元に戻る

夏号のお題  『天気予報』    

明日の天気は晴れか雨か。気になりますね。天気予報に感謝、それとも腹を立てることが多いでしょうか。毎日見聞きする「天気予報」をメンバーはどう感じているのでしょう。それぞれの思いをどうぞ。


森 たかこ

年齢と天気予報

子供の頃はよく天気予報を見た。 そのころは、遠足やドッジボールや水泳など、天気や温度が関係してくる行事が多かった。天気によって楽しい遠足がなくなったりプールに入れなかったりするので、天気は子供心に非常に大切であった。
大人になってお仕事をし始めると、通勤に天気が多少関係はあったが、一旦仕事場に着くとビルの中でずっといるのであまり天気は関係なくなった。天気予報はほとんど見なくなった。
結婚して子供ができると、洗濯物や子供の公園へいく都合から、天気が生活に密着するようになった。また天気予報をよく見るようになった。 老人になるとどうなるのだろう。あまり外出しなくなるだろうから天気は関係なくなるのだろうか。 多分天気予報はあまり見ないだろう。
しかし「きょうは関節が痛いから低気圧が近づいている」とか自分で予報できるようになるかもしれない。
一人の人間でも年齢によって、天気予報の重要性は変わる。
職業も年齢も違う多くの人の勝手なニーズにそこそこ応じている天気予報。
気象庁はなんだかんだ言ってもえらいと思う。


伊藤 さおり

"雨"の天気予報は?

最近の私でいうと、空模様が気になるというのは、今日は洗濯すべきかすべきでないかという、まったくも主婦的な心配事でしかない。でも、この季節、"にわか雨"の予報の日には傘を忘れてはならない。出掛けた先で突然の大雨に遭い、イケメン韓国人(別に韓国人でなくてもいいのだけど、昼メロでやってるんで)から傘を差し出され、恋が芽生える、なんてことはテレビドラマの中だけだから。この季節、「ちょうどシャワー浴びたかったのよね」なんてブツブツ呟きながらずぶ濡れになって家へ辿りつくのがオチなのだ。実際、二年ほど前、駅からの帰り道にそれこそものすごいスコールの中、濡れネズミ状態で自転車を漕いだことがあった。でもあの時は楽しくて、なんだか小さい頃を思い出した。恋は芽生えなくても、たまに大雨に遭うのはいいものだ。
しかしながら、今年はまたまた空梅雨なのだろうか。取水制限のため、わが町内の学校のプールは早々と中止となり、子どもたちは学校で雨乞いの儀式をしているそうな。田畑への影響も計り知れない。天気予報でも、まとまった雨はそう期待できそうにない。恵みの雨を待つばかりである。


福留 順子

必要なときに無くて必要でないときにあるもの

最近はテレビを見なくなって、天気予報もラジオからの情報がほとんどになった。ラジオの天気情報は面白い。日焼け指数や、洗濯指数、それにビール指数というのもある。でも、これからの台風シーズンは、要注意。子どもの登校がかかっているから。
昨年はよく台風が来て、学校休校という日があった。天気予報を見ていないので、台風が来ていることさえ意識に無く、ラジオの天気情報も聞き逃し、子どもを学校へ送り出した。数分後「ピンポン!」忘れ物か?と慌てて出てみると「台風で休校!」と子どもが立っていた。
それから、台風の進路になっていると、○時の時点での予報が登校か待機が休校かの判断になるので、注意して天気予報にテレビのチャンネルを合わせようと試みるのだが、そんなときに限ってやっていない!ラジオの天気情報も注意して聞くのだが、やっていてもこの地域の予報はどうなっているの?という疑問には答えてくれない!悪態をつきながら、結局PCを立ち上げてネットで見ることになる。ところが重いPCはなかなか立ち上がらない。
あ〜、またそんなシーズンがやってくるのか・・・


宇都宮 雅子

天気予報は文化だ!

日本人ほどお天気を話題にする国民はいないらしい。
つまり、それだけ日本の天気は表情ゆたかで、生活シーンに密接に結びついているということ。ハッキリとした四季が存在するのも大きい。
テレビや新聞の天気予報を見ていると、前線や等圧線が登場する。日本人なら子どもの頃から見慣れている天気図だが、海外の天気予報は主要都市のお天気と最高気温・最低気温の予想のみで、実にシンプル。前線や等圧線を見かけた記憶がない。前線の位置が確認できなくて、もの足りないぐらいだ。反対に、日本に来た外国人があの懇切丁寧なお天気解説を見たら、驚くのではないだろうか。
これが夏のロサンゼルスだったら、毎日快晴に決まってるから予報なんて見る必要がない。アラビアの砂漠地帯もそうだろう。逆にロンドンを旅行したときは、どうせ1日1回雨が降るんだからと、毎日折りたたみ傘を持ち歩いた。
気候はその国の文化を決める最大の要素だと思うが、天気予報もまた文化なり。2〜3度の気温変化を敏感に感じる日本人ならではの進化を遂げた結果かもしれない。


藤原 佳枝

自然現象は難しい

新聞は自分の日常となっているのだが、手にとってまず天気予報に目が向く。とりあえず今日・明日雨が降るのかどうかが知りたい。晴れと曇りの差はないことはないが、身支度にはそれほど関係がない。最近の予報は時間ごとに細かく出ていて有り難い。
しかし、当たらないと思うことも結構ある。当たらないと印象に強く残るからだろうか。ちなみに、明日の予報の的中率は83%となっている。8割以上の確率ならば客観的に見てもそんなに低くはないのだが・・・。一方長期の天気予報の的中率は45%。これも以前よりも改善しているらしいが、半分以下の数値って下駄を投げて判断するのとあまり変わらないように思うのはひねくれすぎだろうか。だいたい、今年が冷夏なのか猛暑なのか、いまいちはっきりしたことを発表してくれていない。
気象衛星ひまわりが登場してから約30年。高度な技術を誇る日本のシステムだが、まだまだ気象を完全に把握するのはできていない。地球が登場してから天気はあるわけで、そんなに簡単に自然現象をつかめないのは当たり前かもしれない。自然と機械の歴史の差は大きい。
私のように天気予報など見ずに、自ら予報をする友人がいる。頭痛持ちなので、気圧の変化を受けやすく、自分の体調で来るべき天気を予想するのだ。それが意外とよく当たる。こういう人の意見も天気予報に入れられると面白いと思うが、実現は無理でしょうね。