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今月のお題 「スカート」

タイト、フレアー、巻き、プリーツ、ミニ、ロング…
スカート1枚に込められたオシャレ心とイタズラ心。
体型を隠す便利な道具にもなれば、男女間の深いギャップを思い知ることも。
スカートにまつわるメンバーそれぞれの思いを語ってみました。


宇都宮 雅子

『スカートが語る価値観』

最近、着なくなった洋服を20代の女の子2人に譲る機会があり、若者とのファッション志向の違いを改めて思い知らされた。
6畳間に洋服をざざっと広げ、「さあ好きなのを持って帰って」と宣言すると、2人は念入りに1品1品チェックをはじめた。「これカワイ〜」と手に取るのは、いずれも私の予想を裏切るブツばかり。中でもスカートに対する価値観のズレには驚いた。
基本的に私の古着はフレアースカートが多いのだが、今どきフレアーの支持率は低い。むしろ母親が履いていたようなプリーツが「カワイ〜」と評価される。電車で見かける若者ファッションを「親の世代の服みたい。ダサダサやんか」と常々思っていた価値観と自信が一瞬揺らいだ。
そういえばデパートの服売場も長いこと行ってない。おかげで最近の流行がとんとわからないのだが、洋服はラクに着れたらそれがイチバン。手持ちの服で充分ではないか。
しかし、これってしっかりオバサンである。 …でも、まあいい。古着を処分できた分、狭い家が少しだけ広くなった気がするから。


森 たかこ

『スカート姿を貫く』

 最近、テレビなどで男の人がスカートを着用している姿をよく見かける。誰ももうそんなことでは驚かない。
 だけど、自分が生活している周りで見ると皆さんはどう思われるだろうか?
 我が家の近くのスーパーマーケットで、外国人(白人)で若くはない男性がミニスカートをはいて、たまに買物をしている。はじめて見たとき、それはもう驚いた。
 まだ日本では、日本人の顔かたちをしていない人は、それだけで目立つ。それなのに、男性でひざ上20センチほどのミニスカート姿である。しかも後頭部の御髪が少々まばらな男性である(たぶん50歳くらい?)。目立たないほうが無理である。
 思わず「え?」と声を出しそうになった。彼が買物をする後ろ姿を数秒間眺めてしまったほどである。しかし他の人は、彼を見ている人もいるが、ほとんどの人は知らん顔である。
「なぜ?」
 わたしの心が狭いのか? 何事にも偏見を持たないようにと心がけていても、心の奥ではもうどうしようもないほど固まった思い込みがあるのではないだろうか? そんなことをも考えさせるほどその姿は強烈であった。それなのにどうして他の人はなんともない顔をしているのだろう?
 しかし謎はすぐに解けた。
 他の人はすでに慣れているのだ。
 その後時々、彼を見かけた。セーラー服のような姿のときもあった。もちろんミニスカートだ。彼を何度も見ていると、私ももうぜんぜん驚かないし、それが不思議だとも思わなくなったのだ。
 慣れというのは恐ろしい、と言うかありがたいと言うか……。
 最初はどんなに不自然にみえることでも、貫けばやがて周りの人に認められる。いい経験になった。


福留 順子

『ロングスカート』

今街を歩けば、様々な長さのスカートに出くわす。短いのから長いのまで。そして子どもから大人までが様々な長さのスカートを着ている。でも、あのころは違った。あれは小学校の高学年だったろうか…ミシンが扱えたから、きっと高学年のころだったろう。無性にロングスカートを着たかったことがある。まだ小説に夢中にはなっていなかったから、何の影響だったのだろう?母に「ロングスカートが欲しい」と言ったら、布地を渡された。色も柄も忘れてしまったけれど、きっと何かのカバーにでもしようと買っていたものなのだろう。高価な生地ではなかった。つまり、自分で好きなものを作れ、ということだ。円筒にミシンを掛け、上にゴムを通して念願のロングスカートができた。できた以上は外を歩きたい。近くの菓子屋まで、意気揚揚と出かけた。数歩歩くと近所のおばちゃんの刺すような目線。店につくと、一様にあっけにとられたというか、やっぱりさすような目線。きっと、異様だったのだろうな。でも、私は顔をつんと上げて、目的を果たして家にたどり着いた。それっきり、そのロングスカートを着ることもなく、どうなったのかも覚えていない。一度きりのロングスカート。今振り返ると、「世間の常識を破ること」がどういうことかを知った時、だったのかも知れない。


藤原 佳枝

『微妙なスカート丈』

スカート派かパンツ派か?回りの友人群を見ていると、スカートからパンツへの転向者は意外と多く、その反対はほとんどいない。「とにかく楽!」とパンツ派の面々は一様に言う。楽な方向には流れたいのだが、如何せん私はサイズ的にパンツが無理。ゴム入りのスカートを愛用している。
 考えてみればスカートは厄介な価値観を押しつけているところがある。今でこそどんな長さもファッションとしてそれなりに許容されているが、昔はそうではなかった。世間的に暗黙の基準があり、長すぎるものは「不良だ」、短すぎると「はしたない」と親たちの世代の厳しい目があった。校則でもスカート丈が決められ、数センチの攻防があるようだが、実に些末な話だ。いつ誰がその基準を決めたのだろう。私など親との葛藤が鬱陶しくて常に彼らの許容範囲であるスカート丈にしていたような気がする。そんな面倒な価値観も含めて働く女性がラクなパンツ派になっていくのを納得してしまう。


伊藤 さおり

『スカート』

私が幼稚園児だった頃、すぐ隣りに3人姉妹が住んでいた。毎日のように遊んでくれる本当のお姉さんのような存在。中でも、2番目のお姉さんは短い髪が活発な、いつもズボン姿のヒトだった。しかし、その姿は幼い私にちょっと不思議に映っていた。イヤ、大人たちの「女のコなのに」なんていう一言が耳に入っていたのかもしれない。そんな"私のお姉ちゃん"は高校生。学校は制服だった。そしてある日のこと、偶然見てしまったのである、スカート姿を。「やっぱりオンナの子だった…」。なぜかそう思ったことを20年以上経った今も覚えている。単なる驚きか、はたまた女=スカートという図式が当たり前のように5歳の子供の心を支配していたことに幼いながらも違和感を持っていたからなのか。
 時を経て、息子が通っている保育所でのこと。「ピンク色の服は女の子みたいやから嫌!」と叫ぶ3歳くらいの男児がいた。果たして大きくなった彼に、「あんなこと言ったこともあったんやなぁ」とシミジミ思う日が来るのであろうか。