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今月のお題  『顔』    

「顔」といえば、何を思いますか?笑顔、怒り顔、泣き顔、困り顔、しわ、整形、・・・その人の置かれている年齢やポジション、そのときの思い、などその時々で、思い浮かべる「顔」は異なりますよね?貴方の思いと、メンバーの思いは、いかがですか?
感想を聞かせていただければ、嬉しいです。


宇都宮 雅子

人柄と顔

顔というのは内面を写す鏡だと言われるが、実際そのとおりだと思う。
ここで言う「顔」は顔面の美醜や造作のことではなく、「表情」に近いのかもしれない。
イライラしている人、人を責めてばかりの人は目が吊り上がっているし、寛容な人はなんとも言えぬ柔和な表情を見せる。
以前、仕事がらみである人と話し合いを持つ機会があった。彼は私の仕事ぶりを高く評価していると言い、現在の進行上の問題点をあれこれと質問した。私は答えられる範囲では答えたが、質問の中には第三者のプライバシーに関わることや彼が知る必要のないギャラに関するものも含まれており、そうした質問には「知らない」で押し通した。
すると突然、それまで穏やかで、いかにも「あなたの味方ですよ」的だった彼の表情が一変した。表情だけでなく、彼はくるりと背中を向けてしまった。その後、なんと彼は評価しているはずの私を排除しようとする動きまで見せた。
以来、それまではなんとも思わなかった彼の顔がイヤになった。
顔に対する印象なんて、そんなものかもしれない。その人の人柄が好きになれば、顔だって好ましく見えてくる。今回は残念ながら逆のパターンだったが、好きな顔がひとつでも増えた方が人生楽しいはず。今後は好きな顔が1つでも増えてほしいものだ。



森 たかこ

年齢と顔

最近、よく同窓会がある。中学校や高校の時の同窓会だ。
子供から大人への過渡期にあった友人達の顔は、張りが無くなりややくたびれ気味。最も美しく格好がいい時期を通り越してしまったようだ。もっと早く会えていたら、もっと美しかっただろうな、とか、格好いいだろうなとか色っぽかっただろうな、と自分の容姿も含めて少し残念に思う。
 しかし、客観的には中年のおじさんおばさんも話しているうちに、十代の顔と重なってくるから不思議。ありがたいことだ。
 それにしても若く見える人と年齢より老けているように見える人がいる。みんな同じ年なのに。
女性に限って言えば、元々きれいだった子は、やや老けてはいるがやはりきれい。鼻も高いし唇の形も美しい。で、元々目が小さくおばさんっぽかった子は、そのままの顔であんまり変わっていない。一番年齢の波をかぶったのは、若い頃はそこそこかわいい普通の子かな。でもやっぱり努力とか気の持ち方でかなり差があるようだ。
これから年月が経つにつれ、ますます見た目の年齢は離れていくだろう。三十年ほど先になったらみんなどんな顔になっているか、今から楽しみ(恐ろしい?)である。


福留 順子

顔のしわ


鏡に顔を映すと、しわが目に付く。消そうとしても、消えてくれない。突然思い出したように、顔の体操を始める。あ、お、い、う、え、お、あ、お、…。顔も筋肉でできているので、筋肉を鍛えないとだめだ!と思うが、所詮つけ刃。そうそう、しわが消えてなくなるわけでもない。しわのつき方にも、いろいろある。口をへの字に毎日曲げていたら、そのようにしわができるし、そうなると、いかにも怖い顔になる。スマイル、スマイル。同じしわなら、笑ってできるしわがいい。どうせ、歳をとれば筋力も落ちるし、肉も落ちてしわもできる。これは、人間避けて通れない道。だとすれば、人に不快を与えないような、しわを作りたいと思う。かくして、風呂上りには鏡とにらめっこしながら、ニカッ!と笑ってみせる。笑いは顔からというけれど、オモシロクなくとも、笑顔を顔に載せれば、自然となんだか楽しい気持ちになる。子どもと接するときも、「笑顔、笑顔」と心でつぶやきながら、顔は思いっきり怒っている。いかん!これから、しわのより方も考えて、笑顔を心がけることにしよう。不快感を与えないためにも・・・



藤原 佳枝

『顔の変貌

「人間40になったら自分の顔に責任を持て」と言われる40をとうに超えてしまった私。鏡に映る自分から、明らかに容姿が下り坂に入ったことを確信させられる。これからどんどん年を取ってくるとどんな風に変わってしまうのだろう。不安でもあり、一方で怖い物みたさの興味もあり。
先天的なもの以外に、環境などの後天的因子で顔つきは変わる。権力を手にした政治家の顔の変化を見てみると面白い。総理大臣になる前とそれ以後とでは表情が違う。もっとも現首相の小泉さんはあまり顔の変化が見られない、という特徴をお持ちだ。権力志向が元々少ないのか、あるいは異様に性根が据わっているのか。
内面の自信がでると外面の表情も当然変わる。大昔私がまだ中学生だった頃、同級生のおとなしく目立たない女の子がいた。かわいらしいが地味な存在だった。その後ボーイフレンドができた彼女は、キラキラと輝いて自信に満ち目立つようになった。その変貌ぶりは女子生徒の間ではうらやましさもあって評判になった。
年とともに容貌は必ず衰える。それ故に、どんどんと内面が外に出てくるようになるのだろう。若き日のオードリー・ヘップバーンはそれは美しかったが、晩年の痩せた彼女も人間としてとても綺麗だった。私もせめてやさしい顔のおばあちゃん程度にはなりたいものだ。これからどう生きていくかが勝負だなぁ、と思ってみたりする。