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  2015年春号のお題 『イスラム』
昨今、イスラム圏のニュースを見ない日はありません。
地理的にも文化的にも遠いのに、私たちの暮らしに与える影響は小さくない。
そんな「イスラム」について、メンバーそれぞれがコラムを書きました。


藤原 佳枝

『遠い国々』

イスラムに関してはほとんど知らない。ニュースはそれなりに流れるし、学校でも習ってきた。ただ、身近にイスラム教徒がいない。知り合いにでもいれば、もっと本当のことがわかるのだろう。イメージでしか語れないのが私にとってのイスラムだ。
敬虔なイスラム教徒とは、私とはかけ離れた生活をしているように思える。何よりも祈りが重要なわけで、それを中心として組み立てられた1日というのはどういうものなのだろうか。すでに習慣化しているに違いない。私が顔を洗うように、決まった時間になると当たり前にお祈りをする。我々が正月に神社にお参りして、手を合わせて祈るのとは違うのだろう。我々は願い事をする。イスラムの祈りもそうなのだろうか。
仕事時間に縛られた生活はしていないようなのは羨ましい。
日本ではあまり多くは住んでいないイスラム教徒だが、いずれはキリスト教をぬいて世界一の数になるという。幸い日本とイスラム教の国々とは過去において大きな戦いはなく、親日的でもある。日本が国際社会で生きていくために、イスラムの国々とは友好的に付き合っていくことが必須だろう。ただ自分にとっては少々遠い国である。もう少しイスラムについては知らなくてはならないと改めて思った。


森 たかこ

『イスラム国って、どこ?』

2014年後半ぐらいからイスラム国という名前を報道で時々聞くようになった。
日本を含む各国のジャーナリストなどの人たちが拘束され殺された事件などでその名を知ったのだが、
「はてイスラム国ってどこだっけ?」というのが最初の疑問。
イスラムっていうくらいだからイスラム教に関係あるんだろうとか、じゃあ中東あたりの国かなと思うも、中東のあたりにそんな国があったような覚えがない。
もやもやした感じだったが、ネットで調べてみると、どうやらシリアからイラクあたりのイスラム教の国らしい。が、国際社会では独立国家とは見なされていないらしい。
本当の国ではないんだ、っとわかってやっとそのもやもやがとれた。
勝手に国を名乗るのは、それってだめでしょ、って思うけれど、何の罪もない人を拘束して残忍な方法で殺してしまう国ならそんなことは平気なのかもしれないと思う。

拘束された後藤さんたちがインターネットでオレンジ色の服を着てメッセージを伝えている場面を見た。彼らの背後の風景が乾いた土の風景で、木々が豊かな日本とのあまりの違いに、自然が過酷だと行為までが過酷になってくるのだろうかと、全く見当違いなことさえ思ってしまう。
イスラム国のことを調べれば調べるほど、外国人に対する残忍な行いだけでなく、女性や子どもに対してのひどい行いも多数知ることになり心が痛くなる。
改めて、平和な日本に生まれたことを心から感謝した。



宇都宮 雅子

『イスラム地域の平和を願う』

イスラム圏で行ったことがある国といえば、トルコとエジプトぐらい。20年以上昔のお気楽な観光旅行だったが、その後の中東情勢の変化の目まぐるしさには驚くばかり。ついにはISという化け物のような「国家」が現れ、世界中の過激テロ組織と連動をはじめている。わが身の安全を考えると、とても一般人が旅行に行ける雰囲気ではない。

ただ、イスラム文化の魅力にはどうしようもなく惹きつけられる。中近東地域は文明の十字路。アジア、ヨーロッパ、アフリカの文化が交錯する上にイスラム文化が生まれ、周辺諸国とぶつかりあい、影響を与えあいながら21世紀まで続いてきた。前時代的な部分にも文化の強固さが感じられ、イスラム教がなぜここまで人々の支持を集めるのか、その背景を知りたい想いに駆られる。

典麗なモスクも、壁いっぱいのアラベスク文様も、市場に漂う香辛料の強烈な香りも、日本で暮らす私から見ると圧倒的な異文化。そもそもイスラム教の教義は平和を尊ぶと聞いた。異文化も自文化と同様に尊んでくれれば、紛争の数も少しは減るはず。ISは異教徒どころか同じイスラム教徒も殺戮しており、暴挙に際限がない。なにが彼らのような化け物を生み出したのか。

願わくば、中東地域に1日も早く平和が訪れますように。