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       2011年春号のお題 『水道』

毎日、目覚めた時から寝る直前まで手を洗ったりお湯を沸かしたりと水道の水に触れない日はほとんどない。メンバー達は水道に対してどんな思いを持っているのでしょうか。


宇都宮 雅子

『ライフラインから、日本を想う』

電気・ガス・水道のライフラインのうち、もっとも長い歴史を持つのが水道だ。
ローマ帝国の最盛期、ローマ市内には7本の上水道が整備され、富裕層は自宅にまで水を引き込んで利用していたという。
水は重い。現代でも、上下水道が行き渡らない途上国では水汲みが女性や子どもの重労働となっている。日本でも、私の母が小さい頃は井戸の水汲みが子どもの仕事で、厳冬期は本当に辛かったと聞いたことがある。時代が変わって蛇口をひねれば当たり前のように水が出る現代の日本でも、災害でひとたび断水すると、一気に数十年の歴史を逆戻りしてしまう。
ライフラインにはメンテナンスが欠かせない。ローマ帝国末期にはメンテナンスをする国力がなくなり、稼働する水道が1本2本と減り、ついに使われないまま打ち捨てられ、最後には水道というものがあったことすら人々の記憶から失われた。
ライフラインと国力は切っても切り離せない。質の高いライフラインを未来に残すのは、私たちの世代の務めだと改めて思う。


藤原 佳枝

『飲まれなくなった水道水』

東京の水道水はまずい。そのイメージが強いのだが、実は東京の水道水はずいぶんとおいしくなったらしい。実際にバブル期はひどくて、臭いといってもよかったとか。その後、高度浄水処理施設ができて、アンモニア臭はほぼ除去され、コーヒー好きでも水道水でおいしく飲めるようになった、という話しを聞く。私的には、十分に飲める程度だと感じている。

3.11東日本大震災(正式名称はどうなったのだろうか?)後、水道水に混入する放射性物質が問題となっている。本当に大問題だ。特に、乳児は水分で栄養源をとるわけだし、将来が長いのだから最優先に考慮してあげるのは当然だろう。しかし、ある程度の年齢になった者達がパニックになってペットボトルを買いだめに走る様は美しくない。現に、買いだめしていたのは中年以降に多いという状況を目にした。

どの家庭でもいつでも水道水が豊富に飲めるという日本の状況はとても有り難いものだ。水と安全はただ、と思っていたのが、震災後ガラガラと崩れ落ちた感がある。求められているのは冷静に情報を分析し、正確に判断し、落ち着いて行動することだろう。今の状況で、水道水を飲んでもいいのか。私はOKだと思っています。

水道水というお題からも震災を考えずにはいられない現状。被災地で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、早く安全で落ち着いた生活が戻ってくるように願っています。


森 たかこ

『水道からの水』

もう何年か前になるが、浄水場の見学に行った。
水道というのは、川の水を浄水場できれいにして個々の家に水を供給してくれているもの、と漠然と知っていたが、実際に浄水場でその配水までの過程を見学すると、なんと大変なことなんだろうと認識した。
凝集沈澱池 → 排水処理施設 → 急速砂ろ過池 → 高度浄水処理棟 → 配水池 とこんな感じ。
ゴミを沈殿させたりいろんな処理をして、やっと私たちのところに運ばれてくる。安全で美味しい水のために水道局は頑張ってくれている。そのことを思うと水道って本当にありがたい。水道代ってものすごく値打ちがあると思う。

最近の東日本大震災の影響で、水道局は放射能測定結果を発表している。
放射能も沈殿や濾過で取り除けるようなものならいいのに。
大変な環境の中、放射能汚染をくい止めるために頑張ってくださっている方々に本当に感謝しています。