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今月のお題 「受験」
 勉強の嫌いな人間にとっては、この二文字を目にするだけでイヤ〜な気分に陥ってしまう。いや、反対に「これに合格したから今の輝かしい私があるっ」なんていう、羨ましくも腹立たしい人がいるかもしれないが―。とにかく、高校や大学、いや幼稚園に入るのにさえ"お受験"があるこの世の中。一度ならず二度三度と大きな試練を潜り抜けてきた達人(?)たちが、それぞれの思いを綴る。


伊藤さおり

『受験勉強グッズ』
 「受験勉強グッズ」なんていう言葉があるのかないのか知らないが、高校そして大学入試に向けて勉学にいそしんでいた私には、とっておきの愛用品があった。それは、ズボン型足温器とでもいおうか(名前がわからないだけなのだが)、キルティング地のズボンの中に電熱が通っており、履けば足の先からお尻までホンワカ暖かいという優れモノ。まさに私の"受験勉強グッズ"だった。入試勉強というものは、たいがいが冬の寒い時期になる。あまりの寒さについコタツに足を突っ込みたくなるのだが、それをすると後の祭り。「5分だけ寝転がろう」が10分となり1時間、そして気づいたら朝だったというのは毎度のこと。そんな時に役立ったのがコレ。足は温か頭はすっきりで、これを履くと勉強がス〜イス〜イ。とはいかなかったが、高校・大学とも合格できたのはこのおかげか?しかし、薄情な私のこと、合格と同時にどかかに無くしてしまった。店などでも見た記憶はないが、未だに製造されているのであろうか。スーパーや百貨店のお方々よ、「受験勉強グッズコーナー」を設けられた折には、ぜひこの商品を! 


森たかこ

『合格可能性』
 最近、極妻から弁護士になった女性が話題になっている。で、思い出したことがある。
 私がまだ学生だったころ、同じ研究室の一年下に弁護士になりたいと公言しているAがいた。しかし、誰も本気にしなかった。担当の指導教官でさえだ。
 当然だ。私達が在学していたのは、法曹界に人材を送り出している学校ではなく、まして法学部でもない。彼ははっきり言って変人扱いされていた。そのまま私は卒業し長い年月が経った。2年程前、先生が退官されるのを機会にみんなが集まった。なんと、そのA氏は本当に弁護士になっていたのである。
 彼が卒業後何年かして司法試験に通ったとき、あそこの大学出身でも司法試験に通るのかと話題になったそうであるから、いかに可能性がなかったかが分かる。Aさん、笑ってごめんなさい。合格の可能性は自分で広げることが出来るのでしたね。


福留順子

『受験生の親』
 何時のまにやら、受験生から受験生の親の年齢になっている。とはいえ、我がこととは程遠く実感はない。親しい友の子は、昨年高校受験だった。その息子は、小学6年の頃少し足を踏み外し、中学に入ってもなかなかまっすぐにはいかなかったと聞く。その子が、名の知れた大学の付属高に合格した。
 彼は野球少年。彼女は、試合・練習にずっと付き合ってきた。横道にそれかけた時も野球だけは、離さなかった。「そんなことをしていたら、試合にも出してもらえないよ」と諭したという。その言葉が通じたのか、仲間の少年と離れ(そのため殴られて帰ってきたことがあるという)、その高校の野球部に入りたい一心で、勉強に励んだ。結果は、今その高校の野球部で汗を流している。友は「最後まで諦めずに勉強していたことが、うれしい」といっていた。見守り、サポートしつづけた彼女の力も大きかったと思う。


宇都宮雅子

『デス・スパイラル』
かの「お受験殺人」が世間を賑わせてから、もうかれこれ1年たつだろうか。
あの事件の少し後で、私がヘルパーとして訪問していた男性から、孫が国立大学付属の小学校に合格したと喜びの声を聞いた。「よかったですね」と同調したが、その後の彼のセリフが耳に残った。「孫が合格できたのは嫁の手柄だ。あの嫁も成長したものだ」。
私はこのお嫁さんに心から同情した。こんな形でしか認めてもらえない立場って、一体どんな居心地だろう? もし、周囲に自分を認めさせたくて、子どもを受験勉強に駆り立てている母親がいるとすれば、子どもはたまったものではない。それでも親を喜ばそうと、健気に頑張る子どもは多いだろう。そして、それを見た親たちが「ウチの子が受験したがってるから」と正当性を主張しだしたりしたら、もうデス・スパイラルだ。
最近つくづく思う。どんな学校に入り、どんな学校を出たところで、所詮人生は自分次第。自分が変わらなければ、なにも変わらない。


鈴木むつみ

『ある冬の思い出』
 ふと目を覚ました。胃が痛い。しばらくじっとして様子を見たが、痛みはおさまりそうにない。結局、少し痛みが遠のいたときにうとうとする程度で、夜を明かしてしまった。
 翌朝、病院に行って診てもらったところ、「神経性胃炎」との診断。理由ははっきりしている。大学受験だ。入学願書を用意した大学は、ロクに受験勉強をしていなかった私の成績と比べれば背伸びしていることは明白なところばかり。このままでは浪人は必至、もう1年頑張ってみようと考えていたのだが、どこかでその覚悟が定まっていなかったのだろう。その甘さが胃に出てしまったというところだ。
 結局、私は当初ほとんど考えに入れていなかった大学にのみ合格し、そこに進学した。そこでの生活は楽しかったが、それにもかかわらず、今も冬が来ると、ふがいない受験生だった自分をほろ苦く思い出す。


藤原佳枝

『受験の風景』
大学受験はイベント的なところもあった。受験前日に初めて都内のシティホテルに泊まった。食事しようとレストランの席についたときに、ウェートレスさんに「こちらはバイキングでございます」と言われ、心の中で「それ何?」と付き添いで来てた母と目を見合わせた。何とか回りの様子を参考にバイキング形式なるものを初体験した。翌朝、フロントで「受験生用のお弁当用意しましょうか」と言われお願いしたら、小さなサンドイッチセットが1,500円ぐらいで物価の違いに仰天した。受験生用物価ともいえるだろう。受験会場では隣の席のとても綺麗な子が話しかけてきて、「私のおばさまがこの学校の出身なの」と。おばさまなんて話し言葉知らないぞ。私の回りにはいないお嬢様を目の当たりにして、少々圧倒された。受験を振り返ると試験内容は全然思い浮かばないが、非日常的で印象的な出来事をちょっと懐かしく思い出す。ちなみにそこは女子大で、ご縁がなくて私の母校とはならなかった。