元に戻る

冬号のお題  『携帯電話』

最近は小学生でも持っている携帯電話。
こんなに携帯電話が普及するなんて10年前は誰も思っていなかったのではないのでしょうか?
いや、先を読むことができる人はいずれみんなが持つようになると思ったかもしれません。
いずれにしても、携帯電話は今までの私たちの生活を大きく変えました。
PIAZZAのメンバーは携帯電話にどんな思いを持っているのでしょうか


藤原 佳枝

『生活必需品』

外出するときに必ずチェックするのは、鍵にお財布に携帯電話。なくてはならないものになっている。これで待ち合わせのトラブルも大きく減った。メール、時計、住所録、カメラ、インターネットにゲームまでついているのだから、性能面の向上も著しい。これからお財布ケータイやナビゲーターとしての機能も増えてくるだろうし、ますます必需品になっていくこと間違いない。

ケータイの登場で、ドラマや小説の状況が変わったと言われる。人との出会いや待ち合わせが話の展開を生むのだが、ケータイがあればすれ違いが生じにくい。古くは「君の名は」、記憶に残る「東京ラブストーリー」でも何とすれ違い場面の多いことか。こうしたすれ違い悲恋ドラマは成り立たなくなってしまった。逆にケータイを使った犯罪ドラマは生まれている。

私などは利便性でケータイを重宝しているが、子供達にとってのケータイはまた意味が違うようだ。膨大なメールと個人的なおしゃべり。誰かとつながっていないと不安なのか、ケータイに依存しすぎている傾向がみえる。ケータイメールが日本ほど盛んな国はないというし、今の寂しい若者の心をつかんでいるのかもしれない。ゲーム機と同様、ケータイとの適度なつき合い方を習得していくことが必要だと思う。ドコモの設立からまだ10数年。世の中の通信事情、大きく変わったものである。


宇都宮 雅子

『ご当地キティではじまるコミュニケーション』

「ホストは女性のケータイを見ただけで、その持ち主の性格がわかる」という企画をテレビ番組でやっていた。それによると、ケータイにご当地キティなどのお土産モノをブラ下げている女性はカモにしやすいという。「お土産でもらったものを断りきれずにつけているから、ホストの頼みも断れない」ということらしい。
かく言う私もケータイにご当地キティをジャラジャラつけている。旅行や出張に行くたびに、ちょこちょこ買い集めていたご当地キティ。これをケータイにつけるには、実は勇気が必要だった(笑)。
私はプライベートよりも仕事でケータイを使うことが多い。打ち合わせや取材中にコールがあり、取り出したケータイにキティがジャラジャラついていては、プロ意識を疑われないか? いいトシして恥ずかしくないか?
そんな思いがあり、長いことためらっていたが、この秋ついにキティじゃらじゃらをはじめてみた。すると、意外に反応がいい。喰いついてくれるのは必ず女性。20代〜40代の広い年齢層から「なにこれ?」「かわい〜♪」。少し話しづらかった人ともこれをきっかけにコミュニケーションできたりして、現在のところプラス効果しかない。
ストラップに限らず、ケータイを話題にコミュニケーションがはじまることは少なくない。誰もが持っていて、デザイン性が高く、関連情報が多いせいだろう、きっと。
ちなみに、これまでホストにカモにされるどころか、ホストクラブに行ったこともないので、念のため。


伊藤 さおり

『携帯電話はわずらいのタネ』

携帯電話の進歩の速さには目をみはるものがある。
15年以上も前、私が会社員だったころは、携帯電話はまだ個人所有にはいたっておらず、外回りの社員に連絡を取る方法はといえばポケットベルだった。ポケベルを持つことでいっぺんに大人になったような気分になったものだが、それも最初だけ。どこに行っても見えない糸で縛られているような気がして、鳴ってもいないのに「ピーピーピー」という甲高い音が幻聴のように聞こえてきたものだ。それが携帯電話の普及で、この世からポケベルが抹消されたのは、ほんとに一瞬のできごとだったような気がする。
その携帯電話は、いまや現代人にとって無くてはならない必需品だ。あるテレビ番組では、彼氏からいつ電話がかかってきてもいいように、ビニールに包んで風呂場へ持ち込んでいたことがある、なんていう女性の話が披露されていた。
彼氏ではないが、私も仕事先から掛かってきそうな時は、脱衣所に置いておき、慌ててハダカのまま通話した、なんてことも一度ならずある。まさに、ポケベル以上に我々を縛り付けているのが携帯電話なのだ。
バラエティーにとんだ機能があるとはいえ、私自身はほとんど通話とメールしか使わない。携帯電話をはじめ、デジタル機器がどんどん進化するにつれ、どんどん置いてけぼりになり、少々焦っているわけだが、一度その波に乗り遅れると、追いつくまでが非常にしんどい。その機能をとことんまで駆使し、ツールではなく遊びにしてしまう若者には敬服するばかりだ。


福留 順子

『携帯電話と便利さと経費』

仕事の関係や子どもが小さかったこともあって必要に迫られて携帯電話を持ってから8年目。どちらかというと、受け専門である。仕事で使うといっても、待ち合わせのときに少し便利という程度で、娘が幼い頃は、家に帰って待ちきれずに「いまどこ?」とかけてくる方が多かった。そんな時、よくあったのが「玄関の前」というパターン。今思うと、少し心が痛む。

そんな娘も、小学5年で塾の帰りが遅くなって持つことになった。ルールは帰ったらリビングの充電器において触らない、というもの。とはいっても携帯電話って、魅力あったのか、半年くらいは夢中になっていた。それも飽きたのか、その後は「今から帰る」の帰るコールが中心になった。中学生になった今は、携帯電話は目覚まし時計&迎えに来てコールが中心で、友達とのメールのやり取りも用事のあるときだけで数えるほどの頻度のようである。携帯電話を中学から持たせたという男の子の母と話していると、メール、ゲーム、サイト検索、画像のやり取り…と軒並み数万円の携帯代の請求が来たと嘆いていた。

そんな話をきくと、子どもに何時持たせると秩序ある使い方ができるようになるのだろうか?早く持たせることで慣れさせておくのがいいのか?といろいろ考えてしまう。
我が家にはもう一人、携帯電話を持ちたい!と願っている小学生の息子がいる。携帯を持たせていると便利だろうなと思うときがある。でも、どんな使い方をされるのかを考えると、持たせることを躊躇してしまう。

ランニングコストを考えて、携帯電話を「必要だろうか?」と何度も考えた上で持ったというのに、何時持たせるのがいいのだろうと考えている自分にビックリしてしまう。こうして、便利さに負けると、経費はかさんでいくのだろうな。


森 たかこ

『真夜中でも平気?』

携帯電話が無かった頃は、夜遅く電話が鳴ることはあまりなかった。例えば23時を過ぎて電話が鳴るなんてことはよほど緊急な用でしかなかった。そして緊急な場合というのはほとんどが悪い知らせだった。
だから夜電話をかけるときは21時を過ぎたぐらいでも
「夜分恐れ入ります。○○ですが△△さんいらっしゃいますか?」
と、本当に申し訳ないという姿勢で掛けたものである。

ところが今はどうだろう。
24時を超えても娘達の携帯電話には平気で電話やメールが入る。
夜でも気軽に伝えられるという点では良いことかもしれないが、人が休息する時間になっても伝えなければならないほど緊急の用がそう頻繁にあるのだろうか。
親が怒っても娘達は平気である。
「夜遅く電話を掛けないように。相手にも、掛けてこないように伝えて!」
と言っても全く無視。
これはマナー意識の低下に他ならないが、それだけではすまないような気がする。
大変なことが起こっているような気がするのだ。

それはつまり、言葉が薄くなっている、ということ。
電話代が高かったり電話機をみんなで使っていたときは、大切なことを吟味して伝えた。
夜にかけたくなってもよほどのことがない限り
「今はやめておこう」
と気を遣った。
そんな日々はもう帰らないような気がする。
言葉を仕事の一部にしている者にとってはゆゆしき問題である。
しかし、そんな思いも電話やメールの着信音にかき消される。
何とかならないものだろうか。