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   2012年冬号のお題 『年賀状』

その昔、お正月になれば誰もが送っていた年賀状。
メールの普及とともに年賀状を送る習慣が廃れていくと思いきや、習慣は根強く残っています。
その根底にあるのは、年賀状が人と人とを結ぶ大切な絆のひとつだからでしょうか。


藤原 佳枝

『年賀状あれこれ』

毎年、年賀状を書くのは年末恒例の行事。終わるととにかくほっとする。年をとってくると時間が早いというが、まさにその通り。去年分の年賀状を作成したのがついこの前だったような気がする。

子供の頃は年賀状を書くのは大仕事だった。当時はすべて手書きであり、スタンプがせいぜいで、イラスト付きなどにすると大変な時間がかかった。しかも、手書きなので宛先などを間違えて書き損じも生じた。

そこにプリントゴッコが登場し、カラフルでオリジナルな年賀状が作成できるようになった。そして、パソコンの年賀状作成ソフトの普及により、劇的に楽になった。何と言っても一度入力すれば、宛先はきれいに印刷してくれる。文章やイラストも自由に変えられる。もちろん、凝ったものを作ろうと思えばいくらでもやり放題。相手先によって、違う種類ものが作成できるのも便利で有り難い。

今の若者は年賀状を出さずに、メールですませる人も増えてきているとか。それも、1つの時代の流れだろう。年に1度だけの生存確認となった相手もいるが、こうしたわずかな接点でもつながっていることを感じられるシステムはとても優れものだと思う。くじつきの年賀状は日本独特のもののようだ。元気で書けるうちは利用していきたいと思う。
さて、早いうちに、住所録の確認をして、今年度の年賀状は終わりとしたい。


森 たかこ

『恩師の年賀状』

大学の指導教官だった先生には卒業してからもずっと年賀状を出している。先生も必ずくださる。それも毎年元旦に届く。暑中見舞いもくださる。
暑中見舞いは、自分があまり出さないのでつい忘れてしまい、先生からいただいて慌てて出すことも今まで何度もあった。
去年の夏は、またうっかり忘れていた。出し忘れていたことも忘れていた。最近ははがきを書くことが年賀状くらいしかなく、その年賀状も去年(2012年)は12月30日に書いて日付が変わってから投函するという体たらく。
そんな私にも元旦には年賀状が届く。
いつものメンバーの中に恩師の年賀状がないことに気づき、そういえば暑中見舞いも送ってなかったしいただいてないなと気がついた。
もしかして、体調を崩されているのでは、と気になった。
大学時代のお友達も、先生のことが気になるとのことが書いてあった。
で、つい最近、先生のご自宅に思いきって電話してみた。
電話のコール音が響くだけで誰も出てこられない。この原稿を書いている時点ではまだ先生がどうなったかわからないまま。
それでも今までと同じ状況ではないらしいということは感じる。
年にたった一度の年賀状。それでもやはり伝わることがある。


宇都宮 雅子

『私が年賀状を続ける理由』

忙しい年末のスケジュールの中で、毎年年賀状づくりが負担になっている。
夫の分も作らないといけないし、私の分も仕事用とプライベート用に分ける必要がある。バタバタとPCで作成し、送り先の引っ越しや喪中、肩書変更などを確認後、「えいやっ!」と投函するのだが、チェックが漏れることもあり、いつもなにかしら不安な気持ちが拭いきれない。

しかし、年賀状の効果には計り知れないものがある。
まず生存確認。若い頃は考えられなかったが、この年齢になると年賀状で相手の死去を知ることがある。送られてくるうちは相手も元気なわけで、安心できる。
そして、古いつきあいの復活。会う機会もなく、年賀状だけをやりとりしていた友人と、ン十年ぶりに交流が復活する…というパターンが結構ある。年賀状を続けていなかったら、二度と会えなかったことは想像に難くない。
さらには、営業効果。ご無沙汰気味の取引先に年賀状を送ることで、「まだまだあなたとの取引を希望しています。私を忘れないでくださいね」という意思が相手に伝わる。メールでもいいのだが、年賀状の方がインパクトが強い。

…てなことを考えると、やっぱり年賀状をやめるわけにはいかなさそう。今年の暮れも、バタバタと作っていることだろう。