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CINEMA LIBRARY 〜さ行〜
 
作品名 監督
サイダーハウス・ルール ラッセ・ハルストレム
サイン M・ナイト・シャマラン
ザ・ウォッチャー ジョー・シャーバニック
ザ・コア ジョン・アミエル
ザ・セル ターセル
サハラに舞う羽根 シェカール・カブール
ザ・ビーチ ダニー・ボイル
ザ・メキシカン ゴア・ヴァービンスキー
サラマンダー ロブ・ボウマン
猿の惑星 ティム・バートン
猿の惑星:創世記(ジェネシス) ルパート・ワイアット
幸せのちから ガブリエレ・ムッチーノ
ジェヴォーダンの獣 クリストフ・ガンズ
J・エドガー クリント・イーストウッド
シカゴ ロブ・マーシャル
シティ・オブ・ゴッド フェルナンド・メイレレス
シッピング・ニュース ラッセ・ハルストレム
至福のとき チャン・イーモウ
シャーロック・ホームズ ガイ・リッチー
シャーロット・グレイ ジリアン・アームストロング
ジャンパー ダグ・リーマン
13日の金曜日 ジェイソンX ジム・アイザック
終戦のエンペラー ピーター・ウェーバー
17歳のカルテ ジェームズ・マンゴールド
17歳の肖像 ロネ・シェルフィグ
ジュラシックパークV ジョー・ジョンストン
シュレック アンドリュー・アダムソン
小説家を見つけたら ガス・ヴァン・サント
少林サッカー 周星馳
処刑人 トロイ・ダフィー
ショコラ ラッセ・ハルストレム
ジョン・Q ニック・カサヴェデス
白いカラス ロバート・ベントン
真珠の耳飾りの少女 ピーター・ウェーバー
スウィート・ノベンバー バット・オコナー
スコーピオン・キング ジョン・カーペンター
スズメバチ フローラン・エミリオ・シリ
スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 ジョージ・ルーカス
スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 ジョージ・ルーカス
スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 J・J・エイブラムス
スター・トレック イントゥ:ダークネス J・J・エイブラムス
スターリングラード ジャン=ジャック・アノー
ステルス ロブ・コーエン
スナッチ ガイ・リッチー
砂の器 野村芳太郎
スパイ・ゲーム トニー・スコット
スパイダーマン サム・ライミ
スペース カウボーイ クリント・イーストウッド
すべては愛のために マーティン・キャンベル
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド ポール・トーマス・アンダーソン
世界の中心で、愛をさけぶ 行定 勲
007/カジノ・ロワイヤル マーティン・キャンベル
007/ダイ・アナザー・デイ リー・タマホリ
ゼロ・グラビティ アルフォンソ・キュアロン
戦場のピアニスト ロマン・ポランスキー
宋家の三姉妹 メイベル・チャン
ソーシャル・ネットワーク  デヴィッド・フィンチャー
ソラリス スティーブン・ソダーバーグ

「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」
監督 J.J.エイブラムス
出演 ハリソン・フォード
    アダム・ドライヴァー
    デイジー・リドリー
(2015年/アメリカ)

鳴り物入りで登場した「スター・ウォーズ」最新作を3DiMAXで鑑賞した。

いろいろな意味で、新しい時代の映画なのだろう。 2D、3Dだけでなく、3DiMAXや4Dまで選択肢があり、料金が高いにもかかわらず客席が埋まっていた。4Dなんて、まるでテーマパークのアトラクションだが(個人的には2Dでも充分楽しめると思う)。
そして丸1年をかけたプロモーション。少しずつ少しずつ情報を小出しにしながら期待感を盛り上げていくのは、財力とノウハウのあるディズニー映画だからできるのだろうか。
タイアップ商品が多いのにも驚いた。まったくディズニーは商売が上手い。

これだけ事前に盛り上げて凡作なら目も当てられないが、その点は外さなかったのがさすがハリウッド。
映像の素晴らしさは今更言うまでもないし、CGに頼りすぎず、ほどよくマペットを使ったことも旧シリーズファンに評判がいいのでは?
ストーリーもよく練られていると感じた。結局のところ、旧シリーズと同じテーマを繰り返しているのだが、クライマックスへ持っていくまでの展開が上手い。なつかしいキャラクターをあっと驚く場面で登場させ、旧シリーズのファンを喜ばせるのもお手のもの。J.J.エイブラムスは映像づくりにもストーリーづくりにも長けた監督だと改めて思う。

主人公の少女レイ役のデイジー・リドリーは、SF映画らしい凛々しさと爽やかさを感じさせるルックス。敵役のアダム・ドライヴァーは美形ではないが、独特の雰囲気があり、演技力も確か。
旧シリーズ後、主役級の役者の中で売れ続けたのはハリソン・フォードだけだったが、果たして新シリーズ後はどうなるか。ストーリーの中に大きな謎を残したまま劇的なエンディングを迎えたので、次作が楽しみだ。
(2016・04・14 宇都宮)


「終戦のエンペラー」
監督 ピーター・ウェーバー
出演 マシュー・フォックス
    トミー・リー・ジョーンズ
    初音 映莉子
(2012年/アメリカ)

1945年、終戦後まもない日本に降り立ったGHQ司令官ダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)は、知日派の部下ボナー・フェラーズ(マシュー・フォックス)に真の戦犯は誰なのか、10日以内に調査するよう命じる。調査の焦点は、「天皇に戦争責任があるかどうか」。そもそも天皇の戦争責任を問わなければ、米国世論が納得しない。とはいえ責任を問えば、ようやく掌握した日本で内乱は必至。真実はどちらなのか? フェラーズは天皇に関わった重臣たちを追求し、大きな決断を下す……

まず、しっかり創られた映画だと思う。
戦後まもない焼け野原の東京を巧みに再現し、衣食住や生活習慣もよく調べられていて、ハリウッド映画にありがちな「西洋人が見た非現実的な日本文化」的違和感が少ない。役者も知名度に左右されずうまく配されていて、とくに日本側のキーパーソンを演じた夏八木勲さんや羽田昌義さんのキャスティングが秀逸。ヒロイン役の初音映莉子は本作で初めて見たが、いかにもオリエンタル・ビューティで西洋人ウケしそうだ。

ピーター・ウェーバーは『真珠の耳飾りの少女』を撮った監督だそうで、ちょっとした感情の表現や静かにストーリーを進めていくシーンづくりがさすが。天皇制、死を尊ぶ文化、西洋とは違った意味での名誉など、究極の異文化を観客に理解させるためのセリフもところどころ心に響く。しかし、私たち日本人なら当たり前に理解できる「異文化」が、アメリカの観客にどこまで理解できるのか? そもそもこの映画、アメリカで誰が興味を持って見るのだろう? 興行的にどうだったのか? あの『パール・ハーバー』ですらコケたというのに…。

物語のエンディングは日本人なら誰でも知っている史実。敵対国の人々の「なぜ敗戦国の国家元首が罰されもせず、同じ地位に就き続けられるのか?」という疑問に答えを与え、あいまいな国を治めるための「シンボル」という落としどころへ導いていく。
現代の日本人から見れば、GHQは戦後日本の民主化を推し進め、今の暮らしやすい社会をつくってくれた存在。一歩間違えれば、日本もイラクのようになっていた可能性だってあったのかもしれない。内乱と無秩序は社会を破壊する。戦争は二度と起こしてはならないし、最後の戦争は負けて正解だったのだ、と右傾化の時代に改めて思う。
(2015・05・04 宇都宮)

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「ゼロ・グラビティ」
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック
    ジョージ・クルーニー
(2013年/アメリカ)

地上600km。空気も重力もない宇宙空間。スペースシャトルの船外に出てハッブル宇宙望遠鏡の修理をおこなうミッションスペシャリスト・ライアン(サンドラ・ブロック)と熟練宇宙飛行士コワルスキー(ジョージ・クルーニー)に、緊急事態が起きた。ロシアが軍事衛星を爆破し、その破片がスペースシャトルや国際宇宙ステーションの軌道を通過するというのだ。猛烈なスピードで襲う破片は凶器となって同僚の宇宙飛行士やスペースシャトルを襲い、2人は帰るべき場所を失って宇宙を漂流。酸素の残量はみるみるゼロに近づいていく……

全編宇宙空間で繰り広げられる、生き残るためのドラマ。
空気もない無重力の空間で想定外の事態が起きたとき、いったいなにが起きるのか。もし宇宙服に穴があいたら? 抗えない力で吹き飛ばされたとき、どうやって安全な場所に戻る? 酸素残量がゼロに近づいたら、どうすればいい? 戻るべき場所も安全ではなかったら? 宇宙空間で人はどんなふうに死ぬのか?

こうした疑問に緻密なVFXで応えてくれたのが本作だ。
主人公の視点から描く宇宙空間は、物理法則に支配された世界。吹き飛ばされれば永久に宇宙をさまようし、生身で地球に落下すればあっという間に燃え尽きる。空気抵抗のない宇宙空間を爆発時の初速のまま飛んできた破片の威力はすさまじく、スペースシャトルにも大きな穴をあけ、船内にいた仲間は空気を失って死んでしまう。
人類誕生以来、人は重力のない世界を経験したことがないので、「無重力空間でモノがどんなふうに動くのか」が想像できない。その点、本作はモノの動きを見るだけでも興味深かった。アルフォンソ・キュアロン監督は相当シミュレーションを繰り返したうえで映像を作ったのだろう。

一方、人間ドラマとして興味深いのは、サンドラ・ブロック演じる主人公が、次から次へとやって来る危機を知恵と気力で乗り切っていくさま。あれだけ危機が続けば、どこかで心が折れてあきらめそうなものだが(そのほうがラクだから)、主人公は死の縁から立ち直ってくる。
ジョージ・クルーニー演じる宇宙飛行士が、あくまでも冷静で感情を抑え込む様子も「さもありなん」と思わせる。宇宙飛行士になるためのもっとも重要な条件は、「どんな緊急事態でもパニックを起こさない」ことだと昔、読んだことがある。死が目の前にあっても、つねに冷静で的確な判断ができること。宇宙でなにが起きるのか、人はまだまだ知らないことばかり。圧倒的に孤独な空間で、吹けば飛ぶような命を賭けて活動する。やはりスゴイ仕事だと思う。

最後に、この作品は映画館の大画面で3Dで鑑賞するのがオススメ。真っ暗な中、主人公の気持ちにシンクロすれば、自分のまわりの酸素もなくなっていく気分が味わえそうだから。
(2014・05・13 宇都宮)

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「スター・トレック イントゥ:ダークネス」
監督 J・J・エイブラムス
出演 クリス・パイン
    ザカリー・クイント
    ゾーイ・ソルダナ
(2013年/アメリカ)

『スター・トレック』リブートシリーズの第2弾。
若くしてESSエンタープライズ号の船長となったジェイムズ・カーク(クリス・パイン)は、人類未接触の惑星の住民を救うため、ルールを犯して原住民に接触。船長職を解任されてしまう。その直後、宇宙艦隊のデータ基地が爆破され、対策を検討するための船長会議が何者かに襲撃を受ける。生き残ったカークは副官のスポック(ザカリー・クイント)らとともに容疑者ハリソン(ベネディクト・カンバーバッチ)を追って宇宙空間に出るが、ハリソンは宇宙艦隊が入ることができないクリンゴンの星域へと逃亡する……

前作でなつかしいエンタープライズ号のメンバー(若き日の)に再会でき、次作を楽しみにしていた。
CG技術の進歩なのか、前作以上に派手な映像とアクション、さらにストーリー展開の速さで一気に見せる。
オリジナルシリーズに登場したレギュラー陣にどこか面影が似通うエンタープライズのクルーもいいが、本作から登場した悪役のベネディクト・カンバーバッチが異色の存在感を見せている。シリーズものには悪役が欠かせないが、この悪役がカークの永遠のライバルになりそうな前振りもある。

聞くところによると、監督のJ・J・エイブラムスは『スターウォーズ』第7作を任されているそうな。名実ともにSF映画の第一人者か。今後の本シリーズにも期待大だ。
(2014・04・14 宇都宮)

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J・エドガー
監督 クリント・イーストウッド
出演 レオナルド・ディカプリオ
    ナオミ・ワッツ
    アーミー・ハマー
(2011年/アメリカ)

FBIを創設し、半世紀に渡り長官として君臨したジョン・エドガー・フーバーの人生を描いた伝記映画。
レオナルド・ディカプリオが20代から70代までを演じたことでも話題になった。

J・エドガー(レオナルド・ディカプリオ)は科学的捜査の必要性に早くから着目し、従来の警察とは異なる特殊な捜査をおこなう機関が必要だと訴え続け、FBIを創設する。以来、FBIは徐々に権限を強め、リンドバーグ長男誘拐事件やキューバ危機など、アメリカ現代史に残る事件に挑んでいく。
一方、彼の私生活は孤独だった。名門の家に生まれ、母(ジュディ・デンチ)に溺愛されて育った強度のマザコン。女性を誘うときも理詰めで、ムードもなにもない。側近として重用したクライド(アーミー・ハマー)との関係も、風変わりなものだった…

「科学的捜査を最初に導入した人」と考えれば、彼は偉人だ。誰も考えないことをまっ先に提唱し、関係各所に訴えかけて、それを実現する行動力・構想力・交渉力。しかも、半世紀近くに渡って長官に君臨したということは、時代の変化に対応できる柔軟性、周囲に目はしが効く立ち廻りのうまさ、そして権力への飽くなき執着(まず、これがないとはじまらない)があるということ。たいした人物なのだが、私生活と公的立場の落差もすごい。家に帰ればママに甘え、恋人も友人もいない。飲んでバカ騒ぎすることもなければ、女性に溺れることもない。
ただ、彼の人を見る目は確かだった。何十年も彼を支え続けた秘書と側近は、彼自ら登用した人たち。いくらやり手でいい給料をくれるからといって、何十年もひとりの人物に仕える(仕えるという言葉がぴったりな労働だ)のは並大抵のことではない。それだけで、J・エドガーは魅力的な人物だったのだろうと推測できる。仕事以外に必ず毎日ランチかディナーをともにしたクライドとの同性愛も取りざたされているが、人々にとってそう考えるのがいちばん納得しやすいから生まれた説だろう。実際にどうだったのかは本人のみぞ知ること。本人の自由だ。

監督のクリント・イーストウッドは当初、別の俳優を考えていたらしいが、レオナルド・ディカプリオ自身の熱心な売り込みで彼を主役に採用したという。童顔なので老人の特殊メークはやや不自然だったが、よく演じている。ディカプリオの映画にハズレがないといつも思うが、少々働き過ぎでは? 休養説が流れたのも納得だ。
(2013・04・25 宇都宮)

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「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」
監督 ルパート・ワイアット
出演 ジェームズ・フランコ
    フリーダ・ピント
    ジョン・リスゴー
(2011年/アメリカ)

子どもの頃、『猿の惑星』の特殊メイクを見て驚嘆した記憶がある。ラストシーンもそれまでになかった斬新さで、その後のSF映画に大きな影響を与えた。本作はその名作の前日譚。なぜ猿があれほど知能を持つようになったのか。なぜ人類の数が極端に減り、知能でも猿に劣るようになったのかを説明する。

現代のサンフランシスコ。製薬会社ジェネシスで開発中のアルツハイマー薬をあるチンパンジーに投与したところ、素晴らしく知能が向上することが判明した。だが、そのチンパンジーは凶暴化して射殺され、おなかにいた赤ちゃんが秘かに研究者のウィル(ジェームズ・フランコ)に引きとられることに。シーザーと名付けられたチンパンジーは誕生直後から人間を上回る高い知能を持ち、ウィルとアルツハイマー病を患うその父親(ジョン・リスゴー)の手で、我が子同様に育てられる。ところがある日、隣人が父親を手荒に扱うのを見たシーザーは激昂。隣人に暴力をふるい、類人猿保護施設に収容されてしまう。そこでシーザーは知性を持たない他の猿を目にし、猿がこの地球上でどう生きていくべきか考えはじめた……

ストーリーの主人公は間違いなくシーザー。彼は自分が何者かを知り、人類と猿の社会の未来を考え、仲間を統制し、人間に反旗を翻すわけだが、言葉を話せない設定のため表情やからだを使っての演技になる。シーザーはもちろんCGだが、その演技のもととなる動きを演じたのは、あのアンディ・サーキス。『ロード・オブ・ザ・リング』でゴラムを演じた役者さんだ。
生身の役者さんなしではCGキャラクターに血が通わず、演技も浅くなることは明らかなのだが、その一方でシーザーが人間に近過ぎるようにも感じる。チンパンジーにはチンパンジーならではの表情や顔の筋肉の動きがあるはずだと思うのだが。このあたりは、『猿の惑星』のオリジナルシリーズに登場した猿たちが、ジェスチャーといい行動パターンといい、アメリカ人そっくりだったことと大同小異なのだが。

ところで、本作は猿が知能を持った経緯を丁寧に描いているが、人間が衰えていった経緯は端緒しか描いていない。ぜひ続きが観たいものだ。
(2012・06・14 宇都宮)

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「ソーシャル・ネットワーク」
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ジェシー・アイゼンバーグ
    アンドリュー・ガーフィールド
    ジャスティン・ティンバーレイク
(2010年/アメリカ)

今や世界最大のSNSとなった「Facebook」の創設者マーク・ザッカーバーグが、「Facebook」の着想を得てから億万長者になるまでを描いた作品。単純なサクセスストーリーではなく、コミュニケーションに悩む若者が必死で現状を打破しようとする姿が胸を打つ。
ハーバード大学に通う19歳のマーク(ジェシー・アイゼンバーグ)は、ガールフレンドにフラれたのをきっかけに、学内の交遊サイトをつくろうと思い立つ。そして、親友のエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)とともにつくったサイトはあっという間にハーバード中に知れ渡り、登録者が殺到。学外へ規模を広げることに。そこに目をつけたのが、ファイル共有サイト「ナップスター」の創設者ショーン・パーカー(ジャスティン・ティンバーレイク)だった……
「Facebook」のアイディアは、もとを正せばコミュニケーション下手でモテない男子学生がガールフレンド欲しさにつくった学内サイトだった――このオープニングは痛快だ。女の子との会話は下手だが、プログラミングは天才的。あっという間にサイトを立ち上げ、一躍時の人となるが、女性を露骨に品定めする手法がますます女性に嫌われることに。女性の目から見れば当たり前だが、コミュニケーション下手の若者はそんなことにすら気づかない。
誰にも理解されないマークを支え続けた親友のエドゥアルドも、ショーン・パーカーの登場で微妙な立場になり、そこからマークの孤独がますます深まる。友だちが欲しくてつくったサイトなのに、周囲に人が増えても友だちはできない。世界最年少の億万長者? そんなものになりたかったわけではないのに……
ストーリーは「Facebook」の誕生から爆発的成長の様子を、マークが絡む訴訟や学内審議会のシーンとカットバックしながら進行する。マークをはじめ登場人物の多くがマシンガントーク。とにかくセリフが多いし、ストーリー展開が速いので、観る前に心がまえしておいた方がいい。ネットの知識がなくても、テーマ自体は古典的なので理解できる。しかし、ネットに苦手意識がある人は、やや消化不良気味になるかもしれない。
(2011・02・03 宇都宮)

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「17歳の肖像」
監督 ロネ・シェルフィグ
出演 キャリー・マリガン
    ピーター・サースガード
    アルフレッド・モリナ
(2009年/イギリス)

10代の少女が大人になっていく過程を描き、アカデミー賞3部門にノミネートされた佳作。
1961年のロンドン。名門女子高に通うジェニー(キャリー・マリガン)はオックスフォード大学をめざしてひたすら勉強の日々。退屈な毎日の中で、ふとしたきっかけで裕福な暮らしをするデイヴィッド(ピーター・サースガード)と知り合い、彼とともに大人の世界を知っていく。豪華な食事、音楽会、絵画オークション、そしてパリへの旅…昨日までの学校生活では考えられなかった刺激的な出来事に心奪われるジェニーだが、デイヴィッドが自分が思っていたような富裕層の人間ではないことに徐々に気づいていく……
原題は「AN EDUCATION」。このタイトルが作品の骨子をよく表している。自分に学歴がないコンプレックスから、成績優秀な娘にオックスフォード大学進学を強要する父親。素直に勉強はするものの、女子校の女性教師たちを見て、「教育があっても女性にできる仕事は限られている」と見切ってしまう主人公。そんな彼女に近づいてきたのは、教育はないけれどお金はふんだんにある(ように見える)大人の男。
主人公が「人生の近道を見つけた!」と思えるのは一瞬。そう、何十年も生きていればわかる。人生に近道なんてないのだ。
舞台設定は50年前だが、セリフや登場人物の心情は今でも充分に新鮮。違うのは、現代のように情報がマスコミやネットから簡単に手に入らず、未知の世界を知るには自分から飛び込んでいくしかないことぐらいか。そして、自分から飛び込んで痛い目にあった主人公が、自らの誤りに気付いた後の行動に拍手を送りたい。
主役のキャリー・マリガンを初めて見たが、普通の女子高生が美しく磨かれ、変身していく様が魅力的。父親役のアルフレッド・モリナは『フリーダ』でディエゴ・リベラを演じた役者さん。本作でも強烈なインパクトを与えてくれた。
(2010・10・11 宇都宮)

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「シャーロック・ホームズ」
監督 ガイ・リッチー
出演 ロバート・ダウニー・Jr.
    ジュード・ロウ
    レイチェル・マクアダムス
(2009年/アメリカ)

子どもの頃、名探偵ホームズのシリーズを夢中になって読んだ。アガサ・クリスティの作品はよく映画化されるのに、なぜホームズは映画化されないのか不思議だったが、この作品を見て答えがわかったような気がした。子どもの頃に育んだホームズやワトソン博士のイメージが強烈過ぎて、現実の役者に違和感を覚えてしまうのだ。当代随一のキャスティングをもってしても、子ども時代のイメージには勝てない。
本作の原作は『緋色の研究』。ホームズシリーズはいずれもよく知られた作品のためか、キャラクターや設定の説明は一切なし。そのうえ、画面から画面への切り替えが早く、ストーリーについていけない人も少なくないのでは。
また、どのシーンも19世紀ロンドンを語る舞台装置・大道具・小道具が多すぎて、画面をうるさく感じてしまう。観る人によって好き嫌いの分かれるところだろう。おまけにホームズの性格設定といい、場面全体の見え方といい、レトロでありながらどこか猥雑で落ち着きがない。
見せ場は謎解きよりも、命を張った格闘シーン。このあたりはガイ・リッチーという監督のなせるワザで、あの「スナッチ」もそうだったが、男性受けはするけれど女性受けしないのでは(もちろん、ガイ・リッチーの才能には敬服するが)。
ロバート・ダウニー・Jr.は今ノッてる役者という感じ。ジュード・ロウはワトソン博士を演じるには華やか過ぎる。汗臭い画面の中、女詐欺師役のレイチェル・マクアダムスが登場すると、なぜかホッとさせられた。
(2010・8・24 宇都宮)

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「幸せのちから」
監督 ガブリエレ・ムッチーノ
出演 ウィル・スミス
    ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス
    タンディ・ニュートン
(2006年/アメリカ)

ホームレスから億万長者になった実在の人物をモデルにしたサクセス・ストーリー。
新型医療機器のセールスマン・クリス(ウィル・スミス)はこれと見込んで買い込んだ医療機器が思うように売れず、妻も愛想を尽かして家を出る。経済的に安定した生活を夢見て、証券会社の幹部社員養成コースに申し込むが、研修期間中は無給。家賃を滞納したため、幼い息子とともに家を追い出され、ホームレス生活に突入してしまう・・・
いわゆる薄っぺらなサクセス・ストーリーではなく、主人公の奮闘ぶりと苦悩を丁寧に描いているので、予想以上に楽しめた。
大の男でもホームレス生活はキツイのに、幼い子どもを連れてなんてムチャにもほどがある。・・・と思うのだが、主人公のクリスは安宿や福祉施設を泊まり歩き、それにもあぶれたときは公衆トイレで一夜を明かす。子どもだけなら預かってくれる施設もあるのだが、「親子一緒じゃなきゃダメ」という強い信念を貫き通すところがスゴイ。私だったら、「せめて子どもだけでも屋根のある場所に寝かせてあげたい」と、児童福祉施設に預けてしまうだろう。たいがいの人は私と同じでは?
しかし、子どもというものはものすごく順応性があるので、守ってくれる大人がそばにいれば貧乏にも慣れてしまうのかもしれない。掛け値なく自分を愛してくれる存在が、身近にいてさえくれれば。
証券会社研修中の奮闘ぶりも身につまされる。研修といっても、実践型の電話営業。あの手この手でターゲットに近づき、自社の商品を売ろうとするのは、どこの国のセールスマンも同じこと。同時に証券会社の現役幹部たちに忠義を尽くす必要もあり、きれいごとを言っていられない世界だ。・・・が、クリスはぐっとこらえて正社員への採用をめざす。
これって80年代のアメリカが舞台だが、現在の日本社会に通じるものがある。身分の安定しない非常勤労働者同士が結婚し、子どもが生まれる。思うように働けなくなると、とたんに家賃に困り、生活に行き詰まる。めざすは正社員なのだが、その道は険しい。この作品ではクリスが頭がよく目端が利くので、変なストレスなく観終えることができるが、実際にはクリスみたいに優秀でない人の方が多いはず。現実のその他大勢はどうしているのか。クリスのように億万長者になれなくても、親子揃って平和に暮らせれば、私はそれで充分幸せだと思うのだが。
(2007・10・21 宇都宮)

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「007/カジノ・ロワイヤル」
監督 マーティン・キャンベル
出演 ダニエル・クレイグ
    エヴァ・グリーン
    マッツ・ミケルセン
(2006年/アメリカ・イギリス)

007シリーズの21作目。ジェームズ・ボンド役は6代目となり、ダニエル・クレイグが演じている。
ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が殺しのライセンス“00(ダブルオー)”を手に入れ、最初に向かった任務はテロ組織の資金源ル・シッフル(マッツ・ミケルセン)と接触すること。モンテネグロのカジノのポーカー対決でル・シッフルの資金を巻き上げたボンドだが、パートナーの女性ヴェスパー(エヴァ・グリーン)を誘拐され・・・
最新兵器やハイテクカーに彩られたこれまでのシリーズと違い、人間くさいジェームズ・ボンドを見ることができた。作品の中枢を占めるのも、豪華なカジノルームでのポーカーシーン。マシーンvsマシーンではなく人間同士の情念がぶつかる闘いや、誰が味方で誰が敵なのかわからない心理合戦を楽しめた。最近の007シリーズの中では、かなりの秀作では?(全シリーズを観たかどうか定かではないので、断言できないが)
また、ボンド役のダニエル・クレイグがいい。演技力も確かだし、身のこなしもちょっとした感情表現も板についていて、“生身の男性”感がある。まだ青いボンドがパートナーの女性と真剣な恋に落ちるシーンでも、男の切なさみたいなものを感じさせてくれた。撮影時に40歳近いので、“若き日のボンド”というには外見的にちょっとムリがあるが。
ボンドガール役のエヴァ・グリーンはやや垂れ目でカンペキな美人ではないのだが、アメリカの女優さんにはない艶っぽさ、ミステリアスな雰囲気の持ち主。若い頃のシャーロット・ランプリングを思い出してしまった。
オフィシャル・ホームページを見ると、「ボンドを原点に戻す」のはプロデューサーの狙いだったらしい。その点でも狙い通りの成功作と言えるのではないだろうか。
(2007・10・20 宇都宮)

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「ステルス」
監督 ロブ・コーエン
出演 ジョシュ・コーエン
    ジェシカ・ビール
    ジェイミー・フォックス
(2005年/アメリカ)

舞台は近未来のアメリカ。3機のステルス戦闘機に3人の鍛え上げられたトップガンが乗り込み、テロ対策チームの極秘任務を遂行することになった。ところが、抜群のチームワークを誇る彼らの前に、4人目の仲間が登場する。彼の名はEDI(エディ)。人工知能を搭載した新型ステルスだった・・・
コンピュータが操縦する戦闘機の登場に、訓練を重ねてきた人間たちが反感を持つのはお約束どおり。しかもこのEDI、経験を積んで自分で判断する能力まで搭載していたものだから、やがて人間の言うことを聞かなくなる。まるで「2001年宇宙の旅」のハル。ビジュアル表現までちょっと似ていて、40年近く昔のあの作品がいかに偉大だったか再認識した。
トップガンに女性が1人加わっているのもお約束なら、トップガン同士に恋愛感情が生まれるのもお約束。今どきの敵国は北朝鮮と国際的テロ組織しかないから、この2つ相手に闘うのもお約束。と、お約束どおりの作品である。
途中からややマンガじみた展開になるので、「トップガン」的な雰囲気を求める方にはお勧めできない。ただし、戦闘機マニアにはたまらない映像の連続だろう。
(2006・03・13 宇都宮)

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「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」
監督 ジョージ・ルーカス
出演 ユアン・マクレガー
    ナタリー・ポートマン
    ヘイデン・クリステンセン
(2004年/アメリカ)

ついにスター・ウォーズが完結した。
最初にエピソード4を見たとき、私は高校生だった。特撮(当時はそう呼んだ)技術のすごさにビックリしたが、ストーリー自体は単純な冒険活劇で、エピソード6で「ルークとレイアは双子の兄妹」というオチがついたときは、「そりゃないだろう。少女マンガじゃあるまいし」と思ったものだ。
しかし、文句を言いつつ6作すべて映画館に足を運んで見たシリーズというのは他にない。しかも20数年という長い時間をかけて。
映像技術は作品ごとに進化し、本作ものっけからスゴイ。まるで自分がジェダイの騎士になって空中戦を闘っている気分が味わえる。次から次へと登場するエイリアンたちも作り物っぽさが少なくなった(でもCGよりマペットのヨーダがなつかしいのは私だけではないだろう)。懐かしい顔ぶれも多数登場するので、SWファンにはたまらない内容だ。
ストーリーも全6作のうちで、いちばん見ごたえがあった。善意の人間が悪に落ちていく過程という、深いテーマを扱ったためかもしれない。でも、ワタシ的にはアナキンがダース・ベイダーになっていく過程に、もうひとつ説得力がほしかった。愛する女性を救うためという動機はいいのだが(というか、それしかないだろう)、悪に落ちるまでにもっと逡巡や疑問がなかったのか。評議員になれないという不満も俗っぽすぎるような・・・ジェダイの騎士なのに単純すぎやしないか。
本作がSW第1作に続くことは誰もが承知しているのであえて書くが、ラストシーンは砂の惑星タトゥーイン。ここでオビワンが赤ん坊のルークを叔父夫婦に預けるところで物語は完結する。おなじみの砂漠にポツンと建つ丸屋根の家を見たとき、なんともいえない懐かしさが胸に迫った。高校生だった私が見た風景が、今そこにある・・・時間をかけて創り上げたシリーズは、観客の人生とも重なるもの。エピソード7以降が見れないのは残念だが、ジョージ・ルーカスに「お疲れさま」と言ってあげたい。
(2005・08・22 宇都宮)

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「世界の中心で、愛をさけぶ」
監督 行定 勲
出演 大沢 たかお
    柴崎 コウ
    森山 未來
(2004年/日本)

2004年に大ヒットした日本映画をようやく見た。
あれだけヒットしたんだから、さぞかし感動させてくれるんだろうと思ったら、正直なところ期待外れだった。
ビデオを観た後、原作も読んでみたのだが、原作の持つ泣きたくなるような切なさや繊細さ、主人公の心のひだの描写が、残念ながら映画では表現しきれていない。大好きな人がこの世からいなくなる・・・それが悲しいのは当たり前。未来ある若者が心ならずも死んでいくシーンを見せられたら、誰だって悲しくなるし涙も出る。死んでいく人から「悲しまないでね」と云われたら、余計悲しくなるのが人情というもの。しかし、映画はそこから先の主人公の喪失感が描けていないように思う。
また、原作にはなく映画にだけ登場するファクターとして、恋人たちが自分の想いを吹き込んだカセットテープがある。原作の一人称で淡々と語られる想いをどうにか表現しようと、テープという手段をとったのかもしれないが、「私ならやらないだろうな」という距離感が残った。論理的に話す訓練をしていない人が、テープを前になかなかしゃべれるものではないのでは? むしろ手紙に書いた方がいい(と思うのは、私が書く仕事をしてるせい?)。
この作品があれだけヒットしたということは、やっぱり世の中では"純愛"が求められているんだろう。そんなに少ないのか、"純愛"?
(2005・08・15 宇都宮)

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「シティ・オブ・ゴッド」
監督 フェルナンド・メイレレス
出演 アレキサンドレ・ロドリゲス
    レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ
    セウ・ジョルジ
(2002年/ブラジル)

1960年代、リオデジャネイロ郊外の町シティ・オブ・ゴッド。そこにはスラムから流れてきた者たちが住み、ドラッグ、強盗、強姦、殺人など犯罪ならなんでもありの極悪地帯だ。シティ・オブ・ゴッドに住む子どもたちは幼い頃から凶悪犯罪を目の当たりにして育ち、いつかこの町を出てまともな暮らしをすることを、あるいはギャングのボスになることを夢見る。カメラマン志望の少年ブスカベと、子どもの頃からリオ一のギャングになると公言し、殺しを繰り返してきたリトル・ゼを中心に、シティ・オブ・ゴッドの10数年間に渡る権力闘争を描く。
・・・・・・いやはや仰天した。
2時間10分の上映時間中、とにかく銃乱射と殺戮の繰り返し。しかも、10歳になるかならずの子どもたちがマフィアの手先になって殺し合いを演じるのだ。良識もへったくれもあったもんじゃない。
しかし、悲惨なシーンの連続を軽いタッチでテンポよく見せる演出は面白い。一見オムニバス風の構成も斬新だ。登場人物が多すぎて覚えきれないところもあったが、勢いで最後まで見せてしまう。
ドライで抜け目がなくて、でも人なつこくて底抜けに明るい。南米というのは魅力的な風土だと改めて感じた。
(2005・05・24 宇都宮)

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「シャーロット・グレイ」
監督 ジリアン・アームストロング
出演 ケイト・ブランシェット
    ビリー・クラダップ
    マイケル・ガンボン
(2001年/イギリス・ドイツ・オーストラリア)

ケイト・ブランシェットの出演する映画にハズレはない。最近、そう確信するようになった。第二次大戦中の女スパイを描いたこの作品も、地味ではあるが見ごたえがあった。
ロンドンで看護婦をしていたシャーロット・グレイ(ケイト・ブランシェット)は、フランス語に堪能なことから、イギリス諜報部にスカウトされる。折から恋人のパイロットがフランス戦線で行方不明になり、シャーロットはフランスでの作戦に志願。フランス人になりすまし、現地の共産党員ジュリアン(ビリー・クラダップ)とともにレジスタンス活動に身を投じる一方、恋人の消息を探し続けるが、彼の死亡の知らせが届く。いつ誰に密告され、抹殺されるかわからないスパイ活動を続けるうちに、やがてシャーロットの中に「自分にもなにかできるはず」という想いが芽生え・・・
第二次大戦、特にナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺は、戦争というものの悲惨さをあますところなく伝えてくれる。「戦場のピアニスト」もそうだったし、「僕の神さま」も「シンドラーのリスト」もそうだった。本作でもジュリアンが匿ったユダヤ人兄弟が大きなエピソードを占めており、幼い子どもにこんなに辛い想いをさせる戦争への憎しみが消えない。
その戦争を終わらせるべくレジスタンス活動をするシャーロットとジュリアンが、命がけの行為を経て愛し合うようになるのは必然的な流れ。お互いの能力や情熱、人間性に対する尊敬が根底にあるから、薄っぺらな恋愛とはまるで違う。ネタバレになるので書けないが、ラスト近くで胸を打つシーンが連続し、恋愛・戦争・人生について考えさせてくれる。
監督のジリアン・アームストロングとケイト・ブランシェットは「オスカーとルシンダ」の名コンビ。そういえば「オスカーとルシンダ」も、淡々とした演出なのに心に残る作品だった。
(2005・05・06 宇都宮)

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「白いカラス」
監督 ロバート・ベントン
出演 アンソニー・ホプキンス
    ニコール・キッドマン
    ゲイリー・シニーズ
(2003年/アメリカ)

大学の古典教授にして学部長でもあるシルク(アンソニー・ホプキンス)は、黒人差別発言の汚名を着せられ、大学を追われてしまう。失意の日々を送る彼が出会ったのは、大学の掃除婦・フォーニア(ニコール・キッドマン)。身寄りもなく肉体労働に明け暮れる彼女との関係が深まるにつれ、シルクの周囲の雑音は増していき…
老教授と34歳の孤独な女の恋愛ストーリー、と一概に言えないのがこの作品のミソ。
シルクの若かりし頃の回想シーンが随所に挟まれ、彼がなぜ大学を追われてしまったのか、その遠因と彼が一生背負うことになった秘密が徐々に明かされていく。フォーニアも子どもの頃から性的虐待を受け、結婚後もDV夫に苦しみ、子どもを自らの過失で亡くした過去を持つ女。お互い簡単には口にできない過去を持つ者同士、偶然出会って惹かれあって…となると恋愛映画なのだが、アメリカ社会の根強い黒人差別が背景にあり、その理不尽さがあまりにも強烈なため、恋愛部分がぶっ飛んでしまった感がある。
シルクの秘密に関してはネタバレになるので敢えてここには書かないが、フォーニアとの恋愛シーンも結構生々しい。孤独な女が初対面の老人をベッドに誘い、老人とのセックスを「完璧」と言い切る。一方、老人はバイアグラを飲んで若い女性と関係を持ち、別れ話には「別れられない」と首を振る。私の理解の及ばない部分もあるが、理屈抜きで魂が惹かれあうのが恋というもの。一緒にいるだけで生涯背負うと思っていた心の傷が癒されるとなれば、それは離れられないだろう。むしろ、そうした運命の相手に出会えないまま一生を終える人も多いはず。年齢や立場を超えて出会い、貫き通した姿は確かに純愛かもしれない。
アンソニー・ホプキンスはすっかりおじいちゃんになってしまったが、演技の幅が広いので役柄を固定されることがなく、毎回楽しませてくれる。ニコール・キッドマンはやはりこういう蔭のある役の方がいい。「コールド・マウンテン」のお嬢様役にはムリがあった。
監督・主演の男優、女優ともアカデミー受賞組となると、脇もいい役者が揃うのか。語り役のゲイリー・シニーズは相変わらずいい味出してるし、DV夫役のエド・ハリスはしっかり役にはまりきっている。エド・ハリスは毎度悪役で、オイシイところを持っていくと改めて実感させてくれた。
(2005・01.07 宇都宮)

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「すべては愛のために」
監督 マーティン・キャンベル
出演 アンジェリーナ・ジョリー
    クライヴ・オーウェン
    テリー・ボロ
(2003年/アメリカ)

イギリス上流社会で何不自由のない生活を送っていた人妻サラ(アンジェリーナ・ジョリー)。彼女の人生は難民キャンプで働く医師ニック(クライヴ・オーウェン)の主張を聞いて以来、大きく変わった。ニックのいるエチオピアの難民キャンプに食料品と医薬品を自ら持ち込んで救済活動を始め、最初は半信半疑だったニックも少しずつ彼女を認めるようになる。5年後、ロンドンの国連高等難民弁務官事務所に勤務するサラのもとに、再びニックから連絡が入り・・・
タイトルが「すべては愛のために」。キャッチコピーは「一度だけ抱かれた男に命を捧げる。たとえ道に背いた愛だとしても」とくれば、こりゃ一大不倫メロドラマだろうと誰だって思う。確かに4カ国を舞台に10年間の愛の軌跡を描いてはいるが、それだけのストーリーでもない。タイトルとキャッチコピーを見てドロドロのメロドラマを予想していた人には、肩透かしをくらったような内容だろう。
舞台となるのはイギリス上流社会と、エチオピア・カンボジア・チェチェンの悲惨な難民キャンプ。ひとりの女性が自我にめざめ、難民救済活動を生きがいとする自己実現ストーリーはとてもわかりやすい。リッチな生活を捨てて極悪環境に自ら乗り込む勇気はすばらしいが、特に目新しい話でもない。
主人公が難民救済活動にのめり込むきっかけを作り、なおかつ秘めた愛の対象となったのがニックだ。ニックとの心の交流はうまく描かれており、上流社会のひ弱なお坊ちゃんである夫よりもニックに惹かれる気持ちはよくわかる。結局1度だけ結ばれたものの、その後も彼女はロンドンの夫のもとに戻り、子どもたちと普通の家庭生活を送る。
最大の疑問は「なぜ夫と別れなかったのか?」という点。とうに愛情は冷め、心はニックのものなのだから、離婚する方が自然な流れだ。サラには経済力もあり、母親だけの子育ても可能だったろう。しかもこの夫、決してガチガチ頭の横暴なヤツでもない。サラが最初にエチオピア難民キャンプに持ち込んだ援助物資の資金も、もとはといえば夫が出したもの。さらに(ネタバレになるので書けないが)ラストのオチも夫にはヒドイ話だ。自己実現を図るなら、夫に頼らず独力でやれ!と言いたくなる。
最後になったが、エチオピア難民キャンプを再現したセットは臨場感に溢れていて、さすがハリウッド。
(2004・7・10 宇都宮)

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「サハラに舞う羽根」
監督 シェカール・カブール
出演 ヒース・レジャー
    ウェス・ベントリー
    ケイト・ハドソン
(2002年/イギリス・アメリカ)

1880年代、大英帝国のエリート士官・ハリー(ヒース・レジャー)は恋人エスネ(ケイト・ハドソン)との結婚を目前に幸福の絶頂にいた。ところが、そんな彼にスーダンへの出兵命令が下り、ハリーは悩んだ末に軍隊を辞めてしまう。この時代、祖国のために命を投げ出さない者は臆病者と蔑まれ、家族からも縁を切られるのが常識。ハリーもまた、エスネや親友ジャック(ウェス・ベントリー)たちから臆病者を表す羽根を贈られ、世間から断絶される。失意のハリーは単身スーダンに渡り、仲間の軍団を蔭で支えるために行動を起こすが・・・
著名な英国文学の数度目の映画化らしい。サハラ砂漠の風景があくまでも美しく、「イングリッシュ・ペイシェント」を思い起こさせた。役者もみな熱演だったが、どうもストーリーに理解に苦しむ部分がある。
臆病者の羽根を贈られ、すべてを失ったハリーが単身スーダンに赴くあたりからが見どころなのだが、この時代に言葉も通じないアフリカにひとりで行くことがいかに危険か、想像がつくだけにハリーの行動が解せないのだ。ひとりで行くよりも軍隊で派遣された方がよほど安全なのは、現在のイラク情勢を見ていてもわかる。軍隊での出征を拒否したハリーに、単身乗り込む勇気が果たしてあるのだろうか?
予想どおりハリーも砂漠で死にかけるのだが、アフリカ人戦士アブ―と出会い、何度も危機を救われる。この無敵の戦士アブ―が自らの命を危険に晒してまで、なぜハリーを助けるのか、これまた理解できない。ブラックアフリカの戦士と元大英帝国士官、どちらもイスラム勢力を敵とみなすことに共通項はあるが、アブ―がハリーを助ける必然性はない。むしろこの設定に、有色人種を僕として見てしまう当時の白人社会の先入観が如実に表れているようで気分が悪い。
また、ハリーを失い悲しみにくれるエスネも、同じ女性としてまどろっこしい。名誉と体面を重んじる社会とはいえ、な〜んにもできないで祈るだけ。女性の地位の低さと社会の狭さ・窮屈さに同情する。「あの頃ペニー・レインと」で行動力あふれる女性を演じていたケイト・ハドソンも、ややムリをして演技している感があった。
結局、いちばんカッコよかったのはアブ―。皮肉な結果だが、シェカール・カブール監督はそうなるとわかっていて敢えて描いた確信犯のような気がする。
(2004・7・9 宇都宮)

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「真珠の耳飾りの少女」
監督 ピーター・ウェーバー
出演 コリン・ファース
    スカーレット・ヨハンソン
    トム・ウィルキンソン
(2003年/イギリス)

17世紀フランドル地方の画家・フェルメールは大好きな画家のひとりだ。寡作で知られ、現在に残る作品数は30数点。同じアトリエを舞台にした人物画が多いが、そこに描かれるのは左側の窓ガラスから入る光。土壁の質感、木製の机・いす、壁にかかった大きな地図、モデルが手にするミルク壷、黄色い上着、青いターバン・・・そんなフェルメールの絵画に描かれたモノたちが、現実に画面に登場する。初めてアトリエの扉が開かれるシーンでは、フェルメール好きなら思わず声を挙げそうになるだろう。
物語はフェルメールの代表作のひとつ「真珠の耳飾りの少女」が描かれるまでを静かに辿る。盲目のタイル描きの娘・グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、住み込み奉公にやってきたフェルメール家の主人が画家だと知り、彼の仕事に興味を持つ。フェルメール(コリン・ファース)もまた絵心のわかる彼女を可愛がり、絵の具づくりやモデルをさせるようになるが、2人の仲を疑う妻がグリートに辛く当たるようになり・・・
フェルメールの生涯に関する資料はほとんど現存しないので、グリートという少女もこの絵画にまつわるエピソードも100%フィクションなのだそうだ。ファン・ライフェンというパトロンがいたこと、妻と妻の母、たくさんの子どもたちと暮らしており、生活が苦しかったことは史実らしい。
しかし、作品で描かれる妻の嫉妬や、フェルメールのいかにも芸術家らしい生活感のなさ、パトロンの色オヤジぶりは「現実もこうだったのでは?」と思わせる"らしい"設定だ。
主人の才能に惹かれていくグリートの健気さに、見ている側は思わず応援してしまうのだが、一方で同じ女性として妻のカタリーナが切ない。次から次へと子どもを孕まされ産み育てているのに、夫は赤ん坊の薬より絵の具の買物を優先させる男。若い頃は絵のモデルにもなったが、若く美しいグリートが目の前に現れると、夫の興味は彼女に移る。涙ながらになじった挙句に「おまえは絵がわかっていない」と言われた日には同情するしかない。絵心なんて天賦の才能以外のなにものでもないのだから。
フェルメール役のC・ファースが不器用で生活力のない天才画家を好演。しかし、それ以上にグリート役のS・ヨハンソンが素晴らしい。使用人の辛い生活の中でも絵画への夢や憧れを失わず、画家の才能に静かな愛を捧げる少女というのは、かなり難しい役どころだと思うのだが、この映画を見た人がみんなグリートを実在の人物だと思い込んでしまいそうな存在感だった。
余談になるが、真珠の耳飾りはフェルメールの絵画の中に度々登場する。「真珠の耳飾りの少女」が描かれた1665年以降の作品にも描かれているので、あのラストシーンは史実ではあり得ない。それでも、「こういう話が本当にあったかもしれない」と思いたくなる作品だ。
(2004・5・14 宇都宮)

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「ソラリス」
監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー
     ナターシャ・マケルホーン
    ウルリッヒ・トゥクール
(2002年/アメリカ)

SF好きならタイトルだけでおわかりだろうが、スタニスワフ・レムの名作「ソラリスの陽のもとに」の映画化。製作がジェームズ・キャメロン、監督がスティーブン・ソダーバーグ、主演がジョージ・クルーニーとくれば、SFファンでなくても期待が膨らむのではないだろうか。
惑星ソラリスを探査する宇宙ステーション・プロメテウスから突然連絡が途絶えた。リーダーであるジバリアン(ウルリッヒ・トゥクール)から送信されてきたビデオは、親友の心理学者ケルヴィン(ジョージ・クルーニー)に助けを求めており、ケルヴィンは単身ソラリス行きを決意する。プロメテウスに到着したケルヴィンが見たものは、自殺した親友と心を病んだ科学者たちの姿だった・・・
ソラリスの周回軌道を回る宇宙ステーションで一体なにが起きたのか? 大事故が起きたわけでもエイリアンが暴れたわけでもない。クルーは自殺するか、自閉的になるだけ。しかし、事態を全く理解できなかった主人公も、ある朝目覚めて「真相」に気がつく。そこには普通の神経では耐えられないシチュエーションが仕掛けられていた。
ソラリスでなにが起きたかはネタバレになるので書きにくいが、ケルヴィンが味わったゆっくりと真綿で首を締められていくような感覚を画面全体から感じることができる。このあたりは原作に惚れこんだ末に初のSF作品に挑戦したソダーバーグの演出力だ。
私は中学生の頃に原作を読んだのだが、難解でよく理解できなかった一方、妙に心に残る小説だったと記憶している。他にないアイデアと、主人公vs「ソラリスがもたらしたモノ」の対決が鮮明に浮かび上がる筆力に子どもながら圧倒された。原作には映画が描いていない、もっと深い世界があったと思うのだが、2時間あまりの映像にそこまで期待するのは酷なことかもしれない。
SFだからと派手なメカニックや戦闘シーンを予想すると期待外れ。濃密な謎に満ちた宇宙の神秘を、じっくりと体験したい方にオススメだ。
(2004・1・29 宇都宮)

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「ザ・コア」
監督 ジョン・アミエル
出演 アーロン・エッカート
     ヒラリー・スワンク
     ブルース・グリーンウッド
(2003年/アメリカ)

人類滅亡を描いた映画は数多い。彗星や小惑星の衝突、核戦争、エイリアンの来襲・・・思い出すだけでも結構あるものだが、「地球のコア(核)の異常」という設定には初めてお目にかかった。
アメリカでペースメーカーを装着した人々が突然死した。同じ頃スペースシャトルが原因不明の制御不能に陥り、ロサンジェルスの真ん中に不時着する。ロンドンではハトが方向感覚を失い、ビルに激突して死亡する事故が多発した。地球物理学者のキーズ(アーロン・エッカート)は、これらの原因を地球のコアの回転異常だと見抜き、政府に直訴する。コアの近くで複数の核爆発を起こし、再びコアに正常な回転を取り戻そうとする彼の計画に、アメリカ政府は巨額の資金を投資し、6人の選ばれたメンバーが地底1600マイルの旅に出発する・・・
どんな風に危機が起こり、どんな風に解決するのか。なんてったって相手は地球のど真ん中にあるのだ。「一体どうやって・・・?」という素朴な疑問にひきずられて、最後まで真剣に見入ってしまった。
物語のクライマックスは地底の旅だが、そもそも地底がどうなっているかなんて誰も見たことがない。中学の理科で習ったように「金属も溶かすほど超高温のマグマがドロドロ動いている」という程度の認識だ。
ところが、本作の中では地底でも溶けない金属でできた地底探査船が建造され、6人の人間が乗り込み、コアに接近する。地底の条件を考えて設計された探査船なのだろうが、それでも子どもの頃に刷り込まれた常識というのは恐ろしい。「ホントに溶けないの? そもそもマグマの中を進めるの? 乗ってる人間が生きてられるの?」と作品を観ながら疑問が爆発しそうになった。
ラストも「そんなのあり?」と思わせたが、こうした話はハッピーエンドにしなくては後味が悪い。無理やりのハッピーエンドを考えついた監督・脚本家・プロデューサーに「お疲れさん」と云いたい。
登場人物では、ヒラリー・スワンク扮するNASAの女性宇宙飛行士が面白い。常に冷静沈着、素晴らしくアタマがいいので、同じ女性として見ていて気分がいい。全体にビッグネームのスターを使わず、ストーリー主体で勝負した点はよかった。
(2004・1・23 宇都宮)

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「サラマンダー」
監督 ロブ・ボウマン
出演 マシュー・マコノヒー
    クリスチャン・ベイル
    イザベラ・スコルプコ
(2002年/アメリカ)

ロンドンで母とともに暮らす少年クインは、母が働く地下鉄工事現場で火を噴く翼竜を目にする。6500万年の眠りから覚めた翼竜=サラマンダーはあっという間に繁殖し、人間や動物を貪り食い、地上を炎で焼き尽くしてしまう。20年後、成人したクインはイギリスの片田舎で数十人の仲間とともにコロニーを作り、サラマンダーと戦いながら生き残っていた・・・
恐竜時代を支配したサラマンダーが、ロンドンの地下で6500万年も眠っていたというムリな設定を、まず受け入れる必要がある。地下鉄工事で目覚めたサラマンダーが繁殖し、人類を滅亡寸前にまで追いやった経緯は作品の冒頭で簡単に説明されるのだが、その手法もなんだかお安い。なぜなら舞台として登場するのはロンドンの一部とクインのコロニーのみで、後はセリフによる説明だけだから。こうした貧乏くささが全編を覆っているため、「ホントに人類滅亡の危機なのか?」「サラマンダーの生態は?」といった疑問が常につきまとい、危機感や哀しみがリアリティを持って胸に迫ってこない。「ロード・オブ・ザ・リング」が壮大な指輪の歴史をVFXと実写で丁寧に説明し、物語に奥行きを持たせたのと好対象だ。
まあそれでも役者の熱演とサラマンダーの恐ろしさは感じることができる。子どもの頃、恐竜に追いかけられて逃げ惑う夢をよく見たが、「恐竜に食べられて死ぬこと」に対する恐怖感というのは万国共通のようだ。6500万年前、我々哺乳類の先祖は恐竜が闊歩する世界でどうにか生き延びてきたが、それと同じことが繰り返されただけかもしれない。原始哺乳類にない知恵がたまたま人間にあったというだけで。
(2003・10・31 宇都宮)

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「戦場のピアニスト」
監督 ロマン・ポランスキー
出演 エイドリアン・ブロディ
    トーマス・クレッチマン
(2002年公開/アメリカ)

年間100本以上の映画を見るが、「言葉を失う」作品にはなかなか巡りあえない。しかし、この作品はエンドクレジットを見終えた後もしばらく言葉が出なかった。実話の持つ重みなのか、ロマン・ポランスキー監督の原体験が生み出したものなのか。
ナチスドイツがポーランドに侵攻し、あっという間に支配体制を敷いた時代。若き名ピアニストとして知られていたシュピルマン(エイドリアン・ブロディ)はユダヤ人であることを理由に、家族とともにゲットーでの生活を強いられる。財産をすべて失い、食べ物にも事欠くゲットーでの生活は2年間続き、シュピルマンは食物を得るために命の次に大切なピアノまで売り払ってしまう。が、家族揃って暮らせるだけゲットーでの生活はまだましだった。やがてナチスはユダヤ人大量虐殺のためにゲットーの住民を強制収容所へと送り込みはじめる。強制収容所への護送列車が出発する間際、ユダヤ人警察官に救われたシュピルマンは、たったひとりワルシャワの街で潜伏生活を送るのだが、それは飢えや孤独と闘うサバイバルの日々だった。
愛する家族と裕福な暮らしを送っていたピアニストが、ある日突然ゲットーに隔離される。ナチスに逆らうことは即、死を意味する時代。ユダヤ人たちはひたすら耐えるが、やがてゲットーよりも恐ろしい強制収容所に送られ、家族はバラバラに。主人公シュピルマンも強制収容所に送られれば、命がなかった可能性が高い。しかし、ナチスが支配する街で協力者が週に1度運ぶ食物だけを頼りに暮らす隠れ家生活も、見ていて胸を塞がれる。協力者なき後の、廃墟のワルシャワでのサバイバル生活はさらに過酷だ。
なぜ、ここまで苦しみながらも人は生きようとするのか。動物としての本能もあるだろう。「生きてさえいれば、家族と再会できる」と微かな希望にすがる気持ちもあるだろう。しかし、本人には何の罪もない、国家による大量虐殺という事実を目の前にしたとき、靴の革を食べてまで生き残ろうとする意思が果たして自分にあるのか。画面全体から「人が生きる」ことへの根源的な問いかけを受け取り続ける2時間余りだった。
これはもう自らもゲットー生活を経験し、強制収容所で母親を失くしたというポランスキー監督にしか創れない作品なのかもしれない。ポランスキーの期待に応えて10数キロ減量し、極限生活を表現したエイドリアン・ブロディの演技も鬼気迫るものがあった。2003年度アカデミー賞監督賞と主演男優賞の受賞は至極妥当で、作品賞も「シカゴ」よりこちらに受賞させたかった。
(2003・10・23 宇都宮)

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「007/ダイ・アナザー・デイ」
監督 リー・タマホリ
出演 ピアース・ブロスナン
    ハル・ベリー
    ジュディ・デンチ
(2002年/イギリス)

ご存知007シリーズの最新作。北朝鮮→香港→ハバナ→イギリス→アイスランドと、世界を股にかけての大活劇だ。
北朝鮮に潜入し、危険人物を暗殺したジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)だが、脱出に失敗し、囚われの身となる。14ヵ月後、中国の諜報員を殺して捕虜となっていた北朝鮮のスパイ・ザオ(リック・ユーン)との人質交換で自由の身となった彼を待ち受けていたのは、MI6の冷たい対応だった。ボンドはスパイとしての名誉挽回と復讐を誓い、ザオが画策する大規模破壊の陰謀に単身立ち向かう。
お約束どおり、のっけからアクション、アクション、アクションの連続。007シリーズに欠かせないクルマや小道具もふんだんに取り入れ、ボンドガールにアカデミー賞女優を配した豪華なつくりだ。いかにも華やかなのだが、見終えた後に残るこの空虚感はなんだろう? 時間がたつとストーリーすら思い出せなくなりそうだ。
東西冷戦が終わりを告げたとき、スパイ小説や映画は今後どこを敵にするのだろうと心配したものだ。が、イラク戦争を例に挙げるまでもなく、人間というのは自ら敵を作りたがるものらしい。旧ソ連のような巨大な敵ではないが、北朝鮮を扱ったことが目新しい。しかし、最終的にボンドの敵になったのは、巨大資産を手に入れた元北朝鮮人。ひょっとして国家そのものが相手にならないと見てのストーリー展開だろうか。
(2003・8・11 宇都宮)

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「スズメバチ」
監督 フローラン・エミリオ・シリ
出演 ナディア・ファレス
    ブノワ・マジメル
    サミー・ナセリ 
(2002年/フランス)

最近、フレンチアクションという分野が目につく。(昔からあったが、あまり話題にならなかっただけ?)内容はハリウッド並みのガンアクション、カーチェイス、カンフーなど。フランスを舞台にフランス人俳優がフランス語で演じるのだが、感覚はハリウッド映画そのもの。こうでないとフランスでも若者に支持されないのだろうか? 「男と女」の時代とは隔世の感がある。
マフィア売春組織のボス・アベディンを護送する特殊部隊は、ストラスブール郊外でアベディン奪還を企むテロ部隊に急襲される。やむなく逃げ込んだ工場には警備員2人と、たまたま忍び込んだ素人窃盗団がいた。彼らも巻き込んで、工場を舞台に特殊部隊とテロ部隊との壮絶な攻防戦が始まる。
最近の映画によくある傾向だが、特殊部隊のリーダーは女性でシングルマザー。体力・判断力とも秀でているが、軍隊並みに武装されたテロリストを相手に苦闘する。役に立つ素人がいれば役に立たない素人もいるのはお約束。面白いのは初老の警備員を演じたパルカル・グレゴリーの役どころ。単なるガードマンにしては冷静さとアタマの切れ方が尋常ではない。テロ部隊の実体が見えないのもお約束といえばお約束だが、不気味さまでは演出しきれていないのが残念。
(2003・6・30 宇都宮)

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「シカゴ」
監督 ロブ・マーシャル
出演 レニー・ゼルウィガー
    キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
    リチャード・ギア
(2003年/アメリカ)

今年のアカデミー賞主要部門を獲得したミュージカル映画。ブロードウェイ・ミュージカルのヒット作を華麗に映画化した。
ショービジネスのスターを夢見る主婦ロキシー(レニー・ゼルウィガー)は情夫殺しで刑務所へ。そこにはスターでありながら夫殺しの罪で服役中のヴェルマ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)がおり、刑務所の中でも特別待遇。ロキシーは死刑を逃れるため、腕利き弁護士のビリー(リチャード・ギア)を雇い、彼の策で一躍マスコミの寵児となる。しかし、彼女の夢は死刑を逃れるだけでなく、ショービジネスで成功することだった・・・
歌とダンスは見ごたえたっぷり。特にアカデミー助演女優賞を受けたC・ゼタ=ジョーンズがピカイチだ。この作品を見るまで知らなかったが、彼女はロンドンのウェストエンドで舞台経験があるという。R・ギアも同じくウェストエンドで舞台に出ていたというから、おなじみの俳優でも意外な一面があるものだ。一方、レニー・ゼルウィガーはC・ゼタ=ジョーンズほどのダンスはできないものの、チャーミングな魅力がいっぱい。美人ではないが、フシギに人を惹きつける女優さんだ。声の可愛らしさ、表情のコケティッシュさでトクしているのかもしれない。
私たちがミュージカル映画を見て違和感を覚えるのは、普通の演技の途中で突然役者が歌い出したり踊り出したりすること。ロブ・マーシャルはそのあたりを考慮してか、ミュージカルシーンのほとんどをロキシーの空想シーンとして処理している。それでもまだ多少の違和感は残るのだが、構成の新しさを評価したい。が・・・アカデミー作品賞・監督賞を取るほどの出来かどうかは疑問。女たちがあくまでもたくましく強い点はいいのだが、なんだかストーリーの後味が悪いのだ。フツーのことをやっていては成功しない世界だとわかっちゃいるが、人殺しを見に集まる観客に歌とダンスを披露することが生き甲斐といわれても、「はい、そうですか」と素直に納得できない部分があった。
(2003・6・10 宇都宮)

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「砂の器」
監督 野村 芳太郎
出演 丹波 哲郎
    加藤 剛
    緒方 拳
(1974年/日本)

何百本、何千本と映画を見てきた中で、いちばん泣けたのがこの作品だ。「タイタニック」も「ニュー・シネマ・パラダイス」ももちろん大泣きしたが、ラスト30分間の長きに渡り泣かせっ放しの映画は「砂の器」だけ。しかも、2度目の「シネパラ」はフシギなほど泣けなかった。さて、25年ぶりに観る「砂の器」はどうだろう?
・・・などと構えてみたものの、やっぱり大泣きした。日本人の琴線に触れるように創っているといえばそれまでだが、「いちばん泣けるのは親子の情愛」というドラマの定説は真実なのかもしれない。
内容は言わずと知れた松本清張の同名推理小説の映画化。東京の国鉄蒲田操車場で起きた殺人事件を追う刑事の渾身の捜査を描く。捜査の過程では松本作品らしく鉄道を存分に使い、東北から出雲まで旅情たっぷりのシーンの連続だ。そこに描かれる日本の田舎の風景はもちろんノスタルジックだし、東京・大阪の大都会の風景もすでに30年近く過去になり、時代を感じさせる。旧国鉄大阪駅がロングショットで映ったときは懐かしさに思わず巻き戻し、もう一度鑑賞してしまった。
捜査会議・犯人が演奏するコンサート会場・親子の放浪の旅の3つのシーンをカットバックで描くラスト30分間の手法は、当時としては斬新だったのだろう。ハンセン氏病で生まれ故郷を追われた親子が放浪するのは冬の日本海。雪深い山村。花咲く野辺。長雨にぬかるむ道。2年半に渡り日本海沿岸を放浪する父と子の姿はそれだけで雄弁な物語だし、セリフがない点もいい。加藤剛演じる犯人の弾くピアノ協奏曲がバックに流れるのも効果的だ。
25年前、「緒方拳さんって、なんていい役者なんだろう」と感嘆した。今でもその思いに変わりはないが、改めて丹波哲郎さんの演技にも目を見張った。霊界がらみで妙なイメージがついてしまわれたが、ラストの捜査会議シーンは丹波さんが光っている。
(2003・5・12 宇都宮)

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「ジョン・Q」
監督 ニック・カサヴェデス
出演 デンゼル・ワシントン
    ロバート・デュバル
    ジェームズ・ウッズ
(2002年/アメリカ)

貧しいながらも妻と息子と幸せに暮らしていたジョン・Qだが、突然息子が不治の病に見舞われ、命を救う方法は心臓移植しかない。ところが、移植者リストに名前を載せるだけで 7万5千ドルの大金が必要。当然、健康保険が適用されると思いきや、会社の都合で健康保険の適用枠を変更されており、自費で25万ドルを集めなくてはならなくなる。あらゆる手段を尽くした末にジョン・Qが選んだ手段は、人質をとって病院に立てこもり、息子の手術を要求することだった。
アメリカの健康保険制度のことはほとんど知らないが、保険料がとても高く、金持ちでないと充分な医療を受けられないと聞いたことがある。監督のニック・カサヴェデス自身も心臓に難病を抱える娘を持つという。医療保険制度の矛盾や病院経営の裏側を真正面から暴き、社会性もさることながら、息子を想うデンゼル・ワシントンの熱演が泣ける。昨年のアカデミー主演男優賞を受賞した「トレーニング・デイ」の演技もすごかったが、この作品も画面から彼のパワーがあふれ出る印象だ。
人質になった患者や医師たちがジョン・Qに同情し、徐々に協力的になっていく過程はヒーロー好きなアメリカ人ならでは。思い切った手段に出た人間を遠巻きにしてしまいがちな日本人には、ちょっと違和感があるかもしれない。
脚本が書かれた10年前、ダスティン・ホフマンが興味を示したが実現しなかったらしい。本作のN・カサヴェデスが監督の名乗りを挙げたとき、ジョン・Q役はブラックアメリカンかヒスパニック系を想定し、D・ワシントンにアプローチしたという。脚本に人種の想定がなかったのはフシギだが、D・ワシントンはまさにハマリ役。同じブラックアメリカンでもウィル・スミスではちょっと線が細い。ここはキャスティングに拍手だ。
(2003・5・7 宇都宮)

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「至福のとき」
監督 チャン・イーモウ
出演 チャオ・ベンシャン
    ドン・ジエ
(2002年/中国)

「あの子をさがして」「初恋のきた道」に続く、チャン・イーモウ監督の人間ドラマ。しかし、舞台は前2作のような山奥の寒村ではなく現代中国の都会で、趣きがやや異なる。
勤めていた工場が倒産し、金はないが結婚はしたいチャオは、見合いで知り合った子持ちの女をなんとか口説き落とそうと、自分は金持ちの旅館経営者だとウソをつく。ところが、相手の女は前夫が残していった盲目の娘ウー・インを旅館のマッサージ係として住み込み労働させてくれとチャオに押し付ける。困ったチャオだが、工場仲間の協力を得て、工場の片隅にマッサージ室に見せかけた部屋をつくり、ウー・インをごまかそうとするが・・・
現代の都会が舞台だが、描かれるストーリーはファンタジック。チャオ役のチャオ・ベンシャンがフランキー堺さんを彷彿とさせ、古きよき人情喜劇に仕上がっている。チャオを巡る工場仲間の金はないが情はある交流ぶりは、昔の日本の長屋づきあいを思い出させた。チャン・イーモウ監督の「活きる」もそうだったが、暮らしぶりに大差がなければ日本人も中国人もそう変わらないということか。
5万人のオーディションから選ばれたドン・ジエは、ひと目見たら忘れられない美少女。盲目の難役をかなり達者にこなしている。まだ子どもだが、将来が楽しみだ。
ネタバレになるのでここには書かないが、ラストシーンは意外だった。日本人監督ならこうは創らないだろう。「あの子をさがして」でも見られた中国の子どものたくましさに、やっぱり21世紀は中国の時代かと再確認させられた。
(2003・5・7 宇都宮)

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「スコーピオン・キング」
監督 チャック・ラッセル
出演 ザ・ロック
    マイケル・クラーク・ダンカン
    ケリー・ヒュー
(2002年/アメリカ)

ヒットシリーズ「ハムナプトラ」の番外編。「ハムナプトラ2」に登場した怪物スコーピオン・キングを主人公にした冒険ヒーローものだ。
アメリカのエンタテインメントプロレス団体WWEのスターであるザ・ロックが映画初主演。「ハムナプトラ2」では暴れまくるだけで演技らしい演技もなかったが、本作では堂々の主演である。
ストーリーはごく単純。一族をメムノンに殺された男・マサイアスが復讐を誓い、仲間を募ってメムノンに闘いを挑む。
アクションはもちろん、お色気もしっかり押さえ、正々堂々のヒーローを一直線に描く、お約束どおりの展開。マサイアスと恋に落ちる女占い師役のケリー・ヒューが東洋系の美女のため、全編にエキゾチックな雰囲気が醸し出され、キャスティングとして成功している。
ハムナプトラは古代エジプト王朝が舞台だったが、本作はさらに時代を遡り、5000年前の設定。たとえばメムノンの治める町の名がゴモラというように、聖書時代の地名が登場する。ゴモラの町のセットは楽しめたが、実際の5000年前の町や人々の衣装はもっと質素で不衛生だっただろうなと古代ものを見るたびにいつも思う。
プロダクション・ノーツによると、ザ・ロックの最終目標は映画界らしい。アメリカのプロレスラーはマイクパフォーマンスや演技力を要求されるので、実際に映画に出演してもそこそこの演技を見せることが多いが、ザ・ロックもうまいとは言えないが、それなりの熱演である。やはり彼もシュワルツェネッガーの跡目を狙っているようだ。
(2003・4・25 宇都宮)

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「サイン」
監督 M・ナイト・シャマラン
出演 メル・ギブソン
    ホアキン・フェニックス
    ローリー・カルキン
(2002年/アメリカ)

「シックスセンス」のM・ナイト・シャマラン監督の最新作。脚本も兼ねる監督は、史上最高の脚本料500万ドルをこの作品で獲得したらしい。
農場に次々と現れるミステリー・サークル。不気味な予知をはじめた娘。姿の見えない侵入者・・・妻が交通事故死して以来、元牧師のグラハム(メル・ギブソン)の周囲では、説明のつかない不可解な現象が続く。やがてミステリー・サークルは未知の宇宙人が訪れるサインだと世界中をニュースが駆け巡り・・・
平凡な日々を送る元牧師一家に、静かな予兆が続く。恐怖のレベルが少しずつ少しずつ上がっていく。・・・ここまではいつものM・ナイト・シャマラン調。ところが、事態がアメリカの片田舎ですまされず、全世界に広がる宇宙人騒ぎになるところでストーリーは荒唐無稽になってしまう。宇宙人から家族を守る闘いの合間に、妻の死の様子がフラッシュバックしていく構成は面白い。しかし、妻の死の全容が甦ったところで、宇宙人との闘いにヒントが出る(つまり、これがサイン)オチは、ちょっとムリがある。妻の死で信仰を失った元牧師が、再び神を信じる気持ちを取り戻すための重要なファクトであったとしても。
そもそもミステリー・サークルという「道具」が古い。「信仰を取り戻す」というテーマを際立たせるなら、妻の死にもう少しヒネリがあってもよかったかもしれない。その方が神の奇跡を信じる気持ちにさせるのではないか。
前作の「アンブレイカブル」、そして本作でつくづく感じたが、M・ナイト・シャマランという監督は半径5キロの生活圏の恐怖を描く才能は飛び抜けているのだが、話が大きくなると処理が荒くなる。そういう意味で、「シックスセンス」を超えるのは、なかなか難しいことなのかもしれない。
(2003・3・31 宇都宮)

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「13日の金曜日 ジェイソンX」
監督 ジム・アイザック
出演 ケイン・ホッダー
    レクサ・ドイグ
(2002年/アメリカ)

ホラー映画の人気シリーズ「13日の金曜日」10作目。ついにジェイソンは宇宙にまで飛び出した。
21世紀初頭、人類は不死身の殺人鬼ジェイソンを冷凍保存することで封じ込めた。ところが、冷凍時の事故でローワン博士もともに冷凍保存されてしまう。450年後、人類が住まなくなった地球を訪れた調査船がジェイソンとローワン博士を発見。宇宙船に連れ帰り、蘇生させてしまったことから、再びジェイソンの殺戮がはじまる。
ホラー映画というのは、根強いファンがいるらしい。銃で撃たれても頭を吹っ飛ばされても死なないジェイソンが一体何者なのか説明不能だが、襲われる恐怖を共感して楽しむのだろう。たぶん。私は初めてこのシリーズを見たが、予想したほど残酷でもなく(これは逆に映画全般が残酷化している証かも)手軽に楽しめた。
宇宙船という閉鎖空間で不死身の敵と戦うシチュエーションは「エイリアン」にそっくり。ハッキリ云って「エイリアン」の方が数段怖くてキモチ悪かった。SFを作らせるとさすがにハリウッドなのでそれらしく仕上がるが、どう見ても現代アメリカ人にしか見えない役者や衣装がお安い。
最近、ヨーロッパなど外国を舞台にしたアメリカ映画が増えている気がするのだが、やはりハリウッドは深刻なネタ不足に陥っているのか。ジェイソンも現代アメリカではネタが尽きて未来の宇宙に飛び出したものの、結局「エイリアン」の焼き直しになってしまった。
(2003・3・6 宇都宮)

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「シッピング・ニュース」
監督 ラッセ・ハルストレム
出演 ケヴィン・スペイシー
    ジュリアン・ムーア
    ケイト・ブランシェット
(2002年/アメリカ)

これといって取り柄のないサエない男・クオイル(ケヴィン・スペイシー)は、偶然知り合った派手な女(ケイト・ブランシェット)と結婚。娘をもうけるが、女は男と家出し、事故死。失意のクオイルに追い討ちをかけるように、両親の自殺の知らせが舞い込む。その直後、訪ねて来た叔母に「先祖の島に帰ろう」と持ちかけられたクオイルは、叔母と娘の3人でニューファンドランド島へと引っ越すことにする。さいはての島で、クオイルが得た仕事は地元タブロイド紙の記者。船にまつわるニュース「シッピング・ニュース」担当になったクオイルは、思わぬ文才をそこで発揮しはじめる。
ラッセ・ハルストレム監督らしい、叙情性豊かな作品だ。
妻に逃げられ、死なれた男。母に捨てられた少女。なにかワケありげな叔母。この3人家族が掘っ立て小屋のような先祖の家で、過酷な島の自然とともに暮らしはじめる。島で出会う人々もどこか影を背負った人間が多い。クオイルが仕事で自信を持ち始めると同時に、祖先の悪行や一族が島を離れた理由も明らかになっていくが、それは島により深く足を下ろすためのきっかけに過ぎなかった。
ニューファンドランド島という世界地図でしか見たことのない最北の島の様子に、まず度肝を抜かれた。さいはての島で肩を寄せ合って過ごす狭いコミュニティの中だから、クオイルの先祖の悪行も昨日のことのように語られるのかもしれない。都会では誰からも振り向かれなかった男が、さいはての島で人々に認められる再生の物語は見ていて心が癒される。
それにしても、毎度のことだがK・スペイシーがウマイ! キレ者の悪党を演じてもサマになるが、本作のようなサエない男も最高! まるで作品のたびに人格まで入れ替えているかのよう。同じく作品のたびに違う顔を見せてくれるのがK・ブランシェット。アバズレ女の役もピッタリはまってて、文句なし。「ロード・オブ・ザ・リング」のエルフの女王と同一人物とはとても思えない演技の幅の広さだ。
全体にジミなせいか公開時にあまり話題にならなかったが、ぜひオススメの作品だ。
(2003・2・9 宇都宮)

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「少林サッカー」
監督 周星馳
出演 周星馳
    呉孟達
(2002年/香港)

昨年のワールドカップでサッカー熱が最高潮に達した頃に公開され、単館ロードショー作品としてはかなりヒットしたらしい。CGを大々的に取り入れ、現実にはあり得ないプレーをこれでもか、これでもかと見せる典型的香港映画だ。
ストーリーはごく単純。かつてサッカーの名選手だった男がオーナーからクビを宣告され、復讐のために自分のサッカーチームを作ろうとする。街で少林寺拳法の使い手に出会い、「サッカーに使える!」と直感。かつて少林拳の使い手だった男たちでまとめたチームで、サッカー大会に臨む。
見どころは、もちろんCGオンパレードのゲームシーン。とてもサッカーをしているようには見えないが、動きと勢いだけはある。
子どもなら動きだけで楽しめるのかもしれないが、あまりにもストーリーと構成がお粗末なので、私はハッキリ云って退屈だった。逆にこの作品が若者にウケたのだとしたら、「この程度で喜んでていいのか?」と、そのセンスが心配になる。
(2003・1・11 宇都宮)

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「ジェヴォーダンの獣」
監督 クリストフ・ガンズ
出演 サミュエル・ル・ビアン
    ヴァンサン・カッセル
    モニカ・ベルッチ
(2002年/フランス)

1764年、ルイ15世統治下のフランス。森と山に囲まれたジェヴォーダン地方で、女や子どもが次々と謎の獣に襲われ、惨殺される事件が相次いだ。国王から獣退治を命じられてジェヴォーダンにやって来た自然科学者のフロンサック(サミュエル・ル・ビアン)は、獣の痕跡を調べるうちに、その背後に獣を操る人間が存在すると確信する。
「クリムゾン・リバー」のようなサスペンスホラーかと思って見始めると、実はマーシャルアーツを筆頭とするアクションホラーだった。
しかし、18世紀フランスの片田舎を舞台にした人間ドラマもなかなかよくできている。新大陸を旅し、リベラルな世界観を持つ科学者フロンサックを中心に、彼が恋に落ちる貴族の令嬢(エミリー・デュケンヌ)、猟で片腕をなくしたその兄(ヴァンサン・カッセル)、謎の娼婦(モニカ・ベルッチ)など登場人物が多彩で、観る者はフロンサックとともに謎解き気分が味わえる。V・カッセルの演技やM・ベルッチの色香(この2人、私生活でも夫婦だが)を堪能した上に、マーシャル・アーツまでてんこ盛り・・・要素が多過ぎておなかいっぱいになるが、娯楽大作と割り切って見れば2時間18分を全く退屈することなく楽しめた。
今、世界中の映画市場がハリウッド映画に席巻されているため、フランス映画を見る機会があまりない。そのせいか、この作品で初めて知ったのだが、サミュエル・ル・ビアンはなかなか魅力的な役者さんだ。エミリー・デュケンヌは1999年カンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞したフランスの若手ナンバーワン女優らしいが、もっと他に適役があるような気がした。美貌ではM・ベルッチに絶対かなわないので損な役回りだ。他にもマーシャル・アーツを駆使するインディアンを演じたマーク・ダカスコスや、フロンサックのよき友となる若侯爵を演じたジェレミー・レニエなど、気になるキャストもおなかいっぱいの作品だ。
(2003・1・11 宇都宮)

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「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」
監督 ジョージ・ルーカス
出演 ユアン・マクレガー
    ナタリー・ポートマン
    ヘイデン・クリステンセン
(2002年/アメリカ)

「エピソード1」から10年。アナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)は19歳の青年に成長し、オビ・ワン(ユアン・マクレガー)の下でジェダイの訓練を積んでいた。並外れたフォースを持つアナキンは、才能と同時に将来ダークサイドへと落ちる弱い精神も併せ持ち、オビ・ワンの不安は尽きない。一方、パドメ・アミダラ(ナタリー・ポートマン)と再会したアナキンは、幼い頃からの恋心を告白し…
相変わらずの(古い言い回しだが)宇宙大活劇。ヨーダがライト・セーバーを持って闘う姿はCG技術が可能にした映像で、スター・ウォーズ・マニアが涙を流して喜びそうなシーンのオンパレードだ。金・ヒマ・手間をかけて作り込んだ映像の隅々まで堪能するには、やはり大画面の映画館に限るかもしれない。
ストーリーの伏線について云えば、アナキンの父親はまだ謎のままだが、のちにルークの叔父さん夫婦になるであろう人物が登場する。惑星タトゥーインの砂漠の風景も懐かしい。(実際、初めてルークの砂漠の家を目にしてから、20年以上の時が過ぎた)
…にしても、旧3部作のときから感じていたことだが、やはり人間ドラマが単純。アナキンとパドメが恋に落ちるのは全く抵抗ないが、今後エピソード3に向けて「ルークとレイア姫が実は双子だった」なんていう無理オチの繰り返しがないように祈る。
(2002・12・31 宇都宮)

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「スパイダーマン」
監督 サム・ライミ
出演 トビー・マクガイア
    ウィレム・デフォー
    キルスティン・ダンスト
(2002年/アメリカ)

ご存知人気アメリカン・コミックの映画化。
冴えない高校生ピーターは、ある日校外学習で訪れた研究所で、遺伝子操作されたクモに噛まれ、特殊な能力に目覚める。最初はその能力を自分のためだけに利用しようとしたピーターだが、育ての伯父が街のチンピラに殺されたことから、社会のために闘うことを誓い、正体を隠したままスパイダーマンとして活躍を開始する。
単純明快な勧善懲悪モノなので、ストーリーよりも映像の新しさを楽しむのがメイン。テレビCMでもさんざん流れていたが、クモの糸を使ってニューヨークの摩天楼を飛び移って行くCGシーンはスパイダーマンの目線に合わせて風景も動き、(高所恐怖症でなければ)妙な爽快感がある。
CG技術の進歩で撮影不可能な映像がなくなりつつあるが、なんだか映像自体に真実味がないというか、アニメを見ているような気分になる。実写以上にクリエイターの想像力がモノをいうところで、映画とゲームの垣根が低くなったとつくづく感じた。
一方、アナログな感覚で楽しませてくれるのは、やっぱり生身の役者。トビー・マクガイアがなぜこの作品に出演したのか?(派手な作品に出たかった? ギャラがよかった? サム・ライミを尊敬していた?)とか、ウィレム・デフォーはいくつまでこんな肉体派の悪役を演じるのか?とか、ヒーローが恋する相手になぜ美人がいないのか?など。特にピーターが恋するメリー・ジェーン役のキルスティン・ダンストは、全編「こんな女のどこがいいんだ?」と思わせてくれた。後で調べると、彼女はあの「インタビュー・ウィズ・バンパイア」で吸血鬼の少女を演じた女優さんらしい。吸血鬼少女はなかなかのインパクトだったから、やはりこの作品の役柄が弱いのだろう。
(2002・12・13 宇都宮)

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「スパイ・ゲーム」
監督 トニー・スコット
出演 ロバート・レッドフォード
    ブラッド・ピット
(2001年/アメリカ)

1991年、CIA退職の日を迎えたネイサン(ロバート・レッドフォード)は、手塩にかけて育てた部下ビショップ(ブラッド・ピット)が中国で囚われたことを知る。外交上の理由からCIA幹部はビショップを見殺しにしようとしていた。それを知ったネイサンはひとり密かにビショップを救うための作戦を決行する。
部下を救うための作戦決行というと、ネイサン自ら中国に乗り込んでいったように思われるが、実は彼はCIA本部から一歩も出ていない。ビショップの情報を欲しがる幹部連中を相手に、手持ちの情報を小分けに提供して時間を稼ぎつつ、裏で部下を救う知恵を絞る。その頭のよさといい、冷静さといい、リスクを負ってまで部下を救う男気といい、R・レッドフォード演じる上司がとにかくカッコいい。ブラピの若さゆえの愚かさ、エネルギー、行動力も見ていて愛しくなる。そう思えるのは、私がトシをとったせいかもしれないが。
回想シーンの多い構成を、脚本はうまくつないでいる。ベタベタしない演出もいいし、「えっ、スパイってこんな訓練をするの?」といった目新しいネタが多くて楽しめた。スパイ映画を見るたびに「私は絶対スパイになれない」と心中ひそかに思っていたのだが、ますますその確信が深まった(まあ当たり前か)。
(2002・8・14 宇都宮)

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「スウィート・ノベンバー」
監督 バット・オコナー
出演 キアヌ・リーブス
    シャーリーズ・セロン
(2001年/アメリカ)

ネルソン(キアヌ・リーブス)はスゴ腕の広告マンだが、社運を賭けたプレゼンテーションに失敗し、会社をクビになる。失意の日々を送る彼に、町で偶然出会った不思議な女性サラ(シャーリーズ・セロン)がある提案をする。「11月の1ヵ月間だけ恋人として一緒に暮らしましょう」。最初は相手にしなかったネルソンだが、徐々にサラのペースに巻き込まれ、彼女とともに暮らすうちに真の幸せに目覚めていく。11月の終わり、ついにネルソンはサラにプロポーズする。が、サラは不治の病に冒されていた…
全く感情移入ができないラブストーリーだ。毎月一緒に暮らす恋人を変え、疲れた男たちを次々に癒していく女。その設定がまず荒唐無稽で納得できない。いきなり「11月の恋人に」と云われても、人の感情は期間限定で切れるものではないだろう。おまけに(ストーリーをラストまで書いてしまって恐縮だが)「君を最期まで看取りたい」と悲壮な訴えをする男に、女の答えは「美しいままの私を覚えていてほしい」。彼女が次々と傷ついた男たちと同棲し、幸せな暮らしを与えていたのは、彼女自身が誇りを持って最期まで生きるためだという。これって、相当身勝手な意見じゃないのか?
サラが誇りを持って死んで行くために、何人の男が心を奪われ、別れにつらい思いをしたことか。確かに一時的な人助けにはなっているが、一度与えられた幸せを強制的に取り上げられたら、その後の毎日が余計つらいではないか。人助けの方法なら他にいくらでもある。「美しいままの自分を…」のセリフも自己満足の骨頂だ。相手の前にあるがままの自分(それがたとえ醜い姿でも)をさらしてこそ、真の愛情じゃないのか?
設定に凝りすぎて、心に響かない作品になってしまった典型例だと私は受け取った。
(2002・7・19 宇都宮)

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「ジュラシックパークV」
監督 ガス・ヴァン・サント
出演 ショーン・コネリー
    ロブ・ブラウン
    E・マーリー・エイブラハム
(2001年/アメリカ)

ブロンクスの貧しい黒人地域に育った16歳のジャマールは、ふとしたことから30年以上も家から一歩も出ようとしない謎の小説家の存在を知る。大の読書家で文才あふれる彼は小説家のもとに通い続け、自らのエッセイを批評してもらううちに、心の交流を深めていく。やがて、文才とバスケットの実力を認められたジャマールは、私立名門校の奨学生となり、ますますその才能を発揮させるが…
ショーン・コネリー演ずる小説家が、実は名門校の授業でも取り上げられるような伝説の作家という設定は、ありがちなパターン。小説家のもとに通い詰めた少年が、どんどんその才能を開花させていくのも、これまたお約束。ラストも予想どおり。にしても、主人公の少年がちょっとカッコよすぎないか? 文才とバスケットって、なかなか両立しないと思うんだけど。
むしろ、今だにアメリカに階級社会が存在していること、「貧しい黒人少年に文才があるなんて…!」というギャップ狙いに、逆に驚いてしまう。作家という職業への憧れも日本以上。斜に構えて作家を見る日本人よりも、アメリカ人の方が素直なのかもしれないが。
作品の中で目を引くのは、名優F・マーリー・エイブラハムが演じた作文の教師。天賦の才能に嫉妬し、足を引っ張る側に回ってしまう人物像が、人間くさくて私は憎めなかった。
(2002・3・13 宇都宮)

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「小説家を見つけたら」
監督 ジョー・ジョンストン
出演 サム・ニール
   ウィリアム・H・メイシー
   ティア・レオーニ
(2001年/アメリカ)

「ジュラシックパーク」第3弾。
バイオテクノロジーで甦った恐竜たちが跋扈する島・ソルナ島。人間は絶対立入禁止のその島に、アメリカ人の少年がモーターボートの事故で漂着した。少年の両親は恐竜学者グラント(サム・ニ−ル)をだまして島に同行させ、少年を捜索するが、セスナ機を壊され、再び恐竜の島に取り残される。
隔離された場所で恐竜と人間が追いかけっこをする構図はいつも通り。SFXで描かれる恐竜たちは相変わらず壮観だが、パターンが完全に決まってしまった観がある。九死に一生を得て島から生還し、「2度とあの島には足を踏み入れない」と心に決めている者を、ムリヤリ島まで連れてくる設定づくりもいろいろ大変だ。
パート3では、パート1に登場したS・ニールとローラ・ダーンの2人の恐竜学者を再登場させ、パート1のその後を踏襲させようとしたが、作品全体を覆うB級のニオイがぬぐえない。もちろん、観る方もわかって観るのだが、同じ設定でパート1のインパクトを超えるのはムリだと思う。かといって、サンディエゴに恐竜が上陸するのも考えものだが。そんな観客への配慮からか、約93分の上映時間はとても手軽でありがたかった。
(2002・3・28 宇都宮)

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「シュレック」
監督 アンドリュー・アダムソン
(2001年/アメリカ)

スティーブン・スピルバーグのドリームワークスが製作したCGアニメーション作品。
CGアニメ技術の日進月歩ぶりには驚くが、人の表情といい動きといい、かなり違和感も減り、ホンモノに近づいてきた印象だ。生身の役者さんにはできない動きもアニメーションなら自由自在だし、シュレックのような怪物もいくらでも登場させることが可能だ。
それにしてもこの作品、ストーリーがあまりにも単純すぎないか? 「ハリー・ポッター」のような複雑な物語でも子どもは結構理解できるのだ。むしろ、映像がホンモノに近づけば近づくほど、アニメでやる意味を問われるのでは? 生身の人間のアクションシーンも、今やCGでかなり自由に手を入れられる時代。単にホンモノに近いだけなら、アニメでなく、ホンモノの役者さんにやってもらえばいいことだ。
ところで、5歳と2歳の姪ッ子と一緒だったため、私は日本語吹き替え版で見た。吹き替えを担当したのは、シュレックがダウンタウンの浜ちゃんで、フィオナ姫が藤原紀香。どうも2人の声のイメージが強すぎて、浜ちゃんと紀香の掛け合いを見ているような気がしてくるのもツライところだ。しかし、悪役の声を演じた伊武雅刀がさすがにウマかった。
(2002・1・19 宇都宮)

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「スナッチ」
監督 ガイ・リッチー
出演 ベネチオ・デル・トロ
    ブラッド・ピット
(2001年/イギリス・アメリカ)

85カラットのダイヤモンドをめぐり、イギリスの裏社会でうごめく男たちを描く。…と書くと、「ゴッドファーザー」のような重い雰囲気を想像しがちだが、軽いタッチとスピーディなシーン展開、自由自在なBGMで、なにやら新しい映像を感じさせる作品だ。
とにかく登場人物が多いので(しかも見事にオトコばっかり!)、冒頭から脳をクリアにしてしっかりストーリーを把握しよう。ダイヤモンドが誰の手から誰の手に渡り、誰と誰がどう手を結んだか、ぼんやり見てると途中でワケがわからなくなる。特にポイントとなるのは犬なので、ダイヤとともに犬の居場所のチェックをお忘れなく。
演じる俳優陣の中で、日本でいちばん知られているのはブラッド・ピットだが、彼も主役とはいいがたい(しかし、いちばんオイシイ役をしっかり貰っている)。むしろ主役がいないワルの群像ストーリー(?)なのだ。
監督のガイ・リッチーはあのマドンナのダンナさん。BGMでもしっかりマドンナの「ラッキースター」を使っていた。なるほど、マドンナはこの才能に惚れたのかと、納得できる作品だ。
(2002・1・20 宇都宮)

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「猿の惑星」
監督 ティム・バートン
出演 マーク・ウォルバーグ
    ティム・ロス
    ヘレナ・ボナム=カーター
(2001年/アメリカ)

子どもの頃、「猿の惑星」が大ヒットし、特殊メークというものに腰を抜かした。人間の役者が演じているのに、どう見ても顔は猿。ラストで自由の女神の残骸にチャールトン・へストンが嘆き悲しむシーンも印象的だった。
この作品も骨子となるストーリーは前作と同じだが、猿社会のディテールに凝り、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンと猿の種類も多い。ティム・ロス演じる猿にはどこかティム・ロスの面影があるし、大男のマイケル・クラーク・ダンカン演じる親衛隊長は、もちろんゴリラである。ヘレナ・ボナム=カーターは「人間にも人権はある」(猿なら猿権か?)と訴える人権派のチンパンジーだが、人間のようなヘアスタイルのせいか、私の友人にソックリ。
バラエティ豊かな猿たちに比べて、主人公の宇宙飛行士を演じたマーク・ウォルバーグがもうひとつ魅力に欠けた。前作のC・ヘストンの役柄も「横暴で好戦的な愚かな人間」だったが、どうもM・ウォルバーグの役柄にも深みがない。
ラストはティム・バートンらしく、あっと驚く意外な結末に持っていった。科学的には???だが、主人公の絶望感は前作以上かもしれない。
それにしても、私のまわりで「猿の惑星」好きの男性が多いのはなぜ? 男が身ひとつで異種の生物と戦う原始的な状況に、男性本来の血が騒ぐのだろうか。どなたか答えを教えていただきたい。
(2001・12・28 宇都宮)

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「ショコラ」
監督 ラッセ・ハルストレム
出演 ジュリエット・ピノシュ
    ジョニー・デップ
    ジュディ・デンチ
(2001年/アメリカ)

フランスの片田舎の小さな町に、ある日フラリとやってきた不思議な母子。母のヴィアンヌはチョコレートショップを開店し、村の人ひとりひとりにピッタリのチョコをすすめ、いつしかチョコレートショップは常連客の癒しの場となっていく。その一方で、流れ者の母子を疎んじる古い考えの人々が母子をのけ者にし、それがやがて大事件へと発展し…
ラッセ・ハルストレム監督らしい群像劇。チョコレートショップに出入りする登場人物ひとりひとりのエピソードを積み重ね、人が求める本質と古くさい常識との葛藤を描いている。
しかし、この監督の前作「サイダーハウス・ルール」に比べると、いかにも弱い。まず、ひとつところに定住せず、旅から旅への生活を繰り返す主人公の母子の謎が今ひとつ解けていない。母子がなぜ、チョコショップを開店できるほどの資金を持っているのか。この小さな町で、チョコショップが生業として成立するのか。不況の日本で、店がどんどん潰れていくのを目にしている身には、どうもひっかかる。
常連客との心の交流の様子はさすがに秀逸だが、反対勢力である伯爵たちの頑迷さが多分に宗教がらみで、日本人にはわかりにくい。逆に日本でも地方に行けば、あの程度の古い考えの人たちは存在するのかもしれないが。
なにはともあれ、出演している俳優陣がスゴイので、彼らの抑えた演技を堪能しよう。ヒロインが「イングリッシュ・ペイシェント」のジュリエット・ピノシュ。その娘役は、あの「ポネット」に主演していた女の子だ。常連客役のジュディ・デンチは「恋に落ちたシェイクスピア」のエリザベス女王役とはまた違った迫力がある。ピーター・ストーメアは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とは正反対の役どころだが、ウマイ。出演シーンが少なくて忘れそうになっていたが、ジョニー・デップもセクシー。そういえば、この監督の「ギルバート・グレイプ」でJ・デップは演技派を印象づけたような気がする。
(2001・12・8 宇都宮)

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「ザ・ウォッチャー」
監督 ジョー・シャーバニック
出演 キアヌ・リーブス
    ジェームズ・スペイダー
(2001年/アメリカ)

FBI捜査官キャンベル(ジェームズ・スペイダー)は、女性ばかり狙う連続殺人鬼グリフィン(キアヌ・リーブス)に彼に恋人を殺され、心に深い傷を負ってロサンゼルスからシカゴへやって来た。ところが、グリフィンが後を追ってシカゴに現れ、次なるターゲットの女性の写真とともに殺人予告を送りつけてくる。まるでキャンベルとのゲームを楽しむように。キャンベルは心機一転、捜査チームの指揮をとり、グリフィンを追い詰めていくが…
K・リーブスが連続殺人鬼を演じて話題になった作品。これまでの映画で描かれてきた連続殺人鬼といえば、およそ女性にモテそうにないブ男ばかり。そこを押しも押されぬ美形スター・キアヌが演じればどうなるか…といったところがミソかと思ったが、美形でもブ男でも全然関係ないストーリー展開である。美形だからという理由だけで用心深いアメリカの女性は男についていかないし、キアヌ自身も顔を武器に殺人を犯すわけではない。J・スペイダーに恋心(?)を告白するシーンが唯一美形のメリットかと思ったが、FBI捜査官にすれば凶悪犯に慕われたところでいい迷惑である(当たり前)。
一方、J・スペイダーがしばらく見ないうちに随分老けてしまった。結構好きだったので、私としては少しショックである。
(2001・12・8 宇都宮)

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「17歳のカルテ」
監督 ジェームズ・マンゴールド
出演 ウィノナ・ライダー
    アンジェリーナ・ジョリー
    ウーピー・ゴールドバーグ
(2001年/アメリカ)

今もっとも旬な女優アンジェリーナ・ジョリーがアカデミー助演女優賞を受賞した出世作。彼女の出演作が次々と公開されているが、この作品でまず見てみたかった。
17歳のスザンナ(ウィノナ・ライダー)は自殺騒動を起こし精神病院に入院させられる。そこでは彼女と同様、傷ついた少女たちが長期間に渡って入院しており、中でも異彩を放つのがリーダー格のリサ(A・ジョリー)。当初は自らの境遇に反発していたスザンナだが、やがてリサや他の少女たちとの心の交流が生活の中心となっていく。
原作はスザンナ・ケイセンの全米ベストセラー。患者の視点から描いた精神病院での日々は、同じ類のものがあまり世の中に出回ってないので、とても興味深い。1967年・ベトナム戦争の渦中にあったアメリカが舞台だが、広くて清潔な精神病棟に日米の差を感じる。
しかし、いくら整った環境とはいえ長引く入院生活は閉塞感を生み、人生に希望がなくなる。入院患者やスタッフとの交流が心の支えになっていても、そこに安住していては前に進めない。そのことにスザンナが気づいたときに、物語は大きな転換を見せる。
主演のW・ライダーは製作総指揮も務め、演技派&才女の面目躍如といったところだ。いまだにティーンエージャー役ができるのもスゴイ。しかし、A・ジョリーの全身から溢れ出るセックスアピール、思わず見とれる身のこなし、息を呑む迫真の演技、圧倒的な存在感にはただただ感服のひとこと。こう云ってはナンだが、W・ライダーが貧相に見えるぐらいだ。A・ジョリーが出演する作品は、これから全部押さえておかねば! …という熱い気持ちに久々にさせてくれる女優さんである。
(2001・11・23 宇都宮)

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「ザ・メキシカン」
監督 ゴア・ヴァービンスキー
出演 ブラッド・ピット
    ジュリア・ロバーツ
(2001年/アメリカ)

ブラピとJ・ロバーツが恋人役で共演した話題作。ひょんなことからマフィアのパシリをさせられている男と、口達者でケンカばかりしてしまう女。男がボスの命令で伝説の銃「ザ・メキシカン」を運ぶ役を仰せつかったばかりに、とんだ騒動に巻き込まれる。
ラブ・ストーリーにアクションとロードムービーの味わいが加わり、ストーリー自体は楽しめる。チャランポランで不運な男をブラピは好演しているし、ちょっとハスッパで可愛い女はJ・ロバーツの得意とするところだ。ところが残念なことに、作品自体がなにかもうひとつ突き抜けない。これって、クリエイターにとっていちばん困った問題ではないだろうか。
演出のテンポがやや悪いのかもしれない。ドンデン返しも用意されているが、やや迫力不足。伝説の銃のエピソードは面白いのだが、やや練り込みが足りないか。どれもこれも致命的ではないのだが、やや足を引っ張っている。
そんなこんなが原因なのか、2大スターの競演のわりには、いまいちヒットしなかった。お客さんは本当に正直である。そして面白い映画を創るということは本当にむずかしいと、心から思う。
(2001・11・14 宇都宮)

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「スターリングラード」
監督 ジャン=ジャック・アノー
出演 ジュード・ロウ
    ジョセフ・ファインズ
    レイチェル・ワイズ
(2001年/アメリカ・ドイツ・イギリス・アイルランド)

1942年9月。スターリングラード攻防戦は第2次大戦の独ソ戦線の大勢を決定づける重要な戦闘だった。その激戦地に新兵として送り込まれた羊飼いのヴァシリ(J・ロウ)は、飛び抜けた射撃の才能を買われ、戦場の英雄として祀り上げられていく。
愛国心に燃える素朴な羊飼いが英雄に作り上げられていく過程は、上官役のJ・ファインズの好演もあって、わかりやすい展開。面白いのは、エド・ハリス演じるドイツ側の名狙撃手とのスナイパー対決。常に緊張感を保ち、標的を確実に仕留められる瞬間をひたすら待つ。1発で相手を仕留めなければ、自分の位置を相手に教えたことになり、確実に殺られてしまう。まさに持久力と精神力の勝負で、油断した側、忍耐の切れた側が命を落とす。少しでも相手より優位に立つために、当然蔭の情報戦も熾烈だ。ロシア人の少年が二重スパイ役を務め、ドイツ側にニセ情報を流した末に悲劇的な最期を遂げるシーンは、ロシア映画の名作「僕の村は戦場だった」を思い出させる。
この物語は事実に基づいており、実在のヴァシリはその後ソ連の英雄となったらしい。今アフガニスタンでも戦争が起きているが、日本人のひとりとして私も戦争には絶対反対である。一般人だけでなく、子どもまで巻き込むなんて論外だ。この作品も戦争映画にアレルギーのある方にはすすめない。が、命を賭けた真剣勝負は見る価値があった。例によってE・ハリスがまた国籍不明のいい味を出している。
ジャン=ジャック・アノーの作品としては「セブン・イヤーズ・イン・チベット」より、よっぽどいい。
(2001・11・3 宇都宮)

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「ザ・セル」
監督 ターセル 
主演 ジェニファー・ロペス
   ヴィンス・ヴォーン
(2000年/アメリカ)

今をときめくJ・ロペスという女優さん(本職はシンガーらしい)を見てみようと、この作品を借りてみた。ジャンル的には人の精神世界をのぞくサイコ・サスペンスだが、映像がとにかく美しい。人の心の中というなんでもアリの世界を、シュアな映像で存分に表現している。
人の心の中に入り込み、精神病を治療する最先端システムの研究者のもとに、FBI捜査官が瀕死状態の連続殺人鬼を連れてくる。連続殺人鬼が監禁し、近い将来水槽の中で溺死させられる運命にある女性を救いたいのだが、肝心の監禁場所がわからない。犯人の心の中に入り込み、監禁場所を聞き出してほしいという依頼を、危険を承知で引き受ける女性研究者だが…
幼児期にDVを受け、その結果歪んだカタチでしか女性を愛せなくなった犯人の姿は哀れだが、猟奇殺人のシーンはただひたすらオゾマシイ。自分も水を恐れているにもかかわらず、溺死した女性にしか性的興奮を覚えないという設定は、ウマイというより不気味。
ところで肝心のJ・ロペスは? 背景の映像が美しすぎて、あまり印象に残りませんでした。
(2001・10・2 宇都宮)

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「処刑人」
監督 トロイ・ダフィー
出演 ショーン・パトリック・フラナリー
    ノーマン・リーダス
    ウィレム・デフォー
(2001年/アメリカ・カナダ)

敬虔なクリスチャンの家庭に育った兄弟が神の啓示を受け、サウス・ボストンにはびこるマフィアをバッタバッタと殺していくアメリカ版「必殺仕事人」。
特にどうということもない作品だが、ビジュアル的には兄弟がカッコイイ。
兄を演じるS・P・フラナリーは「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」以来、出演作に恵まれなかったらしい。あのTVシリーズの頃はまだ少年の面影を残していたが、今や前髪も薄くなりかけ、苦労のあとが偲ばれる。弟を演じるN・リーダスがイチオシ。特に声がいい。ストーリーが退屈になると、私は彼の声を聞くことに集中した。
2人を追いかけるFBI捜査官役のW・デフォーが怪演し、女装まで披露している。しかし、あの女装にだまされるマフィアなんて果たしているのか?
(2001・7・24 宇都宮)

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「スペース カウボーイ」
監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド
    トミー・リー・ジョーンズ
(2000年/アメリカ)

最初にストーリーを聞いたとき、「コクーン」を思い出した。SF映画と信じて観たら、老人映画だったあの衝撃(?)。しかし、この作品はC・イーストウッド監督22作目にして初挑戦の本物のSF映画である。
40年前、宇宙に行く夢を絶たれた空軍パイロットチーム・ダイダロス。その設計技師を務め、今や余生を楽しむC・イーストウッドのもとに、NASAから突然の依頼があった。ロシアの通信衛星が故障したのだが、設計が古すぎて修理できる技師が現役にいないという。彼は「修理する代わりにチーム・ダイダロスに任務を任せろ」と交換条件を突きつけ、4人の仲間を呼び寄せる。NASAはこのムチャな要求を呑み、4人に現役と同じ訓練を受けさせ、スペースシャトルで夢の宇宙へと飛び立たせるのだが…
とにかくジーサン4人が元気である。40年前、宇宙に行く寸前で実験用のサルにチャンスを奪われた悔しさを、推定平均年齢70歳(あくまでも私の勝手な推定)にして取り戻そうとするその心意気、チャレンジ精神! 男気というものが全編にあふれている。しかし、NASAの訓練は当然過酷で、遠心力でシワが伸び、訓練後の食事は入れ歯が浮いて食べにくい。最初はバカにしていたNASAの現役飛行士たちも、やがてジーサン4人を仲間と認め、敬意を払い始めるのもいい。ロシアの通信衛星には当然秘密が隠されているが、それは見てのお楽しみ。
渋い役どころのT・L・ジョーンズ、いまだに女好きの役柄がピッタリはまるドナルド・サザーランド、やっぱりジミだったジェームズ・ガーナーの競演も楽しい。
(2001・7・15 宇都宮)

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「宋家の三姉妹」
監督 メイベル・チャン
出演 マギー・チャン
    ミシェール・ヨー
    ヴィヴィアン・ウー
(1998年/香港・日本)

中国の名家・宋家には3人の姉妹がいた。ひとりは富を愛し、ひとりは権力を愛し、ひとりは国を愛した――こんな設定はフィクションで書くとウソくさい。実話だからこそ重みが出る。
3人姉妹のうち、もっとも観る者を感動させるのは、やはり孫文と結婚した次女の宋慶齢だろうか。親子ほども年の違う夫を尊敬し続け、その死後は思想の後継者となった。長女は上海の大財閥の御曹司に嫁ぎ、人のいい夫と子どもたちに恵まれ、いちばんオイシイ人生かもしれない。三女は姉たちよりグレードの低い結婚をすることができず、「孫文に匹敵する男」蒋介石を選んだ。蒋介石は思想家ではなく、権力欲のかたまりの政治家・軍人ではあったものの。
3人が3人とも、おとなしく夫に従う女性ではなく、あるときは仕事で男性以上の辣腕を振るい、あるときは夫に助言する知性と教養と勇気を持った女性に描かれているのは、ややデキ過ぎの感もある。
しかし、清朝末期から共産党政権樹立までの激動の半世紀を、美しい映像で一気に見せたのは力技だった。名前から察するに、この作品の監督は女性のようだが、香港映画界もなかなか奥が深い。ファッション好きはワダ・エミさんの衣装を見るだけでも価値ありだ。
(2001・3・14 宇都宮)

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「サイダーハウス・ルール」
監督 ラッセ・ハルストレム
出演 トビー・マグワイヤ
   マイケル・ケイン
(2000年/アメリカ)

2000年アカデミー賞で脚本賞と助演男優賞を獲得した作品。
第二次大戦前のメイン州ニュー・イングランド。ホーマー(マグワイヤ)は孤児院で生まれ育った。ラーチ院長(ケイン)の「人の役に立つ存在になれ」という教えを守って成長した彼は、院長の仕事――助産と禁止されていた堕胎を手伝うようになる。成長するにつれて将来に疑問を持ち始めた彼は、ある日、孤児院を飛び出すのだった。その後新しい世界を知り、経験した後に彼が見つけたものは・・・?
誰もが経験する青春期の心のひだを丁寧に描いている。マグワイヤが悩みを抱えるナイーブな青年を好演している。その上をいくのがマイケル・ケインであるが。テーマは重く舞台は孤児院と複雑な背景をベースにしながら、ユーモアも見られ全体に透明感さえ感じられる。
ホーマーとラーチ院長の関係は、ふとニュー・シネマ・パラダイスを彷彿とさせられた。2人の関係性はやや違うが、あの映画が好きな人にはぜひお奨めしたい。マニアックだが、映画の冒頭と最後に登場する蒸気機関車が風景と相まっていい雰囲気を出している。孤児院の子供たちの目の表情にも引きつけられる。
美しい音楽とともに、じっくり味わいながら鑑賞したい映画である。
 (2000.12.29 藤原)

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「ザ・ビーチ」
監督 ダニー・ボイル
出演 レオナルド・ディカプリオ
(2000年/アメリカ)

あの「トレイン・スポッティング」のダニー・ボイルが監督、主演はディカプリオとくれば、そこそこヒットするだろうし、実際ヒットしたのだろうと思う。飽きさせない展開と巧みなナレーションは、さすがに「トレイン・スポッティング」の監督さんだ。
舞台はタイ。東南アジアを旅する欧米の若者たちの間に、密かに流れる楽園の島の伝説。そして、ディカプリオたち3人が辿り着いた島には、確かに楽園があった。しかし、その楽園の結末は…?
前半で描かれる若者たちの様子に、学生時代、ヨーロッパをバックパッカーで旅したことをなつかしく思い出した。欧米の若者は、日本人とは比較にならない長期間に渡り、リュックを背負って世界を旅する。就職のこととか、家族のこととか、全部ペンディング(?)して旅する姿は、その頃の私には不思議な光景だった。彼らはなにを求めて、あの長い旅をしていたのか。ディカプリオ扮する主人公のセリフのように、「普通じゃないこと」を求めていたのか。私の目には、ただ単に好奇心と変化のある毎日を求めていただけに見えたが、それでも若い頃に異質な文化に触れるのは大賛成だ。国に帰ったら、ぜひリベラルな大人になって、周囲を啓蒙してほしい。
映画のストーリーだが、印象に残ったことをひとつ。
楽園にも組織があり、リーダーがいる。そしてリーダーは、組織を守るためなら個人を進んで犠牲にする。これは人が組織を作り続ける限り、避けられない宿命なのだろうか。
(2000・12・10 宇都宮)

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