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私的エコ生活〜グリーンコンシューマーをめざして〜 by Ito
〜環境対策は消費者1人から、の視点で環境問題を暮らしの中から考えます〜


第5回『自然農法で米づくり』(2001.9.10)

 自家菜園が人気である。庭のちょっとしたスペースに季節の野菜を育てることは楽しく、収穫時のうれしさはまた格別。安全な野菜を食せるという安心感もある。かくいう私も、自給自足の田舎暮らしを夢見るものとして、数年前から農的生活を楽しんでいる。
 これまでに、奈良県明日香村の棚田オーナーとして草刈から脱穀までを体験。自宅近くでは、行政が町民に貸し出している"ふれあい農園"で、トウモロコシやサヤエンドウ、トマトなどを食べきれないほど収穫することもできた。ちょうどこの時は長男を妊娠・出産した時分で、ベビーキャリーに寝かせた息子をかたわらに転がし、「なんだか本当の百姓みたい」と草を引きながら一人悦に入ったものである。
そして今、里山復興を目的とする民間団体に家族で参加。これまた偶然自宅近くという有難い場所に同団体が借り受けた田で、仲間と米づくりに汗を流している。棚田は別として歓光農園ではほとんど有機で作ってきた。というより、は面倒くさがりの性格ゆえ、肥料をやったり薬を撒くということをしない放ったらかし状態だった、というのが本当のところだが・・・。
しかし現在の米づくりは、正真正銘の自然農法である。20年間にわたって自然農法栽培に取り組んでこられたH氏の指導で、農薬も化学肥料も一切使わない方法で育てている。エコロジーは訳すると"生態学"。つまり、自然界の生態系を壊すことなしに命あるものが共存共栄できることだ。化学肥料や薬はもちろん便利で、豊富な実りが得られるが、過剰な使用は一方で人体や自然に悪影響も及ぼすことにもつながる。
ある冊子にこう書かれていた。「化学を利用したテクノロジーは何かの役に立つが別の面では邪魔になり、それを排除するためにまた別のテクノロジーがいる。他の技術を用いなくてもそれ自体で永続的に完結する技術、それこそがこれからの時代に望まれていることであり、有機農業はまさにそんな技術なのです」と。自分で作るのであれ、スーパーで買うのであれ、口に入るまでにそれが通る道筋に目を向けることも忘れたくない。
田んぼでは稲穂がゆったりと頭を揺らし始めている。そろそろ稲刈りだ。おいしいご飯を楽しみに、週末また田んぼに出かけるとしよう。


第4回『クルマとエコなおつきあい』(2000.3.15)

 地球温暖化と大気汚染の元凶とされるクルマ。だから自動車メーカーも、低排ガスや低燃料化の促進、あるいは動力にガソリンと電気を組み合わせたハイブリッドカーや電気自動車といった、さまざまなエコカーの開発に総力をあげている。でも、人気の高いハイブリッドカーでさえ市販されている車種は限られているし、なんせ値が高い。このご時世、そう簡単にクルマを買い換えるなど簡単にいかないのだから。
ということで、私は免許はあるがクルマを持っていない(ただし、夫が仕事に使っている車1台はある)。少々不便さはあるものの、なければないで済むものである。私一人が乗らないくらいで環境なんて変わるものでもないが、公共交通機関と自転車を駆使すれば大抵の所には行けるし、環境のみならず足腰の衰えも予防できるというもの。それなのに、「雨の日は大変なんだから軽自動車でも買ったら」と言う夫や、「車があったら晩御飯でも荷物でも取りに来られるのに」という母など、まわりがいろいろと誘惑してくるのである。
人間というものは、クルマがあれば乗ってしまうもの。わが夫も歩いて5分というスーパーにクルマで行く。息子が通う保育所でも、8割くらいがクルマでのお迎えじゃないだろうか。自転車で通園する母と子の姿は、先生に言わせても珍しいくらいなのだ。そういう私もたまに夫のクルマを運転することがある。その時は、できるだけふかさない。右足の操作で燃費とCO2を減らそうと注意を払うのだ。でも、ガソリンを節約し過ぎてガス欠になり、えらい目に合ったことがあるので、節約もほどほどに。
クルマに依存しない社会とはいうものの、今じゃあそんなことは不可能だろう。が、ひとり一台なんて必要ないんじゃないかと思う。実際、クルマの共同利用システムの実験も行われている。そうなれば、ひとり一台はもう古いのだ。近所みんなで一台を有効的に利用すれば、駐車場代も税金も助かる。駐車場が少なくなれば街の風景はもっと落ち着く。そんな時代が早く来てほしい。


第3回『エコロジー文具を使おう』(2000.2.13)

 環境に負荷が少ない商品を使うことを目指す「グリーンコンシューマー」。消費者が自ら行動する具体的なライフスタイルのひとつだ。
では、ここで質問。「塩化ビニール素材の消しゴム(一般的に売られている)と、塩ビを含まないが少し消し味の悪い消しゴム。値段は同じ」。買うとしたらどっち?
塩ビは燃やした時に有害ガスが出る問題の多い化学物質で、できればあまり買いたくない。でも使い心地のいい方が―。または、100%パルプの柔らかトイレットペーパーと、古紙を使ったごわごわペーパー。「やっぱり気持ちいい方よねー」となるのだろうか。でも、最近盛んなリサイクル運動から言っても、こういった商品を選ぶことは必要だ。前述の、非塩ビ消しゴムの製造会社幹部も、「売れが悪いので販売を止めた店もある。いくら良い物を作ってもこれじゃ」と嘆いていたものである。
ちなみに、トイレットペーパーについて言えば、わが家ではこれまで古紙率10%から100%までいろいろ使ってきたが、100%はさすがにお尻に硬かった。3歳のわが息子、アレを使い続ければきっと"面の皮が厚い"ならぬ"尻の皮が厚い"男になった違いない…。
話が逸れたが、消費者と同時に店側の積極的な姿勢も大切なのは確か。以前、エコ文具を求めて文具店数件を訪ね歩いたことがあったが、見つけられたのは再生廃材使用の鉛筆と再生紙ノート、そしてコットンペーパー使用のクリップのみ。文具メーカーのカタログには、再生ペットボトルのペンケースだの、非塩ビ製下敷きだのと、どっさり載っているというのに。ロフトや東急ハンズあたりならあるのかもしれないが、小学生や中学生がわざわざそんな所まで買いに行くだろうか? 地方に行けば行くほど、文房具を買えるお店は町の小さな文具屋さんだけ。だからこそ町の文具屋さんには、もっとエコ文房具を置いてもらいたい。文具は子ども達にとっても生きた環境教材になるのだから。


第2回『レジ袋を溜め込む人達』(2000.12.19)

 前回は「レジ袋は要りません」なんて偉そうなことを書いたが、我が家にもレジ袋は山のように溜まっている。もちろん、私が止む無くもらったというものもあるが、その多くは夫が持ち帰ったものである。エコ生活を目指す時、一人暮らしならまだしも、家族がいる場合は、彼らにも理解してもらうことが不可欠。でもこれが一番しんどいのだ。
日用品などは私よりマメに買って来てくれる有り難い夫ではあるが、商品は必ずレジ袋の中。クリーニング店から持ち帰って来たスーツやシャツも、どでかい白い袋とシャツには1着ずつ透明カバー。ゴミ袋に使うっていっても、こんなにたくさんじゃ使い切れないよー。そうそう、ハンガーだけは近くのクリーニング店に引き取ってもらってる。別の服掛けに使ってくれるということで。でも実はこのお店、私が服を持ち込んだのは数えるほどで、ちょっと申し訳ないのだが―。とにかく、社会の一番小さい単位である家庭から環境対策を行おうとした時、その構成員1人ひとりがどれだけ足並みを揃えられるかだ。地域社会で環境活動をしていても、一番身近にいる人間に理解してもらわないことには何も変わらないと思う。そういう私も、以前こんな事があった。久しぶりに夫の実家に行った日のこと、帰り際に姑が「これ持って帰って」と、食品やらを細々とダンボールに詰めてくれていた。その中にあったのはなんと、ゴミ袋いっぱいに入れられたレジ袋の山!「たくさんあったら助かるやろ」と嬉しそうに笑う姑。そこには、たとえレジ袋でも貰えるものは何でも貰え的なおばちゃん魂が見え隠れ。物に不自由してきた世代だからこその生きる知恵なのか?! そして私はというと、「家にもたくさんありますし…」というのが精一杯。結局、もらったのはその時限りだが、今でも溜め込んでいるのだろうか。気にはなる。


  第1回 『レジ袋は要りません』 (2000.11.24)

 以前勤めていた生活情報紙の編集部で、ごみ問題を買い物袋から考えるという企画を担当した。ごみを出さない第一歩として、買い物の際には袋を持参しようというメッセージを込めた特集だった。たかがレジ袋じゃないかと言う人もいるだろう。「もらった袋は家のごみ捨て袋に重宝してるから」なんていう言葉も、取材中には多く聞かれた。でもあのビニル袋というものは、スーパーのみならず、100円ショップでも、コンビニでも、いたるところで有無を言わさず、まさに"配布"している。
かつて、あるホームセンターで小物を5つ6つ買った時、手持ちのバッグがあったのでレジ袋を遠慮したのだが、それを店員に断られたことがある。店の袋に入れなければ私が万引きしたと間違われるからだそうな。「じゃあ、テープ(店名の入ったもの)を貼ってくれればいいですから」、なおもしつこく言い返すと、それは手間がかかるからダメなんだと来た。なんじゃそれ。テープ貼るのに5分も10分もかかるわけじゃなし、その手間くらい惜しんでどうする! しかし、店員のいやにキッパリした口調は私を諦めさすには十分で、後ろに客が(1人だけだったが)並んでいたこともあり、私は釈然としないまま、デカすぎる袋に申し訳程度に入った商品を受け取ったのである。
ま、これはほんの一例だが、レジで袋を断るのは結構気を使う。断る勇気がないと言うのもよくわかる。だって、当たり前の様に袋を取り出す店員に「要りません」というタイミングって結構難しいもの。彼女たちの手さばきってホント早いから。こっちが財布をのぞいてる間にサッと出して入れちゃう。レシート満載の財布の中から小銭をかき集める時なんて、財布にも店員の動作にも目配りしつつ口も出す、これって以外と神経を使うんですよねー。 とにかく、買い物袋については、まだまだ考察が必要! 次回もあれこれ考えちゃいます。