●トップページに戻る

文学・歴史散歩 by Suzuki(旧PIAZZAメンバー)
〜自他共に認める文学・歴史フリークがおくる、文学・歴史紀行


第三回

 「京の底冷え」と言う。冬の京都は骨まで寒さがしみ通る。ましてや市内でも洛北に近い北野天満宮ともなれば、その寒さもひとしお、という気がする。
 天満宮といえば、祭神は菅原道真公。いわずとしれた「学問の神様」である。二月は受験シーズンとあって、参拝者も多い。社に向かって手を合わせるその真剣な眼差し。絵馬にも一字一字丁寧に願いを書いていく。ふと、自分の受験生時代を思い出し、やはりこうやって絵馬を書いていたなぁ、と懐かしくなる。
 小学校受験だろうか、親子連れも見受けられる。子どもも熱心だが、それ以上に親が真剣なのが面白い。「お受験」の舞台裏がかいま見えるようだ。この様子を道真公が見たらどう思うだろう。小心なほど真面目だったと伝えられる道真公のこと、目を白黒させて驚くだろうか。それとも、「お受験」の親にいたく共感するのだろうか。
 二月も下旬になると、境内の梅の花が満開になる。まだ寒さの残る中、百花にさきがけて咲く、その凛としたたたずまいには心惹かれるものがある。


第二回・妻争いか?夫争いか?(2000.12.18)

 初冬の香具山を歩いた。今は「万葉の森」公園として整備されており、水生植物園、落葉樹林など、広い公園内にはいくつものエリアがある。遊歩道も充実し、近隣府県の小中学生の自然体験の場ともなっているようだ。
 遊歩道のそこここには万葉集」の歌碑がある。文字をなぞりながら読んでいくうちに、この香具山を詠んだ和歌を思い出した。
 香具山を詠んだ和歌はいくつかある。中でも有名なのは「百人一首」にも採られている、持統天皇の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」だが、その父である天智天皇の長歌もまた知られている。
 香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも つまを 争ふらしき
 「香具山は畝傍山が愛しいと耳成山と争った。神の時代、大昔からそうなのだから現在も一人の女性を巡って争うのだ」という解釈が一般にはなされている。自らと実弟の天武天皇(大海人皇子)、そして万葉第一の女性歌人である額田王の関係をなぞらえての和歌だとも言われているものだ。
 しかし、実際に歩いてみると、香具山は稜線のなだらかな、男性になぞらえるよりはむしろ女性的な山である。逆に大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)の中で、畝傍山はいちばん高く、耳成はむしろ「丘」とよびたいほど、おっとりとした姿を見せている。
 そういえば「ををし」は「雄々し」とも読めるし、万葉の時代は夫も妻も「つま」と呼ばれていた。もう一つの学説のように、この長歌は一人の女性を巡って二人の男性が争う、妻争いの歌ではなく、一人の男性(畝傍山)を巡る、二人の女性(香具山・耳成山)の恋の鞘当てなのかもしれない。
 そう思うと、恋にも性にもオープンで積極的だった、万葉女性の姿が浮かぶような気がする。


第一回・風の盆(富山県八尾町) 
 富山駅から高山線で約20分、富山県八尾町に着く。山に抱かれたこの町が、普段の静かさとはうって変わって賑わう時がある。9月1日〜3日の「風の盆」である。
 町に夕闇が忍び寄る頃、胡弓の音がどこからともなく聞こえてくる。しのび声のようなその音色は、三味線の音と響き合い、「おわら節」の艶めいた、それでいて哀調をおびたメロディーを奏で出す。
 深く笠をかぶった踊り手たちがゆったりとした手振りで踊る。すっと伸びた指先、ややうつむきがちの目線。男の踊りはしなやかで力強く、女の踊りはあくまでも優雅である。ぼんぼりの灯の中、踊りの列は長い坂を足音もなく上り、下って行く。祭り特有の賑やかさやざわめきは、ここにはない。あるのは、見る者を引き込まずにはいられない幽玄の世界、静寂である。
 作家・高橋治は、「風の盆恋歌」で風の盆を舞台に、心通わせ合いながら離ればなれに生きた男と女の不倫を描いた。夢まぼろしのような風の盆には、ひそやかな恋が似合う。