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春号のお題  『飛行機』    

飛行機、といえば何を思いますか?紙飛行機?旅客機?戦闘機?飛行船?セスナ?パイロット?旅行の思い出?人それぞれにそのときの思いが、ひとつの題から思い浮かびあがってきます。さて、メンバーは、どんな思いを語ってくれるのでしょう?


森 たかこ

怖いけど好き

今年の3月、飛行機に乗った。
私は乗り物には酔うことが多いので飛行機でも時々酔う。が、飛行機は大好き。
地上から空中に飛び上がるときのふわっとした感じや、地上に降りるときのゴンという小さな衝撃も大好き。これから旅が始まるとか、ああやっと無事着いたという安心感がいい。
あんな重い物が空を飛ぶという感嘆と恐怖が入り交じった何とも言えない緊張感が私をドキドキさせてしまうのだ。
最近は、テロや飛行中の部品の紛失とハラハラする材料は山のようにある。
先日乗った航空会社はボルトが脱落したり水平尾翼が欠損したりと何度もニュースで話題になっているところで、本当にハラハラするのである。
こんな怖いことでドキドキするのはいやなのでしっかり点検して搭乗者に安心させて欲しいと切に望んでいる。
私が乗った時も飛行機は出発前に1時間半ほど遅れたので、非常に心配した。が、大きなトラブルもなく予定どおりに目的地に着いた。帰りもやや揺れたぐらいで無事に着いた。ドラマでよくあるようにキャビンアテンダントが「誰かお医者様はいらっしゃいませんか」と緊張した面もちで叫ぶ場面もなかった。
幸運にも、恐ろしいことを考える割には、いつも無事帰ることができてホッとするのである。



藤原 佳枝

安全性と快適性

海外旅行好きの私には、飛行機は避けて通れない乗り物。こういう表現をすればわかるように、私は飛行機が苦手だ。あの巨大な塊が空を飛ぶということ自体、理屈では納得できるが、不思議な気持ちが残る。機内での時間も、ほぼ座席に固定された状態で、雑誌・新聞を読んだり音楽を聴いたり、映画を見たり。何とも窮屈なのだ。しかも、エコノミー症候群などという厄介な症状が起きうるので、できるだけ体を動かしたりしなければ、という意識も働く。食事もお世辞にもおいしいとは言えないし、長いフライトではブロイラー状態にもなる。また飛行機というと、どうしても事故が起きれば・・・という恐怖感がゼロとは言えない。安全性が非常に高いものだとはわかっていても、万が一ということを想起させられる。ネガティブなことばかりが浮かび、私にとって空の旅はあまり快適とは言えない。
それに比べて列車は安全で快適な乗り物だった。今これを書いている数日前に起きたJR西日本の列車脱線事故。あまりの惨状にショックだ。前途ある若者を含め多くの犠牲者の方達を考えると痛ましい限りだ。好きな列車の旅も決して安全が保障されているわけではない。乗り物には事故がつきもの。いや、我々の身の回りすべて危険があるのだろう。日頃は気づかないだけで。


福留 順子

鉄の塊だ!

空港の近くにある公園に、子供向けのウオーターランドがある。水の流れる滑り台や、滝、ウオーターガン、川・・・浅くて水遊び場、という感じのところだ。だから、ヨチヨチ歩きの子から小学生低学年くらいまでの子達が歓声を上げている。わが子がやはりよちよち歩きの頃に連れて行ったことがる。喜んであっちの川や水溜り、こっちの滑り台、あそこの水鉄砲、と夢中で遊んでいるその上空を、近くの滑走路から飛び立った飛行機が真上を通る。見上げると、手が届きそうなところに腹を見せながら旅客機が飛んでゆく。鉄の塊が飛んでいく。それが実感として感じられる瞬間。子どもとともに呆気にとられて見ていると、近くで泣き声がした。振り返ると、幼い子がその飛行機に驚き「恐い」と泣き叫んでいた。あの飛行機の迫力は、ちょっと恐いよね、心の中で語りかけた。子どもは正直だ。あんなのが空を飛んでいるなんて、平気で乗っているけれどやっぱり恐い。



宇都宮 雅子

空港での別れ

古今東西、映画や小説にはいろんな別れのシーンが登場する。鉄道駅の別れ、港での別れ、空港での別れなどなど。
空港での別れは飛行機の巨大な機体に遮断されてしまうので、別れ間際に直接当人同士が手を握ったり、言葉を交わしたりすることができない。つまり、いちばん絵になりにくい。にもかかわらず、トレンディードラマでは主人公が海外に旅立ってしまうラストが多用されたため、成田空港での別れがよく登場した。それも手荷物検査を通る前の、誰でも入れる空港ロビーでの別れ。「あんなところで?」とも思うのだが、「空港」「飛行機」という非日常的要素のおかげか、それなりにドラマチックに見えてしまう。
しかし空港での別れも、案外ぐっとくるものだと1度経験してわかった。もう20年以上昔のこと。場所はパリのシャルル・ド・ゴール空港。一緒にヨーロッパを旅行した友だちが先に帰国するため、私がひとりで見送ることになった。
そもそも空港での別れは、ロビーで「さよなら」と言ってから、飛行機が実際に飛び立つまでの待ち時間が長い。それでも、ひと足先に日本に帰る彼女を見送ろうと、時間を潰しながらテイクオフを待った。いざ飛行機が飛び立つと・・・視界から消えるまで数十秒とない。夕闇のパリの空に、友だちの乗った飛行機があっという間に消えてしまったとき、不覚にも目に涙が浮かんだ。
あのとき胸に湧きおこった寂寥感は、人生初体験のもの。寂しい気分を抱えたままパリ市街に戻る電車に乗ろうとしたのだが、これが乗り継ぎが悪くてなかなかやって来ず、余計わびしさが募る。なんだかんだでホテルに辿り着いたときには、夜の9時を過ぎていた。
「空港」「飛行機」といった非日常的な要素が、それまで知らなかった自分を見せてくれたのか。未知の部分は旅先だけでなく、自分の中にもまだまだ潜んでいると、旅が教えてくれた経験だった。