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今月のお題 「星」

 花火の打ちあがるその夜空を見上げると、汚染された大気の向こうに微かに輝く星が…。いつもは見上げる事の無い夜空。そこに瞬く星にスポットを当てて見ました。


福留 順子

『星空に思う』
 今目にする星の光は、何億光年も前に発せられたものと聞く。だから、もうその星はこの瞬間には、存在しないかもしれない。そんな気の遠くなるほどの広がりを持つこの宇宙。当然果てがあるはずなのだけれど、その宇宙の果てそのものが早いスピードでまだ成長し続けているという。 想像していくと、頭がクラクラしてくる。一番近い火星にだって、人は行きつけていないというのに、宇宙の果てがあって、その果てがまだ成長して伸びていってるって?
 夜空を見上げると、月が見えた。あの月に人が立ってから、もう何年になるのだろう。月へすら気軽に行ける時代は、なかなか来そうにも無い。
 その月の向こうに、星が輝く。あの輝く星に、私と同じように空を眺めている人がいるのだろうか?ひょっとしたら… 寝静まった夜中、時は私の周りをゆっくりと流れて行く。


宇都宮 雅子

『変光星』
さそり座のアンタレス近くの星が先週より光度を増し、1.8等星にまでなったという。猟師オリオンを殺したサソリが夏の空に輝き、サソリを避けてオリオンは冬の空にしか現れない…とギリシア神話にはある。いずれも季節の星座の代表格だが、特に南の低空に見えるさそり座は、都会暮らしでは建物がジャマをし、なかなか拝めない星座だ。サンフランシスコからヨセミテに向かう夜行バスの窓から初めてさそり座を目にしたときは、南の空に堂々と横たわるその偉容に感動したものだ。
話題の変光星は約600光年の彼方にある。今回の変光も実際には室町時代に起きたわけで、星の世界に思いを馳せると、いつも行き着くのは時間・空間の壮大さ。それにひきかえ星の瞬きにも満たない人の一生。私も年齢を重ねるほどに人の一生の短さが身にしみ、その短い中の喜び悲しみの深さがしみじみと感じられる今日このごろだ。


鈴木 むつみ

『ギリシャの神々』
 ギリシャ神話に凝った時期がある。神々の悪戯、争い、そして恋――勇者や美女と織りなすドラマの中で、ギリシャの神々は神々しさよりも人間くささを感じさせた。
 ギリシャの神々は、夜空の中にもいた。眠い目をこすりながら、星座盤を片手に、カシオペア座や白鳥座など、星となったギリシャのドラマを懸命に探したものだ。
 今も、心疲れたとき、夜空を見上げる。街中ではさほど多くの星は見られないが、それでも一つ二つの星あかりに、心洗われるものがある。ぼんやりと星を眺めているだけで、また新しい気分に生まれ変わることができる。「ギリシャの神々だってたくさんの失敗をしているのだから…」と、気を取り直すこともできる。
 それにしても、この世紀末、夜空でギリシャの神々は何を話しているのだろうか? 案外、排気ガスに汚染されてしまった夜空で、咳き込んでいるかもしれない。


水村 節香

『星に願いを』
  初めて学校をズル休みした時のことって、みなさんは覚えていますか?わたしは、どうしてもできあがらなかった「雑巾縫い」の宿題の提出日でした。一応、一応、努力はしたのですが…。朝、とびきりのか弱い声で「…お母さん…」母は「どないしたん?しんどいん?」心配そうにわたしを窺っていました。体温計を自分の部屋にもちかえり、ふ〜ふ〜息を吹きかけ、手でこすり、37度まで何とかたどりつかせました。そして、"ズル休み"の初体験をしたわけです。
 その日の夜のことです。「なあ、しってるか?織姫さんは、糸のお姫さんやから、裁縫が上手になりますようにってお願いをしたらいいらしいで。」と、いきなり母が、言い出しました。なんてことはない、母は全てお見通しだったわけです。どきどきしながらの仮病も、その理由も全て分かってしまっていたというわけです。完敗でした。
 しかし、ずる休みを叱るわけでもなかった母に、ほんの少し後ろめたさを感じて、叱られるよりも身に応えたものでした。そして、いまだにラジオから「星に願いを」が流れるたびに、…ごめんなさい…とつぶやく小さな子どものわたしが、そこにいます。


藤原 佳枝
『占星術』

夜空の星を見上げていると、何となく物思いに耽る詩人になれるような気がすることがある。そんな星を見ていた古代の誰かが星と運命とを関連づけたのだろうか。占星術の原理とは、すべての現象は星により影響され、とくに人間には生まれた年月日時により、特定の星が関係し星の運行により人間の運命、未来の出来事などがわかるというものである。占いにも様々あるが、占星術は血液型占いなどよりもはるかに歴史が深く、今でも厳然と信じられている。時のアメリカ大統領夫人が凝っていたという話も記憶に新しい。
星の寿命に比べると人間の一生は瞬時である。短い自分の運命を悠久の輝きのある星から推測しようという気持ちは、現代人の我々にもわかる。人の気持ちは移ろいゆくが何か頼れるもの、信じるものが欲しいという気持ちには今も昔も変わりがないようだ。IT時代と言われる来るべく21世紀に星を眺めながら人は何を物思うのだろうか。