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CINEMA LIBRARY 〜ら行〜
 
作品名 監督
ラ行
ライアーライアー トム・シャドヤック
ライラの冒険 黄金の羅針盤 クリス・ワイツ
ラスト・サムライ エドワード・ズウィック
ラスベガスをぶっつぶせ ロバート・ルケティック
落下の王国 -The Fall- ターセム
ラブ・アクチュアリー リチャード・カーティス
ラブリーボーン ピーター・ジャクソン
ランダム・ハーツ シドニー・ポラック
乱気流/タービュランス ロバート・バトラー
リターナー 山崎 貴
リトル・ダンサー スティーヴン・ダルドリー
リブリー アンソニー・ミンゲラ
リプレイスメント ハワード・ドイッチ
猟奇的な彼女 クァク・ジェヨン
ル・アーブルの靴磨き アキ・カウリスマキ
レッド・ドラゴン ブレット・ラトナー
レッドプラネット アントニー・ホフマン
レ・ミゼラブル トム・フーパー
ロッタちゃん はじめてのおつかい ヨハンナ・ハルド
ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔 ピーター・ジャクソン
ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 ピーター・ジャクソン
ロード・トゥ・バーディション サム・メンデス
ロード・トゥ・ヘブン カレン・アーサー

「レ・ミゼラブル」
監督 トム・フーパー
出演 ヒュー・ジャックマン
    ラッセル・クロウ
    アン・ハサウェイ
(2012年/アメリカ)

言わずと知れた名作ミュージカルの映画化。ヴィクトル・ユーゴーの原作を愛読した人にもうれしい作品だろう。
原作のストーリーがあまりにも有名なのでここでは控えるが、本作は全編歌曲で構成されており、歌以外のセリフはほぼなし。流れる歌曲は珠玉のナンバーばかり。『夢やぶれて』『オン・マイ・オウン』『民衆の歌』…もっとも有名なのは『夢やぶれて』だが、革命をめざす若者たちが歌う『民衆の歌』が随所に効果的に配置されていて、演出の腕にも脱帽だ。
さらに登場する役者の歌の上手さに舌を巻く。ヒュー・ジャックマンやアマンダ・セイフライドが上手いのは知っていたが、アン・ハサウェイやラッセル・クロウがあんなに歌えるなんて! とくにアン・ハサウェイの『夢やぶれて』は、貧乏のどん底で懸命に娘を育てていた女性が力尽きて倒れるシーンで歌われ、嫌が応にも胸を打つ。「私の人生、こんなはずではなかった…」という内容の歌詞も、感情移入できる人が多いのではないだろうか。

物語はジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)の苦難に満ちた人生を核に進み、彼を執念で追い続けるジャベール警部(ラッセル・クロウ)が随所で重要な役回りを果たす。次々に過酷な目に遭いながら、人間の善の部分を信じ続けたバルジャンに感動するのが王道の楽しみ方だが、ジャベールという人間も興味深い。あれほどの執念を持ち続けられる原動力とはなんなのか? 子どもの頃に原作を読んだときは、ただのイヤな男と思ったが、この年齢になると彼の原点を知りたくなる。
後半の「第二世代」とも呼べる若者たちもよく描かれている。成長したコゼット(アマンダ・セイフライド)、彼女と愛し合うマリウス(エディ・レッドメイン)、マリウスへの想いをあきらめるエポニーヌ(サマンサ・バークス)、そして革命に燃える若者たち。いずれも熱演だったが、エポニーヌに心を惹かれた人が多いのでは? 人生は思いどおりにいかないことばかり。とくに人は親と生まれる家を選べない。邪悪な両親のもとに心が清らかな子どもが育つという設定は、現実にあり得るのかどうかよくわからないが、人を感動させる。

ミュージカルが苦手な人もこの作品はオススメ。歌を聞くだけでも価値ありだ。
(2014・02・03 宇都宮)

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「ル・アーブルの靴磨き」
監督 アキ・カウリスマキ
出演 アンドレ・ウィルム
    カティ・オウティネン
    ジャン=ピエール・ダルッサン
(2011年/フィランランド・フランス・ドイツ)

ル・アーブル駅で靴磨きを続けるマルセル(アンドレ・ウィルム)は、妻のアルレッティ(カティ・オウティネン)とふたりで、貧しいながらも堅実に暮らしている。あるとき、アフリカから密航してきた少年に出会い、わが家にかくまう。彼がロンドンに住む母のもとへ行きたがっていることを知り、どうにかして送り届けようと考えるが……
アキ・カウリスマキ監督の作品を初めて見たが、あまりにも日本的なので驚いた。抑えた感情表現。カメラ目線のワンカットで訥々と語られるセリフ。説明的なセリフはなく、「黙して行動」で進むストーリー。小津作品を意識しているのか?
しかも貧しい市井の人々が、おしつけがましくなく人情を寄せ合い、アフリカ難民の少年を母親のもとへ送りだそうとする。ネタバレになるが、ラストシーンの奇跡もあり得ない奇跡なのだが、主人公が徹底して感情表現を抑えて受け入れるので、当たり前のことのように見えてくる。というか、途中で主人公が高倉健に見えてきたのは私だけか?(笑)
移民政策についてフランスの市井の人々がどう感じているのか、日本にいると知る由もないが、本作の登場人物のような人々がぜひ存在していてほしい。30年前、ル・アーブルに日帰りで行ったことがあるが、典型的な港町でフランスらしいエスプリあふれる風景は見当たらなかった。潤いのない街並みを見ていると、ふと日本の寂れた港町やシャッター商店街を思い出した。そこにも人情だけは息づいていると信じたい。
(2013・03・21 宇都宮)

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「ラブリーボーン」
監督 ピーター・ジャクソン
出演 マーク・ウォールバーグ
    レイチェル・ワイズ
   シアーシャ・ローナン
(2009年/アメリカ・イギリス・ニュージーランド)

「私はスージー・サーモン。14歳で殺された」――
14歳の冬、スージー(シアーシャ・ローナン)は近所に住む男に軟禁され、命を奪われた。父(マーク・ウォールバーグ)は犯人捜しに奔走するが、母(レイチェル・ワイズ)は突然娘を失った悲しみに耐えられず、家庭は崩壊寸前に。その様子を魂だけになったスージーは見守り続け、どうにかして家族に犯人を知らせようとする。その後、息をひそめるように暮らしていた犯人が、スージーの妹に目をつけて……
主人公の衝撃的なモノローグではじまるストーリーは、あくまでもスージー目線で(つまり殺された少女の目線で)進行する。スージーは地上の人々と交わることができず、かといって天国に行くこともできず、この世とあの世のあいだの世界、年もとらずおなかも空かず、時間が経過しない世界を彷徨い続ける。この誰も見たことのない世界のビジュアル化がお見事! 幻想的で、見たことがないはずなのにどこか懐かしい風景。時間も一方向に流れない世界だから、原因があって結果が起きるのではなく、そこにある結果をひも解くと原因が現れるというイメージ。私たちが夢でみる世界に少し似ているかもしれない。
ピーター・ジャクソン監督は「ロード・オブ・ザ・リング」でやはり誰も見たことがない空想上の世界を私たちに見せてくれたが、そこにはまだ人々の暮らしがあり、食べたり愛し合ったり闘ったりする行為があった。ところが、この世とあの世のあいだの世界には、暮らしは存在しない。スージーは現世の家族に自分がここにいること、近所の男に殺されたことを懸命に訴えるが、その声も姿も現世の人間には届かない。観る人はわずか14歳で命を奪われた理不尽さに、連続殺人鬼への怒りが増していく。
スージーを演じたシアーシャ・ローナンが名演! 誰も見たことがない世界で、誰も経験したことのないシーンをあの若さで見事に演じきった。スタンリー・トゥッチ演じる連続殺人鬼は「いかにも」な外見で、画面を見ているだけでも気持ち悪かったのだが、この人の達者な演技がなければ、作品全体がもっと現実感のないものになっていただろう。アカデミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされたのもナットクだ。
ラストシーンには、「このラストでいいのか?」と異論も多いと思う。ただ、辛さも醜さも理不尽さも含めて、すべてこの世の出来事。それでも悲しみを乗り越えて生きていくことの素晴らしさ、この世に生を受けたことの意味を感じさせてくれた。
(2010・8・24 宇都宮)

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「ラブ・アクチュアリー」
監督 リチャード・カーティス
出演 ヒュー・グラント
    コリン・ファース
    エマ・トンプソン
(2003年/イギリス)

「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」の製作スタッフが、豪華なキャスティングでアンサンブル形式の作品を創った。登場するのは独身の英国首相から、片思いに悩む小学生まで総勢19人。数多い登場人物紹介とエピソードを同時進行で進めながら、最後は見事にまとめてみせた。
こういう形式のストーリーは、最初の人物紹介が大変だ。お互いの相関関係を少ないセリフで説明し、観る者にキャラクターを覚えさせなければならない。人物紹介があまり平凡だと「面白くない」と途中で投げ出す観客もいるだろう。この作品の場合、その最初の関門さえクリアすれば、物語は格段に面白くなっていく。ラストの「みんなハッピーエンド」は話が出来過ぎだが(特に女性にモテまくりたいとアメリカに渡った青年のエピソード)、クリスマス公開の映画はこれぐらいハッピーでいいのかもしれない。
登場する人物は首相から小学生に至るまで、誰ひとりとして遊びの恋愛をしていない。みんな愛に純粋。片思いに悩み、どうやって打ち明けようかと悶々とする様はとても可愛く、好感が持てる。また、男女間の恋愛だけでない広い意味での愛も含まれているのもいい。
それにしてもヒュー・グラントの英国首相が、私には最後まで首相に見えなかった。年齢的には現ブレア首相とそんなに離れていないと思うのだが、ヒュー・グラントのこれまでのイメージや軽さがそう見せるのか。それに比べて、ビリー・ボブ・ソーントンのアメリカ大統領が妙にサマになっていて笑えた。
(2004・7・10 宇都宮)

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「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」
監督 ピーター・ジャクソン
出演 イライジャ・ウッド
    ヴィゴ・モーテンセン
    イアン・マッケラン
(2003年/アメリカ)

2004年度アカデミー賞11部門を受賞した「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の完結編。
「ロード・・・」のすごさは前2作ですでに体験済みなので、この「王の帰還」は映像を楽しむというよりも、あの壮大なストーリーがいかに完結するかに主眼を置いて見るといいかもしれない。
滅びの山に近づくほどに心身の消耗度がひどくなるフロドと彼を支えるサム。一方、サウロンとの最終決戦に臨むため、ガンダルフとアラゴルンたちは人間たちの力を結集しようと奔走する。人間の国ゴンドールは長く執政の家系が治めており、執政デネソールは正統な王家の嫡流であるアラゴルンの出現が面白くない。デネソールの息子・ファラミアは亡くなった兄のボロミアを偏愛する父に認められようと、死を覚悟でオークとの戦いに挑むが・・・
第3作では、第1作・第2作に登場した数多いキャラクターの人間模様が掘り下げられる。トールキンの原作には背景となる歴史やお家事情がいろいろと書き込まれているが、映画ではそこまで描ききれないため説明不足の面はあるが、映画としてここまで見られる作品にまとめた構成力はスゴイ。「ロード・・・」3部作を通じて、いちばん感心したのはまさにこの構成力だった。
もちろん、世界中の「指輪物語」ファンが「まさかこの目で見ることができるとは」とわが目を疑った映像も相変わらず素晴らしい。金と時間と労力を惜しげもなく注ぎ込んだ末の映像なので、画面の端から端まで中つ国の風景を楽しんでいただきたい。デジタル映像技術の進歩がトールキンの頭の中で生まれた異世界の大陸を誰でも見られるようにしてくれた。私なんぞ画面を拝みたくなったぐらいだ。
この3年間、「ロード・・・」を見るのが楽しみのひとつだった。さて、来年からなにを楽しみにすればいいのやら。今後のことをいえば、「ロード・・・」が大成功だっただけに、監督も役者もさぞ次回作がプレッシャーだろう。このシリーズでいちばんの売れっ子になったオーランド・ブルームは別として、イライジャ・ウッドは役者としての今後の展開がかなり大変だろうと思う。フロドがまたとないハマリ役だっただけに、余計つらい。ヴィゴ・モーテンセンやショーン・ビーンは次回作が楽しみだ。
(2004・5・14 宇都宮)

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「ラスト・サムライ」
監督 エドワード・ズウィック
出演 トム・クルーズ
     渡辺 謙
     真田 広之
(2003年/アメリカ)

2004年お正月映画の中で最も話題を呼んでいるトム・クルーズ最新作を見た。
南北戦争の英雄オールグレン大尉(T・クルーズ)は、明治維新さなかの日本に西洋式の軍隊指南役として来日。折りしも明治政府の重臣である勝元(渡辺謙)が、新政府に冷遇されている侍たちの復権を唱えて反乱をおこし、オールグレンは政府軍を率いて勝元征伐に乗り出す。が、西洋式の武器を持つ政府軍は敗れ、オールグレンは勝元の捕虜に。勝元はオールグレンを殺さず、自分が統治する村で半年間暮らしをともにする。そこでオールグレンが見たものは、誇り高きサムライの精神=武士道だった・・・
ハリウッドがサムライを描くと、どうにも面白おかしなモノができてしまうのが従来のパターン。ところが、本作は監督自身がハーバード大学で日本文化を学んだ本格派。日本人アドバイザーも複数採用し、徹底的に時代考証を重ね、ロケ地も姫路の書写山円教寺など歴史ある建造物で行ったとあって、本物の日本、本物の古さを感じさせてくれ、西洋製時代劇のいかがわしさをほとんど感じさせない。(なぜ勝元や明治天皇があんなに英語がペラペラなのか?という疑問はあったが)
また、全編を通じて日本文化への深い畏敬の念を感じることができるのも、日本人としてうれしい。この映画を通じて、サムライ→ハラキリといった欧米の通俗概念が少しでも変わってくれれば、と願う。
そんなしっかりした背景に加えて、日本人俳優陣の熱演がいい。特に渡辺謙。T・クルーズと1対1のシーンでは、T・クルーズが完全に霞んでしまっていた。真田広之もセリフは少ないが存在感があったし、唯一の女性キャラ・小雪も清楚で美しい。明治天皇もそれらしい風貌だ。
そんなこんなで私の周りでは評判の高い作品だが、果たしてアメリカでヒットするのだろうか。日米同時公開の初日3日間は初登場1位だったようだが、アメリカ人が見て面白い映画かどうかは少し疑問だ。世界のナンバー1を自認するお国柄に、異文化への畏敬の念(特に東洋人の)を素直に持つことができるのか? アメリカの懐の深さを計るためにも、結果を見守りたい。
(2003・12・8 宇都宮)

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「レッド・ドラゴン」
監督 ブレット・ラトナー
出演 アンソニー・ホプキンス
    エドワード・ノートン
    レイフ・ファインズ
(2002年・アメリカ)

FBIを退職し、家族とともに過ごすグレアム(エドワード・ノートン)の元に、再びFBIから声がかかった。彼が逮捕した殺人鬼レクター(アンソニー・ホプキンス)の協力を得て連続一家惨殺事件を解決したいのだが、レクターはグレアムにしか推理を話そうとしないというのだ。否応なく再び事件に巻き込まれたグレアムは、レクターの推理を引き出しながら犯人に迫るのだが・・・
物語は「羊たちの沈黙」の前。グレアムがレクターを逮捕した直後から始まる。時間軸から追えばレクターが「羊たち・・・」より老けているのはおかしいが、アンソニー・ホプキンス以外のレクター博士は考えられないからしかたがない。当初は違和感を感じても、ストーリーが進行すれば物語の中に引き込まれて忘れてしまうので問題なし。
連続殺人鬼を追うFBI捜査陣と、着々と自らの楽しみを追求する殺人鬼の行動が交互に展開される構成に、レクター博士の推理が絡む。表向きはレクターの協力を得ているものの、グレアムはレクターを完全には信用していない。天才博士の協力を引き出しながら、いかに彼から自分の身を守るかも考えねばならない、綱渡りの捜査だ。実際、レクターがグレアムの家族の居所を突き止めるシーンから、本当のクライマックスがスタートする。
レクター博士のシリーズは「羊たちの沈黙」「ハンニバル」「レッド・ドラゴン」と続いてきたわけだが、いずれもハズレがない。「羊たち・・・」が傑作だっただけにパート2以降は制作側の苦労も忍ばれるが、「羊たちの沈黙」の脚本家を再び採用し、前作を超えるクオリティを目指した作品だけあって、「レッド・ドラゴン」も期待を裏切らない秀作である。
俳優陣もレクター博士役には彼以外絶対考えられないアンソニー・ホプキンス、FBI捜査官役に若手演技派のエドワード・ノートン、そして連続殺人鬼役にレイフ・ファインズとキャスティングもスゴイ。他にグレアムの上司にハーヴェイ・カイテル、殺人鬼が近づく盲目の女性役にエミリー・ワトソンと、ひとクセもふたクセもある役者揃い。これだけの面子が揃えば、見ていて楽しくないわけがない。
(2003・10・21 宇都宮)

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「猟奇的な彼女」
監督 クァク・ジェヨン
出演 チョン・ジヒョン
    チャ・テヒョン
(2001年/韓国)

原作は韓国で爆発的な人気を呼んだインターネット小説。「猟奇的」という言葉のニュアンスは日本語とは少し違い、「とんがった面白さ」「ちょっと変わってるけどイケてる」ぐらいの意味らしい。
大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)はある日、電車の中で泥酔している女の子(チョン・ジヒョン)と出会う。なりゆきで一晩彼女の世話をし、逃げるように帰ったキョヌだが、翌日再び彼女と再会。美人だが酒グセが悪く暴力的な性格に辟易するものの、彼女が深酒をする理由が死んだ恋人を忘れられないためと知り、「亡き恋人を忘れるまで代わりをつとめよう」と思いたつ。
韓国でも日本でも大ヒットしたラブストーリーとあって、なかなか楽しめた。強気の女に弱気の男。コメディのセオリーのような2人の力関係に加え、彼女のキャラクター設定が面白い。暴力的で羞恥心もなく、口癖は「ブッ殺す」。そのくせタバコをポイ捨てする男性には堂々と注意する正義感あふれる女性像は、日本でも新しいし、儒教思想が根強い韓国ならなおさらのことだろう。兵役を終え、ろくに勉強もせずに仲間とナンパばかりしている大学生キョヌ像も、「な〜んだ、韓国の大学生も日本とそんなに変わらないのね」と親近感を覚える。後半、再会を約束するシーンからラストシーンまでの、やや間延びした点が惜しい。
スピルバーグがこの作品の映画化権を手に入れたらしいが、アメリカ人がこのストーリーを料理するとどうなるか。気弱な男はどこにでもいるだろうが、彼女の「猟奇的」な部分がほどよく描けるのだろうか。少々楽しみでもあり、怖くもある。
(2003・9・5 宇都宮)

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「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」
監督 ピーター・ジャクソン
出演 イライジャ・ウッド
    イアン・マッケラン
    ヴィゴ・モーテンセン
(2003年/アメリカ)

子どもの頃、J.R.R.トールキンの「指輪物語」を夢中になって読んだ。そして、あの壮大な物語を映画化するなんてとてもムリだと心中ひそかに思っていた。ところが、さすがに21世紀を迎えただけのことはある。デジタル映像技術の進歩が、中つ国を目の前に再現して見せてくれた。これまでは原作読者の想像力の中でしか存在しなかった架空の大地が、鮮やかな映像になって現れたときの感動。これはコアな原作ファンにしかわからない感覚かもしれない。
第1部「旅の仲間」で映画が原作に忠実なことを確認し、ホッと胸をなで下ろした。登場人物のキャラクターも頭に入ったところで、第2部はそれぞれのキャラクターが本領を発揮する。だから、第2部ではよりドラマチックに展開するストーリーを、安心して堪能すればいい。
どのシーンも丁寧に作りこまれていて見ごたえ満点だが、特に圧巻なのはヘルム峡谷の戦闘シーン。人間とエルフの連合軍vsサルマンが生み出したオーク軍の闘いが峻険な砦を舞台に繰り広げられ、作品のクライマックスとなっている。フルCGで作られた映像とはいえ、雲霞のごとく蠢くオーク軍が人間の城を攻略していく様はその場にいるような臨場感。隅々まで丁寧に作られた映像と音響、斬新なカメラアングルに脱帽だ。
それにしても、壮大な原作を3時間にまとめる脚本の苦労がしのばれる。原作に忠実でなければ私のようなコアなファンは納得しないし、かといって全く忠実に再現するのは映画というカタチをとる限り不可能。中つ国の歴史、ゴンドールの歴史、闇の王の力を誰のセリフでどう説明するのか。裂け谷の主エルロンドが繰り返す「エルフの時代はもう終わった」という重要な言葉を、原作を読んでいない観客にどう解釈させるのか。見る側の理解力にもよるが、説明くささを極力排除することには成功している。
次回は来年公開予定の第3部「王の帰還」。力の指輪が滅び、アラゴルンが父祖の王国ゴンドールの王に即位する大団円だ。結末はわかっているが、早く観たい!
(2003・4・30 宇都宮)

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「リターナー」
監督 山崎 貴
出演 金城 武
    鈴木 杏
    岸谷 五朗
(2002年/日本)

腕利きの一匹狼・ミヤモト(金城武)は友の仇である中国マフィアの一派・溝口(岸谷悟郎)を追ううちに、未来から来たという少女・ミリ(鈴木杏)に出会う。80年後の未来、エイリアンに追い詰められた人類は最後の抵抗を試みていた。ミリは滅亡に瀕した人類を救うため、タイムマシンで時間を遡り、最初のエイリアンを抹殺する指令を受けてきたのだ。最初は相手にしなかった宮本だが、溝口がエイリアンに目をつけ、金儲けを狙っていることを知り・・・
「ターミネーター」と「マトリックス」と「E.T.」を足して、「スワロウテイル」で割ったような作品だ。和製SFにありがちな貧乏くささはあまり感じさせないが、ストーリーの粗さがちょっとツライ。「ターミネーター」からストーリーの大枠を頂き、「マトリックス」から戦闘シーンの映像表現を頂いているのも、ちょっと見え過ぎ。ただ、擬態宇宙船というアイデアは意外性があって面白い。SFXではハリウッドにかなわないが、CG技術なら対抗できる!・・・そんな気持ちにさせてくれた。
役者さんでは岸谷五朗の怪演がキモチいい。鈴木杏も「日本の子役ではダントツ」と聞いていたが、安定した演技力だ。このまま伸びたら、近い将来は演技派女優ナンバーワンか? 
それにしても日本人が描くと、どうして裏社会の一匹狼も「いい人」になってしまうのだろう。しかも相手は16歳の少女。「トリプルX」のようにオトナの女を相手にしないところが、どうも1億総ロリコン化しているようで怖い。
(2003・4・15 宇都宮)

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「ロード・トゥ・パーディション」
監督 サム・メンデス
出演 トム・ハンクス
    ポール・ニューマン
    ジュード・ロウ
(2002年/アメリカ)

1931年冬。マイケル・サリヴァンは親代わりに育ててくれたアイルランド系マフィア・ルーニーの下で働き、妻と2人の息子とともに暮らしていた。が、12歳の長男マイケルがルーニーの息子コナーの殺しを目撃したことから、一家は命を狙われることに。妻と次男は自宅で殺され、残されたマイケル父子はシカゴ近郊を6週間に渡ってさまよいながら、復讐と生き残りを賭けた闘いに挑む。
「パーディション」とは五大湖のほとりの小さな町の名前。その町には殺された母の姉が住み、マイケルは彼女のもとへ息子を預けようと考えた。息子たちに自分と同じ仕事だけはさせたくないと願う彼にとって、パーディションは普通の生活、まっとうな生き方の象徴ともいえる言葉。これがそのまま本作のテーマ・父子愛につながっている。
トム・ハンクス演じる父親は決してマイホームパパではないが、無口で強くて威厳のある、昔なつかしい父親像。甘え上手な弟と違い、どこか父親とうまくいかない息子を、父は命がけで守り通す。スキンシップや愛情あふれる言葉のやりとりもほとんどないのだが、息子は父の愛情を全身に感じながら最後まで生き延びる。そのたくましさにラストは救われた。
トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウの競演で話題を呼んだ作品だけあって、3大スターの演技合戦が一見の価値あり。P・ニューマンはさすがにオイシイ役どころを貰って見せ場を作っている。J・ロウは猟奇的な死体愛好者の殺し屋を熱演。頭髪を1本1本ハサミで切り、あの2枚目ぶりを敢えて貶めるハゲキャラに挑戦し、背筋をぞっとさせてくれた。T・ハンクスは今更云うまでもないだろう。作品中セールスマンのふりをするシーンがあるのだが、さっきまでマフィアにしか見えなかった男が本当にセールスマンに見えてしまうのだから、役者ってオソロシイ。
それやこれやで、いい映画なんだけどアカデミー賞に手が届かなかったのもある意味ナットク。サム・メンデスの演出も悪くはないけれど、正統派に描きすぎて新しさがない。それにしてもマフィアを描いて「ゴッドファーザー」を超える作品がいまだにないことも、改めて思い知らされた。
(2003・4・14 宇都宮)

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「乱気流/タービュランス」
監督 ロバート・バトラー
出演 ローレン・ホリー
    レイ・リオッタ
(1997年/アメリカ)

ニューヨークからロサンジェルスへ囚人2人と護送役の刑事を乗せて離陸したトランス・コンチネンタル航空47便。ところが、高度1万メートルの上空で、冷酷な連続殺人犯ウィーバーの手によって刑事たちが殺され、飛行機はハイジャックされる。機長・副操縦士も殺され、生き残ったのはスチュワーデスのテリーとウィーバーだけ。どうせ死刑になる身ならロサンジェルスの中心に飛行機ごと突入すると宣言するウィーバーに、テリーは命がけで立ち向かう。
飛行機パニックものの定番。操縦不能の飛行機に残されたのは、か弱いスチュワーデスただひとり。もうひとりいるにはいるが、なんとか飛行機を墜落させようと目論む連続殺人犯で、スチュワーデスは墜落と殺人という2つの恐怖にさらされる。
かつてヒットした「エアポート'75」シリーズを懐かしく思い出した。飛行機を操縦できる人間がいなくなる点も、スチュワーデスが活躍する点も、さらにそのスチュワーデスがあまり美人でない点もソックリ。主演のローレン・ホリーは賛否両論分かれるだろうが、小柄できゃしゃなところがカレン・ブラックよりは同情を誘う。レイ・リオッタのような大男(阪神の伊良部に似ていると思うのは私だけか?)に命を狙われれば、迷走する飛行機の上でなくてもパニックになるのは当たり前。限られたスペースと設定を最大限に使い、飽きさせずに見せるのはたいしたものだ。
それにしても飛行機の自動操縦技術というのは、実際にここまで進んでいるのだろうか? あれなら誰でも操縦できるではないか。私でもできそうな気がしたくらいだ。(実際にはしたくないが)
(2003・4・11 宇都宮)

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「ロード・トゥ・ヘブン」
監督 カレン・アーサー
出演 アンジェリーナ・ジョリー
    レイチェル・リー・クック
(1997年/アメリカ)

19世紀のアメリカ南部を舞台に、テキサス併合から南北戦争、奴隷解放、女性参政権運動へと、2人の女性が激動の時代を前向きに生き抜いた姿を描く。ブレーク前のアンジェリーナ・ジョリーが主演し、その少女時代をレイチェル・リー・クックが演じている。
歴史的な大事件に身近な人々の生と死を織り交ぜながら、ストーリーは淡々と進行する。原作はアメリカのベストセラー小説らしいが、どこかで聞いたようなストーリーと、どこかで見たような演出の繰り返しで、まるで目新しい部分がないところが逆にスゴイ。A・ジョリーの人気が出たのでビデオ&DVD発売に至ったのだろうが、1997年時点では彼女もまだ少々イモっぽい。おかげで、女優の美しさは人気とともに磨かれるものだということが、よくわかる。一方、レイチェル・リー・クックの美少女ぶりには本当にウットリ。成熟しきらない少女ならではの美しさを保つために、できればこのまま時が止まってほしいぐらいだ。
それにしても明らかな凡作なのに、なぜこの手の作品って最後まで結構楽しめてしまうんだろう? テンポが速いから? それとも女性の一生モノに自分を重ね合わせることができるから? よくわからないが、また同じような作品をレンタルしてしまう自分が想像できる。
(2002・8・26 宇都宮)

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「ライアーライアー」
監督 トム・シャドヤック
出演 ジム・キャリー
   モーラ・タイニー
   ジャスティン・クーバー
(1997年/アメリカ)

遅すぎて恐縮だが、ジム・キャリーの主演映画というものを初めて見た。
大げさな身振り手振りとマシンガンのようなセリフの連射、ゴム製品のようにグニャグニャ変わる顔の表情。スピーディといえばスピーディだが、まあセワしない役者さんである。本職はコメディアンらしいから、日本でいえば、明石家さんまが映画に主演するようなものか? 
そのJ・キャリーが演じる役どころは、達者な弁舌が自慢の弁護士。ウソ八百を並べ立て裁判も連戦連勝だが、仕事が忙しすぎて離れて暮らす5歳の息子との約束をしょっちゅうすっぽかす。その場しのぎの言い訳を聞き飽きた息子が「パパがウソをつけなくなりますように」とお祈りをしたところ、本当にウソがつけなくなった。さて、商売道具のウソが使えなくなった彼は困り果て…
「●●したいのにできない」という状況設定はストーリーを面白くするが、コメディーの場合、その設定がかなり限られる。この物語のように、ファンタジックな設定がOKならまだいいが、現実には「ウソがつけなくなる」という状況はあり得ない。また、コメディーとしては、誰にでも経験があるような現実的な設定の方が確実に面白い。コメディアンのJ・キャリーは、日々の仕事で常に現実的な設定を突きつけられているだろうから、ファンタジックな設定の脆さをよく知っている。だからあの超オーバーアクションの演技になったのか? それともあれが芸風? …まあボチボチと他の作品で見極めよう。
(2002・2・5 宇都宮)

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「リトル・ダンサー」
監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 ジェイミー・ベル
    ジュリー・ウォルターズ
(2001年/イギリス)

「とにかく主役の少年がいい!」と聞いていたが、ホントにいい! 表現力あふれるダンス、自然な演技、ときおり見せる大人びた表情など、13歳という過渡期の年齢ならではの魅力がいっぱいだ。
1984年、イギリス北東部の炭鉱町。炭鉱ストが吹き荒れ、主人公ビリー少年の父と兄も自宅待機中。父の命令でボクシング教室に通うビリーだが、隣で開かれているバレエ教室が気になってしかたがない。ついに父親に黙ってバレエ教室に通いはじめ、その才能がバレエ教師の目に止まる。
「男の子はサッカーかボクシングかレスリングをやるもの」と決めつけていた昔気質の父親が、やがて息子の才能を知り、ロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けさせるためにスト破りまでしてロンドンへの旅費を捻出する。スト破りをなじる兄に「俺やおまえに未来はない。だが、ビリーには可能性がある」と諭すシーンが胸に迫る。炭鉱しか知らず、広い視野や新しい発想など持ちようのない父親が信じた息子の才能。家族の、そして不況にあえぐ町全体の期待を背負って旅立ったビリーが、成功した姿をみなの前に見せるラストも泣けた。
実際私のまわりでも、子どもの才能を信じるどころか「夢みたいなことを云うな」と潰してしまう親の方が多い。子どもが苦労しないようにと願う親心だとは思うが、チャレンジ以前の撤退は必ず後悔を残すもの。言い訳ばかりする人生を子どもに送らせたくないなら、親にも勇気を持ってほしい。子どもと一緒に傷つき、子どもを受け止める勇気を。
(2001・8・13 宇都宮)

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「ランダム・ハーツ」
監督 シドニー・ポラック
主演 ハリソン・フォード
   クリスティン・スコット・トーマス
(1999年/アメリカ)

ワシントンD.C.警察の巡査部長ダッチ・ヴァン・デン・ブロック(ハリソン・フォーフォド)は、愛妻でファッション・コーディネーターのペイトンが出張旅行中に乗っていた旅客機がチェサピーク湾に墜落したというニュースに遭遇する。事故後次々に妻の嘘が発覚する。彼女はミセス・チャンドラーを名乗り、事故機ではチャンドラーなる男性と隣り合わせであり、ふたりの遺品からは同じ部屋のキーが出てくる。ダッチは彼らの本当の関係を知ろうと、チャンドラーの未亡人で下院議員ケイ・チャンドラー(クリスティン・スコット・トーマス)に会いに行く。ケイは彼の来訪を嫌い、事実を知るのを避けようとするが、執拗なダッチにやがて2人の関係は・・・。
映画はサスペンスタッチで始まり、海中に沈んだ飛行機の中のペイトンとチャンドラーの姿には今後の展開をわくわくさせられる。しかし、その後のストーリーの展開はやや予想外である。真面目で気丈だが心揺れるケイをクリスティン・スコット・トーマスがぴったりの演技を見せる。だがハリソン・フォードはすでに動きにキレがない。巡査部長の役は見ているこちらがお疲れさまという気がしてしまうぐらい、やや老いが目についてくるのだ。妻の真実を探る心情とケイへの気持ちが微妙にずれている気がしてしまう。男心がわかってないからかもしれないが・・・。この映画はサスペンスではなく、偶然に出会った男女のラブストーリーである。
(2001.8.6 藤原)

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「レッドプラネット」
監督 アントニー・ホフマン
出演 ヴァル・キルマー
    キャリー=アン・モス
(2000年/アメリカ)

2050年、地球の大気汚染に悩む人類は、火星地球化計画を進行させる。その第一弾として、火星に酸素を生成させるため藻類の繁殖を試みる途中、火星上の無人基地との連絡が途絶えた。原因を究明すべく火星に向かったマーズ1は、火星軌道上に到着直後事故に遭い、船長をひとり船内に残し、クルーは火星上に緊急着陸する。降り立った火星上に藻類の姿はなかったが、生成されているはずのない空気がそこにはあり、正体不明の昆虫類と、敵と化したマーズ1のロボットが襲いかかってくる…
火星地球化計画は最近の天文学で活発に研究されている旬の分野。太古の火星には水と空気があり、水は氷となって地表下に眠っているのだから、空気さえ生成できれば人間が移住できる可能性は充分ある。しかし、この映画の設定にはかなりムリがあるし、そもそも昆虫類が何者なのかが解決されていない。見習いたいのは「ネバー・ギブアップ」のスピリット。空気がなくなっても、最後の最後まであきらめない、その精神力はスゴイ。
女性船長役のキャリー=アン・モスは「マトリックス」ではかわいい女性のイメージだったが、ここではすっかり貫禄がついていた。マザーシップに陣取り、どんな非常事態にも冷静沈着に対応する宇宙飛行士のカガミである。ヴァル・キルマーは火星の上でもやっぱりヴァル・キルマーだった。
たしか同じような時期に同じく火星を舞台にした「ミッション・トゥ・マーズ」も公開されていたと思うが、内容の深さや感動度から私は「ミッション・トゥ・マーズ」に軍配を上げたい。
(2001・7・15 宇都宮)

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「リプレイスメント」
監督 ハワード・ドイッチ
出演 キアヌ・リーブス
    ジーン・ハックマン
(2000年/アメリカ)

マトリックスの次作としてキアヌ・リーブスが選んだ役柄はアメフトのクォーターバック。ワシントンのアメフトチームはプレーオフまであと3勝というところで、主力選手が年俸をめぐってストライキ。慌てた経営陣は名監督ジミー(ジーン・ハックマン)を中心にリプレイスメント(代理選手)を集めてにわかチームを編成する。チームのメンバーは元サッカー選手、関取、俊足、聾唖者など癖のある者ばかり。そして中心となるクォーターバックには、かつてシュガーボールで大敗を喫し、引退していたファルコ(キアヌ)が呼ばれる。ファルコは才能もあり、ハートもあついが、やや精神面に弱さを抱える。悩むファルコをジミーの言葉が復帰に導く。
ばらばらの落ちこぼれメンバーが、試行錯誤を繰り返し、やがては互いに信頼感を持つようになり、試合にも勝利をおさめていく。まさに全員一丸となろうとしたとき、チームには正クォーターバックの復帰が決まり、ファルコは静かに去っていくのだが・・・。
「メジャーリーグ」を彷彿とさせるスポーツコメディー。シンプルなストーリーを素直に楽しめる。賛否両論あろうが少しぽっちゃりとしたキアヌも魅力的だし、落ちこぼれチームの面々も個性的で楽しい。また相変わらずジーン・ハックマンは存在感があってお見事。コメディーでもキアヌはほのかな哀愁を漂わせる。リプレイスメントそれ自体は面白い映画と思うが、キアヌ・リーブスとジーン・ハックマンとくればもっと内面をえぐる心理戦とか、敵役でのやりとりを見てみたいと思った。
(2001・6・4 藤原)

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「ロッタちゃん はじめてのおつかい」
監督 ヨハンナ・ハルド
出演 グレタ・ハヴネショルド
(2000年/スウェーデン)

原作は「長くつしたのピッピ」などで有名なスウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーン。パパ、ママ、お兄ちゃん、お姉ちゃんとともにスウェーデンの田舎町に住むロッタちゃん(5〜6歳か?)に起きる出来事をあたたかく綴った物語。
ママに反抗して隣家の物置に家出するロッタちゃん。やさしい隣家のおばあちゃんのために、雑誌を買いに行くロッタちゃん。ツリーが手に入りにくいクリスマス3日前、偶然ツリーを手に入れたロッタちゃん…。
なにはともあれ、ロッタ役の女の子のかわいいこと! ひとりごとセリフが多い中、なかなかの演技だった。そして、ロッタちゃんを取り巻く大人たち(パパ、ママ、隣家のおばあちゃん、お菓子屋さん、ガソリンスタンドの夫婦)が持つゆとりとやさしさ。幼児虐待のニュースが新聞を賑わわせる中、地域ぐるみで子どもを包み込む世界は、見ていてたしかに救われる。そりゃ文部省特選にもなるはずだ。
小学生のお子さんがいる方は親子で観ることをおすすめします。
(2001・3・17 宇都宮)

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「リブリー」
監督 アンソニー・ミンゲラ
出演 マット・デイモン
   グウィネス・パルトロウ
   ジュード・ロウ
(2000年/アメリカ)

ルネ・クレマン監督の名作「太陽がいっぱい」のリメイクだが、前作とは登場人物も変え、主人公トム・リプリーが億万長者のドラ息子ディッキーを殺す動機にも新しい味付けを加えた。殺人者が殺した相手にすり変わるという設定は、現実にはかなりムリがあると思うのだが、映画ではその点をうまく利用し、ハラハラドキドキの展開に持っていった。
リプリーを演じたマット・デイモンは若手演技派の代表格らしく、ダサくて貧乏な若者をうまく表現している。ディッキーの婚約者役のグウィネス・パルトロウはまさに適役。「ハリウッドの令嬢」の名にふさわしいお嬢様ぶりだ。そして、ディッキー役のジュード・ロウ。この作品で大ブレークしたらしいが、太陽神アポロンの生まれ変わりのような(?)美青年ぶりには恐れ入った。前作ではアラン・ドロンがリプリーを演じ大ブレークしたが、美形好みの方はジュード・ロウを見るだけでも価値あり。
舞台は前作同様1950年代のイタリアに設定しているが、殺人の動機に時代の移り変わりを感じる。「貧乏」が最大の不幸だった時代が去り、日本のみならず世界的な規模で「精神」の時代が到来したのだろうか。
最後に、パトリシア・ハイスミスの原作も大変おもしろいので、オススメです。
(2001・1・14 宇都宮)

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