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今月のお題「お引っ越し」
 春は引っ越しが多い時期だ。かつて「お引っ越し」と言えば職場の仲間が駆り出されて荷物を運んだものだった。が、現代は引っ越し専門の業者が梱包からご近所への挨拶までしてくれるようになった。楽になったものだ。
 何十年か生きている間には一度や二度は引っ越しを経験することがあるだろう。ここでは、メンバーが「お引っ越し」に対する思いをそれぞれつづる。さて、どんな「お引っ越し」が出てくるのだろう。


宇都宮雅子

『日本人と引越し』

日本人は「引越し」に向かない民族だと思う。
もともと農耕民族で、土地や家財を増やすことに精力を傾け、ムラの中のつきあいに神経を使ってきた。農業を効率よく行うための相互扶助の精神がそうさせたのかもしれないが、縛り縛られるムラの感覚なんて、簡単に引っ越せる人間にはうっとおしいだけではないか。
旅をしていてもそう思う。欧米人は数ヶ月単位で動くが、日本人は例を挙げると「ヨーロッパ5カ国10日間」の突貫ツアー。現地の人に日程を説明すると、みんな肩をそびやかせてアンビリーバルのポーズをとり、心底同情的な目で見てくれるが、日本人は気にしない。だって、帰る場所があること、待っている仕事があることが彼らの存在証明だから。それがなければ、おそらく旅に出ようという気持ちも起きないはずだ。
かく云う私も、旅をしながら家族や友人に持ち帰る土産話を常に捜している日本人である。


森たかこ

『引っ越し日が入院中になってしまった』

 子供を妊娠中、引っ越すことになった。ところが引っ越しの二週間ほど前、流産しそうになり急遽入院することになった。引っ越し日を変更するかどうか夫と相談したが、引っ越し日までには退院できそうだということでそのままにしておいた。
 しかし、思うように体が快復せず、退院の許可が下りない。結局、引っ越しは夫一人と業者だけで行った。その後もすぐには退院できず、退院した時には家の中はほとんどのものがきちんと収納されていた。(夫にはお世話になりました)
 入院前の家と違う家に帰るというのは非常に変な感じがする。ある程度、同じような所に同じようなものが置いてあるとはいえ、間取りも違うし、夫が一人で収納したのでどこに何があるかわからない。「自分の住むところは自分も一緒に片づけなければだめだな」と当たり前の事に気が付いた。
 その後もう一度引っ越しをしたが今度は無事、健康で引っ越しを行うことができた。
 いくら業者がかなりの部分を代行してくれるようになったとはいっても引っ越しは重労働だ。「また入院していたら楽だったのになあ」という思いがちらっと頭をかすめた。が、二度と同じ手はつかえない。かつて一人での引っ越しを経験した夫は、梱包から業者任せだったにもかかわらず、あまりのきつさに「二度と一人では引っ越しはしない」と言っているからだ。(あたりまえ……?)


伊藤さおり

『お引っ越し』

 友人が那須高原に引っ越すという。栃木県の那須山麓に広がるリゾート地である。そこに母娘の二人で暮らすという。しかも、ログハウスを自分たちで建てるというのだ。なに〜。あの、さして体力も無さそうな、つまり若くもないオンナ二人がログハウスを造るだとぉー?!ほんまに大丈夫かいな。というこっちの心配を他所に、二人は週末を利用しては細々と造り続けているらしい。か弱い二人を見かねた地元のおっちゃん達が力仕事を手伝ってくれるそうだから、有り難いことだ。しかし、話を聞いてからもう4、5年は経つだけに、そこを拠点にレジャーや温泉めぐりを楽しもうと目論んでいる当方としては、1日も早い完成が待たれる。
という私も、実は自給自足の田舎暮らしに憧れていたりするので、いつの日か人里離れた山奥でコメやニンジンを作っていたりするかもしれない。しかし、収入源は? もちろん、"田舎暮らしライター"。 あー早く、引っ越したいっ!


福留順子

『密やかな、荷物』

その荷物は、ひっそりとトラックの奥の方に積まれていた。そう、あれは私が結婚するため、自分の引越しをする荷物を家から出すときのことだ。父とは母、もうどうしようもない状態になっていた。私が出ると、いつか警察沙汰になるような事件が起こりそうで、兄たちに相談して母を兄のところに引き取ってもらうことにした。そのための母の荷物だった。父には知られないように、私の引越し荷物に紛らせて、引越し屋さんのトラックに積み込んだ。転居先に私の荷物が届いて降ろした後、そのまま積まれていってしまった。
 長かった母との生活も、これで終わり。長い放浪の末一緒に住みようになって数年の父との生活も、これで終わり。やっと、私の独立記念日だ!ちょっと夫という付録はいるが。そんな思いだった。母の思いは・・・どうだったろう?
 うきうきしていた私の荷物と対照的な、母の引越し荷物だった。


鈴木むつみ

『荷造り』

 一度だけ、「らくらくパック」というのを依頼したことがある。引っ越し業者が荷造りまでしてくれるというものだ。だが、その荷造りにはびっくりした。段ボールの中身にたくさんの余裕を残したまま封をしていくのだ。運ぶことを考えればその方が軽くていいのだろうが、段ボールの数ばかり増えてしまう。社会人になってからだけで5回、勤めていた会社の引っ越しまで入れると6回の引っ越し歴を持つ私から見ると、もったいなくて仕方ない。
 以来、引っ越しの荷造りはどんなに忙しくても自分の手ですることにしている。段ボールを詰める手を休め、この隙間には何が入るだろう、細長いからペン類をまとめて入れようか、それともタオルを細長くして詰めておこうか、と考えるのも結構楽しい。ひょっとして、「時間も隙間も、わずかなものを有効利用」と考えるようになったのは、この引っ越しで鍛えられたからかもしれない。


藤原佳枝

『引っ越しのご挨拶』

 今のマンション暮らしは生活の利便性や環境面からも気に入っている。ただ1つ、お隣さんのピアノの音だけは辛い。小学生の子が毎日決まって午後5時すぎから1時間以上練習するのだ。申し訳ないがこれがものすごい騒音に聞こえることがある。特に仕事がたて込んでいるときには「やめて!」と叫びたい気になることも。しかし、私にはとてもクレームはつけられない。
 というのも、お隣さんは昨年引っ越して来られたときに、それはそれは印象的な挨拶をされた。ご夫婦に子供さん2人、丁寧に挨拶され手みやげにかわいいクッキーを持ってこられた。それもセンスがよかったのだが、彼らはその上にカードを手渡してくれた。自分の趣味とかちょっと一言を書いて、「よろしくお願いします」という気持ちがあふれていた。ピアノの小学生も「ピアノ習っています。上手になれるようにがんばります」。お母さんは「ピアノの音がうるさかったら言ってくださいね」。そんなメッセージがあったように記憶している。その時にすごく好印象を持ち、こういう引っ越しの挨拶っていいなぁと感心したものだ。実際にも感じのいい家族で、顔を合わせると「ピアノの音ごめんなさいね」と先手を打たれるので、こちらはそれこそ何にも言えなくなる。
 赤ちゃんがいて引っ越し予定の友人にその話をしたら、「先手必勝だね。こっちも子供がいて迷惑かけるかもしれないからいい挨拶考えよう」と言っていた。ほんの些細なことだが、引っ越しの最後を締めくくるためにもご近所さんへの挨拶は考えたいもの。