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  2012年夏号のお題 『故郷(ふるさと)』

そろそろ夏休みの時期。お盆で故郷に帰省予定の方もいると思います。
PIAZZAのメンバーにとって、故郷とはどんなところでしょうか。


森 たかこ

『故郷(ふるさと)の匂い』

生まれも育ちも大阪の私には、大阪が故郷であり現在の生息地でもある。
大阪と言っても今は大阪市内在住だけれども、結婚する前は大阪のやや南部にある市に住んでいた。大学を卒業してしばらくしてから同じ市内で引越ししたのだけど、やはり故郷というのは子供のころに住んでいたあたりが頭に浮かぶ。
昔だったので用水路にはメダカもいたし、春の原っぱにはスミレやタンポポが咲いて、のどかだった。公立の小学校中学校時代は私のイメージでは田舎ののんびりした学校だった。だけど子供時代に住んでいたあたりは今はみんな建物が建て替わっていて昔の面影はない。やっぱりさみしい。故郷の匂いがなくなってしまった。
かなり大人になってから4年毎に中学校の同窓会をしているけれども、それが今の私にとっては故郷の匂いを思い出させてくれる場になっている。


藤原 佳枝

『何故か安心』

結婚後、故郷を出てからすでに25年以上経過。故郷を出た生活の方が長くなってしまった。けれど、生まれ育った場所は一ヶ所で、思い出は一番深い気がする。都会でもなく、かといって田舎ともいえない中途半端な地方都市で育った。地方の人口減少時代にもかかわらず、何故か今でも人口は増えているので、廃れた感じはしない。

土地に対する愛着というか、その風景が自分を落ち着かせてくれる。何とも懐かしくなるのだ。特に東京生活があわただしくて、人に疲れてしまったときなど、ふと故郷に帰りたくなる。だが、実際に帰ってみると、数日はのんびりと気持ちよく過ごせるのだが、だんだんと飽きてくるのも事実だ。勝手なものである。

ふるさとはとおきにありて・・・というが、本当にそうだな、と思う。自分の深い部分で心の安定につながっているようだ。幸い故郷にはまだ両親が健在なので、今年のお盆も顔を見せに帰省することにしている。育った場所が故郷だと思う人もいれば、別に心の故郷がある人もいるだろう。自分の場合それが一致しているので、ラッキーだなと思う。


宇都宮 雅子

『離れてこそ知る故郷への想い』

「郷愁っていうのかしらね。あんなに嫌だった故郷に、帰りたくて帰りたくてしかたがなくなることがあるのよ」
と、ヘルパーで訪問した先の女性から聞いたことがある。
彼女の故郷は中国地方の山間部だそうで、若い頃はなんにもない田舎に嫌気がさし、都会に出たくてしかたがなかったとか。しかし、なぜか年齢を重ねると故郷のことを思い出し、帰りたくてたまらなくなるそうだ。

当時、私は故郷の大阪に住んでいたので、彼女の言葉が実感としてわからなかった。しかし、40歳を過ぎてから故郷を離れる機会を得て、「なるほど、これがそうか」という想いを何度か経験した。もっとも強烈だったのは山陰地方へ出張したときのこと。東京に戻るため空港バスを待っていたとき、たまたま大阪行きの長距離バスを見かけたのだ。「あのバスに乗れば帰れるんだ」と思うと、乗りたくてたまらなくなった。もちろん、仕事があるので東京に戻ったが、あの突然こみ上げる想いは故郷を離れていないと経験できなかった。

人は年をとると、子どもの頃の記憶を鮮明に思い出すようになるという。それとともに郷愁も増すことだろう。自分の意思で故郷を離れた人でもそうなのだから、原発事故で福島を離れた方々が「故郷に帰りたい」と訴えるのは当然のこと。平穏に過ごしていた人々から突然故郷を奪った責任は重い。