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CINEMA LIBRARY 〜な行〜
 
作品名 監督
ナ行  
NINE ロブ・マーシャル
ナイトミュージアム ショーン・レヴィ
名もなきアフリカの地で カロリーヌ・リンク
ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女 アンドリュー・アダムソン
ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛 アンドリュー・アダムソン
2012 ローランド・エメリッヒ
21g アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ニューヨークの恋人 ジェームズ・マンゴールド
ニュー・ワールド テレンス・マリック
ネバーランド マーク・フォスター
ノウイング アレックス・プロヤス
ノー・マンズ・ランド ダニス・タノヴィッチ
ノッティングヒルの恋人 ロジャー・ミッチェル

「NINE」
監督 ロブ・マーシャル 出演 ダニエル・デイ=ルイス     マリオン・コティヤール     ペネロペ・クルス (2009年/アメリカ・イタリア) 『シカゴ』に続き、ブロードウェイのヒットミュージカルをロブ・マーシャルが監督・映画化した。ストーリーはフェデリコ・フェリーニ監督の名作『8 1/2』のリメイク。アカデミー作品賞を獲得した『シカゴ』に比べると、日本ではあまり話題にならなかったが、なかなかの秀作だ。 イタリアの国民的映画監督グイド(ダニエル・デイ=ルイス)は次回作の撮影を前に苦悶していた。才能が枯れてしまったのか、アイディアがまったく出てこず、脚本が進まない。苦しむ彼の前に、これまで彼が深く関わってきた女性が次から次へと現れる。コケティッシュな愛人(ペネロペ・クルス)、元人気女優の妻(マリオン・コティヤール)、息子に絶大な信頼を寄せる母(ソフィア・ローレン)、監督としての彼の苦悩をいちばん近くで見ている衣裳係(ジュディ・デンチ)、彼の映画のミューズである人気女優(ニコール・キッドマン)……そして脚本が進まないままクランクインの日を迎えたグイドは、ある行動に出る。 まずはとにかく、豪華キャストを堪能しよう。ジュディ・デンチみたいな「この人が歌うの?」という女優さんまで歌って踊ってくれるし、なかなかの名曲ぞろいだ。特に少年時代のセクシャルな経験をファーギーが歌って踊る『Be Italian』が出色の出来。あの迫力ある歌声が耳について離れない。 ダニエル・デイ=ルイスが演じるクリエイターの苦しみは、見ていてこちらが苦しくなるほど。特に初期の作品が傑作ぞろいだと、周囲は「もっと名作を」と期待する。するとそこそこの作品をつくっても「期待外れ」と言われてしまうし、少しでも出来が悪いと酷評される。しかし……毎回毎回傑作をつくれる天才が、果たしてどれほど存在するというのか。 売れっ子ゴーストライターの方から聞いた話だが、作家の才能やその人のエキスというものは、デビュー直後2年間の作品に凝縮されているそうだ。3年目以降は前作の二番煎じであったり、焼き直しであったりして、徐々に作家のパワーは薄れていく。……それはそうだろう。ひとりの人間の経験なんてたかが知れている。「あの人なら、絶対傑作をつくってくれるに違いない」と無邪気に信じる善良な人々こそ、実はいちばんタチが悪い。何気ないひとことがどれほどプレッシャーを与えているか、想像しようともしないわけだから。 しかし、作品ができようができまいが、グイドは生きていかなければならない。女たちがそんな彼にどう接するかが、男性には気になるのだろう。だが、去る女は去るし、残る女は残る。 人は絶頂にあると、どうしても調子に乗ってしまう(調子に乗らない人間なんていない)。ただ、どん底に落ちたとき、自分のことを本当に想ってくれているのが誰なのかがわかる。それにしても、どんなに年齢と人生経験を重ねても、人の愚かさとは拭いきれないものだと、つくづく思う。 (2010・10・22 宇都宮)p>

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「ノウイング」
監督 アレックス・プロヤス
出演 ニコラス・ケイジ
    ローズ・バーン
    チャンドラー・カンタベリー
(2009年/アメリカ)

50年前、ボストン郊外の小学校に埋められたタイム・カプセルの中から、謎の数列が書かれた手紙が見つかった。宇宙物理学者のジョン(ニコラス・ケイジ)は、その数列が過去50年間の地球上の災害の日付と死者数であることを発見する。次に起きる災害を防ごうと単身悪戦苦闘するジョンだが、最後にもっとも恐るべき予言が待っていた……
単なるディザスター・ムービーと思っていたら、とんでもない。封切前の宣伝では、「9.11」の日付と死者数をきっかけに宇宙物理学者が予言に気づき、次の災害を防ごうとするところまでしか見せていなかったので、災害シーンが派手なパニック映画だと思いこんでいた。実際、最新VFXを使った飛行機事故、地下鉄事故のシーンは迫力満点だ。
だが、この作品の醍醐味は、主人公が「最後の予言」を突き止めたところからはじまる。「最後の予言」とは、ズバリ人類滅亡の日。『2012』では、いち早く危機を察知した主人公が"ノアの箱舟"をめざすが、本作の主人公は別の行動をとる。このあたりの意外な展開は、『アイ,ロボット』をつくったアレックス・プロヤス監督の手腕かもしれない。
もちろん、『2012』同様、細かなストーリーはツッコミどころ満載。しかし、冬のボストンのどんより憂鬱な空や古くていかめしい建物、そしてニコラス・ケイジの沈痛な表情が重々しいラストを予感させ、他の人類滅亡モノとは違った味わいだ。ラストシーンには唖然とする人も多いだろう(宗教的に過ぎるという批判も当然あるだろうが)。
サスペンスホラーと思っていたら、SFだった。そんな入口と出口が違う映画が、ときどきあってもいいかもしれない。
(2010・10・22 宇都宮)

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「2012」
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 ジョン・キューザック
    キウェテル・イジョフォー
    アマンダ・ビート
(2009年/アメリカ)

2012年、天変地異が起き、人類は滅亡する――マヤ歴の終末説をもとに、地球規模の大災害を描いたディザスター・ムービー。
太陽フレアが活発化し、地球内部のマグマが不安定化。世界各地で巨大地震、津波、火山爆発が一斉に起きる。いち早く異変を察知した地質学者(キウェテル・イジョフォー)の直言を受け入れ、アメリカ合衆国大統領は世界各国に緊急事態を告げ、選ばれた人のみが生き残るための船を極秘裏に建造させる。一方、売れない作家ジャクソン・カーティス(ジョン・キューザック)は子どもたちとのキャンプ中に、とんでもない災害が訪れることを知る……

またしても、ローランド・エメリッヒが人類を滅亡させた。
原因はいろいろだが、ストーリーのパターンは同じ。まず最初に気づくのは、天体や地質や気候を研究している学者たち。「人類存亡の危機だ」と悟った学者は、必ずアメリカ大統領にこの話を通そうとする。これまでの映画では、アメリカ大統領周辺にものわかりの悪い人間が多く、行動を起こすまでに時間がかかったが、本作は話が早い。あっという間に大地震でロサンジェルスが壊滅。主人公(名もなき一市民が主人公になるのも従来のパターンどおり)は驚くほどの察しのよさと行動力、信じられないほどの運のよさで、難局を乗り切っていく。
ひとつひとつのシーンはツッコミどころ満載なのだが、最新CGを駆使した大地震や津波や火山爆発の映像は、確かにスゴイ。登場人物の絡め方も無難だし、それぞれの背景にある人間関係も漏らさず描いている(中身は少々薄っぺらいが、チョイ役に名優を配して画面を仕立てた、という印象)。
こういう内容だとわかっちゃいるけど見てしまう。ディザスター・ムービーの魅力って、いったいなんなんだろう? 誰も見たことのない大災害を、自分は絶対安全な場所にいて見届けたいから? 
しかし、私的には災害を乗り越えて生き残った人々のその後が知りたい。地味で絵にならない労働の日々だと、わかってはいるのだが。
(2010・10・11 宇都宮)

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「ナイトミュージアム」
監督 ショーン・レヴィ
出演 ベン・スティラー
    カーラ・グギーノ
    ディック・ヴァン・ダイク
(2006年/アメリカ)

博物館で動物の骨格標本や剥製を見ながら、「この標本が実は生きていて動き出したら・・・?」と想像したことはないだろうか。
私は、ある。子どもの頃の話ではない。今だって想像する。特に恐竜の骨格標本は圧巻だ。あの威容、あの迫力。「もし、この生物が今、動き出したら?」と、気がついたら考えている。
だからこの作品を知ったとき、「私だけの妄想じゃなかったんだ」と少しホッとした。しかも舞台はニューヨークの自然史博物館! 自然史博物館は私の大好きなスポットで(とはいっても、まだ2回行っただけなのだが)、時間さえ許せば終日滞在したい場所。恐竜骨格のコレクションがとにかくオススメだ。
自然史博物館に行った気分になれるだけでもうれしいのに、その上、展示物たちが動いてくれるというこの映画、どんなふうにストーリーが味つけされているのか観てみると・・・
予想どおり、典型的なドタバタコメディ。夜間警備員に雇われたダメ男が、閉館後に館内警備をしてみてビックリ。ティラノザウルスの骨格が、セオドア・ルーズベルト大統領のろう人形が、西部開拓時代のミニチュア人形が、みんなみんな動き出す。展示物たちに振り回されて死ぬ思いをした男は、一念発起して彼らのことを調べはじめる。するとそこには、歴史と知識の玉手箱のような世界が広がっていた。
ドタバタするにも理由が必要だから、博物館のヒミツを狙う犯罪や、ひとり息子に博物館のヒミツを見せてあげたいと思う親心が絡んで、ストーリーは進行する。ドタバタぶりも最後のオチも、バカバカしいが楽しめた。
セオドア・ルーズベルト役にロビン・ウィリアムズ、先輩警備員役にディック・ヴァン・ダイクやミッキー・ルーニーなど往年の名優をそろえたところもよかった。
それにしても、また自然史博物館に行きたくなった。あんなスゴイ場所が身近にあるニューヨーカーがうらやましい。
(2007・8・12 宇都宮)

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「ニュー・ワールド」
監督 テレンス・マリック
出演 コリン・ファレル
    クオリアンカ・キルヒャー
    クリスチャン・ベイル
(2005年/アメリカ)

「黄金の日々」「シン・レッド・ライン」のテレンス・マリック監督が久々にメガホンを取ったのは、イギリス人冒険家ジョン・スミスとネイティブ・アメリカンの娘ポカホンタスの有名なラブ・ストーリー。
1607年、黄金を探すイギリス海軍の艦隊が新大陸に上陸した。その一員であるジョン・スミス大尉(コリン・ファレル)は、ネイティブ・アメリカンの族長の娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)と恋に落ちる。しかし、イギリス人とネイティブ・アメリカンの関係は徐々に悪化し、ついには戦争状態に。双方の間に立ったポカホンタスは族長より追放され、イギリス軍の捕虜となる。ポカホンタスはスミスとの恋の成就を願うが、スミスはインド航路発見の旅へと出発し、やがて彼の死の知らせが届く。絶望の淵に沈んだポカホンタスを支えたのは、イギリス貴族ジョン・ロルフ(クリスチャン・ベイル)だった。彼のプロポーズを受け、やがて息子にも恵まれたポカホンタスは穏やかな日々を送っていたが、ある日スミスが生きていることを知る・・・
私自身、ポカホンタス伝説をよく知らないので、ストーリーそのものが新鮮だった。ストーリーは落ち着くべきところに落ち着くのだが、注目すべきは映像美と抒情詩のようなセリフとシーン展開。「黄金の日々」もそうだったが、新大陸の風景があくまでも美しく、数少ないセリフひとつひとつに深みがあり想像力をかきたてる。この時代のネイティブ・アメリカンの暮らしぶりは記録にほとんど残っていないだろうから、村での生活の様子やイギリス軍との戦闘シーンなどは、製作側もかなり苦労したのではないだろうか。自然の恵みに感謝し、穏やかに生きるネイティブの人々と、欲に目がくらみ権力闘争を繰り返すイギリス軍が対照的に描かれ、スミスの苦悩が重く伝わってくる。
異文化の初遭遇という歴史的にも稀有な瞬間に、偶然生まれてしまったポカホンタスの恋。時代や文化の違いを考えると、やはり成就は難しい。スミスがもっと家庭的な男だったら話は違っていたのかもしれないが。一方、クリスチャン・ベイル演じるジョン・ロルフは妻子を亡くした男で、ポカホンタスの喪失感を理解できた。一生を穏やかに愛されて過ごしたいなら迷うまでもない。
しかし、それでも迷うのが、やはり人間。ポカホンタスにイギリス流の生活を強いることができず、自分の死を計画的に伝えさせた男。自分をあきらめさせるためとはいえ、その残酷さは女性には耐えがたい。愛する男を亡くすぐらいなら、異文化の生活になじむ方がよほどラクなことをわかってない。
実は私もコリン・ファレルに惹かれてこの映画を見に行ったので、どうやってもスミスは魅力的に見える。生まれ育った種族と訣別してまで選ぶ相手は、やはりロルフではなくスミスなのだ。
異文化遭遇の歴史の中には、きっと無名のポカホンタスがたくさんいたことだろう。
(2006・05・27 宇都宮)

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「ネバーランド」
監督 マーク・フォスター
出演 ジョニー・デップ
    ケイト・ウィンスレット
    ダスティン・ホフマン
(2004年/アメリカ・イギリス)

世界中の人々に愛される「ピーターパン」。その原作者ジェームズ・バリが「ピーターパン」を執筆したのは、ある一家との交流がきっかけだった。
人気劇作家として確固たる地位を築いていたバリ(ジョニー・デップ)だが、新作の評判は散々。スランプに悩む彼は、ある日公園を散歩中に4人兄弟とその母親(ケイト・ウィンスレット)と出会う。豊かな想像力を発揮して仲良く遊ぶ兄弟の中にあって、ひとり父親の死をひきずり、空想の世界を否定する三男ピーターが、バリの心を捉え・・・
「ピーターパン」が生まれた背景に、こうした実話があるとは知らなかった。空想の世界を否定する少年が、決して大人にならない永遠の少年ピーターパンのモデルになるとは面白い。ラスト近くに初演の舞台が再現されており、これも感動モノだ。
それにしても、ジョニー・デップはどんな役でもこなしてしまう。あるときはカリブの海賊。あるときはヤク中の刑事。そして今回はインテリ劇作家役で、静かに抑え目の演技を披露してくれた。ラダ・ミッチェル演じる妻との確執や、ケイト・ウィンスレット演じる未亡人への想いも、静かだが確実に観る者に伝わってくる。
「ピーターパン」を愛する人には、ぜひ押さえておいていただきたい作品だ。
(2006・03・13 宇都宮)

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「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」
監督 アンドリュー・アダムソン
出演 ジョージー・ヘンリー
    ウィリアム・モーズリー
    ティルダ・スウィントン
(2005年/アメリカ)

「ディズニーがナルニアを映画化している」。その情報を最初に聞いたのは、「ロード・オブ・ザ・リング」第3部がロードショーされていた頃だったか。C.S.ルイス原作のナルニアシリーズはイギリスが誇るファンタジーの傑作で、私の中ではトールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」と双璧の存在。「ロード・オブ・ザ・リング」が映画化できたのだから、ナルニアシリーズも映画化できないわけがない。そう思っていたら、春の訪れとともにナルニアがやって来た。
そんな状況だから、作品を観ての感想はどうしても「ロード・・・」と重なってしまう。子どもの頃に夢中で読んだ本の世界が、目の前にビジュアルとなって広がる。その感動というのは、ナルニアの愛読者なら誰もが味わうものだろう。衣裳ダンスを見ただけで泣けてくるし、街灯を見たときは子どもに返った気分。戦闘シーンは原作ではもっとあっさりと描かれているが、映画ではクライマックスになってしまう(「ロード・・・」もそうだったが)。現代のこどもがいきなり剣で闘うなんて所詮ムリがあるのだが、ナルニアの場合、作品そのものの持つ夢の力(魔力と言い換えてもいいが)がそれを許してしまう。
役者についえは、白い魔女役のティルダ・スウィントンが素晴らしい。フォーンのタムナスさん役のジェームズ・マカヴォイもまさにイメージ通り! この2人を否定するナルニアファンはいないのではないか。
映画の出来を左右するのは、4人の子役のキャスティングだろう。2年間かけてイギリス全土から探し出した4人は、いずれも素朴で、どこにでもいそうな子どもたちだ。末っ子のルーシィ役のジョージー・ヘンリーが本当に表情が豊かで、ナルニアにいる喜びを全身で表現している。原作のルーシィとはイメージが違うと感じる方もおられるだろうが、私は彼女の表情を見て「このルーシィもありだな」と思った。最後まで決まらなかったのがエドマンド役だったらしいが、それも納得できる。エドマンドが持つ影の部分と、それを乗り越えての成長を予感させるキャスティングというのは難しい。
当初、現代アメリカを舞台にハリウッドの有名子役を使う案もあったそうだが、「ロード・・・」「ハリー・ポッター」シリーズの大成功がこれに歯止めをかけてくれた。イギリスで生まれた作品をイギリスを舞台にイギリスの子どもたちが演じる。この当たり前の構図も危うい状況だったと知ったときは、背筋が寒くなった。現代アメリカからナルニア? もうそれだけで興醒めだ。優れた文学作品が生まれるには、必ずその土壌となる文化があるはず。背景となる文化を無視して、いい映画ができるわけもない。
今のところ、第3部までの映画化が決定している本シリーズ。「ハリー・ポッター」シリーズを見ても明らかなように、子役は映画よりも早く成長する。スピーディに撮影し、じっくり編集して、第2部を届けてほしい。第2部はどんなカスピアン王子が登場するのか楽しみだ。
(2006・03・10 宇都宮)

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「21g」
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演 ショーン・ペン
    ナオミ・ワッツ
    ベニチオ・デル・トロ
(2003年/アメリカ)

人が死ぬとき、21gだけ体重が減ると言われている。21gとは、魂の重さなのだろうか。
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロと演技達者3人を主役に据えた、重い重いテーマの人間ドラマ。
建築家の夫、2人の娘と幸せに暮らしていた主婦クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は、突然のひき逃げ事故で夫と娘たちを失う。夫の心臓は余命1ヵ月の患者ポール(ショーン・ペン)に移植された。やがてポールは自分を救ってくれた心臓の持ち主を突き止め、ひとり残された美しい妻に心惹かれていく。一方、交通事故を起こしてその場から逃走したジャック(ベニチオ・デル・トロ)は人生の大半を刑務所で過ごし、今はボランティアの神父として奉仕活動をする男。養わねばならない妻と子どもたちを前に、ジャックは自首すべきかどうか苦悶し続け・・・
突然の事故で家族を奪われ、不幸のどん底に突き落とされた女性。数ヵ月後、彼女の前に見知らぬ男が現れ、やがて夫の代わりとなっていく。しかし、ひき逃げ犯が明らかになったとき、3人は破滅の淵へと一直線に進んでいく。
主役3人が実によく描けた脚本で、感服した。3人それぞれの家族や暮らしぶり、これまでの生活背景が細やかに描かれていて、単純に人の善悪を割り切れないもどかしさのようなものが常にひっかかる。でも、人間なんてそれが当たり前。勧善懲悪ドラマのように、善と悪がハッキリ分かれることなんて、実生活では滅多にない。また、脚本に応えてか、主役3人の演技が素晴らしかった。
主役3人のうち、女性の立場だと、どうしてもクリスティーナに感情移入してしまう。絶望的なラストシーンの中で、彼女に小さな希望が芽生えたことがうれしかった。ジャックの人物像も面白い。底が見えない無気味さを感じさせる。124分の1/3では、彼の裏側までとても描ききれないだろうが。
それにしても、時間軸をバラバラにした構成はいかがなものか。私はあらかじめストーリーを知っていたから勘違いすることなく見られたが、なにも情報がないまま観た人はなにがなんだかわからないだろう。ラストシーンを冒頭に持ってきて、あとはそのまま見せても充分ドラマチックだと思うのだが。
(2006・02・26 宇都宮)

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「名もなきアフリカの地で」
監督 カロリーヌ・リンク
出演 ユリアーネ・ケーラー
    メラーブ・ミニッゼ
    レア・クルカ
(2001年/ドイツ)

1938年、ナチスがユダヤ人迫害政策を露わにしはじめた時代。ホテル経営者の祖父、弁護士の父のもと、何不自由なく暮らしていた少女レギーナ(レア・クルカ)は、両親とともにアフリカ・ケニアの地に移住することになる。サバンナの貧しい小屋で、ケニア人使用人とともに暮らす生活に、母イエッテル(ユリアーネ・ケーラー)は拒否反応を示すが、レギーナは現地の子どもたちともすぐに馴染み、言葉を覚え、アフリカの子としてたくましく育っていく。
少女の成長物語だと思って鑑賞しはじめたのだが、真の主人公は母親のイエッテルなのだと、しばらくして気がついた。故郷の生活や残してきた父や妹を懐かしがり、ケニアの暮らしになじもうとしない女性。自ら蒙ってきた差別意識をケニア人に対して抱いていた女性。そんな女性が農園経営に生きがいを見い出し、やがてケニアの人々と心を通わせるようになっていく。
夫婦の関係もストーリーの隠れた縦軸だ。ドイツではインテリ弁護士だった夫も、ケニアではなんの役にも立たない。愛する妻から拒絶され、孤独と猜疑心に苛まれる姿は見ていて切ない。しかし、結果的にこの夫の選択が一家の命を救った。ドイツに残った祖父たちはみな強制収容所で命を落とし、その悲報は遠くアフリカまで届く。
重い内容なのに映像は明るく、淡々とした演出でストーリー展開も速い。なにより救われるのは、子どもたちが明るく元気なことと、ケニアの人々があくまでも優しく、心広く描かれていること。特にケニア人使用人とレギーナの心の交流が胸を打つ。
鑑賞後に知ったのだが、本作は第75回アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞していたらしい。そんなことを抜きにしても、多くの人に観ていただきたい作品だ。
(2006・02・18 宇都宮)

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「ノー・マンズ・ランド」
監督 ダニス・タノヴィッチ
出演 ブランコ・ジュリッチ
    レネ・ビトラヤツ
(2002年/フランス・イタリア・ベルギー・イギリス・スロヴェニア)

1993年、ボスニア・セルビア中間地帯「ノー・マンズ・ランド」に、ボスニア人兵士とセルビア人兵士が取り残された。殺すか殺されるかギリギリのやりとりの中で、銃を奪い合ったり、味方に救助を求めて裸で走り回ったり、生き残るために必死で知恵を絞る2人。やがて両陣営以外に国連平和維持軍やイギリスのTV局が絡み、まるで喜劇のような悲劇が繰り広げられる。
ユーゴ内戦をコメディタッチで描いた作品は初めて見たが、笑うに笑えない状況がより悲壮感を増幅させる。「ノー・マンズ・ランド」の塹壕で交わされるボスニア兵とセルビア兵の会話は、隣村のブロンド美人のウワサ話だったりして、昨日まで隣人だった相手と今日は戦争をしている不可思議さ、不合理さが胸に迫る。ユーゴ内戦って、一体なんのための戦争だったのだろう? 
さらに悲劇なのは、地雷の上に寝かされたもう一人のボスニア兵。動くと地雷が爆発するので最後まで地面に寝たきりなのだが、「人道主義」を掲げる国連軍の対応がいかにも皮肉でありそうな話だ。
2001年度カンヌ映画祭脚本賞をはじめ、数々の映画賞を受けた作品だが、私は舞台化が面白いと思う。生の演技やセリフが楽しめて、舞台との距離も近い方が笑えない喜劇の凄みが増すはずだから。
(2003・3・6 宇都宮)

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「ニューヨークの恋人」
監督 ジェームズ・マンゴールド
出演 メグ・ライアン
    ヒュー・ジャックマン
(2002年/アメリカ)

ケイト(メグ・ライアン)はニューヨークの広告会社に勤めるキャリアウーマン。仕事一筋に見えるが、実は恋愛への夢が捨てきれず、理想の男性が現れるのを心待ちにしている。そこへ、1876年のニューヨークからレオポルド公爵(ヒュー・ジャックマン)がタイムスリップ。身に備わった知性と教養で女性を敬い、エスコートする彼に、ケイトは徐々に心惹かれるのだが・・・
友人がこの映画を評して、「あれだけ尽くされれば女は落ちる。でも、男爵が彼女を好きになった理由がさっぱりわからない」
私の感想も全くそのとおり。現代のアメリカ男性にない品位や教養を持ち、しかもハンサムな男性が現れたら、どんな女性だって気になるはず。ましてや、その稀有な男性が全身全霊で誠意を見せれば、落ちない女性なんていないのでは? 
とにかく男性が女性に尽くすので、女性が見る分には気持ちのいい映画だ。同様のつくりで女性のハートを掴み、リピーターを映画館に呼び寄せた作品として「タイタニック」を思い出した。生きる辛さを存分に感じさせた「タイタニック」に比べて、こちらは完全な夢物語に仕上がっているので、軽く観るにはいいかもしれない。
にしても、ラストは本当にあれでいいのか? 女性に未来を選ばせることで、愛の強さを表現しようとしたのだろうが、ちょっと安易すぎないか。ビジネスの第一線で頑張る女性たちが、実のところ求めているものは「キャリアよりも愛」。その構図には賛成も反対もできないが、できれば両方手に入れる女性が増えてほしい。
(2003・1・2 宇都宮)

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「ノッティングヒルの恋人」
監督 ロジャー・ミッチェル
出演 ジュリア・ロバーツ
    ヒュー・グラント
(1999年/アメリカ)

アナ(ロバーツ)はハリウッドの大スター。ウィリアム(グラント)はノッティングヒルで売れない本屋を経営している。ある日、アナが本を買いに訪れたことから、奇跡のような2人の恋が始まる。ウィリアムは自分の幸運を信じがたいと思いながらも、アナとのデートを楽しむ。やがて、彼らの付き合いを知ったマスコミがウィリアムのところに押し掛けてきたことから、怒ったアナは去っていき2人の関係は突然終わりを迎える。時が過ぎ、再び映画撮影でアナがロンドンを訪れたことを知ったウィリアムは彼女を訪ねていくのだが・・・。
ジュリア・ロバーツはスターの役で、現実とあまり差がないように思えるが、ヒュー・グラントが少し気弱で誠実な男性をうまく演じている。ちょっとクレージーな彼のルームメートを筆頭に、彼の友人たちが最高。さりげない会話はユーモアとウィットに富んでいて飽きない。こんな恋愛本当にあるのか・・・なんて考えずに、素直にストーリーを楽しめばいいと思う。品よく仕上がった、後味のいい作品だ。
(2001.7.5 藤原)

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