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CINEMA LIBRARY 〜あ行〜
 
作品名 監督
ア行  
I am sam ジェシー・ネルソン
アイアム・レジェンド フランシス・ローレンス
愛と精霊の家 ビレ・アウグスト
愛の流刑地 鶴橋康夫
アイ,ロボット アレックス・プロヤス
愛を読むひと  スティーヴン・ダルドリー 
アザーズ アレハンドロ・アメナーバル
アタック・ナンバーハーフ ヨンユット・トンコントーン
アーティスト ミシェル・アザナビシウス
あなたが寝てる間に ジョン・タートルトーブ
アナと雪の女王 ジェニファー・リー
アニマトリックス アンディ・ジョーンズ、前田真宏、渡辺信一郎、川尻善昭、小池 健、森本晃司、ピーター・チョン
あの頃ペニー・レインと キャメロン・クロウ
あの子をさがして チャン・イーモウ
アバウト・ア・ボーイ ポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ
アバター ジェームズ・キャメロン
アメリ ジャン=ピエール・ジュネ
アメリカン・スウィートハート ジョー・ロス
アメリカン・ビューティ サム・メンデス
アリス・イン・ワンダーランド ティム・バートン
ある子供 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
アルゴ ベン・アフレック
アレキサンダー オリヴァー・ストーン
アンジェラの灰 アラン・パーカー
アンドリュー NDR114 クリス・コロンバス
アンブレイカブル M・ナイト・シャラマン
硫黄島からの手紙 クリント・イーストウッド
イギリスから来た男 スティーブン・ソダーバーグ
活きる チャン・イーモウ
イナフ マイケル・アプテッド
インセプション
クリストファー・ノーラン
インソムニア クリストファー・ノーラン
インターステラー クリストファー・ノーラン
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国 スティーヴン・スピルバーグ
インハーシューズ カーティス・ハンソン
ウィンドトーカーズ ジョン・ウー
ウォーターボーイズ 矢口 史靖
宇宙戦争 スティーヴン・スピルバーグ
海の上のピアニスト ジュゼッペ・トルナトーレ
海辺の家 アーウィン・ウィンクラー
運動靴と赤い金魚 マジッド・マジディ
運命の女 エイドリアン・ライン
ヴェロニカ・ゲリン ジョエル・シュマッカー
A.I. スティーブン・スピルバーグ
永遠のマリア・カラス フランコ・ゼフィレッリ
8mile カーティス・ハンソン
エグザム スチュアート・ヘイゼルダイン
エクソシスト ディレクターズ・カット版 ウィリアム・フリードキン
es オリバー・ヒルシュビーゲル
X-MEN ブライアン・シンガー
X-MEN2 ブライアン・シンガー
エニグマ マイケル・アプテッド
エネミー・ライン ジョン・ムーア
エリザベス:ゴールデン・エイジ シェカール・カプール
エリザベスタウン キャメロン・クロウ
エリン・ブロコビッチ スティーブン・ソダーバーク
エンダーのゲーム ジェニファー・リー
おくりびと 滝田洋二郎
オーシャンズ11 スティーブン・ソダーバーグ
オーシャン・オブ・ファイヤー ジョー・ジョンストン
オースティン・パワーズ ゴールドメンバー ジェイ・ローチ
オータム・イン・ニューヨーク ジョアン・チェン
男と女 クロード・ルルーシュ
オー・ブラザー! ジョエル&イーサン・コーエン
おみおくりの作法 ベルト・パゾリーニ
オリバー・ツイスト ロマン・ポランスキー
オール・アバウト・マイ・マザー ペドロ・アルモドバル
陰陽師 滝田洋二郎
陰陽師U 滝田洋二郎

「おみおくりの作法」
監督 ベルト・パゾリーニ
出演 エディ・マーサン
    ジョアンヌ・フロガット
    カレン・ドルーリー
(2013年/イギリス)

ジョン・メイ(エディ・マーサン)はロンドンのケニントン地区の行政職。20年以上に渡り、彼がたったひとりで続けているのは、地区内で孤独死した人の身内を探し、宗教に則った丁寧な葬儀をおこない、共同墓地に埋葬する業務。事務的にすまそうと思えばいくらでも簡単にできるのだが、彼は死者に敬意を払い、最善を尽くすことをモットーとしていた。
ある日、彼のマンションの向かいの棟で孤独死した男性が発見される。いつも以上に力を入れて身寄り調査をおこなうジョン・メイだが、上司は「不要なコストだ」とリストラを告げ……

ストーリーが進むにつれ、「これは日本の話か?」という思いがどんどん強くなる。
孤独な老人。誰も気づかない死。関わりを嫌がる親族。事務的な処理を迫る幹部職……ひとりで葬儀と埋葬に参列し続ける主人公の姿に、「人間の尊厳とはなにか?」「人の人生とはいったいなんなのか?」と考えずにはいられない。
ジョン・メイが身寄り探しをすると、どんな人の人生にも輝いていた時期があり、人と深く関わって生きた時期があるとわかる。そう、どんな人だって懸命に生きている。しかし、人生の最期でどれほどの人に関われているかなんて予測がつかない。私自身を顧みても孤独死する可能性は充分にある。
実のところ、今どき墓参りも大変だから墓はいらない。さらに言えば葬式もいらないのでは…? と考えていたが、本作を見て少し考えが変わった。向かいのマンションで死んだ男はとんでもないロクデナシだったが、ジョン・メイの尽力の結果、葬儀に妻や娘や孫が集い、故人を偲び、交流が生まれる。誰にも知られずに死んだ人間が、生きている人間に確実に影響を与えているのだ。

死者たちの人生は徐々にジョン・メイにも重なっていく。なにがそうさせたのか、ジョン・メイ自身も身寄りのないひとり暮らし。ラストシーンには賛否両論あるだろうが、彼は満足だったのではないかと私は思う。

最後になったが、主演のエディ・マーサンの抑えまくった演技も一見の価値あり、だ。
(2016・05・06 宇都宮)


「インターステラー」
監督 クリストファー・ノーラン
出演 マシュー・マコノヒー
    アン・ハサウェイ
    ジェシカ・チャスティン
(2014年/アメリカ)

クリストファー・ノーラン監督が挑んだ本格派SF大作。
気候変動と食糧危機で人類が滅亡の危機に晒された近未来の地球。元パイロットでエンジニアのクーパー(マシュー・マコノヒー)は、未来に希望が持てないまま老父と子どもたちと暮らしていた。そんなある日、消滅したはずのNASAから連絡があり、移住可能な惑星を探査する宇宙船のパイロットに抜擢される。目的地ははるか彼方の銀河系にある3つの惑星。土星近くにあるワームホールを通って惑星系へ行き、どの惑星が居住可能か調査するのがクーパーのミッションだ。ただし、その惑星系はブラックホールの近くにあるため、時間の流れが地球とは大きく異なり、惑星上の1時間が地球の7年間に相当する。たとえミッションを成功させて地球へ帰還しても、果たして彼の愛する家族はまだ生きているのか? 葛藤に苦しみつつ、クーパーは「必ず帰って来る」と娘のマーフに約束して旅立つが、その旅は苦難の連続だった……

ワームホールや相対性理論が登場する壮大なストーリー。なぜ時間の流れが違うのか? ブラックホールの事象の地平線とはなにか? そして事象の地平線の向こうにあった、あの光景はいったいなんなのか?――正直、すんなり理解できる人は少ないのではないだろうか。
事象の地平線は光さえ出られない場所なので、そこになにがあるのか外から見ることは決してできない。それだけに、想像するのは各人の自由。本作は「なるほど!」と思わせる解決策を用意してくれている。
もっとも根本的な問い=「誰がワームホールを用意したのか?」が解決されないまま終わるが、それは時空を自由に行き来できるほどの科学技術を持つ存在。私たちが知ったところで、どうなるものでもないのだろう。

SF好きには「見たこともない惑星の風景」がとても魅力的なのだが、そこはVFX技術がかなえてくれる(同じくノーラン作品の『インセプション』に似た風景も拝める)。本作がじっくり描こうとしているのは、クーパーとマーフの父娘関係を中心にしたさまざまな人間ドラマだ。とても帰還できそうにないミッションに旅立った父と、それを知りつつ物理学者になる利発な娘。人生を賭けて追い求めた研究は人類救済につながるが、たったひとりの父は宇宙のどこにいるのか誰にもわからない。
個人的には、アン・ハサウェイが演じた生物学者の人生が胸に迫る。そして、氷の惑星で究極の孤独と闘い続けた学者の人生も。

実はノーラン作品と知らず、なんの予備知識も持たずに見たのだが、169分の長尺にまったく退屈しなかった。アドベンチャーと人間ドラマを両立させたストーリー展開はさすが。『2001年宇宙の旅』を超えることはできないが、あの名作へのオマージュをそこかしこに感じた。
(2015・05・07 宇都宮)


「エグザム」
監督 スチュアート・ヘイゼルダイン
出演 ルーク・マブリー
    チュク・イウジ
    ジミ・ミストリー
(2009年/イギリス)

ある感染症で若者の半数が命を落とすようになった近未来。特効薬を開発した製薬会社がCEOのアシスタントをとんでもない好条件で公募したところ、8人の優秀な男女が集まった。最終試験はなにもない密室でおこなわれ、同席するのは武装した警備員ひとり。配られた問題用紙は真っ白だが、試験官や警備員に質問することは許されない。試験用紙を損壊した者、会場から一歩でも出た者はその場で失格。いったい問題はなにか? どう解くのか? 8人は互いに牽制しあいながら、正解を求めて行動するのだが…

たった1名の採用枠を争うライバルが密室に閉じ込められ、答えを求めて知恵を絞って行動する。試験は質問を見つけるところからスタートするため、「誰かが質問を知っているのではないか」という疑念が生じ、互いにだましたり、利用したり。最終的には命に関わる事態になるが、採用企業からの助けはない。

そもそも問題を探すところからスタートするので、偏差値型秀才は役に立たない。注意深く人の言葉を聞き、アイディアと応用力があり、タフなメンタルを持つ者が有利。観る側も謎解きに参加し、自分のアホさや注意力のなさを実感しつつ、ストーリーが進む。登場人物は積極的にリーダーシップを取る者、取らない者に自然に分かれ、当然衝突も起きる。応募者同士が争うシーンを見て「時間がもったいない」と思い、「そんなことより知恵を合わせようよ」と言いたくなるのは日本人の習性か?(笑)

最終的に1名の採用者が決定するのだが、こんな企業に勤めて果たして幸せになれるのか疑問だ。年収1億円を一生受け取れるらしいが、そんなポストがいかに危ういものか、企業人ならわかるはず。それとも、こんな感想を抱く私がのんびりし過ぎているのか? 就活に悩む学生の中には、本作に身につまされる人も多いのかもしれない。
スター俳優なしで時間も短め、試験ルームしか登場しない低予算ぶり。でも充分楽しめる。監督のスチュアート・ヘイゼルダインは脚本家出身の若手だそうで、今後の作品が楽しみだ。

(2015・05・05 宇都宮)

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「アナと雪の女王」
監督 ジェニファー・リー
   クリス・バック
出演 クリステン・ベル
    イディナ・メンゼル
    ジョナサン・グロフ
(2013年/アメリカ)

ディズニーの大ヒットアニメ作品をDVDで鑑賞。日本語版の前評判があまりにもいいので、英語版・日本語版の両方をチェックした。

原案がアンデルセンの『雪の女王』と知って驚いたが、本作はあくまで陽気なアメリカンタッチ。どうやらアイディアだけをいただいたらしい。ストーリーは子ども向けなので、素晴らしい音楽とアニメーション映像を楽しむ作品だ。
日本語版の松たか子・神田沙也加による歌は素朴で、美しい声が耳に心地いい。英語版の歌はエネルギッシュでテクニカル。可愛い絵柄に比べて歌が上手過ぎる印象もあるが、どちらがいいかは観る人の好み次第だろう。
映像の質の高さは相変わらずで、とくにエルサが魔法で氷の城をつくり上げるシーンは、子どもの頃に一度見たら生涯忘れないのではないだろうか。

「王子さまを待たないプリンセス」というコンセプトには共感する。自分の力をコントロールできずに悩むエルサと、自ら行動し、男性には対等な条件を提示し助力を頼むアナ。結局、「真実の愛」は王子さまから与えられるものではなかったことも、よくできた設定だ。
子どもの頃の刷りこみとは恐ろしいもので、「いつか白馬の王子さまが現れる」と、いくつになっても信じている女性が現実問題として存在する。「誰かに依存したい」という気持ちがそうさせるのだろうが、真の救いは自ら行動して初めてもたらされるもの。行動した結果、王子さまの助力が必要でなくなれば、より対等な関係が築けるというものだ。

本作を観た世界中の女の子たちが、自ら行動する大人になれますように。
そして男の子たちは、女の子たちの意思を尊重できる大人になれますように。
(2014・07・27 宇都宮)

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「エンダーのゲーム」
監督 ギャヴィン・フッド
出演 エイサ・バターフィールド
    ハリソン・フォード
    ベン・キングズレー
(2013年/アメリカ)

子ども向けSF映画だろうとタカをくくっていたら、予想以上に出来がよいので驚いた。原作は1985年に出版されたベストセラーSF小説らしい。原作を先に読んでいたら、「原作の世界を表現しきれていない」「もっと深遠なストーリーなのに…」という感想になるのだろうが、まったく予備知識なく見ると充分楽しめる。

フォーミックと呼ばれる昆虫型エイリアンの襲来に備える近未来の地球。そこは全世界から優秀な能力を持つ子どもたちを選抜し、エイリアンと闘う戦士として組織的に養成する世界だ。
エンダー(エイサ・バターフィールド)は訓練学校ではいじめられっ子だったが、グラッフ大佐(ハリソン・フォード)にその才能を見出され、宇宙ステーション内の訓練基地へと送り込まれる。そこで徐々に頭角を現し、少年少女戦士のリーダーとして精鋭チームを率いるようになったエンダーは、やがてフォーミックとの戦闘の前線基地へ送り込まれていく……

ひとりの少年がリーダーとして人の心をつかむようになり、同時に戦術やチームの戦闘スキルを上げていく。その過程が地上の学校⇒宇宙ステーションの訓練基地⇒深宇宙の前線基地と場所を変え、メンバーを変え、周囲の大人たちの反応を変えて、テンポよく描かれていく。
エンダーが好戦的な性格ではなく、異生物との闘いに疑問を持ち続けていることが救いだ。エイリアン自体は相変わらず昆虫に似て醜悪な姿だが、そんな相手にも生き物として尊重しようとする姿勢がある。
「なぜ子どもが戦闘員に?」「政府はどんな形態になっている?」などの疑問は残るが、原作を読めば、このあたりの詳しい説明もきっとあるのだろう。

主役のエイサ・バターフィールドは『ヒューゴの不思議な発明』の子役。『ヒューゴ…』もそうだったが、本作も難しい役どころを達者にこなしている。さらにエンダーの姉役に、『わたしの中のあなた』のアビゲイル・ブレスリン。ほかにも達者な子役が山ほど出演しているが、大人の登場人物があまりにも少ないことに異和感を感じた。大人を描いてしまうと、主役の子どもたちが戦士として闘う悲惨さがクローズアップされてしまうからだろうか。名優ベン・キングズレーがさすがの存在感で、作品全体に重みを与えている。
(2014・07・27 宇都宮)

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「アルゴ」
監督 ベン・アフレック
出演 ベン・アフレック
    ブライアン・クランストン
    アラン・アーキン
(2012年/アメリカ)

1979年にイランで起きたアメリカ大使館員人質事件。52名の人質が長期間拘束されたが、ほかに6名の大使館員がカナダ大使館に逃げ込み、息を潜めてアメリカ政府の救出を待っていた。イラン革命と反米の嵐が吹き荒れる国から、どうやって彼らを救出するのか。CIAエージェントが考えた救出作戦は、架空の映画製作をぶち上げ、大使館員をイランへのロケハン隊と欺くものだった。

荒唐無稽な話に見えるが、ストーリーは事件から18年後に公開された機密情報に基づいている。つまり実話。
派手なアクションやカーチェイスはない。いかに穏便に、周囲の目や秘密警察や軍の出入国チェックを欺いて、6人を脱出させるか。それだけに心を砕いて緻密な計画を立て、勇気を振り絞って実行する。
しかし、大使館員として入国した人物をどうやって映画のロケハンメンバーとして出国させるのか。偽パスポートや扮装は当たり前として、イランの出入国管理をどうやって破るのかが不思議だったが、そこはかなり運任せの度胸勝負だった。「このまま殺されるのを待つよりマシ」と思うぐらい追い詰められないと、できない芸当だ。
さらに、CIA本部とアメリカ政府の方針の二転三転もあり、観る者をハラハラさせる。ひとつひとつは小さな行動なのだが、どこかに綻びがあれば、6人の大使館員+1人のCIAエージェントの命は助からない。崖っぷちをおそるおそる歩くような緊張感が、この作品の醍醐味かもしれない。

2013年度のアカデミー作品賞、脚色賞受賞もナットク。ベン・アフレックは監督としての手腕もいいが、抑えた演技も渋くてよかった。ぜひ人にお勧めしたい作品だ。
それにしても、イラン政府の反論も山ほどあるだろうから聞いてみたい。個人的には、カナダ大使館で家政婦をしていた女性のその後が気になる。
(2013・04・25 宇都宮)

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「アーティスト」
監督 ミシェル・アザナビシウス
出演 ジャン・デュジャルダン
    ベレニス・ベジョ
    ジョン・グッドマン
(2011年/フランス)

モノクロのサイレント映画で全編を描き、アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞を受賞した作品。
1927年のハリウッド。サイレント映画でトップスターに君臨した映画スター、ジョージ・バレンタイン(ジャン・デュジャルダン)が、トーキーの登場とともに「古い」と映画会社に切り捨てられる。代わりにスターダムに上ったのは、彼によってチャンスを与えられた女優ペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)。ぺピーは没落したジョージに何度も近づこうとするのだが、そのたびに彼に拒否され……

チャップリン作品などサイレント映画は割と観てきたほうだが、今見ると実に斬新! 役者の大ぶりな演技。ファッション、メイク、ヘアスタイル。いかにもクラシカルなBGM。頻繁なセリフ交換ができないのでストーリーはごくシンプル。シチュエーションで状況を見せることが徹底されている。

  それにしても、シンプルなストーリーなのに泣ける。人の心の温かさ。セリフが少なくても、表現方法が変わっても、人が感動するポイントは変わらないのだと再確認した。落ちぶれたときに横にいてくれる人が本当の友だというが、まさにその王道をいく内容。自分が引き上げた相手が自分より上の立場になり、手を差し伸べてくれることにプライドが耐えられないという気持ちもわかる。わかるのだが、人気なんて所詮水もの。片方が落ちたときはもう片方が助けることを繰り返す、ぐらいに考えれば、自分の気持ちに折り合いをつけられると思うのだが。
(2013・01・16 宇都宮)

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「インセプション」

人の夢の中に入り込み、潜在意識からアイディアを盗む凄腕の産業スパイ・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、実業家サイトー(渡辺謙)からある依頼を受ける。その内容は某企業グループが世界中のエネルギーを寡占するのを阻止するため、グループの後継者に事業解体のアイディアを埋め込んでほしいというもの。コブはこの難しい依頼に応えるため、世界中から最強のスタッフを集めるが、彼自身がある問題を抱えていた……
「夢」をテーマにした映画はこれまでにもあったが、この作品の「夢」は「夢」と「現実」の区別がつきにくい。「夢から覚めたと思っていたら、実はまだ夢の中だった」という二層の夢がオープニングシーンで展開し、観る者は最初の混乱へと導かれる。クライマックスはサイトーのオーダーに応えて創りあげた三層の夢の世界だ。
いちばん恐ろしいのは、潜入後に「夢」と「現実」の区別がつかなくなること。「夢」を終わらせるには、その世界で死ぬしかない。でも、もしそこが「夢」でなく「現実」だったら…? コブ自身もその恐怖を抱えながら、愛する家族との「現実」に戻ることを痛切に願っている。
「夢」の世界の不思議さは、誰もが経験していること。いい夢を見ているときは本当に幸せな気分になるし、悲しい夢を見て目覚めたときは本当に泣いていたりする。行動に実態はなくても、夢見る人の「うれしい」「苦しい」「つらい」といった感情は本物だ。
クリストファー・ノーランは『メメント』で10分前の記憶も失ってしまう男の復讐劇を描き、きらめく才能を見せてくれたが、本作も『メメント』と同じく彼のオリジナル脚本だ。私のように集中力が続かず、つい伏線を見逃してしまう人は2回観たほうが理解が深まる。気になるシーンをもう一度観るだけでも違うはずだ。
(2011・01・02 宇都宮)

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「アリス・イン・ワンダーランド」
監督 ティム・バートン
出演 ミア・ワシコウスカ
    ジョニー・デップ
    ヘレナ・ボナム=カーター
(2010年/アメリカ)

「不思議の国のアリス」をモチーフに、鬼才ティム・バートンが創りあげたファンタジー。出演は、彼の作品ではおなじみのジョニー・デップ&ヘレナ・ボナム=カーター。予想どおりの不思議世界が展開する。
原作と大きく設定変更されているのは、ここに登場するアリスは19歳で、子どもの頃訪れた不思議の国を忘れてしまっていること。そして、子ども時代にはあり得なかった冒険をクライマックスですることになる。
それにしても相変わらず、ティム・バートンが創りだす世界はユニーク。ただし本作は、不思議の国全体がヘレナ・ボナム=カーター演じる赤の女王の圧政に耐えているという設定のせいか、画面全体に蔭を感じさせる。
登場人物もアリスは人間の女の子だが、彼女以外は不思議の国の住人。ヘレナ・ボナム=カーターの怪演ぶりは言うまでもないし、ジョニー・デップはどんな役でも演じてしまう。ただし、今回のデップのマッドハッター(帽子屋)は、「チャーリーとチョコレート工場」の工場長や「スウィーニー・トッド」の床屋、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのキャプテン・スワローに比べると、ややインパクト不足。アン・ハサウェイ演じる“白の女王”は美しく、わかりやすいキャラクターだ。そして主役のミア・ワシコウスカはユニセックスな魅力がある。
しばし非現実な世界で遊べる、テーマパークのような作品だ。
(2010・9・18 宇都宮)

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「愛を読むひと」
監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 ケイト・ウィンスレット
    レイフ・ファインズ
    デヴィッド・クロス
(2008年/アメリカ・ドイツ)

弁護士として成功し、地位も財産も手に入れたマイケル(レイフ・ファインズ)だが、妻と離婚し、家庭では孤独な日々を送っている。彼が心の壁をつくり、妻とも相容れない男になってしまった背景には、初恋の鮮烈な記憶があった。
1958年のベルリン。15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)は20歳近く年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)と出会い、毎日彼女のもとへ通うようになる。ハンナとの逢瀬は肉欲を満たすセックスと、彼女にせがまれて古今の名著を朗読する時間に費やされた。初めて知る大人の世界に溺れるマイケルだが、突然なにも告げずにハンナは姿を消してしまった。8年後、法学部の学生となったマイケルは、ナチ協力者の戦犯を裁く法廷でハンナの姿を見出す。第2次大戦中、ユダヤ人収容所の看守として働いた過去を持つ彼女は、多くのユダヤ人をアウシュビッツに送りこんだ戦犯として裁かれていた……
ハンナが命をかけても守りたかった「秘密」(これがマイケルに朗読をせがんだ大きな理由でもあるのだが)は、ストーリーが進むうちに観る者にも伝わってくる。ハンナは美しく聡明な女性なのだが、「秘密」が彼女の人生を狂わせ、終身刑へと導いていく。しかし、その「秘密」は人によっては「秘密」でもなんでもなく、オープンで当たり前のこと。にもかかわらず「秘密」を守り通したかったハンナのプライドと、そのプライドを尊重したマイケルの姿に、個々の生き方を尊重することの意味を考えさせられる。
それにしても、15歳で初めて知った女性が、生涯の女性であり続けることの残酷さといったらない。成人後もさまざまな女性がマイケルに近づいてくるのだが、彼の心はハンナとのひと夏の情事に残されたまま。目の前の女性と幸せな家庭を築けないマイケルも辛いが、なんにも悪くないのに受け入れてもらえない妻や恋人たちも辛い。
思い出とは美しく昇華されるものだから、そのままマイケルとハンナが再会しなければ、ただの美しい思い出で終わる。ところが、思わぬ場所(最悪の場所といってもいい)でハンナと再会したマイケルは、思い出のままで終わらせず、ハンナへ想いを伝え続けていく。その過程が感動的で泣けた。
また、ハンナがユダヤ人収容所でしたことは、人として許されることではないが、当時のドイツ人なら誰でも犯す可能性のある誤り。ハンナは同僚たちより真面目で、任務を遂行するのが自分の務めと信じ、実行しただけ。時代に翻弄された人生に胸が痛む。
監督は「めぐりあう時間たち」のスティーヴン・ダルドリー。この作品でも過去と現在を自由に行き来する構成を取っているが、わかりにくさは全くなく、自然なストーリー運びだ。ケイト・ウィンスレットもレイフ・ファインズも適役。ぜひ、多くの方々に観ていただきたい。
(2010・8・24 宇都宮)

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「アバター」
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 サム・ワーシントン
   ゾーイ・サルダナ
   シガニー・ウィーバー
2009年/アメリカ)

「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督が12年ぶりにメガホンを取った新作。3D映像が話題を呼び、先日ついに「タイタニック」の世界興行収入記録を塗り替えたらしい。3D料金の上乗せがあるとはいえ、10年以上更新されなかった記録を抜いたわけで、誰もが認める大ヒット作だ。
感想はカンタン。映像はとにかくすばらしい。誰も見たことがない衛星パンドラの大自然を一から創造し、驚異の
CG技術でたっぷりと見せてくれる。3Dは抑え気味で、背景に少し遠近感が出る程度。なくても充分オドロキの映像だ。主人公が潜入する衛星の原住民ナヴィ族の造形をはじめ、見たこともない植物、ほ乳類、昆虫…生物を勉強している人なら、あの架空の生き物たちを見ているだけで天国のような時間ではないだろうか。
一方、ストーリーは平凡。異文明の接触と共存がテーマなのだが、展開がいかにも…という印象。ナヴィ族が暮らす土地の下に眠るレアメタルを狙った人類が、当初はなんとかしてナヴィ族を手なづけようとするが、反発にあい、武力で制圧しようとする。クライマックスは当然その戦闘シーンとなる。
タイトルの「アバター」とは、ナヴィ族と人類のDNAを掛け合わせて造った人造のからだのこと。人類はその中に意識を送りこみ、仮のからだで行動できる。ナヴィ族の中に入り込むために作られた装置だが、こんなスゴイ技術があればもっと他の接触方法も考えられたのでは?という気もするのだが。ただ、事故で下半身不随になった主人公がアバターによって自由に動けるからだを得た喜びは、素直に伝わってくる。
ジェームズ・キャメロンは、この映画によって人類の侵略の歴史と侵略された側の視点を描きたかったそうだ。アメリカ人にとっては目新しい視点なのかもしれないが、その他大勢の侵略された側から見れば、現実にはあり得ないハッピーエンドの印象を持つのでは? 人類の歴史上には、侵略者によって完全に滅んでしまった文明や、最後の子孫まで失われてしまった民族がたくさん存在するのだから。
余談だが、3D映像を字幕で見ると、映像は手前に飛びだしているのに文字はスクリーン上に固定されたままで、読むのが辛くなるらしい。先にそれを聞いていたので、私は吹替版で鑑賞したが、たまに現れるスクリーン上の文字はまるで水面のように揺れて見えた。これからご覧になる方は、どちらがいいのか、事前に検討されることをオススメする。
201028 宇都宮)

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「アバター」
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 サム・ワーシントン
   ゾーイ・サルダナ
   シガニー・ウィーバー
2009年/アメリカ)

「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督が12年ぶりにメガホンを取った新作。3D映像が話題を呼び、先日ついに「タイタニック」の世界興行収入記録を塗り替えたらしい。3D料金の上乗せがあるとはいえ、10年以上更新されなかった記録を抜いたわけで、誰もが認める大ヒット作だ。
感想はカンタン。映像はとにかくすばらしい。誰も見たことがない衛星パンドラの大自然を一から創造し、驚異の
CG技術でたっぷりと見せてくれる。3Dは抑え気味で、背景に少し遠近感が出る程度。なくても充分オドロキの映像だ。主人公が潜入する衛星の原住民ナヴィ族の造形をはじめ、見たこともない植物、ほ乳類、昆虫…生物を勉強している人なら、あの架空の生き物たちを見ているだけで天国のような時間ではないだろうか。
一方、ストーリーは平凡。異文明の接触と共存がテーマなのだが、展開がいかにも…という印象。ナヴィ族が暮らす土地の下に眠るレアメタルを狙った人類が、当初はなんとかしてナヴィ族を手なづけようとするが、反発にあい、武力で制圧しようとする。クライマックスは当然その戦闘シーンとなる。
タイトルの「アバター」とは、ナヴィ族と人類のDNAを掛け合わせて造った人造のからだのこと。人類はその中に意識を送りこみ、仮のからだで行動できる。ナヴィ族の中に入り込むために作られた装置だが、こんなスゴイ技術があればもっと他の接触方法も考えられたのでは?という気もするのだが。ただ、事故で下半身不随になった主人公がアバターによって自由に動けるからだを得た喜びは、素直に伝わってくる。
ジェームズ・キャメロンは、この映画によって人類の侵略の歴史と侵略された側の視点を描きたかったそうだ。アメリカ人にとっては目新しい視点なのかもしれないが、その他大勢の侵略された側から見れば、現実にはあり得ないハッピーエンドの印象を持つのでは? 人類の歴史上には、侵略者によって完全に滅んでしまった文明や、最後の子孫まで失われてしまった民族がたくさん存在するのだから。
余談だが、3D映像を字幕で見ると、映像は手前に飛びだしているのに文字はスクリーン上に固定されたままで、読むのが辛くなるらしい。先にそれを聞いていたので、私は吹替版で鑑賞したが、たまに現れるスクリーン上の文字はまるで水面のように揺れて見えた。これからご覧になる方は、どちらがいいのか、事前に検討されることをオススメする。
201028 宇都宮)

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「硫黄島からの手紙」
監督 クリント・イーストウッド
出演 渡辺 謙
    二宮 和也
    伊原 剛志
(2006年/アメリカ)

クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作のひとつ。日本から見た硫黄島攻防戦を描いた。
太平洋戦争末期の1945年2月、硫黄島に栗林中将(渡辺謙)が赴任する。アメリカ留学経験もある栗林は米軍の底力を知っており、部下の将兵たちに従来の戦法を捨てて地下要塞を築き、ゲリラ戦を展開するよう指示。しかし、本土からの応援はなく、部下たちは次々と息絶えていき・・・
硫黄島の激戦でなにがあったかは知らないが、日本軍が玉砕したことは知っている。だから、ストーリーの大筋は見る前から見当がつく。
栗林中将の存在はこの映画で初めて知った。一軍の将として負けるとわかっている戦闘を繰り広げながらも、部下には「自決するな。生きろ」と言い続けた。将校も一兵卒も、みんな生きて家族のもとに帰りたい。しかし、「捕虜の屈辱を味わう前に自決せよ」と教えられてきた日本の兵士たちは、次々と自決していく。中には部下に自決を強要する軍曹もいる。
物語は妊娠中の妻のもとへなんとしてでも生きて帰りたい西郷(二宮和也)の目を通して描かれる。戦場では生と死は本当に紙一重。死にたくなくて降伏した兵士が、アメリカ兵の気まぐれであっさり殺されたりもする。生きて帰れるのは、運がよかったごく一握りの人間たち。しかし、「生きたい」という強い気持ちがなければ、運もついてこないのではないかと思わせられた。
本作と「父親たちの星条旗」を続けざまに観て感じたのだが、どちらも戦闘シーンは悲惨で、相手をやっつけるより、やられる場面が多い。戦争には勝者も敗者もないというメッセージだろうか。アメリカでどのような評価を受けたのかは知らないが、この作品がアメリカ映画として創られたことがとてもうれしい。
(2007・8・12 宇都宮)

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「愛の流刑地」
監督 鶴橋康夫
出演 豊川悦司
    寺島しのぶ
    長谷川京子
(2006年/日本)

渡辺淳一のベストセラー小説を、鶴橋康夫監督が映画化した。
ある男が情事の末に女の首を絞めて殺し、逮捕される。男は小説家の村尾(豊川悦司)。女は彼の不倫相手の人妻・冬香(寺島しのぶ)。村尾のファンだったという冬香は知人の紹介で彼と知り合い、逢瀬を重ねていた。村尾は冬香により枯れかけていた創作意欲を刺激され、冬香は夫とのあいだにはない濃密な愛を知る。しかし、やがて情事のたびに冬香が村尾に「殺してください」と懇願するようになり・・・
見終えた最初の感想は、「『失楽園』と同じじゃないか」。
ただし、心中シーンで終わった「失楽園」とは違い、なぜ愛する女を殺したのか、その理由が法廷で明らかにされていく。「失楽園」ではなぜ心中したのかさっぱりわからない観客が多かったろうが、本作では少しわかった気分になれる。本当に愛されるとはどういうことかを知り、愛のない夫との生活に絶望する人妻が、「愛しているなら殺してくれ」と繰り返す。愛するがゆえに願いをかなえてやりたいと思う男。しかし、願いがかなえられたとき、待っていたのは厳しい現実だ。
聞くところによると、渡辺淳一さんは若いころ、恋人に自殺された経験があるという。彼の作品には、その恋人が少しずつかたちを変えて繰り返し登場しているようだ。「阿寒に果つ」もそうだった。「失楽園」ももちろんそうだし、昔読んでタイトルすら忘れた短編にも同じような主人公が登場していた。
しかし、殺された人妻は願いがかなったからいいが、残された遺族はたまらない。本作でも夫役の仲村トオルや母親役の冨司純子が大事な役どころを担っているが、それ以上に幼い3人の子どもたちが不憫でたまらない。子どもにとって母親の代わりはいない。母としてより女としての人生を選んだといえばそれまでだが、そのあたりの視点が描かれていないのだ。むしろ、子どもとの関係を描くことを、あえて避けているように感じた。
濡れ場の多さが話題先行気味だが、演技陣はトヨエツも寺島しのぶもよかったし、みな熱演だった。検事役の長谷川京子ががんばってはいるものの、やや役不足。佐藤浩市の使い方がいかにももったいない。
(2007・2・11 宇都宮)

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「エリザベスタウン」
監督 キャメロン・クロウ
出演 オーランド・ブルーム
    キルスティン・ダンスト
    スーザン・サランドン
(2005年/アメリカ)

「ロード・オブ・ザ・リング」「パイレーツ・オブ・カリビアン」など、歴史ものの出演が多かったオーランド・ブルームが傷ついた現代アメリカ人青年を演じた作品。
シューズ・デザイナーのドリュー(オーランド・ブルーム)がデザインした新作は大失敗。これが原因で会社は倒産寸前となり、ドリューは解雇される。人生に絶望し、自殺しようとしていた彼のもとに、父の急死の知らせが飛び込む。急遽、父の故郷であるエリザベスタウンに向かったドリューは、ありのままの自分を受け入れてくれる場所があることを知り・・・
ひとことで言えば「癒し」の物語。仕事に大失敗して傷ついた青年が、子ども時代以来訪れたことがなかった父の田舎=エリザベスタウンに行く。エリザベスタウンには親戚やら従兄弟やらが大勢おり、久々に訪れたドリューを温かく迎える。さらに、その途上で出会ったフライト・アテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)と互いに惹かれあい、多くの時間をともに過ごす。
キャメロン・クロウは「あの頃、ペニーレインと」で注目し、“いい脚本を書く監督”というイメージだったが、今回はちょっと期待はずれ。主人公が大失敗する→父の故郷に行く→癒される、というストーリーはありきたりだし、癒されてからなにか動きがあるのか?とかすかな期待を抱いて見ていたのだが、あっさり癒されて終わってしまった。
ストーリーのキモは、ドリューとクレアの恋がはじまるあたり。ちょっとした会話からスタートし、次から次へとエピソードをつなげていく。エリザベスタウンには短期間の滞在だから2人には密な時間が必要なのだが、クレアが仕事の合い間を縫って頻繁にドリューに会いに来るのはストーリー的に苦しい。
気のある相手に適度な距離を保ちながら近づき、ウィットに富んだ会話や小物を次から次へと繰り出すクレアって、ひょっとしてアメリカ人の理想の女性像? 日本人の私から見れば、ものすごく芝居がかって見えるのだが。ドリューの心の傷を癒すためにカウンセラー的な役割まで果たしてしまうのだが、これって一歩間違えたら、とんでもないカンチガイ女になってしまわないか?
全編が小さなエピソードの積み重ねのような物語なので、脚本を書いたクロウ監督の苦労は想像できる。アイデアをこれでもかこれでもかと搾り出したのに、できあがった全体像が面白くない。そんな印象だ。
(2006・08・22 宇都宮)

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「ある子供」
監督 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演 ジェレミー・レニエ
    デボラ・フランソワ
    ジェレミー・スガール
(2005年/ベルギー・フランス)

2005年度カンヌ映画祭パルムドール受賞作。
20歳のブリュノ(ジェレミー・レニエ)は定職につかず、盗品を売りさばいてのその日暮らし。恋人ソニア(デボラ・フランソワ)との間に男の子が生まれるのだが、まるで盗んだカメラを売りさばくように赤ん坊を売ってしまう。その事実を知って卒倒するソニアの様子に、ブリュノは初めて事の重大さを悟り、赤ん坊を取り戻しに向かうのだが・・・
舞台はヨーロッパの地方都市。高校生のような若いカップルに、赤ちゃんが誕生する。母親の自覚にめざめる少女と比べて、父親である若者はあまりにも幼かった。赤ん坊が高く売れると知り、生活のためにあっさり手放してしまう。
驚いたのは、父親のブリュノにまったく悪気がないこと。ソニアから「あなたにそっくりでしょ?」といわれても、なんの感慨も持てない。赤ん坊が売られたことを知り、パニックを起こすソニアを「また子どもはできるから」と大真面目に説得しようとする。しかし、父親の自覚はなくても、ソニアへの愛は本物。彼女が悲しむ様子を見て、必死で赤ん坊を取り戻そうとする姿は愚かだが憎みきれない。ほかにも、こそ泥で生計を立てながらもワルになりきれないブリュノの人間像が丁寧に描かれている。
冒頭から思わず画面に見入ってしまうのは、若さが危ういストーリーだけではない。まるで現実の出来事のような映像に引き込まれた。見る者がブリュノとともにバスに乗り、取引場所の廃屋に向かっているかのようなリアルさ。冬の川辺の冷たい空気が見る者の肺に突き刺さるような臨場感。これはいったいどういう画面の作用なのだろう?
ダルデンヌ監督の母国であるベルギーの若者の失業率は20%に達しているという。ブリュノの生活基盤のなさ、競争に敗れた若者が放置されている現状は、そんな社会環境の上にある。経済力もないまま親になってしまう若者たち。これは対岸の火事ではない。
日本の若者も同じ感覚で同棲し、たまたま子どもができてしまい、持て余す人が少なくないのでは? 経済力のない夫婦に子どもは育てられないから、結局親を頼ったり施設に預けたり、ひどい場合は虐待を加えたり・・・若いカップルだけならなにをやっても食べていけるが、子どもは責任重大な現実。そこをわからないまま親になった者に共通の悲劇を見せてもらった。
(2006・08・12 宇都宮)

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「オリバー・ツイスト」
監督 ロマン・ポランスキー
出演 バーニー・クラーク
    ベン・キングズレー
    ハリー・イーデン
(2005年/イギリス・フランス・チェコ)

いわずと知れたチャールズ・ディケンズの名作を、ロマン・ポランスキー監督が映画化した。
これまでさんざん映画化・舞台化されている作品だが、恥ずかしながら原作を読んだことがない。最後までストーリーを追ったのは本作が初めて。よくある“世界名作物語”のようなストーリーだが、オリバーの純真さ・ひたむきさに心惹かれ、それなりに最後まで楽しめた。
この映画の成功は主役のオリバー役次第。11歳の男の子には荷が重い大役だが・・・オリバー役のバーニー・クラークはまあとにかく健気でかわいい。必殺技は“憂いを含んだ表情”だ。オリバーがいろんなところで大人に気に入られる理由のひとつが“顔のきれいさ”だから、いつの時代も男も女も美形はトクである。
脇は名優ベン・キングズレーがすごい演技を見せているし、舞台となる19世紀ロンドンのバックストリートも、『戦場のピアニスト』の戦災で破壊されたワルシャワ並みに再現されている。この街並みの色合いが、なんともいえずヨーロッパ的。
それにしても、なぜポランスキー監督は『戦場のピアニスト』の次に『オリバー・ツイスト』を選んだのか? 公式HPによると、『戦場のピアニスト』があまりにも個人的な作品だったので、まったく視点を変えて子どもたちも楽しめる作品を、と考えたらしい。頻繁に映像化されているような気がするが、忠実な映画化は1948年のデヴィッド・リーン監督以来ないそうだ。なるほど、だから私もこれまでに全編を通して見たことがなかったのかと納得した。
(2006・07・21 宇都宮)

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「ヴェロニカ・ゲリン」
監督 ジョエル・シュマッカー
出演 ケイト・ブランシェット
    ジェラルド・マクソーレイ
    シアラン・ハインズ
(2003年/アメリカ)

1996年、アイルランドの女性記者が麻薬問題を告発し、麻薬組織に銃殺され殉職した。彼女の名はヴェロニカ・ゲリン。その実話の映画化だ。
ヴェロニカ・ゲリンを演じるのは、ケイト・ブランシェット。もう彼女以外にはあり得ない配役で、製作のジェリー・ブラッカイマーもケイトありきの作品だったとインタビューに答えている。
辣腕記者として仕事に邁進する一方、幼い男の子の母でもあったヴェロニカ。「おまえの子どもをさらって犯す」と脅されたとき、そして一人で家にいるところを突然の侵入者に撃たれたとき、仕事を辞めようとは思わなかったのだろうか。仕事はもちろん彼女の生きがい。しかし、それにも増して治安が悪化する一方の故郷ダブリンや、麻薬に溺れ壊れていく若者たちがいる反面、大儲けしている裏社会のボスがいることを考えたとき、ひとりの人間として行動せずにはいられなかったのだろう。その勇気。意志の強さ。そして仕事人としての才能・優秀さ・タフネスぶりには感服してしまう。子どもを持つ女性が人並み以上に働くためには周囲の協力が欠かせないが、ヴェロニカを支える夫や母親など彼女を取り巻く人々の愛情が感動的だった。
役者陣では、主役のケイト・ブランシェットはもちろん、悪役を演じたアイルランド人俳優ジェラルド・マクソーレイ、シアラン・ハインズがいずれも印象に残った。ジョエル・シュマッカー監督と「フォーン・ブース」で組んだコリン・ファレルがチョイ役で出演しており、アレキサンダー役との落差に笑えた。
(2006・03・10 宇都宮)

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「アレキサンダー」
監督 オリヴァー・ストーン
出演 コリン・ファレル
    アンジェリーナ・ジョリー
    ヴァル・キルマー
(2004年/アメリカ)

オリヴァー・ストーン監督が製作費200億円をかけ、アレキサンダー大王の生涯を描いた大作。
誰もが知っているアレキサンダー大王の伝記映画なのだが、オリヴァー・ストーンだけあってフツーには作らない。父フィリッポス2世の暗殺により20歳で王位についたアレキサンダーが、そのわずか5年後にガウガメラの戦いでペルシャ帝国を滅ぼすまでの経緯をあっさりとナレーションですませ、その後の東征の様子が詳しく語られる。フツーに描けば、ペルシャ帝国滅亡までがアレキサンダーの生涯で最も輝かしい時期。その後の東征は部下たちの離反を招き、彼の突然の死に至るまで孤独と葛藤が続くため、ストーリー的には盛り上らない。しかし、人間としての彼の苦悩を描くために、敢えて晩年(といっても30前後の若さだが)にスポットを当てたのは面白い。
10年以上に渡る遠征に部下の将兵は疲れ果てているというのに、なぜ彼はどこまでも軍を進めようとしたのか? 個人的な征服欲や名誉欲のために各地で征服と虐殺を繰り返したと、歴史上の評価は低い。しかし、本作では飽くなき好奇心・探究心のようなものが主役のコリン・ファレルから感じ取れた。さらに、強烈な個性の持ち主である母オリンピアスから逃れようとする逃避願望も。
また、ストーリーの随所にアレキサンダーの同性愛志向が顔を出す。小学生の頃に彼の伝記を読んだ私は、「えっ、そうだったの?」と旧知の人間に意外な一面を見せられた気分だった。
そんなこんなで200億円かけた割にはアメリカでの評判が悪く、日本でもあまりヒットはしなかったが・・・・・・個人的には結構ハマッた。まず、コリン・ファレルとアンジェリーナ・ジョリーが熱演だ。この2人が親子役というのはかなりムリがあるのだが、A・ジョリーは“妖女”ぶりをいかんなく発揮していたし、C・ファレルが役の年齢とともに演技をどんどん変え、ストーリーが進むにつれ当初の違和感が薄れていく。アレキサンダー役にC・ファレルと最初に聞いたとき、「イメージじゃない。金髪のコリンなんて見たくない」と思ったが、ラストにはアレキサンダーそのものに見えていた。
そしてセリフ。歴史ものだから最初はとっつきにくいが、その詩的な表現に惹かれる。
各種レビューでも評判が悪い構成は、確かに1シーンが長過ぎる。父王暗殺の真相をラスト近くに持ってきたことは、アレキサンダーの謎を解く上で私は面白いと思ったが。
ちなみに、次はバズ・ラーマン監督+レオナルド・ディカプリオ主演のアレキサンダーが封切りされるらしい。比べるなと言われても絶対比べられるこの対決。ディカプリオのアレキサンダーが今から楽しみだ。
(2006・03・09 宇都宮)

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「永遠のマリア・カラス」
監督 フランコ・ゼフィレッリ
出演 ファニー・アルダン
    ジェレミー・アイアンズ
    ジョーン・ブロウライト
(2002年/イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン)

伝説の歌姫マリア・カラスと親しかったというフランコ・ゼフィレッリ監督が、カラスへの想いを映画にした。ストーリーは、事実に監督の想像を加えているという。
1977年、マリア・カラス(ファニー・アルダン)は自慢の声を失い、愛人であるオナシスとも死別し、パリで隠遁生活を送っていた。プロデューサーのラリー(ジェレミー・アイアンズ)はそんなカラスを復活させようと、オペラ「カルメン」映画化の主演を持ちかけるが・・・
「蝶々夫人」「椿姫」「トスカ」など名だたるオペラの名曲が、全編カラスの歌声で楽しめるので、オペラ好きにはそれだけで値打ちがありそう。また、劇中劇のかたちで演じられる「カルメン」のシーンで、ゼフィレッリ監督の手腕がここぞとばかりに発揮されている。現代劇では古臭く感じられる映像が、歴史劇になるとなぜあんなに生き生きと描かれるのだろうか。
カラス役のファニー・アルダンは、とにかく華がある。孤独でわがままな女王さま役だが、彼女が演じると「この人がそうしたいなら、しかたないか」と納得させられてしまう。ジェレミー・アイアンズは派手でリッチで多忙なプロデューサー役を好演。作品のたびに違う人物になりきる役者っぷりに、ため息が出た。
(2006・02・19 宇都宮)

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「イン・ハー・シューズ」
監督 カーティス・ハンソン
出演 キャメロン・ディアス
    トニ・コレット
    シャーリー・マクレーン
(2005年/アメリカ)

姉のローズ(トニ・コレット)は堅物の弁護士で、恋がうまくいかない。妹のマギー(キャメロン・ディアス)は美貌と抜群のプロポーションの持ち主だが、無職で無収入。
2人は幼い頃に母を亡くし、父は再婚。仲のよい姉妹なのだが、マギーがローズの家に居候をはじめた頃から不協和音が聞こえはじめ・・・
美貌の妹は難読症のため、まともな職に就けない。姉のもとにころがりこみ、姉の靴だけでなく彼氏まで寝取ってしまうのだから、姉が怒るのも当たり前。一方、弁護士として認められていた姉も仕事仕事の毎日に空しさを感じてしまい、ついに法律事務所を辞めてしまう。
つまるところ、自分探し・生きがい探しに悩む女性の姿を、上手に描いた作品だ。妹の突飛な行動にやや驚くが、難読症という病気が明らかになると頭脳明晰な姉と比べられ続けた妹を哀れに思わされる。
2時間11分を退屈させず、メリハリある構成に仕上げたのは、やはり監督と脚本の腕だろうか。ちなみに監督は「L.A.コンフィデンシャル」「8Mile」、脚本は「エリン・ブロコビッチ」を書いた人らしい。
ストーリーの転機となるのは、シャーリー・マクレーン扮する祖母のもとをマギーが訪れたときから。しかし、シャーリー・マクレーンのような経済力のあるサバけた祖母が、果たして現実にどれほど存在するのだろうか。このあたりは「やっぱり映画だねぇ」と、つぶやいてしまう。
(2006・01・09 宇都宮)

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「宇宙戦争」
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 トム・クルーズ
    ダコタ・ファニング
    ティム・ロビンス
(2004年/アメリカ)

「ジョーズ」で人を怖がらせることにかけては天才的な手腕を見せたスピルバーグ監督が、巨大ザメを宇宙からの突然の侵略者に替えて、久々に怖がらせてくれた。
港湾労働者のレイ(トム・クルーズ)が別れた妻から2人の子どもを預かった日、アメリカ東部は異常な天候に見舞われる。突然青空に暗い雲が巻き起こり、同じ場所に何度も雷が落ちる。やがて落雷場所の地中から、それまで見たこともないタコ足型の戦闘機械が現れ、人類に無差別攻撃を加える。これはアメリカだけでなく、世界16カ国で同時に開始されたエイリアンの侵略行為だった。
これまでのインベーダーものと決定的に違うのは、主人公が学者でも空軍パイロットでもFBIでもない、一介の労働者だということ。すべての電力が落ち、テレビもラジオもない世界で、一介の庶民はなんの情報ももたないまま、エイリアンの攻撃から逃げ惑うだけだ。反撃体制が整うまでは政府も軍隊もアテにならないから、主人公は自分のカンと才覚だけで子どもたちを守ろうとする。
当然ながら、観客も主人公とともに必死で逃げ回りながら、「あれは一体なに?」とその正体をいぶかり続けなければならない。答えは時折、断片的にもたらされる。偶然出会ったテレビクルーから、生き残りの住民から、戦闘中の州兵から。エイリアンの詳しい背景を知りたい向きにはフラストレーションがたまる展開だが、相手の正体がわからない方が恐怖感は間違いなくアップする。これもスピルバーグがデビュー作「激突!」で用いた手法と同じ。観客の恐怖は娘役のダコタ・ファニングが代弁するが、この演技がメチャクチャうまい。
SFアドベンチャーを期待して見に行ったら肩透かしを食う。これはSFというよりホラーだ。小学生以下のお子さんは悪い夢を見るかもしれないから、避けた方が無難かも。
(2005・08・22 宇都宮)

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「アイ,ロボット」
監督 アレックス・プロヤス
出演 ウィル・スミス
    ブリジット・モイナハン
    ブルース・グリーンウッド
(2003年/アメリカ)

アイザック・アシモフの名作「われはロボット」をベースに、近未来のロボットと人間との共存をテーマに描いたSF作品。
「われはロボット」はロボット3原則※を、初めて世に送り出したエポックメイキングな短編小説。ロボット3原則は小説の中の定義だったのに、今や現実のロボット工学でも基本方針となっているそうだ。本作は守られるべきロボット3原則が守られなくなったときの、人間社会の危うさを描く。
2035年、日常生活の中でロボットは欠かせない存在になっていた。そんな折、全米一のロボットメーカー・U.S.ロボティックス社で、ロボット開発の第一人者が殺される。殺人容疑で拘留されたのはNS-5型ロボットのサニー。しかし、ロボットに人は殺せないはず。疑問を持った刑事のスプーナー(ウィル・スミス)は、やがて人類存亡がかかった事実に突き当たる。
最近、SF映画が少なくなったと感じていたが、久々に本格的で面白い作品に出会えた。
アシモフはSF界きってのストーリーテラーで、私も子どもの頃から大好きな作家。しかし、「われはロボット」は短編だからどう肉付けしているんだろう、と思ったら・・・よくできた脚本で、最後のドンデン返しまで息もつかせず見せてくれた。最初の脚本が書き下ろされたのが10年前というから、長きに渡って練りに練られた結果だろう。
NS-5型ロボットの動きをここまでなめらかに、躍動的に見せることができたのはCG技術の進歩のおかげ。しかし、CGのロボットになにか淋しさを感じてしまうのは私だけだろうか? 人型ロボットは現実世界でももう動き始めている。いつか本物のロボットがキャスティングされた映画が見られるようになるのだろう。
主役のウィル・スミスがロボット嫌いの殺人課刑事を熱演。コメディタッチの作品が多かっただけに、シリアスな演技が印象的だった。
※ロボット3原則・・・「1、ロボットは人に危害を加えてはならない。2、ロボットは人の命令に服従しなければならない。ただし、1に反する命令はこの限りではない。3、1または2に反するおそれのない限り、ロボットは自己を守らなければならない」
(2005・05・23 宇都宮)

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「オーシャン・オブ・ファイヤー」
監督 ジョー・ジョンストン
出演 ヴィゴ・モーテンセン
    オマー・シャリフ
    ズレイカ・ロビンソン
(2004年/アメリカ)

19世紀、約4800キロのアラビア砂漠を馬で横断するレースが存在した。砂漠の民にしか完走できないと言われたこの死のレースに、ひとりのアメリカン・カウボーイが愛馬とともに参戦。現地部族の王族や高貴なアラブ馬ばかりが参加するレースは、相手を出し抜くための謀略や駆け引きだらけ。そんな命がけの罠をかいくぐった先に見えたものは……
信じがたいのだが、実話がもとになっているらしい。
主人公はアメリカ原住民を母に持ち、西部の原野を駆けめぐる早馬速達便を生業としていた。騎兵隊に自ら届けた速達が、亡き母の部族を皆殺しにしたことを知り、失意の底に沈んでいたときに舞い込んできたレース参加の話。アラビアの砂漠を知らない者は優勝どころか生きて帰ることすら難しいと思うのだが、実話と言われてしまうとどうしようもない。
主役を演じるのは、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのアラゴルン役で知られるヴィゴ・モーテンセン。どうも王様役の印象が強過ぎて、金髪の彼に違和感もあるのだが、アクション・シーンはさすが。
「アラビアのロレンス」でやはりアラブの王族を演じていたオマー・シャリフは、若い頃の脂ぎった印象が消え、上品で高潔な王族役がぴったり。その娘役のズレイカ・ロビンソンも愛らしい。
全体に駄作でもないが、特にオススメするほど面白いわけでもない。なんとも捉えどころのない作品だ。
(2004・12・27 宇都宮)

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「陰陽師U」
監督 滝田洋二郎
出演 野村 萬斎
    伊藤 英明
    中井 貴一
(2003年/日本)

3年前大ヒットした「陰陽師」の続編。
都に再び鬼が現れ、次から次へと人が喰われる事件が発生した。同じ頃、右大臣藤原安麻呂(伊武雅刀)の娘・日美子姫(深田恭子)が夜な夜な無意識のうちに歩き回ることが鬼と関係あるのではないかと、源博雅(伊藤英明)を通して安倍晴明(野村萬斎)に相談がある。晴明は日美子に隠された秘密を感じとるが・・・
3年前のパート1はそれなりに新鮮だった。陰陽師のワザがどういうものか想像がつかなかったし、野村萬斎の演技や所作も面白く見せてもらった。
その点、パート2はどうも二番煎じの感が拭えない。大和朝廷に恨みを抱く悪役も同じような設定だし、演じる中井貴一も上手いのだが、1作目の真田広之と役柄がカブって見える。
出雲王朝の王族が大和朝廷に滅ぼされた恨みを晴らすというのがストーリーの骨子だが、これって時代的にムリはないのか? 天照大神を天の岩戸から引きずり出したときのメンバーの子孫を鬼が順に狙うという設定は面白いが、天照大神の子孫と言われて最初に思い浮かべるのはなんといっても皇室だ。てっきり帝を鬼が狙うのかと思ったら、狙われたのは出雲の王族。ということは・・・万世一系を否定した設定? 継体王朝交代説を支持していると思ってOK?
そんな疑問に苛まれつつ観終えたのだが、結局いちばん印象に残ったのは野村萬斎の魅力だった。この次は彼主演の舞台でも見に行こう。
(2004・7・11 宇都宮)

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「8mile」
監督 カーティス・ハンソン
出演 エミネム
     キム・ベイジンガー
    ブリタニー・マーフィー
(2002年/アメリカ)

アメリカ・ラップ界のカリスマ・エミネムが初主演した自伝的映画。ラップという音楽分野について私は特別興味もない代わりに拒否反応も示さなかったが、この作品はちょっとしたカルチャーショックだった。
1995年のデトロイト。スラム街の生活から抜け出すために、B・ラビット(エミネム)は毎週ラップバトルに出場していた。ラップミュージシャンとして成功し、リッチな生活をするのが彼の夢。自分では働かず、男に頼る生活を繰り返す母親(キム・ベイジンガー)。「コネがあるんだ。売り出してやる」と親切顔で近づく男。夢ばかり追って、現実の生活力のない仲間たち・・・出口のない貧しい日々にヤケになりながらも、B・ラビットは寸暇を惜しんでメモに詩を書きつづける――
デトロイトという街は「アメリカ人が最も住みたくない街」だと、アメリカ在住の友人から聞いたことがある。この作品を観ると確かにナットク。とてもじゃないが、日本人旅行者が歩けたもんじゃない。
つくづく感じるのは、アメリカという国は自由なようでいて、実はシビアな階級社会だということ。スラムで育った子どもたちはもちろん大学教育なんて受けさせてもらえないし、成り上がるとしたら芸能やスポーツなど個人の才能に頼る分野しかない。ラップで巨万の富を得ようと盛り上がる青年たちの姿は、オトナから見れば「なに夢みたいなこと言ってんだ」の一言だが、現にエミネムのような成功者が数十万、数百万分の1の確率で存在する。スラムから脱出するためなら、私だって夢を追いかけるだろう(ちなみにラップの才能はないが)。
それにしてもラップというのは、まるで日本の連歌のようだ。ラップバトルは2人の対戦者が45秒ずつの持ち時間でお互いを言い負かすラップを即興で展開する。より美しい韻を踏み、リズムに乗って自分の意見を主張し、観客の支持を得た方が勝ち。トーナメントを勝ち抜いて優勝すれば街のヒーローだ。残念ながら英会話の素養がないのでエミネムのリリックがどれほど優れているのか、私にはわからない。ただ、即興で韻を踏むには日頃のボキャブラリーの積み重ねが欠かせないはず。血の滲むような経験を積んできたからこそ、人の心を打つ詩も書ける。隠れた努力を惜しまない姿も共感できたし、「成り上がるには、まず地道に働くこと」というメッセージもよかった。
ところでエミネムの演技力には?マークだったが、母親役のキム・ベイジンガーがいい味を出している。母親としての愛情を持ちながら、愚かで情けない女を演じてサマになっていた。
(2004・2・24 宇都宮)

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「エニグマ」
監督 マイケル・アプテッド
出演 ダグレイ・スコット
     ケイト・ウィンスレット
    サフロン・バロウズ
(2001年/イギリス)

1943年ナチスドイツとの悲惨な戦争が続く中、イギリス諜報部は数学者、言語学者などを集めた" 暗号解読チーム"を結成。ドイツが誇る暗号システム「エニグマ」を解読させることに成功した。ところがUボート総攻撃直前に、ドイツ軍が突然エニグマの暗号コードを変更したため、再び解読チームが召集された。メンバーのひとり・天才数学者ジェリコ(ダグレイ・スコット)は解読を進める一方、恋人のクレア(サフロン・バロウズ)が姿を消したことに疑念を抱き、諜報部を出し抜いて独自に真相を探るのだが・・・
消えた恋人を追ううちに、思わぬ真相に行き当たるストーリーはいかにもスパイものらしく、面白い。研究一筋の学者に海千山千の美女が近づく下りは、どう見ても男がだまされているのだが、本人がそうと気づかないのは現実にもありがち。美人局は本当に古くて新しい、成功率の高いスパイ方法だと改めて認識した。
美女の正体が怪しいのは最初から見る側にもわかっているが、ラストのドンデン返しは意外性たっぷり。それを見抜く主人公のアタマのよさに少々ついていけなかったりもするが。
ちなみに、製作はあのミック・ジャガー。最初にキャスティングを見たときはてっきりケイト・ウィンスレットが美女役かと思ったが、「タイタニック」の頃からは想像もつかないくらい太ってしまった彼女には美女役はもうムリなようだ(ローズを演じていたときも二の腕の太さから将来の太りっぷりが予想できたが)。しかし、彼女が演じたクレアのルームメイト役は、地味だが頭脳明晰で好感の持てる役柄だった。
(2004・1・29 宇都宮)

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「アニマトリックス」
監督 アンディ・ジョーンズ、前田真宏、渡辺信一郎、川尻善昭、小池 健、森本晃司、ピーター・チョン
(2002年/アメリカ)

「マトリックス」3部作をつなぐ9つのオムニバスストーリーを、日本人5人を含めた7人が監督。クオリティの高いアニメ作品集に仕上がっている。
そもそも「マトリックス」の世界には謎が多い。いつから人間は機械の奴隷になり、マトリックス世界に囚われているのか。現実世界の人間たちはどうやって機械と戦っているのか。ニューヨーク以外の地域でも同じことが起きているのか・・・等々。本編のマトリックスでも多少説明はあるが、アクションシーンの映像の斬新さに力を注ぎすぎてストーリーが二の次になっている感は否めない。そこで、「リローデッド」公開前に登場したのが「アニマトリックス」だ。
一部の脚本に「マトリックス」シリーズ監督のウォシャウスキー兄弟も参加しているが、日本人アニメ監督が脚本を担当しているものもある。なにより監督7人中5人が日本人という寡占状態に驚いた。「マトリックス」シリーズにも日本文化が色濃く顔を出すが、ウォシャウスキー兄弟はかなりの日本アニメフリークのようだ。
それにしても日本人監督ひとりひとりの作品を鑑賞すると、日本アニメのレベルの高さに驚かされる。実写の映画はお寒いが、アニメの充実度は世界一。生身の人間の迫力とスケールの大きさでは勝てないが、セル画に描かれた仮想空間は世界を魅了する。まるで今の日本文化そのものだ。
(2003・10・31 宇都宮)

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「X-MEN2」
監督 ブライアン・シンガー
出演 ヒュー・ジャックマン
    パトリック・スチュアート
    ハル・ベリー
(2002年・アメリカ)

人気アメリカンコミックの映画化第2弾。
人間社会に突然変異として生まれ、特殊な能力を持つミュータントたちは、人間たちの目を逃れてリーダーであるプロフェッサーX(パトリック・スチュアート)のもとに集まり、コミュニティを形成していた。人間に迫害されながらも共存を願う彼らは、人間を殲滅しようとするマグニートー(イアン・マッケラン)と闘い続けているが、さらに新たな敵が登場する。
原作がコミックだけあって荒唐無稽なエスパーがわんさか登場するが、VFX技術と役者のよさでマンガチックな面をあまり感じずにすむ。同じ設定で日本映画を見たら、ちょっと耐えがたいものができそうだが、ハリウッド映画の現実感のなさがSFの場合いい方に作用するようだ。
主役のヒュー・ジャックマンはすっかりスターの仲間入りを果たしたが、彼の容姿は確かにウルヴァリアンに適役。アカデミー賞女優ハル・ベリーにしても「こんなのに出演していていいのか?」と少し心配になるが、彼女が映れば画面が華やかになり、作品としては必要な存在。なによりブライアン・シンガーが監督を務めたためか、ムダのない筋運びや展開のうまさが光る。
新たな種の台頭を恐れる人間との葛藤がもっと描かれれば、もっと見ごたえが増すだろう。
(2003・10・22 宇都宮)

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「運命の女」
監督 エイドリアン・ライン
出演 リチャード・ギア
    ダイアン・レイン
    オリヴィエ・マルティネス
(2003年/アメリカ)

会社経営者の夫と結婚11年目。8歳の息子がひとり。ニューヨーク郊外の高級住宅街に住み、家事やボランティア、エステと優雅な毎日を送る主婦コニー(ダイアン・レイン)。満ち足りているはずなのに、彼女は偶然出会ったフランス人の若い男ポール(オリヴィエ・マルティネス)と深い関係になる。家族への後ろめたさから何度も別れようとするコニーだが、ズルズルと関係を続けるうちに、やがて夫リチャード(リチャード・ギア)の知るところとなり・・・
家族思いで稼ぎもよい夫を持ち、なに不自由ない幸せな家庭を築いていたはずの妻が、半ば確信犯的に不倫への道を歩んでいく。不倫相手からは関係を強制されたわけでもなく、特別口説かれたわけでもない。用もないのに相手の家に足を運んだだけ。1度関係ができれば今度は別れられない。
ありきたりのパターンだが、女性の立場から見ると、ついフラフラと危険な方向に行ってしまった主婦の気持ちはわからないでもない。リッチな暮らしというのは、慣れてしまえばきっとたいしたことないのだ。平和な家庭も退屈と表裏一体。街で見かけたセクシーな異性に心惹かれるのは、きっと誰にでもあることだと思う。
「フランス人の若い男」という設定と、図書室のような生活感ゼロの彼の住まい(不倫の現場でもある)はウマイ! 生活感のある相手では、不倫する意味がない。相手が変わっただけで、また同じ生活が始まるだけではないか。
一方、誠実な夫を演じたリチャード・ギア。「らしくない」役どころだが、これほど理想的な夫はなかなかいるもんじゃない。世の中の独身女性はみな理想的な夫になる男を日々捜し続けて、ため息をついているというのに、手に入れた妻のなんと贅沢なこと・・・! しかし、人間とはそういうものだという(理想とはまた別の)事実も厳然としてある。
エイドリアン・ライン監督は「危険な情事」で世の浮気夫たちを震え上がらせたが、この作品ではどうなのか? 「不倫は必ず不幸に終わる」と登場人物にも語らせているが、世の不倫妻たちはだからといって浮気をやめるだろうか? 「私ならもっとうまくやるのに」とうそぶく妻もいるかもしれない。結婚制度がある限り、不倫は永遠のテーマだと改めて思う。
(2003・8・7 宇都宮)

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「イナフ」
監督 マイケル・アプテッド
出演 ジェニファー・ロペス
    ビリー・キャンベル
    ジュリエット・ルイス
(2002年/アメリカ)

ウェイトレスのスリム(ジェニファー・ロペス)は、裕福な実業家ミッチ(ビリー・キャンベル)に見初められて結婚。娘にも恵まれ、なに不自由ない幸せな毎日のはずだった。が、夫の浮気に気づいて責めたことから、理想的な夫は暴力夫に豹変。暴力に耐えかねたすリムはついに娘を連れて家を出るが、夫は彼女の行方を異常なまでの執念を見せて追いかける。娘とともに名前を変え、全米を転々とするスリムだが、やがて逃げ回るよりも正面から対決することを考えはじめ・・・
今、アメリカでも日本でもその対策が叫ばれるドメスティック・バイオレンス(DV)がテーマ。圧倒的な体力・財力を持つ夫から逃れ、必死で娘と2人で生きようとする妻の姿に、女性の立場としてはいつのまにか肩入れしてしまう。夫が偏執狂的な人格であることが徐々に暴露されていくにつれ、「逃げろ! 早く!」と心の中で叫びながら見ていたが、一生逃げ回るわけにいかないのも事実。ラストは出来すぎの感があるが、女性から見ると溜飲の下がる幕切れだった。
DVを語るとき、夫のDVを許してしまう妻の共依存がよく話題に出る。共依存する人間がいるからDVは収まらないし、悲劇は後を絶たないのだと。この映画の主人公スリムの場合、共依存は見られないが、夫を逮捕する勇気を最初に持てなかったことが事態を悪化させた。そのあたりの教訓的エピソードも抜け目なく挿入してある。
それにしてもジェニファー・ロペスは身体を張っての熱演だった。「165cm、62kg」と作品中で自らの体格を語っていたが、スクリーン上ではもっと骨太に見える。あれぐらいのガタイがないと男と対等に闘えないのか。マスコミが賞賛するほどナイスバディとも思わないが、強い女路線で行くのなら思わず応援してしまう。
(2003・6・27 宇都宮)

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「運動靴と赤い金魚」
監督 マジッド・マジディ
出演 ミル=ファロク・ハシェミアン
    バハレ・セッデキ
    アミル・ナージ
(1997年/イラン)

9歳の少年アリは、お使いの帰りに妹ザーラの運動靴をなくしてしまう。運動靴がなくては学校に行けないと泣くザーラに、アリは自分の運動靴を交代で使おうと提案。授業が終わったらザーラが走って下校し、途中で待ち受けるアリに運動靴を渡す毎日を繰り返す。そんなある日、アリはマラソン大会の3位の商品が運動靴だと知り、なにがなんでも3位に入賞しようと考えるが・・・
かねてから評判のいい作品だとは思っていたが、観てナットク! 幼い兄妹を演じる子役たちがとにかく可愛くて魅力的だ。貧しいながらも懸命に家族を守ろうとする両親と、幼くても立派な家事の担い手である子どもたちは、数十年前の日本の家族の姿。土壁が続く路地裏の住まいや共同水栓で洗濯物をする様子も生活感たっぷりで、行ったこともないイランにノスタルジーを感じるほどだ。ザーラがなくした靴を求めて、全校生徒の足元を観察するシーンを見るうちに、ン十年前私が小学生の頃、ひまわり柄の運動靴を買ってもらい、同級生に羨ましがられたことを思い出した。運動靴や筆箱や下敷きがあの頃はとても大切な持ち物で、いいモノを持っていれば自慢できたし、持っていなければ子どもなりに惨めだった。そんな子どもの気持ちを同じ目線に立って描いた点で、マジッド・マジディ監督に好感を持ってしまう。
また、M・マジディ監督は素人の子どもたちを発掘し、主役級で使うという。そういえば、「あの子をさがして」のチャン・イーモウ監督もそうだ。子どもたちはもちろんのこと、自分の国の文化や暮らしを暖かな目線で描くことで、第三世界の2人の巨匠に共通点があった。
(2003・6・19 宇都宮)

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「男と女」
監督 クロード・ルルーシュ
出演 アヌーク・エーメ
    ジャン・ルイ・トランティニャン
(1966年/フランス)

最近、某自動車メーカーのテレビCMで「男と女」のメインテーマがよく流れる。知らぬ者のないあのフランシス・レイの名曲に惹かれて、初めて映画を見た。
妻を自殺で失ったカーレーサーのジャン・ルイと、スタントマンの夫を撮影中の事故で失ったアンヌ。1組の男と女が、子どもの寄宿舎の面会日に偶然出会う。2人は面会日のたびに交流を深め、やがて恋に落ちるが・・・
冬の荒れた海をバックに、浜辺を散歩する男と女、その子どもたち。映画ファンなら1度は目にしたことのある映像が、そこかしこに散りばめられたフランス映画らしいフランス映画だ。
内容はごくスタンダードな大人の恋物語。出会いの後、徐々に気持ちが深まり、男のカーレース優勝で愛の告白がされる。ところが女は死んだ夫の影がぬぐいきれない・・・見事なまでのパターン化だ。男の職業がカーレーサー、女の職業が映画関係者というのも出来すぎ。60年代にこれを見た日本人はますますフランスに憧れと幻想を抱いたのだろうが。
しかし、ひとつひとつの映像の印象度といい、モノクロとカラーをシーンごとに使い分けた手法といい、時代を象徴する映画であることは間違いない。60年代のフランスは意外に保守的だったのだな、という新しい発見もあった。
それにしてもアヌーク・エーメの美しいこと! ジャン・ルイ・トランティニャンもこんなにハンサムだったとは。中年以降の彼しか知らない身としては、驚きの連続だった。
(2003・6・16 宇都宮)

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「インソムニア」
監督 クリストファー・ノーラン
出演 アル・パチーノ
    ロビン・ウィリアムズ
    ヒラリー・スワンク
(2002年/アメリカ)

ロス市警のやり手刑事ウィル(アル・パチーノ)は、アラスカで起きた女子高生殺人事件を捜査することになった。が、捜査の過程で相棒の刑事が射殺され、ウィル自身にも疑いがかかる。一方、ウィルは独自の調査で地元の作家ウォルター(ロビン・ウィリアムズ)を犯人と確信するが、逆にウォルターは相棒殺しをネタに脅しをかけてきた。
アル・パチーノ、ロビン・ウィリアムズ、ヒラリー・スワンクと、アカデミー賞俳優が3人揃ってのサスペンス。ロビン・ウィリアムズが初めての悪役とあって期待したが、静かなインテリのワルで、あまり恐怖を感じなかった。ヒラリー・スワンクは地元警察の優秀な女性刑事役。尊敬するウィルに疑念を抱きはじめる役どころだ。芸達者ばかりの中にあって、やっぱりA・パチーノの演技がスゴイ。白夜と事件捜査でインソムニア(不眠症)に陥った初老の刑事を熱演し、彼の目を見ていると本当に何日も眠っていないのではないかと思わせる。観ているこちらまで目がショボつくほどだ。
監督のクリストファー・ノーランは「メメント」で注目された俊英。「メメント」の演出がイケていたので期待したが、この作品はさほど目新しいところはない。ただ、日が沈まないアラスカの夜、夏でも凍てつくような風景の連続は見ごたえがあった。
(2003・5・19 宇都宮)

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「愛と精霊の家」
監督 ビレ・アウグスト
出演 ジェレミー・アイアンズ
    メリル・ストリープ
    ウィノナ・ライダー
(1993年/デンマーク・ドイツ・ポルトガル)

最近になって、ようやく自分のメロドラマ好きに気がついた。
成り上がり一代記や女の一生ものに特に弱い。作品に没頭すると、自分も登場人物とともに一生分生きた気がするからフシギだ。10年前のこの作品も、タイトルといいオールスターキャストといい、メロドラマの匂いをプンプン放っている。観てみると、予想に違わぬ一大メロドラマだった。
金鉱で得た資金をもとに農場経営を成功させたエステバン(ジェレミー・アイアンズ)は、予知能力を持つ娘・クララ(メリル・ストリープ)と結婚。ひとり娘ブランカ(ウィノナ・ライダー)を得て、幸せな家庭を築いたはずだった。が、やがてブランカは小作人の息子ペドロ(アントニオ・バンデラス)と身分違いの恋に落ち、彼の子どもを宿してしまい・・・
映画の中ではハッキリしないが、舞台は南米のチリ。金鉱でひと山当てて結婚資金を稼いだり、地主と小作人の身分差や搾取の構造があからさまだったり、軍事クーデターで人権無視の拷問を受けたりと古色蒼然とした内容だが、ほんの30年前の出来事らしい。しかし、この時代錯誤にも見える設定が、メロドラマを盛り上げるのに欠かせない。
主人公のエステバンは裸一貫から国いちばんの大地主に成り上がり、上院議員にもなるが、軍事クーデターで地位も財産も失ってしまう。意志強固な成り上がり男にふさわしく、家庭でも頑固で横暴な存在だ。妻や娘を愛する気持ちは誰よりも強いのに家族に疎まれ、娼婦に癒しを求める孤独な男。J・アイアンズは悪役が似合うだけあって、そのあたりの演技は抜け目がない。
M・ストリープ演じるクララの予知能力はストーリーにたいした影響を与えない。ストーリーを動かすのは、エステバンやブランカのような行動力のある人間。人生を切り開く原動力は予知能力より行動力だ。映画の中だけでなく現実もそうであるように。
エステバンの姉役のグレン・クローズもいい味を出している。ビンセント・ギャロも「らしい」役どころで出演しているので要チェックだ。
波乱万丈の一生を一気に見せるので、この手の作品はどうしても深い描写ができない。たとえば子育ては現実には大変な仕事なのに、映画の中ではあっという間に大人になる。かいつまんで説明されている感が拭えないのに、この手の作品がなくならないわけは、私のようなメロドラマ好きが世の中にはたくさんいるということなんだろう。
(2003・5・7 宇都宮)

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「アバウト・ア・ボーイ」
監督 ポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ
出演 ヒュー・グラント
    トニ・コレット
    レイチェル・ワイズ
(2002年/アメリカ)

父親が遺した音楽の版権で、働く必要もなく悠々自適の独身生活を送るウィル。女性とも遊びでしかつきあえないから2ヶ月と続かず、別れ際に必ず「中身のないサイテー男」と罵られるのがパターンだ。そんな彼がひょんなことから知り合ったのが12歳の少年マーカス。シングルマザーの母に元気になってもらうために、ウィルとのデートを持ちかけたのだが、見事失敗。しかし、マーカスとのフシギな友情が思わぬ方向にウィルの生き方を変えていく。
無職の独身男のひとり暮らしといえば、ムサいアパート生活を思い浮かべがちだが、ウィルの生活は実に優雅である。家事はすべて自分でできるし、残りの時間は音楽を聴いたりビデオを見たり、はたまた女性をナンパしたりと思いのまま。こんな生活を空しいとも感じず、38歳まで続けられるのも才能だと思う。
ところが、長く続いた優雅な独身生活も、12歳の少年との妙な友情と本気である女性を好きになったことから変化の兆しが見え始める。大切なものを手に入れる代わりに、人は責任を負わねばならない。38にして、やっとウィルが「家族を持つ」「人と真剣に関わる」という魅力的なシチュエーションに気づいたところでストーリーは終わる。
それにしても、ハンサムなヒュー・グラントがロンドンのモダンなアパートを舞台に演じるから多少うらやましくもあるわけで、フツーの日本人の男が2DKのアパートで暮らしてる姿を見せられても貧相なだけだろう。私の周りも独身の友人は多いが、男も女も口を揃えて「好きで独身やってるわけじゃない」と証言する。ウィルのような確信犯的独身にはなかなかお目にかかれないが、サビつきかけた自分の価値観をリフレッシュさせるためにも、そんな方にぜひお友だちになっていただきたいものだ。
(2003・4・14 宇都宮)

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「ウォーターボーイズ」
監督 矢口 史靖
出演 妻夫木 聡
    玉木 宏
    竹中 直人
(2002年/日本)

部員が3年生の鈴木1人で、廃部寸前の唯野高校水泳部。ピチピチの新卒女教師・佐久間が赴任した途端、佐久間目当ての男子生徒が大挙入部し、一転水泳部はにぎやかに。ところが、佐久間の本当の目的は、シンクロナイズドスイミングを教えること。ほとんどの入部者はこれを聞いて逃げ出してしまうが、鈴木を含めた5人が逃げ切れずに残ってしまい、文化祭でシンクロを発表することになり・・・
男子校でシンクロ。このムチャな状況設定を、とにかく軽く描いて本番まで持っていく演出のタッチが面白い。プールを釣り堀にしようとするバスケ部から奪還するエピソード。水族館でイルカ調教のアルバイトをしながら、シンクロの極意をつかむエピソード。なぜか鈴木にかわいいガールフレンドができるのだが、シンクロのことを彼女に打ち明けられないエピソード。「そんなアホな・・・」と思うシーンも多いが、高校生のひと夏のファンタジーと思って笑い飛ばそう。
真っ青な空と学校のプール。文化祭の打ち合わせ。お金もないし、恋人もいない。でも毎日元気いっぱいだった高校時代。あの3年間をなつかしく思い出した。なにはともあれ若いってすばらしい。
それにしても、クライマックスで見せるシンクロシーンは、シンクロというより水中ショーに近い。シンクロは1ヶ月特訓したからといって、できるもんじゃない。しかし、この水中ショーもかなり練習しなければできないだろうし、役者さんも若さでがんばったのだろう。やっぱり若いってすばらしい。
(2003・4・4 宇都宮)

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「ウィンドトーカーズ」
監督 ジョン・ウー
出演 ニコラス・ケイジ
    アダム・ビーチ
    クリスチャン・スレーター
(2002年/アメリカ)

第二次世界大戦下の1942年。太平洋戦線で、アメリカ軍は日本軍に暗号コードを解読され、苦境に陥っていた。起死回生の策として、ナバホ語を暗号に利用することになった軍は、ナバホ族の若者を暗号通信兵として教育し、最前線へ送り込む。その一人・ヤージー(アダム・ビーチ)の護衛任務についたエンダーズ(ニコラス・ケイジ)は、激戦地・サイパン島で彼を守り続けるうちに、ヤージーへの友情と尊敬の念が生まれはじめる。ところがエンダーズは、暗号の秘密を守るため、ヤージーが日本軍の捕虜になったときには速やかにその命を奪うよう軍上部から指令を受けていた。
戦争映画といえばアメリカの国威発揚目的が多い昨今、あまり期待せずに見たのだが、意外に面白かった。「MI:2」のジョン・ウー監督らしくアクションシーンは相変わらず派手だが、生粋の軍人である主人公とナバホの若者の心の交流をきちんと描いている。エンダーズ自身もイタリア移民の子孫という設定だし、同じ隊には他にギリシア移民の子孫もいる。その一方、有色人種への差別で凝り固まったWASPを登場させ、ストーリーの進行とともに彼の心に差別への疑念を抱かせた。それもこれも香港からハリウッドに進出した中国人監督ならではの配慮かもしれない。
N・ケイジのどうにも聞き取れない日本語や、ナバホと日本人は区別がつかないという設定は「???」だったが、笑ってスルーしよう。
(2003・4・4 宇都宮)

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「アメリカン・スウィートハート」
監督 ジョー・ロス
出演 ジュリア・ロバーツ
    キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
    ジョン・キューザック
(2002年/アメリカ)

売れっ子女優の姉グウェン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)の付き人をしているキキ(ジュリア・ロバーツ)は、グウェンと違って地味で平凡な女の子。彼女がひそかに思いを寄せているのは、姉の夫でやはり売れっ子俳優のエディ(ジョン・キューザック)。ところが、夫婦はグウェンの浮気が原因で別居してしまった。ゴールデンコンビの復活を目論む映画会社の頼みで、キキは2人の仲をなんとか修復しようとするが・・・
この作品に関して、私が雑誌から得たストーリーの大筋はこんな具合だった。どう読んでも恋愛映画に取れる。
しかし、見ると聞くとでは大違い。1人の男を巡る姉妹の恋愛模様ももちろん描かれてはいるが、あくまでも「映画スターを巡るスキャンダル」的な扱いで、恋のトキメキも切なさもあったもんではない。離婚が自分の女優生命にどう影響するか、計算に余念のない姉。優柔不断でどっちつかずのその夫。姉に尽くしてはいるが、今ひとつ可愛げのない妹。主人公のキキにどうにも肩入れできないし、ハッピーエンドのラストも全然爽やかじゃない。
要するに、この作品の本当のテーマは映画会社広告担当の内幕暴露なのだ。その証拠に、腕きき広告担当役のビリー・クリスタルが脚本に名を連ね、彼を狂言回しにストーリーが進行する。本筋に関係ないスキャンダルづくりのシーンがやたら多いし、要所要所を締めているのはB・クリスタルだ。その結果、どうにもどっちつかずの散漫なストーリーになってしまった。
雑誌の映画紹介がいかにアテにならないか、いい見本である。
ところで、ジュリア・ロバーツは当初グウェン役でオファーを貰ったが、キキ役を買って出たという。キキ役をするには、J・ロバーツは少し美人過ぎるのでは? 嫌われ役のグウェンは結局キャサリン・ゼタ=ジョーンズになり、ゴーマンぶりがサマになっていたが、こちらの方が妹に見えるのは私だけか? 
(2003・3・17 宇都宮)

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「海辺の家」
監督 アーウィン・ウィンクラー
出演 ケビン・クライン
    クリスティン・スコット=トーマス
    ヘイデン・クリステンセン
(2002年/アメリカ)

42歳の建築デザイナー・ジョージはガンで余命3ヶ月と宣告された。残された時間でなにができるか考えた結果、彼は別れた妻との間にできた息子サムとともに、自分たちで家を建てることを選ぶ。ドラッグに溺れ、親を拒絶する息子を相手に、岬の掘建て小屋で父子2人の夏休みがはじまるが・・・
家族の再生と命の物語――ひとことで表現すればこうなる。ボロ家に住む孤独な中年男や、再婚相手と心が通わない元妻、行き場のない感情をドラッグにぶつける少年の姿は、現代アメリカ社会の一断面。残り少ない寿命を突きつけられて、なにをすればいいのか考えたとき、これまで目を背けてきた家族の絆に向かうのは大いにあり得るパターンだ。また、自分が生きた証としてモノ(この場合は手作りの家)を創作して、思い入れのある相手に残すという行為も往々にしてあるパターン。「家づくり」という体力仕事を消耗しながら続ける様子も、淡々と描かれている。
とにかく予想どおりの展開なので、静かに場面を追っていくしかない。主演のケビン・クラインも別れた妻役のクリスティン・スコット=トーマスも好演しているし、思春期の息子役のヘイデン・クリステンセンも「スター・ウォーズ エピソード2」よりよほどいい演技を披露している。主人公一家を巡る脇の登場人物のエピソードも面白い。なのに・・・悪い映画じゃないんだけど、なにか物足りなさが残るのはなぜ? その答えがなかなか見つからない。ただラストだけは予想外の結末で、感動を覚えた。 
(2003・3・17 宇都宮)

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「es」
監督 オリバー・ヒルシュビーゲル
出演 モーリッツ・ブライプトロイ
    クリスティアン・ベッケル
(2002年/ドイツ)

ある大学で、極限状態の人間の行動を観察する実験が行われることになった。期限は2週間。報酬は4000マルク。新聞広告を見て集まった被験者の男たち24人は、「看守役」と「囚人役」に分かれ、大学地下の模擬刑務所での実験がスタートする。当初は看守役も囚人役も和気あいあいとした雰囲気だったが、やがてルールを守らせようとする看守役と、抵抗する囚人役の間に小さな諍いが生まれ、みるみるうちに殺意へと変貌していく。
1971年、アメリカのスタンフォード大学心理学部で実際に行われた実験がモデル。あまりの効果に1週間で中止され、現在でもアメリカでは裁判が続行中だという。この作品のとおりの結果が現実に起きたとしたら、これは実験を超えたシチュエーション殺人。この手の心理実験が禁止されるのは当たり前だろう。
それにしても、人間という生き物はちょっとしたきっかけで、なんと残酷なことができるのか。「牛乳を飲む」というルールに抵抗した囚人を従わせるために、看守たちが始めた抑圧が、やがて非人間的な拷問にまで発展する。コントロール役の助手が囚われてしまった後は、もう歯止めが利かない。冷静に判断できる人間はいないのか、と考えがちだが、冷静に判断する人の意見というのは、実験場でも実社会でも無視されるものだ。集団ヒステリー状態に陥りやすい人(まず本人に自覚はないだろうが)・熱しやすく冷めやすい人にぜひ見てもらいたい。
(2003・2・17 宇都宮)

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「活きる」
監督 チャン・イーモウ
出演 グォ・ヨウ
    コン・リー
(2002年/中国)

博打に明け暮れた末に先祖代々の屋敷を失った夫は、国共内戦に巻き込まれて行方不明に。湯汲み女として2人の子を育てるチアチェンは、命からがら帰宅した夫を優しく出迎え、貧乏な暮らしの中にも、子どもたちの成長を生き甲斐に懸命に生きていく。文化大革命の時代を乗り越え、一家の暮らしにもようやく余裕が生まれたかに見え・・・
日中戦争から中華人民共和国の建国、文化大革命に至る現代中国史20年を背景に、一家4人の清貧な暮らしぶりを描き、ところどころで涙を誘う。博打打ちの夫に泣かされながらも待ち続ける妻の姿は、ひと昔前の日本のよう。家族のつながりをなによりも大切に思う気持ちは、日本も中国も同じ。そういう意味では昔の日本映画を見ているようで、松山善三監督の「名もなく清く美しく」を思い出した。
「名もなく清く美しく」を観たとき、戦後の焼け跡で暮らす人々の貧しさがショッキングだった。ところがストーリーの進行とともに、高度成長期を迎えた日本社会がみるみる豊かになり、右肩上がりの明るい未来を予感させる映像に、胸をなで下ろしたものだ。「活きる」は94年の製作だが、やはり右肩上がりの中国の未来を感じさせてくれた。高度成長期という背景があってこそ創られるタイプの作品なのかもしれない。
(2003・2・14 宇都宮)

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「オースティン・パワーズ ゴールドメンバー」
監督 ジェイ・ローチ
出演 マイク・マイヤーズ
    ビヨンセ
(2002年/アメリカ)

相変わらずのおバカコメディ第3弾。
相変わらずの展開なので、な〜んにも考えず、テキトーに笑い飛ばしながら観るのにちょうどいい。今回は黒幕に日本企業が登場。オースティンが東京で大暴れするシーンもあるが、合成映像丸わかりなのはご愛嬌。変ちくりんな相撲シーンもあるが、気にしてはいけない。いちいちメクジラ立てるのがバカバカしくなるほど、おバカなコメディだから。
それにしても、なぜこのシリーズにこれほど根強い人気があるのか? 映画評を読んでもその手の分析にあまりお目にかかれないのはナゼ? 日本人に万人ウケする内容とも思えないんだけど。
思うに、お下劣な下ネタオンパレードも、マイク・マイヤーズが演じると下品にならない。彼の可愛らしさに適当に中和されてしまう。バカでエッチでカッコよくもなんともないのだが、なんだかキュート。オースティンがなぜか美女にモテるシーンが多いのも、なんとなく女性の立場からは理解できる。
冒頭であっと驚く大スターたちがカメオ出演しており、トム・クルーズのオースティン・パワーズが傑作! 本編中でいちばん笑わせてもらった。
(2003・2・14 宇都宮)

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「I am sam」
監督 ジェシー・ネルソン
出演 ショーン・ペン
   ミッシェル・ファイファー
   ダコタ・ファニング
(2002年/アメリカ)

7歳児の知能しかないサムは、娘のルーシーと二人暮らし。ルーシーの母親は出産後姿を消し、サムがコーヒーショップの店員をしながら、赤ん坊を男手ひとつで育ててきた。7歳になったルーシーはひときわ利発でサムよりもオトナ。ところが子どもの知能が親を上回った以上、子育てはムリと判断した学校関係者はルーシーを強制的に施設に預けてしまう。愛する娘と一緒に暮らすために、サムは法廷で闘う決意をするが・・・
7歳の知能しかない人に、赤ん坊を育てられるのか?と、疑問を持ちつつ見始めたが、あふれんばかりの愛情シーンの連続にだんだん疑問が氷解していくのを感じた。なんといっても登場人物たちのキャラクター設定がうまくできている。たとえば・・・
サムの障害者仲間や近所の外出恐怖症の女性など、ハンディキャップを背負った登場人物はサム親子を温かく見守る。反対に、愛し合う親子を引き裂こうとするのが、学校関係者や検事などいわゆる社会の良識派層。同じく弁護料が払えないサムを最初は追い返した女性弁護士は、サムと裁判を闘ううちに彼の父性愛に触れ、徐々に変化していく。実は彼女も仕事にかまけて息子と接する時間が持てず、至らない母親だと内心コンプレックスを抱いていた・・・といった具合だ。
ショーン・ペンの演技は「デッドマン・ウォーキング」で堪能したが、この作品でも魅せてくれた。若い頃はまさかここまでいい役者になるとは思ってなかったので、うれしい予想外れだ。役者さんにとって、知的障害者役はとても演技し甲斐がある(悪くいえばオイシイ?)役どころではないかと常々考えていたが、サム役のように最初から最後まで出ずっぱりの主人公では珍しい。相当なエネルギーを要したと思う。
S・ペン以外に印象に残ったのは、ルーシーを一時的に預かる里親役を演じたローラ・ダーン。アメリカと日本では社会風土が違うとはいえ、他人の子どもを育てるなんて、なかなかできることではない。どんなに愛情を注いでも、実の父に勝てない切なさが伝わり、「ルーシーを返す」と約束するシーンが泣けた。
最後になったが、ルーシー役の女の子がチョー可愛い! どうしてハリウッドの子役はあんなに演技が達者なんだろうか。
(2003・1・8 宇都宮)

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「アザーズ」
監督 アレハンドロ・アメナーバル
出演 二コール・キッドマン
   フィオヌラ・フラナガン
(2002年/アメリカ・スペイン・フランス)

トム・クルーズがスペイン人監督アレハンドロ・アメナーバルの才能に惚れ込んで製作を手がけ、当時の妻ニコール・キッドマンがヒロインを演じた話題性たっぷりの作品。しかし、そんな話題がなくても、この映画は面白い! ホラーをあまり怖いと感じない私でも、ギョッとするシーンが結構あった。
大戦後間もないイギリスの離島。グレースは古びた洋館で2人の子どもと暮らしている。子どもたちが光アレルギーのため家中のカーテンを閉めきり、暗闇の中での生活だ。そこに召使公募に応じた3人の男女が現れた。折から屋敷内では子どもたちが「幽霊がいる」と発言を続けてグレースを悩ませており、しかも召使たちがグレースの知らない事実をなにか知っている様子で・・・
古い洋館、周囲に垂れ込める霧、いわくありげな召使たち・・・西洋のホラーの要素をしっかり押さえ、ストーリーの進行とともに謎が散りばめられていく。節目節目で背筋も凍るシーンを挟み、クライマックスで一気に謎が解けたとき、なぜか脱力感に襲われる。
ラストのドンデン返しは途中で予測がつくが、映像にすると実に面白い。視点を変えた脚本の発想も斬新だし、真実に少しずつ迫っていく過程がいい。アメナーバル監督は「光アレルギー」という病気からこの作品の発想を得たとなにかで読んだが、「光アレルギー」はこの際恐怖を増すためのスパイスでしかない。
M・ナイト・シャマランの「シックス・センス」に雰囲気が似ているが、私はこちらの方が怖かった。
(2003・1・3 宇都宮)

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「エネミー・ライン」
監督 ジョン・ムーア
出演 オーウェン・ウィルソン
   ジーン・ハックマン
(2001年/アメリカ)

舞台は旧ユーゴスラビア紛争が一応の収まりを見せ、和平協定が結ばれた後のボスニア。アメリカ海軍大尉バーネットは、F18戦闘機でボスニア上空を偵察飛行中、偶然敵対勢力の基地を発見する。対空ミサイル攻撃を受けて、バーネットの戦闘機は敵地のど真ん中に墜落。間一髪脱出した彼は、敵の追っ手から逃れながら味方の救出を待つが、軍上層部では彼を見殺しにする動きがあり・・・
昨年の9・11同時多発テロ後に公開され、アメリカの国威発揚映画と一部で評された作品。確かにアメリカ的エゴイズムがあちこちに見られて、鼻白む人も多いだろう。「せっかく戦闘機乗りになったのに、戦争がなくて退屈だ」とボヤく主人公像が、いかにもアメリカ。旧ユーゴの和平を見守るという名目で上空をわが物顔で飛ぶ戦闘機に、ボスニアの民族意識が高まるのも当たり前。それを理解できないアメリカ人の無神経さに、世界中が驚いているというのに。
ストーリーは部下を救うために地位を投げうった司令官の美談に仕上がっており、それはそれでよくできた映画だが、ボスニアの人々の過酷な生活環境の方が胸に迫る。自分が住む町内に地雷原なんてあったら、アメリカなら大騒ぎじゃないのか?
この映画の監督はアイルランド出身でテロと隣りあわせで育った人物。おまけに報道カメラマンとして、実際にボスニア取材を経験したことがあるんだとか。あの冷たい、リアルな戦闘描写はその経験あってこそかもしれない。
なお、戦争映画好き、メカ好き、特撮シーン好きには堪えられないシーンが満載なので、オススメする。悪役ではないジーン・ハックマンを見たい方にもオススメだ。
(2002・11・25 宇都宮)

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「オー・ブラザー!」
監督 ジョエル&イーサン・コーエン
出演 ジョージ・クルーニー
    ジョン・タトゥーロ
(2001年/アメリカ)

1930年代のアメリカ南部。鎖でつながれた囚人3人組が、綿花畑での作業中に脱走する。リーダー格のエヴェレット(ジョージ・クルーニー)がかつて強盗で奪った120万ドルを、1日も早く取り戻すためだ。急がないと地面に埋めて隠した大金は、ダムの底に沈んでしまう。しかし3人組の道中はドジ続き。おまけに3人組を追跡する警察も加わって、エヴェレットの計画は頓挫寸前になり・・・
なんだかフシギな雰囲気に満ちた作品だ。アメリカ南部の田園地帯の風景がとにかくのどか。3人組はマヌケだし、途中で出会う人々もどこか1本ヌケている。そのときそのときのなりゆきに任せ、ささやかな知恵を働かせながら逃げのびる3人組。「おいおい、ホントにこのままいっちゃうの?」と思わせるストーリーだ。
大金をめざすといいながら、実は家に帰って妻に会いたい主人公。旅のはじめに出会った預言者。偶然出会った美しい娘の魔法にかかり、仲間のひとりがカエルに変身させられてしまったと信じる下りなど、なんだか「オデッセイア」に似ているなと思っていたら、やはりモチーフは「オデッセイア」らしい。
コーエン兄弟の監督作品は「ファーゴ」しか見たことがないが、あれは厳寒のカナダ国境地帯で起きた殺人事件が題材だった。こちらは夏のミシシッピを舞台にしたロードムービー。フツーの人のささいな日常生活を、トボけた演出で切り取るのが得意ワザのようだ。
(2002・11・25 宇都宮)

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「オーシャンズ11」
監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー
    ブラッド・ピット
    ジュリア・ロバーツ
(2002年/アメリカ)

数年ぶりにシャバに出てきた詐欺常習犯のオーシャンは、仮出所中の身にもかかわらず、早速現金強奪を計画する。目標はラスベガスのカジノの地下金庫に保管された1億5000万ドルの現金。計画は地下金庫の実物大セットまで作ってリハーサルする壮大なもの。スポンサーはもちろん、オーシャンの手となり足となって働く10人の仲間が必要だ。早速、昔なじみの仲間にあたりをつけ、決行の日を迎えるが…
最新鋭の防犯設備を備えた地下金庫。いかにして入り込み、現金を持って脱出するかが計画のポイント。そのための準備に時間を費やしリハーサルまでするのだが、不慮の事態が次から次へと発生する。そのあたりのハラハラドキドキがいちばんの面白さなのだろうが……実はどうもハラハラできない。
1960年の映画「オーシャンと11人の仲間」のリメイクとはいえ、設定は現代のラスベガスに変えているし、メカニックも隅々まで新しい。なのに、作品全体を覆うこの古びた雰囲気はいったいなんだ? 3秒間ほど考えた結果は、やはりオーシャンの人物設定が古いということ。頭脳明晰、アイデア満載のリーダーで、逃げた女房が忘れられない男。金も大事だが、それ以上に妻と仲間を大切にする男。いいヤツなのだが、どうもイケてないというか、面白くないアメリカンジョークを聞かされているような気分になる。
それにしても、このオールスターキャストはスゴイ。ソダーバーグ監督だから集まったメンバーなのだろうが、ジュリア・ロバーツとマット・デイモンが役どころ的にちょっともったいないぐらいだ。久々にお目にかかれたアンディ・ガルシアは年齢なりの貫禄がついた。「アンタッチャブル」の頃の若々しい姿が懐かしく思い出されるが、悪役もしっかりサマになっていた。
(2002・10・27 宇都宮)

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「アメリ」
監督 ジャン=ピエール・ジュネ
出演 オドレイ・トトゥ
    マチュー・カソヴィッツ
(2002年/フランス)

久々に洒落たフランス映画を観た。
モンマルトルのカフェで働く女の子アメリは、夢想癖のあるちょっと変わった女の子。ある日、アパートのバスルームから40年前の宝箱を発見。持ち主の中年男を探し出して、奇跡を思わせる方法で彼の手に返すことに成功する。以来、中年カップルを結びつけたり、夫を想い続ける初老の女性に亡き夫からの手紙を届けたりと、本人たちがそれと気づかぬままに、奇跡のようなイタズラを続けていく。しかし、アメリ自身の恋愛となると、直接相手と向き合う勇気が持てず……
アメリ役のオドレイ・トトゥがとにかく可愛い! 映像からはスチール写真とはまた違った印象を受けるが、表情が豊かで飽きさせない。また、アメリを取り巻くモンマルトルの街並、メトロの駅、カフェの風景、アメリの部屋、ファッションや小物まで、とにかくどこをとってもオシャレでキュート。パリってこんなにキレイな街だったか? と思わせる映像美だ。と思ったら、監督のジュネは作りこんだ映像が得意で、細部まで徹底的に凝るらしい。どおりで、完璧なまでの美しさだ。
アメリがモンマルトルの丘で恋人と待ち合わせる場面は、恋愛を夢見る女の子が見たら一生忘れられないシーンかもしれない。ただし、ひとつだけ注意しておくと、この作品を見てパリに行っても、アメリが観た風景はほとんどありません。なぜなら、あの風景は映画の中だけのものだから。
(2002・10・14 宇都宮)

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「陰陽師」
監督 滝田 洋二郎
出演 野村 萬斎
    真田 広之
(2001年/日本)

やっとこさ「陰陽師」を観ることができた。レンタルビデオがリリースされて5ヶ月というもの、常にショップの棚には「レンタル中」の札がぶら下がり、毎度無念の思いで前を通り過ぎていた作品だ。その間、岡野玲子さんの漫画も読んだ。夢枕獏さんの原作本も全部ではないが読んだ。満を持しての映画ビデオ鑑賞である。
しかし…なんだかビミョーな作品だ。面白くないわけではないのだが、全体に漂うこの貧乏くささは一体なんなのか? なにかとウンチクが多い原作を、初めて陰陽道を知る人にもわかりやすくまとめたことは評価するが、早良親王の恨みの話まで出てくると、みんなついて来れるのだろうか? 
晴明役に野村萬斎を持ってきたキャスティングに拍手だ。真田広之も正統派の悪役演技で無難な出来だ。晴明役の野村萬斎の演技と、カタキ役の真田広之の演技が全く違う種類のもので、「その2人が戦うんだから面白いよ」と友人の脚本家から聞かされていたが、確かにその通り。戦闘シーンなのに、手に汗握るどころか思わず笑っちゃうシーンの連続なのだ。
しかし、主役2人以外のキャスト・特に源博雅役の伊藤英明と、蜜虫役の今井絵理子の演技はいただけない。他にいくらでも適役がいるだろうと思うのだが。
悔しいことに、私がビデオを借りた数日後に、テレビでオンエアしていた。いくらなんでも観るのが遅すぎたか。なにはともあれ、「陰陽師2」が作られるらしい。野村萬斎主演なら、きっと観るだろう。ただしビデオで。
(2002・10・6 宇都宮)

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「A.I.」
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント
    ジュード・ロウ
(2001年/アメリカ)

近未来のアメリカ。人間の子供そっくりに作られた新型ロボット・デービッドは、母の愛を求め続ける「意思と感情を持ったロボット」。難病の子どもを持つ夫妻に実験的に与えられ、傷ついた母親の心のなぐさめとなる。幸せな家庭生活が続くかと思われたある日、子どもの病状が奇跡的に回復し、デービッドは不要品となってしまう。しかし、一旦「母の愛を求める感情」をインプットされた彼は、「人間の子どもになれば愛される」と、奇跡を求めて旅に出るのだが……
映画を見て、思いきり泣きたい向きにはおすすめの作品(中には全然泣けない人もいるようだが、母子の情や小さな子どもに弱い人なら絶対泣ける!)。母親の愛情を求める子どもが、起きるはずのない奇跡を求めて旅に出る…この設定だけで、「さあ泣いてください」と云わんばかりだ。
もともとはキューブリックの企画だったらしいが、キューブリックが撮っていればもっとシュールな作品に仕上がったのだろう。スピルバーグは全体に甘い仕上げで、「往年の切れ味がなくなった」と受け取る人も多いと思う。ラストも異論が多いだろうが、おとぎ話として受け止めればいいではないか。だって、モチーフは「ピノキオ」なんだから。
「シックスセンス」「ペイ・フォワード」の名子役ハーレイ・ジョエル・オスメントが、あるときは母親に甘え、あるときは強固な意思を持って行動するロボットを演じ、とにかく堂々たる主役ぶりだ。
(2002・4・22 宇都宮)

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「あの頃ペニー・レインと」
監督 キャメロン・クロウ  
出演 ビリー・クラダップ
    ケイト・ハドソン
(2001年/アメリカ)

主人公はロック好きの高校生。地元の音楽誌に記事を書くうちに、なんと『ローリングストーン』誌から声がかかり、売れはじめたばかりのロックバンド『スティルウォーター』の全米ツアーに帯同することに。そこで知り合ったのがグルーピーのリーダー格の少女ペニー・レイン。「私たちはバンドを愛して盛り立てるのが勤め」と毅然と言い切る彼女に彼はたちまち恋するが、彼女は『スティルウォーター』のリーダーのものになり…
15歳にして『ローリングストーン』誌の特集記事を書いた少年は、キャメロン・クロウ監督自身のこと。早熟の才能を持ちながら女性にはウブな少年が、大人の世界を知り、戸惑いながらもどんどん足を踏み入れていく様子がテンポよく描かれている。ロックの世界を忌み嫌う堅物の母親も秀逸。随所で笑わせてもらった。2001年度アカデミー賞脚本賞を受賞したのも、大いに納得だ。
初恋の切なさも胸に迫るが、ライターの視点から見た場合、少年がプロの音楽ライターとして成長していく過程がとても興味深い。地元誌の編集長に学内新聞の記事を送って認められ、陰にひなたにアドバイスを受けていたのは実にウラヤマシイ。バンドのメンバーと親しくなるにつれ暴露記事が書けなくなり、『ローリングストーン』誌の編集者から突き上げを喰らうシーン、バンドメンバーから「天敵」と呼ばれ警戒されつつツアーに同行し続けるシーン…ライターの宿命のようなシーンが現れるたびに、15歳でこれを体験した主人公に、尊敬と羨望を感じてしまう。そして、才能さえあれば、15歳にもプロフェッショナルの仕事をさせるアメリカ社会の懐の深さに、畏れを感じずにはいられない。
(2002・3・4 宇都宮)

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「王は踊る」
監督 ジェラール・コルビオ
出演 ブノワ・マジメル
    ボリス・テラル  
    チェッキー・カリョ
(2001年/フランス)

若き太陽王ルイ14世は、舞踏(現代のバレエの前身)の名手として知られていた。幼くして即位し、母と愛人の大臣に実権を握られていたルイは、舞踏の才能で周囲の目を引き、徐々に政治の実権を母から奪っていく。そのルイのために楽曲を書き続けたのが、宮廷音楽家のリュリ。ルイへの道ならぬ恋に身を焦がしつつ、20年以上に渡り彼が作曲した楽曲数は約3000。劇作家モリエールとのコンビで数々の喜歌劇を発表し、太陽王の宮廷に花を添えるが…
バロック時代の舞踏譜をもとに再現したという舞踏シーンが華麗だ。宮廷の中で、城の庭園で、王が踊る。舞台は王の威厳を誇示するためだけに創り上げられ、王への愛がかなえられないリュリは、愛を音楽に昇華することに全精力を傾ける。
王を演じたブノワ・マジメルがとにかく美しい! 「史上もっとも美しいルイ14世」とプロダクション・ノーツにもあったが、きっとその通りなのだろう(他に誰がルイ14世を演じたのか実はよく知らないのだが)。特に舞踏シーンにはホレボレさせられる。
また、芸術への情熱と世俗への欲望がないまぜになった、音楽家リュリと劇作家モリエールのやりとりも興味深い。まるで太陽のまわりを回る巨大な惑星のようだ。
監督は「カストラート」のジェラール・コルビオ。ハリウッド映画に慣れた目には少々退屈なストーリー展開かもしれないが、芸術としての映画を楽しむにはオススメの作品だ。
(2002・2・18 宇都宮)

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「アタック・ナンバーハーフ」
監督 ヨンユット・トンコントーン
出演 チャイチャーン・ニムプーンサワット
    ジェッダーボーン・ポンディー
(2001年/タイ)

オカマのバレーボール選手とおなべの監督が、ひょんなことから国体にチャレンジすることになった。オカマのいるチームには残れないと脱退した主力選手たちを見返すべく、オカマのジュンはバレーボール経験のある仲間を集め、特訓の末、国体に出場。彼ら、いや彼女らは見事な快進撃で全国区の人気者になっていく。
この物語は実話だそうだ。タイの国にオカマ、ゲイが多いことは周知の事実だが、ここまで社会の隅々にオカマが浸透していようとは…そういえばオカマのキックボクサー・パリンヤーとかいうのもいたっけ。
タイを旅行すると人々のやさしさ、穏やかさに感動するが、この作品で描かれるのはあくまで明るく開放的な南国の人々。差別を受けながらも、オカマは自らを主張し、支えあって生きている。おなべの監督の「あの子たちは賞賛されたいのではない。認めてほしいだけ」という言葉に彼らの主張は集約されるのだろう。
ところで30代と目されるこの作品の監督は、アニメの「アタックナンバーワン」を観たことがあるらしい。道理で表現方法がアニメっぽいわけだ。今後も、日本文化と自国の文化を消化した新世代のアジア映画が楽しみだ。
(2002・1・1 宇都宮)

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「あの子をさがして」
監督 チャン・イーモウ
出演 ウェイ・ミンジ
(2000年/中国)

1999年ヴェネチア映画祭グランプリ受賞作品。
中国僻地の山村の小学校に、1ヶ月間だけの代用教員として12歳の少女・ミンジがやって来る。貧しさから通学をあきらめる子どもたちが多い中で、「絶対にこれ以上生徒を減らすな」と言い含められたミンジだが、クラスのガキ大将ウェイクーが出稼ぎのために町へと連れて行かれる。ウェイクーを連れ戻すべく、町へのバス代稼ぎに知恵を絞るミンジと26人の生徒たち。その甲斐あって、なんとか町に出たミンジは野宿しながらウェイクーを捜しつづけるが・・・
12歳の代用教員(!)にも驚いたが、山村の小学校の環境にも驚いた。今にも崩れそうな校舎で、12歳の先生と数人の生徒たちが自炊しながら共同生活しているのにもビックリ。「寄宿生」といえば聞こえはいいが、授業も食事も全部自分たちで賄い、子どもたちだけで「生活」している様子は、過保護な日本の親たちにすれば卒倒モノだ。しかも、中国の大人たちは子どもだからといって容赦しない。その厳しい環境の中で育つ子どもたちのなんとたくましいこと! あまりのたくましさに呆れているうちに、最後はホロリと泣かせてくれる。
中国の山村の現状に仰天する日本人の私にとって、輪をかけて意外だったのが、
ミンジが苦労の末にウェイクーを見つけた方法。いやはや、この手段がとても日本的(?)なのだ。昔ながらの変わらない中国と、劇的に変わりつつある中国の両面を見せてくれる作品だ。
(2001・10・22 宇都宮)

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「アンブレイカブル」
監督 M・ナイト・シャマラン
出演 ブルース・ウィリス
    サミュエル・L・ジャクソン
(2000年/アメリカ)

脚本・監督がM・ナイト・シャマラン、主演がB・ウィリスと、「シックス・センス」のコンビが再び組んだ作品。主人公と正反対の男をS・L・ジャクソンが好演している。
132人が死亡した列車事故。その中でただひとり、傷ひとつ負わずに助かったB・ウィリスのもとに、不思議な男S・L・ジャクソンが現れる。骨形成不全症という先天性の難病を患う彼は、病気もケガもしない不滅のからだを持つヒーローの存在を信じていた。「目覚め」を促しつづける相手に、B・ウィリスは反発しながらも、自らの中に男の言葉の裏付けを次々に発見していき…
あの「シックス・センス」の監督の次回作とくれば、誰でも期待する。アメリカ東部の古い街並みを舞台に、冷たい、透明感あふれる演出は同じ。
でも、「死んだ人が見える」ことの恐怖と、「スーパーマンの実在」という驚異では、インパクトが違う。前者に比べて、どうも後者はウソくさい。しかも後者は、難病のため外出もままならなかった男が、ありとあらゆるアメリカンコミックに精通した結果、導き出した結論という設定。私もコミック=マンガから学んだことは計り知れないが、スーパーマンを現実に置き換えるのにはムリを感じる。それに40年近く生きてきてやっと、自分が病気もケガもしないからだであると主人公が気づくのも、いくらなんでも遅すぎる。しかし主人公を若者にしてしまうと作品全体の味わいがなくなるし、ショボクレ中年男が実はスーパーマンだったというギャップの妙味も出せない。
と、批評ばかり書いたが、見る価値はある作品。特にこの監督の構成力はすばらしいので、冴え冴えとした演出とともに味わってみてください。
(2001・10・3 宇都宮)

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「あなたが寝てる間に」
監督 ジョン・タートルトーブ
出演 サンドラ・ブロック
    ビル・プルマン
    ピーター・ギャラガー
(1995年/アメリカ)

シカゴの地下鉄で改札嬢をするルーシーは身寄りのない孤独なシングル・ウーマン。彼女には秘かに憧れる弁護士ピーターがいた。クリスマスの朝、線路に落ちたピーターを救出したルーシーは、ひょんなことから彼の家族から婚約者と間違えられる。昏睡状態のピーターを脇に、自分を暖かく受け入れてくれる彼の家族に真実を言えないまま時が過ぎる。やがてピーターの弟ジャックが彼女に好意を抱くようになるのだが、昏睡からさめたピーターとルーシーの結婚式の当日が来る。。。
前年のスピード、その後の「ザ・インターネット」などのスピーディーな映画でのシャープな役回りと違い、この映画ではサンドラ・ブロックは平凡でちょっと寂しい女性を実にチャーミングに演じている。ワンパターンではない役を演じられる魅力的な女優とも言えるだろう。ビル・プルマン、ピーター・ギャラガーを含めて登場する人物がみんな暖かくて、少しおかしい。ラストも期待通りになっているし、ちょっと疲れた時に見ると心なごむハートウォーミングなラブコメディーである。
(2001.8.7 藤原)

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「イギリスから来た男」
監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 テレンス・スタンプ
    ピーター・フォンダ
(2000年/アメリカ)

あまり話題にならなかった作品だが、「トラフィック」と「エリン・ブロコビッチ」で評価を確立したS・ソダーバーグが監督をしていることに惹かれて観た。
ロサンゼルスで起きたごく普通の交通事故。その事故で娘を失ったT・スタンプ扮するイギリス人の初老の男が、事故の背景を解明していくストーリーだが、この父親が強盗の常習犯で刑務所暮らしが長いだけあって、かなりのスゴ腕。自分よりはるかに若くて大柄なアメリカ人たちをガンガン倒していく。行き着いた先は娘の同棲相手でP・フォンダ扮する音楽プロデューサー。彼の側近がよこした殺し屋に追われつつ、娘の死の真相を求めてP・フォンダを追いつづけ…
ムショ通いを繰り返す父親を必死でいさめる幼い娘の映像がフラッシュバックで多用され、ラストの死の真相にも絡んでくる。「娘さんは危険な男が好きだったのか?」という質問に無言の父親。これといって目新しいストーリーではないが、娘を想うヤクザな父親の心情を、T・スタンプがセリフなしの表情だけで演じ、泣かせてくれる。
なつかしいところでは、P・フォンダがオヤジになっても相変わらずのセクシーぶりだ。
(2001・7・15 宇都宮)

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「アンジェラの灰」
監督 アラン・パーカー
出演 ロバート・カーライル
    エミリー・ワトソン
(2000年/アメリカ・イギリス)

20世紀前半、豊かなアメリカをめざしてヨーロッパからの移民が流れ込む様子を描いた映画は多い。移民の出身地はイタリアであったり、アイルランドであったり、東欧諸国であったりした。中でも現代アメリカで社会のコアな部分を占めるのがアイルランド系移民。この作品はアイルランド出身の作家フランク・マコートのベストセラーをもとにした「移民前の物語」である。
これでもか、これでもかと描かれるのは、すさまじいばかりの貧困。イギリスへの抵抗運動に身を投じていた父は定職につけず、食べるものもないのに子どもばかりが生まれては死んでいく。母は悲嘆に暮れ、プライドばかり高い夫を罵倒する。つらい現実を酒で紛らわそうとする父への愛情と軽蔑を抱えながら成長した長男のフランクは、やがて一家の生計を支えるようになり、他の若者たちと同じようにアメリカに夢を描きはじめる。
原作に描かれる貧困の様子はもっとすさまじいらしい。喰うや喰わずのギリギリの生活というのは経験がないので想像の及ばない部分もあるが、幼い兄弟を次々に亡くす悲しみは胸に迫る。不衛生な貧民街で充分な栄養も医療も与えられなければ、当然幼い者は耐えられないだろう。貧乏は人の命を間違いなく軽くする。
しかし、そんな中でも主人公のたくましさは救いだった(貧乏な家の長男ってホントに損!)。頭の中がアイルランド一色になりそうな圧倒的な物語描写で、ぜひおすすめの一作である。
(2001・6・8 宇都宮)

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「エクソシスト ディレクターズ・カット版」
監督 ウィリアム・フリードキン
出演 エレン・バースティン
    マックス・フォン・シドー
    リンダ・ブレアー
(2000年/アメリカ)

大ヒット作「エクソシスト」が公開されたのは1973年。怖い、いや怖くないと、子どもだった私のまわりでも、「エクソシスト」は話題の映画だった。悪魔に憑かれる少女役のリンダ・ブレアが一世を風靡し、「エクソシスト=悪魔祓いの祈祷師」という言葉を普及させてブームは終わった。
あの話題作に15分間を加えたディレクターズ・カット版ということだが、残念ながら、かつてのヴァージョンを観てないので比較はできない。しかし、今回初めてこの作品を観て丁寧に作られたいい映画だと感じた。
悪魔への恐怖感というのは日本人には馴染みが薄いので、もうひとつ迫って来ない。ポルターガイスト現象も映画館のスクリーンで見れば、もっと迫力が出るのだろうが、28年前ならともかく今では目新しいシーンでもない。しかし、命がけで悪魔と戦う2人の神父の鬼気迫る演技にはシビレた。CNNのインタビュー記事によると、L・ブレアは今だに道を歩いていても「エクソシストのあの子」と云われるそうだ。「エクソシスト」以来作品に恵まれず、他の多くの子役と同じ道を辿ったわけだが、この作品の彼女はたしかに熱演だった。
観る者の恐怖心を煽る演出、エンディングの処理など、その後のホラー映画の先駆け的な作品だったと今さらながら納得させてもらった。
(2001・6・3 宇都宮)

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「X-MEN」
監督 ブライアン・シンガー
出演 パトリック・スチュアート
    ヒュー・ジャックマン
    アンナ・パキン
(2000年/アメリカ)

アメ・コミの映画化なので、例によってお手軽・ご都合主義な子ども向け作品と思いきや、最後まで退屈しなかった。映像の斬新さは「マトリックス」に及ばないが、筋運びのムダのなさや見せ場ごとのさりげない演出がうまい。と思ったら、監督がブライアン・シンガーだった。彼の「ユージュアル・サスペクツ」は、私の中ではここ5年のベストワン。あんな脚本、書けるもんなら書いてみたいと今だに思う(まあムリだが…)。
そう遠くない未来。地球上には進化した人類=ミュータントが続々と現れ、その超能力で人間たちに恐れられ、迫害されていた。事態を憂慮したプロフェッサーX(このネーミングがかなり恥ずかしい)は「X-MEN」(いろんな超能力を持つ者が集まった組織)を創設し、ミュータントを守るために立ち上がった(と、書いててやっぱり恥ずかしい)。が、同じミュータントの中に「X-MEN」に対抗する闇の組織が存在し、このリーダー役のイアン・マッケランがいい味出している。
ブライアン・シンガーは意外にも「ガンダム」のファンなのだそうだ。それもあってか、SFアニメが好きな世代なら、まずまず楽しめる作品になっている。
(2001・5・26 宇都宮)

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「オータム・イン・ニューヨーク」
監督 クリス・コロンバス
監督 ジョアン・チェン
出演 リチャード・ギア
   ウィノナ・ライダー
(2000年/アメリカ)

ギア演じるところの47歳のウィルは高級レストランのオーナーで超プレイボーイ。次々と恋人を変えては気ままな独身生活を謳歌していた。ある日22歳になったばかりのシャーロットと出会う。親子ほども年齢の違う2人のつきあいが始まった。「ぼくは、一人の女性と一年以上付き合ったことがないんだ。そして今回も……いつか終わりがきてしまうだろう」といつものように語るウィルに対して、シャーロットはにっこりと微笑む。「偶然ね。私の命はあと一年もないのよ」。娘のようなシャーロットに主導権を取られ翻弄されながら、ウィルは真の愛にめざめていく。
背景となったニューヨークの風景がとにかく美しい。衣装や小道具など女性監督ならではの細かい配慮が感じられる。ウィノナ・ライダーは瞳が輝き実にチャーミングで、繊細かつ大胆なシャーロットを魅力的に演じている。そして、リチャード・ギア。さすがに年を取った感はあるが、都会的なプレイボーイのウィルはまさに彼のはまり役。ギアのファンならば文句なしにストーリーに浸れるだろう。一方でこの映画は「最高のラブストーリー」と宣伝されていたが、この点には少々疑問が残る。2人の愛が育まれる過程での心理変化はやや説得力に欠ける。ウィルとシャーロットの母親の関係など伏線となっている部分が、本編の中でうまく消化されていないようにも思われる。ギアのファンにはお薦めできるが、彼をそれほど好きでなければありふれたストーリーの映画に感じられるかもしれない。
(2001.2.20 藤原)

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「アンドリュー NDR114」
監督 クリス・コロンバス
出演 ロビン・ウィリアムズ
    サム・ニール
(2000年/アメリカ)

2005年のある日、マーティン家に家事全般ロボットNDR114型がやって来た。末娘"リトル・ミス"に「アンドリュー」と命名されたロボットは、徐々にマーティン家になじみ、リトル・ミスのために木彫りの馬を作ったことから、元来ないはずのクリエイティブな才能とゆたかな感情にめざめていく。
作品はテンポの速い展開で、アンドリューとマーティン家の人々との交流を200年に渡って描く。自我に目覚め、自由を得る代わりに孤独を知るロボット。リトル・ミスの孫娘ポーシャに会い、人間として女性を愛したいと切望し、人間の臓器、皮膚、神経など次々に手に入れ、限りなく人に近づいていく。しかし、人との決定的な違いはロボットには寿命がないこと。不老不死のロボットは愛する人たちが死んでいくのをただ見送るだけ。ついにポーシャの死期を意識したとき、アンドリューはつぶやく。「私は君なしでは生きていけない」
正直に云うと、あまり期待せずに観たのだが、予想外に感動させてもらった。芸達者なR・ウィリアムズがロボットの動きを抑え気味に演じ、作品に奥行きを与えたのは間違いない。
21世紀最初の元旦、TVでホンダのロボット「アシモ」が踊っているCMを見て、「ロボット技術もここまで来たか」と驚いたが、「アシモ」の名前はどうしてもこの映画の原作者アイザック・アシモフを思い起こさせる。アシモフの原作は小品だったと思うが、その影響力の大きさは作家冥利に尽きることだろう。
(2001・2・18 宇都宮)

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「オール・アバウト・マイ・マザー」
監督 ペドロ・アルモドバル
出演 セシリア・ロス
    マリサ・バルデス
(2000年/スペイン)

最愛のひとり息子を事故で亡くしたシングルマザーのマヌエラ。死んだ息子がいちばん知りたがったのは、自分の父親がいったい誰かということ。最期まで打ち明けることがなかったその父親に息子の死を告げるため、マヌエラは青春時代を過ごしたバルセロナにやって来る。
思い出の地で出会ったのは、旧友のニューハーフ、若く美しい尼僧、頑迷なその母、そして息子がサインをほしがった老舞台女優…。涙に明け暮れていた母が、出会った人々とのふれあいを通じ、生きる目的を取り戻していく。
主な登場人物はみなマイノリティばかり。主人公のシングルマザー。その親友のニューハーフ(とってもいいヤツ。あんな友だち、私もほしい)。尼僧はシングルマザーになった上に、エイズ感染。舞台女優はレズビアンで、恋人の新進女優にふりまわされっぱなし。
そんな彼らを見守る目は淡々としていて、しかも温かい。陽光あふれるバルセロナの土地柄もあるのだろうか。一見、調子のいいストーリー展開にも見えるが、親子、友人、恋人の愛情を描いて、しみじみと感動させてくれる作品だ。
(2001・2・12 宇都宮)

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「エリン・ブロコビッチ」
監督 スティーヴン・ソダーバーク
出演 ジュリア・ロバーツ
   アルバート・フィニー
(2000年/アメリカ)

元ミス・ウィチタ。バツ2。子ども3人。失業中。ミニスカのイケイケルックで求職活動するも、なかなか職が見つからない女、エリン・ブロコビッチ。
そんなエリンが自らの交通事故で知り合った弁護士のところに押しかけ就職。学はないが、やる気はいっぱい。エリート弁護士にはわからない庶民の気持ちをまとめて、六価クロムを振りまく大企業相手に史上最大の公害訴訟に打って出た。そしてついにアメリカ史上最高額の賠償金をゲットし、法律事務所に個室を持つまでになった!
この物語は実話だそうだ。お先真っ暗の30代の女が、失敗を繰り返しながらもとにかくガンバル。数年に及ぶ訴訟の間、子育てに悩んだ。恋人も去って行った。でも、エリンはメゲない。子どもたちも毎日ガンバルお母さんを見て、少しずつ仕事に理解を示すようになった。
筋書きはわかっているのに全く退屈することがない。生活のためにガンガン昇給を要求する女性像は日本人から見てやや違和感もあるが、昇給したからにはそれだけの仕事はこなす(このあたりが過去の仕事で高給をもらう窓際族と違うところ)。しかも、エリンは子育てだって精一杯がんばっている。末っ子が生まれて初めて言葉をしゃべった日に、うれしさのあまり涙を流す姿は万国共通だ。
日本の女性がこの映画を見たとき、自分への応援歌ととるか、遠い国の遠い話ととるか。願わくば、前者が少しでも増えてほしい。
(2001・1・14 宇都宮)

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「海の上のピアニスト」
監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
出演 ティム・ロス
(1999年/アメリカ・イタリア)

トルナトーレ監督といえば「ニュー・シネマ・パラダイス」! 映画好きなら誰もが名前を挙げるあの名作を、監督自身もなかなか超えられないと、なにかの映画評で読んだ。しかし、この作品は久々に出来がいい、とも。
ごくごく一般的な映画ファンである私の友人が映画館まで足を運び、この作品を見て、「納得できない」と不満気な様子だった。ビデオを見て、私も「なるほど」と思った。大西洋路線の豪華客船に生まれ、一生をその船の上で過ごしたピアニストが主人公なのだが、彼が最後まで船を降りようとしなかった気持ちが、私たちの日常とかけ離れすぎて理解できないのだ。初恋の女性を追って、自ら船を降りようとした唯一の機会も逃して、云ったセリフが「船には終わりがあるが、都会には終わりがない」。船を降りる=チャンスが広がる、と考える人には理解できない発想である。
理屈で考えれば、ストーリーにもおかしな点はいっぱいある。でも、この物語はファンタジー。細かなところは突っ込まず、映画という悦楽を素直に受け取る以外ない。一生を船の上で過ごしたピアニスト。それだけで、胸を打つ設定ではないか。
などと云いつつ、今これを書いている私の頭の中に流れているのは、実は「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽だ。劇場公開時、一般受けしそうにない映画なのにテレビCMまで打って宣伝したのは、やはり「シネ・パラ」の再来を願うファンが多いと踏んでのことだったのだろうか。
(2001・1・6 宇都宮)

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「アメリカン・ビューティ」
監督 サム・メンデス
出演 ケビン・スペイシー
   アネット・ベニング
(2000年/アメリカ)

とにかくケビン・スペイシー。
「ユージュアル・サスペクツ」で演技のうまさに感激し、「L.A.コンフィデンシャル」でセクシーさにイカれたものだが、この「アメリカン・ビューティ」でまたまた演技の幅の広さを見せつけてくれた。
アメリカの典型的中流家庭の崩壊を描いたストーリー自体は特に目新しいものはないけれど、エピソードを丁寧に重ねていく作りは説得力があるし、退屈しない。どこかの映画評にも書いてあったが、隣家の海軍大佐一家の描写が実に秀逸。サブキャラはこうやって際立たせるのだ! というお手本のような映画である。
ケビン・スペイシーのように、前髪の後退とともに味わいが深まる俳優さんなんて、そうそういるものではない。ショーン・コネリーのように年齢とともにシブサを増して、映画ファンのハートをワシ掴みにしてもらいたい。これから先ン10年間の彼の出演作がとっても楽しみだ。
(2000・12・10 宇都宮)

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