や娘自慢など微笑ましい部分を素直に述べている。後半部の夫との永遠の別れは泣ける。尊敬と感嘆を抱きながら、一人の素敵な女性の物語を読ませてもらい、読後は清涼感さえ覚えた。仕事をしている女性にはぜひ一読を勧めたい。

出窓社・1800円(税別)
(2001・5・17 藤原)

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女流作家
西村 京太郎 著

 「ミステリーの女王」と呼ばれた山村美紗の自伝的小説を西村氏が書き上げたものである。京都の売れっ子作家であり隣同士に住んで不思議な関係を続けていた2人、夏子(山村)と矢木(西村)。夏子が作家としてデビューし人気を得ていく経緯、矢木との出会いと関係が描かれている。他の登場人物も現実の作家名が浮かんでくる。8割は事実であるという西村氏の言葉通り、リアルな話なのだろう。流行作家と編集者とのやり取りなど、現場の苦労はさもあらんという感じで身につまされる業界人も多いのではないだろうか。
 全般に平易な文章で書かれており、実に読みやすい。自分自身のことを書くのは照れがあるのか、どうしても矢木よりも夏子に主眼が置かれている。夏子は我が儘ながらも生き生きと魅力的である。あのくらい自由闊達に振る舞えたらさぞ充実した人生を送れるだろうと思うが、反面孤独感も強かったようだ。彼らの関係は闘う同志か恋人か、それとも親友なのか。秘密にして墓場まで持っていくには、彼女の死があまりにも突然すぎたのだろう。「山村美紗さんに本書を捧げる」という西村氏の言葉からもわかるように、自分の気持ちを整理する上でも2人の関係を公表せざるを得なかったのかもしれない。

朝日新聞社・1400円(税別)
(2001・5・17 藤原)

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プラトニック・セックス
飯島 愛 著

痛々しい自叙伝だ。
きびし過ぎる親に反抗し、14歳で家出。同棲したり、友人の家を転々とした末、16歳で六本木のホステスとなり、完全に自活する。しかし、月に100万円以上稼いでも、収入以上に出費が重なり、常に借金を抱える日々。そんなところに持ち込まれたAV出演の話が人生を変えた。
その間の男性遍歴、援助交際、愛人生活はもちろん、恋人の友人に輪姦されたり、同棲相手の子どもを中絶したり、デビュー前に整形したりと、これでもか、これでもかと赤裸々な告白が続く。その勇気には間違いなく感服した。
タイトルのせいかセックス話がやたらと多い内容だが(売るために意図的にそうした?)、著者が愛し愛される関係を痛烈に求めているのは伝わってきた。その一方で、毛皮を買い、ブランドもののバッグを買い、ミエを張るために借金を重ね、からだで支払ったりしたのは、これも若さゆえの愚かさか。
親の愛情を信じ切れなかった娘は、外に愛情を求める。親が無条件に愛を与えなかったから、どれが本物の愛情か彼女には見当がつかない。結局、一方的に尽くしたり貢いだりの男女関係が待っていたりする。「誰からも愛されるように」と六本木のクラブのママがつけてくれた名前が「愛」だったなんて、やはり痛々しい。
最後に、この本を開いたら、まずビックリするのは文字の大きさだ。普段は本を読まない女の子たちがこの本を買い、「愛ちゃんの気持ちがわかる」とインタビューに答えていたのをワイドショーで見たが、出版社も商売がうまい。

小学館・1300円(税別)
(2001・3・17 宇都宮)

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ハリー・ポッターと秘密の部屋
J・K・ローリング 著
松岡 侑子 訳

ハリー・ポッター・シリーズの第2弾。
第1弾「ハリー・ポッターと賢者の石」で、自らが魔法使いの血筋であることを知り、ホグワーツ魔法学校に入学したハリー。シリーズ第2弾では、魔法学校2年生になったハリーの1年間の冒険が、学校を舞台に繰り広げられる。
私たち人間社会とは別の、魔法社会がこの世には存在する。人間たちは気がつかないが、魔法使いはときどき箒に乗って空を飛んでいるし(飛行術は1年生にもマスターできる基本の技だ)、魔法界の学校、銀行、新聞はもちろん、魔法使い向けのお菓子や洗剤など、生活用品も実は専門ショップでいっぱい売られている。そんな素敵な設定が、第2弾でも随所に散りばめられ、しかも宿敵・ヴォルデモート卿との対決も最後にちゃんと用意されている。
なにより生き生きと読む側に迫ってくるのは、ホグワーツ魔法学校での寮生活の描写だ。4つの寮に分かれた生徒たちが、どんな風に放課後を過ごし、テスト前の勉強をし、寮対抗戦で競いあうか。まるでイギリスの全寮制学校の生活が目の前に展開されているかのよう。作者は30代のシングルマザーだそうだが、女性ならではの生活に密着した視点と、予想を裏切るドキドキのストーリー展開が見事にマッチして、読む側に躍動感が伝わるのだろう。子どもの頃から、イギリスの児童文学には本当に感動し続けてきたが、ハリー・ポッターはC.S.ルイスのナルニアシリーズ以来の傑作かもしれない。
イギリスを旅すると、自然のゆたかさ、緑の美しさに加え、古い石造りの建物も多く、絵本さながらの風景が広がる。小径を歩いていても、草の陰に妖精が、古い屋敷の中に怪物が、本当に潜んでいるような気がする。そんな風土がゆたかな児童文学を生み続けているのだと、改めて実感した。

静山社・1900円(税別)
(2001・2・17 宇都宮)

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四季・亜紀子
五木 寛之著

 「四季・奈津子」から「波留子」「布由子」と続く「四季」シリーズの完結編。四姉妹の三女、医学生時代には大学病院の民主化闘争での逮捕歴をもつ亜紀子が今回のヒロインである。
 医大をやめた亜紀子は独力で環境保護についての雑誌を発行している。しかし、その活動に行き詰まっているところで、かつての恋人から「現実の政治」にかかわることを提案される。その勧めに従い、保守党内の進歩的代議士・根岸の政策スタッフとなった亜紀子だったが……。亜紀子を軸に、それぞれの個性を持った姉妹たちがくっきりと描き出されている。
 このシリーズのモチーフとなっているのは、アジアとヨーロッパを隔てるボスホラス海峡をうたったロシアの詩人・エセーニンの詩。亜紀子の妹・布由子がボスホラス海峡を前にしたシーンで小説は終わる。彼女がずっとあこがれ続けたボスホラスの海。「わたしはいま、たしかにボスホラスの海を見たのだ――」と彼女はつぶやく。いわば、このシリーズは姉妹のそれぞれが、それぞれの「ボスホラスの海」を探す姿を描いたものだと言えるかもしれない。

集英社・1260円(上・下とも、税別)
(2001.2.1 鈴木)

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巨泉 人生の選択
大橋 巨泉 著

欧米では1日も早いリタイアメントをステータスとし、その後の人生の充実ぶりを誇る。巨泉さんは30代で価値観を転換し、56歳でタレント・司会業をセミ・リタイアメント。桜と紅葉の季節は日本に、夏はカナダに、冬はオセアニアに住み、ゴルフ・釣り・ジャズなど多彩な趣味を満喫する生活。しかし、「セミ」と名のつくところがミソで、タレント業という虚業からは降りたが、世界数カ国にギフトショップを経営し、実業においてはバリバリの現役である。しかも、実業を円滑に運営するために、日本に滞在する期間はTV出演も欠かさないし、新聞等の連載も年中続けておられる。
本書は巨泉流「セミ・リタイアメントのすすめ」としながらも、実は「巨泉さんの生き方は巨泉さんにしかできないよ」と高らかに宣言している。温暖な気候を求めて世界を巡る生活はかなりの経済的基盤がないとできないだろうし、そのためには前半生での大成功が必須だ。この本をいちばん真剣に読むであろう40代以降の男性は、読んだ時点で自分がすでに出遅れていることを悟る。そして思う。「巨泉さんのように、運と才能に恵まれたからこそできる人生だ」と。
だが、それでもこの本は人生訓に満ちている。若い頃の巨泉さんの奮闘ぶりが、私は読んでいていちばん面白かったが、なるほど成功されるべくして成功されたのだな、と納得できた。そんな巨泉さんから読者への「優雅なリタイアメントに欠かせない4条件」をご紹介すると、@健康、A生涯のよきパートナー、B高齢になってもできる趣味、C財政計画、なのだそうだ。さて、みなさんはどう思われますか?

講談社・1500円(税別)
(2001・1・4 宇都宮)

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遺言 〜桶川ストーカー殺人事件の深層
清水 潔 著

いろんな意味で、非常におもしろい本である。
記憶にそう遠くない埼玉県桶川市の女子大生刺殺事件。この事件を当初から追い続けた写真週刊誌「FOCUS」事件記者の半年間にわたるルポルタージュである。
つきあっていた男にストーカー行為を受けた末に殺された21歳のごく普通の女子大生が、親しい友人に残していた言葉「私が殺されたら、犯人は小松」。この「遺言」を頼りに1事件記者が警察よりも早く犯人を割り出し、実行犯逮捕へとつなげた。なぜ1事件記者が(それも本人云うところの三流週刊誌の記者が)警察より早く犯人に辿り着いたのか。本書で克明に綴られている取材の過程は、関西ではなかなかお目にかかれない写真週刊誌の取材手法がわかり、非常に興味深かった。
また、記者クラブに所属していない週刊誌記者だからこそ書けた内容も多く、この事件が浮かび上がらせた警察とマスコミの問題点を読者にわかりやすく教えてくれる。
そして、本そのものの構成。まるで物語のように、事件の節目節目を巧みに利用して次章へとつなげていく。著者は報道カメラマン出身なのだが、もしすべて本人が執筆されたのなら、この文章力・構成力は本当にすばらしい。
桶川事件はストーカー殺人の中でも象徴的な事件だった。「市民を守らない」埼玉県警の信じられない不祥事の数々がその後明らかになったし、ストーカー行為規制法も今年5月に成立した。主犯の小松和人たちの身の毛もよだつストーカーぶりには、情報提供者も著者自身も「名前が出たら、今度は自分が殺される」と脅えた気持ちもよくわかる。本書の中の言葉を借りれば、まさに「これ以上は取材ではない、『捜査』だ」。
しかし、それでも知りたい気持ち・伝えたい気持ちは抑え切れない。つくづく記者とは因果な商売である。

新潮社・1400円(税別)
(2000・12・16 宇都宮)

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風のジャクリーヌ ある真実の物語
     ヒラリー・デュ・プレ/ピアス・デュ・プレ著
     高月園子訳
      
 英国の天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏は知らずとも、名前は聞いたことがあるだろうか。この本は、幼いころから驚くべき才能を発揮するも、その絶頂期に多発性硬化症という難病に侵され演奏活動を断念。42歳という若さでこの世を去った彼女と家族の壮絶な愛と苦悩の物語を、実の姉と弟が共同で執筆したものである。
 あまりの音楽的才能ゆえに音楽以外の世界では生きることができなかったにもかかわらず、病にそれを奪われたジャクリーヌ。そして、彼女の才能を開花させるために多くを与える一方、天才を抱えるゆえの苦悩と犠牲をはらうことになった家族たち。特に衝撃的だったのが、ジャクリーヌが姉ヒラリーの夫であるキーファに抗鬱剤のようにセックスを強要し、彼もそれを受け入れたという話だ。妹を、そして天才を救うための唯一の方法であったと言うが、ヒラリーの苦悩はいかばかりだったか。
 赤裸々に語られてはいるが、これは姉と弟が多くを乗り越えて初めて綴った思い出であり、真実に向き合った結果である。だからこそ、その深い愛情と悲しみに胸が打たれる。
(ショパン刊、1900円税抜き)                                 
(2000.12.6 伊藤)                                                                

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東電OL殺人事件
佐野 眞二著(新潮社) 

「心の闇」という言葉が昨今、よく取り上げられる。
この本を手にしたとき、いちばん知りたかったことは、東京電力のエリートOLがなぜ売春行為の果てに殺されたのか。彼女はどんな「心の闇」を抱えて売春に走ったのか。この2点に尽きる。
慶応の経済学部を優秀な成績で卒業し、殺された時点での役職は「経済調査室副長」。女性同期入社組では唯一企業内に生き残り、経済誌の論文懸賞では入賞するほどのキャリアの持ち主が、退社後、円山町の「立ちんぼ」で1日4人以上の客を自らのノルマとし、挙げ句は2000円でからだを売っていたという。会社が休みの週末もホテトル嬢として「出勤」後、やはり「立ちんぼ」。それでも毎日必ず最終電車で母と妹の待つ家に帰る。39歳の女性にとって、この生活がいかに過酷で心身をすり減らすことか。同年代の私には信じられない思いばかり残る。
容疑者にされたネパール人の無実は疑うべくもないし、冤罪を作り上げる警察の体質にも今更ながら呆れるだけ。しかし、丹念かつ詳細に事件を追った著者の取材力と熱意には心から敬意を表するが、私が知りたかったエリートOLの「心の闇」は依然として謎のままだ。キャリアの差こそあれ、同世代の女性としてさまざまな憶測はできるが、当然のことながら憶測は憶測に過ぎない。
著者もまた本文中で述べているように、「片々たる事実をジグソーパズルのように丹念にはめこんで、残ったピースの在りかを空白のままで示すことこそ、ノンフィクションライターの勲章」なのだろうが、読後はやはり空白を知りたい気持ちが強く残った。
(2000.11.13 宇都宮)

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