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 2012年春号のお題 『桜』

昨年は大震災の直後の桜に、万感の想いを抱く人が多かったのでは?
1年がたち、復興がなかなか進まなくても、桜は変わらず美しい花を咲かせています。
まさに「国破れて山河あり。城春にして草木深し」。桜はさまざまな想いを私たちにもたらしてくれるようです。


森 たかこ

『春の訪れと桜』

桜が今、満開。近所の公園には必ず桜があり、その周りは薄いピンク色に染まっている。
その様子を見ると、「ああ、やっと本当に春が来た」とホッとした気分になる。
実際はもっと早く春にはなっているのはわかっているし、陽射しも2月の終わりには冬とは違う明るいことも感じている。だけど桜が咲くころまではやっぱり気温は冬なのだ。寒い。寒くてつらい。
小さなころから、寒さが苦手で冬はそれだけでつらいのだ。
だから桜が咲くころの気温になって初めて私にとっては春が来たことになる。暖かい平和の象徴が桜なのだ。
明るくて暖かい昼間、満開の桜の木のそばを通るとそれだけで幸せな気分になる。桜の咲いている公園でのんびりしている親子連れやカップルを見ると、「日本はなんて平和なんだろう」と感動する。「今年の冬も生き延びることができたなあ」と自分をほめたくなる。ちょっとオーバーだけど本当にそう思う。
仕事で氷の上にいるような冷たい思いをしても、家庭の中が暴風雨のような荒れた時でも、冬と一緒に過ぎてしまったと思えるから不思議。 毎年、私は桜と一緒に息を吹き返す。ありがとう、桜。


藤原 佳枝

『桜の風情』

今年は、満開の桜を静かに楽しむことができた。昨年は、震災の影響もあり、お花見という気分にもなれなかったことを思うと、時間が経っていることをしみじみと感じる。東京では、ちょうど入学式のときに満開を迎え、子供達の門出を祝っているようであった。

寒い冬が終わり、春の陽気の中、花々が咲き昆虫が動き出す。春は活動期の明るいイメージがある。春の花といえば、たんぽぽ、チューリップ、パンジーなどを思いつくが、いずれも明るくかわいらしい。それに比して、桜に少しもの悲しさを感じるのは私だけではないと思う。

満開の見事さもあるが、散り際もあざやかだ。人生の縮図を感じもする。古くから桜を詠った詩歌も多い。季節の風物詩としてお花見がとりあげられ、その様は外国人にとっては不思議なようであるが、桜と日本人のメンタリティとには独特の関係があると思う。以下、百人一首に入っている、私の好きな和歌である。

ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ

先人達にとって、春を詠うのに桜が欠かせなかったように、これからも日本の春と桜は未来永劫結びついていくのだろう。


宇都宮 雅子

『花びら1枚』

「桜の花が好きか?」というアンケート調査結果を目にしたことがある。「とても好き」と「まあまあ好き」を合わせると99%。残り1%が「どちらでもない」という結果だった。要するに、日本人はほぼ全員、桜が好きなのだ。
日本人ばかりではない。英会話教室のカナダ人講師は花見の様子を興奮気味に語っていた。そして、「日本の春も美しいけれど、カナダの春も美しいんだよ」と、雪の中からクロッカスが顔を出すカナダの春の訪れを教えてくれた。「春の訪れの象徴」であることが、洋の東西を問わず人を感動させるのだろうか。

確かに、桜の花の下では普段花に興味がない人も立ち止まり、見上げてしまう。つぼみは愛らしいし、満開の咲きっぷりは見事で、その迫力に圧倒される。散りぎわがまた美しい。花びらが風に舞い、雪のように降る光景は「この世に生まれてよかった」と思うほど。水面に花びらがじゅうたんのように浮かぶのもいい。

…と、桜を語りだすと話が尽きなくなるところを見ると、私も桜が大好きなのだ。昨日、花見に出かけたわが家では、今日リビングに花びらが1枚落ちていた。この花びらは昨日私たちの衣服や持ち物の上に舞い落ち、そのままわが家に持ち込まれたのだろう。こんな自然な余韻まで残す花は、他にない。