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シネマパラダイス(映画評)


2016年
*7月up作品:「おみおくりの作法」
*4月up作品:「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」
*1月up作品:「インターステラー」

過去のup作品(一覧リスト)

過去のup作品:ア行カ行サ行タ行ナ行ハ行マ行ヤ行ラ行ワ行


「おみおくりの作法」
監督 ベルト・パゾリーニ
出演 エディ・マーサン
    ジョアンヌ・フロガット
    カレン・ドルーリー
(2013年/イギリス)

ジョン・メイ(エディ・マーサン)はロンドンのケニントン地区の行政職。20年以上に渡り、彼がたったひとりで続けているのは、地区内で孤独死した人の身内を探し、宗教に則った丁寧な葬儀をおこない、共同墓地に埋葬する業務。事務的にすまそうと思えばいくらでも簡単にできるのだが、彼は死者に敬意を払い、最善を尽くすことをモットーとしていた。
ある日、彼のマンションの向かいの棟で孤独死した男性が発見される。いつも以上に力を入れて身寄り調査をおこなうジョン・メイだが、上司は「不要なコストだ」とリストラを告げ……

ストーリーが進むにつれ、「これは日本の話か?」という思いがどんどん強くなる。
孤独な老人。誰も気づかない死。関わりを嫌がる親族。事務的な処理を迫る幹部職……ひとりで葬儀と埋葬に参列し続ける主人公の姿に、「人間の尊厳とはなにか?」「人の人生とはいったいなんなのか?」と考えずにはいられない。
ジョン・メイが身寄り探しをすると、どんな人の人生にも輝いていた時期があり、人と深く関わって生きた時期があるとわかる。そう、どんな人だって懸命に生きている。しかし、人生の最期でどれほどの人に関われているかなんて予測がつかない。私自身を顧みても孤独死する可能性は充分にある。
実のところ、今どき墓参りも大変だから墓はいらない。さらに言えば葬式もいらないのでは…? と考えていたが、本作を見て少し考えが変わった。向かいのマンションで死んだ男はとんでもないロクデナシだったが、ジョン・メイの尽力の結果、葬儀に妻や娘や孫が集い、故人を偲び、交流が生まれる。誰にも知られずに死んだ人間が、生きている人間に確実に影響を与えているのだ。

死者たちの人生は徐々にジョン・メイにも重なっていく。なにがそうさせたのか、ジョン・メイ自身も身寄りのないひとり暮らし。ラストシーンには賛否両論あるだろうが、彼は満足だったのではないかと私は思う。

最後になったが、主演のエディ・マーサンの抑えまくった演技も一見の価値あり、だ。
(2016・05・06 宇都宮)


「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」
監督 J.J.エイブラムス
出演 ハリソン・フォード
    アダム・ドライヴァー
    デイジー・リドリー
(2015年/アメリカ)

鳴り物入りで登場した「スター・ウォーズ」最新作を3DiMAXで鑑賞した。

いろいろな意味で、新しい時代の映画なのだろう。 2D、3Dだけでなく、3DiMAXや4Dまで選択肢があり、料金が高いにもかかわらず客席が埋まっていた。4Dなんて、まるでテーマパークのアトラクションだが(個人的には2Dでも充分楽しめると思う)。
そして丸1年をかけたプロモーション。少しずつ少しずつ情報を小出しにしながら期待感を盛り上げていくのは、財力とノウハウのあるディズニー映画だからできるのだろうか。
タイアップ商品が多いのにも驚いた。まったくディズニーは商売が上手い。

これだけ事前に盛り上げて凡作なら目も当てられないが、その点は外さなかったのがさすがハリウッド。
映像の素晴らしさは今更言うまでもないし、CGに頼りすぎず、ほどよくマペットを使ったことも旧シリーズファンに評判がいいのでは?
ストーリーもよく練られていると感じた。結局のところ、旧シリーズと同じテーマを繰り返しているのだが、クライマックスへ持っていくまでの展開が上手い。なつかしいキャラクターをあっと驚く場面で登場させ、旧シリーズのファンを喜ばせるのもお手のもの。J.J.エイブラムスは映像づくりにもストーリーづくりにも長けた監督だと改めて思う。

主人公の少女レイ役のデイジー・リドリーは、SF映画らしい凛々しさと爽やかさを感じさせるルックス。敵役のアダム・ドライヴァーは美形ではないが、独特の雰囲気があり、演技力も確か。
旧シリーズ後、主役級の役者の中で売れ続けたのはハリソン・フォードだけだったが、果たして新シリーズ後はどうなるか。ストーリーの中に大きな謎を残したまま劇的なエンディングを迎えたので、次作が楽しみだ。
(2016・04・14 宇都宮)


「インターステラー」
監督 クリストファー・ノーラン
出演 マシュー・マコノヒー
    アン・ハサウェイ
    ジェシカ・チャスティン
(2014年/アメリカ)

クリストファー・ノーラン監督が挑んだ本格派SF大作。
気候変動と食糧危機で人類が滅亡の危機に晒された近未来の地球。元パイロットでエンジニアのクーパー(マシュー・マコノヒー)は、未来に希望が持てないまま老父と子どもたちと暮らしていた。そんなある日、消滅したはずのNASAから連絡があり、移住可能な惑星を探査する宇宙船のパイロットに抜擢される。目的地ははるか彼方の銀河系にある3つの惑星。土星近くにあるワームホールを通って惑星系へ行き、どの惑星が居住可能か調査するのがクーパーのミッションだ。ただし、その惑星系はブラックホールの近くにあるため、時間の流れが地球とは大きく異なり、惑星上の1時間が地球の7年間に相当する。たとえミッションを成功させて地球へ帰還しても、果たして彼の愛する家族はまだ生きているのか? 葛藤に苦しみつつ、クーパーは「必ず帰って来る」と娘のマーフに約束して旅立つが、その旅は苦難の連続だった……

ワームホールや相対性理論が登場する壮大なストーリー。なぜ時間の流れが違うのか? ブラックホールの事象の地平線とはなにか? そして事象の地平線の向こうにあった、あの光景はいったいなんなのか?――正直、すんなり理解できる人は少ないのではないだろうか。
事象の地平線は光さえ出られない場所なので、そこになにがあるのか外から見ることは決してできない。それだけに、想像するのは各人の自由。本作は「なるほど!」と思わせる解決策を用意してくれている。
もっとも根本的な問い=「誰がワームホールを用意したのか?」が解決されないまま終わるが、それは時空を自由に行き来できるほどの科学技術を持つ存在。私たちが知ったところで、どうなるものでもないのだろう。

SF好きには「見たこともない惑星の風景」がとても魅力的なのだが、そこはVFX技術がかなえてくれる(同じくノーラン作品の『インセプション』に似た風景も拝める)。本作がじっくり描こうとしているのは、クーパーとマーフの父娘関係を中心にしたさまざまな人間ドラマだ。とても帰還できそうにないミッションに旅立った父と、それを知りつつ物理学者になる利発な娘。人生を賭けて追い求めた研究は人類救済につながるが、たったひとりの父は宇宙のどこにいるのか誰にもわからない。
個人的には、アン・ハサウェイが演じた生物学者の人生が胸に迫る。そして、氷の惑星で究極の孤独と闘い続けた学者の人生も。

実はノーラン作品と知らず、なんの予備知識も持たずに見たのだが、169分の長尺にまったく退屈しなかった。アドベンチャーと人間ドラマを両立させたストーリー展開はさすが。『2001年宇宙の旅』を超えることはできないが、あの名作へのオマージュをそこかしこに感じた。
(2015・05・07 宇都宮)


「終戦のエンペラー」
監督 ピーター・ウェーバー
出演 マシュー・フォックス
    トミー・リー・ジョーンズ
    初音 映莉子
(2012年/アメリカ)

1945年、終戦後まもない日本に降り立ったGHQ司令官ダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)は、知日派の部下ボナー・フェラーズ(マシュー・フォックス)に真の戦犯は誰なのか、10日以内に調査するよう命じる。調査の焦点は、「天皇に戦争責任があるかどうか」。そもそも天皇の戦争責任を問わなければ、米国世論が納得しない。とはいえ責任を問えば、ようやく掌握した日本で内乱は必至。真実はどちらなのか? フェラーズは天皇に関わった重臣たちを追求し、大きな決断を下す……

まず、しっかり創られた映画だと思う。
戦後まもない焼け野原の東京を巧みに再現し、衣食住や生活習慣もよく調べられていて、ハリウッド映画にありがちな「西洋人が見た非現実的な日本文化」的違和感が少ない。役者も知名度に左右されずうまく配されていて、とくに日本側のキーパーソンを演じた夏八木勲さんや羽田昌義さんのキャスティングが秀逸。ヒロイン役の初音映莉子は本作で初めて見たが、いかにもオリエンタル・ビューティで西洋人ウケしそうだ。

ピーター・ウェーバーは『真珠の耳飾りの少女』を撮った監督だそうで、ちょっとした感情の表現や静かにストーリーを進めていくシーンづくりがさすが。天皇制、死を尊ぶ文化、西洋とは違った意味での名誉など、究極の異文化を観客に理解させるためのセリフもところどころ心に響く。しかし、私たち日本人なら当たり前に理解できる「異文化」が、アメリカの観客にどこまで理解できるのか? そもそもこの映画、アメリカで誰が興味を持って見るのだろう? 興行的にどうだったのか? あの『パール・ハーバー』ですらコケたというのに…。

物語のエンディングは日本人なら誰でも知っている史実。敵対国の人々の「なぜ敗戦国の国家元首が罰されもせず、同じ地位に就き続けられるのか?」という疑問に答えを与え、あいまいな国を治めるための「シンボル」という落としどころへ導いていく。
現代の日本人から見れば、GHQは戦後日本の民主化を推し進め、今の暮らしやすい社会をつくってくれた存在。一歩間違えれば、日本もイラクのようになっていた可能性だってあったのかもしれない。内乱と無秩序は社会を破壊する。戦争は二度と起こしてはならないし、最後の戦争は負けて正解だったのだ、と右傾化の時代に改めて思う。
(2015・05・04 宇都宮)


「エグザム」
監督 スチュアート・ヘイゼルダイン
出演 ルーク・マブリー
    チュク・イウジ
    ジミ・ミストリー
(2009年/イギリス)

ある感染症で若者の半数が命を落とすようになった近未来。特効薬を開発した製薬会社がCEOのアシスタントをとんでもない好条件で公募したところ、8人の優秀な男女が集まった。最終試験はなにもない密室でおこなわれ、同席するのは武装した警備員ひとり。配られた問題用紙は真っ白だが、試験官や警備員に質問することは許されない。試験用紙を損壊した者、会場から一歩でも出た者はその場で失格。いったい問題はなにか? どう解くのか? 8人は互いに牽制しあいながら、正解を求めて行動するのだが…

たった1名の採用枠を争うライバルが密室に閉じ込められ、答えを求めて知恵を絞って行動する。試験は質問を見つけるところからスタートするため、「誰かが質問を知っているのではないか」という疑念が生じ、互いにだましたり、利用したり。最終的には命に関わる事態になるが、採用企業からの助けはない。

そもそも問題を探すところからスタートするので、偏差値型秀才は役に立たない。注意深く人の言葉を聞き、アイディアと応用力があり、タフなメンタルを持つ者が有利。観る側も謎解きに参加し、自分のアホさや注意力のなさを実感しつつ、ストーリーが進む。登場人物は積極的にリーダーシップを取る者、取らない者に自然に分かれ、当然衝突も起きる。応募者同士が争うシーンを見て「時間がもったいない」と思い、「そんなことより知恵を合わせようよ」と言いたくなるのは日本人の習性か?(笑)

最終的に1名の採用者が決定するのだが、こんな企業に勤めて果たして幸せになれるのか疑問だ。年収1億円を一生受け取れるらしいが、そんなポストがいかに危ういものか、企業人ならわかるはず。それとも、こんな感想を抱く私がのんびりし過ぎているのか? 就活に悩む学生の中には、本作に身につまされる人も多いのかもしれない。
スター俳優なしで時間も短め、試験ルームしか登場しない低予算ぶり。でも充分楽しめる。監督のスチュアート・ヘイゼルダインは脚本家出身の若手だそうで、今後の作品が楽しみだ。

(2015・05・05 宇都宮)

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「清州会議」
監督 三谷 幸喜
出演 役所 広司
    大泉 洋
    小日向 文世
(2013年/日本)

三谷幸喜監督による“三谷組”オールスターキャストによる群像時代劇。清州会議という歴史の転換点を、例によってドタバタのコメディで描いている。

清州会議に関わった人物は多いので、誰の視点で描くかによりテーマは変わる。本作は羽柴秀吉(大泉洋)vs柴田勝家(役所広司)+丹羽長秀(小日向文世)を対立軸に据え、そこに織田家の家督を継ぐ可能性のある人物たちや生き残りを賭ける重臣たちが絡み合う。
ポスターに掲載されているおもな登場人物だけで16名。彼らの相関関係はある程度歴史の予備知識がないと理解できないだろう。人物が多いだけにキャラクターが強調され、勝家は武辺一辺倒の単細胞に、秀吉は空気を読みまくって態度を変えるおべんちゃら男に描かれる。織田信雄がバカなのは史上有名だが、いくらなんでもあそこまでバカではなかっただろうし、勝家も武力だけの人物ではなかっただろうに。唯一予想外だったのは、三法師の母・松姫(剛力彩芽)の行動だった。全体に登場人物がすべて幼稚に見えるのが、日本人として複雑な気分。映画を観ながら、「日本人は12歳の少年だ」というダグラス・マッカーサーの言葉が頭をよぎる。

これといって盛り上がるわけでもない4日間の会議を138分の映画で描いて退屈させなかったのは脚本と役者の力。会議の結末に至る過程を描きつつ、誰もが知るその後の天下の趨勢が、秀吉・勝家それぞれの言動の変化から透けて見える。戦ばかりの人生に疲れ、お市の方(鈴木京香)に心のよりどころを求めた勝家は役所広司だから説得力があったのかもしれない。憎めないキャラクターを演じた大泉洋の器用さにも驚いた。

会議や話し合いはビジネスパーソンにとって日常だが、どこまで自分の意見を主張するのか、どこで折れるか、誰に賛成するか、どんな予防線を張るのか等々、悩んだ経験がない人はいないのでは? この作品を観たサラリーマン層は、きっと普段社内で繰り返される会議を、清州会議の人間模様に重ねただろう。風見鶏の池田恒興(佐藤浩市)タイプなど、どこにでもいる。いや、むしろいちばん多数派かも。いずれにせよ、求められるのは自分を知ることと人を見抜く目。平和日本の吹けば飛ぶような案件でもそうなのだから、一族郎党の命がかかった戦国時代の会議で血眼にならないほうがおかしい。そう考えると、せつないコメディに見えてくる。
(2014・01・15 宇都宮)

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「アナと雪の女王」
監督 ジェニファー・リー
   クリス・バック
出演 クリステン・ベル
    イディナ・メンゼル
    ジョナサン・グロフ
(2013年/アメリカ)

ディズニーの大ヒットアニメ作品をDVDで鑑賞。日本語版の前評判があまりにもいいので、英語版・日本語版の両方をチェックした。

原案がアンデルセンの『雪の女王』と知って驚いたが、本作はあくまで陽気なアメリカンタッチ。どうやらアイディアだけをいただいたらしい。ストーリーは子ども向けなので、素晴らしい音楽とアニメーション映像を楽しむ作品だ。
日本語版の松たか子・神田沙也加による歌は素朴で、美しい声が耳に心地いい。英語版の歌はエネルギッシュでテクニカル。可愛い絵柄に比べて歌が上手過ぎる印象もあるが、どちらがいいかは観る人の好み次第だろう。
映像の質の高さは相変わらずで、とくにエルサが魔法で氷の城をつくり上げるシーンは、子どもの頃に一度見たら生涯忘れないのではないだろうか。

「王子さまを待たないプリンセス」というコンセプトには共感する。自分の力をコントロールできずに悩むエルサと、自ら行動し、男性には対等な条件を提示し助力を頼むアナ。結局、「真実の愛」は王子さまから与えられるものではなかったことも、よくできた設定だ。
子どもの頃の刷りこみとは恐ろしいもので、「いつか白馬の王子さまが現れる」と、いくつになっても信じている女性が現実問題として存在する。「誰かに依存したい」という気持ちがそうさせるのだろうが、真の救いは自ら行動して初めてもたらされるもの。行動した結果、王子さまの助力が必要でなくなれば、より対等な関係が築けるというものだ。

本作を観た世界中の女の子たちが、自ら行動する大人になれますように。
そして男の子たちは、女の子たちの意思を尊重できる大人になれますように。
(2014・07・27 宇都宮)

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「エンダーのゲーム」
監督 ギャヴィン・フッド
出演 エイサ・バターフィールド
    ハリソン・フォード
    ベン・キングズレー
(2013年/アメリカ)

子ども向けSF映画だろうとタカをくくっていたら、予想以上に出来がよいので驚いた。原作は1985年に出版されたベストセラーSF小説らしい。原作を先に読んでいたら、「原作の世界を表現しきれていない」「もっと深遠なストーリーなのに…」という感想になるのだろうが、まったく予備知識なく見ると充分楽しめる。

フォーミックと呼ばれる昆虫型エイリアンの襲来に備える近未来の地球。そこは全世界から優秀な能力を持つ子どもたちを選抜し、エイリアンと闘う戦士として組織的に養成する世界だ。
エンダー(エイサ・バターフィールド)は訓練学校ではいじめられっ子だったが、グラッフ大佐(ハリソン・フォード)にその才能を見出され、宇宙ステーション内の訓練基地へと送り込まれる。そこで徐々に頭角を現し、少年少女戦士のリーダーとして精鋭チームを率いるようになったエンダーは、やがてフォーミックとの戦闘の前線基地へ送り込まれていく……

ひとりの少年がリーダーとして人の心をつかむようになり、同時に戦術やチームの戦闘スキルを上げていく。その過程が地上の学校⇒宇宙ステーションの訓練基地⇒深宇宙の前線基地と場所を変え、メンバーを変え、周囲の大人たちの反応を変えて、テンポよく描かれていく。
エンダーが好戦的な性格ではなく、異生物との闘いに疑問を持ち続けていることが救いだ。エイリアン自体は相変わらず昆虫に似て醜悪な姿だが、そんな相手にも生き物として尊重しようとする姿勢がある。
「なぜ子どもが戦闘員に?」「政府はどんな形態になっている?」などの疑問は残るが、原作を読めば、このあたりの詳しい説明もきっとあるのだろう。

主役のエイサ・バターフィールドは『ヒューゴの不思議な発明』の子役。『ヒューゴ…』もそうだったが、本作も難しい役どころを達者にこなしている。さらにエンダーの姉役に、『わたしの中のあなた』のアビゲイル・ブレスリン。ほかにも達者な子役が山ほど出演しているが、大人の登場人物があまりにも少ないことに異和感を感じた。大人を描いてしまうと、主役の子どもたちが戦士として闘う悲惨さがクローズアップされてしまうからだろうか。名優ベン・キングズレーがさすがの存在感で、作品全体に重みを与えている。
(2014・07・27 宇都宮)

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「ゼロ・グラビティ」
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック
    ジョージ・クルーニー
(2013年/アメリカ)

地上600km。空気も重力もない宇宙空間。スペースシャトルの船外に出てハッブル宇宙望遠鏡の修理をおこなうミッションスペシャリスト・ライアン(サンドラ・ブロック)と熟練宇宙飛行士コワルスキー(ジョージ・クルーニー)に、緊急事態が起きた。ロシアが軍事衛星を爆破し、その破片がスペースシャトルや国際宇宙ステーションの軌道を通過するというのだ。猛烈なスピードで襲う破片は凶器となって同僚の宇宙飛行士やスペースシャトルを襲い、2人は帰るべき場所を失って宇宙を漂流。酸素の残量はみるみるゼロに近づいていく……

全編宇宙空間で繰り広げられる、生き残るためのドラマ。
空気もない無重力の空間で想定外の事態が起きたとき、いったいなにが起きるのか。もし宇宙服に穴があいたら? 抗えない力で吹き飛ばされたとき、どうやって安全な場所に戻る? 酸素残量がゼロに近づいたら、どうすればいい? 戻るべき場所も安全ではなかったら? 宇宙空間で人はどんなふうに死ぬのか?

こうした疑問に緻密なVFXで応えてくれたのが本作だ。
主人公の視点から描く宇宙空間は、物理法則に支配された世界。吹き飛ばされれば永久に宇宙をさまようし、生身で地球に落下すればあっという間に燃え尽きる。空気抵抗のない宇宙空間を爆発時の初速のまま飛んできた破片の威力はすさまじく、スペースシャトルにも大きな穴をあけ、船内にいた仲間は空気を失って死んでしまう。
人類誕生以来、人は重力のない世界を経験したことがないので、「無重力空間でモノがどんなふうに動くのか」が想像できない。その点、本作はモノの動きを見るだけでも興味深かった。アルフォンソ・キュアロン監督は相当シミュレーションを繰り返したうえで映像を作ったのだろう。

一方、人間ドラマとして興味深いのは、サンドラ・ブロック演じる主人公が、次から次へとやって来る危機を知恵と気力で乗り切っていくさま。あれだけ危機が続けば、どこかで心が折れてあきらめそうなものだが(そのほうがラクだから)、主人公は死の縁から立ち直ってくる。
ジョージ・クルーニー演じる宇宙飛行士が、あくまでも冷静で感情を抑え込む様子も「さもありなん」と思わせる。宇宙飛行士になるためのもっとも重要な条件は、「どんな緊急事態でもパニックを起こさない」ことだと昔、読んだことがある。死が目の前にあっても、つねに冷静で的確な判断ができること。宇宙でなにが起きるのか、人はまだまだ知らないことばかり。圧倒的に孤独な空間で、吹けば飛ぶような命を賭けて活動する。やはりスゴイ仕事だと思う。

最後に、この作品は映画館の大画面で3Dで鑑賞するのがオススメ。真っ暗な中、主人公の気持ちにシンクロすれば、自分のまわりの酸素もなくなっていく気分が味わえそうだから。
2014・05・13 宇都宮)

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「スター・トレック イントゥ:ダークネス」
監督 J・J・エイブラムス
出演 クリス・パイン
    ザカリー・クイント
    ゾーイ・ソルダナ
(2013年/アメリカ)

『スター・トレック』リブートシリーズの第2弾。
若くしてESSエンタープライズ号の船長となったジェイムズ・カーク(クリス・パイン)は、人類未接触の惑星の住民を救うため、ルールを犯して原住民に接触。船長職を解任されてしまう。その直後、宇宙艦隊のデータ基地が爆破され、対策を検討するための船長会議が何者かに襲撃を受ける。生き残ったカークは副官のスポック(ザカリー・クイント)らとともに容疑者ハリソン(ベネディクト・カンバーバッチ)を追って宇宙空間に出るが、ハリソンは宇宙艦隊が入ることができないクリンゴンの星域へと逃亡する……

前作でなつかしいエンタープライズ号のメンバー(若き日の)に再会でき、次作を楽しみにしていた。
CG技術の進歩なのか、前作以上に派手な映像とアクション、さらにストーリー展開の速さで一気に見せる。
オリジナルシリーズに登場したレギュラー陣にどこか面影が似通うエンタープライズのクルーもいいが、本作から登場した悪役のベネディクト・カンバーバッチが異色の存在感を見せている。シリーズものには悪役が欠かせないが、この悪役がカークの永遠のライバルになりそうな前振りもある。

聞くところによると、監督のJ・J・エイブラムスは『スターウォーズ』第7作を任されているそうな。名実ともにSF映画の第一人者か。今後の本シリーズにも期待大だ。
(2014・04・14 宇都宮)

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「キャプテン・フィリップス」
監督 ポール・グリーングラス
出演 トム・ハンクス
    マックス・マーティーニー
    バーカッド・アブディ
(2013年/アメリカ)

2009年、ソマリア沖でアメリカ船籍のコンテナ船が海賊に襲われた事件があった。このとき、海賊に拉致されながら九死に一生を得た船長の手記を映画化したのが本作だ。

マークス・アラバマ号はフィリップス船長と20人の乗組員で運航される巨大コンテナ船。ソマリア沖を航行中、小さな高速艇に乗ったわずか4人に襲われ、船を乗っ取られてしまう。フィリップスは部下の大半を機関室に隠れさせ、金で解決を図ろうとするが、海賊たちは身代金目当てで彼を拉致。事態を知ったアメリカ海軍は特殊部隊を派遣し、人質奪還作戦を敢行する。

フィリップスと部下たちが丸腰で武装した海賊と渡り合う知恵比べ。そして海軍特殊部隊が小さな救命艇からフィリップスを救い出そうとする戦闘シーンが見どころ。本物のコンテナ船を使ったシーンはCGにはないリアル感があり、これがインド洋で現実に起きていることなのだと実感する。緊迫感を持続させ、見る者をぐいぐい引き込んでいく演出は、さすが『ジェイソン・ボーン・シリーズ』の監督だ。

また、「20人の部下の命を救うため、自ら海賊の人質となり4日間を過ごした船長の物語」と聞くと、リーダーシップが前面に押し出される作品かと思いがちだが、フィリップスには鼻につくようなリーダーシップはない。ソマリア沖の海賊リスクを知ると抜き打ち訓練をおこない、乗組員全員を集めて意思を統一させ、いざ海賊襲撃の際はさまざまな知恵を絞る。部下たちも黙って隠れているわけではなく、船長を救うために行動を起こし、こうした洋上の船の上の駆け引き合戦が前半のクライマックスだ。
ところが、米海軍が介入する後半は雰囲気が一変する。圧倒的な軍事力を前に、漁師が食い詰めて海賊になっただけのソマリア人たちは無力だ。人質さえいなければ、一撃で吹き飛ぶ命はいかにも軽く、病巣はここにあると思わせる。その延長線上にあるラストシーンは、正直あと味が悪い。しかし、このあと味の悪さこそが現実であり、描かなければいけなかったことなのだろう。

全編ほぼ出ずっぱりのトム・ハンクスが、相変わらず上手くてお見事!
(2014・04・14 宇都宮)

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「レ・ミゼラブル」
監督 トム・フーパー
出演 ヒュー・ジャックマン
    ラッセル・クロウ
    アン・ハサウェイ
(2012年/アメリカ)

言わずと知れた名作ミュージカルの映画化。ヴィクトル・ユーゴーの原作を愛読した人にもうれしい作品だろう。
原作のストーリーがあまりにも有名なのでここでは控えるが、本作は全編歌曲で構成されており、歌以外のセリフはほぼなし。流れる歌曲は珠玉のナンバーばかり。『夢やぶれて』『オン・マイ・オウン』『民衆の歌』…もっとも有名なのは『夢やぶれて』だが、革命をめざす若者たちが歌う『民衆の歌』が随所に効果的に配置されていて、演出の腕にも脱帽だ。
さらに登場する役者の歌の上手さに舌を巻く。ヒュー・ジャックマンやアマンダ・セイフライドが上手いのは知っていたが、アン・ハサウェイやラッセル・クロウがあんなに歌えるなんて! とくにアン・ハサウェイの『夢やぶれて』は、貧乏のどん底で懸命に娘を育てていた女性が力尽きて倒れるシーンで歌われ、嫌が応にも胸を打つ。「私の人生、こんなはずではなかった…」という内容の歌詞も、感情移入できる人が多いのではないだろうか。

物語はジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)の苦難に満ちた人生を核に進み、彼を執念で追い続けるジャベール警部(ラッセル・クロウ)が随所で重要な役回りを果たす。次々に過酷な目に遭いながら、人間の善の部分を信じ続けたバルジャンに感動するのが王道の楽しみ方だが、ジャベールという人間も興味深い。あれほどの執念を持ち続けられる原動力とはなんなのか? 子どもの頃に原作を読んだときは、ただのイヤな男と思ったが、この年齢になると彼の原点を知りたくなる。
後半の「第二世代」とも呼べる若者たちもよく描かれている。成長したコゼット(アマンダ・セイフライド)、彼女と愛し合うマリウス(エディ・レッドメイン)、マリウスへの想いをあきらめるエポニーヌ(サマンサ・バークス)、そして革命に燃える若者たち。いずれも熱演だったが、エポニーヌに心を惹かれた人が多いのでは? 人生は思いどおりにいかないことばかり。とくに人は親と生まれる家を選べない。邪悪な両親のもとに心が清らかな子どもが育つという設定は、現実にあり得るのかどうかよくわからないが、人を感動させる。

ミュージカルが苦手な人もこの作品はオススメ。歌を聞くだけでも価値ありだ。
(2014・02・03 宇都宮)

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「第九軍団のワシ」
監督 ケヴィン・マクドナルド
出演 チャニング・テイタム
    ジェイミー・ベル
    ドナルド・サザーランド
(2010年/イギリス・アメリカ)

ローマ帝国最盛期。2世紀のグレート・ブリテン島で、ローマ軍最強の第九軍団の兵士5000人が忽然と姿を消した。20年後、第九軍団の軍団長の息子マーカス(チャニング・テイタム)は父と同じ軍団に志願し、蛮族と闘うが、戦士として致命的な傷を負う。療養後、ローマ軍の名誉のしるしである黄金のワシの像が北の果てにあると知った彼は、奴隷戦士エスカ(ジェイミー・ベル)とともにワシを取り戻す旅に出る。

中学生の頃、ローズマリー・サトクリフの歴史小説『第九軍団のワシ』を夢中になって読んだ。ローマ帝政下で“この世の果て”と呼ばれた辺境の物語。その「さいはて感」とも呼ぶべき独特の雰囲気に酔いしれ、父親の名誉を回復するための命がけの冒険に胸躍らせたものだった。だから映画化されたと知ったときは「絶対見る!」と思ったし、想像するしかなかったシーンが映像化されているのを見るだけで、ある意味満足だったりする。

こんなふうに原作に思い入れがあると、映画の出来不出来があまり気にならなくなってくる。この作品も傑作ではないかもしれないが、丁寧に作られた良作という印象。スコットランドの原野の映像がどこも美しい。その原野に、蛮族も現地民に同化したローマ軍の残党もともに生きているのだと思うと、なんともいえない切なさが胸に迫る。
塩野七生さんも書いておられたが、ローマ人のメンタリティは意外に日本人に近い。父の名誉を回復したい主人公の行動は論理的ではないが、すんなり私たちの胸に入ってくる。そして奴隷戦士との友情の物語も。

『リトル・ダンサー』の主役の男の子を演じたジェイミー・ベルが奴隷戦士役で好演。子役が順調に成長するのは世界中どこでも難しいと思うが、いい役者さんになったものだ。
(2013・05・05 宇都宮)

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「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
監督 フィリダ・ロイド
出演 メリル・ストリープ
    ジム・ブロードベント
    オリヴィア・コールマン
(2011年/イギリス)

1980年代の病めるイギリス社会を鉄の意思で立て直した政治家マーガレット・サッチャーの伝記映画。
地方の市会議員の娘として生まれ、政治家を志すようになったサッチャー。「政治は男がするもの」という女性差別の壁と闘いながら徐々に政党内での発言力を強め、ついにイギリス初の女性首相に。国内の労働政策にもフォークランド紛争にも毅然と立ち向かい、「鉄の女」の異名を取る。

つい先日、イギリスの元首相マーガレット・サッチャー死去のニュースが世界を駆け巡った。その3日後に本作を観たのだが、メリル・ストリープの演技がスゴ過ぎて、ストーリーよりそちらに目を奪われてしまった。ニュース映像で繰り返し流れたサッチャー元首相の演説は、独特のイントネーションと声の張りだが、それを見事に再現していたし、晩年の認知症を患ったときの演技も絶品! なにかを思い出そうと懸命に脳の中を探り、答えが見つからないまま不安そうに宙を見つめるあの表情! 歩く動作も、幻視の中の亡き夫との会話も、どれもみな「お見事」としかいいようがない。アカデミー賞主演女優賞も当然といったところか。

80年代に女性で国のトップを張るというのは、並大抵のことではない。人にどう思われようが、自分がいいと思ったことを貫き通す強さは、ぜひ見習いたいもの。女性は男性よりも他人の目を気にするし、嫌われたときに傷つきやすい。そのせいなのかどうか、サッチャーには女性の友人がひとりもいなかったという。
しかし、何事も貫けば周囲は認めるようになるし、嫉妬や怨嗟の声も時間の経過とともに過去のものになる。彼女には最高の理解者である夫がいた。夫であり、いちばんの親友である存在に先立たれたときの悲しみは筆舌に尽くしがたいだろうが、認知症になってからは妄想の中でいつも夫と一緒だった。そう思えば、認知症も悪くないかもしれない。
(2013・04・26 宇都宮)

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「アルゴ」
監督 ベン・アフレック
出演 ベン・アフレック
    ブライアン・クランストン
    アラン・アーキン
(2012年/アメリカ)

1979年にイランで起きたアメリカ大使館員人質事件。52名の人質が長期間拘束されたが、ほかに6名の大使館員がカナダ大使館に逃げ込み、息を潜めてアメリカ政府の救出を待っていた。イラン革命と反米の嵐が吹き荒れる国から、どうやって彼らを救出するのか。CIAエージェントが考えた救出作戦は、架空の映画製作をぶち上げ、大使館員をイランへのロケハン隊と欺くものだった。

荒唐無稽な話に見えるが、ストーリーは事件から18年後に公開された機密情報に基づいている。つまり実話。
派手なアクションやカーチェイスはない。いかに穏便に、周囲の目や秘密警察や軍の出入国チェックを欺いて、6人を脱出させるか。それだけに心を砕いて緻密な計画を立て、勇気を振り絞って実行する。
しかし、大使館員として入国した人物をどうやって映画のロケハンメンバーとして出国させるのか。偽パスポートや扮装は当たり前として、イランの出入国管理をどうやって破るのかが不思議だったが、そこはかなり運任せの度胸勝負だった。「このまま殺されるのを待つよりマシ」と思うぐらい追い詰められないと、できない芸当だ。
さらに、CIA本部とアメリカ政府の方針の二転三転もあり、観る者をハラハラさせる。ひとつひとつは小さな行動なのだが、どこかに綻びがあれば、6人の大使館員+1人のCIAエージェントの命は助からない。崖っぷちをおそるおそる歩くような緊張感が、この作品の醍醐味かもしれない。

2013年度のアカデミー作品賞、脚色賞受賞もナットク。ベン・アフレックは監督としての手腕もいいが、抑えた演技も渋くてよかった。ぜひ人にお勧めしたい作品だ。
それにしても、イラン政府の反論も山ほどあるだろうから聞いてみたい。個人的には、カナダ大使館で家政婦をしていた女性のその後が気になる。
(2013・04・25 宇都宮)

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「J・エドガー」
監督 クリント・イーストウッド
出演 レオナルド・ディカプリオ
    ナオミ・ワッツ
    アーミー・ハマー
(2011年/アメリカ)

FBIを創設し、半世紀に渡り長官として君臨したジョン・エドガー・フーバーの人生を描いた伝記映画。
レオナルド・ディカプリオが20代から70代までを演じたことでも話題になった。

J・エドガー(レオナルド・ディカプリオ)は科学的捜査の必要性に早くから着目し、従来の警察とは異なる特殊な捜査をおこなう機関が必要だと訴え続け、FBIを創設する。以来、FBIは徐々に権限を強め、リンドバーグ長男誘拐事件やキューバ危機など、アメリカ現代史に残る事件に挑んでいく。
一方、彼の私生活は孤独だった。名門の家に生まれ、母(ジュディ・デンチ)に溺愛されて育った強度のマザコン。女性を誘うときも理詰めで、ムードもなにもない。側近として重用したクライド(アーミー・ハマー)との関係も、風変わりなものだった…

「科学的捜査を最初に導入した人」と考えれば、彼は偉人だ。誰も考えないことをまっ先に提唱し、関係各所に訴えかけて、それを実現する行動力・構想力・交渉力。しかも、半世紀近くに渡って長官に君臨したということは、時代の変化に対応できる柔軟性、周囲に目はしが効く立ち廻りのうまさ、そして権力への飽くなき執着(まず、これがないとはじまらない)があるということ。たいした人物なのだが、私生活と公的立場の落差もすごい。家に帰ればママに甘え、恋人も友人もいない。飲んでバカ騒ぎすることもなければ、女性に溺れることもない。
ただ、彼の人を見る目は確かだった。何十年も彼を支え続けた秘書と側近は、彼自ら登用した人たち。いくらやり手でいい給料をくれるからといって、何十年もひとりの人物に仕える(仕えるという言葉がぴったりな労働だ)のは並大抵のことではない。それだけで、J・エドガーは魅力的な人物だったのだろうと推測できる。仕事以外に必ず毎日ランチかディナーをともにしたクライドとの同性愛も取りざたされているが、人々にとってそう考えるのがいちばん納得しやすいから生まれた説だろう。実際にどうだったのかは本人のみぞ知ること。本人の自由だ。

監督のクリント・イーストウッドは当初、別の俳優を考えていたらしいが、レオナルド・ディカプリオ自身の熱心な売り込みで彼を主役に採用したという。童顔なので老人の特殊メークはやや不自然だったが、よく演じている。ディカプリオの映画にハズレがないといつも思うが、少々働き過ぎでは? 休養説が流れたのも納得だ。
(2013・04・25 宇都宮)

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「ボーン・レガシー」
監督 トニー・ギルロイ
出演 ジェレミー・レナー
    レイチェル・ワイズ
    エドワード・ノートン
(2012年/アメリカ)

マット・デイモン主演のジェイソン・ボーン・シリーズが好きだったので、この続編が作られたと知ったときは正直うれしかった。しかも、ストーリーやキャストは前シリーズをそのまま踏襲し、『ボーン・アルティメイタム』と同時進行でストーリーが進むという。しかも、監督のトニー・ギルロイは過去のボーン・シリーズ3作の脚本を担当した人物…となると見ないわけにいかない。
今シリーズの主人公はアーロン(ジェレミー・レナー)。ボーンを養成したレッドストーン計画とは別に、CIAが進めていたアウトカム計画によって生み出された超人的な身体能力を持つ暗殺者だ。極寒のアラスカで単独訓練中の彼に、理由がわからないまま命の危険が次々に迫る。計画の露見を恐れたCIA上層部が証拠隠滅を図ったのだが、薬の服用を義務付けられていたアーロンは、危険を冒してCIAの息がかかった製薬企業に侵入。そこで、計画の全容を知らないまま暗殺者の身体管理を担当していたマルタ(レイチェル・ワイズ)に出会う……

超人的なスパイ能力を持つ主人公が、なぜか組織に追われる立場になる。原因を究明する過程で美女と道連れになり、ともに逃亡するうちに互いに信頼が芽生え……という、黄金パターンは同じ。前シリーズのヒロインは、たしか失業中の一般女性だったが、今回は最先端の創薬を研究するドクター(それがレイチェル・ワイズのような美女ときている)。事件に絡むスペシャリストがヒロインという点で、よりハリウッド色が濃い感がある。さらに、アーロンの超人的な才能の原因が、薬物投入によるサイボーグ化によるものだというあたりから、お話が少々『ターミネーター』ぽくなる。
評価は分かれるだろうが、前シリーズの空気感はそのまま保っており、息もつかせぬ展開で一気に見せる面白さは健在。続編ができたら、またチェックしそうだ。
(2013・03・21 宇都宮)

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「ル・アーブルの靴磨き」
監督 アキ・カウリスマキ
出演 アンドレ・ウィルム
    カティ・オウティネン
    ジャン=ピエール・ダルッサン
(2011年/フィランランド・フランス・ドイツ)

ル・アーブル駅で靴磨きを続けるマルセル(アンドレ・ウィルム)は、妻のアルレッティ(カティ・オウティネン)とふたりで、貧しいながらも堅実に暮らしている。あるとき、アフリカから密航してきた少年に出会い、わが家にかくまう。彼がロンドンに住む母のもとへ行きたがっていることを知り、どうにかして送り届けようと考えるが……
アキ・カウリスマキ監督の作品を初めて見たが、あまりにも日本的なので驚いた。抑えた感情表現。カメラ目線のワンカットで訥々と語られるセリフ。説明的なセリフはなく、「黙して行動」で進むストーリー。小津作品を意識しているのか?
しかも貧しい市井の人々が、おしつけがましくなく人情を寄せ合い、アフリカ難民の少年を母親のもとへ送りだそうとする。ネタバレになるが、ラストシーンの奇跡もあり得ない奇跡なのだが、主人公が徹底して感情表現を抑えて受け入れるので、当たり前のことのように見えてくる。というか、途中で主人公が高倉健に見えてきたのは私だけか?(笑)
移民政策についてフランスの市井の人々がどう感じているのか、日本にいると知る由もないが、本作の登場人物のような人々がぜひ存在していてほしい。30年前、ル・アーブルに日帰りで行ったことがあるが、典型的な港町でフランスらしいエスプリあふれる風景は見当たらなかった。潤いのない街並みを見ていると、ふと日本の寂れた港町やシャッター商店街を思い出した。そこにも人情だけは息づいていると信じたい。
(2013・03・21 宇都宮)

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「アーティスト」
監督 ミシェル・アザナビシウス
出演 ジャン・デュジャルダン
    ベレニス・ベジョ
    ジョン・グッドマン
(2011年/フランス)

全編をモノクロのサイレント映画で描き、アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞を受賞した作品。
1927年のハリウッド。サイレント映画でトップスターに君臨した映画スター、ジョージ・バレンタイン(ジャン・デュジャルダン)が、トーキーの登場とともに「古い」と映画会社に切り捨てられる。代わりにスターダムに上ったのは、彼によってチャンスを与えられた女優ペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)。ぺピーは没落したジョージに何度も近づこうとするのだが、そのたびに彼に拒否され……

チャップリン作品などサイレント映画は割と観てきたほうだが、今見ると実に斬新! 役者の大ぶりな演技。ファッション、メイク、ヘアスタイル。いかにもクラシカルなBGM。頻繁なセリフ交換ができないのでストーリーはごくシンプル。シチュエーションで状況を見せることが徹底されている。

  それにしても、シンプルなストーリーなのに泣ける。人の心の温かさ。セリフが少なくても、表現方法が変わっても、人が感動するポイントは変わらないのだと再確認した。落ちぶれたときに横にいてくれる人が本当の友だというが、まさにその王道をいく内容。自分が引き上げた相手が自分より上の立場になり、手を差し伸べてくれることにプライドが耐えられないという気持ちもわかる。わかるのだが、人気なんて所詮水もの。片方が落ちたときはもう片方が助けることを繰り返す、ぐらいに考えれば、自分の気持ちに折り合いをつけられると思うのだが。
(2013・01・16 宇都宮)

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「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 トム・ハンクス
    サンドラ・ブロック
    トーマス・ホーン
(2011年/アメリカ)

オスカー(トーマス・ホーン)は頭脳明晰だがコミュニケーションに問題がある11歳の少年。彼の将来を案じてか、父(トム・ハンクス)は彼にいろいろなゲームをもちかけ、楽しみながら人とコミュニケーションすることの大切さを教えていた。ところが、2001年9月11日、父はワールド・トレード・センターで商談中に同時多発テロに巻き込まれてしまった。父の死後、オスカーと母(サンドラ・ブロック)は絶望の中で過ごす日が続いたが、ある日クローゼットの中で1本の鍵を見つけ、父の最後のメッセージだと確信。鍵の秘密を求めて、ニューヨーク中を訪ね歩きはじめる……

9.11の世界同時多発テロを描いた映画はいろいろあるが、遺族の、それも子どもの視点から描いた点が興味深い。突然家族を失った者にとって、最後のメッセージを限りなく大切なもの。とくに主人公のオスカーは最後のメッセージを一度受け取り損ねた心の傷を負っている。子どもとは思えない計画性で探求を続けるが、もちろんそう簡単に答えは見つからない。
最後に見つかった答えは「あ、そういう外し方をしてきたか」という意外な展開。しかし、人生なんてそんなもの。「これが目標だ」と信じて何年、いや何十年とやってきたことで答えを得られず、副次的に生じた答えが正解だったりするものだ。

父親役にトム・ハンクス、母親役にサンドラ・ブロック、謎の老人役にマックス・フォン・シドーと芸達者を揃えたが、なんといっても圧巻だったのはオスカーを演じたトーマス・ホーンの演技! アスペルガー症候群をもつ少年という難役を見事にこなし、ただただ感服した。彼を取り巻くアメリカの市井の人々も温かい。日本人なら「子どもだから」という理由でそれなりに接するが、彼の人格を認めたうえでの1対1の対応に文化の違いを感じる。
(2013・01・16 宇都宮)

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「プロメテウス」
監督 リドリー・スコット
出演 ノオミ・ラパス
    マイケル・ファスベンダー
    シャーリーズ・セロン
(2012年/アメリカ)

「人類はどこから来たのか?」――SF映画やSF小説はこの問いかけが好きだ。
あのリドリー・スコットが人類の起源をテーマにSF大作を制作したというので楽しみに観に出かけたが、ある意味期待どおりで、ある意味期待外れだった。

世界各地の古代遺跡に残る絵画から、人類の起源となる惑星を特定した考古学者のエリザベス(ノオミ・ラパス)は、2093年、調査宇宙船プロメテウスで目的の惑星に降り立つ。荒涼とした惑星に残っていたのは、巨大な遺跡。内部には知的生命体の痕跡が多数残り、エリザベスや研究スタッフたちは色めきたつが、そこは未知の危険な生命体が潜む場所でもあった……

宇宙船や古代遺跡のデザイン、ディテール、それらを処理するCGは本当に素晴らしい。とくに冒頭の宇宙船の旅の様子は『2001年宇宙の旅』のよう。ストーリーはほぼ全編、宇宙船と遺跡の中で展開するが、このあたりのディテールの造り込みはさすがだ。
しかし、「人類の起源」への答えはやや肩透かし。造物主(と、あえて呼ぼう)がなぜ人類を創り、そして滅ぼそうとするのか、理由がはっきりしない。造物主が滅んだ理由も本当に「例の怪物」だけなのか? 「あれほどの科学力を持つ知的生物が?」と思ってしまう。
人間ドラマの面では、主人公の女性考古学者のタフネスぶりが、『エイリアン』シリーズのリプリー顔負け。研究者としての夢がかなう瞬間から地獄の底へ突き落とされるシーンには胸が痛むし、極限にあってなお探求をやめないラストシーンに新鮮な驚きがある。ただし、ストーリーの鍵を握るアンドロイドの行動に、釈然としない部分が残るが。

私はなんの予備知識も持たずに観たのだが、観賞後にネットで調べたところ、この作品は『エイリアン』の番外編という位置づけらしい。観賞中も「これは『エイリアン』だな」と思わせるシーンがてんこ盛り。『2001年宇宙の旅』も、『エイリアン』も、のちのちのSF映画に残した影響が強烈過ぎて、二番煎じのSF映画を大量生産してきたが、30年以上前の自身の作品をリドリー・スコット自身も超えられないことを改めて痛感させられた。
(2012・08・29 宇都宮)

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「バーレスク」
監督 スティーブ・アンティン
出演 クリスティーナ・アギレラ
    シェール
    エリック・デイン
(2010年/アメリカ)

バーレスクとは、女性のセクシーな歌や踊りを見せるショーのこと。本作はロサンジェルスのバーレスク・クラブを舞台に、歌手として成功したい女性が夢への階段を上っていくサクセス・ストーリーだ。

歌手を夢見てロサンジェルスにやってきたアリ(クリスティーナ・アギレラ)は、偶然出会ったバーレスク・クラブのショーに魅せられる。ショーを仕切るのは往年の名ダンサーであるテス(シェール)。テスに必死の売り込みをかけるアリだが、まともに取り合ってもらえず、ウエイトレスからスタートすることに。やがて、ダンサーのひとりが遅刻してステージに穴を開け、急きょアリがステージに立つ。BGMを切られる妨害にあいながらも、アリは卓越した歌唱力で人々の心を奪う。

ショービズ界のサクセス・ストーリーを描いた映画といえば、『ショーガール』『ドリームガールズ』などが思い浮かぶ。下積みから成り上がっていくストーリーが定番で、野心、嫉妬、恋愛、努力、友情などのエピソードが描かれる。最初は周囲に認めてもらえなかった主人公が、あるときチャンスを掴み、そのチャンスを生かして実力を認めさせるパターンも同じ。
主人公のアリは純粋でフェアな人柄に描かれているが、実際にショービズ界で成功しようと思えば、ただ単に歌やダンスが上手いだけでは絶対に売れない。そんな人は他にいっぱいいるのだから。売れるためにあらゆる手練手管を使うわけで、成功とひきかえに失うものも多いだろう。

この手の映画はストーリーがありきたりなので、ショーのシーンを存分に楽しもう。歌やダンスシーンの素晴らしさは、やはりハリウッド映画。おまけにクリスティーナ・アギレラの歌唱力がスゴイので、それだけでも一見の価値あり、だ。
(2012・08・25 宇都宮)

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「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」
監督 ブラッド・バード
出演 トム・クルーズ
    ジェレミー・レナー
    サイモン・ペッグ
(2011年/アメリカ)

トム・クルーズの、トム・クルーズによる、トム・クルーズのための映画シリーズが帰って来た。本作で第4弾となるが、49歳とは思えぬトムのアクションにひたすら脱帽だ。
クレムリンで爆破事件が起き、イーサン・ハント(トム・クルーズ)らに嫌疑がかかる。アメリカは彼らを所属する極秘スパイ組織IMFから抹消。イーサンたちは組織のバックアップなしで独自に真犯人を追うことになり……

モスクワ→ドバイ→ムンバイと、相変わらず世界をまたにかけたスパイ合戦。随所にスパイ映画らしい小道具が登場し、メカ好きには楽しいシーンの連続だ。世界一の高さを誇るドバイのブルジュ・タワーでのスタントなしのトムのアクションが大きな話題になったが、確かにいちばんの見どころ。高い場所が苦手な人は、画面を見ているだけで震えるのではないだろうか。

  よく言われることだが、トム・クルーズという人は1本の映画を撮影するために時間をかけて体づくりをし、あり得ないアクションを自らこなす。撮影にも納得できるまで時間をかけ、人間関係を大切にし、見習いスタッフを含めて誰にでも優しく接するという。まさにプロ中のプロ。長くハリウッドで第一線を張れる理由の一端がわかろうというものだ。
ただ、トムの頑張りは伝わってくるのだが、このシリーズにマンネリを感じるのは私だけだろうか。本当に見たいのはアクションやスパイ小道具でなく、人と人の知恵を絞ったやりとりだ。その証拠に、私がいちばん面白く感じたのは、トムと仲間たちが殺し屋や殺人クライアントになりすましての騙し合いのシーンだった。内心の恐怖心を押し隠し、相手の顔色を読み、駆け引きをする……おそらく、日本人がいちばん苦手な部分なのだろうが、だからこそ印象に残った。
(2012・06・18 宇都宮)

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「127時間」
監督 ダニー・ボイル
出演 ジェームズ・フランコ
    アンバー・タンブリン
    ケイト・マーラ
(2010年/アメリカ・イギリス)

アメリカ・ユタ州の砂漠に位置する広大なブルー・ジョン・マウンテン。週末のロッククライミングを楽しんでいた若者が岩の裂け目に転落し、落石に右手を挟まれ、動けなくなる。助けを呼ぶ方法もなく、徐々に飲み水も尽きていく。命の危険に晒され続けた彼が、最後に選んだ手段とは……?

監督は『スラムドッグ$ミリオネア』のダニー・ボイル。のっけからスタイリッシュな映像と音楽、斬新な編集で、ひと味違ったサバイバルムービーであることを教えてくれる。
主演のジェームズ・フランコはほぼ一人芝居で究極の状況を演じ、アカデミー賞ノミネートも納得の演技だ(最終的にアカデミー主演男優賞は『英国王のスピーチ』のコリン・ファースに持っていかれたが)。若さと体力と登山スキルを謳歌する若者が陥る一瞬の事故。死の淵で彼が追い求めたのは、これまで軽視していた周囲の人々や社会とのつながりだった。なんでも自分の力でできるから、他人を必要としなかったが、人間最後の最後に望むのは人とのふれあいなのか。

実話をベースにしているためか、自然描写や刻々と衰弱していく心身の様子はリアルで、事故前の自分勝手さも事故後の大人になった姿も、ジェームズ・フランコは見事に演じている。
ただ、主人公がこれまでの人生を振り返り、繰り返し見る幻視はいかにも浅い。思い出すのは、普段振り返らなかった両親のことや、心を開くことができずに別れた恋人のこと、深くつきあおうとしなかった職場の同僚のこと。……なのだが、正直なところ、「この程度の後悔?」と思ってしまった。28年しか生きていないから、後悔も心残りもまだまだ少ないのか。
これが中高年になればどうか。ひとりの人間が秘める後悔や失敗の多さに、観る者も押しつぶされるかもしれない。考えてみれば、ダニー・ボイルが描く主人公は若者ばかりだ。『トレイン・スポッティング』しかり、『ザ・ビーチ』しかり、『スラムドッグ$ミリオネア』しかり。ぜひ一度、中高年を描いてもらいたいものだ。
(2012・06・21 宇都宮)

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「ハリー・ポッターと死の秘宝」
監督 デビッド・イェーツ
出演 ダニエル・ラドクリフ
    ルパート・グリント
    エマ・ワトソン
(2011年/アメリカ)

ハリー・ポッターシリーズがついに完結した。最終作の「死の秘宝」はPART1・2あわせて276分の長丁場。DVDで一気に観たが、まったく退屈することがなかった。2001年の第1作から10年続くシリーズの総決算にふさわしい内容だ。

7作目ともなると、もう前置きは必要ない。いきなり戦闘シーンから入り、なんとか逃げのびたハリーはロン、ハーマイオニーとともにヴォルデモート卿を倒すための分霊箱を探す旅に出る。とはいえ、今や魔法省もホグワーツ魔法学校も敵の手に落ちており、ヴォルデモート派は血眼でハリーを追っている。しかし、ハリーたちは追手を払いのけつつ分霊箱の場所を探り、ひとつひとつ破壊していくのだが……

映画が7作も続くと、おなじみのキャラクターが毎回登場する。しかし、最終決戦の場とあって、おなじみの人たちが次々に命を落としていくのがやるせない。とくに本シリーズでは、主人公3人も含めた子役の成長を現実でも物語でも同時進行で見ているので、観る者は登場人物に感情移入している度合いが強いのではないだろうか。
そんな観る者の想いはさておいて、ストーリーはどんどん進行する。「分霊箱探し」というミステリーな課題に、「3つの死の秘宝」という伝説が絡み、観る者を退屈させないのは原作の力か。この映画シリーズのいちばんいいところは、なにより原作に忠実だったこと。そして、同じキャストを10年間継続させたことだ。「現実の子役が物語に比べて成長し過ぎた」と第3作あたりでキャスト交代の噂があったが、デマで終わってよかった。他にもハリポタシリーズではネットで誤報をよく見かけたが、これも世界的な人気シリーズゆえか。

原作を読んだとき、私はラストシーンでほろりと泣けたが、映画もそうだった。長い時間をかけて関わったものには、思いもかけない感情が生まれることがある。ハリポタシリーズの出演者・スタッフも、世界中の視聴者・愛読者も、きっとそうだったのではないだろうか。
(2012・06・14 宇都宮)

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「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」
監督 ルパート・ワイアット
出演 ジェームズ・フランコ
    フリーダ・ピント
    ジョン・リスゴー
(2011年/アメリカ)

子どもの頃、『猿の惑星』の特殊メイクを見て驚嘆した記憶がある。ラストシーンもそれまでになかった斬新さで、その後のSF映画に大きな影響を与えた。本作はその名作の前日譚。なぜ猿があれほど知能を持つようになったのか。なぜ人類の数が極端に減り、知能でも猿に劣るようになったのかを説明する。

現代のサンフランシスコ。製薬会社ジェネシスで開発中のアルツハイマー薬をあるチンパンジーに投与したところ、素晴らしく知能が向上することが判明した。だが、そのチンパンジーは凶暴化して射殺され、おなかにいた赤ちゃんが秘かに研究者のウィル(ジェームズ・フランコ)に引きとられることに。シーザーと名付けられたチンパンジーは誕生直後から人間を上回る高い知能を持ち、ウィルとアルツハイマー病を患うその父親(ジョン・リスゴー)の手で、我が子同様に育てられる。ところがある日、隣人が父親を手荒に扱うのを見たシーザーは激昂。隣人に暴力をふるい、類人猿保護施設に収容されてしまう。そこでシーザーは知性を持たない他の猿を目にし、猿がこの地球上でどう生きていくべきか考えはじめた……

ストーリーの主人公は間違いなくシーザー。彼は自分が何者かを知り、人類と猿の社会の未来を考え、仲間を統制し、人間に反旗を翻すわけだが、言葉を話せない設定のため表情やからだを使っての演技になる。シーザーはもちろんCGだが、その演技のもととなる動きを演じたのは、あのアンディ・サーキス。『ロード・オブ・ザ・リング』でゴラムを演じた役者さんだ。
生身の役者さんなしではCGキャラクターに血が通わず、演技も浅くなることは明らかなのだが、その一方でシーザーが人間に近過ぎるようにも感じる。チンパンジーにはチンパンジーならではの表情や顔の筋肉の動きがあるはずだと思うのだが。このあたりは、『猿の惑星』のオリジナルシリーズに登場した猿たちが、ジェスチャーといい行動パターンといい、アメリカ人そっくりだったことと大同小異なのだが。

ところで、本作は猿が知能を持った経緯を丁寧に描いているが、人間が衰えていった経緯は端緒しか描いていない。ぜひ続きが観たいものだ。
(2012・06・14 宇都宮)

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「ドラゴン・タトゥーの女」
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ダニエル・クレイグ
    ルーニー・マーラ
    クリストファー・プラマー
(2011年/アメリカ)

タイトルロールからはじまるスタイリッシュな映像と音楽。「これは面白そうだ」という期待感を抱かせるオープニング。不勉強にして知らなかったが、原作はスウェーデンの作家スティーグ・ラーソンのベストセラー小説らしい。
雑誌編集者のミカエル(ダニエル・クレイグ)は財界の汚職事件を紙面で告発したものの、裁判で敗訴。失意のどん底にいた彼に、スウェーデンを代表する大企業の経営者一族の老人ヘンリク(クリストファー・プラマー)から声がかかる。40年前に失踪した彼の姪ハリエットを誰が殺したのか、調査してほしいというのだ。16歳のハリエットを殺したのは一族の中の誰か。自分の命があるうちに真相を突き止めたいというヘンリクの要請を受け、ミカエルは一族の屋敷が集まる島に滞在し、調査を開始する。ほどなく調査に行き詰った彼の前に、凄腕のハッカー・リスベット(ルーニー・マーラ)が現れ……
観る者をどんどん惹きこんでいく一級品のサスペンスだ。「大富豪一族の中で起きた謎の失踪事件」という設定自体はアガサ・クリスティや横溝正史を思い出させ、目新しさがないのだが、ミカエルの相棒となるリスベットのキャラクターの立ち方がスゴイ。背中に大きく描かれたドラゴン・タトゥーと顔面ピアス。保護観察中で、その私生活は謎だが、頭のよさと身体能力が半端じゃない。優秀な記者として鳴らしたミカエルの上をいくのが、どう見ても社会不適合者の女の子。その設定が、胸がすくほど面白い。本作の成功も、リスベットを演じたルーニー・マーラによるところが大きいのではないか。
デビッド・フィンチャーの演出もスピーディな展開、カメラワークの面白さが光る。残酷なシーンも結構あるが、リスベットの女心も垣間見えて、胸キュンなシーンもある。原作は3部作。映画も第2作がぜひ見たいものだ。
(2012・04・10 宇都宮)

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「ソーシャル・ネットワーク」
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ジェシー・アイゼンバーグ
    アンドリュー・ガーフィールド
    ジャスティン・ティンバーレイク
(2010年/アメリカ)

今や世界最大のSNSとなった「Facebook」の創設者マーク・ザッカーバーグが、「Facebook」の着想を得てから億万長者になるまでを描いた作品。単純なサクセスストーリーではなく、コミュニケーションに悩む若者が必死で現状を打破しようとする姿が胸を打つ。
ハーバード大学に通う19歳のマーク(ジェシー・アイゼンバーグ)は、ガールフレンドにフラれたのをきっかけに、学内の交遊サイトをつくろうと思い立つ。そして、親友のエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)とともにつくったサイトはあっという間にハーバード中に知れ渡り、登録者が殺到。学外へ規模を広げることに。そこに目をつけたのが、ファイル共有サイト「ナップスター」の創設者ショーン・パーカー(ジャスティン・ティンバーレイク)だった……
「Facebook」のアイディアは、もとを正せばコミュニケーション下手でモテない男子学生がガールフレンド欲しさにつくった学内サイトだった――このオープニングは痛快だ。女の子との会話は下手だが、プログラミングは天才的。あっという間にサイトを立ち上げ、一躍時の人となるが、女性を露骨に品定めする手法がますます女性に嫌われることに。女性の目から見れば当たり前だが、コミュニケーション下手の若者はそんなことにすら気づかない。
誰にも理解されないマークを支え続けた親友のエドゥアルドも、ショーン・パーカーの登場で微妙な立場になり、そこからマークの孤独がますます深まる。友だちが欲しくてつくったサイトなのに、周囲に人が増えても友だちはできない。世界最年少の億万長者? そんなものになりたかったわけではないのに……
ストーリーは「Facebook」の誕生から爆発的成長の様子を、マークが絡む訴訟や学内審議会のシーンとカットバックしながら進行する。マークをはじめ登場人物の多くがマシンガントーク。とにかくセリフが多いし、ストーリー展開が速いので、観る前に心がまえしておいた方がいい。ネットの知識がなくても、テーマ自体は古典的なので理解できる。しかし、ネットに苦手意識がある人は、やや消化不良気味になるかもしれない。
(2011・02・03 宇都宮)

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「ハートロッカー」
監督 キャスリン・ビグロー
出演 ジェレミー・レナー
    アンソニー・マッキー
    ブライアン・ゲラティ
(2010年/アメリカ)

2010年度アカデミー賞でジェームズ・キャメロンの『アバター』を退け、作品賞・監督賞など主要各賞を受賞した作品。イラク戦争の米軍爆発物処理班の活動をドキュメンタリータッチで描いた。
2004年、バグダッド近郊で爆発物処理を続けるブラボー中隊に、新しくウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)が赴任してくる。一瞬の判断が死に至る現場で、彼は防備もつけずに爆弾に向かい、爆発物を処理していく。中隊の他のメンバーは彼に振り回されることに命の危険を感じるが……

この作品がアカデミー賞を獲得したことに、アメリカの現状が見える。
全米での評価は高いらしい。ハンディカメラを使ったドキュメンタリータッチの映像、乾いた空気感が伝わってくるヨルダンでのロケ、淡々と進むストーリー……。真摯に創作した作品なのだろう。
それにしても、なぜ多くのアメリカ人がこの映画に衝撃を受けたのか? 彼らは爆発物処理班がいちばん危険だと知らないのだろうか? 
主人公のように戦場での極限状態に陶酔し、帰国してもまた戦場に出かけてしまう人がいることは、以前から知られている。だからどうした、と思う。戦場になっているのはよその国であって、彼らの故郷ではないし、殺されているのはよその国の人々であって、彼らの家族ではない。
爆発物処理班よりもっと悲惨なのは、名もなきイラクの人々だ。アメリカの干渉など、誰も望んでいない。アメリカは勝手に人の国に侵攻し、爆発物で歓迎される羽目になり、自国の若者を死なせているだけ。世界中の人々がわかっているのに、アメリカ人だけがわかってない。そのギャップに、世界中が歯噛みしている。
(2011・02・03 宇都宮)

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「インセプション」
監督 クリストファー・ノーラン
出演 レオナルド・ディカプリオ
    渡辺 謙
    エレン・ペイジ
(2010年/アメリカ)

人の夢の中に入り込み、潜在意識からアイディアを盗む凄腕の産業スパイ・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、実業家サイトー(渡辺謙)からある依頼を受ける。その内容は某企業グループが世界中のエネルギーを寡占するのを阻止するため、グループの後継者に事業解体のアイディアを埋め込んでほしいというもの。コブはこの難しい依頼に応えるため、世界中から最強のスタッフを集めるが、彼自身がある問題を抱えていた……
「夢」をテーマにした映画はこれまでにもあったが、この作品の「夢」は「夢」と「現実」の区別がつきにくい。「夢から覚めたと思っていたら、実はまだ夢の中だった」という二層の夢がオープニングシーンで展開し、観る者は最初の混乱へと導かれる。クライマックスはサイトーのオーダーに応えて創りあげた三層の夢の世界だ。
いちばん恐ろしいのは、潜入後に「夢」と「現実」の区別がつかなくなること。「夢」を終わらせるには、その世界で死ぬしかない。でも、もしそこが「夢」でなく「現実」だったら…? コブ自身もその恐怖を抱えながら、愛する家族との「現実」に戻ることを痛切に願っている。
「夢」の世界の不思議さは、誰もが経験していること。いい夢を見ているときは本当に幸せな気分になるし、悲しい夢を見て目覚めたときは本当に泣いていたりする。行動に実態はなくても、夢見る人の「うれしい」「苦しい」「つらい」といった感情は本物だ。
クリストファー・ノーランは『メメント』で10分前の記憶も失ってしまう男の復讐劇を描き、きらめく才能を見せてくれたが、本作も『メメント』と同じく彼のオリジナル脚本だ。私のように集中力が続かず、つい伏線を見逃してしまう人は2回観たほうが理解が深まる。気になるシーンをもう一度観るだけでも違うはずだ。
(2011・01・02 宇都宮)

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「クレイジーハート」
監督 スコット・クーパー
出演 ジェフ・ブリッジス
    マギー・ギレンホール
    ロバート・デュバル
(2009年/アメリカ)

ジェフ・ブリッジスがアカデミー主演男優賞を受賞した、優しい優しい大人のラブストーリー。
かつてヒット作を連発していたカントリー歌手バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)は、今や古ぼけたバンに機材を載せ、ひとりで地方のバーやボーリング場を回るほど落ちぶれている。酒に溺れ、一夜限りの女を求める彼の前に現れたのが、地方紙記者で4歳の息子を育てるシングルマザーのジーン(マギー・ギレンホール)。彼女と温かなひとときを過ごしたバッドは、忘れかけていた創作意欲を取り戻すのだが……
オールドファンなら誰もがその顔と名前を知っているカントリー歌手。しかし、今や文無しで家族とも音信不通。場末のバーで歌った後、自らオンボロ車を500キロ運転し、次の営業場所へ向かうバッド・ブレイク。この主人公の人物造形が興味深い。なぜなら、彼が本当にイヤなヤツなら物語ははじまらないから。
実はバッド・ブレイクには音楽の創作の才能がある。今をときめく若いスター歌手も彼が一から育て上げた(このスター歌手の役をコリン・ファレルが演じている)。若手が彼の楽曲を欲しがり、マネージメント会社も彼に書かせたがる。しかし、素晴らしい歌はどこから来るのか? 映画の中で彼が答えているとおり、名作は「彼自身の人生から」生まれる。酒びたりでいい加減なステージをこなす毎日から、名曲は生まれない。
また、バッド・ブレイクが備えているのは天賦の才能だけではない。彼自身が実はとても“いいヤツ”なのだ。マネージャーに悪態をつきながらも、仕事には絶対穴を開けない。弟子の前座も、文句を言いながら最高のパフォーマンスでこなす。だから、マネージャーも弟子も彼のことが好きで、彼のために動く。おまけに子ども好きで、4歳児とずっと遊んでいられる。若い頃、別れたきりの妻と息子のことを後悔しながら…。
そんなバッドだから、日常生活はひとりで孤独に見えても、実はいろいろな人に支えられている。今、日本では「無縁社会」という言葉が取りざたされているが、同じ単身者でもバッドの人間関係はずっと充実している。彼自身が人との関わりを求め続け、人に優しいから。
ジェフ・ブリッジスはハリウッド映画でよく顔を見る俳優さんだが、これという代表作がなかったと思う。しかし本作は、まさに彼の代表作と呼べる出来栄え。年齢を重ねるのも、落ちぶれるのも、悪いことばかりじゃないと勇気をもらえる映画だ。

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「NINE」
監督 ロブ・マーシャル
出演 ダニエル・デイ=ルイス
    マリオン・コティヤール
    ペネロペ・クルス
(2009年/アメリカ・イタリア)

『シカゴ』に続き、ブロードウェイのヒットミュージカルをロブ・マーシャルが監督・映画化した。ストーリーはフェデリコ・フェリーニ監督の名作『8 1/2』のリメイク。アカデミー作品賞を獲得した『シカゴ』に比べると、日本ではあまり話題にならなかったが、なかなかの秀作だ。
イタリアの国民的映画監督グイド(ダニエル・デイ=ルイス)は次回作の撮影を前に苦悶していた。才能が枯れてしまったのか、アイディアがまったく出てこず、脚本が進まない。苦しむ彼の前に、これまで彼が深く関わってきた女性が次から次へと現れる。コケティッシュな愛人(ペネロペ・クルス)、元人気女優の妻(マリオン・コティヤール)、息子に絶大な信頼を寄せる母(ソフィア・ローレン)、監督としての彼の苦悩をいちばん近くで見ている衣裳係(ジュディ・デンチ)、彼の映画のミューズである人気女優(ニコール・キッドマン)……そして脚本が進まないままクランクインの日を迎えたグイドは、ある行動に出る。
まずはとにかく、豪華キャストを堪能しよう。ジュディ・デンチみたいな「この人が歌うの?」という女優さんまで歌って踊ってくれるし、なかなかの名曲ぞろいだ。特に少年時代のセクシャルな経験をファーギーが歌って踊る『Be Italian』が出色の出来。あの迫力ある歌声が耳について離れない。
ダニエル・デイ=ルイスが演じるクリエイターの苦しみは、見ていてこちらが苦しくなるほど。特に初期の作品が傑作ぞろいだと、周囲は「もっと名作を」と期待する。するとそこそこの作品をつくっても「期待外れ」と言われてしまうし、少しでも出来が悪いと酷評される。しかし……毎回毎回傑作をつくれる天才が、果たしてどれほど存在するというのか。
売れっ子ゴーストライターの方から聞いた話だが、作家の才能やその人のエキスというものは、デビュー直後2年間の作品に凝縮されているそうだ。3年目以降は前作の二番煎じであったり、焼き直しであったりして、徐々に作家のパワーは薄れていく。……それはそうだろう。ひとりの人間の経験なんてたかが知れている。「あの人なら、絶対傑作をつくってくれるに違いない」と無邪気に信じる善良な人々こそ、実はいちばんタチが悪い。何気ないひとことがどれほどプレッシャーを与えているか、想像しようともしないわけだから。
しかし、作品ができようができまいが、グイドは生きていかなければならない。女たちがそんな彼にどう接するかが、男性には気になるのだろう。だが、去る女は去るし、残る女は残る。
人は絶頂にあると、どうしても調子に乗ってしまう(調子に乗らない人間なんていない)。ただ、どん底に落ちたとき、自分のことを本当に想ってくれているのが誰なのかがわかる。それにしても、どんなに年齢と人生経験を重ねても、人の愚かさとは拭いきれないものだと、つくづく思う。
(2010・10・22 宇都宮)

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「ノウイング」
監督 アレックス・プロヤス
出演 ニコラス・ケイジ
    ローズ・バーン
    チャンドラー・カンタベリー
(2009年/アメリカ)

50年前、ボストン郊外の小学校に埋められたタイム・カプセルの中から、謎の数列が書かれた手紙が見つかった。宇宙物理学者のジョン(ニコラス・ケイジ)は、その数列が過去50年間の地球上の災害の日付と死者数であることを発見する。次に起きる災害を防ごうと単身悪戦苦闘するジョンだが、最後にもっとも恐るべき予言が待っていた……
単なるディザスター・ムービーと思っていたら、とんでもない。封切前の宣伝では、「9.11」の日付と死者数をきっかけに宇宙物理学者が予言に気づき、次の災害を防ごうとするところまでしか見せていなかったので、災害シーンが派手なパニック映画だと思いこんでいた。実際、最新VFXを使った飛行機事故、地下鉄事故のシーンは迫力満点だ。
だが、この作品の醍醐味は、主人公が「最後の予言」を突き止めたところからはじまる。「最後の予言」とは、ズバリ人類滅亡の日。『2012』では、いち早く危機を察知した主人公が"ノアの箱舟"をめざすが、本作の主人公は別の行動をとる。このあたりの意外な展開は、『アイ,ロボット』をつくったアレックス・プロヤス監督の手腕かもしれない。
もちろん、『2012』同様、細かなストーリーはツッコミどころ満載。しかし、冬のボストンのどんより憂鬱な空や古くていかめしい建物、そしてニコラス・ケイジの沈痛な表情が重々しいラストを予感させ、他の人類滅亡モノとは違った味わいだ。ラストシーンには唖然とする人も多いだろう(宗教的に過ぎるという批判も当然あるだろうが)。
サスペンスホラーと思っていたら、SFだった。そんな入口と出口が違う映画が、ときどきあってもいいかもしれない。
(2010・10・22 宇都宮)

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「私の中のあなた」
監督 ニック・カサヴェテス
出演 キャメロン・ディアス
    アビゲイル・ブレスリン
    アレック・ボールドウィン
(2009年/アメリカ)

11歳のアナ(アビゲイル・ブレスリン)は白血病の姉ケイト(ソフィア・ヴァジリーヴァ)を救うため、遺伝子操作で誕生した。小さい頃から何度も骨髄を提供してきたが、腎不全を起こしかけている姉のために、今度は腎臓移植が必要となる。するとアナは敏腕弁護士(アレック・ボールドウィン)のもとを訪れ、「これ以上、姉のためにからだを提供したくない」と両親を相手に訴訟を起こす。元弁護士である母親のサラ(キャメロン・ディアス)は、自ら法廷に立ち、娘と対決することになるが……
10数年前、白血病のわが子のために、適合する骨髄を求めて妹をつくった両親のニュースを耳にしたことがあった。よく知られているとおり、骨髄の型は兄弟が合致する可能性がいちばん高いから、「なるほど、そういう方法があったか」と思ったが、生まれてくる子どもの人権はどうなるのか? 骨髄移植は大人でも負担が大きいのに、もの心つく前から何度も提供してきたアナの人生はなんのためにあるのだろう?

考えれば考えるほど重いテーマだが、作品全体を貫くのは「あたたかな家族の愛」。弁護士だった母・サラはケイトの病気が判明するや、仕事を辞め、看護と家事に専念する。ケイトが体調を崩したときは家族全員が見事なチームワークでケイトを見守り、ケイトの体調がいいときは家族全員で海や遊園地に出かけ、普通の暮らしを楽しむ。両親はもちろん、アナも兄のジェシーもケイトを愛している。
ではなぜ、11歳の少女が両親を訴えるという離れワザをやってのけたのか。ネタバレになるのでその内容は書けないが、クライマックスからラストに向けて、その謎の答えが心に沁みていくのを感じた。
一見非現実的なストーリーだが、5人家族それぞれのキャラクターがよく立っていて、ストーリーにムリを感じさせない。「この人物ならこういうふうに行動するだろう」と観る者に思わせる説得力は、よく練られた脚本の賜物か。子役たちの演技も上手かったが、特に難しいのは母親のサラの役どころ。にもかかわらず、キャメロン・ディアスは(普通じゃない容姿なのに)普通の母親を上手く演じていた。また、アレック・ボールドウィン演じる敏腕弁護士や、ジョーン・キューザック演じる判事にもそれぞれ心の傷があり、脇役ひとりひとりも丁寧に描いている。
それにしても、幼くして病気と闘わなくてはならない人生とは、なんと残酷なものだろう。ただ、ケイトの人生にも歓びや笑いがたくさんあり、「生まれてきてよかった」と感じているはず。愚痴の多い人生を長く生きている私たちは、ここいらで自分を振り返る必要があるのかもしれない。
(2010・10・16 宇都宮)

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「2012」
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 ジョン・キューザック
    キウェテル・イジョフォー
    アマンダ・ビート
(2009年/アメリカ)

2012年、天変地異が起き、人類は滅亡する――マヤ歴の終末説をもとに、地球規模の大災害を描いたディザスター・ムービー。
太陽フレアが活発化し、地球内部のマグマが不安定化。世界各地で巨大地震、津波、火山爆発が一斉に起きる。いち早く異変を察知した地質学者(キウェテル・イジョフォー)の直言を受け入れ、アメリカ合衆国大統領は世界各国に緊急事態を告げ、選ばれた人のみが生き残るための船を極秘裏に建造させる。一方、売れない作家ジャクソン・カーティス(ジョン・キューザック)は子どもたちとのキャンプ中に、とんでもない災害が訪れることを知る……

またしても、ローランド・エメリッヒが人類を滅亡させた。
原因はいろいろだが、ストーリーのパターンは同じ。まず最初に気づくのは、天体や地質や気候を研究している学者たち。「人類存亡の危機だ」と悟った学者は、必ずアメリカ大統領にこの話を通そうとする。これまでの映画では、アメリカ大統領周辺にものわかりの悪い人間が多く、行動を起こすまでに時間がかかったが、本作は話が早い。あっという間に大地震でロサンジェルスが壊滅。主人公(名もなき一市民が主人公になるのも従来のパターンどおり)は驚くほどの察しのよさと行動力、信じられないほどの運のよさで、難局を乗り切っていく。
ひとつひとつのシーンはツッコミどころ満載なのだが、最新CGを駆使した大地震や津波や火山爆発の映像は、確かにスゴイ。登場人物の絡め方も無難だし、それぞれの背景にある人間関係も漏らさず描いている(中身は少々薄っぺらいが、チョイ役に名優を配して画面を仕立てた、という印象)。
こういう内容だとわかっちゃいるけど見てしまう。ディザスター・ムービーの魅力って、いったいなんなんだろう? 誰も見たことのない大災害を、自分は絶対安全な場所にいて見届けたいから? 
しかし、私的には災害を乗り越えて生き残った人々のその後が知りたい。地味で絵にならない労働の日々だと、わかってはいるのだが。
(2010・10・11 宇都宮)

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「17歳の肖像」
監督 ロネ・シェルフィグ
出演 キャリー・マリガン
    ピーター・サースガード
    アルフレッド・モリナ
(2009年/イギリス)

10代の少女が大人になっていく過程を描き、アカデミー賞3部門にノミネートされた佳作。
1961年のロンドン。名門女子高に通うジェニー(キャリー・マリガン)はオックスフォード大学をめざしてひたすら勉強の日々。退屈な毎日の中で、ふとしたきっかけで裕福な暮らしをするデイヴィッド(ピーター・サースガード)と知り合い、彼とともに大人の世界を知っていく。豪華な食事、音楽会、絵画オークション、そしてパリへの旅…昨日までの学校生活では考えられなかった刺激的な出来事に心奪われるジェニーだが、デイヴィッドが自分が思っていたような富裕層の人間ではないことに徐々に気づいていく……
原題は「AN EDUCATION」。このタイトルが作品の骨子をよく表している。自分に学歴がないコンプレックスから、成績優秀な娘にオックスフォード大学進学を強要する父親。素直に勉強はするものの、女子校の女性教師たちを見て、「教育があっても女性にできる仕事は限られている」と見切ってしまう主人公。そんな彼女に近づいてきたのは、教育はないけれどお金はふんだんにある(ように見える)大人の男。
主人公が「人生の近道を見つけた!」と思えるのは一瞬。そう、何十年も生きていればわかる。人生に近道なんてないのだ。
舞台設定は50年前だが、セリフや登場人物の心情は今でも充分に新鮮。違うのは、現代のように情報がマスコミやネットから簡単に手に入らず、未知の世界を知るには自分から飛び込んでいくしかないことぐらいか。そして、自分から飛び込んで痛い目にあった主人公が、自らの誤りに気付いた後の行動に拍手を送りたい。
主役のキャリー・マリガンを初めて見たが、普通の女子高生が美しく磨かれ、変身していく様が魅力的。父親役のアルフレッド・モリナは『フリーダ』でディエゴ・リベラを演じた役者さん。本作でも強烈なインパクトを与えてくれた。
(2010・10・11 宇都宮)

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「第9地区」
監督 ニール・ブロムカンプ
出演 シャルト・コプリー
    デヴィッド・ジェームス
    ジェイソン・コーブ
(2009年/アメリカ)

B級路線を徹底的に追求した、ある意味画期的な(?)SF作品。ある日突然、エイリアンの母船が南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に現れた…という古典的な設定から、ユニークで笑える展開がはじまる。
28年前、ヨハネスブルグ上空に現れた母船には、多数の弱り切ったエイリアンがいた。人間は彼らを「第9地区」に隔離し、住まわせるのだが、やがてそこは誰も近寄りたがらないスラムと化す。エイリアンを管理する超国家組織MNUはエイリアンたちを第10地区に移住させようと計画し、ヴィンス(シャルト・コプリー)を担当に任命。ヴィンスはスラムを巡回しながら、エイリアンたちに移住を促すのだが、その最中にからだがエイリアン化していく液体を浴びてしまう……
まず面白いのは、これまでの映画と違って人間とエイリアンの力関係が完全に逆転していること。マシンガンやロケット砲をブッ放し、エイリアンを殺戮していくのは人間の兵士たち。一方、スラムに閉じ込められたエイリアンはおバカか気弱。大好物のキャットフードを与えられるとホイホイ人間の思いどおりになり、「故郷の星に帰ろう」とか「いつか人間に復讐する」といった、よくある野望は抱かない。作品中ではこの理由を、「司令する側のエイリアンが病気で全滅し、命令に従うだけの働きアリしか生き残らなかったため」と説明されている。
ヴィンスがスラムの掘っ立て小屋を1軒1軒まわり、エイリアンに立ち退き承諾書にサインさせていく光景にも笑えるし、エイリアン女と浮気してからだが変異したと勘違いされる設定も笑える。ちなみにスラムのシーンは、ヨハネスブルグで立ち退きを完了したばかりの本物のスラム街を借りての撮影だったらしい。どおりでリアルなはずだ。
作品中には『インディペンデンス・デイ』『ザ・フライ』『エイリアンシリーズ』などのパロディがあちらこちらに埋め込まれ、恐怖ではなくバカバカしさで観客をひっぱっていく。そのスタンスを111分間持続して観客を飽きさせないためには、手抜きのB級ではなく、丁寧に造り込んだB級であることが絶対条件だろう。
(2010・9・20 宇都宮)

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「アリス・イン・ワンダーランド」
監督 ティム・バートン
出演 ミア・ワシコウスカ
    ジョニー・デップ
    ヘレナ・ボナム=カーター
(2010年/アメリカ)

「不思議の国のアリス」をモチーフに、鬼才ティム・バートンが創りあげたファンタジー。出演は、彼の作品ではおなじみのジョニー・デップ&ヘレナ・ボナム=カーター。予想どおりの不思議世界が展開する。
原作と大きく設定変更されているのは、ここに登場するアリスは19歳で、子どもの頃訪れた不思議の国を忘れてしまっていること。そして、子ども時代にはあり得なかった冒険をクライマックスですることになる。
それにしても相変わらず、ティム・バートンが創りだす世界はユニーク。ただし本作は、不思議の国全体がヘレナ・ボナム=カーター演じる赤の女王の圧政に耐えているという設定のせいか、画面全体に蔭を感じさせる。
登場人物もアリスは人間の女の子だが、彼女以外は不思議の国の住人。ヘレナ・ボナム=カーターの怪演ぶりは言うまでもないし、ジョニー・デップはどんな役でも演じてしまう。ただし、今回のデップのマッドハッター(帽子屋)は、「チャーリーとチョコレート工場」の工場長や「スウィーニー・トッド」の床屋、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのキャプテン・スワローに比べると、ややインパクト不足。アン・ハサウェイ演じる“白の女王”は美しく、わかりやすいキャラクターだ。そして主役のミア・ワシコウスカはユニセックスな魅力がある。
しばし非現実な世界で遊べる、テーマパークのような作品だ。
(2010・9・18 宇都宮)

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「シャーロック・ホームズ」
監督 ガイ・リッチー
出演 ロバート・ダウニー・Jr.
    ジュード・ロウ
    レイチェル・マクアダムス
(2009年/アメリカ)

子どもの頃、名探偵ホームズのシリーズを夢中になって読んだ。アガサ・クリスティの作品はよく映画化されるのに、なぜホームズは映画化されないのか不思議だったが、この作品を見て答えがわかったような気がした。子どもの頃に育んだホームズやワトソン博士のイメージが強烈過ぎて、現実の役者に違和感を覚えてしまうのだ。当代随一のキャスティングをもってしても、子ども時代のイメージには勝てない。
本作の原作は『緋色の研究』。ホームズシリーズはいずれもよく知られた作品のためか、キャラクターや設定の説明は一切なし。そのうえ、画面から画面への切り替えが早く、ストーリーについていけない人も少なくないのでは。
また、どのシーンも19世紀ロンドンを語る舞台装置・大道具・小道具が多すぎて、画面をうるさく感じてしまう。観る人によって好き嫌いの分かれるところだろう。おまけにホームズの性格設定といい、場面全体の見え方といい、レトロでありながらどこか猥雑で落ち着きがない。
見せ場は謎解きよりも、命を張った格闘シーン。このあたりはガイ・リッチーという監督のなせるワザで、あの「スナッチ」もそうだったが、男性受けはするけれど女性受けしないのでは(もちろん、ガイ・リッチーの才能には敬服するが)。
ロバート・ダウニー・Jr.は今ノッてる役者という感じ。ジュード・ロウはワトソン博士を演じるには華やか過ぎる。汗臭い画面の中、女詐欺師役のレイチェル・マクアダムスが登場すると、なぜかホッとさせられた。
(2010・8・24 宇都宮)

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「ラブリーボーン」
監督 ピーター・ジャクソン
出演 マーク・ウォールバーグ
    レイチェル・ワイズ
   シアーシャ・ローナン
(2009年/アメリカ・イギリス・ニュージーランド)

「私はスージー・サーモン。14歳で殺された」――
14歳の冬、スージー(シアーシャ・ローナン)は近所に住む男に軟禁され、命を奪われた。父(マーク・ウォールバーグ)は犯人捜しに奔走するが、母(レイチェル・ワイズ)は突然娘を失った悲しみに耐えられず、家庭は崩壊寸前に。その様子を魂だけになったスージーは見守り続け、どうにかして家族に犯人を知らせようとする。その後、息をひそめるように暮らしていた犯人が、スージーの妹に目をつけて……
主人公の衝撃的なモノローグではじまるストーリーは、あくまでもスージー目線で(つまり殺された少女の目線で)進行する。スージーは地上の人々と交わることができず、かといって天国に行くこともできず、この世とあの世のあいだの世界、年もとらずおなかも空かず、時間が経過しない世界を彷徨い続ける。この誰も見たことのない世界のビジュアル化がお見事! 幻想的で、見たことがないはずなのにどこか懐かしい風景。時間も一方向に流れない世界だから、原因があって結果が起きるのではなく、そこにある結果をひも解くと原因が現れるというイメージ。私たちが夢でみる世界に少し似ているかもしれない。
ピーター・ジャクソン監督は「ロード・オブ・ザ・リング」でやはり誰も見たことがない空想上の世界を私たちに見せてくれたが、そこにはまだ人々の暮らしがあり、食べたり愛し合ったり闘ったりする行為があった。ところが、この世とあの世のあいだの世界には、暮らしは存在しない。スージーは現世の家族に自分がここにいること、近所の男に殺されたことを懸命に訴えるが、その声も姿も現世の人間には届かない。観る人はわずか14歳で命を奪われた理不尽さに、連続殺人鬼への怒りが増していく。
スージーを演じたシアーシャ・ローナンが名演! 誰も見たことがない世界で、誰も経験したことのないシーンをあの若さで見事に演じきった。スタンリー・トゥッチ演じる連続殺人鬼は「いかにも」な外見で、画面を見ているだけでも気持ち悪かったのだが、この人の達者な演技がなければ、作品全体がもっと現実感のないものになっていただろう。アカデミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされたのもナットクだ。
ラストシーンには、「このラストでいいのか?」と異論も多いと思う。ただ、辛さも醜さも理不尽さも含めて、すべてこの世の出来事。それでも悲しみを乗り越えて生きていくことの素晴らしさ、この世に生を受けたことの意味を感じさせてくれた。
(2010・8・24 宇都宮)

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「愛を読むひと」
監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 ケイト・ウィンスレット
    レイフ・ファインズ
    デヴィッド・クロス
(2008年/アメリカ・ドイツ)

弁護士として成功し、地位も財産も手に入れたマイケル(レイフ・ファインズ)だが、妻と離婚し、家庭では孤独な日々を送っている。彼が心の壁をつくり、妻とも相容れない男になってしまった背景には、初恋の鮮烈な記憶があった。
1958年のベルリン。15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)は20歳近く年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)と出会い、毎日彼女のもとへ通うようになる。ハンナとの逢瀬は肉欲を満たすセックスと、彼女にせがまれて古今の名著を朗読する時間に費やされた。初めて知る大人の世界に溺れるマイケルだが、突然なにも告げずにハンナは姿を消してしまった。8年後、法学部の学生となったマイケルは、ナチ協力者の戦犯を裁く法廷でハンナの姿を見出す。第2次大戦中、ユダヤ人収容所の看守として働いた過去を持つ彼女は、多くのユダヤ人をアウシュビッツに送りこんだ戦犯として裁かれていた……
ハンナが命をかけても守りたかった「秘密」(これがマイケルに朗読をせがんだ大きな理由でもあるのだが)は、ストーリーが進むうちに観る者にも伝わってくる。ハンナは美しく聡明な女性なのだが、「秘密」が彼女の人生を狂わせ、終身刑へと導いていく。しかし、その「秘密」は人によっては「秘密」でもなんでもなく、オープンで当たり前のこと。にもかかわらず「秘密」を守り通したかったハンナのプライドと、そのプライドを尊重したマイケルの姿に、個々の生き方を尊重することの意味を考えさせられる。
それにしても、15歳で初めて知った女性が、生涯の女性であり続けることの残酷さといったらない。成人後もさまざまな女性がマイケルに近づいてくるのだが、彼の心はハンナとのひと夏の情事に残されたまま。目の前の女性と幸せな家庭を築けないマイケルも辛いが、なんにも悪くないのに受け入れてもらえない妻や恋人たちも辛い。
思い出とは美しく昇華されるものだから、そのままマイケルとハンナが再会しなければ、ただの美しい思い出で終わる。ところが、思わぬ場所(最悪の場所といってもいい)でハンナと再会したマイケルは、思い出のままで終わらせず、ハンナへ想いを伝え続けていく。その過程が感動的で泣けた。
また、ハンナがユダヤ人収容所でしたことは、人として許されることではないが、当時のドイツ人なら誰でも犯す可能性のある誤り。ハンナは同僚たちより真面目で、任務を遂行するのが自分の務めと信じ、実行しただけ。時代に翻弄された人生に胸が痛む。
監督は「めぐりあう時間たち」のスティーヴン・ダルドリー。この作品でも過去と現在を自由に行き来する構成を取っているが、わかりにくさは全くなく、自然なストーリー運びだ。ケイト・ウィンスレットもレイフ・ファインズも適役。ぜひ、多くの方々に観ていただきたい。
(2010・8・24 宇都宮)

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「パッセンジャーズ」
監督 ロドリゴ・ガルシア
出演 アン・ハサウェイ
   パトリック・ウィルソン
   クレア・デュバル
2008年/アメリカ)

この映画が公開された頃、どの映画評を読んでも、「くわしい内容をここに書けない。少しでも書くとネタバレになってしまう」とあり、興味をそそられた。実際に見てナットク。サスペンスホラーの傑作といわれる作品に似ているのだが、その作品名を書くとラストがネタバレになる。というわけで、説明するのが難しいのだが…
わずか5人の乗客だけが生き残った飛行機事故。セラピストのクレア(アン・ハサウェイ)は生き残った乗客のトラウマを取り除くことを命じられるが、乗客の証言と飛行機会社の説明にギャップがあり、事故そのものへの疑惑が広がる。やがて、クレアが接触した乗客がひとりひとり姿を消していき……
こんなふうにストーリーだけ紹介すると社会派サスペンスなのだが、実は違う。おそらくストーリーの途中で気がつく人が多いと思う。その後の設定まるごとのドンデン返しに。
監督のロドリゴ・ガルシアは「彼女を見ればわかること」「美しい人」といった作品があるので、女性の心の機微を描くのが得意な人なのだろう。本作でも透明感のある映像の中、アン・ハサウェイの心の揺れを丁寧に追っているのだが、どっちつかずの作品になってしまった。
2010213 宇都宮)

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「アバター」
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 サム・ワーシントン
   ゾーイ・サルダナ
   シガニー・ウィーバー
2009年/アメリカ)

「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督が12年ぶりにメガホンを取った新作。3D映像が話題を呼び、先日ついに「タイタニック」の世界興行収入記録を塗り替えたらしい。3D料金の上乗せがあるとはいえ、10年以上更新されなかった記録を抜いたわけで、誰もが認める大ヒット作だ。
感想はカンタン。映像はとにかくすばらしい。誰も見たことがない衛星パンドラの大自然を一から創造し、驚異のCG技術でたっぷりと見せてくれる。3Dは抑え気味で、背景に少し遠近感が出る程度。なくても充分オドロキの映像だ。主人公が潜入する衛星の原住民ナヴィ族の造形をはじめ、見たこともない植物、ほ乳類、昆虫…生物を勉強している人なら、あの架空の生き物たちを見ているだけで天国のような時間ではないだろうか。
一方、ストーリーは平凡。異文明の接触と共存がテーマなのだが、展開がいかにも…という印象。ナヴィ族が暮らす土地の下に眠るレアメタルを狙った人類が、当初はなんとかしてナヴィ族を手なづけようとするが、反発にあい、武力で制圧しようとする。クライマックスは当然その戦闘シーンとなる。
タイトルの「アバター」とは、ナヴィ族と人類のDNAを掛け合わせて造った人造のからだのこと。人類はその中に意識を送りこみ、仮のからだで行動できる。ナヴィ族の中に入り込むために作られた装置だが、こんなスゴイ技術があればもっと他の接触方法も考えられたのでは?という気もするのだが。ただ、事故で下半身不随になった主人公がアバターによって自由に動けるからだを得た喜びは、素直に伝わってくる。
ジェームズ・キャメロンは、この映画によって人類の侵略の歴史と侵略された側の視点を描きたかったそうだ。アメリカ人にとっては目新しい視点なのかもしれないが、その他大勢の侵略された側から見れば、現実にはあり得ないハッピーエンドの印象を持つのでは? 人類の歴史上には、侵略者によって完全に滅んでしまった文明や、最後の子孫まで失われてしまった民族がたくさん存在するのだから。
余談だが、3D映像を字幕で見ると、映像は手前に飛びだしているのに文字はスクリーン上に固定されたままで、読むのが辛くなるらしい。先にそれを聞いていたので、私は吹替版で鑑賞したが、たまに現れるスクリーン上の文字はまるで水面のように揺れて見えた。これからご覧になる方は、どちらがいいのか、事前に検討されることをオススメする。
201028 宇都宮)

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「モンゴル」
監督 セルゲイ・ボドロフ
出演 浅野忠信
   スン・ホンレイ

   アマデュ・ママダコフ
2007年/カザフスタン・ロシア・ドイツ・モンゴル)

いろんな意味で異色の作品だ。ロシア人の監督が歴史上の仇敵であるチンギス・ハーンの映画を撮るのも異色なら、浅野忠信がチンギス・ハーン役に抜擢され、全編モンゴル語で演じるのも異色。いわゆる征服の成功譚を描いた映画ではなく、厳しい草原の掟のもとに生きる遊牧民の姿や、そこからチンギス・ハーンがモンゴルのリーダーとなるまでの過程を描いている。
モンゴルの一部族の長の息子テムジン(浅野忠信)は、11歳のとき謀略で父を殺され、明日の命も保証されない中で成長する。愛妻のボルテ(アマデュ・ママダコフ)を宿敵メルキド族に奪われたテムジンは、幼い頃からの盟友ジャムカ(スン・ホンレイ)の力を借り、メルキドを叩きのめす。しかし、ジャムカの部下がテムジンに心酔し従ったことから、両者は対立することに。ジャムカとの戦いに敗れ、一時は西夏王国の虜囚となったテムジンだが、ボルテの計略で自由の身になると、部族ごとの抗争が絶えなかったモンゴル統一に乗り出していく。
チンギス・ハーンの時代、モンゴル人は文字を持たず、自分たちの歴史記録を残す術がなかった。モンゴルの歴史を調べるには周辺諸国の文献をあたるしかないのだが、いずれもモンゴルに蹂躙された国々なので敵のことを良くは書かない。だからモンゴル軍といえば極悪非道、イナゴのように他国を食い潰すイメージが残った。しかし、実態はどうだったのか。ボドロフ監督もそのあたりの調査にかなりの時間を費やしたそうだ。
本作のモンゴル族は、たとえ敵であっても女子どもは殺さない。礼節を尊び、なにより誇り高い。略奪婚の風習も描かれており、誰の子であっても子どもは育てる。夫の不在が長いので、妻は男性並みに働き、実にたくましい。
テムジンが広い視野を持ち、器の大きな男であったことは、それまで誰も考えなかったモンゴル統一を成し遂げたことでわかる。西夏の虜囚になった事実があったかどうかは知らないが、このあたりのシーンの浅野忠信の演技はスゴイ。後のモンゴル帝国が異教徒に寛容だった背景も、さらりと描かれる。
できればモンゴル統一後の様子も見たかったが、そこは監督の描きたいところではないのだろう。浅野忠信がTV番組でモンゴルロケの過酷さを語っているのを見たことがあるが、「さもありなん」とナットク。モンゴルの草原や山河がすばらしく美しいので、それだけでも見る価値アリ、だ。
20091231 宇都宮)

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「ラースと、その彼女」
監督 クレイグ・ギレスビー
出演 ライアン・ゴズリング
    エミリー・モーティマー
    ポール・シュナイダー
(2007年/アメリカ)

アメリカの小さな田舎町を舞台にした、心あたたまる物語。
ラース(ライアン・ゴズリング)は物静かで温厚な青年。実家のガレージに住み、人との交流も控えめでガールフレンドをつくる気配もない。兄夫婦や会社の同僚たちはラースを案じるが、ある日彼が連れてきた“ガールフレンド”を見てビックリ。それは等身大のリアルドールだった…!
鑑賞中、ずっと自問自答していた。――これは現代のファンタジーなのか? それとも今の日本人が殺伐とし過ぎているのか?
ラースは温厚で礼儀正しい好青年なので、周囲に愛されるのはよくわかる。親代わりの兄夫婦は、自分たちが結婚すると同時にラースが実家を出、ガレージで暮らしはじめたことが負い目となっている。特に義姉が気をつかい、しきりにラースを食事に誘う様子が描かれ、この義姉が本当に親切で善良な人であることが伝わってきた。ラースがリアルドールを人間のように扱いはじめると、「精神科に連れていく」と騒ぐ実の兄を説得し、最初にラースの話に合わせたのも義姉。ドクターや同僚たちもそれに倣い、町ぐるみでラースの言動につきあうことになる。
リアルドールといえばまだ聞こえがいいが、日本風にいえばダッチワイフ。日本なら病院送りか変態扱いだ。しかし、ラースが“彼女”を本物の女性のように尊重し、大切にするので、周囲もムゲなことを言わない。やがて“彼女”が子ども向けのボランティアに出かけたり、ブティックの店先で“アルバイト”するようになり、ラースが“彼女”を独占できないことに怒り出すのだが、これも「内気な男性が自らの殻を破るための通過儀礼」と読めないこともない。
それにしても…やはり最初の疑問に戻ってしまう。こんなに人々が優しい町って存在するのだろうか? アグレッシブなことが美徳のアメリカで、ラースのようにおとなしい人は評価されにくいと思うのだが。逆にアグレッシブであることに疲れたアメリカ人の夢が生んだ物語なのか?
今、日本社会がかつてないほど疲れている。こんな平和な町で、好きな人に囲まれ穏やかに暮らせたら、それ以上の幸せなんてないだろう。なにより、ラースの言動をじっくり見守った、人々の懐の深さがうらやましい。
(2009・10・19 宇都宮)

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「オーストラリア」
監督 バズ・ラーマン
出演 ニコール・キッドマン
    ヒュー・ジャックマン
    デヴィッド・ウェンハム
(2008年/アメリカ・オーストラリア)

のっけからバズ・ラーマン・ワールドが全開! 鮮やかな色彩と大パノラマが画面に広がるアドベンチャー絵巻、といったところだ。
第二次大戦直前のオーストラリア。英国貴族のレディ・サラ・アシュレイ(ニコール・キッドマン)は、連絡が取れなくなった夫を訪ねてオーストラリアにやって来る。そこで知ったのは夫の死と、夫が経営していた牧場の危機。サラは腕ききのカウボーイ・ドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)を雇い、遠くダーウィンまで1500頭の牛を追うことに。当初は反発し合っていた2人だが、数々の苦難を乗り越えるうちにやがて愛が芽生え……
――と、ここまでがよく知られたこの映画のストーリー。しかし意外にも、サラとドローヴァーが結ばれた後もかなり長いストーリーが続き、不当なアボリジニ差別が全編を通じて描かれる。全編を通じてアボリジニと白人のハーフの少年ナラが語り手として登場するのだが、このナラに対するサラの愛情が胸を打った。
窮屈な貴族社会を離れ、広大な大陸で自由に生きる女性像は、人生をリセットしたいと願う女性たちにとって魅力的に映るのだろうか。しかし、自由には自己責任がつきものだし、自立は孤独と裏腹だ。ただし、サラのように思い切った人生の転換ができる人は、後悔も少ないだろうと思う。
ニコール・キッドマンは女優根性でダイエットしているのか、恐ろしくスリム。アメリカの女性誌で世界一セクシーな男性に選ばれたヒュー・ジャックマンは、その称号どおりのカッコよさ。やはりオーストラリア人の役はオーストラリア出身の俳優さんがよく似合う。敵役のデヴィッド・ウェンハムは、顔に見覚えがあると思っていたら、「ロード・オブ・ザ・リング」のファラミアだった。確かに悪役顔ではある。
(2009・10・19 宇都宮)

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「グラン・トリノ」
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド
    ビー・ヴァン
    アーニー・ハー
(2008年/アメリカ)

御年79歳のクリント・イーストウッドが監督・主演し、またまた佳作を世に送り出してくれた。
元フォード社の機械工ウォルト(クリント・イーストウッド)は、妻を亡くし、孤独な日々を過ごしていた。彼の宝物は、現役時代自ら手掛けた1972年型グラン・トリノ。そのグラン・トリノをアジア系移民モン族の不良グループが狙いはじめる。ウォルトの隣に引っ越してきた同じくモン族の若者タオ(ビー・ヴァン)は、不良グループにグラン・トリノを盗むよう強要されるが、姉スー(アーニー・ハー)や家族にたしなめられ、謝罪としてウォルトに1週間の労働ボランティアを申し出る。当初は関わり合いを面倒がっていたウォルトだが、やがてタオ一家の感謝の気持ちを徐々に受け取るようになり……
いろんな意味で、身につまされる内容だ。
ウォルトは自立した老人で誇り高く、子どもたちが年寄り扱いするのが許せない。孫たちも頑固な祖父を煙たがり、結果として息子一家は寄りつかない。つまり、ウォルトも息子たちもお互いにどう接すればいいのかわからないのだ。
…これって、今の日本にもよくある光景だ。でも、自分が年とったら、やっぱりウォルトと同じようになるかも…40歳を過ぎると、そんな想いがふと過ぎる。高齢者の「尊敬されたい」気持ちが強すぎると、若い世代を遠ざける。一方、若い世代は自分たちのトクになることしかやろうとしない。親から「なにか貰う」ことしか考えていない息子や娘って、私の周りにも確実に存在する。
そんなウォルトの心の壁を越えたのは、アジア系移民の一家。タオを襲った不良たちをライフル銃で追い払ったウォルトは、彼らにとって恩人だ。面倒がるウォルトに花や食べ物を届けたり、労働力を提供したり、アジア特有のホスピタリティで近づいていく。やがてウォルトもモン族の料理の美味しさに感動し、ともに食卓を囲むようになる。世代の壁を越えた(民族の壁も)キーポイントが、美味しい料理と高齢者を敬う心だったというのが興味深い。プライバシーばかり気にしていては生まれない人間関係だ。
ウォルトがタオ一家に肉親以上の愛情を感じるようになり、自分の知識と経験をタオに伝授していくシーンは微笑ましく、このままの関係がずっと続けばと願わずにはいられなかったが……
年齢と経験を重ねることの孤独。人に頼らず、自分で解決しようとするアメリカ人の自立心。移民政策が招いた失業者の大量発生…いろんな要素が絡まってラストシーンに至るのだが、このラストは泣けた。
(2009・10・17 宇都宮)

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「地球が静止する日」
監督 スコット・デリクソン
出演 キアヌ・リーヴス
    ジェニファー・コネリー
    キャシー・ベイツ
(2008年/アメリカ)

ある日突然、ニューヨーク上空に宇宙から舞い降りてきた謎の物体。そこから地球へ送り込まれてきた使者クラトゥ(キアヌ・リーヴス)に、アメリカ政府は交渉を開始する。生物学者のヘレン(ジェニファー・コネリー)は政府に逆らってクラトゥを逃がそうとするが、クラトゥが語る言葉の真意に気づき、戦慄する。それは「地球を救うには、人類に消えてもらうしかない」というものだった……
1951年にロバート・ワイズ監督が映画化した作品のリメイクだそうだ。現代のCG技術で古色蒼然としたSF映画を甦らせる(?)という意図なのかもしれないが、なんとも消化不良な作品だ。
まず、クラトゥがどういう世界から来た者なのか明確でないし、クラトゥ自身に怖さがない。「エイリアン」のような「一歩間違えたら、悲惨な死に方するぞ」という瀬戸際感がないのだ。あくまで知的に「人類の終焉」を語るのはいいが、恐怖感が表裏一体にないと、作品は盛り上がらない。
そして、クラトゥが結果的に人類せん滅を思いとどまった理由が甘い。50年前なら通用したかもしれないが、2009年の私たちは「その程度で許してくれる審判者ってどうよ?」と思ってしまう。中国人の姿になって数十年地球に潜入していたクラトゥの仲間がチョイ役で出てくるが、クラトゥの言葉よりも、そっちのセリフの方がよほど味わい深い。
役者の話をすると、アメリカ国防長官を演じたキャシー・ベイツがよかった。パラノイアの女性でも、成金のご婦人でも、不動産の営業レディでも、なにを演じても上手い。作品自体がもひとつだと、つい脇役ウォッチングに走ってしまう。
(2009・8・16 宇都宮)

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「マンマ・ミーア」
監督 フィリダ・ロイド
出演 メリル・ストリープ
    アマンダ・セイフライド
    ピアーズ・ブロスナン
(2008年/アメリカ)

世界中で上演され、ロングランを続けているミュージカルの映画化。アバのヒット曲に乗って、ギリシャの小島で繰り広げられる2日間に渡る結婚式騒動を描く。
明日結婚する20歳のソフィー(アマンダ・セイフライド)の願いは、まだ会ったことのない父親とともにバージンロードを歩くこと。そこで母のドナ(メリル・ストリープ)の日記を盗み読み、こっそりと3人の父親候補に招待状を送る。結婚式に駆け付けた3人の男は自分こそがソフィーの父親だと名乗りを挙げるが……
ミュージカル原作にありがちなハッピー&元気な内容で、な〜んにも考えずに楽しむのにいい。
ギリシャの小島の風景は、この世のものとは思えない美しさ。アバのヒットメドレーも私の世代には懐かしい。ソフィーの父親候補の3人がピアーズ・ブロスナン、コリン・ファース、ステラン・スカルスガルドという豪華キャスト。母親役のメリル・ストリープも含めて、それぞれ歌を披露してくれているのもレア感がある(ちなみに歌唱力に関して言うと、ピアーズ・ブロスナン以外はちゃんと聴ける)。
音楽の効果もあって、きっと舞台のステージも高揚感のある明るいものなのだろう。鑑賞した後、ハッピーな気分になれるのがミュージカルの効用というもの。そういう意味では王道を行く作品だ。
(2009・8・16 宇都宮)

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「チェンジリング」
監督 クリント・イーストウッド
出演 アンジェリーナ・ジョリー
    ジョン・マルコヴィッチ
    ジェフリー・ドノヴァン
(2008年/アメリカ)

1928年のロサンジェルス。シングルマザーのクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)は電話交換局で働きながら、ひとり息子のウォルターを育てている。ある日、ウォルターが行方不明となり、クリスティンは警察に捜索願を出すなど、手を尽くして息子を探し続ける。5ヵ月後、ロサンジェルス市警が“発見”した男の子はウォルターとは全くの別人だった……
上に書いたところまでが、ストーリーのよく知られた導入部分。142分ある本作では、その後の展開が本当の見どころだ。あくまでも行方不明者を“無事発見”したと主張するロサンジェルス市警とクリスティンの闘いや、息子と名乗る謎の男児、そしてウォルター本人の行方が徐々に明らかにされていく。
大切に育てた子どもを失う以上の苦しみが、果たしてこの世にあるのだろうか。主人公のクリスティンはシングルマザーで、息子以外の家族はいない。そんな母親の深い哀しみを、A・ジョリーが抑えめの演技で表現する。
警察が協力どころか敵対する立場となり、クリスティンの行動をことごとく邪魔するようになってからは、胸を突く哀しみ以外に、どす黒い怒りがこみあげてくる。日頃の悪評を振り払うためにウォルター失踪事件に着目し、子どもを無事発見したことで組織の評判を上げようとするロサンジェルス市警。「成長期で様子が変わったから」「あなたは今混乱しているから」と、見も知らぬ男の子を押しつけた挙句、別人だと主張すると、ありとあらゆる方法でクリスティンの意見を封じ込めようとする。精神病院に監禁された下りでは、「2度とこの地獄から出られないのでは?」という別の恐怖心も押し寄せてくる。そんな中、あくまでも冷静に事実を訴え、利害の異なる相手に理解を求めるクリスティンの態度に敬服する。
卑近な話で恐縮だが、私が仕事でいちばんアタマに来るのが、「自分の間違いを認めようとしない」人だ。人間であれば、誰だってミスは犯す。ミスだと気付いた時点で謝れば済むものを、自己保身のために認めようとせず、あれやこれやと言い逃れているうちに事態がどんどん悪化していく。この作品に登場するロサンジェルス市警の担当者もまさにそれ。警察という権力をふりかざし、周囲が見逃しているのをいいことに、無力なシングルマザーの意見を抹殺しようとする。もちろん、その背景には当時のアメリカ社会の女性蔑視やシングルマザーへの差別意識があるのだが、このあたりはさらりと描かれる。
後半は、ウォルターが行方不明になった真の理由が明らかにされていく。ウォルターが巻き込まれた事件の猟奇的な様相にはぞっとするのみだが、決定的な証拠が出ない以上、母親の息子探しに終わりはない。そんな母の愛情の深さ、強さが腹の奥深くまで沁み通り、心から感動した。
悲しい物語だが、ぜひ1人でも多くの方に観ていただきたい。人間の強さに希望が持てる内容だから。そして、クリスティンほど強くはなれなくても、組織の体面を守るために真実から目を逸らす人間にならないよう、己を戒めてほしい。
(2009・8・16 宇都宮)

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「ワールド・オブ・ライズ」
監督 リドリー・スコット
出演 レオナルド・ディカプリオ
    ラッセル・クロウ
    マーク・ストロング
(2008年/アメリカ)

CIAエージェントのフェリス(レオナルド・ディカプリオ)は、ワシントンにいる上司ホフマン(ラッセル・クロウ)の指示のもと、ひとり中東でテロ組織を追っている。ヨルダンの諜報機関の敏腕エージェント、ハニ・サラーム(マーク・ストロング)と手を組み、テロ組織をせん滅しようと計画するが、CIAとヨルダン諜報機関では、そのやり方に大きな違いがあった。ホフマンと共謀し、テロ組織首謀者に仕掛けた罠は、1度はうまくハマったように見えたが……
キーワードは「嘘」。フェリスはハニから「絶対に嘘をつくな。嘘をつくヤツとは手を組めない」と厳しくプレッシャーをかけられるのだが、そんな現場の事情など本部にいるホフマンの命令ひとつで簡単にひっくり返されてしまう。やがて自ら起案した嘘で塗り固めた作戦を続けていくうちに、フェリス自身の命も危うくなる。
CIA対テロ組織の闘いを描いた映画はこれまでにもたくさんあったし、それ自体は珍しくもないのだが、上空12000mの無人探査機から地上の人物を追い続ける最新テクノロジーには驚いた。さらに、中東の砂漠で生きる人々が、昔ながらの知恵でアメリカの最新テクをあっさりと覆す様も。
現場と本部の温度差というのは、洋の東西を問わず、どこにでもあるものだと改めて感じた。ディカプリオは「ブラッド・ダイヤモンド」でも「ディパーテッド」でもそうだったが、現場で汗を流す役が板についている。一方、ラッセル・クロウ演じるホフマンは子どもの野球の試合を観戦しながら冷酷な指示を送る人物で、まさに“アメリカの傲慢”そのもの。ラッセル・クロウはブヨブヨに太った体で、ホフマンの小狡いところもうまく演じている。
砂漠には砂漠のルールがある。それをなぜ、アメリカが介入し、コントロールしようとするのか? …相変わらず、私にはその疑問が解けない。
(2009・7・30 宇都宮)

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「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」
監督 サム・メンデス
出演 レオナルド・ディカプリオ
    ケイト・ウィンスレット
    キャシー・ベイツ
(2008年/アメリカ・イギリス)

レオナルド・ディカプリオ&ケイト・ウィンスレットの「タイタニック」コンビが11年ぶりに共演を果たし、話題となった作品。
1950年代のアメリカ。絵に描いたような郊外の住宅地で生活するフランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)は、2人の子どもにも恵まれ、一見人から羨まれる生活を送っている。しかし、フランクはセールスマンの仕事に嫌気が差し、社内のタイピストと浮気をしているし、女優志望だったエイプリルは専業主婦の毎日に疲れていた。こんな生活を変えたいと考えたエイプリルは、ある日「家族みんなでパリに移住しましょう」と提案する。そのプランに魅力を感じながらも迷うフランクに、レボリューショナリー・ロードの住人たちは表面的にはエールを送るのだが……
わかる人には身に沁みてわかるが、わからない人にはさっぱりワケのわからない内容だろう。
郊外の一軒家。可愛い子どもたち。安定した仕事…いったいなにに不満があるのか? 仕事も住まいも社会保障もない人々が増えている今、フランクとエイプリルの悩みはあまりにも贅沢すぎる。しかし衣食住足りて育った世代には、彼らの悩みもわからないでもない。というよりむしろ、私はよくわかった。
毎日毎日、誰からも評価されない家事と子育てを続ける妻。夫は仕事がマンネリで面白くなく、職場の女の子にちょっかいを出してウサ晴らし。「パリへ移住する」という計画は同僚や隣人たちが批判したとおり、非現実的だ。パリに行けば、なにもかも解決するのか? 答えはもちろんNO。フランス語もできず、キャリアもない彼らに夢の未来が待っているわけがない。
それでも環境を変えたかった、現状をリセットしたかった2人は、「パリに移住する」という計画を徐々に進めはじめる。普通の人がなんとなく夢に描いても、「そんなのできるわけない」と笑って打ち消すようなプランに喰いついた彼らは、少しばかり人より実行力があったのだろう。
そんな彼らを周囲の人々がどう見ているのか。このあたりを描かせると、サム・メンデス監督はうまい。本作にもあの「アメリカン・ビューティ」を彷彿とさせるシーンがいくつもあった。
夫婦単位で社交するアメリカ社会では「ウィーラー夫妻」とニコイチで呼ばれ、週末に近隣の人々と食事に招き招かれを繰り返す。しかし、そんな友人関係は表面上仲よくつきあっているようでも、腹の中では違っていることが多い。日本人ならホンネとタテマエが違うのは当たり前だが、アメリカ人にはそういうつきあいはキツイのだろうか。タテマエで「パリ? 素敵ね」と言う人々の中にあって、精神を病んだ青年だけがホンネで「ウィーラー夫妻」を追求するシーンは興味深かった。 いずれにせよ、レオもケイトも大人になった。「タイタニック」は夢のラブストーリーだったが、実はラブストーリーはゴール後の時間の方が圧倒的に長い。苦い現実を2人が見事に熱演してくれた。
(2009・7・29 宇都宮)

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「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ブラッド・ピット
    ケイト・ブランシェット
    ティルダ・スウィントン
(2008年/アメリカ)

フィッツジェラルドの短編小説をもとに、鬼才デヴィッド・フィンチャーが描く不思議な世界。ブラッド・ピットが老人で生まれ、徐々に若返っていく男の一生を演じる。
ベンジャミン(ブラッド・ピット)は富裕な工場経営主の家庭に生まれるが、醜い老人の姿だったため、父の手で老人ホームの前に捨てられる。寮母のクイニー(タラジ・P・ヘンソン)に拾われた彼は、老人たちの間で車いすに乗せられて育つのだが、不思議なことに時がたつにつれ徐々に若返っていく。働ける程度に若返ったベンジャミンは船乗りとなり、世界を旅した後、故郷の老人ホームに戻り、子どもの頃いっしょに遊んだ少女デイジー(ケイト・ブランシェット)が美しく成長した姿を見る……
年老いて生まれ、徐々に若返り、最後に赤ん坊に戻る人生というのは、数奇過ぎてその心中を想像するのがむずかしい。しかし、彼の80年に及ぶ人生には必ず手を差し伸べてくれる人がおり、決して孤立無援なわけではない。運命の女性デイジーとは、お互い40歳を過ぎた頃にちょうどいい年まわりとなって結ばれるのだが、幸せな時は長くは続かない。確かに「誰かと共に老いる」という経験ができないのは、想像を絶する孤独感だろう。
全体に淡々と時を追い、静かにストーリーが進むので、「暗くてつらい人生」というイメージを持つ人もいるのかもしれないが、ベンジャミンは決して不幸ではなかった。寮母や老人たちから愛されて育った記憶があり、生涯を通じて愛する人がおり、最期も看取ってくれる人がいた。好きな仕事もしたし、愛車のバイクを駆って旅することも多かった。
ノスタルジックな映像と抑えた感情表現にハリウッドらしからぬ魅力があり、アカデミー賞13部門にノミネートされたのも納得(受賞は美術賞など3部門に留まったが)。特に灯台のある海辺のシーンはキービジュアルとして見る者の脳裏に刷り込まれ、全体のノスタルジックな印象を支えている。
余談だが、この作品のストーリーを最初に聞いたとき、私は手塚治虫さんの「火の鳥 宇宙編」を思い出した。そこに登場する宇宙飛行士は、赤ん坊から老人になり、死ぬ寸前で若返ってまた赤ん坊に戻りながら、永遠に宇宙をさすらう。手塚さんはフィッツジェラルドのこの短編を読んだのだろうか? そんなふうに想像するのも楽しい。
(2009・7・29 宇都宮)

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「ブラインドネス」
監督 フェルナンド・メイレレス
出演 ジュリアン・ムーア
    マーク・ラファロ
    アリシー・ブラガ
(2008年/日本・ブラジル・カナダ)

ある日突然、目の前が真っ白になる奇病が蔓延しはじめる。最初に病にかかった日本人ビジネスマン(伊勢谷友介)から妻(木村佳乃)へ、診察した眼科の医師(マーク・ラファロ)へ、そして眼科の患者やさまざまな人へ、奇病は爆発的な感染力を見せ、感染者は隔離病棟に入れられてしまう。隔離病棟では、食糧だけ与えられて目の見えない人同士が暮らす日々。病がこの先どうなるかわからず、不安に苛まれながらの集団生活だが、やがて集団の性格に変化が生まれる……
原作はノーベル賞作家の作品らしい。監督は「シティ・オブ・ゴッド」「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス。「シティ・オブ・ゴッド」の監督が描くとなると、やはりそんじょそこらの表現では収まらない。
ストーリーが本格的に動くのは、登場人物たちが隔離病棟に入れられてから。目の見えない人たちが説明もないまま金網で囲まれた病棟に押し込められ、ケアする人もいないのだから、現場は混乱を極める。そんな中、唯一目が見える医師の妻(ジュリアン・ムーア)が夫や感染者たちの世話をするのだが、たった1人の奮闘で追いつくものでもない。
さらに患者が増えるにつれ、隔離病棟には“支配する者”と“支配される者”が誕生する。「第3病棟の王」を名乗る男が登場し、彼に従う子分が数名できると、闘う相手は病だけではなくなってくる。このあたりの描写は、メイレレス監督だけに容赦がない。
人々が隔離され、支配される過程は、どこかカルト宗教を思わせる。また今春、新型インフルエンザ騒動が起き、実際に隔離される人たちが現れた。新型インフルエンザの症状が軽かったのと、日本の場合、感染者の多くが学生だったため、社会的影響は少なかったが、これが仕事を持つ人や乳幼児を育てているお母さんだったら、もっと深刻な影響が出る。さらに感染者が圧倒的少数のうちはいいが、病が人類全体に広がれば隔離どころではなくなっていく。そんなシミュレーションを実際にWHOや国家がしているのだから、パンデミックは映画の世界だけの話ではない。
伝染病への恐怖や集団心理の恐ろしさは、古くて新しいテーマ。単純な勧善懲悪モノではなく、「生き抜く」ことに主眼を絞り、淡々と描いたのがよかった。当たり前のことだが、目が見えて、フツーに暮らせることの幸せを人は忘れがちだから。
(2009・7・8 宇都宮)

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「ターミネーター4」
監督 McG
出演 クリスチャン・ベイル
    サム・ワーシントン
    アントン・イェルチン
(2009年/アメリカ)

「ターミネーター」が初めて製作されたのは、今から25年前。当時の職場の同僚に誘われ、なんの予備知識も持たずに見に行ったら、これが驚天動地の面白さだった。その後製作された続編「T2」の出来のよさが決定打となり、「ターミネーター」は、新作が出れば必ずチェックするシリーズのひとつとなった。
本作で監督を務めるのは、「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」を監督したMcG。アクション映画はお手のものだろうが、「ターミネーター」の独特な雰囲気を再現できるのか。「ターミネーター3」のようにグダグダにならないのか。ついでに言えば、ジョン・コナーはカッコよく描けているのか(クリスチャン・ベイルなら大丈夫だとは思うが)……などなど、古いファンとしては心配のタネが尽きなかった。
さて、フタを開けてみると、「ターミネーター4」は“審判の日”の後の物語だった。廃墟となったアメリカで、機械と人間が戦う殺伐とした光景が続く。ジョン・コナー(クリスチャン・ベイル)はまだ抵抗軍のリーダーになっておらず、米軍の一部隊長といったところ。敵が“将来、自分の父になる男”カイル・リース(アントン・イェルチン)の命を狙っていると知り、顔も居場所も知らないカイル救出に向かう。
本作ではシュワルツェネッガーが演じたT-800以外にも、機械軍のさまざまな新メカが登場するため、メカ好きはより楽しめる。映像技術は製作年代が新しいほど進歩しているので、シリーズ中では本作が今のところ最高だが、この手の技術はすぐに更新されるのが世の常。それよりも「ターミネーター」の面白さは、タイム・パラドックスが生み出す現実にはあり得ない展開や、情の部分で人間とターミネーターが心を通わせる古典的なストーリーにあるのだと思う。
今後、タイム・パラドックスを利用してストーリーを広げていけば、際限なくシリーズを続けることもできる。逆に“審判の日”を徹底的に防いでしまえば、ジョンはこの世に生まれない。カイルとジョンの母・サラが出会うこともないし、ターミネーターも未来からやって来ない。これが人類最良の解決策なのだが、シリーズのラストに描かれることがあるのだろうか。
(2009・7・2 宇都宮)

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「JUNO/ジュノ」
監督 ジェイソン・ライトマン
出演 エレン・ペイジ
    マイケル・セラ
    ジェニファー・ガーナー
(2007年/アメリカ)

わずか7館の上映でスタートし、その後口コミと受賞ラッシュで評判が広がり、全米大ヒットとなった青春映画。
16歳の女子高生ジュノ(エレン・ペイジ)は男友だちのブリーカー(マイケル・セラ)と興味本位でセックスし、妊娠してしまう。当初は産む気のなかったジュノだが、親友に付き添われて行った産婦人科で中絶を拒否。子どもを産むために、里親探しをはじめる。やがて理想的な里親が見つかり、徐々に大きくなっていくおなかを抱えながら、その日を待つのだが……
いやはや、ビックリした。なにがって? すべてに、だ。
作品自体は面白い。主人公の成長や、彼女を取り巻く人々の愛情が堅実に描かれていて、96分で終わるのがもったいないぐらい。もっと観ていたかった。音楽も、演出も、脚本もいいのだが…なにがいちばん印象に残ったかとなると、アメリカの10代少女の出産事情だ。
セックスし、妊娠する女子高生は多いが、アメリカでは「出産する」という選択肢を選ぶ女子高生も少なくないらしい。大きなおなかを抱えて通学するジュノをクラスメートたちは当たり前のように見守っているし、おなかの子の父親が同じ学校のブリーカーであることも周知の事実。
ジュノの両親は再婚同士で、母親とは血がつながっていない。しかし、ごくフツーの家庭で、両親はジュノを大切に考えているし、「出産」という選択肢をジュノが選んだときも娘の判断を尊重する。 さらに驚いたのが、アメリカの里親事情。サンケイリビングのようなタブロイド版のタウン誌に「里子求む」の広告がフツーに掲載され、訪ねて行ったジュノをセレブなカップルがフツーに出迎える。弁護士同席の話し合いでは、「子どもが生みの親と自然に交流できる、先進的な関係」を提案されるが、ジュノは大げさなことを望まない。とにかく、つねにドライにサバけていて、カラッとしているのだ。
これが日本なら、未婚の10代少女の出産は日蔭者扱いだ。いい里親が見つかり、預けることができたとしても、手放した子どもを想い続けてジメジメと人生を送ってしまう。1度犯した過ちを帳消しにできない、再チャレンジしづらい社会構造が、そこにはある。
それにしても、だ。
16歳でこんな重大なことを判断して、のちのち後悔しないのか? と、日本人的精神構造の私はつい思ってしまう。里親になるセレブカップルは、地位も財産も手に入れたが、子どもに恵まれない30代(推定)夫婦。他人から見れば夢のような暮らしをしていても、2人はあれこれ悩んでいるし、本当に手に入れたいものが手に入らないこともある。その立派な大人の夫婦が、16歳の女子高生を「私たちの赤ちゃんを産んでくれる母親」として尊重し、対等に向かい合っているのは、間違いなくアメリカ人の長所だ。大人だって失敗する。それなら若者は、失敗すればやり直せばいいだけのこと。きっと、それだけのことなんだろう。
面白いのは、ジュノとブリーカーの関係。ネタバレになってしまうので、あまり書けないが、ここまで“順番が違う”と、かえって清々しい。最後までカルチャーショックを与えてくれた。
(2009・6・29 宇都宮)

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「レッドクリフ」
監督 ジョン・ウー
出演 トニー・レオン
    金城 武
    チャン・フォンイー
(2008年/アメリカ・中国・日本・台湾・韓国)

この作品が世に出る前、「レッドクリフ」という言葉を聞いて「赤壁の戦い」を連想する日本人がどれほどいるのか疑問だった。かく云う私もピンとこなかった。しかし今や、三国志好きでなくても認知されるようになったのではないだろうか。
赤壁の戦いは『三国志演義』上もっとも知られた戦いであり、その後の三国鼎立の歴史を決定づけるターニング・ポイントだった。有名エピソードがてんこ盛りだし、登場人物も数多い。赤壁の戦いをモチーフに映画を作りたい!という気持ちはよくわかるが、果たしてどのように料理したのか? 興味しんしんで映画館に出かけたが、ジョン・ウー監督はさすがだった。
戦闘シーンはスペクタクルに。人と人との絡みのシーンは、しっかり登場人物のキャラを立て、わかりやすく。
当然、孫権・劉備の連合軍と曹操軍の両陣営を同時進行で描かなくてはならないのだが、そのあたりのシーンの切り替えも抜かりない。曹操軍の軍船が次から次へと炎上するクライマックスシーンは、映像技術の進歩なくしては不可能だったのでは? 一方、人海戦術で撮影した八卦の陣も見ごたえたっぷり。単純にアクションシーンを見るだけでも楽しめる。
また、原作は男性ばかりが活躍する英雄譚だが、映画では女性の登場人物をクローズアップし、それぞれ活躍の場を与えている。もちろん、女性の活躍シーンはジョン・ウー監督の創作なのだが、むくつけき男性ばかり映像で延々見せられるのは、確かにツライものがある。敵陣に女ひとり乗り込んでいく小喬(リン・チーリン)のエピソードなど、現実にはあり得ないが、本作では確かに見せ場になっていた。
『三国志』好きとして気になるのは、やはりキャスティング。当初、ジョン・ウー監督は孔明にトニー・レオンを、周瑜にチョウ・ユンファを考えていたそうだが、諸事情あって現在の配役になったそうだ。しかし、“天下一の美男”と呼ばれた周瑜はチョウ・ユンファよりトニー・レオンの方が似合うのでは? 孔明役が日本人(半分だが)の金城武というのは意外だったが、演じてみれば結構ハマっている(中国国内では、いろいろ批判があったかもしれないが)。
さらに脇が絶妙のキャスティングだ。曹操役のチャン・フォンイーはいい味を出しているし、劉備・関羽・張飛役には「いかにも!」という役者を配している。日本にも中国にも隠れファンが多いと思われる趙雲には、中国のスター、フー・ジュン。孫権役は「グリーン・デスティニー」でチャン・ツィイーの相手役を務めたチャン・チェン。本来セクシーな二枚目なのだが、器量で父や兄に及ばない迷える3代目当主役がよく似合っていた。そして、あまりに適役で笑ってしまったのが、魯粛役のホウ・ヨンという役者さんだ。名前以外になんの情報もないのだが、『三国志』好きならぜひチェックしていただきたい。孔明と周瑜という2人の天才に挟まれた凡人=魯粛の姿が、『三国志』の面白さを支えているのが実は英雄たちを支える凡人たちであることを、改めて教えてくれる。
(2009・6・29 宇都宮)

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「天使と悪魔」
監督 ロン・ハワード
出演 トム・ハンクス
    アイェレット・ゾラー
    ユアン・マクレガー
(2009年/アメリカ)

云わずと知れた「ダ・ヴィンチ・コード」の続編。前作ではあまりに原作が売れていたので、私もつい読んでしまったが、結果的には原作を読まなければ映画のストーリーも理解できなかった。本作はコンパクトにまとめられており、原作を読まなくても理解できる。
ヨーロッパ中世に、ヴァチカンに弾圧された科学者たちが結成した秘密結社イルミナティ。そのイルミナティが復活したと告げられ、宗教象徴学者ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)は、ヴァチカン警察の捜査に協力することに。イルミナティはローマ教皇の選抜会議であるコンクラーベの日に、ローマを破壊することを企んでいる。コンクラーベでは世界中からカトリック信者がローマに集まるため、未曾有の被害になることは確実。しかも、コンクラーベに参加するはずだった4人の枢機卿が誘拐され、次々と残忍な手法で殺されていく……
千数百年に渡って続くローマ教皇の交代儀式に秘密結社を絡めたのは、お約束の展開。しかし、そこに1都市を簡単に破壊する反物質が登場したり、元空軍パイロットの司祭が登場したりと、ストーリーに起伏をつけている。爆破のタイムリミットに間に合わせるため、ラングドン教授がヴァチカン警察とともにローマ中を駆け巡るが、その際、ローマの名所旧跡がうまく押さえられている。その中でもヴァチカンが群を抜いた名所であり、現代に続く権力の象徴であることは間違いないのだが。
154分の長丁場を退屈させることなくテンポよく見せてくれるため、前作よりとっつきやすい。最後にはどんでん返しも用意され、「やっぱり世の中、そんなにうまくいかないよね」という落とし所が待っている。長い長い歴史の下、明文化されている規則も、されていない規則も把握しきれないほどあるであろうヴァチカンで、そうそう歴史を覆す事件は起こらないということか。それが、たとえフィクションであっても。
(2009・6・28 宇都宮)

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「スター・トレック」
監督 J.J.エイブラハム
出演 クリス・パイン
    ザッカリー・クイント
    ゾーイ・サルダナ
(2009年/アメリカ)

トレッキーでこそないが、私は正真正銘のスター・トレック世代。中学時代、深夜に再放送される「宇宙大作戦」を何度も繰り返し見ていたことを懐かしく思い出す。1966年のスタート以降、「スター・トレック」はキャストや時代背景を変えて複数のシリーズが作られたが、私がハマっていたのは、カーク船長やドクター・スポックが活躍するオリジナルシリーズだ。「ネクスト・ジェネレーション」や「ディープ・スペース・ナイン」はタイトルだけ知っているものの、見たことはない。
そんなこんなで今回、若き日のカーク船長やミスター・スポックを主人公にした映画ができるというので、楽しみにしていた。期待に違わず、ストーリーはカークの誕生秘話からヤンチャ時代、そしてU.S.S.エンタープライズ号におなじみのメンバーが乗り合わせる様子が描かれていく。
それにしても、この40年間の映像技術の進歩はすさまじい。1960年代のTVシリーズでは異星の背景が見るからに絵画だったこともあったが、本作では迫力満点の宇宙戦の映像が楽しめる。ストーリーもテンポよく、TVシリーズと矛盾しないように作られており、ひょっとして今後はこのメンバーでTVシリーズ化があるのか? と思わせる。さらに、○○と△△が恋仲だったとか、若い頃のカークはこんなに□□□だったのね、といったエピソードも楽しい。
なによりうれしかったのは、主要登場人物がどこかTVシリーズと面影の重なるキャスティングになっていたこと。スポックは当然としても、若手俳優が演じるドクター・マッコイやスコットをひと目見て、「あ、マッコイだ」「あ、これはスコットね」と、ひとりうなずいてしまった。この感覚、古い友だちに再会できた喜びに近い。
(2009・6・21 宇都宮)

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「スラムドッグ$ミリオネア」
監督 ダニー・ボイル
出演 デーヴ・パテル
    フリーダ・ピント
    マドゥル・ミッタル
(2008年/アメリカ・イギリス)

2009年度アカデミー賞作品賞・監督賞をはじめ、最多8部門を受賞した話題作。監督は「トレインスポッティング」で鮮烈な印象を残したダニー・ボイルだ。
舞台はインド・ムンバイのスラム街。宗教紛争で母を殺された幼い兄弟サリームとジャマールは、同じく孤児になった少女ラティカとともに、ゴミあさり・物乞い・かっぱらいなど、ありとあらゆる方法で生き抜いていく。しかし、物乞い孤児を束ねる悪徳ブローカーに捕まったことが原因で、ラティカと生き別れに。その後10数年、ラティカを探し続けたジャマールは、話題のTV番組『クイズ・ミリオネア』に出場。次々と難問を解いていくが、まともな教育を受けていない彼に疑惑の目が向けられる…
世界中で放映され、誰もが知っているTV番組を効果的に使い、1問1問のクエスチョンに主人公ジャマールの過酷な人生が映し出されていく。その構成が秀逸だ。
描かれているのは目を覆うばかりの壮絶な貧困。そんな環境下で、家がなくても、親を亡くしても、必死で生き抜く子どもたちの生命力に脱帽する。私が同じ立場なら、さぞかし自分の運命を呪い、裕福な人々を羨んだろうが、ジャマールたちはとにかく今日食べる糧を得るために動くのみ。飢えた人は自殺を考えないというが、「生き抜く」ことに焦点を絞り、余計な感傷を介在させなかった演出がいい。
感動的なのは、壮絶な貧困の中にもジャマールがラティカへの愛情を持ち続けたこと。そこに兄のサリームが微妙なかたちで絡んでくるのだが、この兄弟は運命共同体。幼いときから手を取り合い、命がけで生きてきた絆は断ち切れるものではない。
『クイズ・ミリオネア』は勝者に大金をもたらすが、主人公が本当に欲しかったのはお金ではなかった。彼が出場した目的は愛する女性を探し出すため。そこが素直に泣ける。
イギリス人監督が描いたスラム街の姿に、インドの人々はきっと異論があるだろう。しかし、“生きる”という生物本来の行為に対する執着心は、先進国の人々が忘れかけているもの。今、日本で悩める人も悩んでいない人も、ぜひ観ていただきたい作品だ。
(2009・6・7 宇都宮)

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「ラスベガスをぶっつぶせ」
監督 ロバート・ルケティック
出演 ジム・スタージェス
   ケイト・ボスワース
   ケヴィン・スペイシー
(2008年/アメリカ)

マサチューセッツ工科大学(MIT)の秀才たちが記憶力と数学的手法を使ってブラックジャック必勝法を編み出し、ラスベガスのカジノで荒稼ぎした実話がベースとなった作品。
MITを首席で卒業し、ハーバード医科大学院への入学も決まったベン(ジム・スタージェス)は、30万ドルという学費を用意する必要に迫られていた。そんな彼に目を付けたのが、数学科の教授(ケヴィン・スペイシー)。彼は秀才ばかりを集めてブラックジャック必勝法を訓練し、ラスベガスに繰り出しては荒稼ぎしていた。当初は学費稼ぎのつもりで参加したベンだが、やがてラスベガスの持つ魔力に魅せられ、どんどん深みにはまっていく…
登場するブラックジャック必勝法は実際に存在するものらしいが、数学的才能ゼロでブラックジャックのルールもよくわからない私には、その内容がさっぱり理解できなかった。ただ、地味で勉強一筋だった主人公が、大金とゲームのスリリングな魅力に惹かれてどんどん暮らしぶりが変わり、その挙句に手痛い裏切りに合う過程は、感情移入しながら見てしまう。
母子家庭でつましく育った若者が、見たこともない大金を手に入れ、ブランド品で身を固め、贅沢な暮らしに慣れていく。おまけに片想いだった大学一の美女とつきあえるようになれば、有頂天になるのは当然。そんな日々がいつまでも続くわけもないのだが、そこがわからないのが若さというもの。主人公も高い代償を払って、その点を学ぶこととなる。
ストーリーのテンポがいいし、ケヴィン・スペイシーも学生たちもオタク仲間たちもいい味を出している。どんでん返しも用意されているので、素直に楽しめる作品だ。
それにしても、ハーバード医科大学院の学費+生活費が30万ドルって、高過ぎやしないか? 日本の私立医大も寄付金を合わせればそれぐらいになるのかもしれないが、本当に優秀な学生が学費を理由に勉強をあきらめるような社会はよくない。お金持ちしか医者になれない構図には、いい加減ウンザリだ。
(2009・4・24 宇都宮)

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「ジャンパー」
監督 ダグ・リーマン
出演 ヘイデン・クリステンセン
   サミュエル・L・ジャクソン
   ジェイミー・ベル
(2008年/アメリカ)

自由にどこへでも瞬間移動(テレポーテーション)できる能力があったなら……ドラえもんの「どこでもドア」じゃないが、誰もが1度は考えるこんな夢が実現したら、人はなにをはじめるのだろうか? テーマはそこに尽きる。
高校生デヴィッド(ヘイデン・クリステンセン)はアクシデントから氷の張った川に落ちたが、次の瞬間図書館にテレポートし、九死に一生を得る。以来、自分の特殊な能力に気づいた彼は、テレポーテーション能力の精度を高め、家を飛び出す。都会に出たデヴィッドは厳重に管理された銀行の地下金庫からあり余る金を奪い、優雅なひとり暮らしをはじめた。このまま順風満帆な生活が続くはずだったが、ある日「ジャンパー」を捕らえる組織のエージェント・ローランド(サミュエル・L・ジャクソン)が訪ねてきたことから、事態は一変する…
若い男の子がテレポーテーションできるようになったら、なにをするだろう? まずはお金。デヴィッドは部屋いっぱいの現金を得て、超高級マンションでリッチな暮らしをはじめた。ファッションもクルマも思いのまま。女の子だって、ナンパすればホイホイついてくる。
…なーんて、書いているのも空しくなる。いい若いモンが仕事もしないでブラブラして、達成感が得られるわけがない。挙句の果てに故郷に住む初恋の相手を誘ってローマ旅行に出かけ、閉館時間が過ぎて入れなかったコロッセオに特殊能力を使って入り込む。「その能力、もっと役立つことに使わんかいっ!」と私でなくてもツッコみたくなるというものだ。人命救助や災害現場、科学探査など、使える場所が山ほどあるというのに。
結局なにも解決しないまま終わるので、登場人物やストーリーにツッコミを入れながら、テレポーテーションの映像だけを楽しむ、というのがこの作品では正解だ。
内面に葛藤のない主人公を演じると、ヘイデン・クリステンセンもあまりカッコよく見えないから不思議だ。なお、ジャンパー仲間で登場するジェイミー・ベルは、「リトル・ダンサー」で主人公の男の子を演じた役者さん。「大きくなったな〜」「雰囲気変わったな〜」とそこばかり注目してしまった。
(2009・4・20 宇都宮)

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「落下の王国 -The Fall-」
監督 ターセム
出演 リー・ベイス
   カティンカ・ウンタルー
   ジャスティン・ワデル
(2006年/アメリカ・インド・イギリス)

『ザ・セル』で素晴らしい映像を見せてくれたターセム監督が、構想26年(!)撮影4年を費やして完成させた作品。世界24ヵ国(!!)で撮影された映像が、とにかく美しい。
1915年のアメリカ。オレンジの木から落ちて腕を骨折し、入院中の少女アレクサンドリア(カティンカ・ウンタルー)は、別棟に入院中のスタントマン・ロイ(リー・ベイス)と知り合い、毎日のように物語を聴かせてもらう。ロイが語る物語は世界を舞台にした冒険譚。「続きが聴きたければ薬品庫にある薬を盗んでくるように」といわれたアレクサンドリアは、ロイに自殺願望があることも知らず、言われるままに薬品庫に忍びこむ…
かたちを変えた「千夜一夜物語」というところか。砂漠、湖、石造りの都市、タージマハールなどの世界遺産…幻想の物語だから次から次へと舞台を変え、地上の美しさをこれでもかとばかり見せつける。最高の風景をバックに、登場人物の衣装や小物、肌や髪の色までしっかりと計算された美意識がスゴイ。24ヵ国ロケでは陽射しの角度や空の色までこだわったろうから、かかる費用と時間も膨大なものだったろう。
ストーリーのキーワードは「落下」。オレンジ農園の労働者階級の娘であるアレクサンドリアはオレンジの木から落ちたし、ロイが入院したのもスタント中の落下事故。幻想の物語の中にも落下シーンが登場する。高くて危険な場所、重力への恐怖、そして自殺願望…そういった要素が観る者をどこか不安な気持ちにさせる。
美しい映像を楽しみたい向きにはオススメだが、ドキドキするストーリーを楽しみたい人には退屈な作品だと思うので、観る前にご一考を。
(2009・4・20 宇都宮)

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「おくりびと」
監督 滝田 洋二郎
出演 本木 雅弘
    広末 涼子
    山崎 努
(2008年/日本)

なんたって2009年度アカデミー賞外国映画賞受賞作品である。
「納棺師」という日本人でもよく知らない職業や納棺の儀式の様式美、山形・庄内地方の美しい自然、昔ながらの人々の暮らしぶり…そんなシーンの連続が外国人の心を掴んだのだろうか。あくまでも真面目な主人公の仕事ぶりやバラエティゆたかな食生活を見ていると、確かに「これぞ日本!」。そういう意味では、日本人のメンタリティに対する世界的な認知が進んでいるようで、素直にうれしい。
ストーリーはもう説明するまでもないかもしれないが、主人公の大悟(本木雅弘)がチェロ奏者として挫折するところからはじまる。妻の美香(広末涼子)とともに故郷の山形に帰った大悟が求人広告で見つけたのは、「旅のおてつだい」をする仕事。好条件に惹かれて応募した大悟に待っていたのは、思いもよらない「納棺師」という仕事だった…
作品自体は手堅くまとめられていて、オーソドックスな日本映画という印象。主人公が元アーティストという設定も、美しいものに対する感性が鋭く、物事の真実を見極めようとする姿勢につながりやすいという意味で成功している。
驚いたのは、「納棺師」という職業に対する人々の偏見。「そんな仕事して恥ずかしくないの?!」と妻まで実家に帰ってしまうほどの拒否ぶりだ。しかし、遺体を清める作業は誰かがやらなければならないことだし、きれいにすることで遺族に感謝してもらえる。中には孤独死や事故死など悲惨な現場もあるだろうが、これも遺族ですらできないことをやるわけで、感謝されこそすれ蔑視される理由はないのでは? どうしても慣れることができない腐臭がついたり、陰気な空気を背負う弊害がそう思わせるのだろうか。以前、納棺師の仕事と部分的に重なる『遺品整理屋は見た!』(吉田太一著)という書籍を読んだことがあるが、「大変な仕事だな」と感心するばかりだった。
要するに「では、あなたは納棺師をやりたいか?」という問いかけに、「やりたい」と答える人が少ない、ということだろうか。本作のヒットで納棺師志望者が一時的に増えたらしいが、「給料がいい」「かっこいい」といった気持ちでは務まらない仕事だろう。
人にとって、「死」ほど平等なものはない。どんなお金持ちにも貧乏人にも、「死」は平等に訪れる。現代は「死」を直視しない時代だが、それでも人生の最後にはさまざまなドラマがある。死者の尊厳を守り、あくまでも死者を敬って死に装束を美しく飾る納棺師は、百人百様のドラマを目の当たりにする。死者が家族に愛されていたのか、幸せな人生を送ったのか、人生のエキスがきっとそこには詰まっている。つまり「納棺師」にスポットライトを当てた点で、この映画は“企画勝ち”と言えそうだ。
(2009・4・15 宇都宮)

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「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ハリソン・フォード
   シャイア・ラブーフ
   ケイト・ブランシェット
(2008年/アメリカ)

やっとやっとインディ・ジョーンズが帰ってきた!
第4作が製作されていると知ってから、早や4年。昨年の夏休みに劇場公開されたが観に行くヒマがなく、先日ようやくDVDで観ることができた。
今度の舞台は1957年、反共産主義の嵐が吹き荒れているアメリカ。世界を統べる力を持つ秘宝を手に入れるべく、ソ連の情報将校イリーナ(ケイト・ブランシェット)がジョーンズ博士(ハリソン・フォード)を捕らえようとする。あわやのところで逃れたインディに近づいてきたのは、マット(シャイア・ラブーフ)と名乗る若者。彼がもたらしたのは、インディの旧友の考古学者が秘宝クリスタル・スカルを求めて危機に陥っているという知らせ。さっそくインディとマットは南米に飛ぶが、そこに待ち受けていたのは冒険に次ぐ冒険だった。
インディ・ジョーンズ好きにはうれしいことに、ストーリーはすべてお約束どおり。第1作のラストシーンに登場した、あのアメリカ軍の国家機密倉庫からファーストシーンがはじまるのもワクワクさせられる(しかも、“失われたアーク”がチラリと見えるサービスぶりだ)。同じく第1作に登場したインディの恋人マリオン(カレン・アレン)が重要な役どころで絡んでくるのも面白い。
次から次へとアイディアが提供され、観る者を飽きさせない展開も同じ。スティーヴン・スピルバーグ×ジョージ・ルーカスという2人の天才が10年近く構想を練ったというのだから、面白いのも当然かもしれない。ハリソン・フォード(第4作をつくりたいと最初に言い出したのは彼だったらしい)が66歳とは思えぬ若々しさだったのもうれしい。
「スター・ウォーズ」といい、「インディ・ジョーンズ」といい、長くつくられるシリーズものというのは、観る人の人生に重なる部分がある。いつまでも続けられるものでもないが、シリーズ復活には旧友に再会したようなうれしさがある。
(2009・4・6 宇都宮)

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「紀元前1万年」
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 スティーヴン・ストレイト
   カミーラ・ベル
   クリフ・カーティス
(2008年/アメリカ・ニュージーランド)

大作づくりが得意なローランド・エメリッヒが、今度は紀元前1万年の世界をCGを駆使して創り上げた。
山間の村に住む若者デレー(スティーヴン・ストレイト)はエバレット(カミーラ・ベル)と愛を誓い合っていたが、エバレットが騎馬軍団の無法者にさらわれてしまう。愛するエバレットを追って旅に出たデレーは、その先でピラミッドを建造中の先進文明に出会うが・・・
マンモスの群れが移動し、サーベルタイガーが闊歩した1万年前の地球をCGで再現し、映像は見ごたえたっぷり。ただし、科学的な検証は???だし、登場人物の言動がみな現代人。野性の恐ろしさを知る1万年前の人間が、ケガをしたサーベルタイガーを救うなんて、あり得ないと思うのだが。
アルプスらしき山岳地帯にある村から出発した主人公が、砂漠の中のピラミッドに行き着くまでにアフリカ系の人々の村に行き当たるのも???。どういう位置関係なのか。白人である主人公とアフリカ系の人々が無二の戦友になるのも、カンタン過ぎていただけない。人は自分と異なる人を排除したがる。その弊害が21世紀の今も続いているわけだが。
CG映像をかる〜い気分で楽しむには、いい作品だ。109分という上映時間も手ごろでいい。
(2009・1・29 宇都宮)

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「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 ダニエル・デイ=ルイス
   ポール・ダノ
   ディロン・フレイジャー
(2007年/アメリカ)

ダニエル・デイ=ルイスが2度目のアカデミー主演男優賞を獲得した作品。
20世紀初頭のカリフォルニア。鉱山労働者のダニエル(ダニエル・デイ=ルイス)は幼いひとり息子H.W.(ディロン・フレイジャー)を連れて、油田が眠る土地の買い占めに奔走する。過酷な採掘作業を経て見事に油田を掘り当てるのだが、その際の事故がもとでH.W.は聴力を失ってしまう。しかし、富を求めて事業をどんどん拡大するダニエルにとって、障害を持つ息子は邪魔でしかなかった・・・
ダニエル・デイ=ルイスが演じるのは、アメリカンドリームを実現し、一代で富を築いた男。立志伝中の人物なのだから、さぞかし前向きで元気をもらえる内容では?・・・と思っていたら、大違いだった。人間の欲深さ、醜悪さをこれでもかとばかり描き続け、デイ=ルイスが達者な演技でそれに応えていく。男性にとっては魅力的な人物なのかもしれないが、女性から見ればサイテー。あくまでも人を信じられず、孤独に富を追い続けることに、いったいなんの意味があるのか。成功者として大きな屋敷で暮らしても、心は全然満たされていない。どこまでも不幸だ。
特に、ひとり息子との相克が痛ましい。「幼い子どもを連れていけば、土地の買い取り交渉を優位に進められる」とセリフにもあったが、本当にそれだけ? もっと温かな理由が彼の中にあったのでは?とも思う。しかし、あくまでも人との信頼関係を認められないのであれば、所詮そこまでの人物ではないか。過酷な環境で鬼のように働き、知恵をめぐらせて大金持ちになったものの、幸せな老後はあり得ない。
(2009・2・2 宇都宮)

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「ライラの冒険 黄金の羅針盤」
監督 クリス・ワイツ
出演 ニコール・キッドマン
   ダコタ・ブルー・リチャーズ
   ダニエル・クレイグ
(2007年/アメリカ)

児童文学の世界的ベストセラー『ライラの冒険』を映画化した第1弾。
舞台は私たちの世界によく似ているが、少し異なるパラレル・ワールドのイギリス・オックスフォード。子どもが誘拐される事件が相次ぎ、12歳のおてんばな女の子ライラ(ダコタ・ブルー・リチャーズ)のまわりでも、親友のロジャーが行方不明となる。ライラは真実を教える黄金の羅針盤を手に入れ、ロジャーを助けるために北極圏に向かうが、謎の女性コールター夫人(ニコール・キッドマン)からたびたび妨害を受ける。困難に立ち向かうたびに勇気と知恵を発揮するライラは、旅の途中で出会った鎧グマの王や気球乗りの冒険家、北の国の魔女たちの心を捉えていく。やがて、子どもたちが誘拐される真の理由が明らかになり・・・
友人から「原作読んでないと、内容が理解できないよ」と聞いていたため、この作品を見る前に原作の3部作を一気読みした。いざ映画を見てみると、確かにこれでは映画だけ観た人には理解できないと感じた。
舞台がパラレルワールドであること(でもイギリスがあるし、オックスフォードがある)。そして、この世界の人間はすべてダイモンと呼ばれる守護精霊を持っていること。ダイモンは動物の姿をしており、子どものうちはいろんな動物に姿を変えるが、大人になると1つの姿に定まる。ライラのダイモンはパンタライモンという名で、普段はオコジョの姿をしていることが多いが、ライラの危機となれば猛獣にも変身する。ダイモンは生まれたときから人間に寄り添う心の友であり、その人が死ぬとダイモンも消滅する。・・・こんなふうに文章で説明できれば簡単なのだが、映画では「人にはダイモンがいるのが当たり前」という設定なので、行き届いた説明がされていない。なんの予備知識もなければ、おそらく作品の半分以上を経過しなければ、ダイモンの存在を理解できないのではないだろうか。
ストーリーの展開が早くて、登場人物が多いのも理解を難しくしている。コールター夫人の黒幕組織がいったいなんなのか、アスリエル卿(ダニエル・クレイグ)はいったいなにをしようとしているのか、ストーリーの鍵である“ダスト”とはいったいなんなのか? 謎だらけのまま本作はあっけなく終わり、第2章へと謎が持ち越される。
消化不良気味の作品だが、キャストの豪華さは特筆モノ。ニコール・キッドマンは美しさと怖さを兼ね備えたコールター夫人をうまく演じているし、ダニエル・クレイグも存在感がある。中でも原作のイメージにぴったりなのは、魔女のセラフィナ・ペカーラを演じたエヴァ・グリーン。3部作を通じた重要な役どころなのだが、本作ではチョイ役だったのが残念だ。
(2009・1・28 宇都宮)

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「ミスト」
監督 フランク・ダラボン
出演 トーマス・ジェーン
   マーシャ・ゲイ・ハーデン
   ローリー・ホールデン
(2007年/アメリカ)

原作スティーヴン・キング+監督フランク・ダラボンのコンビといえば、思い出すのは『ショーシャンクの空へ』と『グリーン・マイル』。特に『ショーシャンクの空へ』はプロットの巧みさ、人間の底力を感じさせる内容にとても感動した。本作の『ミスト』は前2作より小作りだが、充分に楽しめる。
舞台はアメリカのどこにでもありそうな田舎町。幼い息子とともにスーパーで買い物をしていたデヴィッド(トーマス・ジェーン)は、視界を遮る深い霧に遭遇する。ほどなく霧の中から近所の老人が命からがらスーパーの店内へ逃げ込んでくる。「霧の中になにかいる!」と叫びながら・・・。霧はいっこうに晴れる気配を見せず、それどころか正体不明の怪物に店員の1人が命を奪われる。怪物の姿にパニックを起こした数十人の客たちは、スーパーに篭城しようと主張する者、脱出を図る者に分かれ、意見がまったくまとまらない。中でも混乱に拍車をかけたのは、狂信的クリスチャンの中年女性カーモディ夫人(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が語る“最後の審判”の一節だった・・・
霧の中にいる怪物は、『エイリアン』を彷彿とさせる。というよりむしろ、『エイリアン』シリーズがその後のホラー映画・SF映画に残した影響の大きさに驚いた。軍隊でもないフツーの人たちがエイリアンばりの怪物と闘えるわけがないから、スーパーの客たちはみなオロオロと逃げ惑い、パニックを起こすのみ。こんなときこそリーダーが必要だと思うのだが、リーダー格の人間同士がいがみあって協力できない。このあたりのアメリカ人のアグレッシブさは農耕民族の日本人から見ると、「なんでそこでケンカになるの?」と思ってしまう。客たちは四分五裂し、気の合う者同士が小さなグループになるだけ。主人公のデヴィッドもそんな1グループのリーダーに過ぎないのだが、ストーリーの展開上いちばんマトモに見える。
本作の怖さは、恐怖に駆られた人間の集団心理という“内なる怪物”。最初は変わり者扱いされていたカーモディ夫人が次々に襲いかかる恐怖の中で自分を預言者だと思い込み、聖書の句を唱え続けるうちに、彼女を信じてついていきたいと考える人たちが現れる。恐怖のあまり、考えることを放棄した人・・・その集団心理が起こす非道の数々は、オウム事件を思い出させる。
予測がつかない相手、情報のない相手と闘うのは、本当に困難なことだと思う。しかし、人に従うのではなく、自分の頭で考えるのがいちばん。たとえ間違っていたとしても、自分の判断ならしかたがない。そして、可能性がある限り、最後まであきらめないこと。ラストシーンがなによりもその大切さを物語っている。
(2009・2・2 宇都宮)

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「ブーリン家の姉妹」
監督 ジャスティン・チャドウィック
出演 ナタリー・ポートマン
   スカーレット・ヨハンソン
   エリック・バナ
(2008年/アメリカ・イギリス)

16世紀、ヘンリー8世統治下のイングランド。地方の一貴族だったトーマス・ブーリン卿には、美しい2人の娘がいた。姉は才気にあふれ、上昇志向の強いアン(ナタリー・ポートマン)。妹はおとなしく控えめなメアリー(スカーレット・ヨハンソン)。ブーリン卿はアンをヘンリー8世(エリック・バナ)の愛人に送り込み、一家の繁栄を築こうともくろむが、国王の心を捉えたのはメアリーだった。
宮廷に仕えるようになったメアリーはやがて王の子どもを出産するが、その間にアンが策を弄して国王の関心を惹きつけ、彼を夢中にさせる。しかし、アンの目的は愛人になることではなく、王妃になることだった・・・
歴史上有名なアン・ブーリンの処刑とヘンリー8世のカトリック教会破門事件を、ブーリン家の視点から描いた作品だ。ヘンリー8世による英国国教会の設立は、世界史の歴史でも習う大事件。のちのエリザベス1世の母親であるアン・ブーリンの悲劇も知識として知ってはいたが、妹のメアリーの存在はこれまであまりフィーチャーされなかったのでは? 本作でも姉妹は対照的な性格に描かれ、一時はヘンリー8世を巡って反目しあう。
当初、この作品のキャスティングを聞いたとき、「ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンの役は逆の方がいいのでは?」と思った人も多いのではないだろうか。かくいう私もそうだった。が、115分間の濃厚なドラマを見て、キャスティングの疑問は吹っ飛んだ。当たり前といえば当たり前だが、どちらもさすがは女優! 特にナタリー・ポートマンはひと皮剥けた気がする。
単なる愛人ではすぐに王に飽きられてしまう。王妃になって、自らの地位を固めなければ・・・と、アンが考えたのはよくわかる。しかし、考えるのと実行するのとでは天と地ほどの開きがある。王にはれっきとした王妃がいるし、カトリックでは離婚は認められていない。ムリを通せば・・・結果は歴史が物語るところだ。
女性が政治の道具にされた時代。女好きのヘンリー8世はどうしようもない男に見えるが、跡継ぎの男の子が欲しいという妄執にかきたてられていた部分もある。しかしその後、イングランドに史上最高の繁栄をもたらしたのは、アンが生んだ女の子だった。卑見になるが、私も周囲を見ていて「能力に性別は関係ない」と、つくづく思う。むしろ、この作品のヘンリー8世のように、自らの中の制御できない本能や意味のないプライドに振り回されている男性が気の毒にすら思える。
(2009・1・24 宇都宮)

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「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」
監督 アンドリュー・アダムソン
出演 ベン・バーンズ
   ジョージー・ヘンリー
   スキャンダー・ケインズ
(2008年/アメリカ) 前作の「第1章:ライオンと魔女」から約2年。「ナルニア国物語」の第2章「カスピアン王子の角笛」をさっそく観に行った。
原作を忠実に再現した第1章に比べて、第2章は構成を大幅に変えている。
冒頭のシーンは4人の子どもたちがナルニアに戻るシーンではなく、カスピアン王子がミラース王の城を脱出するシーン。原作の3分の1を占める回想シーンをセリフと映像で説明し、リアルタイムなストーリー展開に構成し直している。そのため、カスピアン王子がなぜナルニアの民にすぐ心を許すのか、映画だけ観ている人には伝わりにくいかもしれない。
また、人間対ナルニアの民の闘いに説得力を持たせるためか、ミラース王の城に奇襲をしかけたり、戦闘場に仕掛けを作ったりするのも映画ならではのオリジナル。創り手たちが知恵を絞って映像化しているのがわかる。
そんな作品を生み出す苦労に加えて、映画の成否を決める大きな要素がカスピアン王子のキャスティングだ。原作では10代の金髪の少年というイメージだが、これは原作シリーズの挿絵の影響がとても大きい。しかし、父王を殺した叔父への復讐と人間との戦闘に勝利するという事業を10代の少年がなし得るにはムリがあるため、映画では20代の青年に設定。1年がかりのオーディションで、イギリス人の若手俳優ベン・バーンズを抜擢したらしい。新聞広告で初めて彼を見たときは原作のイメージと違うので驚いたが、映画では冒頭から違和感がない。映画界では新人なので、まだ色がついてないせいだろうか。ハムレット的苦悩を抱く王子そのものだ。
4人の子どもたちはそれぞれ成長していたが、特に下の2人・エドマンド役のスキャンダー・ケインズとルーシィ役のジョージー・ヘンリーがずいぶん大きくなっていた。子役が登場するシリーズは、子役の成長を親戚のおばさん(?)のように見守れるのがうれしい。スキャンダー・ケインズは数年後にはすごくカッコよくなるんじゃないか、なんて予想するのも楽しみのひとつだ。
いずれにせよ、世界的なロケと大掛かりな城のセットまで建てて再現した空想の国は見ごたえがある。ストーリー展開も早く、ナルニアを知っている人も知らない人も、充分楽しめるのではないだろうか。人々が待ち続け信じ続ける存在“アスラン”が、(ライオンの姿を借りてはいるが)実はいったいなにを指すのか。原作シリーズを最後まで読めばわかるのだが、本作でも暗喩を含んだセリフがあちこちに登場する。そこまで掘り下げることができれば、もっと楽しめるかもしれない。
次は「第3章:朝びらき丸、東の海へ」。私は7冊あるシリーズの中で、実はこの第3章がいちばん好きなのだが、主役のベン・バーンズも同じらしい。カスピアン王子の夢と冒険にあふれる航海を、きっとディズニーが最新VFXCGを駆使して見せてくれることだろう。
2008524 宇都宮)

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「ミス・ポター」
監督 クリス・ヌーナン
出演 レニー・ゼルウィガー
   ユアン・マクレガー
   エミリー・ワトソン
2006年/アメリカ・イギリス)

ピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの半生を描いた作品。20世紀初頭のイギリス上流階級を舞台に、自分の意思を貫く女性の姿が印象的だ。
1902年、ロンドン。ベアトリクス・ポター(レニー・ゼルウィガー)は、子どもの頃から描きためた動物たちの絵本を出版社に持ち込み、出版が決定する。しかし、上流階級を自認する両親は、30歳を過ぎた娘が結婚もせず、アーティストとして生きようとすることが理解できない。親の勧める縁談を断り続け、創作活動に励む彼女は、やがて担当編集者のノーマン(ユアン・マクレガー)と恋に落ちる。しかし、ノーマンとの結婚に反対する両親を説き伏せるためロンドンを離れているあいだに、ノーマンが病に倒れ・・・・・・
ミス・ポターと両親とのやりとりを観ながら、「ジェネレーションギャップの悩みは、いつの時代も同じなんだな」と思った。自分たちの世代と同じ生き方を娘に強要する両親。しかし、娘にはクリエイティブな才能があり、それを活かすだけの意思の強さがあった。仕事をはじめてみたら当然世界が広がるし、出会いも生まれる。自分のいちばんの理解者である編集者と恋に落ちるのに時間はかからなかった。これって、現代の日本でもよくある構図だ。
印象に残ったのは、父親と母親の対応の違い。母親は娘がいくつになっても自立を認めようとしないが、父親は娘がベストセラー作家になったことを認知し、娘を経済力のある自立した人格として認めていく。社会性の違いというか、視野の広さの違いというか、社会でもまれている人と家の中しか知らない人の差が顕著に描かれている。
物語のキモは、ノーマンが亡くなってから。唯一無二と思える恋人を亡くした後のミス・ポターの生き方が素敵だ。あえて両親から離れ、心のふるさとともいえる湖水地方に農場を購入して自立する。それもこれも経済力があるからできること。やはり、女性の自立はまず経済力だ。
作品中にはピーター・ラビットの舞台である湖水地方の風景がよく登場する。私も1度だけ行ったことがあるのだが、とにかく美しいところで、わずか1泊だけで移動するのが惜しくてしようがなかった。いつかまたゆっくりと滞在したい場所だ。
2008512 宇都宮)

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「アイ・アム・レジェンド」
監督 フランシス・ローレンス
出演 ウィル・スミス
   アリーシー・ブラガ
   ダッシュ・ミホック
2007年/アメリカ)

2012年、人類は新種のウィルスにより絶滅に瀕していた。米軍に所属する科学者ロバート・ネビル(ウィル・スミス)は、ウィルスに先天的な免疫を持つ稀有な男。人々が死に絶えた後も、たったひとり無人となったニューヨークで愛犬とともに生き抜いていた。彼の願いは人類を救うワクチンを開発すること。昼は食料探索とワクチン開発に打ち込みながら、生存者からの連絡を待つ。夜はウィルスで変異した感染者が、人肉を求めてニューヨーク市街をさまよう中で、ひたすら息を潜めて朝を待つ。感染者は太陽の光の中には出て来られないため、彼の安息は昼間にしか存在しない。そんな日々が3年間も続いていたある日、愛犬が感染犬に襲われ、ネビル自身も危機に瀕し・・・
有名なSF小説の3度目の映画化らしい。
作品の前半を覆うのは、たったひとりの生き残り・ネビルの壮絶な孤独感。唯一の家族であり友人であるのが愛犬。マネキン人形たちも友だちだ。「毎日正午、サウスポートで待つ」と、どこかにいるかもしれない生存者に向けて終日AM電波を流し続け、約束どおりサウスポートに日参するのだが、もちろん誰も現れない。3年前に亡くした家族の思い出も悲しい。
後半は襲いかかる感染者の群れとのアクションシーンの連続。SFというより、アクションホラーの趣が強い。このまま登場人物はウィル・スミスだけなのかと思いきや、後半で意外な展開がある。
私は「人類最後の1人」という設定に、手塚治虫さんの『火の鳥 未来篇』を思い出しながら観ていた。
これ以上の孤独はない、究極の孤独――
私自身の経験でも、家にこもる仕事で誰とも話さず誰とも会わない日が34日も続いたら、精神的に煮詰まってくる。そんなときは友人に連絡し、食事やおしゃべりをして発散するのだが、それがムリならせめてマンションから外へ出て、街を歩いている人たちを見るだけでもいい。コンビニで「いらっしゃませ」と言われるだけでも、多少の気晴らしになる。人間とは、かくも孤独に弱い。
ゾンビたち(本当は生きている人間の感染者たちだが)との死闘シーンも面白いが、この作品が人の記憶に残るとすれば、孤独と闘うウィル・スミスの表情だと思う。登場する人間は彼だけだから、独白のようなセリフが多く、難しい演技だったのではないだろうか。そういえば、無人島で4年間過ごす設定の『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスの演技もすごかった・・・
今、新型インフルエンザ流行に備えて、国が準備をしているらしい。人類誕生以来、絶えることなく続いてきた人間とウィルスの闘い。最終的にどちらが勝つのだろうか。
2008511 宇都宮)

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「キングダム/見えざる敵」
監督 ピーター・バーグ
出演 ジェイミー・フォックス
   クリス・クーパー
   ジェニファー・ガーナー
2007年/アメリカ)

サウジアラビアの外国人居留区で自爆テロが発生。100人を超えるアメリカ人やサウジアラビア人が殺された。同僚のFBI捜査官を殺されたフルーリー(ジェイミー・フォックス)は、優秀な部下を選抜してチームを組み、現地へ乗り込む。しかし、犯人を突き止めようと意気込むフルーリーたちを妨害するのは、味方であるはずのアメリカとサウジアラビアの機関。フルーリーは知恵を絞り、コネクションを最大限に利用しながら障壁を1つ1つ乗り越え、犯人に迫っていくが・・・
地味な映画だが、よくできている。サウジアラビアという新米派の王国、アメリカが最大の敵とする国際テロ組織、そして彼らに干渉し、コントロールしようとするアメリカ合衆国。三者の微妙な関係が「FBI捜査官による自爆テロ捜査」というストーリーを通して、三者三様の顔が見えるように描かれていた。
フルーリーはじめ、個性あふれるFBI捜査官たち。たたみかけるような展開。要所要所に散りばめられた印象的なセリフ。ラストの銃撃戦まで観る人をぐいぐい引っ張るテクニックはお見事。監督のピーター・バーグは聞き慣れない名前だが、トム・クルーズ主演の『コラテラル』などに役者として出演していた人らしい。この作品で、監督としての評価が一気に高まったのではないだろうか。
それにしても、アメリカに代表される欧米文化とイスラム文化の相容れない関係はどうしたものだろう。どちらも「目には目を」とばかり、受けた攻撃には必ず報復で返すから、諍いに終わりがない。目の前で家族をアメリカ人に殺された子どもは、長じて自爆テロ犯になる。ラストのセリフにこの作品のテーマがはっきりと見え、作品全体の価値を上げているのだが、同時に絶望的な気持ちにさせられる。
命が軽く扱われる世界に生きる子どもたちに、本当の意味で平和な暮らしをさせてあげたい。何代も続く紛争や戦争で、誰も平和を知らない地域が21世紀になってもなお、地球上に存在することがやるせない。
2008511 宇都宮)

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「マリー・アントワネット」
監督 ソフィア・コッポラ
出演 キルスティン・ダンスト
   ジェイソン・シュワルツマン
   リップ・トーン
2006年/アメリカ)   

言わずと知れたマリー・アントワネットの生涯を描いた作品。絢爛豪華なロココ文化の世界を描いた従来の作品と異なり、ポップでキュートな映像と音楽で見せる。
オーストリア皇女マリー・アントワネットはわずか14歳でフランス王太子ルイ・オーギュスト(ジェイソン・シュワルツマン)に嫁ぐ。母国から彼女に課せられた使命は、1日も早く跡継ぎを産み、両国の絆を深めること。しかし、夫ルイは彼女に指1本触れようとしない。アントワネットは宮廷の好奇の目にさらされながらも、フランスで生きていこうと懸命に努力を続ける。しかし、孤独を忘れようと取り巻きとのパーティが続くにつれ、宮廷の出費がかさんでいき・・・
14歳で親元を離れ、異国の宮廷で1人闘う女性像というのは、見ていて心が痛む。オーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘として生まれ、愛情を注がれて育った女性だけに、余計嫁ぎ先との落差がつらい。しかし、尊敬する母のため、故国のために、夫の関心を惹きつけようと幼いながらも懸命に努力する姿は、「ああ、ぜいたくな暮らしができるとはいえ、王族も大変なんだな」と思わせる。
フランス革命に至った国の窮状や民の暮らしの実情を知らなかったのは、教えなかった周囲にも問題があるし、知ろうとしなかった本人たちの資質の欠如もある。この作品では、想像を絶する貧困に喘いでいたフランスの民衆が描かれていないのだが、アントワネットがぜいたくをすればするほど空しさが募り、破滅の足音が近づいてくる。
いちばん驚いたのは、なんといっても作品の終わり方だ。誰もが歴史上有名な最期を知っているだけに、あの残酷な死に方と本作のキュートな映像が相容れない。それに、国家のために嫁いだ先で殺されることになる女性の最期というのは、やはり見たくないものではないだろうか。そんないろいろな配慮があってのラストシーンだとは思うが、終わった瞬間、「えっ、ここで終わるの?!」と思った人が9割以上存在するはず(と、私は思う)。
ほかに意外だったのは、主演のキルスティン・ダンスト。子役の頃から知っており、これまで美人と思ったことがなかったが、この作品の彼女は本当に美しい。細身のからだで14歳のあどけない少女の役もこなしており、年齢不詳の演じっぷりはお見事。売れっ子女優になった理由がよくわかった。
また、フェルゼン伯爵が女たらしの外交官として登場するのが、『ベルばら』で育った世代としては、ちょっと寂しい。
2008410 宇都宮)

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「エリザベス:ゴールデン・エイジ」
監督 シェカール・カプール
出演 ケイト・ブランシェット
   ジェフリー・ラッシュ
   クライヴ・オーウェン
2007年/イギリス・フランス)

前作「エリザベス」から早や9年が経過したと聞き、時のたつ速さに驚いた。前作ではケイト・ブランシェットの演技力に圧倒されたものだが、本作もその点はまったく同じ。しかも9年たってもトシをとっていない。その美しさと演技力に脱帽だ。
物語はエリザベスがイングランド女王に即位し、スペイン無敵艦隊を破ってイングランドの黄金時代を築くまで。独身の女王を狙って次々と求婚者がやって来る。味方からも跡継ぎを望む声が上がるのだが、「国家との結婚」を貫くエリザベスの意思は変わらない。明晰な頭脳と自分の信念を貫く意思の強さは見ていてホレボレするが、デキる女が孤独なのはいつの時代も同じ。ましてや国家のトップに立つ人は、底なし沼のような孤独をいつも見ていることだろう。
そんなエリザベスの心を動かしたのが、新世界帰りの航海士ローリー(クライヴ・オーウェン)。これが水もしたたるセクシーな男ぶり。宮廷の干からびた男たちばかりの中であんな自由な海の男に出会えば、エリザベスでなくとも惹かれてしまうに違いない。結局、この淡い恋は成就しないが(そんなことはエリザベス自身、最初からわかっていることなのだが)、ローリーはイギリス海軍の一員としてその後大活躍する。現代にたとえるなら、女社長は孤高の独身を貫くが、有能な幹部候補をしっかり社内に取り込んだ、といったところだ。
サブストーリーとしてスコットランドのメアリー女王の運命の変転も織り込み、この時代のイギリスは映画や戯曲の題材に事欠かないと実感させられた。
2008410 宇都宮)

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「ボーン・アルティメイタム」
監督 ポール・グリーングラス
出演 マット・デイモン
   ジュリア・スタイルズ
   デヴィッド・ストラザーン

2007年/アメリカ)

ジェイソン・ボーンシリーズは、私の中で「絶対見逃せない」存在だ。
「ボーン・アイデンティティ」でマット・デイモンが初めてカッコよく見え、「ボーン・スプレマシー」で恋人マリーを亡くしたボーンの傷心に胸をしめつけられた。本作「ボーン・アルティメイタム」は物語上の時間でも「ボーン・スプレマシー」のラストシーンにつながっている。過去の登場人物が意外なシーンで次々に現れ、シリーズ全体の総決算であることを感じさせる。
アクションシーンは相変わらず息もつかせぬ展開で、アイデア満載。モスクワ→パリ→ロンドン→モロッコ→ニューヨークと舞台を次々に変えながら、CIAとボーンの知恵&体力比べが続いていく。例によってCIA上層部の過去の機密事項隠しがあり、「ボーン・スプレマシー」に続いて登場したCIA女性幹部パメラ(ジョアン・アレン)が内部機密を探りながらボーンを追う。このパメラの切れ者ぶりが見ていて実に爽快。男性上司の無能ぶりもリアルだ。
愛国心から志願した仕事なのに、いったん命令に背くと命を狙われる。上司も同僚も友人も、誰も信じられない。この“誰も信じられない”という状況がいかにつらいものか。これほどの孤独とひきかえに得るものは、いったいなに? 現実のスパイがどういうものかは知らないが、どんなに報酬がよくてもやりたくない仕事だ。もちろん、私みたいなボンヤリした人間にできるわけもないが、優秀な人材がこんな仕事で命を落としているとすればもったいない話だと思う。
2008410 宇都宮)

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