元に戻る

今月のお題  『年末年始の過ごし方』    

「師走」「なんとなく気ぜわしい」など、年の暮れの忙しさを表現した言葉は枚挙にいとまがありません。また、お正月は古来より日本最大の行事で、なにかと慣習があるもの。メンバーの年末年始の過ごし方もそれぞれのようです。


藤原 佳枝

『お正月の風景』

年末はこたつに入って紅白を見ながらみかんを食べ、年始はおせちを食べながら年賀状チェック。全国的にそれが一般的で、私もそんな年末年始を過ごしていたのはいつの頃までだろう。今では豊かになり価値観も多様化し、年末年始の過ごし方は個々人によって全然違う。ただ、楽になる方向であるのは間違いところ。おせちも作るよりも買う人が増える一方。お正月はお店が閉まるので、料理を作りおきしておかなければならなかった頃とは話が違うが、お正月の雰囲気を味わいたいという気持ちは変わらないのかもしれない。
かくいう私もおせちをまともに作ったことは、結婚以後ない。海外脱出やら国内のホテルで過ごすことも多かった。今年もホテル組で楽をさせてもらうつもり。でも、ちょっぴり昔のお正月風景が懐かしくもある。もう戻れないけど・・・。


森 たかこ

『やる気だけはあるんだけど』

毎年の事だけど、年末はやはり掃除。掃除が嫌いでへたな私でも普段よりは多少掃除をする。普段しないところも年末だけはしなければならない、と自分に言い聞かせてやっている。そうでないと1年間全く掃除しないところがあるからだ。
年始は、写真整理をする予定である。が、ここ数年、全然やっていない。普段は全く写真整理などしないので、今では数年間全く写真整理がなされていない状態だ。年の初めに体調を崩したり、いつもより少しゆっくりするともう一日が終わり、あっという間に3日間が終わるのである。
今年こそ必ずすると思っていたら、なんと3日から仕事が入ってしまった。今年も写真整理できないのか……。
しかしまだあきらめてはいない。忙しいときほど、物事が片づくという言う人は多い。よって、今年こそ、どんなに少しでもいいから写真を整理する。前年の一年分は最低整理するつもり。ずっと以前のものを引っ張り出してきて、整理しようとするから億劫になってできないのである。だからこれならできるでしょう。いや、やらねばならないのである。私がしないと写真は一生、箱の中に入れられたままで終わってしまうからである。


福留 順子

『あっという間の日々』

大晦日。幼い頃は、起きて午前零時を迎えることが目標だった。たいていは、気がつけば朝になっていて、兄たちから「もう初詣してきたで」と言われ悔しい思いをしたものだ。
母はいつも、遅くまでおせち料理作りに忙しかった。何時の頃からか私の担当になり、今では早く終わる予定で始めるのに、結局、除夜の鐘が聞こえる頃までバタバタすることになる。もちろん正月は寝正月、となるはずだが家族の世話に明け暮れて過ぎていく。
毎年思い描くような静かな厳かな年末年始とは程遠い、年末休みに入ったかと思うと、あっという間に仕事始めがやってくる「慌しい」の一言に尽きる日々である。
ここ数年は、年末の忙しさを逃れ、家族で海遊館に出かける年が続いた。さすがに人はまばらだ。お魚たちをゆっくり眺めることができる。あわただしかった日々が水に溶けて行くようだ。とはいえ、やっぱりそのときだけのひと時には違いない。 今年は、海遊館のカードを早々と切ってしまった。喪中なので、お節を作ることもない。年賀状を作らないといけない!という脅迫もない。
何もすることがない今年の年末年始は、ビュンビュン過ぎていく私の時間を少しとめて、ボーっと時の流れを感じてみることにしよう。


伊藤 さおり

『きもの姿で事始』

着物が好きだ。それも、友禅染めや刺繍が施された華やかなものではなく、農家の人たちの手仕事として発達した素朴な紬が好きだ。最近人気が高い銘仙もいい。そんな大好きな着物に袖を通す楽しみは、なんといっても冬に限る。まとうだけで身も心もふんわりと温かになれるうえ、羽織を重ねてのちょっぴりレトロな雰囲気も味わいたいから。
12月になると、お正月はどれを着ようかと箪笥からゴソゴソ引っ張り出す。といっても、高価なものはほとんどない(と思う)。自分で買った新品は1着限り。あとはリサイクルの着物屋さんや蚤の市で購入したもの、そして一番多いのがいただき物だ。母の友達の着物だったり、そのまたお母さまの品だったりと、いろんな人の手を経て、私の手元にやってきたものたちだ。長い時間を超えて受け継がれてきた着物だけど、その価値を十分に生かす機会も、肌触りに浸る余裕もほとんどない。だからこそ、お正月には初詣はもちろん部屋でのくつろぎ着として、帯や小物を好きに組み合わせながらひとり満足なひと時を過ごす。願わくば、この"着物ごっこ"に夫と息子が加わってくれば、なお楽しいのだけれど・・・。


宇都宮 雅子

『元旦営業恨み節』

 私の夫は小売業の会社に勤めている。
そのため世間が休む日曜・祝日に休みがとれず、私とは新婚当初から休日が重ならないことが多かった。
数少ないまとまった休暇は、年2回の1週間休暇と正月休み3日間だけ・・・。なのに、年2回の1週間休暇は管理職昇進と平成大不況のあおりで有名無実化。正月休みは年々オープンが早まる業界の波に逆らいきれず、ついに5年前から元旦出勤。私たち夫婦にとって年末年始は通常の1週間に、いや通常以上に忙しく疲れる1週間へと変貌した。
夫がこんな調子なので、大掃除も年賀状の用意も全て私ひとりですませる。年末休みはこの2つでほぼ終わり。元旦はお雑煮とおせちは用意するものの、それ以外はまるで普段の休日の様相を呈する。夫が仕事をしている間、私は家にひとり。友人からの年賀状を楽しみながらサッカーの天皇杯決勝をテレビ観戦し、場合によっては仕事なんぞもしてしまう。
姑にすら同情されるこの現状だが、かといって夫の実家にひとりで行くのも気が進まない。それなら家で天皇杯を観戦する方が楽しい。申し訳ないが、これが本音。
元旦から開店する店が増え、世の中便利になった。私もその便利さを享受している。しかし、その裏にはお正月休みがなくなってしまったサラリーマンとその家族がいることも、世間の人にぜひ覚えていてもらいたい。