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CINEMA LIBRARY 〜た行〜
 
作品名 監督
タ行
タイタンA.E. ドン・ブルース
タイタンズを忘れない ボアズ・イェーキン
タイムマシン サイモン・ウェルズ
太陽は、僕の瞳(め) マジッド・マジディ
第九軍団のワシ ケヴィン・マクドナルド
第9地区 ニール・ブロムカンプ
ダ・ヴィンチ・コード ロン・ハワード
ダンサー・イン・ザ・ダーク ラース・フォン・トリアー
小さな中国のお針子 ダイ・シージエ
チェンジング・レーン ロジャー・ミッチェル
父親たちの星条旗 クリント・イーストウッド
チャーリーズ・エンジェル McG(マックジー)
チャーリーズ・エンジェル フルスロットル McG(マックジー)
チャーリーとチョコレート工場 ティム・バートン
蝶の舌 ホセ・ルイス・クエルダ
追憶 シドニー・ポラック
月のひつじ ロブ・シッチ
デイ・アフター・トゥモロー ローランド・エメリッヒ
テイラー・オブ・パナマ ジョン・プアマン
デスペラード ロバート・ロドリゲス
デブラ・ウィンガーを探して ロザンナ・アークエット
天使のくれた時間 ブレット・ラトナー
デンジャラス・ビューティ ドナルド・ピートリー
トーク・トゥ・ハー ペドロ・アルモドバル
トータル・フィアーズ フィル・アルデン・ロビンソン
トーマス・クラウン・アフェア ジョン・マクティアナン
トイ・ストーリー2 ジョン・ラセター
トゥームレイダー サイモン・ウェスト
トゥームレイダー2 ヤン・デ・ボン
隣のヒットマン ジョナサン・リン
ドラゴン・タトゥーの女 デヴィッド・フィンチャー
トラフィック スティーブン・ソダーバーグ
トランスフォーマー マイケル・ベイ
ドリームガールズ ビル・コンドン
トリプルX ロブ・コーエン
ドリブン レニー・ハーリン
トレーニング デイ アントニー・フュークワー
トロイ ウォルフガング・ペーターゼン
冬冬の夏休み 候孝賢

「第九軍団のワシ」
監督 ケヴィン・マクドナルド
出演 チャニング・テイタム
    ジェイミー・ベル
    ドナルド・サザーランド
(2010年/イギリス・アメリカ)

ローマ帝国最盛期。2世紀のグレート・ブリテン島で、ローマ軍最強の第九軍団の兵士5000人が忽然と姿を消した。20年後、第九軍団の軍団長の息子マーカス(チャニング・テイタム)は父と同じ軍団に志願し、蛮族と闘うが、戦士として致命的な傷を負う。療養後、ローマ軍の名誉のしるしである黄金のワシの像が北の果てにあると知った彼は、奴隷戦士エスカ(ジェイミー・ベル)とともにワシを取り戻す旅に出る。

中学生の頃、ローズマリー・サトクリフの歴史小説『第九軍団のワシ』を夢中になって読んだ。ローマ帝政下で“この世の果て”と呼ばれた辺境の物語。その「さいはて感」とも呼ぶべき独特の雰囲気に酔いしれ、父親の名誉を回復するための命がけの冒険に胸躍らせたものだった。だから映画化されたと知ったときは「絶対見る!」と思ったし、想像するしかなかったシーンが映像化されているのを見るだけで、ある意味満足だったりする。

こんなふうに原作に思い入れがあると、映画の出来不出来があまり気にならなくなってくる。この作品も傑作ではないかもしれないが、丁寧に作られた良作という印象。スコットランドの原野の映像がどこも美しい。その原野に、蛮族も現地民に同化したローマ軍の残党もともに生きているのだと思うと、なんともいえない切なさが胸に迫る。
塩野七生さんも書いておられたが、ローマ人のメンタリティは意外に日本人に近い。父の名誉を回復したい主人公の行動は論理的ではないが、すんなり私たちの胸に入ってくる。そして奴隷戦士との友情の物語も。

『リトル・ダンサー』の主役の男の子を演じたジェイミー・ベルが奴隷戦士役で好演。子役が順調に成長するのは世界中どこでも難しいと思うが、いい役者さんになったものだ。
(2013・05・05 宇都宮)

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「ドラゴン・タトゥーの女」
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ダニエル・クレイグ
    ルーニー・マーラ
    クリストファー・プラマー
(2011年/アメリカ)

タイトルロールからはじまるスタイリッシュな映像と音楽。「これは面白そうだ」という期待感を抱かせるオープニング。不勉強にして知らなかったが、原作はスウェーデンの作家スティーグ・ラーソンのベストセラー小説らしい。
雑誌編集者のミカエル(ダニエル・クレイグ)は財界の汚職事件を紙面で告発したものの、裁判で敗訴。失意のどん底にいた彼に、スウェーデンを代表する大企業の経営者一族の老人ヘンリク(クリストファー・プラマー)から声がかかる。40年前に失踪した彼の姪ハリエットを誰が殺したのか、調査してほしいというのだ。16歳のハリエットを殺したのは一族の中の誰か。自分の命があるうちに真相を突き止めたいというヘンリクの要請を受け、ミカエルは一族の屋敷が集まる島に滞在し、調査を開始する。ほどなく調査に行き詰った彼の前に、凄腕のハッカー・リスベット(ルーニー・マーラ)が現れ……
観る者をどんどん惹きこんでいく一級品のサスペンスだ。「大富豪一族の中で起きた謎の失踪事件」という設定自体はアガサ・クリスティや横溝正史を思い出させ、目新しさがないのだが、ミカエルの相棒となるリスベットのキャラクターの立ち方がスゴイ。背中に大きく描かれたドラゴン・タトゥーと顔面ピアス。保護観察中で、その私生活は謎だが、頭のよさと身体能力が半端じゃない。優秀な記者として鳴らしたミカエルの上をいくのが、どう見ても社会不適合者の女の子。その設定が、胸がすくほど面白い。本作の成功も、リスベットを演じたルーニー・マーラによるところが大きいのではないか。
デビッド・フィンチャーの演出もスピーディな展開、カメラワークの面白さが光る。残酷なシーンも結構あるが、リスベットの女心も垣間見えて、胸キュンなシーンもある。原作は3部作。映画も第2作がぜひ見たいものだ。
(2012・04・10 宇都宮)

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「第9地区」
監督 ニール・ブロムカンプ
出演 シャルト・コプリー
    デヴィッド・ジェームス
    ジェイソン・コーブ
(2009年/アメリカ)

B級路線を徹底的に追求した、ある意味画期的な(?)SF作品。ある日突然、エイリアンの母船が南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に現れた…という古典的な設定から、ユニークで笑える展開がはじまる。
28年前、ヨハネスブルグ上空に現れた母船には、多数の弱り切ったエイリアンがいた。人間は彼らを「第9地区」に隔離し、住まわせるのだが、やがてそこは誰も近寄りたがらないスラムと化す。エイリアンを管理する超国家組織MNUはエイリアンたちを第10地区に移住させようと計画し、ヴィンス(シャルト・コプリー)を担当に任命。ヴィンスはスラムを巡回しながら、エイリアンたちに移住を促すのだが、その最中にからだがエイリアン化していく液体を浴びてしまう……
まず面白いのは、これまでの映画と違って人間とエイリアンの力関係が完全に逆転していること。マシンガンやロケット砲をブッ放し、エイリアンを殺戮していくのは人間の兵士たち。一方、スラムに閉じ込められたエイリアンはおバカか気弱。大好物のキャットフードを与えられるとホイホイ人間の思いどおりになり、「故郷の星に帰ろう」とか「いつか人間に復讐する」といった、よくある野望は抱かない。作品中ではこの理由を、「司令する側のエイリアンが病気で全滅し、命令に従うだけの働きアリしか生き残らなかったため」と説明されている。
ヴィンスがスラムの掘っ立て小屋を1軒1軒まわり、エイリアンに立ち退き承諾書にサインさせていく光景にも笑えるし、エイリアン女と浮気してからだが変異したと勘違いされる設定も笑える。ちなみにスラムのシーンは、ヨハネスブルグで立ち退きを完了したばかりの本物のスラム街を借りての撮影だったらしい。どおりでリアルなはずだ。
作品中には『インディペンデンス・デイ』『ザ・フライ』『エイリアンシリーズ』などのパロディがあちらこちらに埋め込まれ、恐怖ではなくバカバカしさで観客をひっぱっていく。そのスタンスを111分間持続して観客を飽きさせないためには、手抜きのB級ではなく、丁寧に造り込んだB級であることが絶対条件だろう。
(2010・9・20 宇都宮)

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「ドリームガールズ」
監督 ビル・コンドン
出演 ジェイミー・フォックス
    ビヨンセ・ノウルズ
    エディ・マーフィ
(2006年/アメリカ)

トニー賞6部門を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの映画化。
歌手を夢見るディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、エフィー(ジェニファー・ハドソン)、ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)の3人は「ドリーメッツ」を結成。やり手マネージャーのカーティス(ジェイミー・フォックス)の目に止まり、ビッグスターのアーリー(エディ・マーフィ)のバックコーラスに抜擢される。ところが、落ち目のアーリーに代わり、「ドリーメッツ」を売り出そうとするカーティスの思惑や、歌唱力のあるエフィーよりルックスのいいディーナをメインボーカルに起用したことでメンバーに亀裂が走り・・・
歌手を夢見る少女たちがトップスターになり、それぞれの人生を歩んでいく様子を描いた“ミュージカル大河ドラマ”といった作品だ。売れるまでの苦労もきちんと描かれているし、売れた後の不協和音や家庭不和、空しさもちゃんと押さえてある。「歌手デビューできるだけで幸せ」だった少女たちが、次から次へとステップを上るうちに見たくないものまで見えてしまう。どんな世界にもありがちな話だが、舞台がショービジネスというこれ以上ないゴージャスな世界だけに、光と影の落差が激しい。
合間に挟まれる歌やショーのシーンはさすがで、見ごたえ聴きごたえたっぷり。ジェニファー・ハドソンの歌唱力には圧倒されるし、ビヨンセの美しさにも改めて脱帽。ジェニファー・ハドソンはこの作品でアカデミー賞助演女優賞をはじめ数々の賞を総ナメにしたが、納得の歌と演技だった。“実力はピカイチだが、わがまま”な女性を、「いるいる、こんな子」と実感を伴う演技で見せてくれる。彼女のボーカルを聴き慣れた後でビヨンセの歌を聴くと、正直もの足りない。現実のトップスターであるビヨンセが、よくこの役を引き受けたものだ。ちなみに、ビヨンセの役どころはダイアナ・ロスがモデルだそうだ。
男性陣では、エディ・マーフィの歌のうまさにも驚いたが、ジェイミー・フォックスの演技がいい。やはり今、ノリに乗ってる俳優さんという印象である。
同じトニー賞から映画化されたミュージカル『シカゴ』よりも、私はこちらの方が楽しめた。
(2007・10・20 宇都宮)

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「トランスフォーマー」
監督 マイケル・ベイ
出演 シャイア・ラブーフ
    ミーガン・フォックス
    ジョン・ヴォイト
(2007年/アメリカ)

製作総指揮がスティーブン・スピルバーグ、監督がマイケル・ベイという豪華組み合わせが実現したSF超大作。
今までいろんなエイリアンが地球侵略を試みたが、今度は“あらゆるハイテク機器に変身できる金属生命体”が相手だ。あっという間に携帯電話に、中古車センターのクルマに、果てはジェット戦闘機にまで変身してしまう。
ストーリーはこの手の映画によくあるパターン。中東のアメリカ軍基地で、海兵隊の精鋭は次々に姿を変える未知の生命体との闘いを経験する。同じ頃、アメリカの小さな町で、どこにでもいる高校生が父親から中古のカマロを買い与えられた。このカマロが地球の存亡を賭けた闘いで重要な鍵を握ることになり・・・
よくあるストーリーが予想どおりに展開する。前半はそれなりに見ごたえがあるものの、後半に入るとマンガっぽくなってしまう。いつも思うのだが、エイリアンがなんで英語をしゃべるのか?(今回はインターネットで学んだらしい) エイリアンがなんで性格や仕草までアメリカ人なのか? 謎解きもそれなりにあるのだが、あまりにもマンガちっくで正直後半は白けてしまった。これなら「インディペンデンス・デイ」の方が見ごたえがあった。
楽しめるのは世界最大のVFX工房ILMが手がけた最新の映像。あっという間にロボット(?)がハイテク機器に変身していく様子は、これまで見たことのない世界だ。でも、映像というものは呆れるほど早く見慣れてしまう。常に新しいものを求められる映像クリエイターという仕事の過酷さが想像できる。
私は知らなかったのだが、トランスフォーマーのネタ元は日本製のオモチャらしい。スピルバーグの子どもたちがまだ幼いころ、日本製のロボットのオモチャで一緒に遊ぶうちに、スピルバーグの方が夢中になってしまったのだとか。そのためか日本製品や日本文化へのリスペクトが感じられて、日本人としては素直にうれしく思った。
(2007・10・14 宇都宮)

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「父親たちの星条旗」
監督 クリント・イーストウッド
出演 ライアン・フィリップ
    ジェシー・ブラッドフォード
    アダム・ビーチ
(2006年/アメリカ)

クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作のひとつ。アメリカから見た硫黄島攻防戦と、戦後のエピソードが語られる。
硫黄島のすり鉢山にアメリカ兵たちが星条旗を立てる有名な写真。ピューリッツアー賞を獲得し、誰もが知っているあの写真には、華々しい勝利だけでなく戦争の悲惨な現実を語るエピソードがあった。
星条旗を立てたのは、5人の海兵隊員と1人の衛生兵。その写真はアメリカのマスコミが大々的に取り扱い、厭戦気分が広がっていたアメリカ国民に勇気を与え、戦争の勝利を確信させた。しかし、硫黄島ではその後も35日間戦闘が続き、旗を立てた6人のうち半分が戦死。生き残った3人はアメリカで「硫黄島の英雄」として戦争国債募集キャンペーンに駆り出され、戦争の記憶から逃れることができないまま人生を踏み外していく・・・
あの有名な星条旗はアメリカ軍の硫黄島制圧を示しているのかと思いきや、実は海兵隊上官の気まぐれだったことにまず驚いた。しかも、最初に立てた旗を随行していた議員がほしがり、旗を交換したところを撮影したショットがピューリッツアー賞に。中学生の頃、歴史の教科書で見て以来、劇的な戦争の勝利を想像していた私の長年の思い込みは見事に打ち砕かれた。
しかも、生き残った3人が国家と軍によって「硫黄島の英雄」に仕立て上げられ、国債募集キャンペーンに利用されていく様は、見ていて痛々しい。戦争が終われば「英雄」だって使い捨て。「英雄」の1人アイラ(アダム・ビーチ)はネイティブ・アメリカン出身のため、戦中も戦後も人種差別にさらされ、酒で身を持ち崩してしまう。
ところでこの作品、秀作には違いないが、ちょっとストーリー構成がややこしい。物語の語り手は、「英雄」の1人・衛生兵のドク(ライアン・フィリップ)の息子。父親が生前決して語ろうとしなかった硫黄島の真実を、息子が生存者を訪ねて調べ、書籍にしたものが映画の原作らしい。ところが、戦後数十年を経た息子の調査と硫黄島での戦闘シーン、国債募集キャンペーンの3つの時間軸の物語が同時進行するので、慣れないうちは「今、どの時間軸のシーンなのか」がわかりづらい。しかも、よく登場する兵士が7、8人おり、名前も顔も覚えられないうちにそれぞれの親や婚約者が登場したりして、余計ややこしくなる。ご覧になる前に、映画の公式ホームページで登場人物だけでも確認した方が理解が早いかもしれない。(私は見終えた後でホームページを見て、「あ、この人がそうだったの?!」的な理解度の低さを自覚したが)
構成はややこしいが、テーマは明確。「戦争に英雄などいない」。まさにその通り!負けた日本軍にはもちろん、勝ったアメリカ軍にもヒーローなどいなかった。あるのは虚構で塗り固められた国家の戦略と、それに振り回された人々の悲劇だけだ。
(2007・8・12 宇都宮)

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「ダ・ヴィンチ・コード」
監督 ロン・ハワード
出演 トム・ハンクス
    オドレイ・トトゥ
    イアン・マッケラン
(2006年/アメリカ)

今年の夏の「ダ・ヴィンチ・コード」旋風はすごかった。書店に行くと入口付近に「ダ・ヴィンチ・コード」の文庫本の山、山、山。出張先に行く新幹線に乗る前に、つい私も上巻を買ってしまった。それぐらい問答無用の勢いだった。
そんなわけで映画を見る前に原作を読んだのだが、正直、読んでおいてよかったと思った。映画だけでは読み取れない暗喩や、蔭のストーリーが多すぎるので。集中力が途切れると、映画だけでは途中でストーリーが追えなくなっていたかもしれない。
逆に、あのウンチクの塊みたいな小説を、よくここまで整理してみせたと思う。図像による象徴の説明は、むしろ小説より映画の方が映像で見せる分わかりやすく、記憶に残る。
ストーリーはご存じの方も多いのであえて書かないが、なにはともあれ「キリスト教世界の作品」だ。
イエス・キリストに子孫がいても、神でなくても、異文化圏の私には衝撃でもなんでもない。ブッダも結婚していたし、子どももいた。その後で悟りを開いたところで、なんの問題もないのでは・・・?
ヨーロッパの歴史上、見え隠れしながら登場する秘密結社については、ちょっと理解の範囲を超えている。「本当に存在するの?」というのが最初の感想なのだが、あれだけ文学や歴史に登場するんだから本当に存在するんだろう、きっと。
キリスト教世界の人々が幼いころから信じこまされているさまざまな“常識”や“歴史的事実”。さらにはキリスト教の教えもまた「誰かに作り上げられたものだ」と明言していることが興味深い。キリストが神かどうかなんて、なぜ後世の会議で決められるのか。権力者が社会を治めるための方便に、宗教もまた利用されているということ。この構図は21世紀の今も変わらない。
トム・ハンクスはいい熟年になってきたが、なにを演じさせてもその職業に見えるからスゴイ。イアン・マッケランも実に元気に、次から次へと大作に登場している。また、世界的ベストセラーの映画化だけあって、脇役も主役級が揃った。刑事役のジャン・レノや、色素欠乏症の暗殺者役のポール・ベタニーなど、見ているだけで楽しい。
(2006・11・08 宇都宮)

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「チャーリーとチョコレート工場」
監督 ティム・バートン
出演 ジョニー・デップ
    フレディ・ハイモア
    デヴィッド・ケリー
(2005年/アメリカ・イギリス)

チャーリー(フレディ・ハイモア)は両親と4人の祖父母と暮らしているが、生活はとても厳しく、大好きなチョコレートも誕生日にしか口にできない。ところが、チャーリーの家の近くには、世界一のチョコレート工場があった。謎に包まれたチョコレート工場だが、創業者のウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)がある日、抽選で5人の子どもたちを工場に招待すると発表。その5人の中に奇跡的に選ばれたチャーリーだが、工場で見たものは・・・
監督がティム・バートンだから、荒唐無稽でファンタジックな作品なのだろうと思っていたら、まさに予想どおりの内容だった。おとぎ話の感覚で話がテンポよく進み、最後まで退屈しない。
ウィリー・ウォンカ役のジョニー・デップが個性的な人物を相変わらず上手に演じている。おかっぱ頭にシルクハットをかぶり、白塗り気味の顔、芝居じみた動き。原作のウィリー・ウォンカはもっと年配のイメージだが、J・デップが演じると可愛らしさが先に立つ。
また、チャーリー役のフレディ・ハイモアをはじめ、子役5人が好演。それぞれ個性を発揮し、憎たらしい子は本当に憎たらしく見えてしまうので、ウィリー・ウォンカならずとも懲らしめたくなる。
原作ではやや差別的なイメージのあるウンパ・ルンパについても、架空の種族に設定し、難を逃れた。このウンパ・ルンパの動きやダンスがビジュアル的に楽しい。
お子様向きの映画かと誤解される方もいるかもしれないが、大人でも充分楽しめる。気軽に色彩豊かな夢の世界を味わってみてはいかがだろうか。
(2006・05・20 宇都宮)

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「デブラ・ウィンガーを探して」
監督 ロザンナ・アークエット
(2002年/アメリカ)

「グラン・ブルー」などで知られる女優ロザンナ・アークエットは6歳の娘を持つ母親。幼い子どもに「ママ、仕事に行かないで」と足にすがりついて泣かれたとき、女優と家庭の両立は無理なのかと深く悩んでしまう。その答えを探して、34人の有名女優を訪ねて質問する様子を撮影したのがこの作品。デブラ・ウィンガーはその象徴的な存在で、「愛と青春の旅立ち」などで若くしてトップ女優に君臨したものの、人気絶頂時に女優業を引退。その後、銀幕に復帰することなく現在に至っている。
家庭? それとも仕事? こんなありふれた質問に、ハリウッドの有名女優たちが真剣に悩み続けている姿にまず驚く。ハリウッドで女優として成功すること自体が、世界中の憧れであり、数百万人に1人の幸運のはず。それなのに、彼女たちはわが子のために魅力的な仕事を断り、断った作品が世界的な大ヒット作になったときは1人で落ち込んでしまう。
また、引退を考えた経験のある女優が少なくないことにも驚いた。子どものために一時的に引退したら、復帰したくとも2年間オーディションの話すら来なかったという現実。あのバネッサ・レッドグレーブが「引退はできない。生活があるから」と語ったのにもビックリ。ハリウッドで成功すれば、一生遊んで暮らせるぐらいの財産が残ると思っていたが、どうもそうではないらしい。
家庭と仕事の両立というテーマで始まったロザンナの旅だが、やがてその話題は「40を過ぎて女優を続けるのは、なぜこんなに難しいのか?」という方向に進んでいく。若くてキレイな頃はいろんな役が来る。年老いて性格女優になれれば、それなりに居場所がある。ところが、その間の40代、50代の女優は仕事がない。かといって、生活のためにつまらない作品に出るのも、クリエイターとしては辛い・・・こんな悩みをハリウッドの有名女優たちが口々に語るのだから、もうこたえられない! 容姿が武器のひとつなだけに、その問いは実に深刻だ。インタビュー相手にシャロン・ストーンやメグ・ライアン、エマニュエル・ベアールあたりを入れたのも憎い。いずれも美貌やセックスアピールでは通用しない年齢に差しかかっており、女優としての方向転換を迫られているから。
最後まで見て、質問の答えを得られるかどうかは、見る人次第。私自身は子どもがいないので両立に悩むことはないが、等身大の女優をかいま見れたのがとてもよかった。トリを飾ったジェーン・フォンダが女優業の素晴らしさを熱っぽく語ったのが印象的だ。こんなに創造的で評価を与えられる仕事を持っている34人の女性たち。それだけでとても素敵に見えた。
(2005・05・08 宇都宮)

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「デイ・アフター・トゥモロー」
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 デニス・クエイド
    ジェイク・ギレンホール
    イアン・ホルム
(2004年/アメリカ)

地球環境問題で最大の懸念といえば、温暖化現象。このまま温暖化が進めば、地球は急激な氷河期に襲われる。一見逆説的に見えるが、実は気象学者の間では定説らしいこの設定を、大作づくりに長けたローランド・エメリッヒがきれいにまとめてみせた。
見終えてまず思うのは、「地球寒冷化」という地味な設定をうまくパニック映画に仕立て上げたということ。小惑星の衝突やエイリアンの来襲といった派手な理由ではないだけに、観客に危機感を持たせるのがむずかしいはず。氷河期が来たところで現代の暮らしをもってすれば、すぐに生命の危機にさらされるわけでないし、時間があればそれなりの対策も立てられるはず。…そう思いつつ鑑賞しはじめたのだが、ニューヨークに押し寄せる大津波(このシーン、「ディープ・インパクト」とどうしてもカブって見える)や急速冷却による凍死(冷気に数秒晒されただけで人間が凍死する。本当にあり得るのだろうか?)で危機感を煽り、アメリカ北中部に住む人々への全員避難命令へと力ワザで持っていく。
最初に警告を発した気象学者を主人公にする設定や、彼を中心とした家族愛や男女の愛、友情をストーリーの横軸にするあたりは、これまでのパニック映画の類型から逃れられていない。
人間関係を丁寧に描くのも常道だ。人間ドラマがしっかりできていないと、作品そのものが嘘っぽく見えるし、2時間超の長丁場が退屈なので当然といえば当然だが。
しかし、同じ監督の「インデペンデンス・デイ」(1996)より、監督自身の心境の変化が窺えて興味深い。「インデペンデンス・デイ」は"エイリアンの来襲"という下手すれば安っぽく見えるテーマを莫大な費用と手間をかけて料理し、ある意味エポックメイキングな作品だった。ただ、人間ドラマが少々薄っぺらだったことや、アメリカ大統領が「世界を救うのはアメリカだ!」と演説するシーンには辟易したものだ。
見終えた後、ド迫力の映像には満足したものの、「世界を救うのはアメリカって、いったいいつ誰が決めたの?」「その発想だから、スーダンでもアフガンでもイラクでも失敗を繰り返すんだ」と誰もが思ったのではないだろうか。
ところが、本作に登場するアメリカ大統領は途中でジミ〜に事故死してしまうし、「アメリカはもう大国の看板を下ろさなくてはならない」といった意味のセリフも飛び出した。無能に見えた副大統領が改心し、祖国の復興に立ち上がるのも面白い。アメリカの自省と「悪役だって変わることがあるんだ」という前提条件が、如実に見えた。これがアメリカ国民全体の内的変貌の現れだったらうれしいのだが。(監督自身はドイツ人であるものの)
キャストに関してひとこと。気象学者の息子役のジェイク・ギレンホールは面白い役者さんなのだが、高校生には見えない。その点、ちょっとムリがあった。
(2004・12・27 宇都宮)

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「月のひつじ」
監督 ロブ・シッチ
出演 サム・ニール
    ケヴィン・ハリントン
    トム・ロング
(2000年/オーストラリア)

この物語は事実に基づいているそうだ。
1969年7月のあの日、人類が初めて月に立ったとき、自分はどこでなにをしていたのか覚えている人は世界的に見ても多いのではないだろうか。当時8歳だった私ですら、特別な1日だったことを記憶している。授業中、先生はアポロ11号の説明に力が入っていたし、夜中のテレビ生中継は今から思えば信じられないほどひどい画像だったが、眠気をガマンして必死で見たものだ。翌日の教室は、「こちらヒューストン、こちらヒューストン」とみんなマネしていた。
そんな月面着陸の衛星放送を全世界に中継したのが、オーストラリアの小さな町・パークスのパラボラアンテナだった。ひつじしかいない小さな町が中継地に選ばれ、町長をはじめ町の人々や中継センターのスタッフは大騒ぎ。この世紀の瞬間を無事全世界に伝えるために、アポロ11号が月に近づくにつれ、人々の興奮が高まっていく・・・
中継前に停電が起き、アポロ11号の位置を見失ったり、気候が安定しているから選ばれたにもかかわらず、月面着陸の直前に強風が吹いたりと、アクシデントはやっぱり起きる。ところが――
オーストラリアの人々のなんとのんびりしていること! 日本で同じことが起きたら、間違いなく「プロジェクトX」で緊張とプレッシャーに打ち克つ精神ドラマにされてしまう。ところが本作は、あくまでもユーモラスに穏やかに描き切る。一大プロジェクトなのに、アンテナの周りはひつじしかいない。知り合いばかりの小さな町で、セキュリティチェックもなにもあったもんではない。中継スタッフも直前までケンカしてるし、責任者は町長宅で奥さんの料理に舌鼓を打つ始末。
でも、終わりよければすべてよし。アームストロング船長が月面に立った映像は全世界に無事配信され、あの映像を見て人生が変わった人が世界中に数え切れないほどいることだろう。
35年後に責任者がもう一度アンテナを再訪するシーンがあるのだが、35年たってもやっぱり周囲にはひつじしかいない。これでいいのだ。
(2004・7・25 宇都宮)

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「トゥームレイダー2」
監督 ヤン・デ・ボン
出演 アンジェリーナ・ジョリー
    ノア・テイラー
    クリス・バリー
(2003年/アメリカ)

第1弾に続き、「トゥームレイダー2」も予想どおり荒唐無稽だった。なんてったってめざすお宝がパンドラの箱である。聖書ですらない、ギリシア神話の世界。逸話は感動的だが、実在するとはとても思えない。しかし、アンジェリーナ・ジョリー扮するお宝ハンター、ララ・クロフトは秘宝を求めて世界中を飛び回る。
今回のララの敵はバイオ化学者。ノーベル賞まで受賞したのに、人類を滅ぼすバイオ兵器を高値で売りさばく悪党である。彼の手下たちと対決するべく、ララは昔の恋人である傭兵テリーに協力を求めるのだが・・・
このテリーがビミョーだ。ララ・クロフトほどの女なら、並みのオトコとつきあってはいけない。相手のオトコがララを魅了するほどの一体なにを持っているのか、という視点から見ると・・・テリーの場合は「戦闘能力」。社会的地位や財産よりはよかったが、テリーの戦闘能力はララを大きく上回るほどでもなく、いかにも中途半端。容姿もフツー。だから捨てられたといえばそれまでだが、いい女というのは孤独なもんである。
それにしても、相変わらず気になるのは貴重な古代遺跡がなんのためらいもなく破壊されていること。アレクサンダー大王の神殿が新たに発見されたら、トロイ遺跡並みの大発見だ。お宝を愛するハンターなら壊しちゃいけないだろう。
(2004・7・9 宇都宮)

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「トロイ」
監督 ウォルフガング・ペーターゼン
出演 ブラッド・ピット
    エリック・バナ
    オーランド・ブルーム
(2003年/アメリカ)

オールスターキャストに膨大な数のエキストラ、金と手間と時間を存分につぎ込んだ「大作らしい大作」。それが「トロイ」だ。
タイトルからおわかりのように、古代ギリシアの詩人ホメロスによる叙事詩「イリアス」の映画化。トロイの王子パリスがスパルタの王妃ヘレンを自国に連れ帰ったことで起きる大戦争を、発端からトロイ陥落まで描いた。原作では確か10年に渡る長い戦争だったように記憶しているが、映画ではそういうわけにもいかず短期間で決着させている。他にも映画ならではのアレンジがそこかしこに見られる。
ギリシア神話好きとしては、有名な神話のエピソードをどう処理するのかに興味があった。パリスと3人の女神のエピソードは? 半神半人の勇者アキレスの弱点は? 預言者カッサンドラは? オデュッセウスやその他たくさん参加したはずの英雄たちは?
さすがにギリシアの神々を登場させるわけにはいかず、あくまでも人間たちの欲望の果ての戦争に描いているが、アキレスの弱点のエピソードはやはり捨てがたかったようだ。謂れの説明が一切なかったので、ギリシア神話を知らない人には不思議な死に様だったかもしれない。
主役をアキレス(ブラッド・ピット)とヘクトル(エリック・バナ)に置いたのは当然のこととして、全体にトロイ寄りに描いているのが興味深い。トロイは和平に応じてもらえず攻め込まれた国。他国に攻め込んでばかりの現在のアメリカ政府が、必ずしもアメリカ人の心情に沿うものではないのだろうと少し安心した。
ブラッド・ピットが果たしてアキレスのイメージに合うのか疑問だったが、そこはハリウッドのトップスター。筋骨隆々のからだをビルドアップし、その上におそらく映像加工技術を加えて古代ギリシアの英雄らしいからだつきに変身。意外にハマリ役だった。アキレスの人物像の解釈も面白い。
ヘクトルとパリス(オーランド・ブルーム)、そしてトロイ王プリアモス(ピーター・オトゥール)はさもありなんという人物像。最愛の息子を失い、国も失ってしまうトロイ王役のピーター・オトゥールがさすがの名演だ。あの演技を見せられたら、誰だってトロイに同情する。
脇ではオデュッセウス役を「ロード・オブ・ザ・リング」でボロミアを演じたショーン・ビーンが演じており、渋い魅力を放っていた。大作ついでにショーン・ビーン主演で「オデュッセイア」も制作してほしいものだ。
(2004・6・4 宇都宮)

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「トーク・トゥ・ハー」
監督 ペドロ・アルモドバル
出演 レオノール・ワトリング
    ハビエル・カマラ
    ダリオ・グランディネッティ
(2003年/スペイン)

「オール・アバウト・マイ・マザー」のペドロ・アルモドバル監督がまたまた佳作を届けてくれた。
バレリーナをめざすアリシア(レオノール・ワトリング)が事故で昏睡状態に。彼女にひそかに想いを寄せていたベニグノ(ハビエル・カマラ)は彼女の介護係として病院に就職。4年間、すべての世話を引き受けていた。ある日、同じ病棟に女闘牛士が競技中の事故で昏睡状態となって運び込まれた。その恋人のジャーナリスト・マルコ(ダリオ・グランディネッティ)は悲嘆にくれるばかりだが、ベニグノと知り合い、彼のような生き方もあることに衝撃を受け・・・
バレリーナ×看護士、女闘牛士×ジャーナリストという2組の男女が交差し、互いに影響を及ぼしあいながら、ストーリーは進む。キャラ設定も独特だが、ひとつひとつのシーンが印象的でテーマが深い。無償の愛とは? 家族とは? 友情とは? ・・・考えだしたらキリがない。
観る者の度肝を抜くのはベニグノのキャラクター設定ではないだろうか。外で働くことなく、家で年老いた母親の介護を続けてきた青年が、自宅の窓から見かけたバレエ教室の美少女を見初める。彼女が昏睡状態になった後は、下の世話までかいがいしく行い、毎日の出来事を枕もとで語ってきかせる。ひょっとしたら彼女の心に届いているかもしれないという、奇跡を信じて。
普通の男性はとてもここまでできない。その代表格がマルコだ。意識不明の恋人の枕もとで悲嘆にくれるだけ。そんな普通の男性がベニグノのような人物と出会って、なにが起きるのか。難しいテーマだが、さらりと描いて違和感のないところがスゴイ。クライマックスのベニグノの行動も賛否両論分かれるだろうが、私は責められない。人生の哀しさと喜びがない混ぜになったラストもよかった。
(2004・5・21 宇都宮)

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「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」
監督 McG(マック・ジー)
出演 キャメロン・ディアス
     ドリュー・バリモア
    ルーシー・リュー
(2003/アメリカ)

2000年に公開された第1弾に引き続き、同じキャストで製作された第2弾。
ご存知のとおり、とにかくド派手に、セクシーに、明るく女性エージェントが活躍するストーリー。マーシャルアーツからカーアクションまで、あり得ないシーンの連続でバカバカしく思える人にはバカバカしいだろうが、頭をカラッポにして楽しむためにはそれなりに役に立つ映画だ。
今回の見どころは、"伝説のエンジェル"としてデミ・ムーアが久々にスクリーンに登場した点だろうか。かつてはエンジェルのひとりとして正義のために闘った女性が、悪の道に走ってしまったという設定。この役づくりのために、デミ・ムーアは6000万円かけて全身美容整形をしたらしい。確かに40代にしては絞れたボディラインだったが、それでも若いエンジェルたちと比べると容姿の衰えはツライ。本人がいちばんツライだろうが(女優がトシをとると明らかに出演機会が減るだろうし)、見ている同世代の私もツライ。しかも、比べる対象のキャメロン・ディアスが30を超えて最近明らかに老けてきた。これもキョーフだ。それにひきかえ、もともと老け顔のドリュー・バリモアは貫禄がついてきた。少々太り気味なのが気になるが、今後とも役柄が広がりそうだ。ルーシー・リューは前作を機に主演格の女優になり、東洋系アクション女優として定着した感がある。
3人の女優のコスプレ要素も強い映画だが、なんと用意された衣装は1000着以上だとか。そして製作費170億円をかけて撮影されたアクションシーンを、私たちはストレス発散に利用する。なにはともあれ、ハリウッドはスケールがでかい。
(2004・1・29 宇都宮)

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「小さな中国のお針子」
監督 ダイ・シージエ
出演 ジョウ・シュン
     チュン・コン
     リィウ・イエ
(2002年/フランス)

1971年、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていた。医者を父に持つマーとルオは「反革命分子の子」として、奥深い山村に「思想改造」のために送り込まれる。過酷な労働の日々の中で、彼らの心の救いとなったのは美しいお針子の娘だった。やがて、お針子はルオと愛し合うようになり・・・
中国を舞台に中国語で描かれているが、物語の原作はフランスのベストセラー小説である。「西洋文化は反革命的」とされ、インテリであるだけで「反革命分子」と責められた文革下の中国。幼い頃から西洋文明に触れて育った2人の青年はそれでも文化の香りに飢え、フランス小説(特にバルザック)の翻訳本を盗み出し、密かに読み耽る。彼らは自分たちが読むだけでは飽き足らず、文字も読めないお針子を西洋文化に目覚めさせようと、毎日小説を読み聞かせた。それが後に思いも寄らない運命へと彼らを導いていくことも知らずに。
見終えて、やはりこれはフランス映画だと思った。山村の風景の美しさ、少女たちの可憐さなど、あまりにも美し過ぎて、ファンタジーに見える。中国人が文革を描いたらこんなものじゃない。もっとリアルで、もっと生々しい内容になる。なぜなら、それだけ煮え湯を飲まされるような思いを国全体が体験しているから。山村の生活ももっと苦しくて辛いはず。アルプスの村とはワケが違う。また、中国にはフランスよりはるかに長い歴史を持つ文化がある。文革という異常な時代だったとはいえ、西洋文化を美化し過ぎているのも気になった。
いずれにせよ、1人の女性を巡る2人の男性の物語は恋愛ストーリーとして面白い。映像の美しさ、マーが弾くバッハのバイオリンソナタが効果的に使われ、観る者の心に少しずつしみいるような作品だ。 最後の結末もファンタジックだ。若者たちの輝くような青春の地はどこへ消えてしまったのか。ネタバレになるので書かないが、印象的なラストだった。
(2003・12・8 宇都宮)

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「デスペラード」
監督 ロバート・ロドリゲス
出演 アントニオ・バンデラス
    サルマ・ハエック
    ホアキン・ド・アルメイダ
(1995年/アメリカ)

私事だが、先月ブロードウェイで生バンデラスを拝んできた。フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」をリメイクしたミュージカル「nine」で、彼は思いっきり歌い演じ、観衆を感動させてくれた。「nine」の話を最初に聞いたとき、「バンデラスって歌えるの?」と反射的に考えた自分が今はバカに思える。マドンナ主演の「エビータ」で歌いまくっていたし、出世作「デスペラード」の冒頭でもスペイン語の歌を披露している。
ギターケースに銃を隠し、殺された恋人の仇を取るため酒場から酒場へと大暴れを繰り返す男マリアッチ(アントニオ・バンデラス)。凄腕のガンマンだという評判が仇であるブチョ(ホアキン・ド・アルメイダ)の耳にも届き、マリアッチの命を狙う殺し屋が繰り出される。壮絶な死闘の末に、ついにマリアッチはブチョの目の前にまで迫るが・・・
ロバート・ロドリゲスとクエンティン・タランティーノ(作品中にも出演している)のコンビとくれば、ド派手なアクション・はちゃめちゃなストーリーが持ち味。ひょっとして本作はこのコンビの最高傑作なのかもしれない。「一体いつの時代?」と思わせるほど無法地帯の町や、お約束のように主人公にタマが当たらない銃撃戦、当然のごとく登場する美女は思わず笑っちゃうような展開。ラテン系セクシーを体現したかのようなバンデラスがその中を縦横無尽に暴れまくり、身のこなしのしなやかさといい、苦悶を浮かべた表情といい、とにかくカッコいい! 
アクションシーンの工夫やキャラの立て方もR・ロドリゲス監督特有。さらにもう少しストーリーにヒネリがあればもっと面白いのだが。ネタバレになるので内容は書かないが、後半にヒネリらしき要素はあるものの唐突過ぎてストーリー的にムリがある。
なお、ヒロイン役のサルマ・ハエックはメキシコの伝説の女流画家を描いた「フリーダ」を製作・主演し、今話題の人。ラテン系美女としてこんな役柄もこなしていたのだと再認識できる。
(2003・8・11 宇都宮)

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「チェンジング・レーン」
監督 ロジャー・ミッチェル
出演 ベン・アフレック
    サミュエル・L・ジャクソン
    シドニー・ポラック
(2002年/アメリカ)

若手弁護士のギャビンは自動車の接触事故を起こすが、法廷へ急ぐあまり白紙の小切手を事故相手のギブソンに渡し、その場を走り去る。ところが、ギブソンもまた親権裁判に向かう途中で、事故のせいで遅刻し子どもたちに会えなくなってしまう。一方、ギャビンは大切な証拠書類を誤ってギブソンに渡してしまったことに気がつく。あわてて彼を探し当て証拠書類を返すよう求めるが、ギブソンの気持ちは収まらずギャビンの願いを拒否。怒り心頭のギャビンは裏社会の手を借りて反撃に出、ちょっとした行き違いから生まれた事態は思わぬ方向にエスカレートしていく。
どこにでもありがちな接触事故。その場での対応を誤ったばかりに、どんどん窮地に追い込まれていく様子がリアルに描かれる。サミュエル・L・ジャクソン演じるギブソンは決して悪人ではないが、ギャビンがハッカーの手を借りてギブソンの預金口座をゼロにしてしまったことが原因で豹変。このあたりの両者のボタンのかけ違いがリアルだ。
現実のトラブルでも、強硬な態度を続けて頭の下げどころを失うケースはよくある。謝罪しても受け入れられないことが続けば、人間はやがて怒りに転じる。その結果、怒りで振り上げた拳を簡単には下ろせないまま、したくもない諍いを延々続ける羽目になる。
ウォール街の法律事務所の汚い手口や、子どもの親権を巡る周囲の先入観など、アメリカ社会の理不尽な部分を絡ませて描いた点も面白かった。
ベン・アフレックはヒーロー的な役どころが多かったが、こういうイヤなヤツを演じてもウマイ。「スターウォーズ」「トリプルX」とおエライさん役の続いたサミュエル・L・ジャクソンも、くたびれた中年サラリーマンが板についていた。
(2003・5・19 宇都宮)

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「トリプルX」
監督 ロブ・コーエン
出演 ヴィン・ディーゼル
    アーシア・アルジェント
    サミュエル・L・ジャクソン
(2002年/アメリカ)

またまたアメリカン・マッチョなヒーローが誕生した。シュワルツェネッガーもブルース・ウィリスももうトシだから、次世代のアクションヒーローはこの男でキマリなんだろう。
バイク、スノボ、スカイダイビングとエクストリーム・スポーツならなんでもござれの男・トリプルX。NSA(国家安全保障局)がその才能に目をつけ、エージェントとして採用。旧ソ連の生物兵器をヨーロッパにバラ撒こうと計画するテロ組織の内部へと潜入させ・・・
「ワルにはワルを」の発想で生まれた外部エージェントが主人公だから、そんなワルをどうやって国家のお役に立とうという気持ちにさせるのか。このあたりがストーリー的にはむずかしいと思っていたが、やっぱり描ききれていない。金にも名誉にも動かないトリプルXが、「人を救う」ことにスポーツを楽しむ以上の快感を覚えて命がけの任務を果たすわけだが、結局ワルではなくていいヤツなのだ。ま、そうするよりほかないだろうが。
アクションシーンはとにかくスゴイ。バイク、スノボ好きにはたまらないシーンの連続だ。スタントを使ったバイクシーンは迫力満点。スタントでもムリなシーンはきっちりCGで作っている(でなきゃ雪崩より早くスノボですべり降りるのって、絶対ムリ)。
007の昔からエージェントにはいい女がつきものだが、相手役のアーシア・アルジェントもかなりイケている。スチール写真で観るより映像の方がはるかに魅力的なので、その点も要チェックだ。
(2003・4・14 宇都宮)

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「トータル・フィアーズ」
監督 フィル・アルデン・ロビンソン
出演 ベン・アフレック
    モーガン・フリーマン
(2002年/アメリカ)

トム・クランシー原作のCIA情報分析官ジャック・ライアンシリーズの最新作。「今そこにある危機」のハリソン・フォードからぐっと若返ったジャック・ライアンをベン・アフレックが演じ、面白いスパイ映画に仕上がっている。
スーパーボウルに湧くボルチモアの町に核爆弾が投下された。ロシアの仕業と疑ったアメリカ政府は対ロ報復攻撃を計画し、ロシア政府もそれに応じて臨戦体制に。そんな中、かねてよりロシア大統領が強硬派ではないと睨んでいたCIA情報分析官ジャック・ライアンは、ウクライナへの潜伏活動で得た情報をもとに核爆弾がアメリカ製であることを突き止め、アメリカvsロシアの全面核戦争を防ぐべく奔走する。
アメリカvsロシアの戦争を起こすため、ボルチモアに核爆弾を投下した黒幕は旧共産勢力の秘密結社。その謎解きももちろんあるのだが、ストーリーのメインは疑いが疑いを招き、やがて全面核戦争へと発展していく国家間のやりとりだ。核戦争を防ぐ唯一の手段、つまり地球を救う唯一の手段がCIAの若手分析官ひとりの肩にかかってくる展開は、実際にこんなことが起きたらたまらないと思わせる。核抑制のための核保持が、いかに危うい均衡の上に成り立っているか。最近のアメリカ映画にはなかった良心的な姿勢で戦争を否定し、ホッとさせられた。
アメリカ本土に核爆弾が投下された・・・という設定は、9.11以前なら絵空事に思えたが、今やあり得ない話ではないと思う。ましてや、この映画の投下方法なら、それなりの資金さえあれば誰でもできないことではない。テロリストが真似しないか心配になるぐらいだ。
さらに恐ろしいことには、映画の中ではアメリカ・ロシアの両首脳とも核戦争を望んでいないが、現状のブッシュ政権だとどこにも抑止力が働きそうにないのが怖い。とっとと戦争を始めてしまうのではないか。連日新聞を賑わせているイラク査察問題を見てると、現実こそいちばん怖いと思わざるを得ない。
(2003・2・19 宇都宮)

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「タイムマシン」
監督 サイモン・ウェルズ
出演 ガイ・ピアース
    ジェレミー・アイアンズ
(2002年/アメリカ)

原作はH・G・ウェルズの古典SF。監督のサイモン・ウェルズはH・G・ウェルズのひ孫らしい。そのせいかどうか、原作に忠実な古色蒼然としたSF映画になり、メタリックな映像を見慣れた目には新鮮だった。
1899年のニューヨーク。科学者のアレクサンダーは恋人にプロポーズするが、その直後に恋人は強盗に殺されてしまう。もう一度恋人に遭いたいと、時間旅行の研究に没頭したアレクサンダーはついにタイムマシンを完成。プロポーズの夜に戻り、恋人を死から守ろうとするが、彼女は別の事故で死んでしまう。「過去に遡っても、事実を変えることはできないのか?」新たな命題を抱えた彼は、未来に旅してその答えを探すが、辿り着いた80万年後の未来には退化した人類の姿しかなかった・・・
小学生の頃、原作の子ども向け本を読んだが、とにかく哀しい物語だったと記憶している。30年の時を超えて(?)見た映画もそうだった。80万年後の人類の姿はかなり哀しい。しかし、今から80万年前の人類は二足歩行がようやく板についた原人レベルだったと思えば、これぐらいの退化も充分あり得る話だ。
作品中のタイムマシンは19世紀の製作だから、とてもレトロなつくり。しかし、タイムマシンから見える外の風景はフルCG。瞬く間に時間が流れ、大地が変貌していく様子は一見の価値あり。SFファンなら一度は夢に見た映像かも。私は手塚治虫さんの「火の鳥 未来編」を連想してしまった。
(2003・2・17 宇都宮)

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「追憶」
監督 シドニー・ポラック
出演 バーブラ・ストライサンド
   ロバート・レッドフォード
(1974年/アメリカ)

中学時代ロバート・レッドフォードのファンだったこともあって、今はなき大阪の名画座・大毎地下センターで観たのが、この作品だ。当時はよく理解できなかったが、30年ぶりに見てみるとなかなか示唆に富んだ内容だ。
第二次世界大戦下のニューヨーク。反政府運動に全精力を注ぎ込むケイティ(バーブラ・ストライサンド)は、大学時代のクラスメート・ハベル(R・レッドフォード)に偶然再会する。スポーツ万能でハンサムな彼は大学のヒーロー。正反対の立場にいたケイティだが、彼は気になってしかたがない存在だった。数年ぶりの再会にケイティはハベルを部屋へと招きいれ、やがて2人は恋人同士に。しかし、根本の考え方が全く違う2人の間には諍いが絶えず、別れ話を繰り返し…
どう考えても相容れない組み合わせのカップルがそれでも愛し合い、やがて結婚、出産、そして離婚へ――大学での出会いから20年に渡る軌跡は、ひとことでいえばメロドラマだが、人生の教訓を多く含んでいる気がする。
まず、人間の根本はそうは変わらないということ。深く愛し合い、本当は別れたくないカップルでも、自分の根本の生き方を否定されれば自己を守るために相手を切り捨てるしかない。その点、生活のために愛してもいない相手と夫婦であり続ける仮面夫婦よりは、よっぽど潔くて気持ちがいい。
そして、女が男を深く愛しすぎている点に、最初から不幸な結末が予測できる。若い頃の憧れの君は、トシをとっても憧れのままだ。相手に好かれたい、捨てられたくないという思いが本来の自分を失わせ、無理を重ねる結果になる。ラストの再会シーンでも、ハベルはやはりケイティの憧れを体現した存在だった。子どもをもうけ、離婚してすらそうなのだ。
そんな理由もあって女性が見れば切ないラブストーリーだが、男性から見れば主役のB・ストライサンドが美人でないこと、アクが強すぎることで、異論の多い作品かもしれない。
(2002・12・31 宇都宮)

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「トレーニングデイ」
監督 アントニー・フュークワー
出演 デンゼル・ワシントン
   イーサン・ホーク
(2002年/アメリカ)

憧れのロス市警麻薬捜査課に配属された新人刑事は、ベテラン刑事と組んで仕事を一から教わることになる。その初日、ベテラン刑事が教えるのは規則破りや職権乱用、街角の犯罪を見て見ぬフリをするエゴイスティックな捜査方法ばかり。疑問を抱きながらも、夢にまで見た仕事ができることと、出世の欲望が新人刑事の良心を屈服させていく。ところが、挙句の果ての捜査押収品のピンハネに、2人の刑事の意思はバランスを崩しはじめ…
デンゼル・ワシントンはこの作品でベテラン刑事を演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞した。確かに演技はスゴイ。気迫、熱弁、眼光、緊張、弛緩、脅し、すかし、憎しみ、エゴ…人間の汚さをこれでもかこれでもかと見せつけ、それでも相手をナットクさせてしまう凄みがある。その演技を見ているうちに、まるで自分が新人刑事になって、D・ワシントンのクルマの助手席に乗せられている気分になる。次から次へと自分を試す上司。従わなければ閑職に逆戻り。出世すればいい暮らしができる。部下の揺れる気持ちを手玉に取り、汚職に手を染めさせていく過程は、まるでイブにリンゴを勧めるヘビのようだ。
アメリカの警官にとって麻薬捜査官が出世コースとは知らなかったが、正義感を持って初仕事についた新人刑事の落胆ぶりに心が痛む。夢にまで見た仕事がかなったというのに、実はそれが汚物にまみれていたなんて、どんなに切ないことだろう。同じように汚れていけば、自分はラクになれる。でも、汚れた自分はもう夢を失ってしまう。イーサン・ホークはそんな新人刑事役を好演したと思うが、なんせ隣のD・ワシントンがスゴすぎた。
ラストに救いがあり、ホッとさせてくれる。なぜ日本でもっとヒットしなかったのか、とても残念な作品だ。
(2002・8・14 宇都宮)

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「トゥームレイダー」
監督 サイモン・ウェスト
出演 アンジェリーナ・ジョリー
    ノア・テイラー
(2001年/アメリカ)

イタリア・ベネチア郊外の大邸宅に住む富豪の娘ララ・クロフトの仕事は「トレジャーハンター」。ララの次の獲物は5000年に1度の惑星直列の日、神の力が手に入るという古代の秘宝トライアングル。しかし、秘密結社イルミナーティが同じお宝を狙い、それを阻止しようとするララとの間で、世界を股にかけた闘いと冒険がはじまる。
古代エジプトの遺跡、ローマの館、アンコールワット、シベリアの洞窟と、次から次へと場所を変え、アクションまたアクションの連続だ。遺跡を舞台に、太ももにつけた2丁のショットガンで敵をやっつける最強ヒロインは、さながら「女インディ・ジョーンズ」といったところ。しかし、ゲームソフトが原作のためか、ストーリーの裏づけがどうも陳腐で安っぽい。今どき惑星直列もないと思うのだが。世界征服を企む(?)秘密結社もどういう団体なのかさっぱりわからないし、なにより気になったのは、主人公と敵との闘いで貴重な古代遺跡がガンガン破壊されていたこと。これってタリバン並みの暴挙じゃないのか?
なにはともあれ、アンジェリーナ・ジョリーの魅力を広く知らしめるための映画としては成功だと思う。プロポーションといいアクションといい、女の目から見ても間違いなくカッコいい。それにしてもあのバスト、なにか別の生き物のようだ。父親であるジョン・ボイドと父娘役で共演しているのもちょっとしたサービスか。
(2002・6・28 宇都宮)

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「蝶の舌」
監督 ホセ・ルイス・クエルダ
出演 フェルナンド・フェルナン・ゴメス
   マヌエル・ロサノ
(2001年/スペイン)

スペイン内戦前夜の1936年。ガリシア地方の小さな村に住む8歳の少年モンチョは、初めて登校した学校で、グレゴリオ先生に出会う。やさしく考え深く、公明正大な先生は、モンチョたちをたびたび野外授業へ連れ出し、自然界の不思議を語る。初めての親友、初めての恋、初めての旅行…好奇心いっぱいのモンチョの世界は日々広がっていくが、やがて平和な村にもスペイン内戦の影が…
「衝撃のラストシーン」をどう解釈するかで、印象が全く違ってくる。少年の無知ととるか、人間の原罪ととるか。私は後者だと思った。いつか大人になったときに思い出す、輝くばかりだった少年の日々に、暗い影を落とす一点の記憶。苦い思いとともに生涯抱え続けるこうした記憶は、誰もが心に隠し持っているものだと思う。むしろ、「そんな記憶はない」という人の方が信用できない。
スペイン内戦は小説や映画の題材としてよく取り上げられるが、日本ではどうも馴染みが薄い。しかし、国が2つに分かれて争うということがどういうことか、戦争がどれほど人々の心を傷つけるのか、庶民レベルで感じさせてくれる作品だ。
(2002・4・25 宇都宮)

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「天使のくれた時間」
監督 ブレット・ラトナー
出演 ニコラス・ケイジ
    ティア・レオーニ
(2001年/アメリカ)

ウォール街で大成功を収めた実業家ジャック(ニコラス・ケイジ)は、超豪華マンションで一人暮らし。リッチな独身生活を送っていたが、ある朝目覚めたら13年前に別れたはずの恋人(ティア・レオーニ)が横に眠り、2人の子どもまでいた! しかも肝心の仕事はタイヤのセールスマン。これが13年前彼女と別れずにいたら辿っていた道と知った彼は、ウォール街とのギャップに最初は苦しむが、やがて家族との暮らしが当たり前になり…
「あのとき、別の道を選んでいたら」という人生のやり直しは、映画の題材としてよくあるネタ。現実には時間が戻ることはあり得ないので、「天使」が登場する。N・ケイジも数年前「シティ・オブ・エンジェル」で「らしくない」天使を演じていた。
個人的な意見を云わせてもらえれば、もう「天使」(または「死神」)には食傷気味。あまりにも多すぎて、ほかに設定はないのかと云いたくなる。この作品のように、ホームレス風の黒人男性を天使にして、意外性を持たせても同じことだ。
大金持ちだが孤独な人生と、平凡だが家族に囲まれた人生。「どちらを選ぶ?」と尋ねられたら、さああなたはどうするか? 主人公のもうひとつの道は家族に囲まれ、友だちに囲まれ、平凡だが決して貧しくもないし不幸でもない。そして、一度家庭の幸せを知った男が、どんなに豪華な生活をしても寂しさを抑えきれないのもわかる。「この世には財産より大切なものがある」――当たり前のことだと思うのだが、この手の作品を貫くテーマはこれに尽きる。   
(2002・3・13 宇都宮)

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「ドリブン」
監督 レニー・ハーリン
出演 シルベスター・スタローン
    キップ・パルデュー  
    バート・レイノルズ
(2001年/アメリカ)

カートレースに華々しくデビューした若手レーサー(キップ・パルデュー)がスランプに陥った。監督(バート・レイノルズ)は彼のスランプ脱出を図るべく、一度は引退したベテランレーサー(シルベスター・スタローン)をレースに復帰させる。ただし、その条件は若手レーサーを優勝させること。
裏アカデミー賞とも呼ばれるラズベリー賞に見事ノミネートされたと知り、大いに納得した。人間ドラマが類型的で希薄(ちなみに脚本はスタローンが担当したらしい)。カーレース好きにはうれしい映像ばかりかもしれないが、興味のない人間には世界を転戦するレースシーンも退屈なだけ。やたらとお色気ショットが多いのも食傷気味だ。同じS・スタローン&レニー・ハーリンコンビの作品なら、「クリフハンガー」の方がよほどマシである。
蛇足ながら、かつてハリウッドのセックスシンボルだったバート・レイノルズが、いいおじいちゃんになっていた。若手の人気急上昇株・キップ・パルデューも、顔とからだのアンバランスがちょっとツライところだ。
(2002・2・18 宇都宮)

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「トラフィック」
監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 マイケル・ダグラス
    キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
    ベニチオ・デル・トロ
(2001年/アメリカ)

2001年度アカデミー賞4部門を受賞した力作。
トラフィックとは巨大麻薬コネクションのこと。ワシントン・サンディエゴ・メキシコで3つのストーリーを同時進行させ、アメリカとメキシコにまたがる麻薬コネクションをめぐる闘いを重厚に描いた。
陸続きの隣国にアメリカという世界一富めるマーケットを持つメキシコは、麻薬の一大輸出国。警官の汚職は日常茶飯事で、誰が正義で誰が悪なのか、物語りの端緒ではつかみにくい。一方、アメリカで麻薬を売りさばく男は、サンディエゴの豪邸に住み、なにも知らない妻はちょっとした上流夫人の生活ぶり。しかし、夫の逮捕がきっかけで、生活のために妻もたちまち裏の世界に手を染めてしまう。そして、彼らを徹底的に叩き潰すことで出世を図るワシントンの新任判事は、実は娘の麻薬中毒に家庭は崩壊寸前。
3つのストーリーはそれぞれ画面を黄色、オレンジ色、青色のトーンにし、シーンの転換がわかりやすいよう工夫している。ハンディカメラを多用したニュースのような映像といい、ソダーバーグ監督の演出はやはり「ひと味違う」。が、ちょっとマニアック過ぎて、一般ウケしないのがつらいところ。作品の出来栄えのわりにヒットしなかったのもうなずける。
それにしても、アメリカ社会に巣食う麻薬という悪魔のなんと根強いことか。「捕まえても罰しても、他の誰かが代わりにやるだけ」。コネクションの一員が漏らしたこの言葉の裏の絶望感を、アメリカの人々が深く受け止めてのアカデミー賞受賞なのだろう。
(2002・1・5 宇都宮)

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「隣のヒットマン」
監督 ジョナサン・リン
出演 ブルース・ウィリス
    マシュー・ペリー
(2001年/アメリカ)

自分の家の隣に、超有名なマフィアの殺し屋が引っ越してきたらどうするか?
この命題から始まるストーリーは、最初に予想したよりずっと複雑だった。タイトルシーン前後は「退屈なコメディか?」と思わせるが、10分ほど我慢しよう。ドンデン返しが繰り返され、話が進むほどに、どんどん面白くなる。
隣に殺し屋(当然B・ウィリス)が引っ越してきた主人公は人のいい歯科医(この歯科医という職業が後で効いてくる)。ところが、彼の妻は悪魔のような女。歯科医に多額の生命保険をかけ、殺し屋を物色中。一方、マフィアも組織を裏切ったB・ウィリスに多額の懸賞金を賭けており、歯科医は妻の命令でマフィアの本拠まで乗り込む羽目になる。そこで出会ったのはB・ウィリスの妻。これまでに見たこともないほど美しい彼女を前にして、歯科医は思わぬ大胆な行動に出てしまい…
善良な歯科医と百戦錬磨の殺し屋の妙な友情、殺し屋の妻と歯科医の純愛など「そんなワケないだろ!」というツッコミも多々あるだろうが、大人のファンタジーだと思って楽しもう。そうすればラストで心がほのぼのし、ハッピーな気分になれることウケアイだ。
(2001・12・8 宇都宮)

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「テイラー・オブ・パナマ」
監督 ジョン・プアマン
出演 ピアース・ブロスナン
    ジェフリー・ラッシュ
(2001年/アメリカ)

素行と女グセの悪さが原因でパナマに左遷されたイギリス情報部のスパイ(P・プロスナン)は、パナマ情勢を探るため、に要人を顧客に持つ仕立て屋(J・ラッシュ)に近づく。家族に内緒の借金に苦しむ仕立て屋は、スパイにニセの情報を流し小金をせしめるが、逆に一攫千金をもくろむスパイに利用される羽目になる。事態はやがてイギリス・アメリカを巻き込み、パナマ情勢は一気に緊迫していく。
5代目ジェームズ・ボンドことP・プロスナン演じるスパイが、とにかくイヤなヤツである。しかも笑っちゃうぐらいの女たらし。仕立て屋の愚にもつかない作り話を世紀のスクープ情報であるかのように上司に報告し、再びパナマ紛争に火をつけるくだりはこの作品の見せ場だと思うが、悪徳スパイにだまされる上司も上司なら、アメリカ軍もアメリカ軍だ。原作はあのジョン・ル・カレのベストセラー小説だが、「MI6もアメリカ軍も、ここまでアホなのか?」と首をかしげたくなる展開である。
ジミで小市民の仕立て屋をJ・ラッシュが好演し、小悪はあれど彼を応援したくなるのがフシギだ。
(2001・11・23 宇都宮)

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「デンジャラス・ビューティ」
監督 ドナルド・ピートリー
出演 サンドラ・ブロック
    マイケル・ケイン
    ベンジャミン・ブラット
(2001年/アメリカ)

S・ブロック扮するFBI捜査官が、連続爆弾魔の捜査のためにミス・アメリカ・コンテストに潜入する羽目に。男勝りで仕事一筋の彼女を、美容コンサルタントがわずか2日間でニュージャージー州代表に仕立て上げる。身分を隠してミスコンに出場しながら捜査を続けるが、犯人は意外なところに潜んでいた。
「骨太」の印象が強いS・ブロックがミスコン? というミスマッチにまず笑い、批判を浴びながらも旧態依然としたミスコンの体質に苦笑する。いわゆるアクション・コメディのジャンルだと思うのだが、予想以上に笑い、楽しめた。
楽しめた要因は、やはりS・ブロックの好演が大きい。彼女がなぜ「アメリカの恋人」と呼ばれるほどに人気があるのか、いまひとつ量りかねていたが、この映画を観て合点がいった。「隣のお姉さん」的な親しみやすさ、飾らない雰囲気、ときおり弱音を吐きながらも最後まであきらめないネバー・ギブアップの精神。すべて一般的なアメリカ人が持つ(持ちたいと願う?)長所ばかりなのだ。これぞ庶民派女優! 隣のお姉さんがミスコンに挑戦したら、そりゃあ面白いに決まってるではないか。
脇を固める俳優陣も映画ファンには楽しめる。まず、ゲイの美容コンサルタントを演じたM・ケインがウマイ。スタッフ若返りのために切り捨てられるミスコンの司会者役に「スタートレック」のカーク船長(ウィリアム・シャトナー)。そして、ミスコン理事を演じたキャンディス・バーゲン(!)がなんとも懐かしい。M・ケインもW・シャトナーも本当にトシをとったが、とっくに50歳を過ぎているはずのC・バーゲンは驚くほど若くて美しい。ぜひ、その秘訣を知りたいものだ。
(2001・11・14 宇都宮)

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「タイタンズを忘れない」
監督 ボアズ・イェーキン
出演 デンゼル・ワシントン
    ウィル・パットン
(2001年/アメリカ)

1970年代前半、アメリカでは公民権運動にもかかわらず人々には人種間の偏見が残っていた。そんな中でヴァージニア州のある高校で白人と黒人が統合され、フットボールチーム「タイタンズ」も混成チームとなる。ヘッドコーチとして黒人のブーン(デンゼル・ワシントン)がやってきて、それまでのコーチのヨースト(ウィル・パットン)はアシスタントコーチを引き受けることになる。住民の偏見と選手達の反目の中で、ブーンは厳しいトレーニングを通じて勝つためにやるべきことを教えていく。その過程でやがて選手達は・・・、そして住民は・・・。
これは実話だそうだ。差別を跳ね返すためには強くならなければならないのだろう。それは表面的なことではなく、キング牧師に見る強烈な内面の強さである。ブーンもそうした性格だ。自分のやるべきことを見据え、リーダーシップを発揮して選手達を引っ張っていく。有無を言わさぬ指導により、やがてタイタンズが勝利を収め、選手達も互いに葛藤を通じて心を開くようになる。いつの世も差別心を植え付けるのは大人で、変わっていくのはまず子供達から。この映画自体では人種差別の部分は印象的なほど大きくは扱われていない。差別が薄れていく部分の描き方があっさりしすぎた感もある。しかし選手達は多感な時期を精一杯悩みながら成長しており好感が持てる。できすぎたストーリーも実話ゆえにナチュラルで爽やかでさえあり、オススメの作品だ。デンゼル・ワシントンは相変わらず存在感があり、ヨーストの幼いアメフトマニアの娘がまたおしゃまでとても可愛い。
(2001.11.14 藤原)

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「冬冬の夏休み」
監督 候孝賢
出演 古軍
    張博正
    李淑
(1984年/台湾)

小学校を卒業したばかりの夏休み、冬冬(トントン)は母の病気のため、妹のティンティンとともに祖父の家に預けられる。厳格な医師である祖父、やさしい祖母、職に就かずブラブラしている叔父とその恋人、近所の子どもたちなど兄妹を巡る人々が織りなす夏休みの出来事がやさしい視線で描かれていく。
冬冬が過ごす夏休みの情景は、そのまま日本の昔懐かしい夏休みの情景とぴったり重なりあう。大家族の祖父の家、昆虫採集の網を持って走り回る男の子たち、父親に叱られてばかりの叔父…すべて私が子どもの頃に見た記憶のある光景ばかりで、むしろ日本とは違うシーンを捜す方がむずかしい。祖父の家の造りと食べもの、そして言葉ぐらいのものか? 
とにかく自然や町の風景、風俗習慣以上に、感情表現や行動パターンで台湾の人々が私たち日本人に近いことを随所に感じさせる作品だ。候孝賢監督が「台湾の小津安二郎」と呼ばれていたのも大いに納得。21世紀に暮らす身にすれば、むしろ小津監督の「東京物語」より違和感が少なかったぐらいだ。
バックに流れる音楽も冬冬の卒業式シーンの「あおげば尊し」(!)ではじまり、夏の終わりを表現する「赤とんぼ」(!!)で終わる。ノスタルジーに浸りたいとき、日常生活にちょっと疲れたときにオススメの作品だ。
(2001・10・17 宇都宮)

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「タイタンA.E.」
監督 ドン・ブルース
(2000年/アメリカ)

時は地球滅亡後の31世紀。母星を亡くした地球人たち人類は宇宙ジプシーとなり、悪辣なエイリアンに支配されていた。小さな星で労働者として働く主人公ケール(声・マット・デイモン)は、科学者だった父の意志を受け継ぎ、バラバラになった人類を悪の手から救出するがゆえ、新天地を求めて旅立つ。そこで人間が住める星を作ることができる宇宙船タイタンを探し当てるのだが、そこには敵の強烈な攻撃が待ち構えていた。
SFアニメで3D-CGIを使っており、宇宙は美しく氷が飛び散るシーンは見事である。ストーリーは宇宙戦艦ヤマトに少し似ているが、何と言ってもキャラがヤマトの方が魅力的。タイタンに登場するキャラは、地味で心情的に惹きつけられない。アニメ作品では、やはり日本の作品の方がストーリー的にもしっかりして優れていると思う。この作品も戦闘、恋愛、友情、裏切りなど扱うモチーフは十分なのに何かひと味足りないのだ。相当お金をかけたようだが、映像の美しさだけが際だっていた。
(2001.8.7 藤原)

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「チャーリーズ・エンジェル」
監督 McG(マックジー)
出演 キャメロン・ディアス
    ドリュー・バリモア
    ルーシー・リュー
(2001年/アメリカ)

タイトルバックのテーマミュージックを聞いた瞬間、「ああ、なつかしい!」と叫んだ私は70年代に放映されたTVシリーズをリアルで見ていた世代。ファラ・フォーセット・メジャースのヘアスタイルが一世を風靡したのも覚えているが、そのお色気度はイマイチわからなかった。おそらく子どもだったからだろう。
今回の映画版は全編あふれんばかりのお色気パワーにやや食傷気味。CGを駆使したアクションシーンも迫力満点だがウソっぽい。とにかく3人の女優を見せるピンナップ映画の色合いが強いので、コスプレ好きにはオススメ。(私がチェックしたところでは、チロルの民族衣装とレーシングウェアがセクシー度満点)
となると、どうしても3人の女優を比べてしまうが、キャメロン・ディアスのスタイルのよさには、わかっちゃいたけど脱帽モン。ドリュー・バリモアはいちばん年下にもかかわらず、オッカサン的な迫力がある。名門役者一家に生まれ→「E.T.」の子役で大ブレークし→麻薬中毒でいったん業界から消え→セクシー女優で復活した人生経験がなせるワザか。最近のニュースでも、26歳にして近く2度目の結婚をするとか。ルーシー・リューはアメリカ人が想定する東洋風そのものの女優さんで、日本では決して主役を張れない顔立ちだ。
「スパイ大作戦」「宇宙家族ロビンソン」「チャーリーズ・エンジェル」と往年の人気TVドラマのリメイクが続いているが、個人的な好みを云わせてもらえば「ナポレオン・ソロ」が好きだった。でも、ロバート・ボーンとデビッド・マッカラム以外の俳優さんが演じるソロとイリヤなんて見たくないが。
(2001・7・15 宇都宮)

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「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
監督:ラース・フォン・トリアー
出演:ビョーク
   カトリーヌ・ドヌーヴ
(2000年/デンマーク)

◎カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したミュージカル。
ラストシーンは、そうもってきましたか・・・という感じ。冒頭からは思いもよらなかった。
1960年代、アメリカの片田舎。遺伝性疾患で視力を失いつつある貧しい移民のセルマ(ビョーク)は、同じ病を持つ息子の目の手術費を稼ぐため、工場労働でわずかな稼ぎを蓄えていた。彼女の唯一の楽しみは、現実を忘れさせてくれるミュージカル。工場内の機械の音、人の足音などあらゆる音からセルマは空想の世界を作り上げていく。やがて工場を首になり、息子のために貯めていたお金を隣人に盗まれ、次々と悲惨な運命が彼女に襲いかかる。
最初、この人が主役?というさえないビョークが話が進むにつれて、どんどん輝きを増してくる。ストーリー全般にヘビーなのだが、重要シーンをミュージカルが彩る。逆にミュージカルが苦手な人には苦しいかもしれない。人間の無慈悲さ、運命の非情さとセルマの無知ともいえる純真無垢なところが対照的だ。この映画は賛否両論渦巻いていたようだが、それも頷ける。救いがないという声も聞いたが、そうとは言えないだろう。最終的にセルマは「ある意味で」希望を叶えることができたのだから。
理性的に、また理屈で考えていてはセルマに対しては違和感が増してくる。彼女自体を丸ごと受け入れられるかどうかだが、私には少々荷が重すぎた。やや殉教者に対して自分の抱く感情に近いだろうか。涙は1滴も出なかったが、インパクトは強かった。また、セルマの友人を演じていた懐かしのカトリーヌ・ドヌーヴも貧しい労働者の役だったが、さすがにゴージャス感が漂っていた。
(2001.7.5 藤原)

◎21世紀最初のお正月映画の中で、もっとも話題を呼んだ作品であり、もっとも賛否両論分かれた作品でもあった。
息子の目の手術のためにチェコから移民し、ひたすら工場で働き続け、最後には命まで投げ出す母の無償の愛には感動するのだが、全編を通じて感じるこの違和感はいったいなんなんだろう? 
時代背景がよくわからないのだが、主人公であるチェコ移民のシングルマザーを取り巻く人間関係は決して悪くない。むしろ主人公が魅力的に見えない分、彼女の恵まれた状況が不思議なぐらいだ。主人公が魅力的に見えない最たる理由は、自らの価値観とプライドを貫く彼女の頑迷さ。まさに純真無垢と無知頑迷は紙一重。その頑なさが、悲劇的なラストを招いたような気がしてならない。
あえて云わせてもらえば、セルマと息子を襲う遺伝性の目の病気も正体がよくわからないし、大切な手術費用をタンス預金していたこともよくわからない。「病気が遺伝するとわかっていて、なぜ産んだ?」という問いに、「赤ちゃんをこの手に抱きたかったから」とセルマが答えるシーンも感動的な演出がされていたが、考えてみればこれもかなり身勝手な意見である。息子と直接愛情をたしかめあうシーンがほとんどないのも説得力に欠ける。
ビョークのルックスがもう少しイケていたら…せめて楽曲がもう少しよかったら…演出がおもしろいだけに、なんだか「名作」になり損ねたような、とてももったいない作品だ。
しかし、これだけ賛否両論分かれさせたということは、ある意味スゴイ。
(2001・8・13 宇都宮)

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「太陽は、僕の瞳(め)」
監督 マジッド・マジディ
出演 ホセイン・マージゥーブ
    モフセン・ラマザーニ
(2000年/イラン)

イラン映画といえば、子どもを主人公にした心温まるストーリーというイメージ。「運動靴と赤い金魚」で今やイランを代表する映画監督となったマジド・マジディの新作は、やはり子どもを主人公に庶民の生活が淡々と描かれている。
全盲の少年モハメドはテヘランの全寮制学校から、父親に連れられて久々に故郷の山里に帰る。数年前に母は亡くなり、再婚を考える父はモハメドに大工の修行をさせようと考える。泣いて「学校に行きたい」と訴えるモハメドを父はむりやり大工のもとへと連れて行き……
残念なことに私はイランに行ったことがないのだが、この作品に描かれる農村風景はただひたすら美しい(映像作家としての監督の腕の見せどころか?)。モハメドの姉妹役の少女も思わず目を見張る美貌で、むしろ映像が美しすぎてリアルな生活感を欠いている気さえした。再婚を望み、全盲の息子を家から遠ざけようとする父親が唯一生活の疲れを見せているが、そこに個人のエゴ以上の社会性は見えなかった。もしかしたら再婚相手に豪華な結納の品を送ったにもかかわらず、結果的に結婚を断られたことが、イラン社会の裏側を象徴しているのかもしれないが、作品からは読み取りにくい。
日本に出稼ぎに来ているたくさんのイランの人たちに、この作品の感想をぜひ聞いてみたい。
(2001・6・8 宇都宮)

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「トーマス・クラウン・アフェア」
監督 ジョン・マクティアナン
出演 ピアース・ブロスナン
    レネ・ルッソ
(1999年/アメリカ)

スティーブ・マックイーン主演の『華麗なる賭け』のリメイク。
金持ちの大泥棒と保険会社の女性調査員との知恵比べという設定は同じだが、内容はかなりアレンジされている。大人の男女を巡る華麗なエンターテイメントストーリーに出来上がっている。
裕福だが精神的に孤独な2人の心理的かけひきが面白い。ストーリー自体は単純と言えるが、十分に楽しめる。主演の2人の都会的な格好良さがニューヨークを舞台に嫌みなく描かれている。特に、レネ・ルッソは40代半ばというのに肉体的に見事としか言いようがない。あんな風に年を重ねていけるのならば、年をとるのも悪くないと思えるぐらいだ。
2人の交わす言葉は罠か、真実か。最後の最後まで話はスピーディーに進む。強いて言えば、知的なかけひきにもう少し深みが欲しかった。しかし、見て損はない映画である。『華麗なる賭け』で主演していたフェイ・ダナウェイが今回も味のある役で登場しているが、やはり存在感はすばらしい。
(2000.12.29 藤原)

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「トイ・ストーリー2」
監督 ジョン・ラセター
(2000年/アメリカ)

おなじみディズニーのCGアニメーション映画のパート2。
今の子どもたちが本当にうらやましい。子どもの頃からあんな映像に当たり前のように触れられるなんて。前作よりはるかに進んだ、大人も満足する映像が楽しめる。
パート2では、主人公のカウボーイ人形・ウッディが実はマニア垂涎のレアものだったという設定。マニアの手で盗まれ、日本のオモチャ博物館送りにされかけるが、スペースレンジャー人形・バズをはじめとするオモチャたちが、力を合わせて救出にかかり…
シーンごとのストーリーアイデア、映像アイデアがさすがに凝っていて、時間とお金をかけて丁寧に作った映画という印象。だからこそ、子どもだけに見せるのはもったいない。
登場するオモチャたち、彼らのご主人であるアンディ坊やの部屋、家、近所の街並みと、どれをとっても、おそらくアメリカ人なら誰でも涙が出そうなぐらい懐かしい、馴染みの風景なのだろう。オモチャの数も、物質文明の頂点に立つ国らしい豊かさだ。モノが不足している国の子どもたちがこの映画を見て、まず感じるのは、たくさんのオモチャと居心地よさそうな自分の部屋を持つアンディへの羨望だろうと思った。
(2000・12・16 宇都宮)

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