作品名 | 監督 |
カ行 | |
顔 | 阪本順治 |
彼女を見ればわかること | ロドリゴ・ガルシア |
カレンダー・ガールズ | ナイジェル・コール |
カンダハール | モフセン・マフマルパフ |
紀元前1万年 | ローランド・エメリッヒ |
奇跡の海 | ラース・フォン・トリアー |
キッド | ジョン・タートルトーブ |
ギフト | サム・ライミ |
キャスト・アウェイ | ロバート・ゼメキス |
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン | スティーブン・スピルバーグ |
キャプテン・フィリップス | ポール・グリーングラス |
ギャング・オブ・ニューヨーク | マーティン・スコセッシ |
キューティ・ブロンド | ロバート・ルケティック |
宮廷料理人ヴァテール | ローランド・ジョフィ |
キューブ | ヴィンチェンゾ・ナタリ |
キューブ2 | アンドレイ・セクラ |
清州会議 | 三谷 幸喜 |
キリング・ミー・ソフトリー | チェン・カイコー |
キル・ビル vol.1 | クエンティン・タランティーノ |
キングアーサー | アントワン・フークワ |
キングダム・オブ・ヘブン | リドリー・スコット |
キングダム/見えざる敵 | ピーター・バーグ |
クイズ・ショウ | ロバート・レッドフォード |
クイルズ | フィリップ・カウフマン |
グラディエーター | リドリー・スコット |
クリスティーナの好きなコト | ロジャー・カンブル |
クリムゾン・リバー | マチュー・カソヴィッツ |
グリーン・デスティニー | アン・リー |
グリーンマイル | フランク・ダラボン |
クレイジーハート | スコット・クーパー |
K−PAX 光の旅人 | イアン・ソフトリー |
GO | 行定勲 |
ゴースト・オブ・マーズ | ジョン・カーペンター |
恋は邪魔者 | ペイトン・リード |
恋におちたシェイクスピア | ジョン・マッデン |
ことの終わり | ニール・ジョーダン |
コヨーテ・アグリー | デヴィッド・マクナリー |
コレリ大尉のマンドリン | ジョン・マッデン |
コンスタンティン | フランシス・ローレンス |
「清州会議」
監督 三谷 幸喜
出演 役所 広司
大泉 洋
小日向 文世
(2013年/日本)
三谷幸喜監督による“三谷組”オールスターキャストによる群像時代劇。清州会議という歴史の転換点を、例によってドタバタのコメディで描いている。
清州会議に関わった人物は多いので、誰の視点で描くかによりテーマは変わる。本作は羽柴秀吉(大泉洋)vs柴田勝家(役所広司)+丹羽長秀(小日向文世)を対立軸に据え、そこに織田家の家督を継ぐ可能性のある人物たちや生き残りを賭ける重臣たちが絡み合う。
ポスターに掲載されているおもな登場人物だけで16名。彼らの相関関係はある程度歴史の予備知識がないと理解できないだろう。人物が多いだけにキャラクターが強調され、勝家は武辺一辺倒の単細胞に、秀吉は空気を読みまくって態度を変えるおべんちゃら男に描かれる。織田信雄がバカなのは史上有名だが、いくらなんでもあそこまでバカではなかっただろうし、勝家も武力だけの人物ではなかっただろうに。唯一予想外だったのは、三法師の母・松姫(剛力彩芽)の行動だった。全体に登場人物がすべて幼稚に見えるのが、日本人として複雑な気分。映画を観ながら、「日本人は12歳の少年だ」というダグラス・マッカーサーの言葉が頭をよぎる。
これといって盛り上がるわけでもない4日間の会議を138分の映画で描いて退屈させなかったのは脚本と役者の力。会議の結末に至る過程を描きつつ、誰もが知るその後の天下の趨勢が、秀吉・勝家それぞれの言動の変化から透けて見える。戦ばかりの人生に疲れ、お市の方(鈴木京香)に心のよりどころを求めた勝家は役所広司だから説得力があったのかもしれない。憎めないキャラクターを演じた大泉洋の器用さにも驚いた。
会議や話し合いはビジネスパーソンにとって日常だが、どこまで自分の意見を主張するのか、どこで折れるか、誰に賛成するか、どんな予防線を張るのか等々、悩んだ経験がない人はいないのでは? この作品を観たサラリーマン層は、きっと普段社内で繰り返される会議を、清州会議の人間模様に重ねただろう。風見鶏の池田恒興(佐藤浩市)タイプなど、どこにでもいる。いや、むしろいちばん多数派かも。いずれにせよ、求められるのは自分を知ることと人を見抜く目。平和日本の吹けば飛ぶような案件でもそうなのだから、一族郎党の命がかかった戦国時代の会議で血眼にならないほうがおかしい。そう考えると、せつないコメディに見えてくる。
(2014・01・15 宇都宮)
「キャプテン・フィリップス」
監督 ポール・グリーングラス
出演 トム・ハンクス
マックス・マーティーニー
バーカッド・アブディ
(2013年/アメリカ)
2009年、ソマリア沖でアメリカ船籍のコンテナ船が海賊に襲われた事件があった。このとき、海賊に拉致されながら九死に一生を得た船長の手記を映画化したのが本作だ。
マークス・アラバマ号はフィリップス船長と20人の乗組員で運航される巨大コンテナ船。ソマリア沖を航行中、小さな高速艇に乗ったわずか4人に襲われ、船を乗っ取られてしまう。フィリップスは部下の大半を機関室に隠れさせ、金で解決を図ろうとするが、海賊たちは身代金目当てで彼を拉致。事態を知ったアメリカ海軍は特殊部隊を派遣し、人質奪還作戦を敢行する。
フィリップスと部下たちが丸腰で武装した海賊と渡り合う知恵比べ。そして海軍特殊部隊が小さな救命艇からフィリップスを救い出そうとする戦闘シーンが見どころ。本物のコンテナ船を使ったシーンはCGにはないリアル感があり、これがインド洋で現実に起きていることなのだと実感する。緊迫感を持続させ、見る者をぐいぐい引き込んでいく演出は、さすが『ジェイソン・ボーン・シリーズ』の監督だ。
また、「20人の部下の命を救うため、自ら海賊の人質となり4日間を過ごした船長の物語」と聞くと、リーダーシップが前面に押し出される作品かと思いがちだが、フィリップスには鼻につくようなリーダーシップはない。ソマリア沖の海賊リスクを知ると抜き打ち訓練をおこない、乗組員全員を集めて意思を統一させ、いざ海賊襲撃の際はさまざまな知恵を絞る。部下たちも黙って隠れているわけではなく、船長を救うために行動を起こし、こうした洋上の船の上の駆け引き合戦が前半のクライマックスだ。
ところが、米海軍が介入する後半は雰囲気が一変する。圧倒的な軍事力を前に、漁師が食い詰めて海賊になっただけのソマリア人たちは無力だ。人質さえいなければ、一撃で吹き飛ぶ命はいかにも軽く、病巣はここにあると思わせる。その延長線上にあるラストシーンは、正直あと味が悪い。しかし、このあと味の悪さこそが現実であり、描かなければいけなかったことなのだろう。
全編ほぼ出ずっぱりのトム・ハンクスが、相変わらず上手くてお見事!
(2014・04・14 宇都宮)
「クレイジーハート」
監督 スコット・クーパー
出演 ジェフ・ブリッジス
マギー・ギレンホール
ロバート・デュバル
(2009年/アメリカ)
ジェフ・ブリッジスがアカデミー主演男優賞を受賞した、優しい優しい大人のラブストーリー。
かつてヒット作を連発していたカントリー歌手バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)は、今や古ぼけたバンに機材を載せ、ひとりで地方のバーやボーリング場を回るほど落ちぶれている。酒に溺れ、一夜限りの女を求める彼の前に現れたのが、地方紙記者で4歳の息子を育てるシングルマザーのジーン(マギー・ギレンホール)。彼女と温かなひとときを過ごしたバッドは、忘れかけていた創作意欲を取り戻すのだが……
オールドファンなら誰もがその顔と名前を知っているカントリー歌手。しかし、今や文無しで家族とも音信不通。場末のバーで歌った後、自らオンボロ車を500キロ運転し、次の営業場所へ向かうバッド・ブレイク。この主人公の人物造形が興味深い。なぜなら、彼が本当にイヤなヤツなら物語ははじまらないから。
実はバッド・ブレイクには音楽の創作の才能がある。今をときめく若いスター歌手も彼が一から育て上げた(このスター歌手の役をコリン・ファレルが演じている)。若手が彼の楽曲を欲しがり、マネージメント会社も彼に書かせたがる。しかし、素晴らしい歌はどこから来るのか? 映画の中で彼が答えているとおり、名作は「彼自身の人生から」生まれる。酒びたりでいい加減なステージをこなす毎日から、名曲は生まれない。
また、バッド・ブレイクが備えているのは天賦の才能だけではない。彼自身が実はとても“いいヤツ”なのだ。マネージャーに悪態をつきながらも、仕事には絶対穴を開けない。弟子の前座も、文句を言いながら最高のパフォーマンスでこなす。だから、マネージャーも弟子も彼のことが好きで、彼のために動く。おまけに子ども好きで、4歳児とずっと遊んでいられる。若い頃、別れたきりの妻と息子のことを後悔しながら…。
そんなバッドだから、日常生活はひとりで孤独に見えても、実はいろいろな人に支えられている。今、日本では「無縁社会」という言葉が取りざたされているが、同じ単身者でもバッドの人間関係はずっと充実している。彼自身が人との関わりを求め続け、人に優しいから。
ジェフ・ブリッジスはハリウッド映画でよく顔を見る俳優さんだが、これという代表作がなかったと思う。しかし本作は、まさに彼の代表作と呼べる出来栄え。年齢を重ねるのも、落ちぶれるのも、悪いことばかりじゃないと勇気をもらえる映画だ。
(2011・01・02 宇都宮)
「コンスタンティン」
監督 フランシス・ローレンス
出演 キアヌ・リーブス
レイチェル・ワイズ
シア・ラブーフ
(2005年/アメリカ)
キアヌ・リーブスがスゴ腕の悪魔祓いに扮し、地上で繰り広げられる天使と悪魔の戦いを描く。
コンスタンティン(キアヌ・リーブス)は2分間だけ自殺に成功し、あの世を見たことで特殊な能力を持つようになった男。エクソシストとして活動するが、ある日友人の神父に頼まれた悪魔祓いで、天国と地獄の均衡が破れかけていることを知る。そこへ双子の妹の死の真相を調べる女刑事アンジェラ(レイチェル・ワイズ)が助けを求めにやってきた。コンスタンティンはアンジェラこそ地上の平安を守る鍵となる人物と知り・・・
「マトリックス」シリーズで一世を風靡したキアヌ・リーブスが、次に選んだ作品はエクソシスト。「マトリックス」に勝るとも劣らぬ破天荒なストーリーで、映像も似通っている。
神と悪魔の代理戦争とでもいうのか、天使も悪魔も人間の姿を借りており、やることも人間っぽい。確か聖書では、人は神の姿に似せて創られたことになっていたので、人間くさいのも当然なのか。このあたり、神に超越した存在を求める東洋的発想のアタマには違和感があるかもしれない。
面白い作品だが、「マトリックス」ほどのパワーはない。キアヌ・リーブスはこの手のヒーロー役ばかりで、すっかり色がついてしまった。ヒーローはどうしても年齢制限があるので、これからはヒューマンドラマでも新境地を開いてもらいたい。
(2006・02・26 宇都宮)
「キングダム・オブ・ヘブン」
監督 リドリー・スコット
出演 オーランド・ブルーム
エヴァ・グリーン
ジェレミー・アイアンズ
(2005年/アメリカ)
「ロード・オブ・ザ・リング」で注目され、「パイレーツ・オブ・カリビアン」「トロイ」で大スターたちと共演を果たしたオーランド・ブルームが、ついに初主演した歴史スペクタクル。
12世紀のフランス。鍛冶屋の青年バリアン(オーランド・ブルーム)は、十字軍の将の1人であるイベリン卿(リーアム・ニーソン)から実の息子であることを告げられる。父の跡を継いで十字軍に参加することになったバリアンが訪れたエルサレムは、キリスト教の国王とイスラムの英雄サラディンとの間に、危うい和平が保たれていた。イスラムとの共存を望む国王に反して、エルサレムの利権を狙う騎士たちが暗躍。決戦が避けられない状況になり、バリアンはイベリン卿としてキリスト教軍の先頭に立つことになる。
全編に渡り、「とにかくオーリーを見ろ!」と言われ続けているような作品だ。
オーリー演じる主人公が人徳に優れ、生まれついての将軍の器という設定らしく、あれよあれよという間に鍛冶屋の青年がエルサレム防衛軍の将となる。鍛冶屋の教育しか受けていないはずなのに、なぜか剣術や軍略を身につけているのも不思議。
さらに、波乱万丈の物語のはずなのにストーリー自体に起伏があまりない。寡黙な無言実行型の主人公にひきずられてか、演出を抑え過ぎた感がある。リドリー・スコット作品と鑑賞後に知って驚いたぐらいだ。
まあしかし、美形を鑑賞するなら、こういうのもアリか? エルサレムの風景や戦闘シーンはさすがの出来なので、十字軍時代にタイムスリップ気分を味わう手もある(この時代を舞台にした映画ってあまり見かけない気がする。そもそも、十字軍は西洋世界でも恥ずべき歴史的事跡だから、映画にしづらいのかも)。昨今の中東情勢を見るにつけ、西側世界とイスラム世界の対立は、十字軍の時代からなにも進歩していないのではないかと思わせる。
役者陣では、オーリーの相手役を演じたエヴァ・グリーンがエキゾチックな美貌で今後も活躍しそう。ジェレミー・アイアンズも相変わらずウマイ。サラディン役のシリア人俳優ハッサン・マスードが渋い演技で一見の価値あり、だ。
(2006・02・19 宇都宮)
「キングアーサー」
監督 アントワン・フークワ
出演 クライヴ・オーウェン
キーラ・ナイトレイ
ヨアン・グリフィス
(2004年/アメリカ)
あのジェリー・ブラッカイマー製作の歴史スペクタクル。さぞや絢爛豪華な戦闘シーンが続くのだろうと予想していたら、意外なストーリーにも驚かされた。
モチーフはもちろんアーサー王伝説。しかし、この作品では伝説の解釈を従来とは大きく変え、アーサーはローマ帝国からブリテンに遣わされた司令官。ローマからやって来た司教の命令に従わねばならない中間だ。ほかにも、魔法使いマーリンはアーサーの補佐役ではなくブリテン島原住民の長。グウィネヴィアはその娘で男勝りの戦士と、バンバン設定を変えている。
もちろん、伝説通りのアーサー王を今更見せられても面白くないので、新解釈は大歓迎。卑弥呼と同じでおそらく実在したのだろうが、詳しい史実はほとんど残っていないアーサー王だからこそ、大胆に設定変更もできる。この作品のアーサーや円卓の騎士たちはいかにも人間らしいし、戦いばかりの人生で女性に奥手のアーサーやランスロットを見るのも悪くない。
役者は全員イギリス出身者にこだわったそうで、アーサー王のクライヴ・オーウェン、ランスロットのヨアン・グリフィスはともに適役。キーラ・ナイトレイは18歳とは思えぬ妖艶さと美しさで、今後ますます活躍しそうだ。私は英語と米語の違いがよくわからないのだが、イギリス人俳優とアメリカ人俳優の違いはなんとなく嗅ぎ分けられる。持っている空気の違いなので、うまく表現できないが。日本人の私にわかるんだから、イギリス出身者に絞るのは大正解。アーサー王時代の物語にヤンキーがいたら、それはおかしいに違いない。
(2005・09・19 宇都宮)
「カレンダー・ガールズ」
監督 ナイジェル・コール
出演 ヘレン・ミレン
ジュリー・ウォルターズ
(2003年/イギリス)
イギリスの片田舎で暮らすクリス(ヘレン・ミレン)とアニー(ジュリー・ウォルターズ)は数十年来の親友。あるとき、白血病で亡くなったアニーの夫を追悼するために、クリスは毎年恒例の婦人会のカレンダーで資金集めをしようと思い立つ。そのためにはありきたりの風景写真では売上が見込めない。それなら・・・とクリスが思いついたのは、自分たちのヌードカレンダー。彼女の熱意に少しずつ協力者も現れ、40?50代の熟女ばかり7人のヌードカレンダー制作が始まり・・・
イギリスで実際にあった話をもとに制作されたそうだ。
ヌードといっても露出の少ない芸術的な写真。本物の主婦が自宅で家事をする姿をヌードで撮影するのは、確かに面白いアイデアだと思う。しかも変に色気を感じさせない年代なので、見ていてエグさがない。
もともとが慈善目的だし、友人のためにひと肌脱ごうとする女同士の友情も見ていてキモチがいい。いいトシした妻がヌードになれば家族は心穏やかではないだろうが、妻を信じ、その行動を支持する夫の姿に感動してしまった。
「ブラス!」「フル・モンティ」などイギリス映画には平凡な庶民が一念発起して頑張る内容のものが多いが、どれもみな心温まる作品ばかり。舞台となるヨークシャー地方の風景も緑ゆたかで美しく、こんな場所で親しい人たちに囲まれ、静かに暮らす人生も悪くないだろうと思わせる。十年一日のごとく、単調な毎日が続くにしても。
(2004・11・29 宇都宮)
「キル・ビル vol.1」
監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ユマ・サーマン
ルーシー・リュー
ダリル・ハンナ
(2003年/アメリカ)
クエンティン・タランティーノ6年ぶりの新作は、やっぱりタランティーノだった。
結婚式の際中、毒ヘビ暗殺団に夫とおなかの子どもを殺され、復讐の鬼と化した女闘士ザ・ブライド(ユマ・サーマン)。毒ヘビ暗殺団のメンバー5人に復讐を果たすため、血なまぐさい旅が始まる・・・
ストーリーなどあってないようなもの。ひたすらアクションシーンを追求し、アクションを面白く見せるための舞台設定に工夫をこらす。
今回、東京のヤクザ組織が大きなターゲットとなり、日本刀を振りかざしての決闘シーンがクライマックスだったのは、タランティーノ監督自身が東映ヤクザ路線の大ファンだったから。他にも日活アクション映画や日本アニメの影響が色濃く出た作品だ。
主人公のために名刀を作った刀鍛冶の名が服部半蔵というのもいい加減なネーミングだし、ラストの決闘シーンの料亭らしきセットは「これ一体どこの国?」状態。吉原の遊郭と「千と千尋の神隠し」の湯屋に、「蒲田行進曲」の池田屋を足したような場所だ。特に大階段のセットは、どう見ても池田屋の階段落ちをイメージしている。そういえばこの作品自体が、深作欣二監督に献呈されていたっけ。
要するに、いちばん楽しんだのはタランティーノ自身なのだ。観る側はむずかしいことなど考える必要は一切ない。アホな展開やあり得ない設定に突っ込みを入れながら、「好きやなぁ、タランティーノも」と言いながらゴロ寝しながら見るに限る。タランティーノだって、きっとそれを望んでいるんだろう。
(2004・7・11 宇都宮)
「クリスティーナの好きなコト」
監督 ロジャー・カンブル
出演 キャメロン・ディアス
クリスティーナ・アップルゲイト
セルマ・ブレア
(2002年/アメリカ)
若い頃はカジュアルな恋愛を繰り返してきたものの、30歳を目の前にするとなぜか本気の恋がしたくなる。そんなある日、クラブで出会った素敵な男性に一目惚れしたクリスティーナ(キャメロン・ディアス)は、本物の恋の予感に怯えながらも親友コートニー(クリスティーナ・アップルゲイト)に励まされて彼に告白しようと出かけるのだが・・・
「メリーにくびったけ」を彷彿とさせるドタバタ恋愛コメディー。軽〜く観る分にはいいが、観た後にな〜んにも残らないのもこうした作品の特徴か。しかし、この手の分野にはこの手の分野しか受け付けない固定客層が存在する。女同士の"本音の会話"とか(本当にあれが本音なのか?)、セクシーなクラブファッションなど、そうした固定客層を狙い撃ちした企画はわかる。
それにしても30歳前後の女性の焦りを、最近急に老けてきたキャメロン・ディアスの容姿が雄弁に語っている。どんなにセリフを尽くすよりも、キャメロンのシワの方が印象に残るのだから映像というのは恐ろしい。
(2004・4・23 宇都宮)
「キューブ2」
監督 アンドレイ・セクラ
出演 ケリー・マチェット
ジェラント・ウィン・デイビス
グレース・リン・カン
(2002年/アメリカ)
98年に公開され、カルト的な人気を誇ったカナダ映画「キューブ」の続編。
登場人物はみな、ある朝正体不明の正立方体=キューブの中で目覚める。キューブには水も食料もなく、各面に1つずつ隣のキューブへとつながる出入り口があるのみ。隣のキューブに移動しても、前後左右上下に終わりのない連続体があるのみ。数人の見知らぬ男女が出口を求めてキューブからキューブへと移動しながら、キューブからの脱出方法を模索するのだが・・・
設定からストーリーの展開は前作とほぼ同じ。登場人物の組み合わせもリーダー格の男性やエンジニア、医者、ハンデを背負った人など、イヤになるぐらい前作と似ているので、もう少し変化をもたせてもよかったのでは。前作がとてもナイスな組み合わせだったので、ひょっとしてこれを超えるものが考えつかなかったのか?
キューブはありとあらゆる方法で内部にいる人間を殺そうとするが、知恵を絞れば脱出することができる。このあたりの知恵の絞り方がストーリーの面白さなのだが、残念ながら前作を超える知恵は見られない。むしろ新しいアイデアを考案することを放棄して、キューブがもたらす異世界を描くことに走ってしまった。残念ながらこれが失敗のもと。異世界が荒唐無稽過ぎると、恐怖感まで目減りしてしまう。
「キューブ」ファンにとって最大の疑問は、「そもそもキューブは誰がなんのために創ったのか」ということ。本作のラストで少し謎解きが行われているが、これを納得するかどうかは見た人次第。全編を通して、ハリウッドがカナダ映画に完敗したことだけは確かだ。
(2004・1・23 宇都宮)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ
キャメロン・ディアス
ダニエル・デイ=ルイス
(2002年・アメリカ)
19世紀半ばのニューヨークでは、アイルランドから新たに押し寄せる移民と、それ以前からニューヨークに住む"ネイティブス"たちの血で血を洗う抗争が繰り広げられていた。両者はファイブ・ポインツの利権を争い、ついに決戦の時を迎える。アイルランド移民の組織のリーダー・ヴァロン神父(リーアム・ニーソン)はこの決戦で"ネイティブス"のリーダー・ビル(ダニエル・デイ=ルイス)に殺された。父が殺される様子を目の前で見ていた少年アムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)は、孤児施設で育ち、成人後ファイブ・ポインツに戻ってくる。彼はそこで父の仇であるビルが、変わらず闇の権力を握っていることを知る・・・
「タクシー・ドライバー」「グッドフェローズ」のマーティン・スコセッシ監督が描きたかった誰も知らない19世紀のニューヨーク。ニューヨークへは3回旅行したが、この作品のセットで再現された19世紀の街並みと歴史は、確かに私の知らないニューヨークだ。作品を通して描かれたギャングの抗争は、まさに戦争状態。警察も治安もあったもんじゃない、問答無用の力の世界だ。
ギャング物はボス役がショボイと作品そのものもショボクなる。その点、すでに俳優を引退していたのを復帰させてまでダニエル・デイ=ルイスにこだわったのは正解だ。あの存在感、あの迫力は一体なんなのか。つくづく引退したのが惜しくなる役者さんだ。
アムステルダム役のレオナルド・ディカプリオは無難な役どころ。彼が演じる役は目端の利く若者が多いが、たまにはスマートな役ばかりでなく、泥臭い演技もしてほしい。未だに19歳のとき演じた「ギルバート・グレイプ」を超えられないのもちょっと残念。
それにしてもファイブ・ポインツって一体ニューヨークのどこにあるのだろう。当時はダウンタウンのみ市街化されており、ミドルタウンから北は郊外の荒地だったらしい。セントラルパークもヤンキースタジアムもなかった時代のニューヨーク。あの街を見ていると、つくづく都市は生き物だと感じさせてくれる。
(2003・10・21 宇都宮)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 トム・ハンクス
レオナルド・ディカプリオ
クリストファー・ウォーケン
(2003年・アメリカ)
1960年代に起きた小切手偽造詐欺事件を、スティーブン・スピルバーグが軽妙なタッチで描いた作品。
16歳のフランク(レオナルド・ディカプリオ)は両親の離婚にショックを受けて家を飛び出すが、所持金は瞬く間に底を尽き、生きるために小切手詐欺を思いつく。パイロットという職業が人を信用させることに気づいた彼は、パイロットの制服を手に入れて銀行窓口を見事にだます。小切手偽造の手口はどんどん巧妙化し、数年間で不正に手に入れた金は400万ドル。やがて彼の手口に目をつけたFBI捜査官カール(トム・ハンクス)の追跡を関知するや、医師や弁護士になりすまし、地方検事の娘と結婚までして追跡の手を逃れるが・・・
60年代という郷愁を誘う時代の、郷愁を感じさせる詐欺の手口だ。パイロットの制服を身にまとった金髪の美青年がにっこり微笑めば、大のオトナがあっさり騙されてしまう。人間、やっぱり見かけに騙されるのだ。にしても、16歳でこれをやってのける天賦の才能はスゴイ! 全米の銀行を騙しただけでなくヨーロッパでも偽造小切手工場を自ら運営するなんて、相当目端が利かないとできない芸当だ。
16歳の詐欺師という話のネタ自体は誰が語っても面白い内容だが、スピルバーグがストーリーの整理にかなり苦労しているような印象を持った。詐欺の手口の説明はもちろん必要。さらにフランクがなぜ詐欺に走ったのか、心のうちをしっかり描かないと観客は彼に同調できない。つまり、両親との関係を丁寧に描く必要がある。彼を追うFBI捜査官カールの心情の変化も、これなくしては語れない。・・・その結果、作品は2時間を超える長丁場になり、詐欺を始める以前の冒頭部分がやや退屈になってしまった。
見終えた後は、なんだかとてもウェットな部分のアメリカを見た気にさせられる。こんなウェットな一面が、現在のアメリカにも果たしてあるのだろうか。
(2003・10・16 宇都宮)
「恋は邪魔者」
監督 ペイトン・リード
出演 レニー・ゼルウィガー
ユアン・マクレガー
(2003年/アメリカ)
60年代のニューヨーク。新進女流作家バーバラ(レニー・ゼルウィガー)の著書「恋は邪魔者」が世界的なベストセラーになった。結婚願望と恋愛を否定し、女性の自立を促す内容は世界中の女性のバイブルとなり、プレイボーイの編集者キャッチャー(ユアン・マクレガー)は以来、すっかりモテなくなってしまう。キャッチャーはプレイボーイの沽券にかけてもバーバラを落とし、その主張を誤りと証明するために彼女に近づくが・・・
60年代が舞台とはいえ、ハイテンションな演出と音楽に最初は慣れなくて戸惑った。ストーリーにのめりこめるのは、キャッチャーがバーバラを恋のワナにかけようと策略を練るあたりから。これまでの長い前フリは全てこの設定を導き出すためだったと気づかされる。ドタバタが繰り返された挙句、バーバラはしっかりキャッチャーのワナにはまったように見えるが、実はこれにも裏があった。
ここから先はネタバレになるので書かないが、正直ストーリー展開にかなり無理がある。もともと現実離れしたファンタジックなストーリーなのだが、そうとわかっていても「オイオイそうなるか?」と大概の人が突っ込みを入れたくなるだろう。
友人から聞いた情報では、この映画は60年代にドリス・デイ主演で公開された作品のリメイクだという。どおりで出版業界やニューヨークに対する夢がいっぱいあふれている。当時はウーマン・リブ運動の黎明期だったろうから、こうした女性蔑視の男性が登場する映画もOKだったのだろう。出版社の重役連中が全員男性で、「女性の自立」を謳った本をイヤがる風景は今に通じる。こんな男性は、今も世の中にごまんと存在するのだ。が、恋愛や結婚を否定し、女性の自立を訴えた主人公が変貌するオチは違和感を覚える。
恋愛も結構、結婚も結構。どうして女性の自立と恋愛・結婚が両立できないのか。男性の意識さえ変われば、いくらでも両立できるではないか(もちろん女性側の意識も変えなくてはいけないが)。
最後になったが、ダニエル・オーランディによる60年代ファッションはとてもステキだ。ファッション好きなら、それだけでも楽しめるかもしれない。
(2003・10・13 宇都宮)
「キューブ」
監督 ヴィンチェンゾ・ナタリ
出演 モーリス・ディーン・ウィント
ニコール・ドゥボワ
デヴィッド・ヒューレット
(1997年/カナダ)
ある日目覚めたら、見知らぬ男女6人が立方体(キューブ)の中に閉じ込められていた。キューブの前後左右上下の6箇所にハッチがあり、隣のキューブに移動することができる。ただし、人を殺すワナを仕掛けたキューブもあり、移動には細心の注意を要する。なぜ自分たちが閉じ込められたのか、その理由もわからないまま6人は脱出口を求めて延々と続くキューブの連続体の中を移動していくが・・・
キューブの連続体に見知らぬ男女が閉じ込められるという設定がまず秀逸。キューブの正体は結局明かされないままだが、たったひとつの出口を求めて知力と体力を尽くす過程は、ホラーとしてもサスペンスとしても一級品。「どうやって脱出できるのか?」、そして「いったい誰が生き残るのか?」という興味に引きずられ、ラストまで一気に見せる。
キューブのデザインも目を楽しませてくれる。無機質に過ぎず、かといって有機的ともいえない正立方体が不気味でもあり、魅力的でもある。6箇所のハッチのうち、どこを選んで移動していくか。ワナのために犠牲者を出した後、数学を専攻する女子大生がキューブの製造番号(?)に素数の法則を発見し、安全な通路を確保する知恵を得る。6人の中には非協力的な者、横暴な者、足を引っ張る者もいるが、助かりたいという本能は共通。警官の男が自然にリーダーシップをとるようになるが、彼の心もまた強烈なエゴに囚われ、正気を失っていく。
6人の登場人物はかなりデフォルメされたキャラクターばかり。実際にこの状況に置かれたら、フツーはもう少し力を合わせて脱出方法を考えるだろう。なぜなら1人より6人の方がいい知恵も浮かぶし、励ましあえるし、なにより孤独に苛まれるよりマシである。しかし、極限状況でのエゴというものにまだ出会った経験がないのも事実。あくまでも想像で創り上げるしかない世界だが、そのあたりヴィンチェンゾ・ナタリ監督(まだ20代らしい)の手腕に拍手だ。インディペンデンス系の映画祭で絶賛されたというのもナットクできた。
(2003・8・11 宇都宮)
「奇跡の海」
監督 ラース・フォン・トリアー
出演 エミリー・ワトソン
ステラン・スカルスガード
カトリン・カートリッジ
(1996年/デンマーク)
1970年代スコットランドの海辺の町。宗教の重い枷がいまだに人々に覆い被さる小さな町で、ベス(エミリー・ワトソン)は海底油田採掘労働者のヤン(ステラン・スカルスガード)と結婚した。全身全霊でヤンに愛情を捧げるベスは、ヤンが仕事で長く不在になるのが耐えられない。「1日も早くヤンを返して」と神に祈ったベスの願いは、ヤンが事故で全身不随になるというかたちで叶えられた。罪の意識に苛まれながら懸命に看護す3.
るベスに、ヤンは他の男との肉体関係をすすめる・・・
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー監督作品とあって、重いテーマである。
テーマをひとことで表現すれば、「愛とはなにか?」。身体障害者の夫の看護を続けるうちに、精神障害を再発させる妻。夫の願いをかなえるために売春婦の真似事を始めるのだが、宗教色の強い田舎町でこの行為はとてつもない勇気が必要だ。夫への愛のためという妻の動機はまだ共感できるが、妻に浮気をすすめる夫の気持ちはハッキリ言って理解できない。妻の命とひきかえに夫が奇跡的な回復を遂げるラストも、「愛の奇跡」と呼ぶには痛々しすぎる。「ダンサー・・・」でもそうだったが、監督自身が「自己犠牲」という設定に囚われているようだ。
それにしても「アンジェラの灰」を引き合いに出すまでもなく、エミリー・ワトソンはこの手の役をやらせたら天下一品。夫婦を支える義姉役のカトリン・カートリッジも上手い。不幸を両肩に背負ったような役柄だったが、地に足をつけてしっかり生きている印象にホッとした人も多いのではないだろうか。
(2003・7・30 宇都宮)
「ゴースト・オブ・マーズ」
監督 ジョン・カーペンター
出演 アイス・キューブ
ジェイソン・ステイサム
クレア・デュヴァル
(2002年/アメリカ)
テラフォーミング(地球化)が進んだ22世紀の火星。火星警察のメラニーは凶悪犯ウィリアムズを鉱山の町から鉄道で移送する任務に向かう。到着した町は荒廃し、鉱山労働者はみな特異な表情に変貌し、人間たちに襲いかかってきた・・・
ジョン・カーペンターといえば「遊星からの物体X」。確かにあの作品は、その後のSFホラーに多大な影響を与えた傑作だった。しかし、監督独自のカラーは存分に出ているものの、あの恐怖を超える作品を創るのはむずかしい。
本作の恐怖の正体は火星先住民の幽霊。先住民の遺跡を偶然開放してしまったために、目に見えない霊魂が人間たちに乗り移り、殺戮を繰り返す。舞台は応援部隊の来ない辺境の町。立てこもった基地からいかに脱出し、ひとりでも多く生き残るかがポイントだ。ところが、ストーリーは生き残ったメラニーの証言というカタチで進行するので、誰が生き残るかあらかじめわかってしまうのがやや興醒め。しかも、彼女の回想シーンの中に他の登場人物の回想シーンが混じり、構成的にもまわりくどい。あれほど追い詰められながら、1度も警察本部に救援を呼ぼうとしないのも不自然だ。
そもそもこの作品、火星を舞台にする必然性があったのか? テラフォーミングで大気が生まれ、気温も人間が過ごせる程度になった火星なら、わざわざ火星にする必要もないのでは。助けを呼べない極限状態なら地球上でも設定できる。また、敵となる相手にもうひとつ怖さがない。質より量に走ったようだ。
それにしても、このVFX全盛の時代に、ほとんどCGを使わずSF映画を撮ってしまうポリシーには感心する。火星鉄道など登場するメカも昔なつかしい。疾走する列車の上でのアクションなんて、30年前の娯楽映画ではないか。よく似た設定の映画「バイオハザード」とは、列車のデザインもアクションも(同じような時期に撮影しているのに)まるで時代が違って見える。
そんなこんな要素を考え合わせると堂々のB級映画なのだが、この手の作品に一種のノスタルジアを感じる気持ちはわからないでもない。
(2003・5・7 宇都宮)
「恋におちたシェイクスピア」
監督 ジョン・マッデン
出演 ジョセフ・ファインズ
グウィネス・パルトロウ
ジュディ・デンチ
(1998年/イギリス)
久々に「恋におちたシェイクスピア」を観た。いわずと知れた1998年のアカデミー賞7部門受賞作。初めて観たときは、「ロミオとジュリエット」がシェイクスピア自身の経験をもとに書かれたという大胆な発想と、実際の恋愛と舞台上の恋愛物語が交錯する構成の面白さに驚いたものだ。5年ぶりの鑑賞では、ストーリーのディテールと練られた脚本に魅せられた。
いちばん感動的なのは、シェイクスピアとローズ座を巡る人々がみな、芝居を心から愛していること。その典型が劇場主ヘンズローに金を貸した高利貸し。血も涙もなく借金を取り立てるのかと思いきや、ヘンズローに新作芝居のあらすじを聞かされると、芝居見たさに取り立てを先延ばしするのだ。この冒頭シーンが、先のストーリーを暗示していたことを観終えてから理解した。高利貸しは(その必要はないだろうに)毎日芝居の稽古に姿を見せ、感動したり批評したり役者同士のケンカを仲裁したりする。そのこうするうちロミオに毒薬を売る薬屋の役を貰い、感動的な演技を見せるのだ。
ヘンズローや役者たちが新作芝居を前にして酒場で気勢をあげるシーンも楽しい。「役がほしいヤツは来い!」「ギャラは出るのか?」「おまえが払え!」・・・こんな会話はまるで現代の小劇団の宴会のよう。お金にならなくても、芝居が好きで好きでたまらない連中が集まって、新作芝居の計画に目を輝かせる。ただひとり、ホンができてないシェイクスピアの憂鬱な表情が、これまた他人事とは思えない。
全体のストーリーには確かに無理がある。男性のふりをしてシェイクスピアに近づくグウィネス・パルトロウは、どう見ても女性に見えるし、男装・女装両方の彼女を見て劇作家のシェイクスピアが同一人物と気がつかないのも不自然だ。しかし、そんな大きな欠陥を押しのける勢いでテンポよくストーリーは進行し、細部に渡る暗喩が効いている。「十二夜」とのひっかけも面白いし、チョイ役の割に気になるネズミを連れた少年は、後に戯曲家として活躍したジョン・ウェブスターの子ども時代という設定だ。
脇役の豪勢さがさらに楽しめる。エリザベス1世役のジュディ・デンチ、劇場主ヘンズロー役のジェフリー・ラッシュ、売れっ子俳優役のベン・アフレックはもちろんのこと、ウェセックス卿役のコリン・ファース、劇作家マーロー役のルパート・エヴェレット等々・・・彼らひとりひとりの役柄や役者本人から演劇への情熱がほとばしり出ていて、とにかく芝居好きにはたまらない作品である。
(2003・4・11 宇都宮)
「K-PAX 光の旅人」
監督 イアン・ソフトリー
出演 ケビン・スペイシー
ジェフ・ブリッジス
(2002年/アメリカ)
ニューヨーク・セントラルステーションの雑踏の中、突然現れたフシギな男(ケビン・スペイシー)。精神病院に連れて行かれた彼は、自らをブロートと名乗り、K−PAX星から地球にやって来た宇宙人だという。精神科医パウエル(ジェフ・ブリッジス)はブロートの話になにか特別なものを感じ、ひょっとして彼が本当に異星人ではないかというほのかな疑いを抱くが・・・
「ひょっとして異星人?」という疑問を持つことは本当に楽しい。K−PAX星の位置を聞かれたブロートが、まだ地球上では発表されていない星系の軌道を天文学者たちの前で発表するシーンで、その期待は最高潮に高まる。しかし、パウエルの職務を超えた努力でブロートの身元らしきものが判明した後、含みを残したラスト・・・解釈は自由だが、異星人が存在すると想像した方がもちろん楽しい。
「シッピングニュース」のサエない中年男が最高だったケビン・スペイシーが、今度は異星人。次は偏執狂の博士の役か、キレキレの脱獄囚の役なんぞやってほしい。彼が細身なせいか相手役は強面マッチョが多いが、セクシーな美女を敵に回すのも面白いかもしれない。
(2003・2・18 宇都宮)
「カンダハール」
監督 モフセン・マフマルパフ
出演 ニルファー・パズイラ
ハッサン・タンタイ
(2002年/イラン)
2001年9月11日の同時多発テロから、世界中の目がアフガニスタンに注がれることになった。タリバンの圧政下、アフガニスタンの人々がどのような社会的呪縛を受けつつ暮らさねばならなかったか。2000年夏に撮影されたこの作品は、タリバン政権下のアフガニスタンを淡々と、しかし鋭く描き出し、イギリスのガーディアン誌に「今、世界で最も重要な映画」と評された。
アフガニスタンからカナダへと亡命した女性ジャーナリスト・ナファスのもとに、地雷で足を失った妹から自殺をほのめかす手紙が届く。なんとか妹を救おうと、イラン国境から妹の住むカンダハールへと苦難の旅を続けるナファス。難民の一家、神学校を追い出された少年、ブラック・ムスリムのアメリカ人など、さまざまな人々と出会いつつ、カンダハールへの旅が続く。
アフガニスタンの現実には驚きの連続だが、特に医師の診察を直接受けることもできない女性たちの姿が衝撃的。地雷で足や腕をなくした人々が、空から赤十字のパラシュートで投下される義肢を求めて走って行く姿もショッキング。ボランティア団体の活動が焼け石に水状態であることが、イヤになるほど伝わってくる。
それにしても、これだけ過酷な状態にありながら、映し出される映像の美しいこと。砂漠を進む結婚式の行列シーンは、叙情的ですらある。現実の空爆にさらされたアフガンには「叙情的」なんて言葉を許す余地はないと思うが、荒れ果てた人の心にも「美しい」と感じる本能が失われずにいることを願ってしまう。
(2003・2・10 宇都宮)
「キューティ・ブロンド」
監督 ロバート・ルケティック
出演 リーズ・ウィザースプーン
ルーク・ウィルソン
(2002年/アメリカ)
天然ブロンド娘のエルは大学の人気者。ファッション科を優秀な成績で卒業し、恋人からのプロポーズを待つばかり。ところが、政治家をめざす彼から「ブロンド娘は政治家の妻に向かない」とフラれてしまう。一念発起したエルは彼と同じハーバード大学の法科を受験。猛勉強の甲斐あって入学を果たすが、そこから弁護士をめざすための試練の日々が始まった。
ご存知のとおり、アメリカの大学は入学するのは比較的簡単だが卒業するのは難しい。特に法科の学生となると、ガリ勉の代名詞。アメリカ留学経験のある友人から、法科の学生は腰が抜けるほど勉強するとウワサに聞いていたので、エルのようにオシャレに気をつかうヒマが果たしてあるのか、ちょっと疑問だ。
いまだに「ブロンド娘=おバカ」という構図がアメリカ社会では一般概念なのかと驚く一方、エル役のリーズ・ウィザースプーンがファニーフェイスでさほど美人でないところもアメリカらしい。バービー人形のようなファッションにはついていけないが、女性を武器にせず、仕事で男性と対等に勝負する姿は見ていてキモチがいい。マイケル・J・フォックス主演の一連のコメディ作品を連想させた。
映画を軽く笑って楽しみたい向きには、ちょうどいい作品だ。
(2002・12・19 宇都宮)
「キリング・ミー・ソフトリー」
監督 チェン・カイコー
出演 ヘザー・グラハム
ジョセフ・ファインズ
(2002年/アメリカ)
「さらば、わが愛/覇王別姫」の中国人監督・チェン・カイコー(陳凱歌)のハリウッド初進出作品。
キャリアウーマン・アリスは、通勤途上の交差点で魅力的な男性アダムと出会う。アダムはイギリスでも著名な登山家だが、恋人を登山事故で失った心の傷に苦しめられていた。その日のうちに彼と結ばれたアリスは同棲中の恋人と別れ、アダムのもとへ。教会で二人だけの結婚式を挙げ、幸せの絶頂にいるはずだったのだが・・・
アリスの心を捉えたいちばんの要因は、アダムとのセックス。おまけに彼が著名人ともなれば、名誉と欲望の両方が満たされて有頂天になるキモチはわかる。しかし好事魔多し。オイシイ話には裏がある。それに気づいたとき、バラ色の結婚生活は命がけのサバイバルへと姿を変えた。
舞台はイギリス。監督は中国人。しかし、作品のテンポはハリウッドそのもの。わかりやすいといえばわかりやすいが、もう少し男女の愛を突っ込んで描けなかったのかとも思う。そういえば、陳凱歌監督の出世作「さらば、わが愛」も面白いのだが、どこか描き足りない印象が残った。
セックスに溺れる恋愛はもちろんあるが、首にスカーフを巻き付け、自分の命を相手の指先に任せてしまう行為が果たして欲情を煽るのか。そこまで人に命を預けようと思ったことがないので経験はないが、人の体験談はぜひ聞いてみたい。
アリス役のヘザー・グラハムはやっぱりキュート。日本人好みの顔とスタイルで、彼女の隠れファンは多いはずと睨んでいる。一方、アダムを演じたジョセフ・ファインズ。世間ではいわゆるセクシー派に分類されているようだが、私の好みではないのでよくわからない。
(2002・11・7 宇都宮)
「GO」
監督 行定 勲
出演 窪塚 洋介
柴咲 コウ
(2001年/日本)
在日韓国・朝鮮人を描いた映画では崔洋一監督の「月はどっちに出ている」に強烈な印象が残っているが、この作品はそれを上回るパンチがあった。今更云うまでもないが、宮藤官九郎の脚本がいいし、主演の窪塚クンもいい。あくまでも個人的な感想だが、20年以上昔、東陽一監督の「サード」を見たときのような衝撃があった。
関西在住の私が在日韓国籍・朝鮮籍の人たちをイメージすると、まず大阪の鶴橋近辺の光景が目に浮かぶ。コリアンタウン、キムチの匂い、独特のコミュニティ…恥ずかしながら、まず思い浮かぶのはこんなところだ。
ところが、この作品の主人公・窪塚クン一家は東京近辺のごくフツーの住宅街のごくフツーの日本家屋に住み、日本人となんら違いはない。違いといえば、国籍と民族学校に通っていることぐらい。窪塚クンはその民族学校の中の、まさしくコミュニティの狭さに嫌気が差し、フツーの日本の高校に進学する。そしてコミュニティの外で出会った日本人少女との恋愛で、自分が「在日」であることを、イヤでも認識させられていく。
窪塚クンを取り巻く在日2世、3世の若者に、いわゆる悲壮感はない。フツーに不良をし(?)、フツーに恋愛し、フツーに親子の会話がある。「在日」の不遇を嘆く父親を「ダッセーんだよ!」と怒鳴るシーンは、展開の意外さ、セリフの斬新さに加え、日韓関係の新しい時代を感じさせた。
(2002・7・22 宇都宮)
「クイルズ」
監督 フィリップ・カウフマン
出演 ジェフリー・ラッシュ
ケイト・ウィンスレット
マイケル・ケイン
(2001年/アメリカ)
ナポレオン治世下のフランス。サド侯爵(ジェフリー・ラッシュ)はシャラントン精神病院の中で、ひそかに官能小説を書きつづけていた。小説の原稿は洗濯女マドレーヌ(ケイト・ウィンスレット)の手を介して出版社の人間に渡り、巷では大ベストセラーに。しかし、そのあまりの俗悪ぶりに激怒したナポレオン皇帝は、精神科医のコラ−ル(マイケル・ケイン)をシャラントンに派遣する。コラール博士は医者とは名ばかりの冷酷非情な男。コラール博士の命令で小説を書く自由を奪われたサド侯爵は、紙と羽ペン(クイルズ)を狂おしく求めるのだが…
主人公がサド侯爵でR−15指定とくれば一見キワモノかと思わせるが、なんのなんの見応えのある人間ドラマだった。ジェフリー・ラッシュ演じるサド侯爵が、知的で創造心に富み、時折可愛らしささえ感じさせる人物像で、実に魅力的なのだ。物語が始まった当初は「サド侯爵」と聞いただけで嫌悪感を抱いていた観客も、知らず知らずのうちに彼の味方になってしまう。紙を奪われ、ペンを奪われても、ベッドのシーツや壁に小説を書き続けた創作意欲もすばらしい。書くことによって、彼は世の中の不条理、人間の中の悪を訴え続けてきたのだ。
サド侯爵に対比するのがマイケル・ケイン演ずるコラール博士。とても正視できない拷問まがいの荒療治を患者に施し、私腹を肥やすことに余念がない悪人だ。観客はサド侯爵に対して抱いていた嫌悪感を、最後にはコラール博士に対して抱くようになる。この主観の逆転も面白い。
2人の間に挟まれ苦悩する理想家の若い神父の設定もいい。神への愛と異性への愛に悩む姿は、百戦錬磨の男たちの中にあって、まるで一服の清涼剤。観客も彼を見るとホッとできる。
こんなに見応えのある作品をなぜR−15のB級扱いなのか? と文句のひとつも云いたくなるが、15歳以下の子どもが見ても、まあ理解できないだろう。作品の後半をオールヌードで熱演したJ・ラッシュの役者根性に脱帽だ。
(2002・4・30 宇都宮)
「コレリ大尉のマンドリン」
監督 ジョン・マッデン
出演 ニコラス・ケイジ
ペネロペ・クルス
(2001年/アメリカ)
第2次世界大戦下のギリシアの島・ケファロニア島。島でいちばん美しい娘ぺラギアは、漁師の許婚との結婚を控えて、平和で幸せな日々を送っていた。が、ナチスドイツがギリシアに侵攻。婚約者は戦場へ旅立ち、代わりにイタリア軍とドイツ軍が統治者として島にやって来た。島の人々は敵意を抱きながら彼らを迎えるが、イタリア駐留部隊のリーダー・コレリ大尉は音楽と平和を愛する男。島民に紳士的に接する彼に、島の人々も徐々に打ち解け、ぺラギアの気持ちも婚約者からコレリ大尉へと傾いていき…
同名の原作は世界的なベストセラー。原作どおりケファロニア島でロケを行ったそうで、この島がとにかく美しい。歴史的に戦乱と地震に見舞われ続けてきた地域とは、とても思えない平和な風景だ。駐留部隊の兵士と村の娘の恋愛は当時よくあった話だろうし、見るからにイタリア系のニコラス・ケイジ、スペイン出身で今いちばん旬な女優ペネロペ・クルスのキャスティングはよくハマッている。
監督は「恋に落ちたシェイクスピア」のジョン・マッデン。3年ぶりの新作だそうだ。前作がすばらしかっただけに、この作品が実際以上に色褪せて見える。決して悪い映画ではないのだけれど。
(2002・4・23 宇都宮)
「ギフト」
監督 サム・ライミ
出演 ケイト・ブランシェット
ジョヴァンニ・リビシー
キアヌ・リーブス
(2001年/アメリカ)
未亡人のアニー(ケイト・ブランシェット)は予知能力の持ち主。占い師をしながら、3人の子どもたちを育てる彼女のもとには、町の人々が次々に相談に訪れる。ある日、富豪の娘が行方不明になり、アニーに捜査の協力が依頼される。
ビリー・ボブ・ソーントンの無名時代の脚本をもとに、サム・ライミが監督。そのためか、作品全体に流れる雰囲気はやや古めかしく、ヒッチコックの作品をふと思い出した。
超能力、ドメスティック・バイオレンス、幼児虐待と、取り上げるエピソードは今風だが、ストーリー展開は先が読めてしまう。それでも怖いと感じさせる映像と演出なので、ホラー好きにはオススメだ。
キアヌ・リーブスが粗野で乱暴な男を演じ、演技の幅の広さを見せたが、それ以上に「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンクがここでもバケてくれている。K・ブランシェットは相変わらず安定していてウマイ。しかし、いちばん気になったのはジョヴァンニ・リビシー。キレっぷりがサマになってて、登場人物の中でいちばんコワイ。絶対主役を張らない役者さんだと思うが、誰の、どんな脇であの独自のイロを出すのか、今後とも注目したい。
(2002・3・7 宇都宮)
「彼女を見ればわかること」
監督 ロドリゴ・ガルシア
出演 キャメロン・ディアス
グレン・クローズ
ホリー・ハンター
(2001年/アメリカ)
老母を介護する女医。不倫の子を妊娠してしまった銀行支店長。大人になりかけたひとり息子に戸惑う母。死病に冒された恋人と最期の日々を送るレズビアンの占い師。仕事一筋の刑事の姉と自由奔放な盲目の妹。
さまざまな女性の生き方を5つのオムニバスストーリーで描いているが、共通するテーマは「孤独」。ひとり暮らしもあれば、親や息子、姉妹と2人暮らしもあるが、パートナーがいない(もしくは、もうすぐいなくなる)状況はみな同じ。彼女たちはキッチンで、ベッドの上で、あるいは路上で、孤独を噛み締める。描く視点はあくまで静かで優しい。
どのストーリーも主演クラスのトップ女優が演じているが、個人的にはホリー・ハンターの銀行支店長がよかった。作品ごとに全く別人になる女優さんなので、いつも見るのが楽しみだ。ほかには、キャメロン・ディアスが盲目の妹を演じていたのに少し驚かされた。
監督のロドリゴ・ガルシアは初めて聞く名前だが、かのノーベル賞作家ガルシア・マルケスの息子らしい。そのせいか、純文学とまでは云わないが、短編小説集のような味わいのある作品だ。
(2002・3・4 宇都宮)
「クリムゾン・リバー」
監督 マチュー・カソヴィッツ
出演 ジャン・レノ
ヴァンサン・カッセル
(2001年/フランス)
アルプス山麓の小さな村で起きた猟奇殺人の謎を追うベテラン刑事にジャン・レノ。地元の墓荒らし事件から、連続殺人事件に巻き込まれていく若手刑事にヴァンサン・カッセル。2つの事件はやがて1つになり、古くて閉鎖的な村全体がかかわる組織犯罪へとつながっていく。
「フランス版八つ墓村」と誰かが云っていたが、うなずける部分はたしかにある。あまりにも猟奇的な殺人方法。ひなびた村で年月を経た怨念が、復讐劇を繰り広げていく展開。2人の刑事がミッシングリンクを埋めていく過程はおもしろいのだが、ラストにややムリがある。アルプスの大自然をもっと前面に押し出してくるかと思いきや、スペクタクルなシーンはほとんどなし。この点でも徹底的に雪山の恐怖を描いた「バーティカル・リミット」に比べると物足りない。(ハリウッドとの予算の差が出た?)
ただし、グロテスクな描写では「ハンニバル」と、かなりいい勝負。「ハンニバル」よりパンチ不足なのは、レクター博士のような魅力的なキャラが不在のせいだろう。
それにしても、フランス映画がこんなハリウッド的なタイトルにされちゃっていいのだろうか? タイトルだけ知ったときは、てっきりジャン・レノが英語をしゃべる映画だと思ってしまった。
(2001・12・8 宇都宮)
「宮廷料理人ヴァテール」
監督 ローランド・ジョフィ
出演 ジェラール・ドパルデュー
ユマ・サーマン
ティム・ロス
(2001年/アメリカ)
17世紀フランス。太陽王ルイ14世が、大貴族コンテ公の城に3日間滞在することになった。ヴェルサイユ宮殿がそのまま引っ越してきたような王族・貴族たちの大集団。その接待を受け持つのが宮廷料理人ヴァテールである。単なるシェフでにとどまらず、3日間の宴会全体の総指揮をとるイベントプロデューサーのような役どころ。この国王の訪問の真の目的は、コンテ公との政治的駆け引き。ヴァテールは、何百人という部下を指揮して、絶品の海の幸・山の幸を揃え、歌とダンス、花火、宙吊りと趣向をこらしたショーを繰り広げる。彼にとってショーは仕事を超えた「芸術」。理想の芸術作品を創り上げるために、彼はショーの成功をめざして全身全霊で打ち込んでいく。
とにかくヴァテールを演じたジェラール・ドパルデューがカッコイイ。ブヨブヨに太ったオヤジながら、自らの芸術に賭けるその信念と情熱、権力をカサに着た貴族の圧力やイヤガラセにも屈しない姿勢に、思わずウットリ。ルイ14世の愛人の女官(ユマ・サーマン)が惚れるのもムリはない。ほかに、国王の恩寵をいいことに己の欲望を満たそうとする貴族役をティム・ロスが好演している。ひょっとしたら、彼はこういうコスい役がいちばん似合うのではないか。
芸術への情熱を見るもよし。男女の、主従の、ライバルの、友人同士の人間ドラマを見るもよし。はたまた豪華絢爛の宮廷絵巻を見るだけでもよし。ぜひおすすめの作品だ。
(2001・12・8 宇都宮)
「クイズ・ショウ」
監督 ロバート・レッドフォード
出演 レイフ・ファインズ
ロブ・モロー
ジョン・タトゥーロ
(1994年/アメリカ)
子どもの頃、父親がTVの洋画劇場を30分ほど見たところで、「あれぇ? この映画、前に見たぞ〜」と何度もひとりごとを繰り返しているのがフシギでならなかった。同じ映画を使いまわすTV局もTV局だが、なぜウチの親は1度見た映画を忘れられるのか? 思えばあの頃が私の記憶力の頂点だった。
「クイズ・ショウ」をまだ見ていなかったような気がしてビデオを借りてきたのだが、30分どころか冒頭の5分で「あれぇ? 見たことあるぞ〜」と気がついた。ジョン・タトゥーロの怪演、レイフ・ファインズの名門の子息ぶり、セリフのひとつひとつに山ほど覚えがあった。
クイズ番組が素人出演者に事前に解答を教え、意図的にスターを作り上げる。しかし、人気が衰えるやいなや、スターに仕立て上げたその手で引きずりおろす使い捨ての構図。最近でこそ一般人も知るところだが、1950年代にはセンセーショナルな事件だっただろう。作品はその上に自由の国アメリカに厳然として存在する貧富の差、ユダヤ人差別なども描く。思わず噛み締めたくなるようなセリフがあちこちに散りばめられた一級の作品だ。
……しかし、なぜこの一級品を見たことを忘れていたのか? トシのせいにはしたくないが、私はもうあの頃の父親の年齢に達してしまった。
(2001・11・24 宇都宮)
「キャスト・アウェイ」
監督 ロバート・ゼメキス
出演 トム・ハンクス
ヘレン・ハント
(2001年/アメリカ)
国際空輸会社のモーレツビジネスマンが、たったひとり飛行機事故で絶海の孤島に流れつき、生き残るための苦闘を続ける。火を起こし、魚を捕り、なんとか4年間生き抜いた彼は筏を作って決死の脱出行を図り、アメリカへと帰ってくる。が、そこで彼を待っていたものは…?
4年間のサバイバル生活を強いられる主人公を、T・ハンクスが20数キロ減量して演じた役者根性にまず脱帽(遭難前がちょっと太りすぎのキライもあるが)。漂着したバレーボールに「ウィルソン」(ウィルソン製だから)と名づけ、話し相手に見立てて孤独感を癒した一連のエピソードもよく効いている。それにしても、無人島でのサバイバル生活というのは、どうして理屈抜きで応援してしまうのか? あまりの極限状態に同情し、「もし私が遭難したらああしよう、こうしよう」などと自分に投影してしまうからだろう。私だってもし無人島にひとり残されたら、ボールでもヤシの実でも話し相手にしてしまう。無人島から生還できる人間なんて実際にはほとんどいないのだろうが、生還後のリハビリがつらいことも容易に想像できる。食べ物もなにもない孤独な無人島よりも、文明社会でさらに孤独な自分を発見することも。
「フォレスト・ガンプ」のR・ゼメキス+T・ハンクスコンビの作品で、ラストシーンの味わいがちょっと「フォレスト・ガンプ」に似ている。女性よりも男性にこたえる内容かもしれない。
(2001・11・3 宇都宮)
「ことの終わり」
監督 ニール・ジョーダン
出演 レイフ・ファインズ
ジュリアン・ムーア
スティーブン・レイ
(2000年/アメリカ・イギリス)
グレアム・グリーン原作の小説を、「当代随一の恋人役者」R・ファインズが情緒たっぷりに演じる大人の恋愛映画。
戦時下のロンドン。主人公の小説家は友人の妻と道ならぬ恋に落ち、激しい逢瀬を重ねている。が、ある日突然、彼女は男の前から姿を消す。「愛は終わらない」という謎の言葉を残して。
映画は2年後の再会から始まる。男は女の残した謎の言葉を追い続け、女の新たな浮気相手を私立探偵を使って探らせるが、その結果は意外な結末へとつながっていく。
「クライング・ゲーム」の監督による再映画化らしいが、原作の持つ力をいやが上にも感じさせられた。2人の男と1人の女の織りなす人間模様を、「神」という名を借りた運命が圧倒的な力で流し去るラストは、日本人にはわかりにくいかもしれない。また、3人の登場人物のうち、夫の心情が最も理解しがたいが、これはそのまま受け入れよう。細かいことを突っ込むより、作品を全身で味わう方が絶対おトクである。
それにしても、R・ファインズは「当代随一の恋人役者」ではなく、「当代随一の間男役者」ではないだろうか(「イングリッシュ・ペイシェント」を思い出そう)。彼のセクシー度には私はイマイチ疑問なのだが、不貞の妻を演じたJ・ムーアは女神のように美しい。同性ながら、見とれてしまった。
(2001・10・28 宇都宮)
「顔」
監督 阪本順治
出演 藤山直美
豊川悦司
佐藤浩市
(2000年/日本)
2000年度のキネマ旬報邦画部門第1位の作品。
1日中家の中に閉じこもって洋服の直しの仕事をしている地味な姉(藤山)と、ホステスで男関係も派手な美人の妹(牧瀬里穂)。母の死をきっかけに、姉は妹を絞殺してしまい、大阪のラブホテルから大分のスナック、離島の漁村へと長い逃亡生活がはじまる。
自閉気味で人間関係が築けず、滅多に外にも出ない姉が、「警察からの逃亡」というやむにやまれぬ理由(?)で「世間」という外の世界を知り、剥き出しの人間関係にさらされる。外の世界には、深い情もあれば裏切りもある。見るからにワケありの年増女は、男からも軽く見られる。
しかし、それでも逃亡先で出会う人の情が、姉を成長させる。化粧をし、オシャレをし、どんどんキレイになっていく姉。ふとしたきっかけで出会った子持ちの男性を「心の恋人」と認識し、告白するシーンでは、「彼女もここまで成長したか」と観ている側を感無量にしてくれる。
ストーリーの中で、松山ホステス殺人事件で顔を整形して逃亡した福田和子を思わせる人物がほんのチョイ役で登場する。福田和子は顔を変えて逃亡したが、この作品の主人公は内面を変えて逃亡した。その内面の変化を、饒舌な関西弁のセリフが印象的な藤山が、少ないセリフを精魂こめて絞り出して表現し、出色の演技だった。
(2001・10・2 宇都宮)
「グリーン・デスティニー」
監督 アン・リー
出演 チョウ・ユンファ
ミシェル・ヨー
(2000年/アメリカ・中国)
19世紀の中国。幻の名剣グリーン・デスティニーをめぐり、男女2組の運命が交錯する。
とにかく登場人物がみなマーシャル・アーツの達人ばかり。切れのある技は見ていてたしかに面白いが、空を飛ぶシーンが多いのにはちょっと閉口気味(どんなに修行を積んでも、人は空を飛べないだろうに)。それも上から吊るして撮影しているのがミエミエ。これがアカデミー賞で外国語映画の史上最多4部門を受賞したのだから、いったいなにがアメリカ人にウケたのかよくわからない。中国人の役者が中国語を使い、中国情緒たっぷりの風景をバックに、いかにも中国の伝説っぽいストーリーを展開したからか? 日本人から見ると風景や風俗・習慣にどこかなつかしいシーンが多く、まるで日本の時代劇を見ているよう。
しかし、娯楽作品としての面白さは充分持っている映画だ。往年の日活映画スターのような笑顔のチョウ・ユンファ。松坂慶子似で相変わらずキレイなミシェル・ヨー。若手カップルも、女優は今風小顔がカワイイし、男優は日本にいそうでいない野性派タイプの2枚目で、目の保養になった。年配カップルは女が男を尊敬し、長い年月を耐え、若手カップルは女が自分の意思で動き、男が女を追いかける…という構図もこれまたありがち。
個人的には悪役の碧眼狐を演じた年配の女優さんが渋くてよかった。
(2001・7・23 宇都宮)
「キッド」
監督 ジョン・タートルトーブ
出演 ブルース・ウィリス
スペンサー・ブレスリン
エミリー・モーティマー
(2000年/アメリカ)
これまで出演作の中でいろんな職業をこなしてきたブルース・ウィリスだが、この映画での彼の職業は「イメージ・コンサルタント」。上場企業の経営者やプロ野球チームのオーナー、TVキャスターなど、有名人のファッションから話し方、売り出し方まで「イメージ」を演出するのが仕事だ。いったいアメリカでこの職業がどれだけ需要があるのか知らないが、ウィリス演じる主人公は全米を飛び回る売れっ子で、40歳にしてロス郊外の豪邸にひとり暮らしだ。
自らを「成功者」と信じて疑わない彼のもとに、ある日8歳の彼自身が現れた。イメージ・コンサルタントがもっともイヤがる肥満児で、しゃべり方も食べ方にも品がなく、ひとことで云えば「小汚いガキ」。その8歳の自分から「家族もいない、犬も飼ってない、おまけにパイロットでもない」と負け犬扱いされ……
私が8歳のころ、アポロ11号が月面着陸し、世の中全体が明るい未来を信じていた。来たるべき21世紀に自分はなにをやっているだろうと子ども心に考えたが、40歳の自分がとても想像できなかったことを覚えている。エプロンつけて家事をやってる母のコピーがせいぜいだった。
もし今、8歳の自分に出会ったら、あなたはなにを云いますか? できれば、8歳の自分には会いたくないが、会えば私はこの作品の中のTVキャスターと同じことを云うと思う。「なにも怖れなくていいのよ。未来はすばらしいわ」と。
(2001・5・26 宇都宮)
「グラディエーター」
監督 リドリー・スコット
出演 ラッセル・クロウ
(2000年/アメリカ)
グラディエーターとは、古代ローマの剣闘士のこと。ハリウッド久々の“ローマもの”である。
「ベン・ハー」「スパルタカス」を持ち出すまでもなく、“ローマもの”にはお金がかかる。案の定、この作品もきらびやかな衣装(ちょっと古代ローマにしては華美すぎるような…)や膨大な数のエキストラなど、いかにもお金がかかっていそうだ。ローマの町がCGで再現されているのは、さすがに「ベン・ハー」とは違うところ。古代のローマはこんな風だったのだろうかと、観る者の想像をふくらませてくれる。
ストーリーはこれまた単純な勧善懲悪もの。愛する家族を殺された主人公が復讐に燃え、耐えに耐えて最後に剣闘士としてローマの民衆の心をつかみ、自らの剣で復讐を果たす。しかし、ラストが少しハリウッドらしくなくて、「ン?」というカンジ。
リドリー・スコットの作品にはいつも底辺に流れる情念のようなものを感じる。アクションでありながらアクションで割り切れない。SFでありながらSFで割り切れない。古代ローマを舞台にしてもそう。そのせいか、どの作品にも必ず心に刷り込まれるようなシーンが存在するのはさすがだ。
(2001・1・2 宇都宮)
「グリーンマイル」
監督 フランク・ダラボン
出演 トム・ハンクス
(2000年/アメリカ)
原作・監督があの「ショーシャンクの空へ」の名コンビで、しかも同じ監獄もの。それだけでもハナマルなのに、主演がトム・ハンクスとくれば、いい映画に決まってる。噂に違わず、3時間にわたって泣かせていただきました。こんなに泣けた映画は「タイタニック」以来だ。
「ショーシャンク…」よりファンタジックな物語だが、スティーブン・キングのストーリーテラーぶりには頭が下がるばかり。中野翠さんがエッセイで「プロの作家をも唸らせる当代随一の作家」と絶賛されていたのもうなずける。
因縁だらけの囚人たち、主任のハンクスをはじめとする看守たち、その家族、そして囚人のペットのネズミ(本当に芸をする。今回最高のキャスティングでは?)をめぐる人間模様が巧みに折り重なって物語が進行する。冤罪のまま死刑になる囚人ジョン・コーフィのセリフには、人の善と悪、生と死をイヤでも考えさせられた。
グリーンマイルとは、舞台となった刑務所の死刑台に向かう通路の俗称。ラストの主人公の言葉を借りれば、人はみな誰でも生まれたその日からグリーンマイルを歩いている。それが長いか、短いか、どんな光景が見えるのか、人それぞれではあるが。
(2001・1・2 宇都宮)
「コヨーテ・アグリー」
監督 デヴィッド・マクナリー
出演 パイパー・ペラーボ
アダム・ガルシア
(2000年/アメリカ)
今年のお正月映画は不作なのか? と、なんとなく思っていた。去年の「アルマゲドン」、一昨年の「タイタニック」のような、「これが目玉!」という作品がないのでは…?
地味な今年のお正月映画の中でも、目立たない作品がこの「コヨーテ・アグリー」である。
ストーリーはソングライターを夢見る女の子がニューヨークに乗り込み、さまざまな挫折を味わいながら一歩一歩夢をかなえていく、というお決まりのアメリカン・ドリームもの。元気にがんばる女性を描いている点では好感が持てるが、やや設定が甘い。主人公はニューヨークから5〜60キロしか離れていないニュージャージー出身で、パパが病気で倒れるとしょっちゅう家に帰って看病するし、なけなしのお金まで渡して彼女を応援する親友もいる。ニューヨークでできた恋人は彼女の夢をかなえるために、なんと芸能関係のコネまで用意してくれる。実在のクラブ「コヨーテ・アグリー」に雇われるシーンでも「オイオイ、世の中そんなに甘くないだろう」と云いたくなるし、おまけにケンカして辞めた主人公を、海千山千の女性オーナーがとってもやさしく見守ってくれたりなんかする。
ただし、主人公を演じるパイパー・ペラーボ(変わった名前だ)は映画のスチール写真より映像の方が10倍かわいい。メインの写真は特に老けて映っているが、映画ではとてもキュートなので念のため。「トップガン」でトム・クルーズを、「フラッシュ・ダンス」でジェニファー・ビールスをスターダムに押し上げた敏腕プロデューサー、J・ブラッカイマーに見いだされたシンデレラ・ガールらしいが、「世の中そんなに甘くない」ことは彼女がいちばん知っていそうな気がする。
(2000・12・10 宇都宮)