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  2016年春号のお題 『日記帳』
日記には革のカバーの付いた立派なものから、普通のノートまでいろいろありますね。
みなさんは日記をつけていますか?

PIAZZAのメンバーは日記をつけているのでしょうか?
つけているとすれば、どんな日記なんでしょうか。何を書いているのでしょうか?

メンバーの、日記に関する思いを綴っています。


森 たかこ

『5年日誌で振り返り』

私は日記帳はつけているが、なかなか毎日はつけられず、時々つけている。
私の使っている日記は5年日記帳で1日分の枠は縦4センチ横8センチくらいの小さな部分だ。そこに入る文字は100文字程度。今日の分を書こうとして、日記帳を開けると、過去の同じ時期の出来事が見えるようになっている。
だいたい、毎年同じ時期に同じようなことをしている。だけど、毎年同じかというと、やはり前年度とは少しちがう。
今2013年から使っている日記帳なので過去3年分が見られるのだけれど、周りの環境が少しずつ異なっていたりするので、思い起こすと懐かしい。あまりたくさんは書けないので、ほとんど「今日は何々があった。びっくりした」とか「どこそこへ行った。おもしろかった」と言うような簡単な内容だ。だけどそれを見るだけで、そのときのうれしかったことや悲しかったことなどを思い出すからおもしろい。
過去の自分に、「そんなに心配することなかったよ」って言ってあげたいくらい心配することもあったけど、過ぎてみればほとんどが懐かしい思い出に変わっている。時間って大切だなと、日記帳を見ながら、しみじみ思う。


藤原 佳枝

『自分史』

日記帳を今はつけていない。振り返って、日記を書いたのは中学生時代に1年間、あとは子供が生まれてからは6年ぐらい。思春期の不安定な時期と慣れない子育てで疲れていた時期のようだ。私は、淡々と過ぎていく日を綴るのには苦手なのかもしれない。実際に日記を付けるのは多少なりとも時間がかかる作業なので、面倒でもある。

今回のテーマをもらってステーショナリーショップに行ってみたら、10年日記というものがあった。書く量も少なくてすみそうだし、これならば続けられるかもしれない。今から10年間何が起きるかわからないが、10年単位だとそれなりの変化はありそうだ。楽しいことばかりではなく、悲しいことも少なくなさそうだけれど。自分もそれなりの年齢を重ねて、下り坂にはいった時期に、どんな風に考えて何をしていたのか。。。10年分をあとで振り返ってみるのは興味深い作業のように思えてきた。

歴史などでは日記は貴重な資料になる。プライベートなものだが、ある方面から観た真実も含まれている。私の日記にはそのような貴重な内容はないけれど、後で子孫が読んだら結構面白いのではないか、などと思えてきた。さて、日記帳を選びに行こうか。



宇都宮 雅子

『日記には夢を書くべし』

10代の頃、かなりマメに日記を書いていた。
きっかけは(ありがちな話で恐縮だが)『アンネの日記』を読んで、中身の濃さに驚いたから。
書くことが好きな12歳の女の子にとって、日記はとても手近なツール。ただし、誰にも読まれたくないので、保管場所には気を使った(笑)。

しかし、いざ書きはじめてみると、平和日本で暮らす平凡な中学1年生が書けることなんて、たかだか知れていた。学校のこと、友人のこと、親のこと……自意識が急速に高まる思春期だったこともあり、人を批判したり、愚痴ったり、夢みたいなことを書いたり。とくに「他者から認めてもらえない」「みんな私を軽視している」的な自意識の塊のような内容が多かったと記憶している。

その後、自分の情けない姿を見るのがイヤで、日記を読み返したことはない。
「もう時間がたちすぎて別人格だから、読み返すと新鮮よ」
と人に言われたこともあるが、そこまで自分に興味が持てず、クローゼットの奥にしまいこんだままだ。
何十年も処分できずにいるのは、日記にかけた長い時間がそうさせるのだろう。

今にして思えば、夢だけは繰り返し繰り返し書き続けるべきだった。
子どもの頃に持った夢は、その後の人生を変える。
いろいろな方にインタビューした経験から、そう思う。

私が日記に書いたいちばん大きな夢は、たしか「他の恒星系へ行ってみたい」だった。
1970年代当時は「21世紀になれば火星旅行ぐらいできるかも」という風潮だったので、こんなことが書けた。
今は生きている間に人類の火星旅行を見届けたい。あ、それとサッカー日本代表のワールドカップ優勝も(笑)。