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秋号のお題  『老後』

老後と聞くと、何を思うでしょう。年代によって印象はさまざまではないでしょうか。若い世代だと、実感が無くまだ先のこと。PIAZZAのメンバーは、そろそろ実感をもって受け止められる頃かもしれません。
どんな老後をイメージしているのか、メンバーの話を聞いてみましょう。


宇都宮 雅子

『めざせ!おばあちゃんライター』

最近、ある仕事でプロフィールに、「老後になってもライターをしていたい」と書いた。自由業なので定年はない。本人が健康で仕事さえあれば、不可能ではないはず。しかし、作家やジャーナリストは生涯現役で、80を過ぎても原稿を書く人が珍しくないが、ライターでそういう存在は聞いたことがない。表に名前が出づらい職種なので、そんな先駆者がいても知る由もないのかもしれないが。
問題は、おばあちゃんになっても仕事を依頼してくれる取引先があるかどうか、だ。トシをとれば、体力は衰え、作業が遅くなる。判断力も落ちるし、忍耐力も落ちる。孫のような年回りの編集から指示されて、果たしておばあちゃんは素直に動くだろうか。アポをうっかり忘れたりしないだろうか。杖をついて取材に行ったり、入れ歯を忘れてしゃべれなかったりしないだろうか。
・・・こんなことを、かなり真剣に想像している。
団塊世代が老後を迎える昨今、熟年層をターゲットにした雑誌がひと昔前には考えられなかった盛況ぶりだ。老いの悩みは若者より老いた者の方がよくわかるはず。読者の共感を呼ぶためにも、やはり“おばあちゃんライター”(もしくは“おじいちゃんライター”)のニーズがあるはず。「人生今が花!60歳からモテる!」「10歳若く見えるメイク術」「かしこい老人ホームの選び方」・・・特集テーマがいくらでも思い浮かぶ。
チョイ悪オヤジも10年たてばチョイ悪ジジイだ。トシをとるのも、こう考えると悪くない。


伊藤 さおり

『老いのスタイル』

そもそも、“老後”というのは、何歳からをいうのだろう。
団塊の世代が大量に退職する2007年を間近に迎え、彼らが退職した後の動向やライフプランに関心が集まっているが、人生80年といわれる今、現役をリタイヤした時点から老後だと言うのは、ちょっと早いような気がする。“老後”は文字通り、老いた後という意味。であるなら、年齢ではなく自分自身で年老いたと感じた時が老後なのではないだろうか。
話は変わるが、老後という言葉で連想する一人のお年寄りがいる。毎日のように自宅近くで見かけるのだが、最近では珍しく真っ白なアゴヒゲを仙人のように長く垂らした人で、80歳近くと思われるにもかかわらず、しっかりとしたペダルさばきで自転車をこいで行かれる。買い物帰りらしく、いつもスーパーのビニール袋をハンドルに提げているのも気になる。一人暮らしなのだろうか、いや単に健康のためなのかもしれない。でも家では身の回りを小奇麗に整とんし、庭仕事などもこなしているような気がする。ひょっとすると、料理の腕前も相当かもしれない。きっと老後生活のベテランに違いない。勝手な想像はどんどん膨らんでいく…。
とにもかくにも、自分の生活スタイルを持ち、しなやかに生きていける老後でありたいものだ。


森 たかこ

『老後は南の島で』

老後という言葉が全く人ごとであった時期は過ぎた。
人生もおそらく半分を過ぎてしまった今、具体的に老後の人生設計を考えなくてはならない。しかし、まだまだ人ごとのような感じである。
子どもがまだ学校に行っているので、その受験やら学費やらで頭がいっぱいで自分の老後にまで考えが及ばないせいでもある。
また、老後なんて事はあまり考えたくないので、ついつい考えることを先送りしているのかもしれない。夏休みの宿題と一緒である。
しかし、夢はある。
私は寒いのが苦手なので、老後はハワイか沖縄など南の島でのんびり過ごしたい。ただし近所に本屋さんか図書館(もちろん日本語の本がたくさんおいてある)は必ずあってほしい。時々子どもや孫がやってきてそのときはにぎやかに過ごし、それ以外は静かに暮らしたい。
そのためには、ある程度の資金は必要だし、夫にも生きていてもらわねばならない。1人で行っても仕方がないからだ。(多少はけんかしてもいないよりまし……)
でも、子どものことが片付いた頃にはお金を使い果たして、自分の老後にまでは回せず、今住んでいるところにそのまま住み、あくせく働いているんだろうなあ、と思う。
まあ、それはそれでいいのかもしれないけど。少なくとも自分のことは自分でできるくらい健康ではいたいものだ。


藤原 佳枝

『生涯現役』

老後なんて遠い将来のことだと思っていたが、40も過ぎれば結構身近に迫ってくる問題となっている。別に考えても考えなくても、生きていれば老後はやってくる。どちらかというと現在よりも明るい生活は描きにくい。なので、ついつい考えたくないと思ってしまうが、それはあまり現実的な対処ではないのだろう。

老後の生活の不安点は経済面と健康面のような気がする。年金がどれだけもらえるかわからないのだから、必然的に自分で仕事をして稼ぐことも考えなくてはいけない。フリーで仕事をしているから、定年の心配はないのだが、実際に何歳まで仕事ができるものだろうか。気持ちが明るくなる例として、私が昔お世話になっていた塾の先生がいる。企業に勤めていたが、その後大学に転職し、さらに60歳前に塾を開いた。そして、80代の後半に亡くなる直前まで、子供に勉強を教えていた。

先生は高齢になると、さすがに動作は鈍い面もでてきたが、頭脳はずっと明晰だった。80歳を超えても、まだまだこんなことをやりたいと希望を語っていた。子供を教えることに情熱を注ぎ、「自分の人生は塾をやりだした60歳以降が一番幸せだった」という科白には勇気づけられる。自分次第で老後は充実したものになるのだ。私も仕事を完全引退するのではなく、何らかの仕事を続けていきたいと思う。

仕事を続けることによって、収入もついてくるし、健康にもよいだろう。どんな老後が待っているかはわからないが、今日1日の過ごし方が将来につながる。日々、前向きにがんばっていこうと思う。


福留 順子

『死を考える』

先日、夕食の話題で、延命治療の話になった。延命治療を望むかどうか、私は一瞬間があったが、望むと答えた。夫は考え込んで、考えてみるという答えだった。数年前、同じような話題だったときは、延命治療はいらないよな、といっていたのに…
分かる、あの時は延命治療云々というのは、漠然とは自分のこととも捉えていたかもしれないが、一般論だったのだ。平均余命を考えると、もう折り返し地点は過ぎている。ゴールが先に見えてきたということ。「老後」も他人事でなく、着実に自分のことでもあるようになってきている。
どのように人生のフィニッシュをむかえるか。どのようなかたちでも生きていたいと望むのか、潔く死を望むのか。理性と感情は、分かり合いながらも相反する気持ちで揺れ動いている。
母の死に際して「延命治療は望みません。それが本人の意思でした」とかっこよく言ったけれど、それは母の本心だったのか?きっと、潔かった母のことだから本心だったのだろう。自ら強引に人生から降りた感のある母だから。
未来に向かってどのように生きるかを模索した青年期。どのように暮らしていくかを模索した中年期。これから迎える老年期は、どのような死を迎えるかを模索するとき。
これからは、時々、一般論でなく「自分の死」について考えていこうと思う。