元に戻る

2009年夏号のお題  『ボーナス』

その昔、サラリーマンにとって勤労意欲の源泉ともなっていたボーナス。
ボーナスカットのニュースが飛び交い、雇用自体の危機が叫ばれる昨今、“ボーナスないのが当たり前”のライターメンバーはどのように感じているのでしょうか。


森 たかこ

『ボーナスがあるのが当たり前だった頃』

ボーナス。懐かしい響き。
ここ数十年、私自身が仕事でボーナスをもらったことは全くない。
かつて会社員をしていた頃は、少ないながらもボーナスがあるのが当たり前だった。
アルバイト以外は、みんなボーナスをもらっていた。それで普段は買えない家電を買ったり旅行費用にしたりした。
子どもの頃は、公務員のボーナスが出る時期には、テレビでもお札を数える銀行員(雇用主?)の姿が映っていたような記憶がある。
電気店や商店街はボーナス商戦を繰り広げ、町中も多少浮かれた空気が周りに満ち、このときばかりはどの人も少しほっこりしていた感じだ。
現実は昔でも、みんながみんなボーナスをもらっていたわけではないし、その恩恵を受けていない人も多かったのかもしれないが、ボーナスについて子どもの頃の思い出は暖かい。
最近は、ボーナスをもらえる人も減り、もらった人も大きな声で「もらった」とは言わなくなり、ボーナス時期も普段と変わらない生活。
なんだかなあ……。
もう一度、みんなボーナスがあるのが当たり前の生活に戻りたいなあ。
と、いうか単に私自身にボーナスが欲しいだけだけど。


藤原 佳枝

『ボーナス』

本来、ボーナスとは、業績などに応じて与えられる特別手当という意味合いで、欧米では出ないことも多いらしい。日本では、なぜかボーナスが給料の一部のように生活費に組み込まれてしまっている。ボーナス払いなどと謳う商戦も盛んである。
昨年のリーマンショック以来、給与はカットで、人々の財布の紐は堅くなり、景気は沈んでしまっている。経営者側からすると、給与の大幅削減はやりにくくても、ボーナスの場合はやりやすいのだろう。一気にボーナスゼロなどという話も聞く。そして、住宅ローンをボーナス払いにした人々の困窮が伝わってくる。
この際、ボーナスはないものとして生活を組み立てていく必要があるだろう。もらえればラッキーぐらいに考えていれば、万が一なくてもなんとか過ごせるし、もらえれば多少の潤いのある生活ができる。とはいえ、ボーナスとは無縁の私。一度、サプライズでボーナスをもらって何に使おうかと頭を悩ませてみたいものである。




宇都宮 雅子

『初めてのボーナスで知ったこと』

22歳のとき、大学を卒業して就職した会社で初めてのボーナスをもらった。新人の夏のボーナスはあまり多くないと聞いてはいたが、額面を見て私はガクゼンとなった。わずか2万数千円! さらに驚いたのは、「社員はボーナスから一律3万円の自社商品券を購入しなくてはいけない」という社のお達しだった。
手取り2万ちょっとしかないのに3万円の商品券を購入しろって?! 就職早々、企業の理不尽さにボーゼンとした私は、同じ事態を共有する同期社員や部署の先輩、上司に「これってひどくないですか?」と訴えて回った。結局、親切な先輩が「ウチは間違いなく商品券を使うから」と、私のノルマ分の商品券を肩代わりしてくれた。
社会に出てすぐにこんな目に遭ったせいか、その後私はボーナスに期待しないようになった。実家住まいで経済的に余裕があったこともあり、「ボーナスでエアコンを買い替える」「ボーナスでクルマのローンを払う」といった周囲の会話も、なにか遠い世界の話のようだった。
時代は変わり、ボーナスどころか月々の給与さえ保証されない今、各種ローンやクレジットカードの「ボーナス払い」という言葉を目にするたび、「やめておいた方がいいのに…」と思う。ボーナスはたまたま天から降ってくる恵みのようなもの。そうでも思わないと、生活設計が成り立たない。こんなふうに考えるようになったのも、企業の雇用戦略に洗脳された結果かもしれないが。
今年も私のまわりでは「ボーナスが15%カットになった」「いや、あるだけマシだ」といった会話が交わされているが、もともとボーナスなどないフリーランスの身には、怒りも焦りもボーナス商戦も関係ないのである。