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  2014年春号のお題 『入学式』


4月になりました。日本全国各学校で入学式が行われます。PIAZZAのメンバーは入学式にどんな思いを抱いているのでしょうか。


宇都宮 雅子

『入学式の遠い記憶』
今日3月24日、仕事で渋谷に出かけたら、袴姿の女子大生を多く見かけた。卒業式シーズンならではの光景だ。卒業式の次は入学式。最後に入学式に出席したのはいつだったか…? たしか大学だったような…。いずれにせよ、遠い記憶だ。

私の記憶が確かなら、入学式後のオリエンテーションで、「大学は自分の意思で動くところで、大学自体はあなたになにもしてくれない」という趣旨のスピーチを聞いた。
まったくそのとおりで、大学は待っていてもなにもしてくれない。
大学卒業後の社会もそうだ。自分から動かなければ、なにもはじまらない。

ただ、若いうちはどんなふうに動けばいいのかがわからない。
とくに私が学生だった30年前はインターネットもなく、掲示板に貼り出してある情報と人から聞く情報がすべてだった。とりわけ人から入る生の情報には役立つものが多く、無知だった私にいろいろなことを教えてくれた先輩・友人に、今も感謝している。

人生、いくつになってもなにかをはじめられるはず。
いつかまっさらな気分になって、もう一度入学式に出席してみたいものだ。


藤原 佳枝

『入学式の風景』

桜が満開の中、入学式の季節がやってきた。
世界標準である秋入学の検討もなされており、その意味もわかるが、桜咲く中での入学式は景色として美しいと思う。
新しい生活に踏みだそうとしている子供達にとって、スタートの意味合いもかねて入学式は大事な節目であろう。

そして、その子供達を見守ってきた保護者にとっても、入学式は感慨も新たな面があると思われる。幼稚園、小学校と幼かった子供が集団生活に入っていくのは、不安と期待とが入り交じった気持ちだろう。

ただ、最近では中学校から大学に至るまで、両親や時には祖父母などの参加もあるらしい。私の場合には、中学以降は母親だけが列席したと記憶している。今は家族全体のイベントのようだ。
親離れ・子離れができていない。いや、おそらく親側が子離れできていないのだろう。

子供を自立させることが親の役割だとすれば、いつまでもべったりと子供の世話をやくのは自立の妨げとなる。おめでたい入学式だが列席者の変化が時代の変化を感じさせる。


森 たかこ

『入学式と桜』

入学式と言えば、挿絵に描かれてあるのはほぼ例外なく桜。
満開の桜にちらほらと花びらが少し散っている絵が多い。
薄いピンク色の花が一斉に咲き乱れる姿は、新しい門出にぴったりだ。

だけど、桜の花が入学式にちょうど満開になるのはどのあたりの地区になるのだろう。
大阪では入学式には満開の時期を少し過ぎる。
子どもの頃、「もう桜は葉が出てきているのに、桜の絵って合ってないなあ」と何となく思っていた。素直でない嫌な子だな、本当に。

でも大人になるとわかる。
桜は日本人の春なのだ。春と言えば卒業式や入学式なのだ。だから春の行事の挿絵は満開の桜が圧倒的に多い。
寒い冬をじっと堪え忍んで、ぱあっと華やかな春(桜)になる。
そして寒い時期も暗い時期も辛い時期も全部、桜の春の華やかさがリセットしてくれる。
どんなことがあってもまた一から桜の花とともにスタートする。
その最もはっきりしている行事が入学式なのだ。

みんなきれいなお洋服や着物を着て入学式に臨む。
ニコニコ笑って、とってもいい風景だ。何度でも経験したい。
入学式は春がいい。桜とともに入学式をしたい。