元に戻る

今回のお題「朝顔」

 夏の風物詩のひとつ、朝顔。たいてい、一度は朝顔の種をまき、育てたことがあるのではないでしょうか。
 軒下に咲く、さまざまな色の朝顔を見ると、夏まっさかりであることを感じます。
 メンバーがそれぞれに描く「朝顔」をお楽しみください。


鈴木むつみ

『朝顔の斎宮』

 「源氏物語」の女君たちの中で、私が好きなのは朝顔の斎宮である。天下一の人、光源氏に求婚され、自らも憎からず思いながらも、「その他大勢」の女君の一人になることを潔しとせず、あくまでも求婚を拒み続けた女性である。その毅然とした誇り高さは、とても魅力的に映る。
 しかし、友人達からは、この朝顔の斎宮はそれほど評価を得ていない。曰く「プライドが高すぎる」、「かわいげがない」、「素直じゃない」、「強すぎる」…。彼女たちが好きなのは、女主人公であり、「女性の美点」の全てを兼ね備えたような紫の上、なよなよと女らしく、それでいて色気のある夕顔、あくまで控えめでいながら、知性的な明石の上たちだった。
 「女性が強くなった」と言われたのは戦後すぐだが、現在の女性たちは「強くなりたい」と思うよりは「かわいくありたい」と思っているのではないだろうか。朝顔の斎宮が評価される時代は、まだまだ遠い。


宇都宮雅子

『朝顔とスケベ心』

今回のコラムのテーマが「朝顔」と聞いて、まず最初にイメージしたのが小学校の夏休みの宿題。続いて、男性用の小便器(失礼!)。最後に、「源氏物語」だった。
ビロウな話よりも美しい話を語りたいので「源氏物語」を選んだが、「朝顔」の章は正直云ってあまり印象に残っていない。少し調べてみると、32歳の源氏が昔恋文を送った朝顔の姫に、もう一度チョッカイを出す話だった。朝顔の姫は源氏の従姉妹にあたり、斎宮(内親王から選ばれる由緒ある巫女さんのこと)まで勤めた高貴なお方である。紫の上という決まった女性がありながら、朝顔が京に帰ってきたと聞いて、ついフラフラと訪ねてしまうイケナイ源氏。でも、かる〜く受け流されて、「年甲斐もなく」恥じ入った源氏は、庭先の朝顔の花をつけて文を送る。…いやはや、この男のマメさには恐れ入る。朝顔の噂を聞いた紫の上が嫉妬し、源氏が彼女をなだめるシーンもあるのだが、昔の女の話を延々続けてなだめたというのだから、これまた恐れ入る。
世の男性諸氏、オトコはマメなだけではいけません。源氏がエライのは、手をつけた女性を全員最後まで面倒みたところです。そんな芸当のできる方だけが、源氏のマネをしてよいのです。


森たかこ

『朝顔の花』

 朝顔の花びらは五枚。一瞬「え?」と思うけれども、五枚が根元でくっついているのだそうだ。でもその花びらがくっついていなかったら……?
 去年、我が家のプランターに植えてあった朝顔が、どうも様子が変だと思っていたら、花びらが一箇所離れている。花がラッパ状になっていない。それも一つの花だけというのではない。
その朝顔の種は以前にいただいたもので、そこのお宅ではそんなことにならなかったらしい。と言うことは、我が家のプランター内の養分が足りないか病気か、とにかく何かこちら側に原因があることになる。
去年のことなのでうろ覚えなのだが、しかし誰も気にせずそのままにしておいた。
 でもやはり原因はちゃんと調べるべきであった。
去年の秋、朝顔が枯れた後にチューリップの球根を植えた。三十個ほど植えたが、花が咲いたのは十にも満たなかった。ほとんどが、小さなつぼみができたまましぼんで枯れてしまったのだ。
チューリップはほとんどの期間が葉っぱだけで、花がない。それをじっと我慢して、やっと花の咲く頃になって、期待していたらつぼみがじわじわーとしぼんでしまう。がっかりして、落胆のあまり六月後半になった今でも放置したままにしているほどだ。(単にものぐさなだけであるが)
誰か原因がわかる人はいませんか。原因がわからないので、植えてもまた満足に花が咲かないと思うと手をかける気にもならず、我が家のベランダはますます荒れていく。
日当たりの良くないマンションのベランダにも美しく花を咲かせている人はいったいどうしているんでしょうか?
 こうして書いているうちに、もう一度、同じプランターに同じ朝顔の種を植えたらどうなるのか確かめたくなってきた。週末にでも植えてみることにしよう。 


藤原佳枝

『つるがのびない朝顔』

「朝顔につるべとられてもらい水」涼しげな夏の風景である。
 ある日のこと、「おばちゃん、朝顔きれいでしょ」と幼稚園児の姪の声の方に目を向けると、そこには朝顔の鉢。でも何かおかしい。そう、大きな朝顔の花が咲いているのだがつるがのびていないのだ。当然のことながら支柱もない。不思議がる私に、母が「子供が世話するのが楽で、綺麗に咲くように最近はつるがない朝顔を使うらしいよ」と。
 品種改良の技術とはすばらしいものだ。人間が都合がいいようにどんどん変えていく。実際につるのない朝顔のメリットも大きい。でもどうなんだろう。子供によって朝顔がうまく咲く子と咲かない子とに分かれても、それはそれでいいんじゃないだろうか。穿った見方かもしれないけど、差をつけないことを善しとする最近の教育の一端をかいま見たような気もする。そんな朝顔のことも忘れかけた頃、マンションのエントランスに「つるのない朝顔」が大量に並べられていた。そのうちに「つるのある朝顔」が珍しくなる日がくるのだろうか・・・。


福留順子

『フウセン蔓がアサガオに化けた日』

 娘が小学一年のとき、生活科の授業で鉢植えをすることになった。種類はオシロイバナ・フウセン蔓・アサガオの中から好きなものを選ぶ。娘はオシロイバナを選んだ。それぞれが好きなものを選んで植え、朝授業が始まる前にせっせと水遣りに励んでいた。ある日曜日、不審者が学校に侵入し、並んだ植木鉢を無作為にひっくり返すという事件が起こった。娘の鉢もその対象に入っていたため、「一番に芽が出て、一番大きく育っているねん!」と大喜びしていたのに、早朝惨事を見つけた先生が大慌てで土を鉢に返したため、結局植え直しとなってしまった。学級懇談で事件の説明があり、納得した親から「うちの子はフウセン蔓を植えたといっていましたのに、アサガオが出てきてビックリしていました」という話があった。フウセン蔓がアサガオに化けるなんてちょっと笑い話だな、と思っていた。小学校を舞台にした大惨事のあった今となると笑い事でなく、あの時侵入されたのが休日で、対象が鉢植えで済んでよかったと思う。