元に戻る

夏号のお題  『夏休み』    

自分のことだけを考えていればよかった「夏休み」なんて、何時の頃までだろう?ここ数年は、「夏休み」の声を聞くと、げんなりしてしまいます。なぜなら、自分のことだけを考えていればよいのは子どもたちで、私はその子どもたちの日々に気を配らないといけないからです…
「夏休み」という言葉に、メンバーはどんな思い、どんな思い出、どんな展開を見せてくれるのでしょう。


宇都宮 雅子

『季節外れの夏休み』

わが家の夏休みは少し季節外れにやってくる。
普通なら、子どもの夏休みに合わせて7月下旬〜8月に取得するのだろうが、子どもがいないのでその必要がない。夫の職場には定休日というものがなく、社員は交代で休みを取る。子どものいる人に夏の盛りの休みを譲り、他の人たちがひと通り休み終えた時点でわが家の夏休みがやってくる。その結果・・・
これまで北海道に4度旅行し、ほぼ全道を制覇したが、時期はすべて9月。富良野のラベンダーは終わってる。ひまわりは枯れ姿。道東の原生花園は花もまばらで、人はもっとまばら。宿はどこでも予約が取れるし、私たち以外にお客のいない貸切状態も経験した。
しかし、一面のラベンダー畑を見ずに北海道を制覇したといえるのか? 人の多さと特別料金が加算されるのを覚悟してでも、1度はトップシーズンに訪れるべきでは?
そんな疑問を残しつつ、今年も9月に夏休みをとることになりそうだ。


伊藤 さおり

『子どもと過ごす夏休み』

今年もまた、夏休みの季節がやってきた。この時期、小学生の子どもを持つ親向け教育雑誌では、“親子でこんな体験をしてみよう”“こんなのどう?夏休みの自由研究”なんていうような特集が組まれ、親をいてもたってもいられない気持ちにさせてくれる。そして、小3の長男がいる私も、本人そっちのけで「あれもいけど、これもいい」と候補をいっぱい考えるわけである。
そんな候補のなかで、いつか参加させてみたいのが、無人島サバイバル体験と短期山村留学(実はわたしが行きたい)。ま、今住んでいるところも十分に田舎なので、山村にまで行く必要はないといえば、ないのだが…。
現実的なところでは、お寺の小坊主体験だ。私が住む県内のいくつかのお寺でも、お経を唱えたり法話をきいたり、食作法の修行などさせてもらえる1泊2日くらいの寺子屋が開かれる。礼儀作法がなっていない息子にはピッタリ! ところが、本人はまったく乗り気でない。正直なところ、親から離れて、おばあちゃん家でもなく、友達の家でもないところに泊まりに行くのは不安なのだ。親としては、だからこそ参加させたいのだけれど。
もちろん、どこかに出掛けなくとも、昆虫や植物を採集して標本をつくるといった、長い日数をかけてじっくり取り組むことも大切だろう。でも、40日間もある夏休み、非日常な場所に身をおいて、普段はできない時間と空間に接してほしいものである。


藤原 佳枝

『ちょっと憂鬱な初めての夏休み』

子供心には、夏休みがくるのは何となく待ち遠しく楽しかった。外国旅行に行くわけでもないし、連日どこかに連れて行ってもらうわけでもない。また、学校に行くのが嫌だったから、家にいられてうれしいというわけでもない。そう、「何となく」楽しかったのである。現実は、眠いのにラジオ体操に起きていき、近所の友達とプールに行き、たまに夜には花火をするといった感じ。イベントとしては、夏祭りや花火大会、海水浴にキャンプか親戚への訪問。8月も下旬となると、宿題をやっつけるのに焦る。それの繰り返しだった。8月も後半になると、夏の終わりの雰囲気とともに、休みが終わるのが寂しい気もした。子供から見た夏休みはそんな印象である。

今年は子供が幼稚園に行きだしたので、初めて親としての夏休みを味わうことになる。勝手なもので、今までいない者がずっといるというのは、面倒な気分が否めない。仕事時間が大幅に削減されてしまう。食事の用意から、日常的な時間の過ごし方、どこかに連れて行ってやらないといけないし・・・正直やや頭を悩ませている。夏休みが終わるとほっとするという親の声を聞いたことがあったが、今は納得させられる。

とはいえ、そういう消極的気分ではさらに疲れてしまいそうなので、自分も一緒に楽しむつもりで、夏休みの計画を考えようと思う。しかし、それには自分の体力の低下が嘆かわしいし、日本の蒸し暑い夏を恨めしくも思う。避暑地でのんびりできたらいいのだけど。さあ、実際に夏休みが終わった時点で、自分はどう感じているだろうか・・・


福留 順子

『歴史は繰り返すのか…』

思い出す夏休みは、だらだら過ごした小学時代、あまり記憶に残っていない中学時代、何故か最後の受験勉強に明け暮れていた最終学年しか思い出せない高校時代、そして、バイトとクラブと友と一緒に旅した思い出に埋め尽くされている大学時代、だな。
お金はないけど時間はあった学生時代にサヨナラしてからは、仕事の段取りと、上司の顔色と、懐具合と、友のスケジュールと、様々な事項を気にしながら少し長い「お休み」が夏休みといえば夏休みになるのか。
そんな時代も去った今は、子どもが家にいるじゃないの!昼食はどうする!という心配が先にたつ。その上「どこか連れて行ってくれるのかなあ?」という質問まで待ち受けている。
考えてみれば、私も子どもだった頃は、親たちをきっと頭を悩ませていたのだろう。今となっては、どんなだった?と聞くすべもないが、その頃の思いは忘れて、きっと「何も考えてなかった」と答えるに違いない。
そんなもんだ。成り行き任せで、気がつけば終わっていた夏休み、となることだろう。計画立ててさあと意気込んでみても、自分がそうだったように覚えてもいないし、ありがたいとも思わないことだろう。気合が入っていればそれだけ、こちらがその反応に腹が立つものだ。
夏休みとは、だらだらと過ぎていくもので、提供される楽しみでなく、自分で楽しみを見つける日々なのだ。子どもたち、自分で自分の時間のすごし方を見つけなさい。
しっかし、30日間夏休みをあげるから自分ひとりでなんとでも使いなさいといわれたら、私は何をするだろう?


森 たかこ


『人生の夏休み』

夏休みの始まりの頃は長い休み中にいろんな事が出来そうでわくわくする。
終わりが来ることは頭では分かっているが、感覚的にはズーと続くような感じだ。
で、だらだらと時間を過ごし、お盆が近づいた頃に残りの日数がそんなにないことに、はっと気がつく。
やりたいことよりやらねばならないことに追われ夏休みが終わる。

学生時代はそんな夏休みをいつも過ごしてきた。

もう人生も折り返し点を過ぎ去った今(ほぼ確実)、大学生やOL時代は人生の夏休みだったんだなあ、と振り返って思う。

暑くて、同じような日々が毎日続いて、先の時間が山のようにあって、しっかり過ごせば多くのモノを得られるのにただダラダラとすごしてしまう。

今から思えばもったいないことをしてしまった。
もう1度20歳代に戻れたら、本当にしっかり勉強して行動して働いて……と夢はふくらむのだが、実際はあり得ないし……。
せめて若い人たちには私と同じような思いをさせないようにといろいろ声をかけてみるのだがうっとうしがられるだけ。
若い人はおばさんたちの言葉に素直に耳を傾けましょうね。